楊雲
楊雲ファンは濃い人が多いので下手なこと書くと怖いのですが(笑)、とりあえず楊雲観から書いてみましょう。
狐鉄丸さんとことかなり重なるんですけどねー。
・死んだ心
楊雲といえば無口・無表情・無感情がステータスだが、これに”無関心”をつけ加える。
他者との関わりを避けてきたという楊雲。しかし実際にはそう明確に避けているわけではない。何しろ今日初めて会った主人公の旅に着いていき、『歴史の影の中で』は「絶対街には行きません」などとは決して言わず、果ては死霊を退治したり死相のことを主人公に教えたりと結構人助けも多い。といってお節介というイメージからはかけ離れており、「成り行きでそうなったから、そうした」というだけのものだと解釈する。言ってみれば「積極的に拒否することを拒否している」とも言える。主人公が旅に誘ったとき一応忠告はするもののそれ以上の事はしないのは要は「どうでもいい」からではないだろうか。周囲そして自分自身に対する無関心。自分がいい目に遭おうが嫌な目に遭おうがどうでもいい。主人公も自分で楊雲を連れていきたいと言っているのだから好きにすればいい。楊雲は糸の切れた風船が風任せに漂ってるような状態だったと思われる。
一応これも一つの生き方であって別に悪いことではない。老子の「無為自然」などはこれを哲学としたものである。
といっても楊雲にそのような積極的な哲学があるわけではい。「運命」という名の潮流に逆らわず流されるだけ。とりあえず心臓は動いているものの事実上生きる屍、というのが出会った頃の楊雲である。
・影の民
さて楊雲がそうなってしまった理由というのは「影の民への迫害」からである。
ここで詳細が不明な実際の影の民の能力、迫害の内容、楊雲のコンプレックス、等。ゲーム中ではほとんど語られていないので各自想像するしかない。
○本当に不幸を呼ぶのか?
これで本当に呼ぶならかなり暗い話だが、ゲーム中に不幸を呼んだ例はないしEDの主人公も五体満足、そもそもいくら異世界とはいえ「いるだけで周囲に悪い偶然が多発する」というのは設定として無茶である。(もっとも似たような状況で納得いく説明があったTo Heartの姫川琴音がいるが、楊雲の能力はこれとは違うだろう。ネタバレになるので詳細は省く)
結局不幸を呼び寄せるというのは事実ではなく、不幸を予知するためそのように見える、あるいは単なる歪んだ偏見であろう。それも不幸が怖いというよりは
「そうそう、そばにいるだけでゾっとしちゃうんだよな」(歴史の影の中で)
「か、影の民…ですか?あの、予知ができたり、他人の死期を感じとれるという…。あまり、関わり合いたくはないですな…」(予感)
結局は「薄気味悪い」「縁起でもない」という感覚的・感情的な嫌悪(←一番タチが悪い)が主であると思われる。差別とは基本的にそういうものだろう。楊雲の場合特に「人間は自分のよく知らないものを恐れるのです」(サイクロップスinX−MEN)という要素もあるかもしれない。
ここで問題は楊雲自身が「不幸を呼び寄せる不吉な存在」と言っていること。事実と異なるにも関わらずそう思い込んでいるのか。周囲の偏見に抵抗する気もなくそのままにしているのか。はたまた主人公を遠ざけるためにそう言っていたのか。
「所詮は何の役にも立たない、呪われた能力です…」(予感)
ここでは不幸の予知に対する楊雲の見解が述べられている。能力全般に対して、他人を不安がらせるだけで何も為し得ない。不幸を呼び寄せているようなものだ、と楊雲は自虐的に考えていたのかもしれない。
上の台詞は何か疲れきったような印象も与える。ここからは想像になるが、昔の楊雲はその力で人々を助けようとし、影の民への偏見も正そうとしていたのかもしれない。しかし大衆の無知に阻まれ、予知だけでは誰も助けられず、返ってくるのは悪意だけ。長い闘いの中で疲れ、深く絶望したことが全てに対して虚無的なあの性格を形作ったとも考えられる。
実際もう1人の影の民・美月は別に厭世的でも無感情でもない。どうも彼女は影の民の里から離れてはいなかったようだ。一族の中で特に能力に優れた楊雲は外に出向いたのか出向かされたのか。いずれにせよそこで受け続けた傷により楊雲の心はとうとう死んでしまったのではあるまいか。
・実はお人好し?
生け贄の女の子を助けるため死霊を追い払い、子供の死相のことを教え、世界を救うため黄泉の口を封じようとする。これだけ揃えばもはや人助けマンである。なのにちっともそのような気がしないのはすべてが消極的行動だからだろう。彼女の微妙な心理は「予感」で顕著である。
「彼らに、不幸が訪れることだけ教えて、それで何になるというのです?不安にさせるだけです」
矛盾している。本気でそう思っているなら主人公にも告げることなく自分の心にしまっておけば良いのである。しかしイベント成功時に
「じゃあ、最初にあの子に死相が出てるって、そう俺に言ったのは何故だ?」
「わかりません…。あなたなら…。…何とかしてくれるかも知れないと思ったのかもしれません…」
との言葉。楊雲としては「どうせ無理だ」と思う一方で、心の底では「何とかしたかった」のではないか。生け贄の女の子もしかり。あの女の子が死のうが生きようが楊雲には関わりないのに、そう割り切ることができない。その意味で楊雲の心は完全に死んでしまっているのではなく、死にかけてはいるもののその奥に優しい(甘い?)彼女の心が残り火のように残っている。彼女は自分以外には優しい。積極的に行動することはないにせよ、「できたら」みんな幸せになってほしいと思っている。主人公のパーティに入ったのは(レミット、カイルの場合も)その旅が成功することを望んだ上でのことかもしれない。あくまで消極的ながら。勝手なイメージだが特にキャラットやレミットなど年下には優しいお姉さんでもあるような気がする。
しかしその優しさは自分以外にのみ向けられる。虚無的な人間にとって自分のことはどうでも良い。傷つこうが、不幸になろうが、死のうが。その点でウェンディと根本的に異なるかもしれない。
・生命の価値は?
まず私は個人の自由として自殺を肯定している、と前置きして。
『Take-A-Risk』で書いたとおり、楊雲は最終的には死を望んでいたと見ている。問題解決を放棄した場合残るのは死ぬことだけである。しかしこれも積極的願望ではなく、「死ぬ!絶対死ぬ!」というより「死にたい…」というようなものだったと思われる。その結果が「黄泉の口を封じる。自分も死ぬが、それでいい」であったと。
(積極的に死にたがっていればその場ですぐ首を吊る。楊雲にはそのようなエネルギーも残っていなかったようだ)
結果としては思いとどまる。これについてはちょっと嫌な見方だが「美月に痛いところを衝かれたから」とも見られる。上で書いたように楊雲は他人には優しいため、美月が自分も死ぬなどと言えば反対する。しかしその反対を肯定するなら仲間が楊雲の死に反対するのも肯定しなくてはならない。自分はあくまで死ぬというなら美月が死ぬのも認めなくてはならない。結局優しい(甘い)楊雲としては「美月が死ぬ」という(自分にとって)悲しい事象=楊雲が死ぬという(仲間たちにとって)悲しい事象、という事実を突き付けられ、仲間たちを傷つけてることはできず死ぬのを止める。その考えでは楊雲が生を選ぶのは他人のためであって自分のためではない。「生きたくはないが」「自分の大切な人を傷付けることはできないので」死にたくても死にきれなかった。
もちろんそれだけではなく、仲間や美月の心に打たれたとか、もう少しだけ旅を続けてみようという気になったということもあるかもしれない。いずれにせよ楊雲は死ななかったのであり、結果論ではあるが事態の氷解の第一歩となった。
・生への意志
楊雲シナリオは楊雲がこの意志を持つまでの話である。
イベント数が足りなかったらしくダンジョン2の後はかなり端折られるが、死ぬことだけ考えて張り詰めていた楊雲の精神から死の重石が取り外された。一時的に心が空っぽになったようなものだろうか。それによって影の民の力に礼を言われたことも受け止められ、周りを見れば主人公や仲間たちの自然な善意がそこにある。少しずつ糸がほぐれていき、「輝き、解き放って」イベント。最終的には主人公とくっつくにせよくっつかないにせよ空中庭園で
「…楊雲、○○、○○…俺につきあってくれて本当に感謝してる」
「…そんな…私こそ…」
という言葉が出てくる。楊雲にとってこの旅は良いものであった。何かが変わり、少しの微笑みが戻って楊雲シナリオは終わる。
楊雲に対して主人公たちは必ずしも優しくはない。「差別と戦え」というのは言うのは簡単でも言われる方には厳しい言葉だ。ようやく死ねると思ったら美月が邪魔をする。しかし辛いことも嫌なこともあるけど、それでも生きていこうと楊雲自身が選択した。
生といっても楊雲なので「躍動する生命!」などというものにはならないが、静かに、傷ついてきた心を休めながら、これからも生きていくのだろう。
裏評価に続く
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