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この作品はPS版「シスター・プリンセス」(c)メディアワークス の世界及びキャラクターを借りて創作されています。







S. Education (前)






「咲耶、お客様よー」
 休日の朝だというのに階下からそんな声。さてはお兄様ねっ? …なーんて思ったんだけど、玄関に行ってみると亞里亞ちゃんのところのメイドさんだった。
「朝から申し訳ありません。実は亞里亞さまのことでご相談が…」
「亞里亞ちゃんの?」
「はい、もう亞里亞さまにはほとほと困り果てております。勉強はしない、好き嫌いは多い、ちょっと厳しくするとすぐ泣き出す…。こんなことをお願いできた筋ではないのですが、私の指導力ではなんともしがたく、なにとぞ姉上様の力をお借りしたいのです」
「そ、そうなんですか…」
 亞里亞ちゃんか…。考えてみれば私たちって、あの子のことをまだほとんど知らないのよね。あのお屋敷の中ではそんなことになってたのね。
 ふふっ、それにしても私を頼ってくるなんて、やっぱり大人から見ても私は一人前の女性として映るのかしら?
「実は兄上様にもお願いしたのですが、今はお忙しいとのことで」
「なにぃ!? お兄様に他の妹を近づけないでよ、このヘボメイドっ!」
「‥‥‥」
「あ゛。あ、あははは、そういうことでしたら私におまかせくださいな! 妹の面倒を見るのは慣れてますのっ」
 そんなわけで私はじいやさんの…メイドさんは亞里亞ちゃんからそう呼ばれているらしいの…車に揺られて、亞里亞ちゃんの家へと向かいました。
 いつ見てもすごいお屋敷よね。パーティ会場としては最適なんだけど、浮世離れしすぎていて暮らすにはちょっとね…。でもお兄様と二人きりなら住んでもいいかも。これだけ広ければ他人の邪魔も入らないものっ…なんてね、ふふっ。
「姉上様?」
「あ、な、なんでもありませんっ」
 ごまかし笑いを浮かべながら邸内に入る。ここに私の妹が住んでるなんて、なんだか変な感じがしちゃうわ。
 じいやさんは長い廊下を歩いて、豪華なマホガニー製の扉を軽くノックした。
「亞里亞さま、姉上様が遊びに来てくださいましたよ」
 重い音を立てて扉が開く。その向こうには青いドレスに身を包んだ小さな女の子が、豪華な調度品に囲まれ、絨毯の上で絵本を読んでいたの。
「ハァイ、亞里亞ちゃん。元気にしてた? 優しいお姉様が遊びにきてあげたわよ」
 なんて気さくに挨拶をする私。亞里亞ちゃんはこちらを向くと……あからさまにがっかりした顔をした。
「…兄やじゃないの……くすん…」
 ぐっ…。
 い、いえ、我慢我慢。それだけお兄様が魅力的だってことよね!
「それじゃじいやさん。亞里亞ちゃんの面倒は私が見ますから、ゆっくり休んでくださいね♪」
「そ、そうですか? それでは…」
 なんだか不安そうな顔を残して、じいやさんは部屋の外へと出ていった。
 二人きりになったところで、にっこりと微笑みかける私。亞里亞ちゃんはこちらを見たまま、ぼーっとその場に座っている。
「ふふっ、亞里亞ちゃん。あんまりじいやさんを困らせちゃダメよ。そんなことじゃ私みたいな素敵なレディになれないわよ?」
「……だってじいや、すぐ意地悪するの……くすんくすん」
「それは意地悪じゃなくて愛よっ! 一見厳しいように見えて、そこには深い愛情が隠れているの。そう、あれは私がまだ小さかった頃お兄様の…って、ぎゃーーっ!」
 亞里亞ちゃんは手を伸ばしたかと思うと、何を思ったのか私の髪を全体重をかけて引っ張ったの!
「姉やの髪、お馬さんのしっぽみたいですー…」
「私は七○留美かっ!?」
「くすんくすん……姉やが怒った……姉やがいじめる……くすんくすん……」
 こ、こんガキャぁ…。って、いけないわっ私がそんなこと思っちゃ。私は優しいお姉様なんですもの。スマイルスマイル。
「ふ、ふふふ。それじゃ亞里亞ちゃん、お勉強でもしましょうか? 分からないところはお姉様が見てあげるから」
「亞里亞、勉強イヤです……くすん」
「そ、それならスポーツなんてどうかしらっ? こう見えても運動も得意なのよ」
「疲れるからイヤです……くすんくすん」
「ならトランプでも…」
「めんどくさいからイヤです……」
「…じゃあ何がしたいのよ」
 ぞんざいになってきた口調でそう聞くと、亞里亞ちゃんは上目遣いに私を見ながらこう言ったの。
「…姉やが、お馬さんになるの…」
「は?」
「姉やがお馬さんになって、亞里亞が上に乗るの……。姉やのお馬さんがぱっかぱっか走るの……。とぉっても、楽しいですぅ……」
「‥‥‥」
 私は無言で両手を伸ばすと、亞里亞ちゃんの口に親指を入れて思い切り横に広げた。
「ふぇふぇふゃっ!?」
「馬になれ…ですって?」
「ふぁふぉ…ふぁふぉ…」
「容姿端麗成績優秀、学園のアイドルたるこのクイーン咲耶ちゃんに向かって…こともあろうに馬・に・な・れ・ですってぇぇ〜〜?」
「ふぇ…ふぇぇぇぇーーーん!!」
 邸内に響く大音量の泣き声。すぐさまじいやさんが飛んできて、状況を見るなり大声を上げる。
「何をしているんです! 亞里亞さまを泣かせましたわね!?」
「だってこの子、私に馬になれなんて言うのよ!?」
「う…、い、いやお姉ちゃんなんだからそのへんは寛大な心で」
「いくらお姉ちゃんだって限度があるわよっ! サイテー! きーーっ!!」
「き、今日はこのへんでお開きにしましょう! 誰かー! 姉上様がお帰りですよー!」
 気がつくと私は丁重に追い出され、門の外で立ちつくしていたの…。
 はぁ、やっちゃったわ…。でも私は悪くないわよっ。いくら妹だってやっていいことと悪いことがあるじゃない。ああ、この心の傷を誰に癒してもらえばいいのかしら…。
 考えるまでもなく、私の足はお兄様の家へ向いていたわ。

「やあ咲耶、どうしたんだい…ってうわぁ!」
「お兄様っ! 聞いてお兄様。私は精一杯やったのよ! なのに亞里亞ちゃんたらちっとも言うことを聞いてくれないの。それとも私が姉として未熟なの!? 教えてお兄様!」
「なんだかわからんが落ち着けっ!」
 なだめられつつお兄様の部屋に上がって、涙ながらに今日のことを話す私。お兄様は話を聞き終わると、慰めるように私の頭を撫でてくれた。ああ、災い転じて福ねっ…。
「そうだったのか…。ごめんね、僕が何とかしなくちゃいけないのに」
「そんなっ! お兄様だって忙しいんですもの、妹全員の面倒を見るなんて無理よ。見るなら私だけにして
「は、ははは…。まあでも、テストが終わったら行ってみようと思ってたんだけどね」
「あ…。し、試験勉強中だったのね」
 言われてみれば机の上に参考書が広げられてるし…。ああでもそんな中でも私の相談に乗ってくれるなんて、お兄様の深い愛を感じるわっ。
「これも亞里亞のためだものな」
「誰のためですって? お兄様…」
「くっ首を絞めるなっ! わわわかった、咲耶のためだっ!」
「うふっ、最初からそう言えばいいのに。お兄様の照れ屋さん♪」
 ぜえはあと息をしているお兄様に、私は自分の胸をぽんと叩いた。
「ということで、亞里亞ちゃんのことは私に任せてね。お兄様は私たちの未来のことだけ考えていればい・い・の」
「‥‥‥。まあ頼むけど、他のみんなにも手伝ってもらった方が良くないかな?」
「あら、私だけじゃ頼りないの?」
「そうじゃないけど、咲耶はいつも一人で背負い込みすぎだろ?」
「え…」
 思わぬ一言に、つい言葉に詰まる私…。
「咲耶は僕にはもったいないくらいよくできた妹だけど…。でも普通の女の子なんだから、あんまり無理しちゃだめだよ」
「お、お兄様…」
 やだ、涙が滲んできちゃった…。いつも完璧みたいに思われてる私だけど…昔からお兄様だけは、私のことをちゃんと理解してくれるの。もう、だからこんなに好きになっちゃったのよ…?
「うん、お兄様…。それじゃ千影たちにも相談してみるね」
「ああ。僕も試験が終わったら手伝うよ」
「ふふっ、心配しないで。お兄様はお勉強を頑張ってね。それじゃお兄様、バーイ
 来たときとはうって変わって明るい気分で、私はお兄様の家を後にしました。

 さーてとっ。引き受けたからにはあのわがまま妹を、姉としてしっかり教育してあげなくちゃ。
 誰を巻き込…もとい、手伝ってもらおうかしら。
 考えながら歩いていた私の前に、小さな人影が立ちふさがる。
「フフフ、これは四葉の出番デスネ! ベールに包まれた亞里亞ちゃんの生活をぜーんぶチェキしちゃうわよっ!」
「やっぱり頼むなら年長組よね。千影、鈴凛、春歌の誰かかしら…」
「うわっ完全無視! しょせん四葉は外様というわけデスネー! いいデスいいデス、兄チャマに慰めてもらうデス…」
「ちょっと待てコラ」
 歩き去ろうとする四葉ちゃんの首根っこをつかむと、後ろから締め上げる私。
「ふふふ〜、四葉ちゃん。私を差し置いてお兄様に何をする気かしら〜?」
「ぐえっ、やっぱり咲耶ちゃんは四葉が嫌いなのネ。だからゲームでも『いつも脳天気なんて四葉ちゃんみたいじゃない。絶体絶命だわ!』とか何気にヒドいことを言ったんデスー!」
「あなただって『ついでに咲耶ちゃん』だの『オマケの咲耶ちゃん』だの言いたい放題だったでしょっ! ああもう、わかったわよ。それじゃ亞里亞ちゃんのことを調べてきてくれる?」
「え…」
 一瞬きょとんとして、いきなり鼻をすすり上げる四葉ちゃん。
「ううっ、探偵稼業十数年、初めてまともに依頼を受けマシタ〜!」
「ハイハイ、ほどほどにお願いね」
「チェキっとおまかせ! だいたいこの不況下であんな豪邸自体が不思議でシタ。きっと機密費を流用しているのよ! どうりで亞里亞ちゃんが馬好きなわけデス!」
「時事ネタはすぐ風化するわよ」
「さっそく調査開始ねっ! チェキチェキ〜!」
 四葉ちゃんは土煙を上げて、地平線の向こうへ消えていった。あの子もなんだかよくわかんないわね…。
 で、誰に押しつ…もとい、協力してもらおうかしら?

→ 千影
→ 鈴凛
→ 春歌




 翌日の朝、私は千影と一緒に亞里亞ちゃんの家へ向かっていました。
「あなたも私と同じで最年長なんだから、少しは妹の面倒も見なきゃダメよ」
「フッ、そういう役は君に任せるよ……。しかし亞里亞くんも、兄くんにしか懐かないとはね……」
「ほんとよね。はぁ…。私がいくら頑張っても、お兄様にはかなわないのかしら…」
「単に兄くんが優柔不断で甘いだけじゃないのかい……。まあ、おかげでこちらは実験がしやすいがね……フフフ……」
「‥‥‥」
 こいつを何とかしないと私とお兄様の未来どころか、お兄様の人生自体が危ういわね…。
 とはいえ今は亞里亞ちゃんが先。じいやさんに案内され、再び亞里亞ちゃんのお部屋をノックした。
「ハーイ、亞里亞ちゃんっ。昨日はごめんねっ」
「くすんくすん……また姉やが亞里亞をいじめにきました……」
 ああっ憎たらしいっ…。ここは千影に押しつけようっと。
 千影の背中を押して亞里亞ちゃんの前に出す。
「ほら、なんとか言ってあげてよ」
「亞里亞くん……。今日は面白いものを持ってきたよ……」
「くすんくすん……面白いものですの?」
 泣きながらも興味を引かれたように、ちょっと顔を上げる亞里亞ちゃん。
「ああ、フランス製のギロチンを手に入れてね……君にはぴったりだろう……? せっかくだから切れ味を試そうかと……痛っ」
 後ろからひっぱたかれて、千影は恨みがましそうな目を私に向けた。
「面白く……なかったかい……?」
「何を考えてるのよ何をっ! ご、ごめんね亞里亞ちゃん、ほんの冗談よっ。ほらほら、ギロチンなんてどこにも持ってないじゃない」
「そう思うかい……? 私が一声かければ、異次元から刃が落ちてくるよ……」
「もういい喋るなっ! あ、ち、ちょっと亞里亞ちゃん逃げないで〜!」
 亞里亞ちゃんは真っ青になって、ソファーの陰でぶるぶる震えてる。まあ、そりゃそうよね…。
「えうっ……。姉やたちは亞里亞の首をちょん切りに来たんですの……」
「違うってば〜! もう、千影、亞里亞ちゃんが怖がっちゃったじゃない! 罰として何か言うことをきいてあげなさい」
「ほう……何が望みだい……?」
「ほ、ほら亞里亞ちゃんっ。千影お姉様が何でもお願いを聞いてくれるって!」
 必死でご機嫌を取る私に、亞里亞ちゃんはちょっと安心して千影の前に来た。
「それじゃ、千影姉や……、お馬さんになってください……」
 蹴り!
 …蹴っ飛ばされた亞里亞ちゃんは、床に転がって呆然としていた。
「千影ぇぇぇぇぇっ!!」
「私は……刃向かう者には、容赦しないよ……?」
 すぐさま耳をつんざく泣き声の嵐。じいやさんが飛んで………こないわね。
「ちょっと廊下に魔界空間を作ったから……しばらく誰も来ないよ……」
「わけのわかんないもの作らないでよっ!」
「くすんくすん……。どうして亞里亞をいじめるんですの、亞里亞はなんにも悪いことしてないのに……」
「泣けば自分中心に世の中が回ると思っている愚物には……しつけが必要だね……」
「まったくね、ってちがーう!」
 ああっ、私はどうしたらいいの? って言うかなんで私は千影なんか連れてきてしまったの!? 助けてお兄様!
「亞里亞さまぁ〜〜!」
 あ、じいやさんが根性で這い出してきた…。
「じいやぁ〜!」
「亞里亞さま、ご無事ですかっ! …あなたたち〜!」
「あ、あはは…」
「出て行きなさーーいっ!!」
 あっけなくつまみ出されて、私たちの作戦は失敗に終わりました…。
「フッ…」
「何がフッよっ!」




「一応、おもちゃとか色々持ってきたんだけどさ」
 鈴凛ちゃんはそう言いながら、大きなボストンバッグを上から叩いた。
「亞里亞ちゃん喜んでくれるかなぁ?」
「ふふっ、さすがは鈴凛ちゃんね。子供はそういうの好きだもの」
 部屋に行くと、亞里亞ちゃんはうさぎのぬいぐるみで遊んでいるところだったわ。
「やっほー、亞里亞ちゃん。そんなうさぎより面白いものを持ってきたよ♪」
「うさぎさんよりも……ですの……?」
 鈴凛ちゃんは元気にうなずくと、バッグの中から銀色に光る何かを取り出した。
「これよっ! 『1/200光子戦闘機ジェットリンリン1号』!」
「‥‥‥」
「ホントに発射できるミサイルランチャーつき!」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「グレート殺人キャノンもつけた方がいいと思う?」
「知るかっ!」
 バッグを引ったくって中身を見ると、入っていたのは超合金のロボットばかり。こ、こいつはっ…。
「姉や……、そんなに亞里亞がキライなんですの……」
「誤解よっ! ほ、ほら、ちゃんと動くんだし、飾りとかつけて可愛くすればそれなりにステキだと思わない?」
「メカに可愛さなんて邪道だと思う」
「鈴凛ちゃんは黙ってなさいっ!」
 私の苦労なんかどこ吹く風で、亞里亞ちゃんのそばにしゃがみ込むと耳打ちする鈴凛ちゃん。
「ところで亞里亞ちゃんお金持ちでしょ? 三億円くらい貸してくれない? 巨大ロボ作るからさぁ」
「妹にたかるんじゃないわよっ!」
「なによー。そういう咲耶ちゃんだって、この前金欠だって愚痴ってたくせに」
「そ、そうね、化粧品ってけっこう高くて…って違う違う」
「‥‥‥」
 ああっ! 亞里亞ちゃんが白い目で見ている!
「亞里亞、腹黒い人は嫌いです……」
「そんなぁっ。私ほど一途にお兄様を想い続けるピュアな女の子はいないって世間でも評判なのに…」
「誰が評判してんのよ、誰が」
 私の説得も空しく、亞里亞ちゃんは隣の小部屋に入ると中から鍵をかけてしまったの…。
「やれやれ。しょせん子供に巨大ロボのロマンはわかんないんだよね」
「私にだってわかんないわよっ!」




「ふふっ、やっぱり春歌ちゃんが一番まともよね」
「はいっ。弟妹を指導鞭撻するは兄姉のつとめ、この春歌未熟の身ではありますが、一命を賭して亞里亞ちゃんにヤマトナデシコの道を教え諭す所存でありますわっ! 咲耶ちゃんも大船に乗った気でいてくださいませっ!」
「‥‥‥」
 思いっきり不安…。
 はたして亞里亞ちゃんの部屋に入るやいなや、春歌ちゃんは両手で顔を押さえて悲鳴を上げた。
「きゃぁぁぁっ! 亞里亞ちゃん、なんという格好をしているんですかっ!」
「え……。だってフランスではずっとこの格好でしたの……くすん」
「いけませんわっ! 郷に入っては郷に従え、日本に来たからにはその国の風習に従うのが筋というものですわっ!」
「あなたドイツでも和服着てたんじゃないの?」
「あー、えへんえへん。本日は晴天なり」
「くすん……亞里亞の姉やは変な人ばかりです……」
 あああ反論できない…。
 私が頭を抱えている間に、ノックの音とともにじいやさんがすまなそうな顔で現れる。
「申し訳ございません、そろそろバイオリンのお稽古の時間なのですが…」
「くすんくすん、亞里亞、お稽古ごとはもうイヤです……。姉や、たすけて……」
 あ、亞里亞ちゃん、初めて私のことを頼ってくれたのね…。都合のいいときだけって気がしないでもないけど。
「ねえじいやさん、こんな小さいうちからお稽古漬けなんてひどいんじゃない?」
「何をおっしゃるんですか咲耶ちゃんっ!」
 しまった、隣にこいつがいたんだわ…。
「常に切磋琢磨し精進するのが日本女性の真髄というもの。ヴィオロンなんて生温いです! お茶、お花、お琴、書道、日本舞踊も習わせるべきですっ」
「亞里亞、死んじゃいます……」
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
「死んでどーする!」
 呆気にとられていたじいやさんだけど、とにかくお稽古が先と思ったのか、春歌ちゃんと一緒になってお説教を始める。
「姉上様の言うとおりですわよ。頑張って一人前のレディになりませんと」
「兄君さまの妹ならこれくらいできて当然ですわ。そしていつかは兄君さまの良妻賢母として……きゃあっ
「すべて亞里亞さまのためなのです」
「亞里亞ちゃん、精進ですわっ!」
「じいやが二人になったみたいですぅー!」
 私は春歌ちゃんの襟首を掴むと、引きずるようにして屋敷を退出した。
「ああっご無体な。このような辱めを受けるならば、いっそ自害させてくださいませぇっ」
「黙ってて。頼むから…」



 はぁぁ……。
 まだ冬の残る朝の通学路に、私の吐く息が白い跡を作る。
 昨日はさんざんだったわね。今日も今日でお兄様を誘いに行ったらもう登校した後だし、ダメのダメダメ…。
 …だいたい、なんで私がこんな苦労しなくちゃいけないのよ。
 そりゃ亞里亞ちゃんは妹かもしれないけど、一緒に暮らしていたわけでもないし…。
 まったく違う世界で、違う風に生きてきたんじゃない。これでホントに姉妹だなんて言える?
(それに…お兄様を巡ってライバルになるかもしれないんだし…)
 って何考えてるのよ私ったら子供相手にっ。ああっでもでもっ。
「元気のない人にチェキー!」
「きゃっ! …も、もう四葉ちゃん、脅かさないでよねっ」
 例によって唐突に現れた四葉ちゃんと、その後ろからリボンの角がぴょこんと顔を出した。
「咲耶ちゃん、一大事ですのっ!」
「あら白雪ちゃん、どうかしたの?」
「四葉の調査で重大なことがわかったのデス。テーマは亞里亞ちゃんの食生活について」
「亞里亞ちゃんったら、一流シェフの作った料理を毎日出されているくせに、ほとんど残してしまっているらしいんですの。代わりにお菓子ばっかり食べてるっていうんですのよぉっ!」
「ふ、ふーん」
 そういえば好き嫌いが多いってじいやさんも言ってたわね。まったく、スタイル維持に苦労している私の爪の垢でも飲ませてやりたいわね。
「四葉がチェキしたところによると、昨日だけでもチョコレートを3枚、ケーキを2つ、キャンディーを7個口に入れてマスね」
「このままでは確実に糖尿病になりますの! ああっ、姫、そんなの耐えられませんっ!」
 両手で頬を挟んでいやいやをする白雪ちゃん。なんか嫌な予感…。
「あ、あのね白雪ちゃん。心配するのは分かるんだけど、それは亞里亞ちゃんのご両親やじいやさんが考えることじゃないかなーって…」
「んまあっ、何を言ってるんですのっ? 咲耶ちゃんは妹が病気になってしまっても平気だって言うんですのねっ!」
「ううっ」
 私にどうしろっていうのよぉ…。
「お願いですの咲耶ちゃん。今度のお休みの日に、亞里亞ちゃんをピクニックにでも誘ってほしいんですの」
「そこで白雪ちゃんのお弁当を食べさせ、好き嫌いを直そうと思うのデス。この作戦の成否はキミにかかっているっ!」
「ち、ちょっと…」
「姫、頑張って腕をふるいますの。人参とかピーマンとか、栄養のあるものをふんだんに入れますわっ」
 そんなのあの子が食べるわけないじゃない! 『ピーマン嫌いです』とか言って泣かれるのがオチよ。そんなことしても何にもならないわよっ。
 …でも、白雪ちゃんも四葉ちゃんも、信頼しきった目で私のことを見ていて…。
 結局私はいつものように、笑顔で引き受けるしかなかったの。
「ふ、ふふっ。そこまで頼まれたら仕方ないわね♪ 亞里亞ちゃんを連れ出すくらいどうってことないわよ」
「さすがは咲耶ちゃんですわっ」
「頼りになるデス!」
 ああぁ…。結局私って、妹たちの前では格好つけちゃうのよね。こういうところ、やっぱりお兄様の妹なのかしら…。
 こうして逃げ場のなくなった私は、足を引きずるようにして学校へと向かいました…。


 それから数日。まだなんにもしてない。
 そりゃ、亞里亞ちゃんを無理矢理連れ出すだけなら簡単だけど、それであの子のわがままが直るとは思えないじゃない。
 どうせまた泣かれるんだろうし…。私って誰にでも好かれる人間だから、歓迎されないって結構ツラいの。
 …お兄様は、まだ勉強中なのかしら。
 ちょっと顔を見に行ってみようかな? うん、そうよね。こんなに悩んでいる妹をお兄様も慰めたいって思うはずよ。だって私のお兄様ですもの!
 すっかり納得した私は、放課後になると軽い足取りで校舎を出たの。
 と、校門のところで、可憐ちゃんと衛ちゃんが話しているのが目に入ったわ。
「ハーイ、二人とも。なんのご相談?」
「わっ、噂をすれば咲耶ちゃんだ」
「今ね、亞里亞ちゃんのことを話してたの」
 うっ…。四葉ちゃんたら、妹全員に喋ったわね。
「やっぱり一日家の中でお菓子食べてるなんてよくないよっ。外に出て体を動かすべきだよ!」
「だから、可憐たちも何か咲耶ちゃんに協力できないかなって思ったんです」
「ふふっ、あなたたちはホントにいい子ね。でも大丈夫よ、亞里亞ちゃんのことは私とお兄様でなんとかするから。まあ将来における私たちの育児の予行演習みたいなものかしら? きゃーっ じゃあまたね」
「ちょっと待て」
 ごきっ
 髪の毛の端を引っ張られ、私の首は後ろに90度折れ曲がっていた。
「…可憐ちゃん〜!」
「あ、あははは。えっとねっ、お兄ちゃんも忙しいんだし、私たちだけで何とかした方がよくないかな?
 亞里亞ちゃんもお兄ちゃんが相手だとすぐ甘えちゃうだろうし。うん、可憐はそう思いますっ!」
「とか言いながらなにか黒い怨念を感じるのは気のせいかしらっ!?」
「え〜っ? 可憐、子どもだからわかりませんっ」(えへっ)
 くっ、このカマトト娘め…。…でも、そうよね。この前私に任せてって言ったばかりなんだし。ここでお兄様に頼ったら、お兄様に相応しい女の子なんて夢のまた夢じゃない…。
「で、でも咲耶ちゃんにばっかり頼るのもよくないよっ」
 純粋にいい子の衛ちゃんがそう言ってくれる。
「よし、ボクが亞里亞ちゃんに言ってくるよっ! 野菜も食べなさいってびしっと!」
「ダメよ衛ちゃんは。馬になれって頼まれたらホントに馬になっちゃいそうだし」
「そっ…、そんなことないと思うけどなぁ。あは、あはは…」
 泣かれたとたんにオロオロしだして『ごごごめんねっ! 馬にでもなんでもなるからぁっ!』とか言い出す姿が目に浮かぶわよ。やっぱり私が何とかするしかないのよね…。
「うん…。それじゃ今度の土曜日に亞里亞ちゃんを連れてくるから、一緒に遊んであげてくれる?」
「そうなの? うん、もちろんだよっ!」
「可憐たちにできることがあったら、何でも言ってくださいね」
 妹たちに応援されて、私はお兄様のところへ行くはずだった足を、ぐっと自分の家へと向けた。
 そうよね、私はみんなのお姉様なんですもの…。


 そんなわけで、今は金曜日の夜です。
 一応雛子ちゃんと花穂ちゃんも誘いに乗ってくれたんだけど、肝心の亞里亞ちゃんとはまだ約束してないの。
 電話したんだけど、『姉上様とはお話ししたくないとおっしゃってます』って、じいやさんに申し訳なさそうに言われちゃって…。
 あーもう、ホント子供ってイヤっ!
 考えてみれば、可憐ちゃんも花穂ちゃんも雛子ちゃんも手の掛からないいい子だったものね。私って姉としてのレベルは思ったほど高くないのかしら…。
 せめて鞠絵ちゃんが近くにいてくれたら、何かと相談できるのに。
「咲耶、お電話よ。鞠絵ちゃんから」
 っと、噂をすれば影ね。部屋にある子機を取って、電話をつなぐ。
「ハァイ、鞠絵ちゃん?」
『咲耶ちゃんですか? 急にごめんなさい。みんな、どうしてるかなって…』
 落ち着いた声が電話から流れてくる。元気? 体の調子はどう? なんていつもの会話をして、話は最近の出来事になった。ほとんど私が一方的に喋ってるんだけどね。
 亞里亞ちゃんのことも、さりげなく話題にしたんだけど…。
『そうなんですか…。咲耶ちゃんも大変ですね』
 なんて、言われちゃった。
「や、やだ。別に大変なんてことないわよ。私が頼られるのも人徳ですもの。なんてね」
『うふふっ。咲耶ちゃんは相変わらずですね』
 可笑しそうに笑う鞠絵ちゃん。どうもこの子が相手だとやりにくいなー。
『……亞里亞ちゃんは、どんな気持ちなんでしょうね』
 電話からの声が、急にそのトーンを変えた。
「…鞠絵ちゃん?」
『あ、ごめんなさい。いつもお屋敷の中にいて、周りに誰もいなくて、外にも出られなくて……それって、私と似てますから』
「鞠絵ちゃん…」
 やだ、こういう時ってなんて言えばいいのよ…。
 いつも健康でお兄様のそばにいられる私は、正直鞠絵ちゃんに悪いなって思うこともあるけど…。でも敢えて、私は明るい声で言ったの。
「もう、鞠絵ちゃんには私たちがいるでしょ?」 
『ふふっ、そうですよね…。亞里亞ちゃんだって、そうなんですよね』
 ずきん、と胸が痛む。そんな風になんて……考えたことなかったもの。
『咲耶ちゃん、亞里亞ちゃんをお外に連れていってあげてください。私と違って、出ていこうと思えば行けるんですから…』
「…うん。わかったわ。約束する」
『くすっ、やっぱり咲耶ちゃんですね』
「あら、それって誉められてるのかしら?」
『もちろんです。それじゃ…またお電話しますね』
 静かに電話は切れて、私は深呼吸してから受話器を持ち替えた。
 もう迷うことなくダイヤルを押す。
「じいやさん? 咲耶です。亞里亞ちゃんいます? 出なかったら千影を送り込むわよって言ってやってください」
 数分後、恨みがましそうな亞里亞ちゃんの声が聞こえてきた。
『くすん……。もう亞里亞のことは放っておいてくださいです……』
「そうはいかないわよ、私は亞里亞ちゃんのお姉様ですもの。
 だから、ね。仲直りしましょ? 明日、かしのき公園にでも遊びに行かない?」
『公園……?』
「そ。雛子ちゃんも来るのよ」
『雛子ちゃんが……』
 亞里亞ちゃんの声がいくぶん柔らかくなる。ちょっと悔しいけど、やっぱり子供は子供同士の方がいいのかもね。
「明日はお稽古とかあるかしら?」
『ないです、でも……』
「じゃあ決まりねっ! 明日の朝に私が迎えに行くから、楽しみに待っててね。じいやさんには私から言うから」
『あの、でも……』
「大丈夫よっ。お姉様と妹が一緒にお出かけするなんて、別に普通のことじゃない。今までなかったのがおかしかったのよ。それじゃ明日ね。バーイ」
『あ……』
 断られないうちに電話を切った。もうなるようになれよ! 一緒に遊んで、いろんな話をすれば、少しは姉妹らしくなる。今まで離れていた分は、これから取り戻せばいいじゃない。
 こんなに大勢の姉妹がいるのは、私たちだけの特権なんだから……。
 だから今回は、遠くから見守っててね、お兄様。





<つづく>



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