「私がスクールアイドルに?」
二年生の春。同じクラスの寿葵に、胡蝶は心底呆れた声を返した。
当の葵もやっぱり無理やろなあという顔で。
隣にはこの前転校してきた大阪人が、熱い憧れの視線を向けている。
「あ、自己紹介するで。私は九条━━」
「知ってます。転校生は珍しいからねぇ」
「そっか! 大阪でスクールアイドルしてたんやけどね。
こっちでも入部しようとして驚いたで。葵ちゃん一人しかおらへんやん」
「新入部員はいないし、既存部員は幽霊化してるもんで……」
「廃部寸前やないの。そないなところへ私を勧誘する気ぃなん?」
「まあまあ。そんな時に、同じ学年に家元の娘がいるって聞いたんや!
これはもう運命やろ! 私たちで部を立て直し、日舞でラブライブに出よう!」
「残念やけど、どだい無理な話やな」
こんなことを言いたくはないけど、現実に跡を継ぐ身としては、現実的な意見を言わざるを得ない。
「アイドルを求めている若い子に、日舞が受け入れられるとは思わしまへん。
地味、古くさい、分かりにくい。
そんなん言われて恥をかかされるんは、私は御免やで」
「ま、待って。そんなことない、京都の伝統はみんなの憧れで……」
「話は終いや。私は家で稽古がありますさかいに」
席を立って帰ろうとする胡蝶に、小梅の必死の叫びが追う。
「μ'sの園田海未さんって知ってる!?」
胡蝶の動きがぴたりと止まり、振り返る姿もまた優雅だった。
「μ'sはよう知りませんけど、園田流の跡取りはんのことは知ってます」
「あの人、μ'sってグループで一世を風靡したんやで!」
「へぇ、それで園田はん。風靡するのに日舞は使わはったん?」
「え、いや、実際はラブアローシュートとかやってたみたいやけど……」
「ほら、やっぱり日舞は使えへんと判断したんやないの」
「な、なら胡蝶ちゃんが最初の一人になればええんや! 東京の日舞に勝ちたいやろ!?」
胡蝶も葵も一瞬身を固くするが、すぐに平静を装って言葉を続ける。
「江戸の踊りと京の舞は別物や。比べるものやあらしまへん」
「またまたー。京都も東京をライバル視してるやろ?
『日本の首都は京都。みかどは江戸に散歩に行ってるだけ』とか思ってるんやろ?」
「思ってへんから! アホらしい!」
「葵ちゃん、そこは乗っておいて!
ねーお願いや胡蝶ちゃーん。ずっと京都に憧れてたんや、家元と一緒に部活したーい」
(会うたばかりなのにちゃん付けって……ほんま浪花の人は厚かましおすな)
そんな小梅が引き下がる気配は全くなく、一週間の連続アタックを受けた胡蝶は、仕方なく一度だけと部室に顔を出した。
だから歌と踊りが同時にできなかったのは、当初はむしろ都合が良かったのだ。
「こんなんやったら、私はお役には立てへんね。ほな、そういうことで」
「ま、待って! 胡蝶ちゃんならすぐ直せるから!」
「……本人に直す気がなくても?」
「え……」
「四歳の時からずっと、黙って舞ってきましたんや。
それを変えようという気が湧かないし……変えたくはあらしまへん」
「胡蝶ちゃん……確かに伝統は大事やけど……」
「いや、それはおかしい」
異を唱えたのは、意外にも葵だった。
「日舞も着物もこのままやと先細りやないか。何か手を打たな、いずれ滅びる日が来るで」
「そう、葵ちゃんの言う通り! 着物ももっと若者にアピールせな」
「できたらとっくにやってるわ! いつもいつも素人は気軽に言いやがって!」
「いや、私に切れられても……」
引く小梅にコホンと咳払いして、葵は眼鏡越しにクラスメイトを正視した。
「まあ実際、スクールアイドルなら多少のアピールにはなるやろ。
早蕨さんは孤高の家元って感じで話しかけづらかったけど、これも何かの縁や。
一緒に少しだけ寄り道してみいひん?」
「……滅びるなんて大げさや。日舞の公演チケットは一応売れてます。
着物業界も危ない危ない言う割に、何やかんやで続いてるやないの」
「でも、これから千年続けるには足りてへんやろ?」
思わず胡蝶も、葵を正面から見返した。
どうやら本気で千年後まで残すつもりらしい。
自分は次の跡継ぎに渡すことしか考えていなかったのに。
腕組みして考え込んで、結局乗ってみることにしたのは、やはりどこかに疑問があったのだろう。
物心ついたときから道が決められて、それ以外は全てやんわり否定される、自分の人生に対して。
「……少しだけ付き合うてあげますけど、結果は保証しませんえ」
「いいのっ!?」
「園田流さんもやってはったと言えば、家の者も文句は言いませんやろ」
「あ……やっぱりお家が厳しいんや。でも嬉しいで!」
京都の二人の手を取り、大阪からの転校生はぴょんぴょんと跳ねた。
「よーし、まずは新入部員集めやー!
部活名も変える? スクール日舞部とか?」
「スクールアイドル部のままでええんとちゃいますの」
μ'sのことも少し調べてみようと思いながら、胡蝶は穏やかに返事をした。
「私たちはともかく、後輩に日舞を無理強いはでけしまへんからね」
別に胡蝶は勇魚のような不器用ではなかったので、歌と舞の一致は普通に練習して普通に克服した。
だから重要だったのは技術の問題ではなく、自分に道を変えさせた二人の存在だ。
ただ一本のレールを壊してしまった、小梅と葵という二人の友達の。
意外にもファンがついて、地区予選にも出られたのだから、世の中何が起こるか分からないものだ。
そうして胡蝶の人生における一時の寄り道は、もうすぐ終わりを告げる――。
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和ロックは京都の激動の歴史を歌う。
室町の文化と応仁の戦。華やかな桃山時代と続く泰平。そして……
『池田屋に白刃が舞う 浅葱の羽織は新撰組!
斬! 斬! 滅びに突き進む剣客たちと 日本の夜明け』
天皇は東京に移ったが、別にもっと前から鎌倉や江戸が日本の中心だったのだ。
その間も京都はゆったりと続いていたし、この先も――
『
ジャジャーン!
ギター音と共に、今だけのロッカーたちはライブを終えた。
会場は大盛り上がりだったが、中には複雑そうな生徒もいる。
天之錦の日舞が本当に好きだったのだろう。
(新たな道の模索、見せてもろたで……って、観客だいぶ増えてるやん!)
館内は立火が気付いた通りの状況で、真ん中で妙良がふんぞり返っている。
関西七位の人気は伊達ではなかった。
「終わりか? これだけ集めれば十分やろ、約束通り歌わせてもらう」
「あ、ごめん。今からトークコーナーやから、もう少し待って」
「そんなんあるんかい! 早よ終わらせろ!」
言われなくても妙良のせいで時間が押しているので、短めにせざるを得ない。
部員総出で、急いで長机と椅子をセッティングし始めた。
* * *
「それではトークバトルコーナー~!」
「どんどんパフパフ~!」
盛り上げる立火と桜夜の反対側で、葵と胡蝶がぺこりとお辞儀する。
「ここでは大阪と京都の魅力をそれぞれアピールしようというわけですが」
「自分から言うんはみっともなくて嫌なんやけどねえ。秘してこそ花やろ」
「いやいや胡蝶、それやとイベントにならへんから……ほんなら私からね!」
先行きに不安を感じながら、まず葵が巨大な武器を投げる。
「やっぱり世界遺産やねえ。ご存じ『古都京都の文化財』。
実に十七の社寺が登録されています。三つは宇治と大津やけどね」
「ぐああああ!」
世界遺産のない大阪陣営にはいきなり大ダメージである。
オーバーリアクションの立火の一方、舞台下で見ていた小都子がぼそりと言う。
「古墳がもうすぐ登録されるから……」
「でもやっぱり、金閣寺とかに比べたら地味っすよね」
「あうう……」
味方のはずのつかさに斬られる小都子の上方で、葵はますます勢いづく。
「まあ登録されてるようなところは混んでるから、それ以外の場所もお勧めやね。
市内いたるところに見所があるのが京都市やから」
「あー……うちの参謀も準メジャーなとこがええって言うてたで。どこやったっけ」
晴がノートPCに文字を打ち込むと、最大サイズにして頭上に掲げる。
大徳寺、妙心寺、光悦寺の名前に、葵は満足そうに目を細めた。
「なかなかええ趣味してはるねぇ。準メジャーいうたら源光庵常照寺今宮神社等持院千本釈迦堂嵯峨釈迦堂大覚寺化野念仏寺祇王寺二尊院宝筐院松尾大社鈴虫寺善峯寺梅宮大社実相院妙満寺瑠璃光院曼殊院金戒光明寺法然院永観堂南禅寺の天授庵青蓮院廬山寺本能寺六波羅蜜寺智積院泉涌寺城南宮毘沙門堂勧修寺随心院あたりもお勧めかな!」
「ぎゃああああ!」
あまりの物量に立火の精神は押し潰されそうになる。
大阪市の観光名所全てを足しても、この数に届くのかどうか……。
が、寺社にあまり興味のない桜夜は余裕で耐えた。
「要するにほとんどお寺やろ? そればっかやと飽きるわー。
さっきも言うてたけど、大阪は高いビルとか展望台がいっぱいあるからね。京都タワーはダサいし」
「うおおい! はっきり言いすぎやろ!」
「え、だって聞いた話やと、あれは京都の人すらダサいと思ってるって……」
立火に怒られて言い訳する桜夜だが、葵は苦笑いするしかない。
「まあ、あれでも生まれる前から建ってるものやからね。もう馴染んでるで」
「清水の舞台」
「へ?」
ぼそりと言われ、きょとんとした桜夜の目に、取り澄ました胡蝶が映った。
「清水寺の舞台からの眺めも、なかなか乙なものですえ。
もちろん、そちらさんの最新鋭のビルにはかなわしまへんけどねぇ。
町はそれほど見えへんし、見えるのは一面の紅葉くらいですわぁ」
(つ、強いっ……)
想像するだけで負けそうな光景に、桜夜は隣の相方に泣きつく。
「ちょっと立火~、こっち押されてるやん」
「まだまだ、次はこっちのターンや。
大阪といえば食い倒れ! 安くてウマいし種類も多い! この方面では圧勝やろ!」
どやっと胸を張る立火に、葵は反駁を試みた。
「き、京都にも懐石料理とかあるし……」
「それ、高校生が食えるの?」
「くっ……」
確かに葵も、祝いの席でくらいしか食べたことはない。
やはり食においては大阪の勝ちかと思われたが……。
「ラーメンは?」
「へ?」
再びぼそりと言った胡蝶の目は、日舞のときと同じくらい真剣だった。
「ラーメンで京都に勝てると、本気で思てはりますの?」
「ぐっ……」
うどん文化の大阪は、ラーメンは不毛の地と言われていた。
最近は増えてきたものの、全国的に有名な店となるとやはり少ない。
一方で京都の天下一品や第一旭、一乗寺のラーメン激戦区は立火でも知っている。
相方の危機に、桜夜が必死に反撃を試みる。
「ラーメン専門ではないけど、大阪王将があるやろ!」
「桜夜、それ京都の王将からののれん分け……」
「え、そうやったん?」
「というか、そもそもラーメンに限る意味が分からへん!
ラーメン以外なら551とか千房とかかに道楽とか、有名な店はいくらでもあるで!?」
「私はラーメンが好きなんや」
「意外とわがままやなこの家元!?」
「ええい! もうやめやめ!」
グダグダに我慢できなくなった妙良が、ステージに乱入してきた。
その場の全員に切々と訴える。
「食べ物の話はやめとけ! 荒れるから!」
「ほんまにな……」
「まあ京都には東洋亭やイノダコーヒーもあるんやけどな」
「もうええっちゅーねん!
え、なんや晴。そろそろ締めろ?
と、とにかく関西一丸となって発展してこということで! 大阪はこれからも関西のリーダーとして皆を引っ張って……」
『は?』
「あ゛」
焦る立火だがもう遅い。
葵と胡蝶の目の色が変わり、立ち上がって詰め寄ってきた。
「いやー、さすがに聞き捨てならんわあ」
「面白いこと言わはるねぇ。いつから京の都は大阪の下になったん?」
「は、ははは、言葉のあやで……」
「なら京都がリーダーでええの?」
「何でやねん!」
妙良は呆れた目で遠巻きに見ている。
結局桜夜がにっこり笑いながら、愛嬌で無理矢理まとめるのだった。
「京都よりも大阪よりも、桜夜ちゃんの可愛さが最強ってことで!
以上、トークバトルコーナーでしたー!」
* * *
体育館はかなり埋まったので、仕方なく妙良が歌うための準備をする。
机と椅子を片付ける最中、桜夜がひそひそと小都子に愚痴った。
「ラップって何が良いのかさっぱり分からへん。
あれって『布団がふっとんだ』みたいなダジャレを延々続けてるだけやろ?」
「だいぶ違うと思いますけど……。
何か主張したいことを韻に乗せるのがラップらしいですよ」
「ふーん、やっぱりよく分からんわ」
と、どこかへ行っていた姫水が急いで戻ってきて、晴に借りたスマホを返す。
「岸部先輩、ありがとうございました」
「情報は得られた?」
「はい。必要なければそれに越したことはないのですが」
(姫ちゃん?)
勇魚が不思議そうな顔をしている間に、妙良の一人ライブは始まった。
相手は関西トップクラスなだけに、Westaも勉強のため客席から見上げる。
『所はいずこ 京・大阪?
どこでもいいぜ 堂々咲く!
時に見失いそうなパーソナリティ!
土地に縛られるなんて下らないし!』
要するに『京都人だの大阪人だの下らない。私は私や』と主張したいらしい。
一応礼儀として曲にノっている立火だが、内心では渋い顔である。
(言いたいことは分かるしラッパーらしいけど、ご当地対決イベントで主張しなくてもええやろ……)
とはいえ自分たちも客集めに利用したのだから文句は言えない。
さすがは地区予選七位の実力で、体育館内も沸きに沸く。
「サンキュー!」
一応はイベント時間も気にしてくれたようで、ライブは短めに切り上げられた。
しかし持っていかれた空気は変わらない。
特に後から来たのはKYO-烈の大ファンなのだから、当然熱狂的である。
「タエラさーん!!」
「一生ついてくでー!!」
(どないすんねん、ここから……)
あと一曲を残し、立火も葵もげんなりする。
これは作戦失敗だったか……と後悔しかけた時だった。
「YO! YO!」
(姫水!?)
Westaの面々が、特につかさと勇魚が驚愕する中、姫水がマイク片手にステージに上がる。
そこにいたのは優等生ではなく、陽気なヒップホップ少女だった。
変わりように妙良も一歩後ずさる。
(なんや、こいつの動き。まるでプロのラッパー……の七割くらい!)
先ほど晴のスマホで確認したのは、プロの動画だったのだ。
例によってコピーを演じながら、姫水はリリックを相手に投げつける。
『君が掲げるのは京都のTOP
ならそこにあるのは郷土のRAP?
破棄しきれない無限のプライド!
切り離せない地縁にRIDE!』
要するに『でもあなた京都のトップって威張ってましたよね? それは京都に誇りがあるからでは?』と主張したいらしい。
「いや、それとこれとは話が別……」
ラップバトルで応じようとした妙良だが、上げかけた手をすぐに下ろす。
時間が押しているし、真似っこの一年生にムキになるのは大人げなかった。
「……思い出したで。お前、羽鳥のコピーを演じた東京人やな」
「生まれは大阪ですよ」
「でも東京人として見られてるんやろ。自分の意志に関係なく」
「そうですね……。
個人を無視して、どこの人だからと一方的に括るのは私もどうかと思います。
でも何だかんだで郷土対決が盛り上がるのは、やはり皆さん思い入れがあるからだと思いますよ」
「ふん……」
妙良は満足したように、舞台袖の葵に告げた。
「邪魔したな、歌わせてくれておおきに!
後は観客として最後まで付き合わせてもらう!」
そのまま客席に戻ったので、呼ばれたファンたちもほぼ帰宅せずに残ってくれた。
幼なじみのための露払いを終え、姫水はステージの上で微笑んでいる。
(姫ちゃん……)
舞台は整った。
入部したときに望んだ通り、姫水と同じ景色を見る瞬間が、ついに訪れたのだ。
立火と花歩が、両側から勇魚の肩に手を乗せる。
「行くで勇魚! 出番や!!」
「行こう、勇魚ちゃん!」
「うんっ!」