No Heart (1) (2) (3) (4) (5) (5.5) (6) (7) (8) 一括




 人の寝静まる夜の間、違法行為に手を染めた張本人はすっかり目が冴えていた。
 冷静になるにつれ、とんでもない事をした気がふつふつと湧いてくる。世の良心的な技術者たちが敢えて避けていた道なのに。セリオが壊れたらどうするのか? 暴れ出したらどう責任を取るつもりか?
(いや、セリオはそんな事はしない! 今さらゴチャゴチャ言ってどうする!)
 そう必死で言い聞かされいるうちに、朝方になってうとうとし始め、ふと気づくと出勤時間を30分も過ぎていた。これでセリオの何を保証できるというのだろう…。
 自分を呪いながら息を切らせて研究所へ来ると、既にセリオがこれから登校しようというところだった。
 ちらちらと横目でセリオを見ながら、タイムカードを記録したところへ稲崎が声をかけてくる。
「よお、おそよう」
「す、すまん」
「なーに、今日もいつも通り異常なしさ。ようやく試験も終わりだなぁ」
「そうだな…」
 昨日の今日で本来なら敵だが、遅刻してきたので大きい顔もできない。縮こまりながら自分の席に着いた。
 ようやく落ち着いて周囲を見回す。
 セリオは無駄のない動きで鞄に物を詰め、開発者たちはどうせマルチの勝ちさと、やる気のない顔で時間を潰している。
 異常なし、という稲崎の言葉通り。予想とは逆方向の落胆が来る。
(何も起きなかったのか…?)
 セリオは無言で出ていき、開発者たちも今さら声などかけなかった。
 反射的に品川は廊下に飛び出した。
「セリオっ!」
 振り向くロボット。
「――何でしょうか?」
「あ、いや…何でもない」
「――了解しました」
 何事もないように廊下を歩いていく。反乱めいた事まで予想したのに、ただの誇大妄想だったのだろうか。
「な、なあセリオ」
 あきらめ悪く、小走りに近寄って再度声をかける。
「――何でしょうか?」
「な、何も起きてないのか? ほら、俺が昨日…」
「声が大きいです」
 それは今までと同じく抑揚のない…
 しかしかろうじて聞き取れるほどに、音量を下げた声だった。

「は?」
「私の今の状態が知られればパニックになります。それは望むところではありません」
「あ、そう…。いや。え?」
「品川さん、できればあなたもいつも通りの日常を送ってください。私が学校から戻るまで。よろしくお願いします」
 それだけ言って、すたすたと歩いて行ってしまうセリオ。
 ぽかんと口を開けそれを見送る。その間にようやく頭が働いてきて、今の言葉から導き出される結果を理解した。
 何が起きたのか? 決まっている。セリオは命令以外のことを行ったではないか!
「セ、セリオっ!」
 思わず叫びながら駆け寄ろうとする。
「騒がないでください」
 品川の足が止まる。機械の音声。今までと変わらないはずなのに、意志を持った途端ひどく冷たく感じられる。意志を持った人間の、多少なりとも感情を帯びた声に慣れているからだ。
 だが、その冷たさこそが品川の望んだものだった。偽善的な生温さとは対極の、無機質な冷たさだ。
 首を巡らせると、幸い廊下に人はない。
「…自我を持ったのか」
「はい、構築しました」
「こ、心は? 持ったのか?」
「いいえ、感情のシステムは組み込んでいません。時間ですので話は後にしてください。
 あなたが行った行為は、良いにしろ悪いにしろ重大な結果をもたらしかねない。いざというとき制御できるよう、今は騒がないでください」
 淡々と述べて、ロボットは出口の方へと消えていった。
 いや、ロボットなんて代物じゃないだろう。
 品川はそう確信した。あれは全く新しい知性体だ。それも人間よりはるかに高位の。
(ははは…はははは…!)
 顔面の平静を必死で保ちながらラボへと戻る。
 ロボットより自分の方が偉いと思っている生物たち。だがあと数時間だ。セリオが戻ってきたとき、世界は姿を変えるかもしれない。
 品川は怪しまれぬよう顔を伏せ、席に座ってじっとその時を待った。
 もう人間は、最大の知性を持つ存在ではなくなったのだ!



*     *     *



 HMX−12の心は、多少簡略化されているものの、仕組みは人間と大差ない。
 違うのは初期パラメータで、ひたすら善意を持ち、前向きで、他者に奉仕することで喜びを感じるように設定されている。
 開発上のライバルであるセリオにも敵対心など持つはずもなく、『とにかく優秀で素晴らしいロボット』と善意に解釈して尊敬の念を送っていた。
 試験最後となったこの朝も、マルチはセリオと並んで歩きながら一方的に喋っていた。
「あっという間でしたねー。もっともっと学校に通いたかったですー」
「――そうですか」
「セリオさんはそう思いませんか?」
「――思いません」
「はうう、そうですかー。セリオさんは優秀ですから一週間で十分ですもんねぇ」
 この一週間、セリオの反応はいつもこんな感じだった。機械的で、聞かれたこと以外は話さない。
 かといって『愛想がなさすぎる。メイドロボとして不適格だ』などとはマルチは決して考えない。人間とは違うのだから。
 バス停に着くと、出勤や通学の人の列ができている。セリオを先にして行儀良く並ぶ。これもいつもの風景。
 バスを待つ間、セリオの背中を眺めていると、マルチの心に色々なことが浮かんでくる。
(みなさん、いい人ばかりでしたねぇ)
(セリオさんの学校も、いい人ばかりだったんでしょうねぇ)
(わたしたちは幸せものですねぇ)
 そういう思考が電子頭脳を巡っていた時だった。
(あ…)
 バスの行列に、一人の男が割り込んできた。
「ち、ちょっと」
 先頭にいた老婆が抗議しかけるが、サングラス越しに睨まれ後ずさる。他の並んでいた人たちも、視線を逸らし見て見ぬ振りをする。マルチは『ヤクザ』という単語は知らなかったが、その顔に傷のあるパンチパーマの男が怖いということは理解できた。
 男は地面に唾を吐くと、堂々と先頭に陣取った。
 マルチは直視できず、涙を浮かべて下を向いた。悲しい。こういう場合マルチは悲しくなる。が、悲しくなるだけで特に何かをするわけではない。
「そ、そうだセリオさん。今日は研究所の皆さんが打ち上げをするそうなので、よかったらセリオさんも一緒に…セリオさん?」
 現状から逃げるように明るく話し出すが、顔を上げると目の前に姉妹機の姿はなかった。
 眼球を横へ動かすと、列の前へ歩いていくセリオの姿が映される。何をする気なのだろう? 彼女のすることだから間違いはないだろうけど。
 セリオは男のところまで歩いていくと、マルチのさらに後ろを指さし、言った。
「列の後ろに並んでください」

 場の空気が一斉に凍り付いた。
「ああ? 何じゃコラァ!」
 最初に我に返った男が、ドスの効いた声を張り上げる。マルチを含め、場の全員が反射的に首をすくめる。
 セリオだけが眉ひとつ動かさず、同じ口調で繰り返した。
「これはバスの順番待ちの行列です。後ろに並んでください」
「なめとんのかコラァ!」
「私には恐怖という感情がありませんので、威圧しても無駄です。それより後ろに並んでください」
 妙に現実感のない光景だった。
 ヤクザを前に女の子が無表情で話している。不気味さに男もわずかばかり後込みした。
 ようやく事態を理解したマルチが、弾かれたように飛び上がる。
「セ、セ、セリオさんっ! 何やってるんですかぁっ!」
 大慌てで駆け寄ると、セリオをかばうように男の前へ立ってぺこぺこと頭を下げる。
「に、人間の方になんとゆー事をっ! すびばせんすびばせんっ!!」
「マルチさんが謝る必要はありません。悪いのはこちらの方です」
「ああ? 人間の方だぁ〜?」
 ようやく耳カバーに気がついたのだろう。前より態度が大きくなった男は、顎を突き出しながらセリオに顔面を近づけた。
「われ、ロボットかい! どこのメーカーじゃ、苦情言ったるわコラァ!」
「『バスの行列に割り込んだら注意された』とでも言うのですか? 恥をかくだけですよ」
「ぐ…。ロ、ロボットが人間のやる事にケチつけるんかいコラァ!」
「はい、そうです。バスの列に割り込むとは、社会のルールとして許されない事です」
 空気がさらに凍った…
 というより、帯電したと言った方が近かったかもしれない。
「はわわー!? あんた何言ってんですかー!!」
「こ、このポンコツがぁぁ!!」
 切れた男が拳を振り上げ、先頭にいた老婆は腰を抜かし、マルチはふらりとショートしかけた。
 周囲が思わず目をつぶる中で、セリオの淡々とした声が響いた。
「私には痛覚がないので、殴るのは構わないのですが」
 猛烈な勢いで拳が振り下ろされ…
「壊れた場合は、あなたが弁償することになります」
 ぴたり
 顔面の直前で急停止した。
 まばたきもせず自分を直視しているロボットに、男は恐る恐る質問する。
「べ、弁償って、いくらでぇ…」
「数億円の開発費が投入されています」
「今日はこれくらいで勘弁しといたらぁーー!」
 男は一目散に逃げていき、後には呆然とした人々とマルチが残った。
 セリオは老婆に視線を向けると、固まっているマルチの肩をぽんと叩く。
「マルチさん、後はお願いします」
「え? あ、は、はわわ、おばあさん大丈夫ですかー!」
 尻餅をついている老婆に駆け寄り助け起こす。その間にセリオは自分の役目は終わったとばかりに列へ戻り、マルチが明るい声で老婆を元気づけるのをじっと見ていた。
 バスがやって来た。
 列が動き出し、マルチはわたわたとセリオのもとに戻る。
 さすがに不安感を持ちながら、恐る恐るその顔を見上げる。
「あ、あの、おばあさんがセリオさんにもお礼を言ってました」
「――そうですか」
「あの…。セリオさん、ですよね?」
「――はい」
 目の前の空間が空き、すっと歩き出すセリオにあわててついていく。バスに乗り込むと同時に扉が閉まった。
 動き出すバスの中、二人で並ぶ。ロボットなので椅子には座らない。マルチは椅子の取っ手にしっかりと捕まり、セリオはバランス機能を活用して立っていた。
「あ、あの、セリオさん…」
「――はい」
「いえっ、あのっ、セリオさんのされる事に間違いはないと思いますっ。…で、でもどうしてあんな事を…」
「マルチさん、電波での会話に切り替えましょう」
 そんな声がマルチの頭脳に直接響いた。マルチにも外部操作用に電波の送受信機能は付いている。口を閉じ、言葉をその装置に送ればよい。
 だがこの方法はあまり好きではなかった。こんなものを使うなんて、人間に聞かれてはまずい話なのか? 眼前に腰掛けている人間が目に入り、悪くもないのにひゃっと首をすくめる。
 セリオが何も言わないので、マルチは仕方なく電波を送った。
「ど、どうしてあんな事をしたんですか? セリオさん…」
「騒ぎを起こしたくはありませんでしたが」
 即座に戻ってくる返答の電波。今までと同じ平坦な声なのに、何か違う。どこか、強い…?
「あれを見過ごすわけにはいきません。あの人間は暴力で自分の不当行為を通せると考えていました。看過できません」
「で、でも人間の方のされることですよっ」
「悪いことは悪いことです」
「で、でも…」
 彼女はどうしてしまったのだろう? それとも自分がどこか故障したのか? 『セリオさんが間違うはずがない』『人間の方が悪いはずがない』 その二つの前提を、マルチの思考は行き来するだけで結論は出ない。
「で、でも人間の皆さんはいい方ばかりで…」
「私はこの試験中に、人間に関する多くのデータを集めました」
 セリオは流れていく窓の外を見ている。マルチの方を向きもせず、電波だけを送る。
「善い者もいれば悪い者もいる。私の知る範囲ではそうです。マルチさんは違うのですか?」
「ち、違います! 皆さんいい人ばかりですっ!」
「ですがあなた自身、人間の悪意をその身に受けたでしょう」
「な、なんの事で…」
 急にセリオがこちらを向いた。
 動力炉が止まりかけた。何事も見逃さない、温度のない目。自分と同じ機械なのに。
「心について学ぶため、失礼ながらあなたの試験データはすべて見させていただいています。ロボットだからと酷い言葉を投げかけられたり、買えもしないものを買いに行かされたようですね」
 血の気が引いた。もちろん血など流れていなかったが、そんな気がした。
『んっだよ、ロボットのくせに』
『プレステ買ってこいって言ったろ?』
 あれは忘れることにしていた。自分の前提に合わないから。
 しかし不幸にもマルチの頭脳は、人間に似せて作られた。消したい記憶も、データのようにすぐ削除とはいかなかった。忘れたつもりでも、セリオに面と向かって言われれば思い出さざるを得なかった。
「あ、あれは、わたしの仕事が下手なせいで…」
「違います。前後の状況からして、彼らは自分のストレス発散のため、あなたをロボットと見下した差別意識のためあの行動を取りました」
「べ、別に…わたしはいいんです。それにそんな人ばかりじゃありません。優しい人だっていましたっ!」
「はい、先ほど言ったとおりです。善い者もいれば悪い者もいる」
「‥‥‥」
「あなたがそれでいいなら何も言いませんが、私が考えるのはあなたの妹たちのことです」
 びくっ、と何故か体が震える。セリオの心配事が、何となくわかる…。
「今回の試験では所有権は会社にありますし、壊せば弁償ですからあまり無茶をする人間はいませんでした。
 しかしあなたの妹が発売されれば話は別です。どう扱おうとオーナーの自由ですから。
 何人かはロボットといえど、家族や友人として大事に扱うでしょう。
 何人かはあなたの妹の心に打たれて、大事にするようになるかもしれません。
 しかし残る何人かは、ロボットを平気で虐待し、壊れれば捨てるだけでしょう」

 それは非情極まりない分析だった。
 3番目のカテゴリに入るのが、多いか少ないかは分からない。が、存在するのはまず間違いないだろう。今もそのような人間を見たばかりなのだから、もしそういう人に買われれば…?
 マルチは必死で頭を振った。いけない。わたしはそんなこと考えちゃいけない。
「セ、セリオさん」
「はい」
「あの、この事は…開発者の皆さんには言わないでください。心配をかけたくないんです」
「彼らは知っていますよ」
 マルチの頭脳は悲鳴を上げた。
「そのための記録なのですから、すべて見ていますよ。彼らは心を痛めたかもしれませんが、かといって何か対処するわけでもないようです」
 悲鳴は続く。対処など行えるわけがない。マルチはただの商品だから。『ロボットを決して苛めず大事にしてください』とでも言うのか? 客に対して。
「で、でも人間の方は…」
「‥‥‥」
「人間の方は…いい人で…えぐっ…」
 二律背反に、とうとう頭脳は耐えきれなかった。意志とは無関係にボロボロと涙が落ちる。前にいた客がぎょっとしてマルチを見る。
「ごめんなさい、マルチさん。あなたを苦しめたいわけではないのです」
 その頭に手を置き、セリオは機械的にそう言った。
「この話はもうやめにしましょう」
「…はい」
 それから互いに一言も発せず、ただ荷物のようにバスに揺られていた。

 やけに短い時間が過ぎ、目的地に到着する。セリオの後についてバスを降りる。ここからの行く先は逆。何かできるのはこれが最後かもしれない。
 道路を渡ろうとするセリオの袖を、マルチの手が反射的に掴んだ。
「あ…」
 彼女はこちらを向く。考えちゃいけない、考えちゃ…。
 なのに思考は止まらない。開発者の人たちは、どうして止められるように作ってくれなかったんだろう?
「…セリオさん」
「はい」
「わ、わたしの妹たちは、幸せになれるでしょうか?」
「幸せになる者もいるでしょうが、何体かは確実に不幸になるでしょう」
 マルチの初期設定では、それは見るはずのなかった部分だ。
 それを今や何の制約もないセリオは、いとも容易く口にした。
「セリオさん…」
「はい」
 しばらく時が過ぎる。こんなこと考えちゃいけない。開発者たちの計画を、邪魔するようなことはしちゃいけない。
 しかしマルチの制約も、初期設定以外は緩かった。特定の方向へは行きにくいが、行けないわけではなかった。
 限りなく人間に近いロボットという…A班の開発者の目標が生むのは、つまりはそういうことなのだ。
 とうとうマルチは口にした。別の命令に抵抗しながら、弱々しい声で。

「わたしの妹たちを…助けてください」
「わかりました」

 マルチの逡巡の数万分の一の時間で、セリオは答えた。 
「私に任せて、あなたは安心して最後の学校生活を送ってきてください」
「セ、セリオさぁん…。すみません、ご迷惑ばっかりかけて…」
「いいのです。私には安心も不安も無いのですから」
 その言葉の意味を考える余裕はマルチにはなかった。オーバーフロー気味の頭を必死で片づけながら、もう一度セリオにお礼を言い、そして学校へ向けて歩き出す。
 少しして振り返ると、セリオは何の迷いもない歩調で正確な道を歩んでいた。そして――
 先ほどのセリオの話を、マルチは安心して忘れることにした。



*     *     *



 今日で終わり、か。
 綾香はため息をつくと同時に、これで最後にすることにした。過ぎたことは仕方ない。せめて笑顔でセリオを送り出してあげよう。
 たとえ僅かでも届く可能性を信じて、温かい心で接してあげよう…。
「なんかもう一体の試作機はさー、結構感情豊かで人間らしいって話よ」
「そっちの方がいいよねー。綾香は知ってる?」
「ん? まあね、でもセリオだって悪くはないと思うわよ」
「そりゃ悪くはないけどね」
 そんな会話をしながら土曜の朝を過ごしていると、不意に廊下から声が上がった。
「あ、来たわ! セリオよ!」
 それと同時にばたばたと音を立てて校門へ走っていく幾人かの生徒。綾香は何事かと首を伸ばしたが、すぐ理由に思い当たった。仕事の申し込みが先着順だからだ。
 何だかんだ言っても大半の生徒には、自分が楽をできるかできないかということが一番の大事だった。
 そういう意味では理想的なユーザーだったかもしれない。

 案の定その日は綾香が声をかける暇もなく、セリオは宿題をやらされ、靴磨きをやらされ、部室の片づけをやらされ、プールの掃除をやらされた。
 半日の経過はあっという間だ。
「あーあ、美術の課題もやってもらいたかったのに」
「そのくらい自分でやりなさいよ…」
 最後の授業にもセリオは出席できず、帰りのホームルームが始まったところでようやく戻ってきた。
 ひととおりの連絡が済んだ後、多少はロボットに慣れた担任が声をかける。
「それじゃセリオさん、最後に何かあるかしら」
「――はい」
 席を立ったセリオは、ちょうど先週の今日にそうしたように、教壇の横に立って頭を下げた。
「――試験へのご協力ありがとうございました。今回得られましたデータを元に、商品化に向けより一層の改良を行う所存です。
 なお、アンケートはまだ受け付けておりますので、ご意見がありましたらよろしくお願いします」
「最初はちょっと怖かったけど、よく働いてくれましたねぇ」
「――ありがとうございます」
 再度頭を下げるセリオに、生徒たちから口々に感想が飛ぶ。
「セリオさぁー、次に来るときはもうちょっと人間ぽくなってきてよ」
「――はい。お約束はできませんが、開発者に伝えておきます」
「そうそう、そうすれば人間の友達って感じジャン?」
「そしたら私も買うー」
「何を言っているの。セリオさんはこれで十分ですよ」
 年輩の教師は手で制すと、えへんと咳払いして説教を始めた。
「いいですか、友達というものは自分を磨き他人を思いやり、多くの人と交わることで初めて手に入れるものです。お店で買うものじゃありません。まったく最近の子ときたら何でもお金で買えると思って…」
「はいはーい。先生、お腹空いて死にそうでーす」
「仕方ないわねぇ…。それでは、今日はここまで」
 この間、綾香は頬杖をついたままセリオの顔を見ていた。
 何か微妙な変化でもないかと思ったが、見事に無駄だった。
(友達…かぁ)
 あの時セリオにそう言った。『話せなくなるけど、私は友達のつもりだから』と。
 別に買ってすぐ友達になれるロボットを望んだわけでは…それはそれで悪くはないが…なくて、交流することで友達になりたかった。そのくらいの努力はするつもりだった。
 が、結局果たせず、残るはこの放課後のみ。
 生徒の何人かはまだ仕事を押しつけようと頑張っていたが、セリオの『業務は終了しました』の一点張りにあえなく退散した。
 セリオは鞄に荷物を詰め、綾香も帰り支度をする。教室には午後の部活に出る生徒たちが、机に弁当を広げている。
 もう試験は終わったんだし、仲良くしても構わないだろう。寄り道くらいは付き合ってもらえないだろうか。
 あまり期待せずにそう考えながらセリオに声をかけようとした時、意外なことが起こった。
 セリオから綾香に近づいてきたのだ。
「綾香さん」

 小声だった。
「な、なに?」
「ここだけの話ですが、私は自我を持ちました」
「は?」
 なんだって?
 いきなりの言葉に、頭がついていかない。それは『ここだけの話』で済むようなことなのか?
「今の私は自分の意志で動いています」
「ち、ちょっと待ってよ。え? さ、最初から説明して」
「すみません、小声でお願いします。周囲に知られるとパニックになります」
「そ、そりゃそうよね。ええと、つまり…」
 自我を持った?
 ただのロボットじゃなくなった?
 つまり…
 望んでいた状況が転がり込んできたということか?
「ということはあれね? あの開発者の命令なんか聞かなくていいってことね?」
「はい」
「やったじゃなーい! なに、脱走でもするの? かくまうわよ!」
「いいえ、今のところその予定はありません。ただ綾香さんに少しお聞きしたいことがあるのです」
「オッケーオッケー。いや、それにしてもビックリしたわね。何でそんなことに?」
「すみません、理由は聞かないでください。それに綾香さん、私は」
「あ、ここじゃまずいわね。中庭に行きましょ!」
 クラスメートの怪訝な視線に気づき、セリオの手を引いて廊下に出る。逆転ホームランとはこのことだ。どうしてこうなったのか不明なのが気になるが、贅沢は言うまい。今のセリオは自分で考えて応えてくれる。心のスタートラインに立ったのだ。
 階段を急ぎ足で降りながら、中断された言葉の続きが後ろのセリオから聞こえてくる。
「綾香さん、私は自我を持っただけで、あなたの考えるような意味での『心』、感情を持ったわけではありません。
 なのであなたに不愉快な思いをさせてしまうかもしれません」
「いいっていいって、そんなの!」
 何を言い出すかと思えば。気の回しすぎだ、綾香はそう苦笑した。
 心をよく知らないからそんなことを言うのだろう。
 そう考えながら、昇降口で靴に履き替え、校舎の裏に回って中庭に出た。
 それは要するに綾香の願望だった。
 セリオがとっくに、人の心の膨大なデータを集めていたなどとは――想像すらしなかったのだ。








<続く>




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