「あれ立火、テスト勉強してるん?」
意外そうに声をかけた未波の机には、赤本が広げられている。
「そりゃ中間テスト始まるし……って未波は捨てるの!?」
「この時期になったら意味ないやん。受験に集中した方が賢い」
「おお、その手があったか!」
景子までぽんと手を打っている。
確かにその通りだし、特に入試で受けない科目は全くの無意味だが……
そこまで割り切るのも嫌で、立火は机にかじりついた。
「いやっ、私は真面目に受けるで。
問題作って採点してくれる先生に申し訳が立たへんやろ!」
「まーた人情に流される。どうなっても知らんで」
未波が呆れる通り、部活を続けている立火はますます不利になるだけだ。
それでも今は、まだ普通の高校生でいたかった。
みんなそこまで急いで、卒業に向かうこともないだろうに……。
* * *
そうして三日間のテストはあっという間に過ぎ去り――
「うーん、終わった終わった」
「小都子、今回はずいぶん伸び伸び受けてたんやな」
「他のことで色々忙しかったからね。そこそこ出来ていれば十分や」
「いつもそれくらいの気持ちでいいと思うけどね」
そうかもね、と隣の席の忍と話していた時だった。
「橘、ちょっとええか」
テストが終わるのを待っていたように、一人の教師が声をかけてきた。
用件は分かっているが、一応立って聞く小都子に、教師は手を合わせて頭を下げる。
「頼む! 生徒会長をやってくれ!」
「何度も断ってるやないですか。私はWestaのみんなと全国に行きたいんです」
「そこを何とか! 誰も立候補する奴がおらへんのや」
教師が周囲を見回すと、とばっちりを恐れた級友たちはそそくさと逃げていく。
忍だけが動かない前で、深々と溜息をつかれた。
「ほんま最近の若い奴は。自分さえ良ければそれでええんか」
「自分がやりたいことに夢中になるのは、住女生らしいと思いますよ」
「しかしそれでは社会は回らへんのや。
なあ、Westaの方はまだ広町がいるやろ。橘はいつも影が薄いし会長と兼任でも……」
「はあ!?」
小都子が切れる前に忍がぶち切れてしまった。
椅子を蹴って立ち上がり、友達をかばうように立ちふさがる。
「この子、次のラブライブでセンターなんですよ!
今まさにスポットライトを浴びようとしてる時に、何ですかその言い草は!」
「え、そ、そうやったん?」
「知らなかったで済む話じゃ……!」
「まあまあ忍。ですが先生、教職にある方としていささか軽率な発言とちゃいますかねぇ」
「す、すまん! 出直してくる……」
肩を落として廊下へ出ていく教師に、忍は憤懣やるかたない。
「全くもう!」
「まあまあ、もう再来週が選挙やからね。先生も大変なんや」
「あんたはいつもいつもお人好しすぎ!」
あははと笑って、小都子は部活へ行こうとする。
彼女がセンターを務めると聞いて、忍はもちろん大喜びだった。
でも一歩踏み出した友人に比べ、自分はどうなのだろう……。
「……私、立候補しようかな」
「え、忍が!?」
驚いて立ち止まる小都子の前で、忍は机を見つめたまま言葉を続ける。
「あの先生を喜ばせるのはシャクやけど。
そうでもしないと、しつこく小都子に頼んできそうやし」
「だからって忍が犠牲にならなくても……」
何で小都子のためにここまでするのか、忍自身もよく分からない。
高校に入ってから知り合った、単なる同じクラスの友達なのに。
でも去年小都子が辛そうだったとき、一年生だった身には何もできなくて……。
今さらだけど、何でもいいからしてあげたかった。
「だいたい人を助けてばかりの小都子に言われたくない。たまには助けられる側になって」
「……美術部の方はええの?」
「どうせ適当に描いてるだけやから。……うん、私だって、高校生活に何か残したいんや」
まっすぐに顔を上げた忍に、小都子もそれ以上言うことはなかった。
机の上の彼女の手を取り、しっかりと握る。
「なら、せめて応援演説はさせて。その時には予備予選は終わってるから」
「はぁ……ほんまにお人好し。
ま、私なんて別に長所もないし。上手く誉められるのは小都子くらいやな」
一つの机の上で笑い合う。
センターなのだから、急いで部室に行かねばならないのだけど。
もう少しだけ話したくて、小都子は頭の後ろの髪に触れた。
「ところでこのポニーテール、どう思う?」
「私と同じ髪型で聞かれても返事に困るんやけど!」
* * *
再開した部活でミーティング中、小都子は熱季との一件を報告する。
そうして花歩に視線を振ると、相手は困ったように首を傾げた。
「その後のことは特に聞いてないです。私もあんまり首突っ込むのはどうかと思って……」
「確かにね。後は聖莉守の問題やな」
「あっちゃんの気持ちも分かるけど、うちはその蛍ちゃんって子に頑張ってほしいです!
どんなハンデがあっても輝けるんやって証明してほしい!」
元気に言う勇魚は、この中では一番聖莉守寄りだ。つまりは勝利への執着が薄い。
ちょっと心配そうな小都子を見て、夕理が心の中で何かを決意した。
そして立火が、腕組みしながら晴に尋ねる。
「Westaに有利な話ばかりで逆に不安やで。不利な話はないの?」
「最近は鶴見緑地学園のGreenTeaPodがかなり上げ潮ですね」
「そういやよく話題聞くなあ」
「引退した前部長より、新部長の方がかなり優秀なので」
「あ、そう……」
三年生としては複雑だが、そういうこともあるのだろう。
世代は少しずつ変わっていくのだ。
「ナンインは相変わらず強いし、瀬良だって蓋を開けてみな分からん。みんな、油断せずにいくで!」
『はいっ!』
テストで午前放課後の部活だったので、練習は四時で終わった。
一年生五人が昇降口に着くと、夕理が少し深呼吸して口を開く。
「勇魚、帰りにどこか寄ってかない? できれば一年生のみんなも」
「夕ちゃん!?」
飛び上がった勇魚は、尻尾を振らんばかりの大喜びだった。
「行く行く、どこへでも行くで! 夕ちゃん、最近積極的やね!」
「喜んでるところ悪いけど、耳に痛い話をするから」
「あ、お説教……? そ、それでもええで。夕ちゃんと行けるなら!」
誘われた他の三人も、同行することにはもちろん異存はない。
「天名さんなら無いとは思うけど、もし理不尽に勇魚ちゃんを傷つけたら許さないわよ」
「夕理がそんなんするわけないやろ。姫水はいつもいつも勇魚に過保護すぎ」
「だって幼なじみだもの」
「幼なじみにばっか執着するって、人間関係として進歩がないよね。子供の頃の狭い世界に閉じこもってるだけやっつーの」
「彩谷さん」
歩きながらの姫水がジロリとにらむ。
「あなたに関係ないでしょ」
「ああ!? そ、そういうこと言う!?」
「まあまあまあ。せっかくのお茶会やから、ねっ」
花歩になだめられつつ、学校近くの喫茶店へ向かう。
席に着いて注文してから、夕理は単刀直入に言いたいことを言った。
「勇魚はデリカシーがなさすぎる」
ああ、うん……と他の三人が大いに納得する。
なのに当の本人は、無垢な顔できょとんとしている。
「え、そう? どのへんが?」
「自覚なし! ほんまにタチ悪いで!
花歩と藤上さんはちょっと耳ふさいで」
二人が言われた通りに音を遮断する中、夕理は勇魚に顔を近づけ小声で話す。
「もう一ヶ月前やけど。
つかさが藤上さんを見てばかりなのを、本人の前でバラしたんやって?」
「うんっ。何かあかんかった?」
「そういうとこや! ほんっまに無神経!!」
「ゆ、夕理。あたしは別に気にしてへんから……」
「つかさだけの問題とちゃう! あ、二人はもう聞いてええで」
耳から手を放すジェスチャーを見て、姫水と花歩は音声を回復させる。
お冷を飲んでから、夕理は真剣な目で切り込んだ。
「他の仕事につくなら私もうるさく言わへん。
でも看護師になるんやろ? デリカシーのない看護師って最悪やないか。
少なくとも私は看護してもらいたいとは思えへん」
これには姫水も反論できない。
病に苦しむ人に対し、勇魚のずかずか踏み込む性格は、時に問題を引き起こすかもしれない。
「で、でも逆にそれが救いになる人もいるかもしれないし……勇魚ちゃんの長所と表裏一体で……」
「そんな運任せで務まる職業とちゃうやろ。
藤上さんも花歩も、もっと早く言うべきことやないの? ほんまに勇魚の友達なら」
「い、いや~面目ない……。でも夕理ちゃんも割とデリカシーないと思うけど」
「私は自覚した上でやってるからええの!」
長居組の三人がしゅんとなる中、上手くまとめたのはつかさだった。
「まあ相手の気持ちを察するのって、あたし達もなかなか難しいからね。
勇魚も少しずつ気を付けていけばええんとちゃう?」
「う、うん。まだよく分からへんけど、頑張ってみる。
ありがとう夕ちゃん、うちのこと真剣に考えてくれて」
素直にお礼を言う勇魚は、本当にいい子ではある。
だからこそ夕理も、次の話をするのは気が引けるが……。
これからが本題なのだ。
「もう一つ。みんな大阪Bはチェックしてる?」
大阪市以外の大阪府。それが大阪Bブロックであり、予備予選は分かれている。
夏は直前に地震があったため、北部の学校は振るわず、泉南や岸和田、東大阪の学校が突破した。
ちなみに堺の学校はあまり強くない。
「うちがボランティアに行ったとき会った学校、今回は調子いいみたいやで!」
「高槻のORANGE SPLASH!やな。
けどそれ以上に、千早赤阪のグループが人気急上昇中や」
「千早赤阪村? あそこに高校ってあったんや」
花歩が意外そうに言った地名は、大阪府で唯一の村だ。
大楠公こと楠木正成が、鎌倉幕府の軍をさんざん苦しめた地でもある。
スマホを取り出しながら、夕理はグループ名を皆に告げる。
「千早赤阪高校『
三学年合わせて六十人しかいない学校やけど、生徒を増やそうと結成されたグループや」
「わあ! うち、そういうとこはめっちゃ応援したいで!」
勇魚はそう言うと思っていた。
なので悩ませることになるのは分かっているが……
心を鬼にして、そのグループのホームページを見せる。
そこには一番上に、切迫感のある大きな文字が躍っていた。
『次のラブライブで優勝できなかった場合――
千早赤阪高校は、来年度で廃校になります』
「くそ~、姫水のやつ……」
帰りの電車で、つかさが本題と外れたところで落ち込んでいた。
『あなたに関係ないでしょ』
今頃になってじわじわとダメージを受けている。
隣に座る夕理は呆れ気味だった。
「わざわざ虎の尾を踏むからやろ。
私をかばってくれたのは嬉しいけど、勇魚との仲にケチつけるのはやりすぎ」
「だってあいつ、いつも勇魚勇魚って!」
「……勇魚のこと、嫌いになったりせえへんよね?」
「それは……大丈夫。あんな姿を見たら嫌えへんわ」
Camphoraが大阪Bを勝ち抜いた場合、地区予選でWestaと争うことになる。
シビアな現実を前に、勇魚は落ち込んで帰っていった。
何とか元気を取り戻してほしいが……。
* * *
「どうしたんや勇魚。体調悪いん?」
「い、いえ……」
案の定、翌日の勇魚はすっかり精彩を欠いていた。
心配そうな部長に、夕理が昨日のことを正直に話し、桜夜に呆れられる。
「なんで本番前にそういうこと言うんやろなあ……」
(全くよ! 桜夜先輩、もっと言ってやってください!)
「本番前だからこそです。勇魚は優しすぎます。
勝ち負けが容赦なく分かれるラブライブ、覚悟して参加すべきです」
(……まあ、その通りよね)
内心穏やかでない姫水も、夕理の正論には納得せざるを得ない。
今まで目を背けていた自分の方こそ、親友失格なのかもしれない。
立火が少ししゃがんで、勇魚と同じ目線で言い聞かせる。
「なあ勇魚。勝つ奴がいれば負ける奴もいるんや。
夏の私たちの夢も、他校の奴らに打ち砕かれたと言えなくもない。
けど、だからってそいつらを恨むなんてことは絶対ないやろ?
試合が終わればいつもノーサイドや!」
「そ、それは分かってますけど……」
確かに夏は辛かったが、学校があればこうして再起も図れる。
でもCamphoraの方は……。
「負けたら廃校なんや! 学校がなくなるんです!
うちはμ'sやAqoursの話が好きでした。
廃校を阻止したことも、阻止できなくても最後まで輝いたことも、話を聞いて憧れてました。
なのに、うちが廃校させる側になるなんて……」
うつむく勇魚だが、そう言われても皆いかんともしがたい。
晴が例によって冷徹なことを言おうとしたところで……
遮るように、穏やかな声が部室に響いた。
「勇魚ちゃん。今度の日曜、千早赤阪高校に行ってみる?」
部員たちの視線が集中する先で、小都子は静かに微笑んでいる。
「それで何がどうなるわけでもないけど。
聞いただけの話で悩むよりは、実際に目にして、それから考えてみいひん?」
「は、はいっ! 確かに、どんな学校か見てみたいです!」
勇魚は話に乗ってくれたが、晴からは冷ややかな声が刺さる。
「都会の奴が同情心で物見遊山に来たと思われかねないが」
「日曜なんやから誰もいてへんやろ。
もし練習に来てたら、遠くから見るだけにするよ」
本番まであと九日。どのみちこのままでは、勇魚は補欠に逆戻りなのだ。
とにかく行動に出る小都子に、立火は感心しきりだった。
「小都子、今月はめっちゃ前に出るな~。小都子月間やな」
「あはは。そろそろ部長を受け継ぐ準備を……しないとですし……」
それがどういうことか気付いて、小都子の語尾が消えていく。
立火も寂しそうに笑いながら、次期部長の肩に手を置いた。
「言いよどむ必要はないで。全くその通りや。
私は日曜は用事があるし、小都子に任せるで」
「安心して部長を継がせられるとこ、見せたってや!」
桜夜にも言われて、小都子も強くうなずいた。
そのためには、と横目で晴を見る。
夏休みに受けた忠告が頭によみがえる。
『夕理からは少し距離を置け』
この前のデートでは盛大に無視したが、その時の約束を忘れたわけではない。
『他の子とも今まで以上に話すようにする!』
だから勇魚を誘ったし、勇魚が行けば当然……
「私は、もちろん同行します」
ずいと姫水が申し出てきた。
この二人の後輩とも、もっと仲を深めないと!
* * *
『行ってらっしゃい! 私はまだ不安やから、公園で練習してるね』
花歩のメッセージに見送られ、幼なじみたちは電車に乗り込む。
阿部野橋で合流した小都子は、今日は三つ編みだった。
「先輩、めっちゃ可愛いです!」
「大変よくお似合いです」
「ふふ、ありがとうね。二人とも、ちゃんとハイキング向きの格好やね」
せっかく行くのだから、金剛山にも登ろうという話になったのだ。
さっそく近鉄に乗って、一路東南を目指す。
あれから三日。問題を先送りした勇魚は、何とか部活に打ち込めた。
小都子には感謝している姫水だが、それだけに今日は解決して帰らないといけない。
(と言っても割り切ってもらう以外の解決方法はないわよね)
(どこが廃校になろうが、別に私たちの責任じゃないって)
天使の勇魚にそんな思考をさせるのは非常に心苦しいが……。
楽しくお喋りしている二人に相づちを打ちつつ、姫水は話題を変えた。
「小都子先輩は、他校が廃校になることをいかがお考えですか」
「あ、うん。そうやねぇ……」
「ぶしつけですみません。
でも先輩は、うちの部では勇魚ちゃんと並んで一番優しい方です。
ぜひとも勇魚ちゃんの参考にご意見をうかがいたく」
言われて身を固くする勇魚の前で、小都子は困り笑いで正直に答えた。
「私は、言うほど優しい人間でもないけどね。
廃校は結局のところ生徒の需要がないんやから、しゃあないことやと思ってる」
「そ、そうですか……」
「せやから……」
大阪市を出て松原市に入りながら、上級生は静かに話す。
「それを覆すいうんやったら、奇跡を起こしてもらわなあかん」
「そ、そうです! μ'sやAqoursみたいに!」
「私はその敵として全力で立ちふさがるつもりや。
だって私たちの本気を打ち破るくらいのことは、してもらわな奇跡とは言われへん。
こっちも真剣にやってるんや。ただ廃校するってだけで勝たれたら納得できない」
「先輩……」
窓の外を古市古墳群が流れていく。
μ'sやAqoursの奇跡にだって、その裏には敗者がいた。
ラブライブに参加するグループは対等であり、誰かの夢が優先されるなんてことはないのだ。
勇魚が言葉に迷う一方で、姫水は拳を握って大いに賛同する。
「さすが先輩、その通りです!
ね、勇魚ちゃん。それが真剣勝負というものじゃないかしら」
「まあまあ姫水ちゃん。出発したばかりなんやから、そう結論を急がなくても」
「あ、はい、すみません……」
小都子は微笑みながら、先日夕理にしたのと同じ感想を述べた。
「姫水ちゃんは、ほんまに勇魚ちゃんが好きなんやねぇ」
「そうですね。私にとって最高の幼なじみであり、この世で最も大切な人です」
何を当然のことを、と言わんばかりにスラスラ答えられ、勇魚は困ったようにもぞもぞする。
「ひ、姫ちゃん。そんなん真顔で言われたら照れくさいで」
「もちろん勇魚ちゃんは友達に順番をつける人じゃないし、そういうところが好きよ。
でも私にとって一番は勇魚ちゃん。それは未来永劫変わらないから」
「う、うん……」
(……わあ)
勇魚と小都子が少し引いていても、姫水は涼しい顔である。
一見すると優秀で理想的な後輩だが、ある意味夕理より手強いかもしれない。
(いやでも、花歩ちゃんや桜夜先輩はしっかり仲良くなれてるんや)
(私が部長になった時に、この子が大阪に残ってくれるのかは分からへんけど……)
(もし東京に戻るなら、ますます今のうちに親密にならないと)
そして勇魚は、やけに言葉の強い幼なじみに違和感を覚えていた。
(姫ちゃん、この前つーちゃんにあんなん言われてムキになってる?)
(うちの気のせいやろか)
(ううっ、デリカシーのないうちには分からへん……)