この作品は「ONE〜輝く季節へ〜」(c)Tacticsの世界及びキャラクターを借りて創作されています。

後編へ










♪空に星灯り 柊囲む夜
 心いと安め いざ祈らん
 善き人たちよ 主は見たり
 汝の魂 浄かりせば
 み恵みその手に 降り積もらん
 今宵は聖なる 夜なれば…




 そんな歌が流れる師走の24日。終業式を終え、家に飛んで帰った七瀬留美は、服という服を引っぱり出してうんうんと唸っていた。
 去年はこんな日でも部活に出ていたが、今年は生まれ変わって初のクリスマスになる。
 お気に入りのツーピースを体に当てて、鏡の前で一回転してみる。大丈夫、変じゃない。昔とは違う、可憐な乙女の姿だ。
 にやける顔を押さえながら、ひとつまたひとつと服を試してゆく。そうやって部屋に衣装を散乱させていると、様子を見に来た母親が呆れて声を上げた。
「あーあ散らかしちゃって、しょうがないねぇこの子は…」
「ふっ、お母さん。クリスマスにはおしゃれに命を懸ける…乙女にしか為せない技よ」
「なに言ってんだい、女の子と遊びに行くだけだろ? そんなことは彼氏ができてからお言いよ」
「ぐあっ、言ってはならないことを!」
 実のところその通り。一応何人かの男子に誘われもしたのだが、聖夜を二人きりで過ごすほど、冒険できるような度胸はなかった。結局尻込みして断ったところを友達に声をかけられ、今日のこの日というわけだ。
「いいのよっ! こういうのは気分の問題なの!」
「ハイハイ、でも相手の子はもう来ちゃったよ。待たせちゃ悪いんじゃないかい」
「え、もうっ?」
 慌てて時計を見ると、既に待ち合わせの5分前だ。大急ぎで服を着て、バッグを掴んで財布を押し込む。もっともっと凝りたかったが、相手を寒風の下に待たせるわけにもいかない。
「行ってきまーす!」
 後ろで母親がため息をつくのを無視し、ファー付きコートを羽織って玄関へ走る。
 靴を履き扉を開けると、冬の空気が流れ込んでくる。
 その中に、もうすっかり見慣れたクラスメートの姿があった。
「ごめんね七瀬さん。早く来すぎちゃったかな」
「そんなことないわよ。ちょっと準備に手間取っただけ」
 そう言いながらぱたんと玄関を閉め、改めて向き直る。
「(ううっ、可愛いっ)」
 薄いベージュのコートにロングスカート、おそらくは手編みのマフラーに手袋。何の変哲もないといえばない服装だが、穏やかに微笑む姿は冬の風景に溶け込むようで、同性から見ても可愛いと思ってしまう。
 ひるがえって自分を見ると、コートのボタンをかけ間違ってるのに気づき、憂鬱になりながら急いで直した。
 これだからもっと着飾って出てきたかったのだ。
 彼女と一緒に歩くと、自分との落差を嫌でも痛感してしまう…。
「? どうしたの、七瀬さん?」
「な、なんでもないわよっ。じゃ、行きましょ」
「うん」
 早足で歩き出した留美に、少女も白い息を吐きながら隣に続いた。
 彼女の名は長森瑞佳。
 留美が今まで出会った中で、乙女という言葉に…たぶん一番近い女の子だった。







little grace








 あれは数日前の教室。
 下心丸出しの男子に誘われたものの、迷いながら結局すべて断ったところへ、瑞佳が声をかけてきた。
「ねえ七瀬さん、24日ってもう埋まってる?」
「埋まってないわよっ! 悪かったわねぇっ!」
「わわっ」
 改めて言われると、クリスマスに独り身という事実が重くのしかかってくる。転校してきて生まれ変わったはずなのに、どうしてこういうことになるのやら…。
「ううっ、やっぱり誰かの誘いに乗ればよかったのかしら…。いやしかし好きでもない男とクリスマスを過ごすというのも乙女として不純なような気が…」
「あ、あのね。暇だったら繭と遊びに行かない?」
 なんてことを言い出す瑞佳の顔を、思わずぽかんと見てしまう。
「繭? なんで?」
「繭のお母さん、クリスマスはお仕事らしいんだよ。繭も一人じゃつまんないだろうし、一緒に遊びに行こうかなって」
「あ、あんた、クリスマスまであの子の面倒見るわけ?」
「え? う、うん。どうせ過ごすなら大勢の方がいいもん」
「はぁっ、お人好しもそこまでいけば立派だわ…。悪いけどパス。クリスマスまで子守なんかしてられないわよ」
「そっか…。クリスマスだもんね。ごめんね、無理なこと言って」
 寂しそうに微笑むと、瑞佳は背を向けて自分の席に戻っていった。
 その姿に、さすがに良心がずきずきと痛む。
 そもそも本来のクリスマスとは、優しさと隣人愛に満ちたピュアな日ではなかったのか。
 現に瑞佳は繭のことを想っている。あれこそ真の乙女に違いあるまい。
 それに比べて自分はどうか?
 自分のことだけ考えて、それで乙女と言えるのかっ。
「ちょーっと待ったぁ!」
「な、なにっ!?」
「そ、そうねっ。クリスマスこそ他人のために尽くすのも悪くないわ。乙女としてね!」
「わ、ほんとっ? きっと繭も喜ぶと思うよっ」
「そうかしら…」
「あと、浩平も来るからね」
「うげ」
 即座に早まった選択を後悔したが、今さら嫌とは言えなかった…。
 そして今、こうして繭の家に向け女の子二人で歩いている。
「えらく空しいクリスマスになりそうね…」
「そんなことないよ〜。七瀬さんが来てくれて嬉しいもん」
 そう言ってにこにこと笑う瑞佳。まあ留美も瑞佳のことは好きだし、一人寂しく過ごすよりはよほどましだろう。
「そういえば折原のアホはどうしたのよ」
「あ…」
 雲が陽を覆うように、急に瑞佳の顔へ影が差した。
 が、それも一瞬のことで、ちょっと困り気味に微笑んで言う。
「なんだかパーティの予定が入ったから、そっちに行くんだって」
「なにそれ、相変わらずいい加減なヤツね」
「うん…。里村さんと、って言ってた」
 聞き覚えのある名前に、指を額に当てて記憶をたどる。
「同じクラスの子だっけ?」
「うん、そう。無口で綺麗な子」
「そっか、まだ全員の顔と名前が一致してないのよねぇ」
 そういえば、折原浩平がいつも付きまとっていたクラスメートが、無口なお下げの子だったような気がする。
 その子とクリスマスということは、うまくいったということで…。
 今頃は二人でよろしくやっているのだろうか。折原のくせに、なんていまいましい。
「はぁっ…。折原ごときに彼女ができるなんて、世も末ね…」
「あはは。七瀬さんて、浩平にひどい目にあわされてばかりだったもんねぇ」
「まったくよっ!」
 転校初日に突き飛ばされた、髪をちょん切られた、肘鉄を入れられた、部活の見学を邪魔された…思い返してみると、あんな生物が生きていること自体なにかの間違いとしか思えない。
「その里村さんてのも何考えてるんだか、気が知れないわね」
「うん…でもね、浩平にもいいところはあるんだよ」
 急に瑞佳の歩調が遅くなった。数歩先に行ってしまい、振り返ると、俯き気味の瑞佳が何かを想うように立っている。
 その姿は、なぜかひどく小さく見えた。
「…瑞佳?」
「さ、里村さんてしっかりしてそうだし、ようやくわたしも肩の荷が降りたって感じかなっ」
 無理に明るく振る舞っているのが見え見えで、本人もそれに気づいたのか、顔を伏せるようにして小走りに留美の横を通り過ぎる。
「ほ、ほら七瀬さん。繭が待ってるよっ」
「あ、うん…」
 さすがの留美も、その様子から察しがついた。
「(まずいこと聞いちゃったのかしら…)」
 そう思いながら、急いで瑞佳の後を追った。


 目的地が見えてくると、家の前で待っていた繭が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「みゅーっ!」
「繭、メリークリスマスっ」
 ばふっ、と瑞佳に抱きつく。その嬉しそうな顔を見ると、こんなクリスマスも悪くないなと思えてくる。
 そんな心こそが、瑞佳みたいな女の子に近づく道かもしれない…。
「きっと今日は素敵なクリスマスになるわね…」
「みゅー」
「って、ぎゃーーーっ!」
「こ、こら、繭っ!」
「くぁ…。このくそガキャ…」
 乙女への道の厳しさに、涙を浮かべて繭の頭をぐりぐりする留美だった。
 瑞佳になだめられ開放したところで、何か思い出したような繭から尋ねられる。
「こーへいは?」
「(わ、バカっ!)」
 あたふたと狼狽する留美。それと裏腹に、瑞佳は用意していたのか態度を崩さず、いつもの穏やかな調子で答えた。
「浩平はね、ちょっと用事ができちゃって来られないんだよ」
「うー…」
「だから今日は七瀬さんとわたしと遊ぼう? ね」
「うー…でもー…」
「繭、ちょっと来なさいっ!」
 まずい展開に、留美は繭の体を抱え込むと、電柱の陰へ走って小声で命じる。
「いい? 今日は折原のことは禁句!」
「きんくってなに?」
「口に出すなってことよっ!」
 何事かと首を伸ばして覗き込む瑞佳。
「七瀬さん? どうしたの?」
「な、なんでもないわよっ。で、どこ行こっか?」
 さすがに瑞佳も怪訝な顔だったが…察したのか、気を遣ったのか、何事もなかったように会話を続けた。
「うーん、ごめんね、考えてなかったよ。七瀬さんいい場所知らない?」
「ふっ、この街の乙女ポイントはとっくにチェック済みよ。やはり美術館で芸術を愛でた後、映画館へ行って恋愛映画に頬を濡らす…というのが乙女の道かしら?」
「つまんなそう」
「今言ったのはこの口か! この口かぁぁっ!!」
「みゅ゛ーーっ!!」
「七瀬さん七瀬さんっ!」
 結局繭のリクエストにより、商店街のファンシーショップへ行くことになった。
 仲良く手を繋いで歩く二人の隣で、ぶつくさと愚痴をこぼす留美。
「いつもと全然変わらないじゃない…」
「まあまあ。七瀬さんも好きでしょ? ファンシーショップ」
「そりゃまあそうだけど」
 賑やかに人の行き交う商店街。あちこちから流れるクリスマスソングを聞きながら、目当ての店を見つけ店内に入る。
 何度か来たことはあるが、わりと大きめの店だ。アクセサリー、ぬいぐるみ、ステーショナリーと、乙女心をくすぐる品が至るところで目を引く。ちなみに前に来たときはつい散財して、後で財布の中を見て泣く羽目になった。
 クリスマスだけあってカップルが多いけど、女の子だけのグループもいないではない。同類の姿に思わず安心してしまう。それはそれで情けないが…。
 小さな手提げかごをそれぞれが持って、ぶらぶらと店内を回る。
「わーっ、このリボン、可愛いねぇ」
「わ、ほんとっ。あ、こっちも可愛いっ」
「みゅーっ」
「七瀬さんに似合いそうだね〜」
「そ、そう? 似合う? 可愛い?」
 思わず商品を手に取り、棚とかごの間を行ったり来たりする。これじゃ先日の二の舞だが、いや、でももうすぐお年玉が入るし…。
「ああっ、けどクリスマスに自分でプレゼント買うのって悲しすぎるわ…」
「あ、それならわたしが買うよ」
「え?」
「わたしが買って、七瀬さんにプレゼント」
 それはちょっと…と言いかけて、ぽんと手を打つ。
「そっか。あたしも何か買って、瑞佳にプレゼントすればいいのね」
「え? あ、そうだね」
「どうせ払うお金は同じだし、いいアイデアじゃない。瑞佳は何がいい?」
「うーん、繭はどれが似合うと思う?」
「みゅー」
 しばらくなんだかんだと見て回って、瑞佳には陶器でできた柊のブローチを買うことにした。
 コートを脱いだ下の、茶色いカーディガンにブローチを留め、こちらを向いてにっこりと笑う。
「どうかなっ」
「(か、可愛いっ…)」
 こういう姿を見せられるたびに、どんどん差が広がっていく気がする。
 留美がこんな風になれる日は来るんだろうか…。
 しかしそんなことを言えるはずもなく、当たり障りない誉め言葉しか出ない。
「い、いいんじゃない、クリスマスらしくて」
「みゅー」
「じゃ、あとは繭のプレゼントね」
「ということは、繭もあたしに何かくれるのね」
「みゅーっ!」
 ぶんぶん、と首を振る繭。そんなにお金を持ってきてないらしい。
 瑞佳が困ったように留美の顔を覗き込む。
「七瀬さん。わたしたち年上だし、二人で繭にプレゼントじゃ…ダメかな?」
「うっ、わ、わかったわよぉ…。繭、いずれこの恩は返しなさいよ」
「みゅーっ!」
 大はしゃぎの繭はぬいぐるみコーナーに飛んでいき、留美は渋い顔でついていった。
「まさか計算してるんじゃないでしょうね、あの子」
 その言葉に、隣で瑞佳がくすっと笑う。
「ん? なに?」
「ううん、ちょっとね」
 犬、猫、うさぎ、トナカイ…色とりどりの動物たちを、ひとつひとつ手に取ってみる。瑞佳は猫が好きなのか、ひたすら猫を撫でていた。
 しばらくして、繭がくいくいと服を引っ張ってくる。
「これ…」
「なにこれ、蛇のぬいぐるみ…? もうちょっと可愛いのにしなさいよ」
「みゅー」
「あんたは細くて長けりゃ何でもいいんかいっ!」
 そんなやり取りを横で見ていた瑞佳が、再度くすくすと笑い出す。
「どうしたのよ、さっきから」
「あ、うん…。前にもね、浩平と同じようなことがあったんだよ」
「え…」
「繭が初めて学校に来た日に、浩平とわたしと繭でこの店に入って…
 二人で繭にぬいぐるみ買ってあげて、浩平はぶつくさ言ってたっけ」
 そう言って遠くを見るような瑞佳の目には、もはや留美なんて映ってないのは…気のせいだろうか。
 そうだとしても、今の状況は瑞佳にとってはどうなんだろう。以前は好きな相手と一緒だった場所で、今目の前にいるのは…
 留美の奥底で何かがもやもやと動いた。
「あ、あのさあ、瑞佳…」
「あ…ご、ごめんっ! わ、わたし、先に包んでもらってくるねっ!」
 我に返った瑞佳は、繭からぬいぐるみを引ったくると、逃げるようにレジへと走っていった。
 二人がその場に取り残される。繭は無邪気に別のぬいぐるみを眺めてる。その平和さがうらやましい。
 瑞佳と浩平との思い出がある場所なんて…
「ねえ繭、そろそろ別のところ行かない?」
「やだ」
「ほあたぁ!」
 聞き分けのないガキにチョップを叩き込むと、会計を済ませた瑞佳のところへ引きずっていった。
「ねえ瑞佳、繭が他のところ行きたいってっ」
「…なんか繭、頭から血流してない…?」
「き、気のせいよっ! ささ、物も買ったしさっさと出ましょ」
 瑞佳の背中を押すようにして表に出た。
 商店街の中で、思い切り空気を吸う。今のことはもう忘れよう。
 通行人の邪魔にならないよう看板わきのスペースへ行って、瑞佳にお金を払ってから、三人で袋を開ける。
 リボンが入っているであろう可愛い包みを、瑞佳は両手で留美に差し出した。
「はい、七瀬さん。メリークリスマス」
 その顔にもう先ほどの影はない。ほっと安心して、別の包みを瑞佳に渡す。
「瑞佳、メリークリスマス」
 そして最後の包みを繭に渡して…
「ほら、繭」
「メリークリスマスっ」
「みゅー!」
 がさがさと包みを開けて、蛇のぬいぐるみを取り出す繭。大喜びでぶんぶんと振り回してる。こんなクリスマスもいいものだ…そう思う、やっぱり。
 ちらりと横目で隣を見る。瑞佳だって、そう思っているはずだ。


 それからはペットショップを見たり、クレープを食べたり、ゲームセンターでモグラを叩いたりと、平和に遊んで時を過ごした。
 そのうちに夕方になり、より冷え込んできた空の下で、繭の家に向け帰途につく。
「息が白いね」
 クレープと運動のせいで体温が上がっているのだろう。瑞佳の吐く息は、雪のような白さを見せて霧散する。
「ほら、はぁーっ」
「はぁーっ」
 繭が真似をして、二つの息が宙に躍る。
「あんたたちも暇ね…」
「ほら、七瀬さんもはぁーって」
「ええー? う、うーん、はぁーっ」
「はぁーっ」
 留美の吐く息が繭の息に追い抜かれ、手前で消失する。
 ちょっとむっとして、思い切り息を吸い込んだ。
「はぁーっ」
「はぁーっ」
「はぁーっ!」
「はぁーっ!」
「はぁぁぁーーっ!」
「みゅーっ!」
 白い塊が吹き抜け…数歩歩いたところで、留美は頭を抱えて座り込んだ。
「た、立ちくらみ…」
「だだ大丈夫っ!?」
「みゅーみゅー」
「笑うなぁ!」
 立ち上がりはしたが、まだふらふらする。瑞佳ははぁっと、今度は下に向けて息を吐いた。
「なんだか七瀬さんて、浩平と同じくらい心配だよ…」
「お、折原と同レベル…。もう駄目、生きていけない…」
「わわっ、冗談だよっ」
 馬鹿なことをしているうちに、繭の家が見えてきた。
 窓から見えたのだろう、玄関が開いて繭の母親が出てくる。ぬいぐるみを抱いて元気よく駆け出す繭。
「みゅーっ!」
「お帰りなさい、繭…ってそのぬいぐるみはどうしたのっ?」
「あ、わたしたちからです。クリスマスプレゼント」
「ええっ? す、すみませんっ! 繭の面倒を見ていただいて、その上このようなものまで…」
「いいんです。わたしたちも楽しかったですから」
「まあ、そうです」
 それでもしきりに恐縮する繭の母に、瑞佳は困ったように手を振ると、腰をかがめて繭と同じ目線になった。
「ねえ繭、明日もクリスマスなんだよ」
「みゅ?」
「だから、明日もわたしと遊びに行こうか?」
「みゅー」
「うわっ…。まあ、いいけど」
「あ…」
 声を上げたのは繭の母だった。瑞佳もしまったという風に顔を上げる。
「な、なにか予定ありました?」
「いえ、予定というか…。あのね繭、さっき美亜ちゃんから電話があったの」
「みあから…?」
 はっと息をのむ繭。留美も驚いた。初めて見る顔だ。
「今日は声かけそびれちゃったけど、明日は一緒に遊べないかって」
「みあが…」
 繭はぬいぐるみを持ったまま、しばらく立ち尽くしていた。ひどく心を動かされたように。
 少し経って、申し訳なさそうに瑞佳の方を見る。
「みゅー…」
「あ、わ、わたしは別にいいよっ。繭のお友達?」
「うー…うんっ」
「そっか。ならそっちの方がいいよ」
 繭の頭を撫でて身を起こす瑞佳を、留美は黙って見ていた。
「それじゃ、わたしたちはこれで」
「きょうはありがと…」
「本当に、ありがとうございました」
「いえっ。それじゃ…」
「さよなら」
 二人だけになり、並んで歩き出す。途中で振り返る瑞佳。留美も付き合うと、繭が母親とともに玄関へ入るところだった。
 繭には家族があり…元の学校があるのだ。
「ちゃんと友達できてるのね。良かったじゃない」
「うん…良かった」
 そう言って、再び歩き出す。
 瑞佳のその言葉に偽りはないだろう。
 けど同時に、今にも折れてしまいそうな、か細い感じがするのはなぜだろう。
 またひとり世話を焼く相手を失った…と、いうことなんだろうか…。
「ね、ねえ瑞佳」
 このまま別れるのは嫌で、留美は反射的にそう口にしていた。
「せっかくだから、どこかでお茶でも飲んでいかない?」


 ちょうど帰る途中にあるその喫茶店は、若い人たちに人気があるのだそうだ。
 瑞佳のその案内を、店に入る前によく考えるべきだった。
 センスのいい外装の扉を開けると、中の熱気が押し寄せてくる。カップルが多い…というよりカップルしかいなかった。
「うわー…」
 各テーブルで愛を語らう男女の姿に、瑞佳も目のやり場に困ったように留美の方を向く。
「ち、ちょっと暑そうだねっ」
「機関銃を乱射したい気分ってこういうものなのかしら…」
「七瀬さんっ!?」
「いちゃいちゃベタベタとバカップルどもめ…。本当にあんたの好きな相手なの? 見栄だけで付き合ってるんじゃないの!? それは正しい乙女のあり方だとゆーのっ!?」
「いや、こんなところで青年の主張されても…」
「クリスマスなんてだいっきらいだぁぁぁぁぁ!!」
「お客様…」
「す、すみませんっ! すぐ黙らせますからぁっ!」
 瑞佳の両手に口を塞がれた留美は、引きずられるようにして席へと連れていかれた。
「ううっ。ごめん、つい…」
「あ、あはは。ほら、水でも飲んで、落ち着いてっ」
 差し出されたコップを一気に傾けると、ダンッと音を立てテーブルに置く。
「あー、でもなんかムカつくわ。瑞佳はそう思わない?」
「うーん、人それぞれだから気にすることないと思うよ」
「お願い、その寛大さを半分わけて…」
「そ、そんなんじゃないよ〜」
 二人でぱらぱらとメニューをめくる。瑞佳がお勧めだというので、ロイヤルティーを注文した。
 周囲のカップルを見ないように、瑞佳の顔だけを注視する。
 格別の美人ではないけど、留美から見ればやっぱり可愛い。
「あのさ…瑞佳って結構もてるんじゃないの? 男の子から誘われたりしなかったの?」
「わ、わたしっ? まさかっ、わたしだよっ?」
「じゃあ去年まではどうしてたのよ」
「ん…家族クリスマスかな。一日中料理とかケーキとか作って、あとは…」
 急に言葉が途切れた。
 店員がやってきて、空のコップに水を足す。
「あとは…夜になったら、余った料理を浩平のところに持っていってた」
「う…」
「部屋に行くとだいたいゴロゴロしてて、『しょうがないなぁ、浩平は』って。
 『せっかくのクリスマスなんだよっ』って料理を並べて…
 浩平はぶつぶつ文句言いながら、それでも全部食べてくれて…。
 パーティなんて一度もしたことなかったけど…楽しかった」

 テーブルを見つめながらそう呟いて、今気づいたように、留美の視線を捉える。
 再度目を伏せながら、また困ったように…笑う。
「で、でももう無理だよねっ」
「ま、まあ…」
「浩平と里村さんを…邪魔するわけにはいかないもん」
「‥‥‥」
 なんて理不尽なんだろう。
 いや、一番理不尽なのは、瑞佳があんな奴を好きになったことだ。
 こみ上げる腹立たしさを感じながら、表に出すわけにもいかず、留美は取り繕うように言う。
「あ、あははは。なんか折原の話ばっかりね。瑞佳ってっ」
「‥‥‥」
「(ぐあっ、逆効果だった…)」
 完全に沈黙が降りたところへ…ロイヤルティーが運ばれてきた。
 紅茶の芳香がテーブル上を漂う。その香りに肩の力が抜けたのか、瑞佳はカップを手にとって一口飲んだ。
「ごめんね、暗い話しちゃって」
「う、ううん…」
 なんと答えてよいのかわからず、留美も紅茶をすすった。味なんてわからなかった。
「…やめなよ、折原なんて」
 それは自然と留美の口から出て、カップを受け皿に戻した瑞佳の手を止める。
「瑞佳とは釣り合わないわよ。いい機会じゃない、すっぱり忘れちゃいなさい!」
「そ、そうだよね…。わたしみたいに何の取り柄もない人間なんて、浩平とは…」
「あんたねえっ、そこまで謙虚だとかえってイヤミよっ!? 折原があんたに相応しくないのっ!
 あんたなんてね、うちのクラスの人気投票で1位だったんだから!」
「は?」
 テーブルの上に身を乗り出しながら、その時のことを思い出す。あれからだ。留美が瑞佳に一目置くようになったのは。ちなみに自分は投票期間中にドジって惨敗だった。
 それなのに本人ときたらきょとんとした顔で、まるでそのことがわかっていない。
「1位?」
「そう!」
「だれが?」
「瑞佳が!」
「わたしがどうかした?」
「だ・か・ら、瑞佳がうちのクラスの人気投票で1位だったのっ!」
 ぜえぜえ…と息を切らせる留美に、瑞佳はどうしていいかわからず…冗談と思うことにしたようだ。
「うっそだぁ…」
「うわ〜ムカつく〜! もういい、勝手に謙遜してろっ!」
「わわっ、ま、待ってよっ!」
 席を立ちかける留美の腕に、瑞佳は慌ててしがみつく。その顔を見て、憮然として椅子へと戻る。どうしてこの子はこうなんだろう。留美が持っていないものを、山ほど持っているくせに。
「もっと自信持ってよ、あ、あたしだって…」
 まだ困惑している彼女の顔を、注視できずに目線を外しながら…

「瑞佳のこと、憧れてるし…」
 …そう言った。

「七瀬さん…」
「あ、あたしってこんなだから、瑞佳みたいになりたいって…ずっと思ってた。
 瑞佳みたいに可愛くて、優しくて、思いやりのある女の子が……あたしの理想とする乙女なんだって、そう思ってるのよっ」
 最後の方は怒鳴り声になりながら、半ば呆然としている瑞佳にそれをぶつける。
「は、恥ずかしいんだからね! 本人の前でこんなこと言うの!」
「ごっ…ごめん」
 謝るようなことじゃないけど、他に言うことが見つからない。それに対しての言葉も。再び沈黙する。
 小瓶のミルクを全部入れて、手持ちぶさたにスプーンでかき混ぜていた瑞佳が、小さく口を開く。
「七瀬さん、わたしのこと聖人みたいに思ってるけど……違うよ」
 かちゃん、とスプーンが音を立てる。
「ただ他人の世話ばかり焼いて、相手の役に立ってるんだって満足してるだけ」
「いいことじゃない」
「…でも、七瀬さんみたいに『何かになりたい』ってわたしにはない。
 時々ね、思うんだよ。わたし自身なんてどこにもなくて、他人の影でしか生きていけないんじゃないかって。
 誰かに必要とされなくちゃ…存在できないんじゃないかって」
 驚いて紅茶をこぼしそうになった。瑞佳がそんな風に考えてるなんて、思いもしなかった。
 ただ、乙女らしいから羨ましいって、そう思って…
「だから七瀬さんみたいな人って、なんだか羨ましい」
「ち、ちょっとちょっとっ! お世辞でしょ、それはっ!」
「あ、謙遜してる〜」
「ぐっ…。瑞佳って案外性格悪いのね」
「そうだよっ、知らなかった?」
 いたずらっぽく笑って…また、元の表情に戻る。
「でもね、浩平は、わたしが世話焼いても『鬱陶しい、やめろ』とは言わなかったから」
「言える身分じゃないでしょ、あいつは」
「そうかな、けど…そんな毎日が続けば幸せだった。
 わたしはずっと、浩平の世話を焼きながら毎日過ごすんだと思ってた」
 でも違った。永遠に続くものなんてない。
 どんなことでも、いつかは終わりが来るけど…
 実際にその時が来て、何も感じない人なんていない。

 留美は違う。剣を振るった毎日が嫌だったわけじゃないけど、終わりにしたし、変わりたいと思ってる。
 鏡に映る像のようだ。手を伸ばしたとき…近づくのと遠ざかるのと、どちらなんだろう。
「ま、瑞佳の生き方に口出しする気はないけど…」
 カップを傾け、一気に紅茶を飲み干した。
「少なくとも折原のことは、引きずっても仕方ないんじゃない?」
「うん、そうだね」
 急に音が戻ってくる。騒がしいカップル達の会話の中、透明な微笑で、瑞佳は静かに口を開いた。
「もう、浩平からは卒業しなくちゃいけないんだね…」


 もう空は薄暗い。時計を見るとそろそろ6時だ。
「き、今日はいろいろとごめんねっ」
 自分でも戸惑っているように、瑞佳は言う。こんな風に人に話したことなんてなかったんだろう。その点はちょっと嬉しい。
「あのね、瑞佳」
「うん」
「折原も繭も瑞佳の手を離れたんなら、かわりに…あ、あたしじゃ駄目?」
 きょとんとする瑞佳に、慌てて補足する。
「ほ、ほらっ、あたしって料理とか編み物とか全然できないし、乙女らしくしたくても、結構失敗ばっかりだし。
 瑞佳が助けてくれると…嬉しいんだけど」
「七瀬さん…」
「あたしは…瑞佳が必要だな」
 真っ直ぐに前を向いて、手を伸ばす。憧れてた女の子。今でも変わらない。
 瑞佳はいつものように…穏やかに、微笑んで言う。
「七瀬さんていい人だねぇ」
「べ、別に同情で言ってんじゃないわよっ。ギブアンドテイクよ、ギブアンドテイクっ!」
 何をギブできるのか自分でもわからなかったが…彼女は嫌な顔もせず、少し首を傾けた。
「そんなこと言ってると、ほんとに世話焼いちゃうよっ」
「望むところよ」
「朝早く起こしに行っちゃうかも」
「あ。部活やめてから朝弱くなったから、それって助かる」
 二人で吹き出す。近づいてくる気がする。幼なじみでもないし、出会って1ヶ月しか経ってないけど…
 とん…
「あ…っ」
 留美の体が固まる。その肩に、瑞佳が額を乗せていた。
「ありがと、七瀬さん」
「瑞佳…」
「今日、楽しかった」
「そ、そう。明日も、クリスマスよね」
「…うん」
「じゃあ…一緒に過ごそっか?」
「うん、七瀬さんさえよければ」
「そろそろ、名前で呼んでよ」
「あ、うん…」
 体が触れてる。ひどく華奢で、弱々しい。今にも消えてしまいそうな。
 瑞佳って、こんなに細かったんだ…。

「…留美」
 とくん…

 心臓が踊る。抱きしめたい。

「(あ、あたし…)」

 抱きしめて、瑞佳にはあたしがいるからって。

「(あたし、何考えてるのよっ…)」

 瑞佳のことが本当に必要だからって…そう言ってあげたい。

 手が勝手に動いていく。眼前の少女の背に回って、引き寄せようとしたとき…
 瑞佳は顔を上げ、留美は大慌てで手を引っ込めた。
「それじゃ、また明日ね」
「そ、そ、そ、そうねっ。また明日っ!」
「…留美、なんだか汗かいてない?」
「きき気のせいよっ! それじゃっ!」
 くるりと背を向けて、右手と右足を同時に出しながらぎくしゃくと歩き出す。危なかった。クリスマスの雰囲気に当てられたんだ。
 深呼吸して頭を冷やし、振り返ると瑞佳がまだ心配そうにこちらを見ていた。大丈夫、という風に手を振る。大丈夫、たぶん…。
 ほっとして帰ろうとする瑞佳に、最後に両手をメガホンにして叫ぶ。
「折原のことは忘れなさいよっ!」
 瑞佳が振り向く。
 街灯に照らされたその顔は笑っていて、なのに胸へと突き刺さる。
 辛さを何とかして追いやろうとして、それでも隠しきれない、そんな顔。
 そうなのだ。留美が何か言った程度で、どうなるものでもないのだ。
 要するに、瑞佳は失恋したのだから…。

 自分が嫌になりながら、留美は足を引きずるように家へと帰っていった。




 七瀬家の夕ご飯は、父のリクエストで鍋焼きうどんだった。
「な、なんでクリスマスに鍋焼きうどん…」
「てやんでぇ、べらぼうめ。うちは先祖代々仏教よ」
「だからって、こんな日まで徹底しなくてもいいでしょぉっ! お母さん、ケーキとか買ってないのっ!?」
「なに言ってんだい、今買うと高いからね。クリスマスが終わって値下がりしたら買ってくるよ」
「ム、ムードがぁ…。うちの家族って一体…」
「ねーちゃん、うるせーよ。高2にもなってクリスマス過ごすのが家族って方に問題あるんだろ」
「やかましいわぁぁぁぁっ!!」
 それでもうどんをすっかり平らげて、長風呂にのんびり浸かってから自分の部屋に戻る。
 瑞佳からもらったリボンを開けて、髪の毛に当ててみる。
 そしてそのまま、ごろんとベッドに寝転んだ。

 なんだか変なクリスマスだった。繭と遊んで、瑞佳と一緒に過ごして…。
 ロマンとも王子様とも無縁だったけど、それはもうどうでもよかった。

 頭に浮かぶのは別のことだ。他人の心配なんてしても仕方ないのに。
 なのに何か考えようとしても、寂しそうに微笑む瑞佳の顔ばかり浮かんでくる。
「(あたしが幼なじみなら良かったのに…)」
 そうすれば、あんな顔なんて絶対にさせなかったのに。

 詮無い思考を払うように頭を振って、手を伸ばしてラジオをつける。

『善き人たちよ 主は見たり
 汝の魂 浄かりせば
 み恵みその手に 降り積もらん…』

 流れてくるそんな歌を、枕に突っ伏しながらしばらく聞いていた。
 神様は見ていない。善き人というなら、瑞佳こそがそれなのに。
 聖なるクリスマスイブに、瑞佳は幸せじゃなかった。
 もうサンタが来る歳じゃないのと同じに、天からのみ恵みなんて、降ってきたりはしないのだ。

「ばかよ、瑞佳…」

 報われない恋をしている少女に言って、留美は静かに目を閉じた。
 その夜の中には、無理をして笑う彼女の顔が、ずっと…残っていた。






<12/25に続く>





続く
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