〜Dark Blood〜 作:TAMI リンリンリン・・・・ 時折どこかで鳴く虫の声が木々の間を抜けていく。そんな静かな夜の空間を、 俺はのんびりと歩いていた。 ここは街道から少し離れたところにある小さな森の中。いや、この程度の大き さだったら林と言った方が適切なのだろうか。 そんな想念を追いながら俺はちらりと後ろを振り返った。さっきまでいた小さ な宿屋は、闇と木々の陰に隠れてもう見ることはできない。だが、こんな小さな 林でおまけに今日は満月だ。たとえ夜とはいえ、迷う心配はないだろう。 時折吹く夜風は涼しく、心地よい。 「気持ちいい風だ……やっぱ、散歩しに来て正解だったな」 聞く者もないつぶやきは風に流されて消えてゆく。 パーティーの他の4人、フィリー、リラ、そして若葉、ティナが寝付いた後も 俺はなかなか寝ることができず、宿を抜け出してこうしてフラリと当てもなく歩 き回ってみたのだが……夜風に当たっているうちに気分も落ち着いてきたようだ。 これなら今度はぐっすりと眠れるだろう。 「夜の森ってのもなかなかいいもんだ」 そう付け加えたときだった。 「ハルカさん」 いきなり後ろから呼ばれて、俺は慌てて振り返った。そこに長い栗毛色の髪を 首に巻き付けてから背中に流すというちょっと変わった髪型の少女が立っている のを見て、俺はそっと、張りつめた気を解いた。 「びっくりした。ティナじゃないか」 「ふふふ……驚いた?」 一瞬、俺はティナの笑い方に違和感を感じた。だが、そんなことはすぐに記憶 の彼方に追いやられる。 「いったいどうしたんだ、こんな夜中に」 「ふふ……あなたを追いかけてきたの」 「え?それってどういう……」 「ふふふ……」 ティナの意味深な笑い方が普段と違うということに気づくには、俺の注意力は 発言の内容の方に偏っていたために足りなさすぎた。当のティナはといえば、ゆっ くりとした足取りでこちらに近づいてくる。 「え、えっと……そうだ、ティナも眠れないのか?」 俺の、動揺から立ち直るための話題を変える質問に、だが、またしても予期せ ぬ答えが返ってくる。 「眠ってるわ」 「眠ってる?……だけど今ここにいるじゃないか。ティナって夢遊病なの?」 「そうなの。今頃夢の中よ。ふふ……」 そう言ってティナは楽しそうに笑った。 「はは、ティナが冗談を返してくるなんて珍しいな。いつもだったら真面目に答 えるのに」 「そう?……それより……」 ティナは上目遣いで俺を見た。唇の端からは八重歯がちょこんと顔を出してい る。 「ねぇ、ハルカ……」 いつものさわやかさは欠片もない、ちょっと気怠げな媚びを売るような響きが 俺の耳を震わせた。 「アタシのこと……どう思う?」 「え?」 予想もしていなかった言葉に驚く俺に、もっと驚いたことにティナは背中に腕 を回してその体を預けてきたのだった。 「お、おい、いったいどうしたんだ?きゅ、急に抱きついてくるなんて」 「もう我慢できないの……ネェ、いいでしょ?」 吐息が頬をかすめ、赤い瞳が潤んだように俺を見上げていた。 「ティ、ティナ、今夜の君はちょっとおかしいよ。いったいどうしたんだよ」 「……アタシのこと、嫌いなの?」 すぐ目の前にある紅玉のような瞳に傷ついたような光がともる。 「き、嫌いじゃないけど……」 「じゃぁ、いいでしょ……」 嬉しそうにティナは微笑み、ゆっくりと腕に力を込めていった。 「お、おい、ティナ……君は今ふつうじゃないよ」 「そんなことないわ……これがアタシの本当の気持ちよ」 ティナはさらに体を密着させてきた。胸の膨らみが押しつけられるのが服越し にでも分かる。俺の意識はそっちに集中してしまい、彼女の表情が獲物を追いつ めた猫のように微笑んだのに気づかなかった。 「だ、だけどティナ。やっぱり、その……」 しどろもどろの自分が情けないと思いつつもやっぱり彼女の体を離そうとして、 俺は愕然とした。離れないのだ、彼女の体が。どんなに力を込めても。 「駄目よ……離さないわ」 背筋に冷たいものが走る。見るとティナは笑っていた。だが、それが普段の彼 女からはほど遠い、肉食獣のような笑みであることに俺はようやく気がついた。 「美味しそう……」 恍惚とした雰囲気を漂わせながらティナは顔を近づけてくる。俺は彼女の腕を 振り解こうともがいたが、万力のように締め付けてくる彼女の力の前ではまった く無駄な努力だった。 「テ、ティナ……」 俺がこれから何をされるか分からず、思わず身をすくめたときだった。突然、 横からすさまじい殺気が襲ってきた。ティナは弾かれたように俺から飛び退いて、 殺気が飛んできた方に鋭い視線を向ける。 「誰なの!」 それに答えて、というわけでもないだろうが、一人の若者が木の陰から姿を現 した。正確に言うと彼は人間ではなく魔族で、その証拠に耳が細長く尖っていた (もっとも耳が尖っていたら全部魔族、というわけでもないのだが)。 「カイル!」 俺の旅を妨害する邪魔者あいてにこんなに嬉しそうに呼びかけるのは、おそら くこれが最初で最後だろう。 「やれやれまったく、見せつけてくれるな、お二人さん。こりゃあお邪魔でした かね……」 カイルの浮かべている笑みは本当にいやらしそうだ。 「バ、バカを言うな、カイル!これは……」 「はいはい、分かった分かった。邪魔者はさっさと退散するといたしますか」 だが、からかうようなその口調とは裏腹に、カイルの目は笑ってはいない。身 に纏った剣呑な雰囲気もそのままだ。 「と、言いたいところだが……今回ばかりはそういうわけにもいかんな。なにせ オレと同じ魔族がいるとあっちゃな……」 「な!いきなり何を……」 「同類の匂いがしたんでやってきて見れば、オマエらのあんなシーンに出くわし たというわけさ」 「魔族……でもいったいどこに」 周りを見回してみても、この場にいるのはカイルを除けば俺とティナしかいな い。そんな俺を、カイルは呆れた目つきで見る。 「オマエ、まだ気づかんのか?その少女、ティナと言ったか?そいつのことだ」 「え!?」 「まったく……」 この大馬鹿者が。言葉には出さなくとも心の中でカイルがそう思っているのが 彼の視線で分かる。 「見たところ、闇の眷属……ヴァンパイアのようだが」 「ヴァンパイア?ティナが?ふざけたことを言うな、カイル。彼女はちゃんとし た人間だ!」 だが、反論は思いもよらない方からやってきた。 「ふざけてるのはアナタの方よ」 「え?」 「アタシを人間なんて貧弱な生き物と一緒にしないでほしいわね」 ティナの見下した視線が俺に突き刺さる。 「そいつの言うとうり、アタシはヴァンパイアなの……ただし、正確に言うなら 半分だけ、だけどね」 「そんな……それじゃ、ティナは今までずっと俺達に嘘をついてきたってことな のか?」 「そういうこと。ホントにバカよね、人間って。見かけにすぐ騙されちゃうんだ から。アナタみたいに、ネ」 そしてティナはクスクスと小馬鹿にするような笑みをこぼした。 「……君は、本当にティナなのか?」 「当たり前じゃない。アタシは正真正銘のティナ・ハーヴェルよ」 今さら何を馬鹿なことを。嘲りがティナの口から漏れる。 「けど!俺が知っているティナはオマエみたいなやな奴じゃない!」 「あら、ずいぶんと言ってくれるじゃない」 俺の言い方が気に障ったのか、ティナは眉の片方をつり上げた。 「本物のティナをどこにやったんだ!」 「……そうね、教えてあげる。アナタのよく知っている方はボロボロになって眠っ ているわ。アタシの中で……」 そう言ってティナは手を胸に当てる。 「お前、ティナに何をした?」 俺がそう聞いた途端、ティナはその質問を待ってましたと言わんばかりに顔を ほころばせた。 「何を言ってるのよ。あの子がこうなったのはアナタのせいなのよ?」 「え?」 「アナタはなにも分かってないわ。あの子をボロボロにしたのはアナタなのよ」 「嘘だ!俺はいつだってティナを気遣って優しく……」 だが、ティナは俺の反論を一笑に付した。 「ほら、何も分かってない。あの子ったらかわいそうに。こんな男のためにあん なにボロボロになるなんて……それとも、たんに人を見る目がなかっただけかし ら?」 そう言ってティナは再びクスクスと笑う。 「イイコト教えてあげよっか。あの子ねェ……あんたのことが好きなんだって。 知ってた?」 「………」 俺はそのことを薄々感ずいてはいた。だけどなぜ今そのことを…… 「なるほどな。それで読めたぜ」 「カイル!?」 「無知なオマエに教えてやろう。吸血鬼にとっちゃ異性への感情はすなわち血へ の欲望……」 カイルの言葉にティナはうなずく。 「そう。なのにあの子は、吸血鬼のくせに吸血行為を嫌ってた……これがどうい うことか分かる?」 俺は答えることができない。代わりに答えたのはカイルだった。 「簡単なことだ。吸血鬼は血を吸わなければ衰弱していく。だが、彼女の意志は それでも血を吸うのを拒んだ……理性と本能のジレンマに陥ってたというわけだ」 「そうよ。まったく、泣かせる話よね。好きな男を守るために我が身を犠牲にする なんて……」 そう言うティナは、侮蔑の色を隠そうともしない。 「ティナ……」 それで、彼女は日が経つにつれて倒れることが多くなっていたのか。だけど、 そこまで俺のことを思っていてくれてただなんて……愕然とする俺を、ティナは いたぶるような目つきで見た。 「アナタを意識してしまってから、あの子はずっと血への欲望に耐えなければな らなかったのよ」 「で、とうとう意志の歯止めがきかなくなって、オマエが出てきたんだな」 「そーゆーコト。この肉体を守るためにね」 カイルはやおら俺の方に向き直り、一言。 「なんだ遥、やっぱオマエが悪いんじゃねーか」 「そ、そんな……」 でも、今言ってたことが本当なら……確かにカイルの言うとうりだ。結果的には 俺がティナを苦しめていたことになる。 「あの子もバカよね。人を好きになれば真っ先にその血に興味がいくことくらい 分かってたハズなのに」 もう一人の自分をけなすかのようにティナは鼻を鳴らす。 「さ、説明はおしまい。それじゃぁもらうわよ」 「な、何を……」 「分かってるんでしょ。アナタの血よ。ずっと我慢してたんだから」 「くっ……!」 ティナが一歩前に出、俺はその分後ろに下がる。 「逃げられるなんて思わないでね」 俺を見据えているティナの瞳が怪しく輝く。と同時に、俺の体はいきなり動か なくなってしまった。 「なっ……邪眼!?」 「そう。今のアタシには何でもできるのよ」 そしてティナは指一本動かせない俺の前まで来ると、蛇のような手つきで俺の 首筋を撫で回した。 「怯えてるの?大丈夫、痛いのは最初だけ……」 ティナの吐く息が首筋にかかる。熱いはずのそれは、俺の首筋には木枯らしの ように冷たく感じられた。 「さあ、おとなしく……グッ!」 突然、腹に何か受けたかのようにティナはもんどりうつと、一歩後ろに跳んで カイルの方に体を向けた。 「邪魔する気?」 「ああ。悪いがオマエの思惑どうりにはいかせん。遥、今回だけは助けてやる。 特別大サービスだ!」 そう言ってカイルは低く指を鳴らした。それが合図だったとでもいうように、 今まで鉄か何かのようにまったく動かせなかった俺の体は急に自由になった。 「カイル……」 「アナタ、魔族のくせに人間の味方をする気なの?」 「オマエみたいないけ好かない奴に味方をするよりか百倍はましだ。痛い目に遭 いたくなかったら、おとなしく引き下がることだな」 「ハン!」 だが、カイルのたんかにティナは冷笑をとばした。 「確かにアナタの方がアタシよりも魔力も何もかも上みたいだけど……倒せる? 不死の体を持った、このアタシを……」 「………」 俺は驚いた。ティナの挑発に、あの負けず嫌いで自尊心の塊のカイルが何も答 えないとは。 「ヴァンパイアを完全に滅ぼしうるのは太陽の光のみ。でも、ハーフのアタシに はそれすらも無効……何か秘策でもあるの?」 「……確かに、オマエを滅ぼすのは不可能だろう。だが、消すことならできる」 「………ヘェ」 やれるものならやってみなさいとでも言うように、ティナの態度は自信にあふ れている。 「カイル!」 「礼ならいらんぞ、遥!俺としても今ライバルがいなくなってはつまらな……」 「そうじゃない!ティナをどうするつもりなんだ!」 カイルのジト目がこちらを向いた。 「……オマエ、ちょっとは感謝するとかだな……ふん、まあいい。そいつのオマ エに対する感情を消すんだよ」 「なんですって!?」 突然、ティナが悲鳴に近い声を上げた。 「もともとこいつは、オマエの血を吸いたい欲求とそれを阻もうとする意志の軋 轢の中から生まれてきた存在だ。だからその片方がなくなれば……こいつの自我 は消滅する」 俺に対する感情だけを、消すだって? 「お前……そんなことができるのか?」 「まあな」 カイルの態度は先ほどとはうって替わって得意そうだ。それに対して…… 「やめて!やめてちょうだい!せっかく出てこれたのに……!」 そう叫ぶ今のティナには、さっき自分は不死身だと豪語したときの余裕が全く なくなっていた。今カイルの言ったことが正しいからなのだろう。だが…… 「……で、その後ティナはどうなるんだ?」 「昔の状態には戻るだろう。その後は知らん」 「んな無責任な!」 だが、カイルは動じない。 「……だが、今のこの状況では最善の方法だと思うぞ。それとも、このまま血ィ 吸われて死ぬか?」 「………」 血を吸われて死ぬのが嫌となれば、たしかに、カイルの提案がおそらく最善の 策かもしれない。それにそうすればティナも以前のティナに戻るかもしれない。 だけど…… 「すまないがカイル、放っておいてくれ」 「バカかオマエ?死ぬぞ?」 カイルの言うとうり、今のティナに血を吸わせたら多分、いや絶対に俺は死ぬ ことになるだろう。だけど……… 「それでも、俺はティナのそばにいる」 「おいおい、止めとけ!シャレにならんぞ!」 俺が本気だと分かったのだろう、カイルの語尾は荒く、いつものバカにしたよ うな口調ではなかった。カイルのその気持ちは嬉しかったが、俺はそれに答える ことはできそうにもなかった。 「ティナに……俺のこと、忘れてもらいたくないんだ」 「……それはオマエの自分勝手な思いでしかないんだぞ?」 「………」 「オマエの今までの旅はなんだったんだ?あんな奴を生き長らえさせるために、 これまでのことを全部捨てて犠牲になるってぇのか?」 「それにオマエの他の仲間のことはどうすんだ?オマエはあのパーティーのリー ダーなんだろ?」 「………」 俺はうつむいたまま何も答えなかった。それを血を吸われることへの肯定と見 たのだろう、ティナがゆっくりと歩み寄ってきた。 「フフ、潔いわね。大丈夫、すぐに楽にしてあげるから……」 「ちょっと待て!俺はそんなの認め……」 間に割って入ろうとしたカイルを俺は手で制した。 「いいんだ、カイル。これは俺が決めたことなんだから」 「だけどオマエ……」 まだ何か言おうとするカイルに向かって、俺は一言だけ口にした。 「ありがとう」 答える言葉を見いだせず、黙り込んだカイルを後目に、俺はティナに向き直っ た。 「……最後に一つ聞きたい。オマエが俺の血を吸った後、ティナは……俺の知っ ているティナは、どうなるんだ?」 だが、ティナは曖昧に微笑むのみ。 「さあ?入れ替わっちゃったんだから、あの子はもうずっと眠ったままでしょ。 だから……」 勝ち誇るようにティナは宣言する。 「今は、アタシがティナよ」 「違う……!君はティナはなんかじゃない」 だがティナは俺の言ったことなどまったく取り合わなかった。 「何を今さら言ってるのよ。アタシが本当のティナなの。あの子はアタシに宿っ ているだけにすぎないのよ?」 「たとえそうだとしても、今まで意志を持って生きてきたのはティナの方だ!そ して、これからも……」 ティナは苛立たしげに首を振った。 「うるさいわね。これ以上ボロボロにされて、あの子と心中するなんてゴメンな のよ、アタシは!」 「違う!ティナをボロボロにしたのは、ティナの気持ちじゃなくて、それを血へ の欲望につなげる今のお前だ!」 「な、なにを……」 「……ティナ、聞こえてんだろ……?こんな別れ方ってないよ……まだ、デート だってしてないじゃないか……」 俺の呼びかけに、ティナはわずらわしげに前髪を手で梳いた。 「女々しいことはやめなさいよ。もうあの子には何も聞こえないわっ!」 「約束したじゃないか……湖に行くんだろ?」 「止めてって言ってるでしょ!何度も言わせないで、この!」 ティナの生み出したライトニング・ジャベリンは、しかし俺の前で何かに弾か れたように飛び散った。ティナの視線が横のカイルを睨む。 「二人でボートに乗って……」 「違う!そんな約束してないっ!」 俺の言葉を、何かに怯えるようにムキになって否定するティナ。 「ティナ!!」 「やめてーっ!」 頭を抱えてティナは叫び、そして突然糸の切れた操り人形のようにその場に倒 れた。 「………」 俺には、何が起こったのかさっぱり分からなかった。 「ど、どうなったんだ?オイ」 どうやらカイルにも何が起きたかは分からないみたいだった。俺は、倒れたまま になっているティナの方へと歩いていった。 「ティナ……」 そっと呼びかけてみる。が、返事はない。再び俺が声をかけようとしたとき、 ティナの体がぴくりと動いた。瞼がゆっくりと開いていく。 「……ティナ……?」 俺はちょっと不安だった。今のティナはどちらのティナなのだろうか、と…… …答えはすぐに帰ってきた。 「……ハルカさん……私……」 弱々しくはあったが、それはさっきまでのとは違う、いつものティナの声だっ た。 「ティナ……元に戻ったのか?」 コクリと、ティナの首が動く。 「信じられん。意志の力でもう一つの人格を消し去ったってのか……?」 カイルの驚愕のつぶやきも、今の俺にとってはどうでもいいことだった。俺は そっと、ティナを抱き起こした。 「声が……聞こえたの………それで、私……思い出したの……デートのこと……」 ティナのひたむきな瞳が、俺を見つめていた。 「……一緒に、行くんだもんね……お弁当、持って………」 「ああ……絶対行こうな」 「うん……」 ティナは嬉しそうにはにかんだ。 「約束……だもんね……」 そして再び、ティナは気を失った。その表情を嬉しそうにほころばせて。 「あ〜あ〜、見てるこっちの方が恥ずかしくなったぜ」 カイルの冷やかしに俺は赤面するしかなかった。 「ま、とりあえずこれで一件落着ってコトだ。じゃあな、俺はもう帰って寝るぜ」 「カイル」 「あぁ?なんだ?」 きびすを返していたカイルは俺に呼び止められて振り返った。 「助けてくれて、ありがとう」 「へっ、俺はあいつが気にくわなかったから邪魔しただけだ。間違っても、オマエ を助けようと思ったわけじゃないからな!」 そしてそこで少し間を置き、 「……ま、結果的にはオマエを助けちまったわけだから、一応感謝の言葉ぐらい は受け取っておいてやるか。じゃあな」 そう言うとカイルは足早に去っていった。 「あいつ、照れてたのかな?」 俺はなんとなくそう思った。 「さて、俺も帰るか」 気を失っているティナを背負って、俺は歩き出した。 背中でティナのたてる寝息をなんとはなしに聞きながら、俺はそっとつぶやく。 「約束、か……」 それは声にはならなかった。あるいは、俺がそう思っただけかもしれない。 いつの間にか止んでいた虫の声が、再び夜の林の中で奏でられ始めたのは、俺 が立ち去ってしばらくたってからだった。 「……さん、……さん……」 どこかで呼ばれたような気がした。 「起きて……さい………さん………」 その声に邪魔されて、俺の意識は眠りの楽園からほっぽり出されてしまった。 嫌々ながら、俺は堅く閉じようとする瞼を無理矢理開いた。そこに一人の少女が 視界に飛び込んでくる。 少女は俺が目を開けたのに気がついて、顔をほころばせた。 「おはようございます、ハルカさん」 「……ティナか………もう朝………?」 眠い目をこすりつつ俺はつぶやいた。昨日の夜、俺は宿屋に帰った後もなかな か寝ることができなかったのだ。やっと意識が朦朧としてきたときには、外はうっ すらと明るくなっていたような気がする。 「今は午後2時ですよ」 ティナは壁の掛け時計を指さした。 「あらま、随分と寝坊しちゃったな……みんな起こしてくれなかったの?」 「何度か起こそうと思ったんですけど、すごく気持ちよさそうに寝てたものだか らなんだか申し訳なくて……」 「そうか」 俺は苦笑すると、上半身を起こして伸びをした。そして枕元の洗面器に水差し の水を満たし、顔を洗った。 水は冷たくて気持ちよかった。誰かがついさっき入れ直してくれたのだろう。 顔を拭こうと伸ばした手の上に、そっとタオルが置かれた。 「ありがとう、ティナ」 肌に触れるタオルの感触は気持ちよかった。 「リラや若葉はどうしてる?」 「市に買い物に行きましたよ。リラさんが‘こんな大勢でハルカが目を覚ますのを 待っててもしょうがない’って言って」 「はは、リラらしいや。それで若葉とフィリーもついていったの?」 「ええ。それで、あの……ハルカさん……」 「なんだい?ティナ」 俺は顔を上げた。不安そうなティナの顔が、そこにあった。 「あの、昨日の夜のこと……覚えてますよね?」 「ああ……」 「……ごめんなさい。私、今までハルカさん達を騙していました………」 ティナはうつむきかげんで、視線を俺から逸らしていた。 「………」 「何度も本当のことを言おうとしたんですけど……でも、私がヴァンパイアだっ てことを知った後のハルカさん達の反応が怖くて………」 急にティナは頭を下げた。 「ごめんなさい!本当にごめんなさい!今さら謝っても遅いですけど、でも、私、 ハルカさんと少しでも長くいたくて、それで……」 それからティナはそっと頭を上げた。 「迷惑……ですよね。自分を殺そうとしたヴァンパイアにこんなこと言われても ……私、ハルカさんのあのときの行動が嬉しくて、つい……」 悲しそうにティナははにかむ。 「ごめんなさい。忘れちゃってください、今言ったこと」 そう言って、ティナは無理に笑顔を作って見せた。 「じゃあ私、そろそろ行きます。他の人が帰ってくる前にここを出ないといけま せんから………」 そしてティナは俺に背を向けて歩き出そうとした。 「……どうして……出て行くんだ?」 「ヴァンパイアとばれてしまった以上……これまでと同じように一緒に旅するな んてできませんから」 背を向けたまま、それでもティナは立ち止まって答えた。 「すみませんけど、他のみんなには体調が思わしくないから故郷に帰ったと言って おいてくれませんか?」 「……」 「……信じてくれなくて結構ですけど……私、ハルカさんと一緒に旅ができてす ごく楽しかったです」 本当に嬉しそうに、ティナはつぶやいた。 「それじゃ……」 「待ってくれよ、ティナ」 「え?」 呼ばれて振り返ったティナは、嬉しさと悲しさが入り交じった、不思議な表情を して俺のことを見返した。 「どうして、行っちゃうんだ?」 「………」 じっと口を閉じたまま、ティナは俺を見つめていた。 「ティナがヴァンパイアだなんて関係ないじゃないか。今までずっとうまくやって これたんだし、これからだって……」 だが、ティナは悲しそうに首を振った。 「私、ハルカさんに迷惑をかけたくないんです。ヴァンパイアは、忌み嫌われた 存在……たとえハルカさんは良くても、リラさんや若葉さんは絶対に私と一緒に いることに反対するでしょう。そうしたら、ハルカさんはどうします?」 「今まで一緒にがんばってきた仲間同士じゃないか。あの二人だってきっと分かっ てくれるさ」 だが、まだティナは言い淀む。 「……たとえそうなったとしても、もしまたもう一人の私が出てきたらどうする んですか?その時も今度みたいにうまくいくとは……限らないんですよ」 「その時はその時さ。力を合わせればきっとなんとかなるよ」 「ハルカさんは楽観的すぎます!」 「ティナが悲観的なだけさ」 俺はティナの側まで歩いていった。 「ティナ。思い悩むのも良いけどさ、ぶつかることだって大事だと思うよ」 「でも……」 「そりゃ避けたり逃げたりすることだって大事さ。だけど、今ここでそうして… …ティナはそれでいいの?」 「え?」 驚いたようにティナは俺の目を見返した。 「後悔しない?」 「それは……」 ティナは口元に手をやった。それは、彼女が困ったときによくやる癖だった。 その手を、俺はそっと握ってやる。ティナは弾かれたように俺を見た。 「ティナ、一緒に行こうよ。俺たちは力を合わせて、ここまで来たんじゃないか。 それに、イルム・ザーンまで……最後の目的地まで、後少しなんだから。そこまで 一緒に行こうよ。それに……」 ティナはじっと次の言葉を待っている。 「それに、デートの約束だってまだ果たしてないんだぜ?お弁当を作ってくれる んだろ?」 「は、はい……」 ちょっと赤くなってティナはうなずいた。 「だったら出ていくことなんてないじゃないか。一緒に行こう、ティナ……」 ティナは俺を見上げたまま、何も答えない。俺もまた、ティナの返答を待って 黙り込んだ。 秋の日溜まりの中ですべてが動きを止め、掛け時計だけがゆっくりと時を刻んで いった。 「……本当にいいんですか?」 ティナがそう訪ねてきたのは、だいぶ時間がたってからだった。 「ヴァンパイアなんかと……一緒で………」 「別にかまわないよ。俺にとっては、ティナはティナでしかない……ティナ以外 の何者でもないんだから。俺は、これだけは自信を持って言えるよ」 「ハルカさん……」 ティナの目が、涙で潤む。 「一緒に行こう、ティナ……」 「はい………」 ティナは自分の手をつかんでいた俺の手にもう片方の手を当てると、とても大 事な者を扱うかのようにそっと自分の胸元に持っていった。 「ありがとうございます……」 それが何に対するお礼なのかは俺にはよく分からなかった。だけど、一緒に旅 することができる。そのことが俺は嬉しかった。そう、一緒に……… だが、俺は気づいていた。この、ティナたちとの旅がもう終わりへと近づいて いることに。そして、昨日眠れなかったのは、そのことをずっと考えていたからだった。 「けど、今ぐらいはそれを忘れてたって良いよな……」 うつむいたまま俺の手を握っているティナを見ながら、俺はそっとつぶやいた。 「何か言いましたか?」 多分声が聞こえたのだろう、ティナは顔を持ち上げた。何かを気遣うような光 をともす赤い瞳の下には、涙の跡が残っていた。 「なんでもないよ」 そう言って俺は指でティナの頬を拭ってやった。ティナは恥ずかしそうに、だ が嬉しそうにこっちを見ている。 「ところで、もう手を離してもいいかな」 「え?あ、はい!」 恥ずかしさも手伝ったのだろう、ティナは慌てて俺の手を離した。 「す、すいません。わたし、その……」 ティナは恥ずかしそうに口の前で両手を合わせながら、上目遣いに俺を見た。 「いいよ、べつに。それより下に何か食べにいかないか?」 「は、はい!そういえばハルカさんはまだ何も食べてないんでしたよね」 「起きたばっかりだからね。だけど、この時間で作ってくれるかな……?」 今の掛け時計の長針と短針の位置は、食事時、という時間帯とはどう考えても かなり離れていた。 「あの、でしたら私が作りましょうか?」 「本当!?だったらお願いするよ」 「はい!」 勢いよく答えてから、その後にティナは付け足した。 「あ、ですけど、味の方はあんまり保証できませんよ?」 「かまわないよ、ティナが作ってくれるんだったら全部食べるさ」 お世辞抜きで俺はそう思ってるし、またそうするつもりだった。 「そう……ですか?」 照れたようにティナは顔を赤らめる。 「だから早く下に行こう」 「はい!」 部屋から出る俺に従って、ティナはごく自然に俺の横に並んで歩き出した。 俺たちがいなくなり、部屋は再び静かになった。掛け時計の音が、気怠げに響 いては消えてゆく。 ふと、窓から入り込んだ風が机の上に置いてあった手帳のページをめくっていっ た。そこに記された過去、記される現在、記されるであろう未来は、風に吹かれて 一瞬のうちに巡り、過ぎ去っていった。 イルム・ザーンまで、あと、1月余り……… ………それぞれの思いを胸にして、旅は、続く。 音季 遥(とき はるか) 19歳 12月30日 O型 (でも名字はまだ決定ではなかったりする(^^;。 名前の響きが男性的じゃないし……要考察。いっそ本名入れちゃうか(^^;;) 感想は:こちらまで
アカデミーに戻る プラネット・ガテラーに戻る