キャラット



 できればここを読む前に狐鉄丸さんの幻想庭園内「庭園文書」にあるSS『地上に降りてくるまでの夜』(by狐鉄丸さん)と、「ロクサーヌのあずまや」にある都築とこなさんの意見の中の「キャラットEDについて」をぜひぜひ読んできてくださいませ。

 さて私は3次元の責任は取らなくても2次元の責任ならいくらでも取れるので(笑)、キャラットがただ1人こちらの世界に来ても一生をかけて面倒見る気でいますが(気でいるだけ)、それでもあの帰還EDにはいくらか引っかかる点があります。
 あらためて文章を引くと

『ボク、主人公さんに会うために、全部捨ててきたんだよ。
 森も、街の暮らしも、友達も…ぜ〜んぶね。
 それぐらいボクにとっては大事な人なんだ、主人公さんは…。』

 まずはフォレスト・ワルツとの整合性。私のあのイベントへの解釈はSSに書いたとおり「キャラットは故郷の大事さを確認した」と思っているのですが、その後こんなセリフを言われると『あのイベントはいったい何だったのか?』と。あのイベントでキャラットが故郷に帰らず「ボクには主人公さんとの旅の方が大事なんだ」と言って我慢するならまだ話もわかるのですが、ゲームの通りだと物語構造的に前後矛盾するのでは。(別に旅の途中で考えが変わったっていいんだけど、シナリオとして見た場合無意味なイベントというのは不要)
 あるいは村に帰ったのはキャラットの弱さで、EDでそれを克服したということなのでしょうか?F・ワルツでの「でもやっぱりずっとここにいたいとは思わないんだ」というセリフからは「これで最後」と見ることもできますね。といっても『それじゃ何のために悩んだの?』という疑問がどうにも出てくるのですが…。
 考えてみればEMのEDである以上帰還EDがあるのは避けられないわけで、むしろF・ワルツのようなイベントがあることの方が問題だったかもしれません。

 その2、キャラットの性格。彼女は明るくて人見知りせず、友達を大事にする性格と思われます。それが森や街ならともかく友達を『捨てる』と言い切れるものでしょうか?当然その中にはお馬さんやセロも入っている。無論主人公の方が大事ならそちらを取るのも一向に構わないでしょうが、キャラクター的にそこまで徹底できるほどクールではないと思うのです。少なくとも『捨てられた』セロにしてみればたまったものではないでしょうし、それがわからないキャラットではないでしょう。
 だから

『ボク、どうしても主人公さんに会いたかったんだ。
 みんなボクを応援してくれた。お父さんもお母さんも、セロも、長老さまも、ボクなんかのために…。
 だからボクお別れは言ったけど、でも決して捨てたわけじゃないんだ。
 だってみんなはここにいるもの。遠く離れてても、ボクたちの心はつながってるもの。
 だからボクは…一番近くにいたい人の所に、来ることができたんだよ』

 とかなんとか、クサくてもいいから言ってくれたら納得もできたのですが…。
 結局キャラクター的に私が好きなのはフォーウッドのキャラットで…うさみみとかそういう問題じゃなく、彼女の純朴さ、友だち思い、他の人との繋がり、森のにおい、そういうところが好きなので、すべてを『捨てる』と言い切れる彼女はもうキャラットらしくないと思ってしまうのでした。

 ↑いや、まあゲームキャラとして見た話ですけどね。
 実際にはキャラットは森も街も友達も大事だけどそれ以上にただ主人公が大事でどうしようもなかっただけでありましょうが、ああいう女の子でああいうイベントを経過した以上「ああ、辛い」という気持ちの方が大きいですね。考えてみれば帰還未帰還に関わらず誰かがどちらかの世界を捨てなくてはならないというEM自体の内包する辛さがあるのですが、特にキャラットはそれが顕著だったと。

 といって未帰還EDや背景つきのあの衣装はイヤーーー!キャラットは純粋なんやーーっ!お色気モードは嫌です。(ついでにおしり見せてるあの絵も嫌…。単なるわがままです


P.S キャラットの危険性
 表でも書いたようにキャラットは善意を前提に行動してると思います。だから冷たく当たられたときの傷つき方は人よりはるかに大きい。
 なんか主人公が浮気してもじっと家で膝かかえたまま待ってそうだし、主人公に捨てられたら「でもボクは大好きだよ…」と言いながらそのまま首つって死んでしまいそうな危うさはあると思いますね。
(ティナもそんなイメージはあるけど、19歳である分だけ受け止めて跳ね返せそうな気がする…。若葉だったらとぼとぼと実家に帰ってぽつぽつと報告した結果逆上した蒼紫が主人公を斬り捨てるってパターンですか)


ウェンディ「嫌な評価ですね」
ガテラー 「嫌評価なんです…」



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