ガンを克服した方の体験談 例 東京都 Hさん 

(2003年にレイキを受講後半年で高くなった腫瘍マーカーが正常値にさがり、
その後全て異常なく血液検査の数値も全ての項目が正常値で安定しています。
言葉に慎重だった医者も自信をもって表現をするようになった。医者が大丈夫と太鼓判を
おした2005年に体験談を書いてくれました。3年たって再発がなければ
治癒率は90−95%だそうです。
今は仕事も順調で 健康も仕事も充実しているそうです;。 )

「インフォームド・コンセント」という言葉が病院の現場ではすっかり定着したようだ
「医師による説明と、それに対する患者側の同意」というほどの意味で、
昔は患者には直接告げることを、はばかった病名でも、
最近ではストレートに告げられるケースが多い。

その病名を医師から告げられた時、私はまだ強気だった。
大腸癌(横行結腸)、と言葉はなまなましいが、しかし私は生まれてこの方、
自分が強運の持ち主だというプライドにも似た自負心があった。
「切れば済む。必ず治るさ」
自分に言い聞かせながら病理検査の結果を待った。
だが――
数日後、私に突きつけられた現実は、私の誇りも自信も根底から打ち崩す過酷なものであった。
病理検査の結果はステージVB。すなわち、治癒率50パーセント。
 たとえば同じ部屋に誰かと二人いるとする。
 そのうちの一人は必ず遠からず死ぬ運命にある。五十パーセントというのは、要するにそういうことだ。
 医師の説明の声も、途中からまともには耳に入らなくなっていた。
ビジネス界で幾つもの熾烈な体験をくぐり抜けてきて、精神力は培って来たつもりだ。
だが、自分の命が死の崖っぷちに立たされているという現実が、不意打ちに突きつけられた。
予想を上回る衝撃。 私が死そのものを怖れていたわけでは必ずしもない。
個人の死生観としては比較的、淡々とした立場にある。
 私の恐怖にも似た最大の懸念は、私がこの世を去ってからも生き続けねばならない、
いまだ幼い子どもたちのことであった。彼らを育て上げねばならない妻のことであった。
 私は父親として、また夫として彼らへの責任を果たすことが出来なくなるのではないだろうか。
 心情的にも彼らとの突然の別離は、つらい。
 子どもたちの、あどけない寝顔を暗闇の中で、見つめ続けながら、
私はまだ、この子たちに「さようなら」は言いたくない! そう心の中で叫んでいた。
お父さんは、がんばるよ、必ず生き延びてみせる・・・・。

 だが、現実は甘くはなかった。
私の気の張り、病との闘争心を置き去りに病状は日々、進行していく。
腫瘍マーカーの数値は、しだいに正常値を超え始めた。
超えるごとに、死へ向かって一歩を踏み出しているようであった。
 仕事をこなしながら眠れない日々が続いた。
 そんな折り、私はちょっとした用事である知人のもとを訪れた。これが、レイキと私の出会いの場となった。
 その知人、Mさんは私の病気のことはご存知だったが、詳しいことはお伝えしていない。
日々の心の葛藤のことも、述べてはいなかった。
 しかし、私の雰囲気から何かを察知したのだろうか。こういうものがあるんだけど、
と淡々とした調子で語ってくれたのが、レイキのことだった。
 慎重な私が、その時は、なぜか迷いがなかった。
アチューンメントというものを受けてみよう、とその場での即断であった。
 帰宅後、アイレイキのホームページを、丹念に読んでみた。
その中で、私の心に希望の火を灯してくれたのは、体験だった。
 その人は、胃の黒い蔭をイメージの光で包むことで消したのだという。
理屈で考えれば、想念の光で患部の蔭を消すなどということは、あり得ない。
だが、私は直感的に、これは行けるかも? と感じた。
 だが、その時点では、私はまだ他力本願だった。
主催者である愛場さんが、私の大腸にある蔭を消してくれるかもしれない、という期待を抱いていたのだ。
 自力本願がレイキの本分である、と悟るのはもう少し、後のことである。

 ファースト、セカンドと受講して、私は徐々にそれまでの、常識にがんじがらめになった
意識をやわらかく、解いていくことに努めた。
ハイヤー・セルフというものの存在も、受講の場で初めて知った。
 しかし、私の心に灯った一点の希望の火をかき消すように、腫瘍マーカーの数値は上がり続け、
ついには7.5という歓迎できない数値を示していた。
 それでも、私は粘ろうと思った。「白い光」さえ、イメージできれば、何とかなる。
光で患部をきれいにしてしまおう、と。
 だが、常識を超えたところにある大いなる存在を私は認めてはいたけれど、いかんせん、
それまでビジネスの即物的世界で生き抜いてきた人間なので、イメージと言われても途方にくれるところがあった。
 左脳酷使の暮らしを続けており、右脳を使う術を知らなかった。
 イメージ力のアップを一生懸命、試みながら、コツコツと続けたのは「遠隔」である。
この場は有り難かったが、病名を知られるのがいやで、アファメーションは単に
「正常値になりました」とだけにして、受講仲間には遠隔によるヒーリングをお願いしてあった。
 しかし、病状は好転の兆しも見せず、切羽詰った状況の中でサードを受けたのだった。
 そして、もう病気のことを知られてもよい、と腹を据えて遠隔のアファも「根治しました」と、
一歩突っ込んだものに変更したのだった。
 
 サード受講後、ひと月ほど後のことだ。
ゴルフコンペがあって、私は重い心をいささかでも開放したい思いで参加を決めたのだった。
ところが、これが運命の分かれ道となった。
 私をコンペに誘ってくれた友人が都合で来られなくなり、友人の友人が代理で現われたのだ。
その人と、ゴルフ場に向かう車の中で、なぜかしれないが、ボソリとこう呟いたのだ。
 「私はね、八ヶ月前で末期癌でした」
 驚いて、私はその人の顔を見た。
「そんな大病を患った人が、どうしてこんなところにいるんですか !?」
 見れば、顔の色艶もよく、末期にあった人とは思えない。
 「食事で治しました。玄米中心にした食生活に切り替えたんです」
 その瞬間だ。頭の中に光が走るように、「ハイヤーセルフ」という言葉が閃いた。
 レイキのセミナーを受けるまでは知らなかったその存在だったが、私は確信した。
これだ、今、この人の口を借りて私にアドバイスしてくれているのが、ハイヤーセルフだ!
 疑いようもなく強い確信、直感だった。
 その人の紹介で私が連絡をしたのは「日本CI教会」という所。電話での相談だったが、
三十分ほども、丹念に説明していただけた。
 食事には陰と陽があり、食餌療法を用いて病を改善、克服することは可能だというような説明であった。
 もともと、私はストイックな性格だ。言われた通り、アルコールとは縁を切り、
糖分を控え、陰の体質となる食べ物は注意深く排除しながら食餌療法に努めた。
 傍ら、瞑想による光のイメージ法。この頃になると、徐々に光を脳裏に見て、自分を包むことも出来るようになっていた。
 食餌療法と、12ポジ、光の瞑想と日を重ねるうち、これは回復する、いずれ根治だ、という感触を得た。
 そして、癌告知から二年八ヵ月後、私は医師から次の言葉を貰う。
 「CT検査の結果、思った通り、何もありませんでした」
 なにごとによらず、言葉に慎重な医師が、いわば回復宣言をしてくれたようなものだった。
また、私自身も再発はあり得ないこととして、確固たる自信を抱いている。
 今も、瞑想のために毎日、少しでも座るように心がけている。
瞑想 するたび、光ともつながるようになった。ハイヤーセルフの存在も感じる。
 先だってのプチ瞑想講座も受講させてもらったが、ハイヤーセルフから幾つかメッセージも戴いた。
機会があれば、その内容もお話しさせていただきたいと思う。私という人間を根底で捉えた、
正確なアドバイスであった、とだけ今は述べておこう。
 現在の私は、レイキに関わりながら食餌療法を続け、いたって健康体であるが、
食餌療法の副産物で、もともと高かったコレステロール値も正常値になっている。
今は血液検査の全ての項目が正常値。

 実のところ、私は病気に感謝している。
 それがなければ、レイキにも食餌療法にも出逢うことはなかっただろうから。
 病は私を思わぬ広々と楽しい世界へと誘ってくれたのだ。
 今の私は、自分の過去世の幾つかを知っているし、だから何者であったかも自覚している。
  そして、今生、ここに在る目的も。
 
 ハイヤーセルフは、直接語りかけてくれなくても、人を通じてメッセージをくれることもある。
それをお伝えしたくて拙い体験談を書かせていただいた。皆が皆、サイキックである必要はないのだ。
 真心込めて向かい合えば、あなたのハイヤーセルフは何らかの形で、必ず応えてくれる。
たとえ、光がイメージできなくても、遠隔ヒーリングやアファメーションで、事態は打破できる。向上する。
 そして、どんな人でもコツコツやっていれば、光とはいずれつながる。
ハイヤーセルフから、直接メッセージを受け取ることができるようになる。
 私がそうだった。霊的感受性とは、およそ無縁だった私が、ここまで来れた。

 「レイキを超えるレイキ」を伝授してくださる愛場さん、それからワークをシェアしてくださる総ての人々に
愛と感謝を捧げます。
 ありがとう。


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