この作品は「CLANNAD」(c)Keyの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
一ノ瀬ことみシナリオに関するネタバレを含みます。

KEYSTONE主催の「二期 第5回くらなどSS祭り!お前にレインボー!(テーマ:もう一度)」に出展したものです。

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 奇跡のような再会は
 その実、何の意味もなく過ぎ去った。








二乗する”もう一度”










「…ただいま」
 都会の煙たい空気を抜けて、小さなアパートへ帰り着く。
 暗い部屋。急いで電気をつけて、ベッドの上の同居人、クマのぬいぐるみの前に屈んだ。
 ひょこひょことその腕を動かしながら、なるべく口を動かさず発音。
『おかえり、ことみちゃん』
「うん、ただいまなの」
『今日も疲れちゃった?』
「そんなことないの。元気なの」
 別に腹話術師になりたいわけではないが、こうでもしていないと押し潰されてしまいそう。
 都会の大学へ来て一年。今更ながら、あの町を離れたことを後悔する。
 それはあのまま家にしがみついていたところで、いずれ遺産も尽きて飢え死にするのが関の山だったろうけど。
 この時間が何十年も続くことに比べたら、その方がましとさえ思ってしまうのだ。



   奇跡のような再会だった。
   長い時間を経て、あの男の子が戻ってきてくれた。二人きりの図書室で、夢みたいな現実に。
   残念ながらお弁当は食べてくれなかったけど、とにかくもう一度会えたのだ。
   それでもまだ信じられなくて、またいなくなってしまうのではと思って、躊躇いがちに言う。
  「また、明日」
   けれど杞憂。次の日にもちゃんと会えた。偶然に廊下で出くわすなんて、やはり神様が会わせてくれたのだ。
   残念ながら大事な用があるそうだけど、前日より少し自信を持てて、微笑みながらことみは言った。
  「また、明日」

   それで終わり。
   毎日毎日、わくわくしながら図書室で待つことみの頭上を、日付だけが通り過ぎていった。



 高校の頃と違って、大学では授業に出ないわけにはいかない。
 自然と、たくさんの他人が目に触れる。耳に入ってくる。他人の存在が自分の姿を再認させる。
「今日のコンパ行くよね?」
「行く行くー」
 講義が終わり、学生たちの喧噪に包まれながら、ことみは少し身を固くする。
 私にも声をかけてくれないかな、という気持ちと、声をかけられたらどうしよう、という気持ちが半分ずつ。
 一人は寂しい。でも、たとえ呼ばれたところで中には馴染めないだろうことも、今のことみは知っている。
 どちらにせよ無用な心配で、ことみに声をかける者などいなかった。

 高校の頃は良かった。時間が止まった家で、何も感じないまま過ごせたから。
 今や世界は忙しく動き、自分一人が取り残される。
「ただいま、くまさん」
『お帰り、ことみちゃん』
 ぬいぐるみとしか話せない日々を重ねて。



   彼を待ちながら約一ヶ月経った、高校最後の誕生日のこと。
   僅かな期待を持って、お誕生会の準備をしようと帰宅する寸前、放送で呼び出された。
   訪ねてきたのは後見人の紳士。警戒気味のことみに、彼は仕方なさそうに頭を振ると、一つの旅行鞄を差し出した。
   一目見て、両親のものだと分かった。
   紳士が何か言っていたのも上の空で、ことみは鞄を抱えて一人で家に帰り、一人で中を見て、そして一人で泣いた。
   両親の想いは嬉しかった。
   遅れた誕生日プレゼントと、最後の手紙にも胸を締めつけられた。
   けれどそれ以上に、もう二人は本当に戻ってこないのだと、この遺産を残して、二度と会えない場所に行ってしまったのだと。
   そう思い知らされてしまった。足下が崩れていくような感覚に、ことみはぬいぐるみを抱きしめながら震え続ける。
  (朋也くん、早く来て…)
   どれだけ祈っても、あの時と同じく彼は姿を見せなかった。



 休日といっても遊ぶ相手はいないし、買い物に行く以外は部屋に引きこもっていた。
 することといえば読書と、料理に凝ることくらい。手をかけた料理を二人分に分ける。
「今日もご飯は半分こ」
 そしてぬいぐるみの両手を取って、ぴたりと前で合わせさせる。
『いただきましょう』
「いただきます」
『でも僕は食べられないんだ。残念』
「残念なの」
 余った半分は冷蔵庫に入れて、明日のお弁当にする。
 それ自体は前の家にいた頃と変わらない。
 違うのは、先に希望がないことくらい。



   卒業までの三百日と少し、日々摩耗していく期待を必死で繋ぎ止めながら、ことみは図書室で一人過ごした。
   怖くて、あまり廊下は歩かないようにした。もし誰か、知らない女の子と仲良く歩いていたらと、一瞬浮かんだ考えが怖くて。
   時は過ぎ、進路を決める時期になる。周りは皆、都会の大学へ行けといった。
   ことみは涙目になってなかなか首を縦に振らなかったが、結局は言われるままに受験した。
   摩耗していたし、他に道がないのを自覚していたこともある。
   それでも、彼が会いに来てくれさえすれば。そうすれば大学なんか蹴って、この町に留まって。
   もしかして二人で一緒にあの家に住めないかと、僅かに残った希望を胸に抱きながら――
   残る数週間を、数日を、最後の日を図書室で過ごした。

   卒業式にも出ないで、見回りの目からも隠れて、夜になっても図書室にいた。一人で膝を抱えながらずっと考え続ける。
  (あんなに日数があったのに、どうして来てくれなかったの…)
   翌朝、抜け殻のようになって帰宅したことみは、数日後に町を出た。





「やあ、ことみくん」
 挨拶する紳士に、ことみはぺこりと頭を下げる。
 話があるということで呼び出され、大学近くの喫茶店に入った。
 周囲では学生たちが楽しそうに会話していて、その声がちくちくと胸に刺さる。
「あー…。友達はできたかい?」
「……」
「い、いや! そう急ぐことはないだろうしね。うん」
 気まずい。友達を見つけなさいと言った父は、今のことみを見たらどう思うだろう。
『焦らずにゆっくりと大人になりなさい』
 手紙にはそうもあったけれど、さすがに二十歳間近の娘に言ってくれるとは思えなかった。
「それで、今日の話なんだが…」
 紳士は咳払いして、運ばれてきた黒い液体に目線を落とす。
「私は、そろそろ君の後見人を降りることになる」
「あ…」
 そういえば、この人の立場は未成年後見人だ。ことみが成人すればその役目は終わる。
「そうだったの…」
「うん。そうなんだ」
 沈黙。周りの笑い声が痛い。紳士はコーヒーをすすって、カップを置いた。
「今までは役目上、こうして会わざるを得なかったが、これからはその必要もなくなる」
「……」
「…やはり、もう会いに来ない方がいいのだろうね」
「え…」
「私のしたことは、許しては貰えないのだろうね…」
(――!)

 違う、違います。
 そう言いたいのに、うまく言葉が出てこない。
 許すも何も、元々この人に何の責任もない。『わるもの』だなんて、ことみが勝手に付けたレッテルだ。今考えれば失礼極まりない。
 なのに、その気持ちをうまく筋道立てて話せない。大学へ来て思い知らされた。他人と意思を疎通する能力において、自分はどこか欠けているのだ。
「あ、あのっ…」
「うん?」
「あの…」
 かすれそうな声で、ようやく口に出せたのはそんなことだった。
「は…話を、聞いてくれますか」


 それはただ聞いてほしかったのかもしれないし、自分にはまだおじさんが必要ですと遠回しに言いたかったのかもしれない。
「なるほど…」
 何にせよいきなりの相談を、紳士は手を組みながら真剣に聞いてくれた。
「ことみくんは、その男の子が思い出してくれなかったのが悲しいんだね?」
 こくん、と頷くことみの前で、紅茶はもう冷めてしまっている。
「また会えたと思ったのに、何の意味もなかったの」
「ふむ…」
「こんなことなら、最初から再会しない方が良かったの…」
「それは寂しくないかね。いや、私は残念ながらそういう甘酸っぱい経験はないが…」
 紳士は困ったように、俯くことみの前でコーヒーをかき混ぜた。
「今は、会いたくないのかい?」
「…そんなことないけど、でも、もう無理なの。何百日も待っても、会いに来てくれなかったんだから」
 もう期待する力は残っていない。
 最初から再会なんてしなければ、ずっと待ち続けていられたのに。
「いや、しかしね」
 ことみは顔を上げる。紳士は眼鏡の奥で、不思議そうな顔をしていた。
「それなら、君の方から会いに行けばいいんじゃないかね?」


「ことみくんっ!?」
 逃げるように喫茶店を飛び出していた。
 俯いたまま、わき目もふらずにアパートへ走る。
 そんな、あっさりと言うなんて。
 いや、当然言われることかもしれないけど。ずっと考えないようにしていたのに。
 階段を登り、震える手で鍵を開ける。寂しい部屋。ぬいぐるみしかいない。
「くまさん…。どうしよう、くまさん…」
 どうしようも何もなく、同居人はプラスチックの瞳で、じっとことみを見つめていた。
「だ…だって、幸運の女神は前髪しかないっていうから」
 狼狽して、ぬいぐるみの手を握る。
「一度通り過ぎた後ではつかまえることはできないの。ね、くまさん?」
 うん。そうだね。仕方ないね。そう言わせようとして、かすれて声が出ないことみの耳に…
 勝手に声が流れ込んできた。
『一度も何も、君は最初から何もしてないじゃないか』
 黒い瞳が、ことみの姿を映している。
 血の気を失ったその顔に、ぬいぐるみは淡々と話し続ける。
『来てくれないなら、君の方から会いに行けば良かったんだ』
「や…」
『彼の教室を探して、”子供のころ一緒に遊んだ一ノ瀬ことみです。覚えてる?”って、そう言うだけでよかったんだ』
(やめて)
『その機会は、いくらでもあったはずなんだ』
(やめて)
 手を離して、ことみは耳を塞ぐ。
 なのに声は響いてくる。彼からじゃない。頭の中のどこかで。
『それに君は目を背けて、早く来てくれないかなぁって、待っているだけで』
(……)
『昔も今も、自分からは何もしようとしないんだね』
「やめてっ…」

 小さく悲鳴を上げて、ことみはぬいぐるみを叩き落としていた。
「あ…」
 力なく床に倒れた彼を、慌てて抱き上げる。
「ご、ごめんね。ごめんなさい…」
 ベッドに座らせ、あらためて正面から見る。
 彼には言う資格があるのだ。
 ずっと長い距離、長い時間を、ことみに会うために旅してきたのだから。その道程を思えば、ことみとの距離なんて、呆れるくらいの短さしかない。
「…でも、私は意気地なしなの」
『じゃあ、ちょっとずつでも勇気をためていこうよ』
「勇気を?」
『ことみちゃんは人よりゆっくりだから、時間はかかるかもしれないけど。でも、目標があれば歩いていけるよね?』
 お父さんとお母さんの声にも聞こえた。遥か過去に消えてしまった両親の声。
 返事ができず、ことみはぬいぐるみを抱きしめる。
 自分から出ていくのは怖い。会えなかったら? 会えても思い出してくれなかったら? 思い出しても今更何しに、って言われたら?
(でも)
 くまさんが見てる。両親もどこかで。見ていて、がっかりしているかもしれない。
 こんな自分なんて見せられる?
「…おとといは兎を見たの」
 呟きながら、ことみはぬいぐるみから手を離した。
「昨日は鹿。今日は…」
(あなたに、会える?)
 窓の外に視線を向ける。
 図書室にいた頃は、外を見た記憶なんてなかった。





 夏休み。
 ようやく、本当にようやく、心の準備ができた。
 きゅっと拳を握って立ち上がる。バッグを肩に掛け、麦わら帽子をかぶる。
 もう後見人でなくなった後見人さんも、同行してくれると言ってくれた。迷惑をかけ通しだけど、やっぱり一緒なら心強い。
 学校に問い合わせて住所も分かったし、もう後には引けない。
 目の高さに、くまさんを抱き上げる。
『思い出してくれないかもしれないよ?』
「それも含めて心の準備なの」
『ことみちゃんの想像とは違う朋也くんになってるかもしれないよ?』
「それも含めてなの。それに、そのことはお互い様なの」
 そうして、少し鏡を気にしてから。
「朋也くん、今の私を見てがっかりするかもしれないの…」
『大丈夫、ことみちゃんは可愛いよっ。自信を持つんだっ』
「とっても照れてしまうの」
「………」
 硬直して、ゆっくりと後ろを向くと、紳士が気まずそうに視線を漂わせていた。
「いや、ノックしても返事がなかったからね…。何やらブツブツと怪しげな声が聞こえたしね…」
「………」
「み、見ていない! 何も見ていないから! ね!?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?!!」
「お、落ち着きたまえことみくんーっ!!」

 トマトみたいになって押入に隠れたことみを紳士が引っ張り出す間に、乗るはずだった電車は出てしまった。
「ごめんなさいなの…」
「いやいや、急ぐ旅ではないから。しかし彼も一緒なんだね」
「はいなの」
 クマのぬいぐるみは、紳士とも旧知の仲だ。手を動かして握手してもらう。
 次の電車は鈍行で、一行は景色を見ながらボックス席で揺られていく。
「しかし何だね。こんな再会だと、ロマンスがあるかもしれないね」
「ううん」
 帽子を膝に置いて、ことみはゆっくり頭を振る。
「そういうのは期待してないの。それに、もうお嫁さんがいるかもしれないの」
「それはいくら何でも早いだろう。いや、しかし…今時の若い人はそうなのかな?」
 首をひねる紳士に、ことみは微笑む。もう少女ではなくて、さすがに無邪気な恋を無条件で信じる事もない。
 でも、会えるだけでいい。
 少し話せるだけで。それだけで前に進めるから。
「お弁当は、半分こ」
 バッグからお弁当箱を取り出して、紙の皿で二つに分ける。
「私にかい?」
「はい。はしっこの方がおいしいの」
「なるほど。それは旨味の成分が凝縮されているということだろうね」
「けれど本来は分子運動により均等になるはずなの」
「なぜ差ができるのか。全体をおいしくする方法はないのか?」
「興味は尽きないの」
 そんな話をしながら、ゆっくりした旅は続いた。

 一年半ぶりに訪れた町は、やはり前とは変わっていて、少し寂しい。
(でも面積で考えれば、変わっていない箇所が大部分のはずなの)
 そう考えて、それなら大したことではない気になる。
 夏だけど、風が吹いていて過ごしやすい。彼のところへ行く前に、かつての生家へ寄った。
 紳士の尽力で、家はことみの名義のまま人に貸していた。
 家は卒業した時の姿で、そして庭は、かつてのように綺麗になっている。
(…何だか不思議)
 色んな時間が入り組んでる。ヴァイオリンを弾く女の子はいなかったけど、少し心が軽くなって、ことみは調べた住所のパン屋に向かう。
 その店の姿が見えてきたところで、ことみの足が止まった。

(――あ)
 パン屋の向かいの公園に、彼はいた。
 優しそうな女の人と、木陰の下で何か話している。
「…あの人かい?」
 紳士は困ったように腕を組んだ。
「こ、恋人…なんだろうかね、やっぱり」
「それに、赤ちゃんもいるみたいなの」
「なにっ!?」
「今、おなかを撫でてたの」
「…何ともはや」
 カルチャーショックを受けているらしい彼に、ことみはくすくすと笑ってしまう。
 現実が想像よりさらに上だと、かえって可笑しくなってしまうらしい。
「それじゃ…行ってくるの」
「ああ」
「あ、あの…」
 歩き出す前に。大事なこと、隣を向いて、深く頭を下げる。
「あ、ありがとうございました…なの」
 そのあたりで限界。真っ赤になってぬいぐるみで顔を隠して、そのクマが手を動かして喋り出す。
『おじさん!』
「う、うんっ!?」
『今までごめんなさい。色々と面倒を見てくれたのに、ろくにお礼も言わない子供で、さぞかし腹も立ったよね』
「いや…そんなことはないよ」
『でも、甘えついでにお願い。あと少しだけ時間をちょうだい。
 もう少ししたら、きっとこの子も…自分の口で、ちゃんと気持ちを伝えられるようになるから』
 そしておずおずと、ぬいぐるみを下ろして現れたことみの顔を、紳士は眼鏡越しに優しく見つめる。
「ことみくん。確かに私には、一ノ瀬夫妻への恩義もある」
 言いながら、ことみの頭に手を添える。
「でもね、今は本当に、私自身の心で、君の幸せを願っているよ」
 そしてぬいぐるみを引き取って、最後に背中を押してくれた。
「さあ、行っておいで。もう一度の再会を」

 公園の木々の下を、ことみは彼に向けて歩いていく。
 覚えてないなら、思い出してくれるまで説明しよう。
 あの女の人が許してくれるなら、これからも会いに来よう。赤ちゃんの顔を見せてもらおう。
 ことみは駆け出す。生きてるんだから。同じ地上にいる限り、少しの勇気さえあれば、再会できない相手なんてない。もう一度でも、二度でも、何度でも。
 いきなり現れたことみに、二人は目を丸くする。
 息を切らせて立ち止まり、顔を上げて、精一杯の笑顔を見せた。出会った頃とは違う、今の笑顔だ。
「朋也くん。久しぶり――」







<END>




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