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第27話 ぷちロード・vs奈良


 大和は国のまほろば。
 ここは日本一有名な村といっても過言ではない、その名は明日香村――。


「面白かったー。さすが大阪と京都やねー」

 九月の終わり。Westa対天之錦の配信を見た春日亀飛鳥かすがめ あすかはにこやかに言った。
 おおらかな雰囲気は、大仏みたいだと周りによく言われる。
『明日香村の飛鳥ちゃん』を自称する、明日香女子高校『mahoro-paマホローパ』の部長である。

「感心してる場合やないやろ!
 いっつも大阪と京都ばかり目立って、奈良は影が薄いんや。どうにかしやんと……」

 副部長の飛田礼阿とびた れあが溜息まじりに返す。
 飛鳥にしっかりしてほしくて部長にさせたが、実質的には彼女の方が部の中心である。

「はぁ……なんで奈良ってスクールアイドルが盛り上がらんのやろ」
「やっぱりのんびりした人が多くて、目立ちたがらないからですかね。それこそ飛鳥先輩みたいな」
「いやあ、万葉ちゃんに誉められると照れるわー」
「別に誉めてませんが……」

 一年生の秦万葉はた まよが呆れていると、隣からぼそぼそ声が聞こえる。

「吉野の某高校は麻雀が全国クラスなんやけどねぇ」
「麻雀? 何の話ですか?」
「またアニメか何かの話やろ。安菜、一般人に分からない話はやめて」
「ドゥフフ……これは失敬」

 不気味な笑みを漏らしているのが、二年生の大野安菜おおの やすな
 この四人が明日香女子高校『mahoro-pa』の全メンバーであり、この四人だけで勝ち抜けてしまうのが、奈良予選のレベルの低さを表していた。



「あ~、どこでもいいから奈良のグループが全国行かないかなあ。
 天理市の学校とか、天理教の応援で何とかしてくれないやろか」
「礼阿ちゃん、あかんこと言うてるでー」
「そうですよ、人任せでどうするんですか。自力で何とかしましょうよ」
「ううっ。万葉はせっかく入ってくれたのに、こんな部で申し訳ない」

 明日香女子高校の生徒は百人ちょい。『なんで廃校にならないんだろう?』と生徒に不思議がられつつ、なぜか続いている学校である。
 スクールアイドル部も廃部の危機だったのを、通りすがりの万葉に泣きついて何とか命脈を保っていた。
 礼阿としては引退する前に良い思い出を残したいところではあるが……。
 思い悩んでいると、飛鳥がのんびりと言ってくる。

「それならー。さっきの大阪の人に挑戦状叩きつけて、勝負してもらったら?」
「ひいい! 飛鳥先輩、笑顔で恐ろしいこと言わないで!」

 安菜が部室の壁まで後ずさると、両肩を抱いて震え始めた。

「大阪人なんて陽キャの集まりやないですか。小生のような陰キャは取って食われる……」
「安菜も一応スクールアイドルやろ!
 あのWestaって、地区予選で下から三番目やったところやな。
 飛鳥の言う通り、うちの相手にちょうどいいかもしれやんな」
「でも最近はうちと違って、人気急上昇中みたいですよ。勝負を受けてくれますかね?」

 はっきり言う一年生に詰まる礼阿だが、しかし動かなければ何も変わらない。
 奈良のスクールアイドル界を盛り上げるには、手段など選んではいられないのだ。

「あいつら地区予選で私たちに無礼を働いたんや。いざとなったらその件を持ち出そう。
 決めた、予備予選を通れたら勝負を申し込む! 安菜もええな!」
「ううう……大阪人って面白いこと言わないとシバいてくるんでしょ?」
「安菜ちゃん、大阪に偏見持ちすぎやでー」


 *   *   *


 それから一ヶ月経った今、申し込まれた方は困惑の渦にあった。
 明日香村へは阿倍野橋から近鉄で一本なので、意外と近いところではあるが……。
 姫水と桜夜が身も蓋もないことをいう。

「失礼ながら今さら最下位のグループと対戦して、得るものはあるのでしょうか? 神戸戦に注力した方がよいのでは」
「私、例の件のせいで顔合わせづらいで」
「スケジュール的にも、私たちは来週に修学旅行ですしねえ」

 小都子が言う通り、二年生は四泊五日の旅に出る。
 とはいえせっかくの挑戦を無下にするのも……と立火が人情に迷っていると、つかさがどんと胸を叩いた。

「そもそもmahoro-paって四人しかいないとこですよね?
 なら全員で行ったらイジメみたいやないですか。ここはSaras&Vatiに任せてくださいよ!」
「うーん、しかし部長が行かへんわけにもな。
 何にせよ今日はもう締めや。週明けに考えよう」

 時計は既に部活終了の五分前。最後に立火は晴へと指示した。

「Worldsとは予定通りやる。向こうも準備があるやろうから、急いで連絡しといてや」
「分かりました。mahoro-paの方は週明けに回答する旨を伝えます」

 晴がメールを打っている間、全員の目がカレンダーへ向く。
 この十一月をどう過ごすかで、地区予選の結果が左右される。
 神戸に備えて練習を尽くすか、それとも奈良との戦いに討って出るか……?


「奈良いうたら、今は正倉院展の最中やね」

 鍵を返しに行った立火を除き、廊下を歩く八人の中で小都子が言った。
 勇魚の体がぴょんと跳ねる。

「そうなんですね! うち、一度も行ってないから行ってみたいです!」
「晴ちゃん、連れていってあげたら?」
「何でや」

 ぱっと目を輝かせる勇魚に対し、晴は渋い顔だ。
 去年の正倉院展。皆が猛練習している中、晴は土日は混むからと平日に部活を休んで行った。

『私は正倉院展を見るために関西に住んでいるようなものなので』

 堂々と言い切るマネージャーに、泉部長も何も言えなかったのを小都子は覚えている。
 そんな晴でも、たまには先輩らしいことの一つもするべきなのだ。

「ええやないの。部員が歴史と文化に興味を持つのは歓迎やろ?」
「去年は桜夜先輩に同じことを考えて、結果えらい目にあった」

 急に振られて桜夜が石化する。
 一年生たちが耳を傾ける中、晴の冷たい声が暴露した。

「この人、去年は日本刀がイケメンになるゲームにハマっててな。
 京都で刀の展覧会があるから連れてけ言われて、学習の一助になればと、一緒に行って解説なんかもしたんやけど」
「あ、あはは。ねえ晴、私も反省してるから……」
「見終わったときになんて言うたと思う?
『日本刀なんてどれも同じやん。こんなん見て何が面白いの?』
 私の手に刀があったら、その場で切り捨ててたかもしれへんな……」
「ほんま悪かったって! も~許して晴にゃ~ん」
「誰が晴にゃんですか気色悪い」

 晴と夕理の冷ややかな視線を浴びながら、桜夜はひたすら平謝り。
 皆は苦笑いするしかないが、姫水だけが憤慨していた。

「勇魚ちゃんは絶対そんなこと言いません! 桜夜先輩と一緒にしないで!」
「ねえ姫水、最近私への当たりがキツくない?」
「だったら姫水が一緒に行けばええやろ。私を巻き込むな」

 姫水だって晴なんかと行きたくはないが、しかし勇魚が望んでいるのだ。
 命より大切な幼なじみのため、心を押し殺して頭を下げる。

「……どうかお願いします。勇魚ちゃんと一緒に行ってあげてください」
「ひ、姫ちゃん! 別にうちは無理には」
「あのー、私も連れてってもらえませんか。毎年行こう行こうと思って、一度も行けてないので」
「花歩もか……」

 さっとフォローに入る花歩に、少し感心した晴は仕方なく妥協した。

「日曜の夜、平城宮学園『瑠璃光ルーリーライト』のライブが興福寺の近くである。
 お前たちが見に行くなら、上級生として引率しないでもない。
 ついでに正倉院展に行くのもええやろ」
「あ、ありがとうございます! うちめっちゃ嬉しいです!」

 いえーい、とハイタッチしあう長居組の三人に、小都子はほっこりしてお礼を言う。

「ふふ、ありがとうね。晴ちゃん」
「別に。部のためや」
「夕理ちゃんとつかさちゃんはどう?」
「あたし達はSaras&Vatiの活動でーす」
「予備予選終わったばかりなのに? 少しは休んだ方がええよ」
「いえ、もう趣味みたいなものなので」

 回数を重ねるうち、夕理のバイオリンはさすがに目新しさも消えてきている。
 一方でつかさの方は、どんどんコツをつかんで人気を得る振る舞いを会得していた。
 夕理としては望む状況。いつか必ず姫水に手が届くはずだ。

 今もつかさは姫水に一歩近づくと、どきどきする胸を隠して挑戦的な目を向ける。

「てことで好きなだけ鹿と戯れてきたらええわ。その間にあたしはアンタなんか越えてやるから」
「そう言いながら既に一ヵ月半ね。もうすぐ今年も終わりだけど、いつ越えてくれるのかしら」
「むきー!」
「二人とも、ほんまは仲ええんとちゃう?」
『良くありませんっ!』

 二人同時に小都子へ反論したときだった。

「あれ、みんなどうしたん?」

 職員室から戻ってきた立火が、帰らずたむろっている部員たちを不思議そうに見る。
 黙って後輩を見守っていた桜夜が、嬉しそうな目を相方に向けた。

「みんなで素敵な日曜の過ごし方を考えてたとこや」
「あはは、それは何よりや。桜夜は私と一緒に勉強やけどな」
「ぐあああ」


 *   *   *


『昼飯? 私がよく食うのは奈良名物の茶粥か、ベトナム料理か、天一のラーメンやな』
『決まったら教えろ。私はそれ以外の店に行く』

 晴の親切なんだか冷たいんだか分からないメッセージを読みながら、長居組は電車で奈良市へ向かう。
 勇魚が奈良に行くのは、小学校の遠足以来だ。
 あの時、いつか一緒に鹿を見ようと書いた手紙は、姫水の机に大事にしまってある。
 こんな風に願いが叶うとはお互い思わなかった。

「わ、すごい! こんなとこ通るんや」

 花歩が電車の窓に張り付き声を上げる。
 かつて都があった、今は草の茂る広大な敷地を近鉄が突っ切っていく。
 眼前を流れていくのは再建された朱雀門。
 花歩も遠足では来たが、その時はバスだったので知らなかった。

「ほんまやね! あれや、なんと710立派な平城京や!」
「偉いわ勇魚ちゃん、歴史もしっかり勉強してるのね」
「えへへー」
(姫水ちゃん、ほんま勇魚ちゃんには甘いなあ)

 せっかくの奈良だからと、お昼は茶粥にすることにした。
 せんとくんの看板で写真を撮りつつ、近鉄奈良駅から徒歩数分。大きな奈良漬の店の奥がレストランになっている。
 薄茶色のお粥を匙ですくい、口に入れた花歩は微妙な顔をする。

「うん……あれや……ほうじ茶のお粥やね」
「ふふ。花歩ちゃん、そのままじゃない」
「花ちゃん、この奈良漬おいしいで!」

 勇魚に勧められて、濃い茶色をした瓜の漬物をつまんで食べる。

「うん、さすが本場! そういや奈良漬で酔っ払うって本当なのかなあ」
「そんなに簡単に酔うなら、高校生は食べられないわよ」
「あはは、それもそうやなー」

 夕理とつかさも来れば良かったのに、と思ったところで、花歩は二人の活動を思い出した。

「Saras&Vatiはライブしてる頃やな……」
「そうやね! ここで見られるかも!」

 勇魚がスマホを取り出して、部のチャンネルを開く。
 かなり視聴者数も増えている中、画面の向こうで歌い踊る二人を、何だか遠くに感じる花歩である。

「……私、鹿と遊びに来てていいのかなあ」
「日曜まで部活に費やすのが正しいとは思えないけどね。休む時は休むべきよ」
「今さらしゃあないやん、今日は楽しもう!」
「う、うん……」

 まあ奈良のグループを見学もするのだし……と言い聞かせながら、花歩は残った茶粥をかきこむ。
 食事を終えて商店街に出ると、別の店から出てきた晴と鉢合わせた。
 さっそく勇魚が嬉しそうに駆け寄る。

「今日はよろしくお願いします! 先輩は何を食べたんですか?」
「そこのベトナム料理や」
「グルメですね!」
「昔は食事なんて栄養さえ取れればいいって考えやったけどな。おっさんが飯を食うだけのドラマを見て、考えが変わった」
(どんなドラマやねん?)

 花歩が内心でツッコむと同時に、姫水はほんの少しだけ晴を見直した。

「ドラマに影響されるような微笑ましい面もあったんですね」
「見てるドラマはそれだけやけどな。さて、せっかくやから興福寺を通ってくで」

 短い坂を上ると、五重塔の巨大な姿が見えてくる。
 その足元にはさっそく何頭かの鹿。
 八年間の工事を経て先月公開されたばかりの中金堂、有名な阿修羅像などを見てから、寺を出て東へ向かう。
 道端の鹿も増えてきて、つぶらな目を向けてきている。



「ううっ、めっちゃ抱き着きたいで!」
「やめろ。天然記念物や」
「やっぱり京都や大阪と比べると、奈良はまったりしてるよねえ」

 松林を横に見ながら、平和な雰囲気に花歩がしみじみ言う。
 こんな平和なところには、現実感も持てないはずの姫水だが……
 寝そべっている鹿を見て、かすかに胸に温かいものを感じた。

(やっぱり、少しずつ良くなってはきてるのかな)
(勇魚ちゃんだけじゃない、花歩ちゃんも一緒だものね。……岸部先輩はともかく)

 考えながら、とりあえずは隣を歩く友達に注意する。

「花歩ちゃん。足元、鹿の糞に気を付けてね」
「うわっとっとっ!」


 しばらく歩いて奈良公園へ到着した。
 少し色づき始めた紅葉の下、どちらを向いても鹿だらけ。
 いよいよ鹿せんべいを買おうとする三人に、晴が声をかける。

「私は東大寺ミュージアムに行ってくる」
「えー! 晴先輩も鹿と遊びましょうよ!」
「鹿の方が嫌がるやろ」

 寂しそうに見送る勇魚をまあまあと慰めてから、花歩はせんべいの包みを解く。

「ほーら、おやつやでー」

 さっそく三、四頭の鹿たちが、わらわらと集まってきた。
 じらすと怒ると聞いているので、素直に差し出すと食いついてくる。

「はーい、慌てない慌てない。
 あんたはさっき食べたやろ。次はそっちの子!」
「花歩ちゃん、なかなか上手ね」
「小学生の頃はびびったけど、さすがに高校生になったらね。はい、これでおしま……」
「うわーー!!」

 悲鳴に振り向くと、勇魚の小さい体が鹿に群がられてて、慌てて助け出した。

 鹿と写真を撮っていると、しばらくして晴が戻ってきた。
 ベンチに後輩たちを呼び寄せて、おもむろに口を開く。

「さて――少し姫水について話がある」

 一年生たちに緊張が走る。
 どうも晴にしては親切すぎると思ってた。やはり他に目的があったのだ。
 糞が落ちてないのを確認してから、四人ともベンチに座る。

「小都子から聞いたが、多少は病状が改善してきたんやって?」
「そんな気がしているだけで、お医者様に言われたわけではないんですけど。
 でも先ほども少しだけ、鹿さんを現実に感じました」
「ならば今のうちに確認しておきたい。治った後のことについて。
 その二人と離れてまで、ほんまに東京へ戻るつもりか?」
「え――」

 姫水の視線が、思わず勇魚と花歩の上を走る。
 二人と離れたいわけではないけど、四月に戻らないと女優は続けられない……。

「ま、まだ分かりません。完全に治ったとき、もし戻りたい気持ちがあったら」
「そうやって可能性をキープしてるのが、思えば最初から不思議やった。
 親に言われて仕方なくやってただけの女優業やろ。
 勇魚と毎日会えなくなる。こうして遊びに来ることも、一緒に修学旅行へ行くこともできない。
 それと天秤にかけるほどの価値があるのか」
「わ、私は……」
「お前、ほんまは言うほど勇魚のこと好きでもないの?」
「はあああああ!?」
「ひ、姫ちゃん落ち着いて!」
「姫水ちゃん、どうどう!」

 ぶち切れて立ち上がった姫水は、二人になだめられながらも息を乱す。
 晴は涼しい顔を微動だにさせない。
 どうしてこの先輩は、こう的確に人の嫌がることを言ってくるのだろう。

「私がこんなことを言うのは、当然ながらお前に抜けられると来年のWestaが厳しいからやけど」
「九年……九年間です」

 平然と返す晴に、声は姫水の意図なく口から絞り出された。

「確かに母に無理矢理やらされたことですけど、それでも九年間を費やしてきたんです。
 毎日毎日、レッスンと仕事に打ち込んできた、あの膨大な時間を……。
 それを全て無駄にしろっていうんですか!?」
「立派なことのように聞こえるが、単なるサンクコスト効果やな」
「―――」
「サンクコスト効果?」
「なんや綺麗な響きですね!」

 理解できず呑気なことを言っている二人に、晴は実態を解説する。

「響きは綺麗やけど、中身はアホやで。
 要はパチンコ屋で散々スった奴が、今さら後には引けないと、さらにつぎ込む状態のことや」
「え……」

 顔が引きつる二人の前で、姫水は倒れるようにベンチに座り込んだ。
 鹿が不思議そうに眺めている。

「わ、私は駄目なギャンブラーと一緒だと……」
「あるいは昔の大阪の無能な役人とかな。損切りできなかったせいで、どれだけ損害を拡大させたことか」
「………」
「話はそれだけや。東大寺に行くで」

 勝手に会話を終えて歩き出す先輩を、三人は慌てて追いかける。
 巨大な南大門を、幼なじみがうつむき気味にくぐる。
 その光景に、勇魚は正直に声をかけた。

「姫ちゃん。うちだってもちろん、姫ちゃんと三年間を過ごしたい。
 七年ぶりに会えたのに……一年でまたお別れするのは、ほんまは寂しい」
「勇魚ちゃん……」
「でも、うちらは離れてたって友達や!
 それに、うちは卒業したら東京の看護学校に行く。たった二年の辛抱やで。
 東大寺って千年以上経ってるんやろ? 二年でわあわあ言うてたら、大仏さんに笑われるで!」
「勇魚ちゃん……勇魚ちゃん……」

 子供に戻ったように勇魚にすがりつく姫水に、花歩は少し寂しく思いながらも、表には出さずに頭をかいた。

「うーん、勇魚ちゃんも東京行っちゃうのかあ。私はどうしたもんやろな」
「花ちゃんも、どこにいたって友達やで!」
「あはは、そうやね。私はまだ、将来の夢も見つからへんけど。
 でも友達と離れたくないからって、未来の可能性を捨てるのは違うと思うなあ」
「花歩ちゃん……」

 そして前を歩く晴に聞こえないよう、小声で姫水に話す。

「晴先輩も、病気が治る前にこんな話しなくてもええのにね」
「……覚悟をしておけ、ということなのでしょうね」

 拝観料を払って回廊を抜けると、巨大な大仏殿が見えてきた。
 外国人観光客が多く行き交う中、一歩一歩足を進め……
 建物に入って見上げると、大仏の優しい顔がある。

毘盧遮那びるしゃな仏……)

 聖武天皇に建てられてから、幾多の戦乱を経て、時に雨ざらしになり、この時代にも座り続ける御仏。
 その眼には、今の姫水はどう映るのだろうか……。


「隣の仏像も見事なものね」
「あっちと比べると小さいだけで、こっちも大仏って言っていいくらいだよねえ」

 三人で虚空蔵菩薩を見上げていると、晴がさっさと先に行くのに勇魚が気づく。
 既に何度も来ているのだろう。
 慌てて追いかけ、大仏の背後をぐるりと回ると、何やら人だかりができている。
 太い柱の足元から歓声が聞こえてきた。

「あれ、何でしたっけ」
「あの柱に開いてる穴が、大仏の鼻の穴と同じ大きさや。くぐるとご利益があると言われている」
「そうや、思い出しました! 前に来たときは時間がなかったんや。
 うちなら小さいし、くぐれますよね!」
「かもな」

 勇魚はうきうきして列に並ぶ。
 自分の番が回ってきて、さあくぐろうとしゃがんだ後輩に、晴の口が仕方なさそうに動いた。

「おい、勇魚――」

 が、それ以上の声が発せられることはなかった。
 視界の隅に、慌てて追いついてきた二人が見えたからだ。

「い、勇魚ちゃん、何してるんや!」
「今日スカート短いでしょう!?」
「っ!!」

 弾かれたように立ち上がり、勇魚はスカートの後ろを押さえる。
 赤くなって列を外れると、後ろにいた外国人の子供が聞いてきた。

「Don't do it?」
「ど、どうぞ、プリーズ……」

 茹でダコになって戻ってきた幼なじみに、姫水は隣の先輩をキッとにらみつける。

「岸部先輩、気づいてましたよね! 止めてください!」
「なんや。海外の皆様に、ジャパニーズパンツでも披露したいのかと」
「そんなわけないでしょう!?」
「………」
「だ、大丈夫や勇魚ちゃん。誰にも見られてへんから、ねっ!」





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