この作品は「Kanon」(c)Keyの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
栞シナリオ、あゆシナリオに関するネタバレを含みます。

ダークなのでご注意ください。

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犠牲の輪唱




「だからその子はたったひとつの願い事で、どんな願いでも叶えることができたんです」
「ふーん。面白いおとぎ話だな」
「おとぎ話じゃないですよ、祐一さん…。
 その女の子は、祐一さんもよく知っている人です」
「え…?」
 栞に連れられて病院に行った祐一は、変わり果てた姿で眠り続けるあゆの姿に、全ての記憶を取り戻した。
「くそっ、結局俺は都合の悪いことは見ないまま、奇跡が起きたと喜んでいたのか…。俺はっ…!」
「大丈夫ですよ、祐一さん。あゆさんはきっと目覚めます。だって…起きるから、奇跡って言うんじゃないですか」
 そのときは栞も本気でそう思っていた。
 だからこそ、そんな安請け合いをしたのだ。

 その日から祐一と栞の、あゆを見舞う日々が始まった。
 最初のうちは良かった。祐一にとっては大事な思い出の女の子だし、栞にとっては命の恩人だ。時間が空くたびに病室へ行くくらい、大した労苦とは感じなかった。
 だが、あゆはなかなか目を覚まさない。
 状況に何の変化もないまま、1ヶ月、2ヶ月…。
『もしかしてこのまま目覚めないのでは?』
 そんな焦燥をうち払うように、二人の見舞いは続いた。
 もちろん栞にだって普段の生活はある。夢にまで見た普通の学園生活。学校にいる間は良かった。しかし放課後になると、祐一が迎えに来る。
「じゃ、行くか」
「は、はい…」
 部活にも入れず、病院に通うだけ。デートなんてしたことがない。栞が夢見ていた毎日とは、かなり差が広がっていた。

 一度だけ、祐一に尋ねてみたことがある。
「ねえ、祐一さん…。たまには…どこかに遊びに行きませんか?」
 祐一は悲しそうな顔で答えた。
「気持ちは分かるけど、あいつはあんな状態で、動くこともできないだぞ? 俺たちのために願い事を使ったせいで。
 そんなあゆを放っておいて、俺たちだけ楽しむなんてできるわけないだろ?」
「そ、そうですよね…。もう言いません、ごめんなさい…」
 それからは、黙って見舞いに付き合うしかなかった。
『命の恩人を見捨てる薄情者』
 少しでも不平を言えば、そう見なされる。栞に選択肢なんてなかった。
 そして日は巡り、再び冬がやってくる。
 あゆは未だに目覚めない。良くもならず悪くもならず、ただ眠るだけ。
『俺たちの声が足りないのかもしれない』。祐一はそう言って、さらに見舞いの頻度を増やした。
 この一年、栞には何もなかった。全ての自由時間は取り上げられ、狭い病室で、眠り続ける女の子に話しかけるだけの日々。
 いくら命の恩人でも、栞にはそろそろ限界だった。
 そんなとき、栞の部屋のドアが軽くノックされる。
「ねえ、栞」
 廊下には、何かの券を手にした姉が笑顔で立っていた。
「遊園地のチケットが2枚手に入ったのよ。良かったら一緒に行かない?」
「え、でも…」
「あたしも最近受験勉強ばかりだし、気晴らしに付き合ってくれると嬉しいんだけど」
「う…うん…」
 そう、一度だけ…。今回だけだから…。
「うん…いいよ、お姉ちゃん」
「良かった、それじゃ今度の日曜にね」

 祐一には体調が悪いと嘘をついた。
 大好きな姉と、遊園地でデート。どうしても気持ちがはしゃいでしまう。
「お姉ちゃん、次はあれ乗ろっ」
「はいはい、相変わらず子供ね」
「うー。そんなこと言うお姉ちゃん、嫌いですー」
 こんな風に楽しい時間を過ごすのは、何日ぶりだろう。
 あゆと祐一には悪いが、このくらい許されていいはずだ…。二人のことは忘れ、栞は久しぶりに生きている実感を満喫していた。

 しかし、その頃――
「心拍数、低下していきます!」
「く、くそっ! おい、しっかりしろぉっ!」
「相沢君、だったね。残念だが、ここまで生きてきただけでも奇跡なんだよ…」
「そんなの認められるかっ…!
 あゆっ! 本当に行っちまうつもりかっ! 俺たちはずっと待ってるんだぞっ!
 俺も、栞…も…」
 その栞は、今この場にいなかった。
『栞なら、遊園地に遊びに行きましたよ』
 美坂家へ電話したときの、母親のそんな声。裏切った。あいつは自分可愛さに、あゆを裏切ったんだ――

 その日、月宮あゆは、結局一度も目覚めることなくこの世を去った。

「そ…んな…」
 天国から地獄。
 帰ってきたときの栞は、まさにそんな状態だった。
「ま、待ってよ相沢君!」
 香里が妹をかばうように手を広げる。
「あたしが無理矢理誘ったのよ! この子を責めないで、悪いのはあたし…!」
「お前が…あゆを殺したんだ」
 祐一の目に、香里は映っていなかった。
 ただ暗い瞳で、青ざめ震える栞の姿を凝視していた。
「そうだろっ…!
 お前の命を助けなければ、あゆは『願い事』で自分を救えたんだからな!
 あゆは死んだ! お前だけのうのうと生きて、楽しく人生を送っているわけだ!
 大したものだな、は!」
「相沢君!」
「くそっ、くそっ…うわああああああああっっ!!」
 訳の分からない叫びを残して、祐一は走り去り…
 栞は死人のような顔で、ただ何も言えず立ち尽くしていた。
「栞、あなたのせいじゃないわ…」
「う……ん……」

 その夜、栞は遺体安置所にいた。
「あゆさん…」
 顔にかけられた白い布をめくる。暗い部屋の中では、前みたいに眠っているようにも見える。
 だが頬に触れてみると、それは冷たく固い死体だった。
「あゆさん、私、人殺しなんだそうです」
 笑顔を浮かべる栞の目は、すでに光を失っていた。
「勝手ですよね、私…あの時は、確かにあなたに感謝してました。
 でもね、でも――
 今は、あなたのことが憎くて仕方ありません!
 自分を犠牲にしてまで助けてほしいなんて、誰が頼んだんですか!?
 そんなことされて、喜ぶ人がいると思ってたんですか!?
 あなたが憎いです!! あの時、死んでいれば、私は…綺麗な思い出として、残れたのに…っ」
 一年前に使ったカッターを、今また手首に当てる。
「みんな…嫌いです」
 今度は失敗しないように、思い切り引いた。

 血の海の中で、事切れた栞が発見されたのはその翌朝だった。
 遺書には一言だけ。
『私の命を、あゆさんにお返しします』
 もちろん栞が死んだからといって、あゆが生き返るわけではない。ただの当てつけだった。

 美坂栞の葬儀は、身内だけでひっそりと行われた。
 やつれ果てた顔で、祐一が姿を現す。
「香里…」
「…消えなさい」
「‥‥‥」
「消えなさいよ…。二度とあたしの前に現れないで!」
 その言葉に従う他なく、祐一は栞の遺影すら拝めなかった。
「(なんで、こんなことになっちゃったんだろうな…)」

 一年前、皆が栞の死を現実として受け止めていれば、こうはならなかったのだ。
 現実が過酷だからといって、『奇跡』などで取り繕おうとしたのがそもそもの間違い。
 自然の法則を歪めれば、どこかでしっぺ返しが来るのが当然だった。
「(なあ、俺はどうすればよかったんだ…?)」
 それが誰への問いかけなのか、祐一自身にも分からなかった。



<END>





※「祐一の豹変が不自然」という意見をいただいたので、少し手を加えました。
(大して変わらんけど)

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