一日の最後のチャイム
それが鳴った直後から、私の時間は始まります
「じゃあね、見晴ちゃん、あやめちゃん!」
「あ、うん」
「せわしないわねー」
まだ人の少ない廊下を早足で通り過ぎ
焦って靴に履き替えて転びかけながら
まだ人のいない校門を見て、ほっと一安心して
「ふぅ…」
目立つのが恥ずかしくて、いつものように大樹の陰へ背を乗せます
神様、神様
今日もまたあの人と、一緒に帰れますように
美樹原SS: Front of Gate
昇降口が騒ぎ出し、ぱらぱらと人が出てきます
急ぎすぎかなとは思うのですけど
以前、用事があって出てくるのがかなり遅れたとき
それでもここで待っても、一向にあの人は現れなくて
不安を押し込めながら、あたりは暗くなっていき、最後に詩織ちゃんがやって来て
『メグ!? 公くんならとっくに帰ったわよ!?』
『…やっぱり?』
…ということがあって以来、掃除当番の時以外は早めに来るようにしてるのでした
無意味に終わることも多いのですけど
「お? 美樹原さんじゃん」
「あ、早乙女さん…」
「ハハーン公のヤツだな? あいつ今日は部活だから遅くなるぜ」
「そ、そうなんですか…」
「ん、じゃーな美樹原さん」
「は、はい…。さようなら…」
…こんな風に
早乙女さんは周りの女の子に片端から声をかけながら、門の外へ消えていきました
今日は長い待ち時間になりそうです
でも
「ゆっかりー、早く早く! 駅前のカラオケ屋、新曲入ったんだかんね!」
「それは楽しみですねぇ〜」
「今日はブティックへでも寄っていこうかしらね」
『ハイ、鏡さん!!』
こうして、通り過ぎる人たちを眺めているだけでも
「ご苦労、外井」
「はっ、レイ様。それではお車の方へ」
「では諸君失礼するよ。はーーっはっはっはっ」
私は結構楽しかったりもします
「‥‥‥‥」
「あ…」
そんなことをしていると、白衣の女の人と目が合ってしまいましたが
相手は呆れたようにぷいと無視して行ってしまいました
ちょっと恥ずかしいです…
昇降口からはぞろぞろと、人が間断なく流れてきます
九百人以上が通うきらめき高校では、ほとんどが私の知らない人たち
でも、同じ学校の生徒たち
みんなそれぞれに、それぞれの時間があって
今、目の前を歩いていく人も
私の知らない十数年と、これからの数十年を持っている
そう考えると、これだけのことも何だか不思議です
あっ
「‥‥‥‥」
眼鏡の女の子が一人、本を読みながら歩いてきます
すごく熱中しているようです
あの、危ないですよ…
そう心の中では思うのですけど、声をかけるとなると躊躇してしまって
そうこうしているうちに
ズドーン
「きゃっ!」
「わぁっ! …いったぁ〜」
案の定、走ってきたポニーテールの子と激突してしまいました
「す、すみませ〜ん。優美、前見ないで走ってたから…」
「いえ、私も不注意でしたし…」
「本当にごめんなさいっ! それじゃっ」
女の子はぺこりと頭を下げると
今度は前を見ながら、それでも大急ぎで走っていきました
相手の女の子も服のほこりを払うと、本をぱたんと閉じて
「ふぅ…。やはり歩きながらは良くないですね」
と呟くと、鞄にしまって
やはり校門の外へと消えていきました
はい、私もその方がいいと思います
こんな、何でもない出来事が
この変哲のない校門でも、毎日のように起きていてるんですね
カー、カー
空でカラスさんが鳴いています
校舎の向こうに見える雲の、その真下が野球場
今ごろ、一生懸命練習してるんだろうな…
そんな風に、空気のようにぼーっとしていたので
「めぐっ」
と、いきなり声をかけられた時は、危うく飛び上がるところでした
「み、見晴ちゃん、あやめちゃん…」
「あははっ、やっぱり彼氏待ってるんだ」
「え、えと…」
面と向かって言われると恥ずかしいです
「まだ来ないの?」
「う、うん。今日は結構遅くなるって」
「だったらこんなとこに突っ立ってたって時間の無駄でしょーが」
「そ、そんなことないよぉ…」
「そーよ。あやめには恋する女心が分かってないんだから」
「だーっうっとうしい。一緒に帰りたいなら時間決めて待ち合わせして、それまで時間潰すとかすればいいでしょっ」
「あう…」
ほんとに…そうできればどんなにか良いんですけど
「それともここじゃなくて、野球場で優しく見つめるってのは?」
「そんなことしたら目立っちゃうよ…」
「どうせバレバレじゃない」
「うんうん。しょっちゅう顔赤くして話しかけてればね」
「え!? えと、あのっ」
そ、そうだったんでしょうか?
でもあの、私赤面症だから仕方なくてっ
「ま、どうでもいいけど。風邪引かないうちに帰りなさいよ」
「じゃーねーっ、めぐ」
「う、うん…。ばいばい…」
軽く手を振りながら、青空と夕焼けの混じる中を帰っていく2人
…はぁ
そしてまた、樹の幹に寄りかかり
ただ何もせずに過ぎていく時間
気づかれていても、いなくても
結局私からは何もできない
こうして校門で待っていて
偶然を装って声をかけるだけ
だって、拒絶されるのは怖いから
自分からアプローチして、迷惑だと思われるのは嫌だから
ダメだなぁ、私って…
ただただ時間は過ぎていきます
部によってはそろそろ練習も終わったようで
また少しずつ、人通りも増え始めました
「虹野先輩、帰りにケーキ食べていきません?」
「うーん、今日は遅いからまた今度ね?」
「はぁーい」
「片桐先輩、今日も歌詞間違えてましたよ」
「ノンノン鈴音ちゃん、細かいことは気にしないの」
「お願いですから気にしてください…」
でも、やっぱりあの人は現れません
耳を澄ませてみますけど、ここまでは野球場の音も届かないし
もしかして、裏門から帰っちゃったんじゃ…
なんてことあるわけないのに、余計な不安まで浮かんできます
空は一面に茜色となり
「あ…」
そんな中を歩いてくる、見慣れたヘアバンドの女の子
思わず声をかけようとして、ふと足が止まります
詩織ちゃんと話している、隣にいる誰か
活発そうな、ショートカットの女の子
…水泳部の清川さん
文字通り、きらめき高校の有名人ふたり
「いやー参ったよ、最近コーチも張り切っちゃってさ」
「もうすぐ大会近いものね。無理しないでね」
「ま、好きでやってることだからね。でも成績がなぁ…。藤崎さんの頭少し分けてよ」
「やだ、私なんて全然大したことないわよ」
彼女と話す詩織ちゃんは、私に対するときと別に変わるところはないけれど
でも、眼前の光景と比べた自分が、あまりにも見劣りしていて
私は顔を伏せながら
つい、気づかれず通り過ぎることを願ってしまいました
「あれ? メグ」
そういう時に限って気づかれるもので
「それじゃね、清川さん」
「ああ、またね」
詩織ちゃんは道を逸れてこちらへ歩いてきます
「? どうしたの?」
「う、ううん。何でも…」
「公くんまだ来ないんだ。野球部も大変そうね」
「う、うん…」
みんな、それぞれの放課後に一生懸命打ち込んでて
「し、詩織ちゃんは今日も委員会だったの?」
「うん。ちょっと仕事頼まれちゃって」
「そうなんだ…」
「メグ?」
それに比べて私は…
「…私、ただ立ってるだけの放課後だった…」
「‥‥‥‥」
こんなこと、詩織ちゃんに言っても仕方ないのに
でも詩織ちゃんは、少し考え込むと
すぐにいつもの笑顔に戻り
「放課後の時間ぜんぶと引き替えにしても、彼と一緒に帰りたかったんでしょう?」
…と
言ってくれました
「うん…」
「ならいいじゃない」
こくん
そんなことまで言われなくては分からない自分が情けなくて
でも、そう言ってくれたことが嬉しくて
「…ありがとう、詩織ちゃん」
「ううん」
そして顔を上げたとき
「あ…」
私の心臓が、とくんと鐘を打ちます
「じゃあ私は行くね」
「う、うん…」
「頑張れ」
「うん…ありがとう」
詩織ちゃんが去り
緊張して、手を握って
そして近づいてくる、あの人の姿
隠れていた大きな樹から、そっと体を離します
今はこれしかできないけど
今の私には、これが一番大事なことだけど
いつか踏み出せるようになったときは
どうかお願いしますね
伝説の樹さん…
「あの…、一緒に…
あの…、帰りませんか…?」
消えつつある夕焼けの中
並んで校門を横切って
隣を歩く、彼の声を聞きながら
相変わらず、上手には話せなかったけど
それでも…
私は十分幸せなのでした
<END>