翌朝も、バスは三人を乗せて長居公園通りを走る。
(つかさちゃん、どうするつもりなんやろなあ……)
(つーちゃん、悩みがあるならうちに相談してや……)
(京都戦のセトリ、そろそろ決めないとまずいんじゃないかしら)
文化祭が終わって日常が戻ったのに、皆どこか上の空でバス停で降りる。
そして目の前にいた人物に、勇魚と花歩の声は思わず上ずった。
「ふ、二人ともおはよ!」
「ど、どないしたん? バス停まで来て」
つかさと夕理がバス停で待っていた。
直接は答えず、つかさは無言で勇魚の前に行くと、深々と頭を下げる。
「ごめん勇魚。昨日のは完全に八つ当たりやった。
勇魚のこと決して嫌いとちゃうから、撤回させて」
「そ、そうやったん!? うちこそごめんね! つーちゃんのこと傷つけたみたいで……」
「あたしは何ともないから、昨日の醜態はマジで忘れて」
続いて、花歩に向かっても頭を下げる。
「花歩もごめん。あたし、部活辞めへんから。
今日はバイトで行かれへんけど、先輩たちにも伝えてくれる?」
「う、うんっ! そっか、そっかあ!
あーもう、ここ数日生きた心地がせえへんかったで……」
「ほんまにごめん。明日出席したら色々話そう」
笑顔満面の花歩だったが、初耳の勇魚は飛び上がる。
「辞めるってどういうこと!? そんな話してたん!?」
「ま、まあまあ。結局辞めないんやからもうええやん……」
花歩がなだめている間に、つかさの目はキッと姫水に向いた。
「アンタに謝ることは何もないで!」
「別に謝ってほしいとも思わないけど」
「え、な、なんや? どういうこと?」
「あのね花歩ちゃん。彩谷さんって、私のこと嫌いなんだって」
「えええええ!?」
一難去ってまた一難。
仲良し五人組の崩壊の危機に、花歩は信じられずにつかさを問いただす。
「う、嘘やろつかさちゃん? みんなで楽しくUSJ行ったやん!」
「あ、あんなの表面的に仲良くしただけや! 女子あるあるやろ!」
「知らないよお! 初体験やで!」
女同士のドロドロなんて漫画の中だけと思っていた花歩は、焦り顔で姫水にも詰め寄る。
「ひ、姫水ちゃんは? 姫水ちゃんもつかさちゃんのこと嫌いなの!?」
「それは……」
(あ、そっか。現実感ないんやった)
困り顔の姫水に思い出す。今の彼女は、相手が好きか嫌いかも分からないのだ。
そして昨日それを知ったつかさは、ぎゅっと唇を噛んでから指を突きつけた。
嫌ってすらくれない相手に対して。
「覚えとき! いずれ分かるようにしたるから!」
それだけ言って、先に校門へと歩き出す。
慌てて後を追いながら、勇魚は今の言葉を反芻した。
(つーちゃん、もしかして姫ちゃんの壁を壊すために……?)
限りなく善意に解釈して、幼なじみに笑いかける。
「つーちゃん、いい人やね!」
「……そうかしら」
(つかさちゃんも聞いたのかなあ、姫水ちゃんの事情……あ、そうなると夕理ちゃんだけ知らないことに)
仲間外れになるのでは……と花歩は横目で見たが、当の夕理は姫水なんてどうでもいいらしく、つかさだけを目で追っていた。
疎遠な二人は相変わらずだ。
(ううう……一年生の結束は幻やったん?)
「花歩、そうやって周りばかり気にしてるとハゲるで」
「誰がハゲや!」
抗議に笑いながら、夕理は吹っ切れたようにつかさへ駆け寄る。
濃淡に彩られた人間関係の中、一年生たちは今日も高校生活を開始する。
* * *
「つかさちゃん。今日はお客さん少ないから、上がってええで」
「あ、はい。お先に失礼しまーす」
夜七時半の串カツ屋。
おばさんに言われて引っ込むつかさの後ろから、常連客の声が聞こえてくる。
「つかさちゃん、ホンマよく働く子やなあ」
「そうやろ? 気ぃ利くしえらい助かってるで」
(ううう……そういうこと言われると切り出しにくい……)
しかし週一のバイトで、今日言わなかったら次は来週になってしまう。
着替えを終えてから、おばさんに奥に来てもらって頭を下げた。
なんだか謝ってばかりだ。
「すみません! バイト、辞めさせてもらえませんか」
「ええ!? な、何か気に障ることでもあったん!?」
「ち、ちゃうんです。そういうことではなくて……」
本当に良くしてくれたバイト先なだけに、つかさは必死になって釈明する。
「あたし、部活やってるんですけど」
「ああ、すくーるあいどるやったっけ?」
「はい。それで同じ部に負けたくない奴がいまして……。
あたしがバイトしてる間もあいつは練習してて、このままやと差が開く一方で。
なのであの、らしくないとは思うんですけど、一念発起して真面目にやろうって」
「あれまあ、そうやったの! ちょっとあんた、聞いて聞いて!」
おばさんが大声で話したせいで、おじさんはおろか常連客たちにも伝わってしまった。
「そういや聞いたことあるで。住之江女子って強いんやろ?」
「ええまあ……一応全国目指してます」
「へええ! 俺ぁね、つかさちゃんはタダ者やないって、前から思とったで」
「大将、これは認めてやらなあかんやろ」
「おお、もちろんや。大会はいつなんや?」
「あ、来月の下旬です」
「もうすぐやないか! もう今日まででええから、練習頑張りや」
「え、でも替わりのバイトとかは」
「そんなんええから! 子供が心配することやないで!」
何も言えず、子供らしく素直にお礼をするしかできなかった。
再度奥に引っ込み、電卓をはじいたおばさんが封筒を差し出した。
「はい、今日までのお給料。ほんまに助かったで」
「す、すみません。突然こんなことになって……」
「……つかさちゃん、ええ顔してるねえ」
「え……」
「器用で大人びたつかさちゃんも良かったけど。
年相応で頑張ろうとしてる今のつかさちゃんも、おばちゃんは好きやで」
つかさは涙をこらえながら、今日最大の角度で頭を下げた。
「お世話になりました!
大会の結果が出たら、必ず報告に来ます!」
夜の歩道で、街灯に照らされながら少し深呼吸する。
(さあて……これでもう後戻りはできひんで)
立ち止まってスマホを出した。
さらに後戻りできなくする文章を、部のグループへと送る。
『バイト辞めました。これからは練習頑張ります!』
すぐに反応したのは晴だった。
『非常にありがたいけど、狐につままれた気分や。
いったい何がどうしてそうなったんや』
晴には悪いが、つい笑ってしまう。
あんなに頭のいい先輩でも、乙女の複雑なハートは分からない。
でも、続いて届いた立火からの言葉には胸が痛んだ。
『ありがとう! 嬉しくて本気で泣いてる。
私は非力な部長やけど、ほんまにつかさのこと大事に思ってるから。
それだけは信じてや』
(今回は心労かけちゃったなあ……)
今はまだ言えないけど、部長が卒業するまでには全てを話そう。
その時に、姫水とどんな関係になっていたとしても。
他のメンバーからも次々と喜びの声が届く中、夕理のメッセージが目を引いた。
『思い切ったんやね。
やっぱりつかさには、本質的にそういうところがあると思う』
(そう……なのかな)
中学一年生の自分は、あのとき何を考えていたのだろう。
『天名さん。よかったら一緒に帰らへん?』
あれは一生で一度きりの気まぐれだと思っていた。
俗っぽくて打算的な自分が、ただ一度だけ行えた真心からの行動。
でも、違ったのかもしれない。
その気になれば、何度だって起こせるのかもしれない――。
家に着く頃には、つかさの機嫌は一気に悪くなっていた。
(藤上さ……姫水だけ何も送ってこないやんけ!)
(ほんまムカつくわあの女! ……あ、来た)
部屋に入りながら、少し緊張してメッセージを読む。
『私への宣戦布告と受け取っていいの?』
思わず頬が緩んでしまう。
認識してくれている。
姫水を好きな人は大勢いても、嫌いと言ったのは自分だけ。
我ながらひねたやり方だけど、これだけが彼女の特別になれる道だ。
『コテンパンにしたるわ! 覚悟しとき!』
鼻息荒く送ったはいいが、桜夜と小都子から心配そうな返信が届いた。
『え、ど、どういうこと?』
『二人とも、ケンカしてるん?』
(あ、しまった)
確かに他人から見たら、物騒以外の何物でもない。
どう言い訳しようか考えていると、夕理がフォローしてくれた。
『ライバル関係ということです』
『なるほど! ええなあライバル!
互いに高め合い、夕焼けの河原で殴り合うんやな!』
昭和なことを言っている部長には悪いけど、そんな爽やかなものではない。
ただ振り向いてほしいだけの、どうしようもない執着。
でも生まれて初めて持った、全てを懸けられるほどの感情だ。
「よし、完成」
ネグリジェ姿のつかさは満足そうにうなずく。
帰りに買ってきた接着剤で、ブローチは綺麗に元通り。
手に取って眺めながら、翡翠の向こうに姫水を思い浮かべる。
世界一大嫌いで、世界一大好きな女の子。
(いつかあたしが、あいつに勝てたときは)
そのときは、彼女に素直な本心を告白しよう。
苦労の末に結局振られるだけだとしても――それでも構わない。
スクールアイドルはそれなりには楽しいけど、やはり皆のような情熱は持てそうもない。
だから、頑張る理由は一つだけ。
この胸にある、たった一つの恋のために。
ただそれだけのために。
彩谷つかさは、これから青春を捧げるのだ。
<第24話・終>