世界のかけらの冒険者たち






 とある地方の山奥、何てことのない平凡な村でちょっとした人だかりができていた。前途有望な一人の少年がいよいよ旅立つというので、村人総出で見送りに出ているのである。
「いやルーファス君!故郷に錦を飾る日を楽しみにしておるよ!」
「は、はぁ…」
 村長にバシバシと肩を叩かれながら、15歳のルーファス・クローウンは内心冷や汗ものである。
「いや、あんな小さかったルーファスちゃんがねぇ」
「末は宮廷魔術師様だなや、クローウンさん」
「いやだよ、そんな大層なもんじゃありませんよ」
 なんとも母の言うとおり、実のところそう大した話ではない。きちんとした魔法を習いたいと何度も頼み込み、なんとか受験だけはさせてもらえるものの工面できたのは路銀と受験料だけ。好成績を取って特待生になれなければそのままとんぼ返りするしかないというのは家族の間だけの秘密だった。失敗したときの後が怖い…。
 しかし、とルーファスは気を引き締める。初めて魔法を使えたときの感動。知れば知るほど引き込まれる奥深さ。ちゃんと学んでみたかった。どうしても、学園へ行ってみたい。それが可能性の低い挑戦でも。
「それじゃ父さん、母さん、行ってくるよ」
「こっちは何も心配いらんと。気張って受験しといで」
「お前は昔っから要領悪いけんど、せめて体だけは気ぃつけてな」
「は、ははは。じゃ、っと、シンシアは?」
 最後に幼なじみに挨拶しようとしてあたりを見回す。いつもルーファスにくっついてた、妹のような女の子の姿が見えない。
「シンシアなら朝からふてくされてたからねぇ。道の方にいるんじゃないかね」
 お隣のラプティスさんにそう言われ、ルーファスはもう一度皆に挨拶すると、村の入り口を後にした。
 雄大な山々を背後にした広野。細い道が延々と続く。
 そこから少し外れたところに小さな子猫の耳があった。
「元気でな、シンシア」
「…おにーちゃんのばかぁっ!」
 こちらに背を向けたままの涙声。
「おいおい、バカはないだろ」
「だってシンシアのことおいてっちゃうんだもん。とおくにいっちゃうんだもん!」
「ああ…ごめんな」
 ぽん、と頭に手を置かれて。涙目で振り返るシンシアが見たのはいつもと同じ、少し困ったように微笑むルーファスの顔。
「たまには帰ってくるよ」
「おにーちゃん…。やっぱりシンシアもいくぅっ」
 自分の腕にしがみつくシンシアに、ルーファスは空いた方の手で頭を掻く。
「まだ無理だよ…。あそこは16歳以上でないと受験できないんだから」
「じゃあじゃあ、シンシア16さいになったらおにーちゃんのとこいける?」
「そうだなぁ、うーん…」
 Skill&Wisdom。自分でも受かるかどうかも分からないのに、無責任なことを言っていいのか。
 でも涙目で自分を見上げる女の子に……ルーファスは今だけ、敢えて無責任になることにした。
「一生懸命勉強すれば大丈夫だ!」
「ほんとっ!? わーい! シンシアおにーちゃんにあいにいくー!」
 無邪気に喜ぶシンシアの頭を撫で、ルーファスはしばしの別れを告げる。お互いに笑顔で。見慣れた山、見慣れた故郷を残して。
 まだ見ぬ学園へと。




 北方…霧に包まれた小さな街で、
「ね〜ぇ、お義父さまぁ」
 召喚士ユリウス・ヴィンセント氏にとって、この甘い声は悪魔の宣告に他ならない。
 10数年前、召喚時の事故で水の精霊をひとり精霊界に帰れなくした、そのツケは急激に軽くなっていく財布だった。
「な、なんだねアリシア」
「ふふっ、欲しいものがあるんだけどぉ」
「(そら来た)」
 内心で深々とため息をつきながらも、既に諦めているユリウスである。
 金の髪と碧の瞳を持つ美しい精霊の娘。明るく無邪気に見えていても、ひとりとして仲間のいないこの世界でどれだけ不安なことか。物で紛らわせるのは間違いなのかもしれないが、自分にできる償いはそのくらいのものだ…。
 でもその日、彼女がねだったのは宝石でもネックレスでもなく、一枚の書類にサインをすることだった。
「入学申請書…?」
 何事か理解できず目を丸くする彼に、アリシアはくすくすと笑った。
「そう。そろそろ本当に欲しい物を手に入れようかな、って」
 思わず顔を上げる。その目の前の瞳は、深い湖のようにじっとユリウスを見つめていた。
「…安心して、友達まで買ってくれなんて言わないから」
「そ、そうか…」
 いつの間にか。
 この子も大きくなっていたのか。人と違う時間を過ごす精霊でも。自分の浅はかな慰めより、ずっと大事なものを知っていた。
「やれやれ、父親失格だな…」
「なに言ってるの、まだまだ養ってもらわなくちゃね」
「おおこわ」
 S&Wの入学志願書。あの学園は、どんな種族も平等に迎え入れる。きっとアリシアの欲しい物は手に入るはずだ。
 旅立ちの日、微かな朝日に金髪が跳ねる。
「それじゃあね、お義父様」
「ああ」
「たまには帰ってくるから」
「ああ…」
 この世ならざる精霊でも…。この子は自分の娘なのだと。
「行っておいで、アリシア」




 東方、華の国では、毎年恒例の武術大会で賑わっていた。
「(ここまでか…)」
 眼前に筋骨逞しい戦士がゆっくりと歩み寄ってくる。体中に打撃を食らい、肩で息をしている真琴に比べ、相手の呼吸は多少乱れた程度。自分の二倍以上重い相手に健闘はしたかもしれないが…所詮は健闘でしかなかった。
「はああっ!!」
 最後の賭けとばかりに当て身に行き、瞬間、視界が反転する。場外まで吹っ飛ばされ地面に叩きつけられながら、審判が相手の勝利を宣言するのを聞いた。
「お疲れさま」
「青蘭か…」
 友人が覗き込む。視線での答えに、彼女もまた早々と敗れたことを知る。
「はぁ…。やっぱり体格の差は大きいよね」
 二人とも齢は十と七。女子としては人並み外れた実力の持ち主だが、どうしても越えられない壁はあるのか。そう思いたくなくても、目の前を歩く巨漢たちを見るとそう思わざるを得ない。
「女って損よねー」
「そうだな…」
 自分の腕を見ながら、そう呟きつつも真琴はなにか納得いかない様子だった。
 そして翌日。
「ま、真琴!?」
 昨日の今日で、いきなり旅支度をして出立の挨拶に来た友に青蘭は目を丸くする。
「西の学院に行くんだ」
 さらり、といった感じで真琴は言った。
「強くなる方法ならいくらでもある筈だ。何もせずに弱音を吐くほど落ちぶれたくはないからな」
「そりゃ悪かったわね…」
「あ! いや、別にそういうつもりはないのだが」
 律儀な反応に苦笑しながら、内心小さくため息をついた。自分にはそんな考えは浮かびもしなかった。
「私にはそこまでの根性はないわ。私の分まで強くなってきてよ」
「ああ、任せておけ」
 涼風のような笑顔を残して旅立つ真琴。遥か西方を目指す友を、青蘭は気の済むまで見送っていた。




 つまらない、下らない。
 世の中なんてそんな物。笑顔の仮面を張り付けても、心の中じゃみんなそう思ってる。少なくともこの派手派手しい空間では。
 日常を忘れるための賭博場。失うものがないなら、チップの価値も安いものだ。
「ねぇレジー。どう?この宝石。新しく買ってもらったの」
「ああ、いつも綺麗だが今日は格別だぜ」
 中身なんてありゃしない。嘘と冷笑、自分にはそんな所がお似合いだ。親に勘当されて以来そんな所ばかり渡ってきた。俺の人生なんてそんな物。
「おい、いいのかよこんな所来て」
「大丈夫だって、教官もたまに来てるって噂だぜ」
 たまにそんな青臭い連中が――レジーより年上だが――場違いに紛れ込んでくる。『学生は勉強でもしてろ』。外面はにこやかに女と話しながら、内心でそう罵った。
「レジーは行かないの?」
「は? 何処へ」
「Skill&Wisdom。あなたなら簡単に入れそうじゃない」
 カードを切る手を止めて、思わず肩をすくめる。学校? この俺が? そりゃ無茶ってもんだぜお嬢さん。
「仲良しごっこに興味はないね」
「あら、こんな所でくすぶってるよりはましよ」
 悪うございましたね…と声に出ない呟き。昔は熱中できたギャンブルも、今じゃ単なる子供の遊び。何故って? いつも勝つからだ。
「簡単に入れるわよ」
「…簡単に入れるだろうけど、な」
 だってそうやって生きてきたんだから。
「いつまでも死んだ目はおよしなさいな、お坊っちゃん」
 女はそう言うと、頬に軽く唇を当てて出ていった。舌打ちして、その跡を撫でる。
「行ってみるか?」
 どうせ何処も同じなんだから。
 そう言い訳したけど、結局は賭けたかったのかもしれない。




「やったぜ兄さん!」
「おう、当然よ!」
 その年森を荒らし回っていた大熊が退治されたのはマックスの手柄である。弟のクルトの賞賛を受けながら、狼の少年はえっへんと胸を張った。
「兄さんこそこの世で最強の男だよ!」
「はっはっは、それほどでもあるぜ」
 しかし笑えたのも一瞬のこと。突如右頬に激痛を感じ、身体ごと吹っ飛ばされて木の幹に叩きつけられる。
「ぐぼあ!」
「この、痴れ者がぁぁぁぁぁぁああ!!」
「お、親父っ!!」
 はたして髭モジャの父親が、拳に血管を浮かせて仁王立ちしていた。
「たかが熊を倒した程度で最強を名乗るなど、百年、いや、百万年早いわっ!!」
「そ、そんな父さん! 兄さんは村一番の若者なんだよ!?」
「そうだぜ親父!!」
「増長するのも……大概にせんかぁぁぁぁぁっっ!!」
 鉄拳が今度は左の頬を張り飛ばす。
「ぐげ!!」
「ワシがお前くらいの頃はな…。冒険者の学園で、とんでもない荒くれ猛者どもと日々凌ぎを削っていたものよ」
「ぼ、冒険者の学園!?」
 そういえば聞いたことがある。都会の方にSkill&Wisdomなる冒険者養成学校があり、魔法や闘技の修行をしているとかいないとか…。
「そんなに強い奴らがいるのか!?」
「そうだっ!」
「兄さんよりも!?」
「マックスごとき井の中の蛙、足元にも及ばぬ連中ばかりよ!!」
 ここまで言われて黙っていられるわけがない! マックスの毛並みがぶるぶると震える。恐れではない、武者震いである!
「よーし分かった、オレもその学園を目指してやるぜ!」
「そうか! まずはしっかり勉強せんとな」
「…やっぱ少し考えさせてくれ」
「男が一度決めたことを……あっさりと撤回するなぁぁぁああああっっ!!」
 3発目を顎に食らったマックスは、弟に水をぶっかけてもらうまで気絶する羽目になった。
 そして翌日から泣く泣く勉強を始めたものの結局試験に落ちた彼は、次の年の挑戦でようやく入学できたのである。




「お呼びですか父上。蒼紫、参りました」
「うむ、入れ」
 正座したまま襖を開け、広間に鎮座する父に一礼した後、中へ入り襖を閉める。紅家といえば和の国でも十本の指に入る名家のひとつ。父の紫柳もまたこの国の重臣の一人であり、蒼紫とは親子といえど常時こんな感じだった。
「お前もじきに十六であったな」
「は。未だ未熟の身ではありますが」
「うむ。ところで唐突だが、魔法というものをどう思う」
「は?」
 まったくもって唐突な問いに、冷静な蒼紫もさすがに一瞬虚を突かれる。西方では盛んな魔術だが、武士の治める和の国では基本的なことも伝わっておらず、あったとしても妖術として忌み嫌われるのが常であった。
「どう…と申されましても、所詮は左道邪術の類、男子が手に染めるものではありませぬ」
「そうか蒼紫よ。ところで早速だが三年ほど西方へ留学してもらいたい」
「はあ!? す、少しお待ちを父上!」
 純粋な和風少年の蒼紫にとって西方で学ぶものなど異教の妖術。そしてこの国の殆どの者にとってそれは同じ事である。そして紫柳にとってはそれこそが懸案の種だった。
 おもむろに立ち上がると襖を開けて庭を眺める父に、慌てて蒼紫も後に従う。
「のう蒼紫よ、果たしてそのように嫌うばかりでよいものか」
「と申されますと?」
「この国は伝統を重んじることで独自の文化を保っておる。しかしそれが為に、他国より数段劣る場面もあるのではないか…」
「…成程」
 例えば将来魔法によって攻め込まれたとき、この国に対抗する手段はあるのだろうか。父はそこまで語らなかったが蒼紫は瞬時に理解した。誰かが見聞を深めねば、いずれは他国に取り残される。
「承知しました父上。非才ながらこの蒼紫、お役目承ります」
「うむ、しかと頼んだ。それから若葉の送り届けも頼む」
「な、何ですとっ!?」
 普段穏和なこの少年も妹のこととなると別だ。
「何故若葉までそんな異国へやらねばならんのです!」
「まあ落ち着け。"ぱーりあ"という街に"ばばろん"なる魔女が住んでおってのう」
「何奴ですかその怪しげな人物は!」
「なんでも『どんな料理下手もたちどころに治してしまう』と評判の魔女だそうな…」
「…大変よく分かりました」
 分かってしまう自分を妹に詫びつつも、普段味見させられている犠牲者はさっそく出発の準備に取りかかるのだった。
 そして数ヶ月後、妹をパーリアの街の入り口まで送り届けた蒼紫は、その足ですぐさま冒険者の学園へと向かう。
 実のところ入り口まででは全く不十分だったのだが、それはまた別のお話。




「本当に困りますよ神父さん!」
「うちの子に怪我でもさせたらただじゃ済みませんからね!」
「誠に申し訳ないことで…。よく言い聞かせておきますので…」
 街外れの孤児院。平身低頭して何とか住民をなだめる神父の声を、ジャネットは扉の陰で聞いていた。拳を握りながら。心臓に針が突き刺さる。
 その彼女を柱の陰から別の女の子の視線が見る。ふとジャネットが顔を上げた瞬間、目の合った女の子は慌ててどこかへ逃げていった。今度は舌打ち。
 孤児たちはジャネットには近づかない、近づけない。遠ざけたいわけじゃないけど、結局はいつもそうなってる。
「ジャネットや」
 目の前に神父がいる、ようだ。もう誰とも視線を合わせたくない。横を向いたままジャネットは言う。
「何だよ…。悪かったな」
「‥‥‥‥」
「追い出したけりゃ追い出せばいいだろ! どうせオレは厄介者なんだからさ!」
 喚くなり返事も待てず、拳を握って、ジャネットはそのまま駆け出した。何でいつもこうなるんだろう。何でこんな――
 孤児になったのは5歳の時。
 戦いに行った父は、それきり帰ってこなかった。でもこの孤児院には、生まれてすぐに捨てられた者も多い。5年間でも親がいただけ幸せと思うべきだろうか? そうかもしれない。でもそう思えない。誰を恨む、父か、神か、自分か…
 羽音が舞い降りて右手で止まる。
「アル…」
 唯一の親友。天空を自由に舞う鷹。自分には真似できない。
 恨むべきは自分だ。
「あのさ…。神父さん」
「おお」
 暫くして、祈りを捧げている彼に声をかける。ジャネットから話しかけるのは珍しいことで、神父も思わず腰を浮かせたが、ジャネットは少し寂しそうに笑いながら、
「オレ、S&Wに行くよ」
 と、言った。
 元々そういう話はあった。でも何処へ行っても、たぶんのけ者にされるから。何処へも行くことはできないと思ってた。
「ジャネットや…無理はしなくてもいいのだよ?」
「そんなんじゃねーよ」
「さっきのケンカも、本当はうちの子がいじめられているのを見て助けてくれたんだろう。お前が優しい子だというのは…よく分かっておるよ」
「…神父さんには感謝してるよ。でもオレ、もう決めたから」
「…そうか…。ならば何も言うまい」
 神父が祈っていた神像を見上げる。神様は助けてくれない。
 自分が行かなくちゃいけない。
「行こうぜ、アル」
 数日後、天を横切る鷹と共にジャネットは旅立つ。見送りは固辞した。いつかあんな風に、一人で空を舞えるだろうか。
 一瞬だけ振り返ると…孤児院の陰から、あの時の女の子がじっと見つめていた。
 少しだけ笑みが浮かぶ。軽く手を上げて、ジャネットは孤児院を後にした。




 冒険者にもピンからキリまで色々いる。その3人組は明らかにキリ、せいぜいどこかの悪ガキ共といったところだ。
「いやもう、かなわんわホンマ」
 肩で息をしながらその場にへたり込む長身の青年。残り2人も似たようなもの。彼らの背後には黒く口を開ける洞窟があり、要は数時間前そこへ突入した3人が、魔物に追い立てられてほうほうの体で逃げてきたところである。
「やっぱ僕らには無理やわ、ジョルジュ君」
「せやけどなぁ、伝説のクラムトの剣や。絶対この洞窟にあんねんで?」
「いくら伝説の剣でも命あっての物種や。悪いけど俺らは降ろさせてもらうで」
「堪忍な」
「あ、ちょい待て…! ちっ、薄情な奴らやなぁ…」
 ぶつぶつ言いながらその場にごろんと横になる。もっとも彼らの言うとおり、自分たちのレベルはあまりに低い。かといって真面目に努力なんていう面倒なことも嫌だ。
 地につけた頭に犬の足音が駆けてくる。
「おお、ルビーにエメラルド。なんやなんや、心配しとったんか」
 寝転がったままの自分にふんふんと鼻をすり寄せる愛犬たちに、ジョルジュはその頭を撫でながら、
「なんか楽して強うなる方法はないもんかなぁ…」
 などと、勝手なことを考えていた。
 そして翌日。
「が、学園に入学するやてーーっ!?」
「熱でも出たんかいジョルジュ君!」
「ええい額に手ぇ当てるなっ! ええか、これは深慮遠謀に基づく行動なんやで」
 まず学園に入って、適当に遊びながら魔法剣を取得する。3年もあればいくらなんでも出来るだろう!
 魔法剣さえあればこっちのもの。ザコ敵は一掃できるから、適当にダンジョンを荒らして装備を調えることができる!
「強い武器に魔法剣をかければ、そらもう無敵っちゅうわけや。おれってなんて頭ええんやろー」
「アホくさ…」
「そないに上手くいってたまるかい…」
「ま、ま、何とかなるやろ。ほなルビー、エメラルド、入学手続きに行ってくるでー」
「ワンワン!」
 呆れる人間と、応援する犬を背後に、ジョルジュは意気揚々と出かけていった。
 幸い試験で動機は判明しないものだ。不純な動機で志望した彼は、カンを頼りに入試にもパスしてしまい、S&へと籍を置くことになった。楽して強くなるために!
 もっともそこまで世の中甘くなく、結局は入ってからしごきと試験で四苦八苦する羽目になる。




「ただいま…。お母さん」
「お帰り、ミュリエル」
 父は仕事で忙しいので、病で寝たきりの母の世話をするのは彼女の仕事だ。自分も体が丈夫な方ではないけれど…少なくとも自由には動けるのだから。
「領主様はなんの御用だったの?」
「え、あ、その、と、特に何も…」
「ミュリエル…」
「ご、ごめんなさい」
 謝って、自分の部屋へと逃げ込む。ベッドのそばには読みかけの本。家の仕事をする以外は、ミュリエルはいつも本を読んでいた。それだけの日々だった。
 別段勉強熱心などとは思っていない。それどころか本の中にしか住めない臆病者だと思っている。なのに優しい領主様は、そこまで熱心なら学園できちんと学んでみてはどうかと、学費は出してあげるからとまで言ってくれたのだ。
「でも…お母さんを残して行けないよ」
 ミュリエルはぽつりとそう言うと、今日もまた本を読み始めた。
 読んでない本は減っていく。いつか無くなり、それ以上ミュリエルは知ることはできない。学ぶべき事は無限にあるのに。でも
「行けない…」
 自分の手はそれには届かない。伸ばせない。
 このまま変わらない、ずっと。
「お母さん! だめよ寝てなきゃ」
 沈んでいく思考が引き戻される。母がおぼつかなげに壁につかまっていた。慌てて駆け寄る娘に、小さくせき込む。
「お、お母さん! しっかり…」
「…ねえミュリエル。こんな病気よりも、娘が自分のせいで夢をあきらめるなんて事の方が何倍も辛いのよ」
 か細い声に、眼鏡の奥に視線を伏せる。お母さんのせいじゃない。本当は自分が、ただ勇気がなくて、母の病気のせいにして留まってた。
「ミュリエル…」
「…うん。わかったから、今は休んで。ね?」
 一晩悩んだ。翌朝学園へ行きたいと告げる娘に、母親は優しく微笑んだ。
 その足で領主様のもとへと向かう。
「うむ、しっかり勉強してきなさい」
「は、はいっ。ありがとうございます…!」
 自分は何も変わってない。ただ周りの人たちが手を差し伸べてくれただけ。
 でも知りたいこと、学びたいことはたくさんある。それがやっぱり本を読む自分であっても――今は学園に行ける、それだけで嬉しかった。




 S&Wのある街を自由都市フィロンという。学生をはじめとして多くの人が住むこの街には、もちろん教会もあった。
「主よ、汝の慈愛が人々に注がれますよう。すべての人に救いがもたらされますよう。アウクシリアトル…」
 S&Wの学生、ルーイット・ホーンが足を踏み入れた先で、ひとりの少女がいつものように神に祈りを捧げている。教会の空気と相まって神聖さに満ちた彼女は一種この街の名物で、彼女目当てに祈りに来る学生もいる始末だった。実のところルーイットにもその目的が多少はあったりする。
「システィナ。今日も熱心だね」
「まあルーイットさん。お元気そうでなによりです」
 にこ〜…と微笑む彼女を見れば、嫌でも心安らかになろうというものだ。
「きっと日頃の行いがいいからですねっ。ああ神様、ルーイットさんのようないい人にお会いできるなんて私は幸せ者ですアーメン…」
 …こういうところは少し問題のような気もするが。
「いやいや、最近は忙しさにかまけてあまり礼拝もできない不信心者でね」
「そんなっ! ルーイットさんは学業に打ち込んでらっしゃるのですから、多少忙しいのは仕方のないことです。常に心正しく生きていれば神様はきっと恩寵を与えてくださるでしょう!」
「そ、そりゃどうも」
「学校は大変なのですか?」
 本気で心配そうなシスティナに、実は部活で忙しいのだとは口が裂けても言えず、強引に話題を変えた。
「し、システィナはS&Wには入らないのかい?」
「いえ、私は…この教会が全てですから」
 システィナの父は神父であり、ここの教会に住み込みで教えを垂れている。システィナもまたここで生まれ、神像に見守られながら育った。
 ためにこのような心清い少女が存在するのだが、心清さにも限度がある。少しは学園にでも行って常識身につけた方がいいんじゃぁ…とは余計なお節介ながらルーイットは思っていた。
「それに学園は清らかな方ばかりでしょうから、私がお祈りする必要もないでしょう?」
「S&Wが? ぜーんぜん!」
 とんでもない、とばかりにルーイットは手を振る。
「特に俺がマスターしてるところ、ウィザーズアカデミーっていうんだが、そこの後輩のデイルってのが酷い奴でねー。先輩の言うことは聞かないわ、変な魔法実験はするわと困ったもんさ」
「まあ…」
「システィナが入ってきて破邪でもしてくれれば助かるんだが」
「と、とんでもありませんっ…!」
「シ、システィナ?」
 冗談で言ったつもりだったが、突然泣きそうになる彼女に思わず慌てる。
「なんで…なんでそんなことを仰るんですか? そのデイルさんという方も必ずや心に天使を住まわせているはず。そのように仰るのは悲しいことです」
「い、いやでも実際ねぇ…」
「そうですか…。そのデイルさんという方をはじめ、学園にも救いを求めている方がいらっしゃるのですね?」
「へ? ま、まあそうなるか」
「分かりましたっ。さっそく入学を認めてくださるようお父様に相談してみます!」
 一方的に納得すると、使命感に満ちた足取りで教会の奥へと姿を消すシスティナ。呆然と見送るルーイットに礼拝に来た人たちの視線がじろじろと集まる。慌てて印を切ると教会を後にする。なんだか純粋な少女に余計なことを吹き込んでしまったような…。
「(デイルの奴の心にも天使が、ねえ)」
 屋根に十字架の立つ建物を後にしながら、本当にシスティナが入学してデイルを改心させてくれないかなぁと、淡い期待を持つルーイットだった。




 この学園の入学試験は授業を受けられる程度の基礎的な学力と、魔法入学なら魔法、闘技入学なら闘技の試験が課されている。
 といっても初心者向けの冒険者養成学園のこと、そう難しいというほどのものではないが。
「あら」
 採点は教官の役目だが、採点結果を表にするのは司書のリディア・シュクレシオンが手伝っていた。ふと出身地の欄に覚えのある地名を見つける。学者の街アナトリゼ、確かあそこは有名なセイリア大学があって、わざわざS&Wに来る者など皆無であったはずだが…。
 もちろん本人の能力がそこまで到達していなかった可能性もあるが、得点はほぼ満点。変わり種もいたものだ。
 もう一度名前を見る。見覚えがある。確かアナトリゼでも有名な学者の姓だ。
 エセルバート。
「ソーニャ・エセルバートさんね」
 2日目の試験用紙を回収してから声をかける。いかにも優等生という感じのきっちりした服を着た、ショートカットの少女。
「そうですけど」
「おめでとう、昨日の試験はほぼ満点よ」
 喜ぶかと思いきや、少女は慌てたように椅子を蹴って立ち上がった。
「そ、そういうことを合格発表前に話していいんですかっ?」
「べ…別に不正してるわけじゃないから大丈夫よ」
「いい加減すぎます!」
「いい加減な学校なのよ、ここ」
 眼鏡の奥でリディアは思わず苦笑する。少女はまったく納得いかない、といった風だ。
「なんでセイリア大学へは行かなかったの?」
 気軽に聞いたつもりだったが、ソーニャは一瞬身を強ばらせた。
「それは試験官としての質問ですか」
「私はただの司書よ…。変なことを聞いてしまったなら謝るわ」
「べ、別にそういうことはないですけど」
 少し考えて、隠さなくてはならないことは何もないと判断したらしく、ソーニャはおもむろに口を開く。
「自分の力で勉強したいんです」
「自分の力?」
「両親や姉の下ではなくて、わたし一人で学びたいんです。勉強だけじゃない、何が正しいのか、全てをです…」
 一人だけで。
 誰も寄せ付ける気はなさそうだった。少し間をおいて尋ねる。
「それじゃ、ご家族は?」
「…家出してきました」
 親や姉に押しつけられた『真実』を拒否した。
 遠く離れたこの街で、一人だけで真実を見つける。他に誰もいらない。
 試験の終わった教室には、いつの間にか2人しか残ってなかった。
「…学園、入れるといいわね」
「そうですね」
 手早く荷物をまとめると、ソーニャは一礼して出ていった。試験にはきっと受かるだろう。でも…
 彼女が本当に学園に入れるのは、いつのことになるだろうか。




 エルフの森は静寂の森。人より少し長い時を生きる彼らは、この森の中で静かに過ごす。それが余計な騒ぎを起こさぬ賢い道だ。
「外の世界へ行きたいとな?」
 長老は目を丸くして、眼前の少女を見やった。ごくまれにそのようなエルフが居るのは驚くほどではなかったが、この大人しい子がそんな事を言い出すとは思わなかった。
「この森の何が不満だね」
「そっ…そういう訳じゃないんです!」
 長い耳を少し赤くして、半分俯いたまま、セシルはぎゅっと両手を握る。
「わけを話しなさい、わけを」
「は、はい。先日、フィロンの街の学園へ呼ばれましたよね」
「おお、あの時か」
 元来エルフは魔術に長け、長老ともなるとその知識は並ぶ者もない。確かあの時は学園の文化祭だかで、ひとつ魔法について講演してくれとしつこく頼まれ仕方なく、同行を希望したセシルと一緒に出かけていったのだった。
「ずっとこの静かな森で育ったから、あんな賑やかなところは初めてでした」
 交わされる人の息吹。笑い声、泣き声、幾多の表情…。思い出しながらセシルは話す。何もかもがこことは違った。
「その中で見つけたんです。すごく一生懸命で、真っ直ぐで、精一杯打ち込んでる…。そんな目をした人でした。わ、私は臆病だから声もかけられなかったけど、もう一度あの人に会いたいんです。会って、何でそこまで情熱をかけられるのか知りたい。あの人みたいになりたいんです…」
 すっかり真っ赤になりながら、それでも最後まで言った少女に、長老は小さく息をつく。
「お前の気持ちはよくわかった」
「それでは…!」
「ダメじゃ」
「ち、長老さまっ!」
「憧れるのは分かる。だが元々内気で臆病なお前が外へ行って、本当に彼らのようになれるものかね? 無理無理、傷ついて帰ってくるのが落ちじゃ。憧れるだけにしておきなさい。それが賢い生き方というものじゃ」
 ひどい言われように思わずセシルは抗議しかけたが、臆病なのはその通りなので、結局なにも言えずすごすごと森の奥へと戻っていった。
「(やれやれ…。ちと可哀想なことをしたかのう?)」
 でも話はそれでは終わらない。
「セ、セシル? 何じゃその格好は」
「ボクは今日から男の子です!」
 髪をまとめ、男物のマントに身を包んだ少女に、長老のアゴが長い髭ごと落ちかける。
「うーむ、気でも触れたかのう」
「正気ですっ! 確かにボクは…私は臆病な女の子です。でもこのままなのは嫌です。森の樹々に隠れ続けるのは嫌です。だからボクは今までの私じゃない。ボクとして外の世界に行きます!」
「無茶苦茶しよるのう…」
「ほっといてくださいっ! ボ、ボクなりに考えたんです。止めても行きますからねっ!」
「いやいや」
 苦笑しながら長老はかぶりを振った。
「そこまでの覚悟があるなら止めはせぬよ。好きなようにやんなさい」
「ほ、ホントですかっ? ありがとうございます! ボク一生懸命頑張ってきます!」
 喜々として駆け出す少女の、後ろ姿にまとめた髪が揺れる。切ってしまわないあたり今いち覚悟が足らない気がしないでもないが…それは当人の心次第。はてさてこの無茶な試み、吉と出るか凶と出るか。




「つくづくルート様はできたお方さね」
「それにひきかえチェスター様は…」
 何度そんな言葉を聞いたか分からない。
 その度にチェスターは激高して、ちっとも建設的でない言葉を叫ぶのだ。
「うっせぇ! ぶっ飛ばされてえのか!?」
 そしてまた自分に嫌気が差す。なんで族長の息子なんかに生まれたんだ。
 炎の民。火神マーリスに認められた部族。火炎を自在に扱い、その心も熱く、勇敢で、その意味では兄のように落ち着いた人物はむしろ珍しいかもしれない。しかしながら彼はその力をひけらかさないだけで、戦いとなれば誰よりも果敢で強い戦士だ。
 チェスターは彼を尊敬していたけど…周りはいつも比べようとする。そしてチェスターの方が劣っていると。いつも、いつも。
「ちくしょう!」
 岩を思い切り蹴飛ばして痛さに顔をしかめる。炎の民が住むのは山岳地帯。岩壁に腰かけて、眼前の谷を見下ろす。兄はきっといい族長になる。でもその時、チェスターはどこに居ればいいのか。
「こんな所に居たのか、チェスター」
 一瞬心臓が飛び上がりかけたが、気にもせずにルートはひょいと隣に座った。こんなところが嫌でもあり…好きでもある。
「なっ…何しに来たんだよ!」
「いや、ちょっと話をしにな」
「あ、兄貴は忙しいんだからこんなトコ来んなよ! 俺なんかに構ってんじゃねーよっ!」
 ルートはつくづく悲しそうな目でチェスターを見た。思わず後ずさるが、後ろは谷だ。
「やれやれ…私も嫌われたものだなぁ」
「ち、ちげーよ!!」
「じゃあ好きか?」
「あっ…あのなぁっ…!」
 返答に窮している間によしよし、と頭を撫でられる。みるみるうちに真っ赤になると、チェスターは土を蹴って立ち上がるなり駆け出した。
「あっ…兄貴のばかやろぉぉぉぉ!!」
 残されたルートを振り返りもせず、チェスターは岩道を走る。
「(いっつもガキ扱いしやがって!)」
 だって子供だから。
「(てめぇのせいで俺がどれだけ苦労してるか…!)」
 でもこんな自分を、いつも気にかけてくれる。
「(てめぇなんか大っ嫌いだ!)」
 大好き。
 あの人の力になりたい。応えたい。あの人は自分を…大事な弟と思ってくれているから。
「兄貴…。俺、S&Wに行くよ」
 本を読んでいる兄に、おずおずとそう言ったのは17歳になって少ししてから。
「そうか…。寂しくなるな」
「う、ウソ言ってんじゃねーよ」
「いや」
 今日は頭を撫でずに、代わりに肩に手を置いた。
「本当はお前が羨ましかったよ。素直に感情を出せるお前がな」
「お、俺のどこをひっくり返したら素直なんて言葉が出て来るんだよッ!」
「出るさ」
 『構うな』は『鎌って欲しい』で。
 『来るな』は『来てくれて嬉しい』で。
「…兄貴なんて嫌いだ」
「そうか」
 笑顔で返す兄。いつか彼が族長になったとき、自分はその右腕になりたい。
 そのための力を持ちたい。




 冒険者という職業がある。
 日々世界を旅して回り、未知の世界を冒険する。憧れる者は多いものの決して楽な仕事ではない。むしろ常に死と隣り合わせの危険な職業であり、それ故S&Wという学園もできたのだが…それでもやはり、目指す者は多かった。
「おかえり、兄さんたち!」
 村の入り口でずっと待っていたラシェルは、2人の姿を認めるや否や手を振って駆け寄った。
「ただいま、ラシェル」
「おう、元気にしてたか」
 ヨシュア・ヴァンシア。鋭い目と冷静な判断力を持ち、魔法剣を使いこなす冒険者。ラシェルにとっては時々口うるさいものの色んなことを教えてくれる兄さんだ。
 アレクシス・ヴァンシア。幅の広い肩と岩をも砕く強力で、バトルアクスを軽々と振る冒険者。これまたラシェルにとっては時々乱暴なものの、気さくで小さな頃からよく遊んでくれた兄さんだ。
 2人の兄の両手にぶら下がりながら、久しぶりの再会に大はしゃぎのラシェル。冒険者一家のヴァンシア家では父も母も兄も冒険に出ており、それでもラシェルが小さいころはまだみんな家にいてくれたが、最近は一人で留守番することが多かった。
 でもそれは構わない。みんな冒険者なんだから。自分の憧れる冒険者が、家にいたままでは話にならない。
「この家もだんだん狭くなるなぁ」
 ラシェルの出したお茶を飲みながらアレクシスが呟く。ラシェルが生活する空間以外はほとんど冒険の土産物置き場と化していた。
「ね、話聞かせてよ! 今度はどんな冒険してきたの? それを楽しみに待ってたんだからね!」
「わかったわかった、そう焦るなって」
「今回は南にあるザスガンの塔へ行ってきたのだがな…」
 目を大きく見広げて、わくわくしながら聞き入る少女。冒険譚は好きだ。いつかはそんな冒険をしたい。でもそのいつかを待つのは…退屈すぎる。
 話は深夜まで及び、続きは明日と兄たちは妹を床につかせた。すぐに元気な寝息が聞こえてくる。その横顔を見ながら、アレクシスはぽつりと言った。
「やはりラシェルのやつ、寂しいんじゃないのか」
「そうだな…」
 妹自身は元気に振る舞ってるし、昼間は近所の人たちもいる。でも夜は、この冒険の戦利品だけに囲まれて一人で眠る。よそから泊まりにおいでと言われても、決してこの家を離れることなく。
「…そろそろ、頃合いだな」
 翌朝、ラシェルは思わず耳を疑った。S&Wに行けと、そう言われたのだ。
「い、いいよそんなとこ! 冒険者になるなら身近に4人も先生がいるじゃないか!」
「俺たちは自分の冒険が忙しい。少なくとも行って損はないぞ」
「でも…。いいよ」
「おいおい、どうしたんだラシェル」
 何度も考えたことはあった。S&Wに行って、寮に入ればひとりで待ち続けることもない。
 でも代わりに、この家で待つ者もいなくなる。
「兄さんたちはいいの? ボクが学園に行っちゃったら、誰も出迎えに来なく鳴るんだからね! それでいいの!?」
「馬鹿にするんじゃない!」
 ヨシュアの声は厳しかった。思わず身を固くする。
「俺たちは帰るために冒険してるんじゃない。出かけるために冒険してるんだ。出迎えなんて、そんなことを考えていて冒険者になれるか?」
「そうだけど…」
 兄の言う通りかもしれない、でも…。
 それが冒険者だとしても、ラシェルには悲しかった。家族がバラバラになってしまう。自分がこの家で待っていなければ、本当にバラバラだ…。
「なあラシェル、冒険者ってのは何だ」
 アレクシスが励ますように言う。
「未知のものに挑戦するのが冒険者じゃないのか。何かあったら試してみるのが冒険者じゃないのか。それをできる強さを持った奴のことじゃないのか!」
「兄さん…」
 憧れてるだけじゃ、いつまでたっても掴めない。
「そうだね…」
 心が強ければ。
 会えなくても離れたりしない。同じ空の下で、旅を続けているんだから。
「うん…ボクは学園に行く、そして立派な冒険者になるよ!」
 兄たちは同時に頷いた。これが最初の冒険。
 ラシェルの冒険は今始まったのだ。




 魔法が好き。
 神様が人に与えた神秘の力。無から有を、闇から光を、望む世界を創り出す。不思議な呪文を唱えるだけで、幾多の奇跡が浮かび来る――
「メ・リ・ッ・サぁぁぁ〜〜〜!」
「ひぃぃ〜〜ごめんなさい〜〜〜〜!」
 魔術師マティリオ・トルアの人生は少し前まではいたって順調だった。一変したのは生まれ故郷のこの村に戻って来てから。いきなり「弟子にしてくださぁ〜い(ハート)」とか言いながら押し掛けてきたこの少女が、物は壊すわ、使えもしない呪文は使うわ、作りかけの秘薬に変な物は混ぜるわで毎日がデンジャラスだ。
「もー今日という今日は我慢の限界よっ! メリッサ、あんたは以後私の家に立ち入り禁止っ!!」
「そんなぁっ! ごめんなさい反省してます許してくださいぃぃ〜っ!」
「やかましいっ!」
 とはいっても彼女の両親は昼間は牧場の仕事に行ってるため、暇になったメリッサはやっぱりマティリオのところにやって来る。
「来るなって行ってるでしょ!」
「やんっ。そこをなんとか大先生様っ!」
「あんたに大先生呼ばわりされる歳じゃないわよ! まだハタチよっ!」
「じゃ、お姉様」
「あんたみたいな妹だけは持ちたくないわっ!」
 万事こんな調子で、不本意ながらこの2人は娯楽の少ない村の名物になりつつある。学園でも変な後輩はいたけれど、卒業してまでこんなのに悩まされるとは思わなかった。
「ねー先生、そんな暗い顔しないでっ。一緒に魔法のお仕事しようよー」
「そんなことは一人前に魔法が使えるようになってから言いなさいよっ!」
「じゃあメリッサの学園行き許可してよっ!」
「絶対ダメっ!!」
 この子は本気で魔法使いになるつもりらしい。確かにS&Wできちんと学ぶのが早道だろうが、でもダメだ。大恩ある母校にこんな危険人物を送り込むわけにはいかない。こんなのが魔法使いなんて、絶対に絶対にダメだっ!
「いいことメリッサ…。これが最後の忠告よ、魔法使いになるのは諦めなさい」
「え〜っ。やだそんな怖い顔しちゃって」
「真面目に聞きなさい!」
 今日という今日は理解させないといけない。
 真剣な顔に、メリッサも口を突き出しながらしゅんと黙る。
「魔法の力はあなたが考えてるような素晴らしいばかりのものじゃない。使い方を誤ればいくらでも人を傷つけるわ。そうなると魔術師全体が白い眼で見られる。そうなったときあなた一人で済む問題じゃないのよ?」
「で、でも…!」
「人は自分の知らないものを恐れるわ。だから本当に使いこなせる者しか使っちゃいけないの。あなたがやってるのは魔法全体に対する侮辱よ」
「あの、でもね、メリッサみんなが喜ぶような魔法を使いたいって…」
「あなたには才能がないの!!」
 …一瞬、空気が凍る。
 その通り。
 メリッサの魔法が失敗ばかりなのは、結局はだからなのだろう。それは薄々分かってた。でも魔法使いになりたくて、魔法使いになるのが夢で、だから――
「…なによ、そこまで言わなくてもいいじゃない! 先生のばかぁぁぁ!!」
 言うだけ言ってメリッサは飛び出していった。さすがに多少はこたえただろう。気の毒だが本人のためだ。
 次の日からメリッサは来なくなった。静かだが、少し寂しいか…
「…バカバカしい」
 ぶつくさ言いながら散歩に出かけると、どこからか女の子の泣く声がする。見ると道の真ん中で小さな子が、転びでもしたのかすりむいた膝を抱えて泣いており、その前でよりによってメリッサが…どうやら慰めているらしかった。
「な、泣かないでよぅ〜。だいじょーぶ、このメリッサ様の魔法で傷なんてちょちょいのちょいよ!」
「ぐすっ…ほんとに?」
「ほ、ホントもホントよ。えーと、ハッピンパラリコ…」
「だーーっ!やめなさいっ!!」
 背後からぽかりと殴る。頭を押さえてうなってるメリッサを横目に、マティリオは治癒の呪文を唱えた。女の子は笑顔でお礼を言って去っていった。
「ずっるーい、メリッサの役だったのに…」
「なんか言った?」
「ああっなんでもないですぅ〜」
 深々とため息をついたのは何度目だろう。
「なんだってそんなに魔法使いになりたいのよ…」
「あ、あのねっ」
 嬉しそうにメリッサは話し出した。あの女の子のように小さな頃、山で迷子になって、泣きながらどうしていいか分からなくて。たまたま通りがかった魔法使いが助けてくれたけど、それでも真っ暗な山道に、怖くて涙は止まらなかった。
 そんな時。
 魔法使いの手から現れた不思議な光。どんな色とも違い、どんな色よりも綺麗な。ぼんやりと宙を舞う光の粒に、メリッサは泣くのも忘れていた。
 後になればそれは簡単な魔法だったのだけれど。
 不思議な光景は、今も目を閉じれば浮かんでくる。
「単純な理由ね…」
「うー、悪かったわねぇっ」
「あーもうわかったわよ。黙ってても使おうとするんだから、まだ学園に行って習った方がマシでしょ」
「え…」
 一瞬何を言われたのか理解できてなかったが、すぐに抱きついて。
「先生大好きっ!!」
「はいはい…」
 ぽんぽんとその頭を叩きながら、自分もそんな頃があったのを思い出した。神様がくれた不思議な力。
 魔法が小さな奇跡なら――それはきっとこの子にも。




「(あいにきたよ!)」
 あれからシンシアは頑張った。
 字も書けるようになったし、魔法も少しだけ覚えた。ルーファスが村に帰省したときは勉強を見てもらった。そしてシンシアも村を出て…今ここで、ずっと想像するしかなかった学び舎が、小さなシンシアを迎え入れる。
「(おにーちゃん、どこかな…)」
 学園は広い。試験の時にルーファスに案内してもらったけど、それはほんの一部だけ。初めて見る建物、人たち、人たちの集まり。様々なアカデミーの勧誘。呼び止められいろんな話を聞きながら、シンシアはルーファスを探した。学園の中のルーファスはどんな風に見えるのだろう。きっと2年間学んだ彼は、すごく格好良くなってるのだろう…。
 なんていうシンシアの予想はあっさり覆される。
「頼むっ、ウィザーズアカデミーに入ってくれぇ!」
 学内広場でようやく見つけたルーファスは、なぜだか人に頭を下げては片端から断られていた。大して変わってないけど、こんなに熱心なのを見るのは初めてだから、やっぱり変わったのかもしれない。
「おにーちゃん!」
「シンシア! この学園によく来たね」
「うんっ。おにーちゃんにあいたかったの!」

 Skill&Wisdom。

 この学園へと。ずっと望んでいた。住み慣れた世界を離れても。

「あー、俺がマスターやってるウィザーズアカデミーはどうかな?」

 一人一人にそれぞれの願いと、それぞれの軌跡があって。
 そこからまた道が分かれて、無限の方向へ連なっている。いくつでも、いくつでも…

「うん…おにーちゃんにあいにきたんだもん…」
「そうか! 一緒に学園の思い出を作ろう」
「わーい! シンシアおにーちゃんのとこにはいるー!」
「よールーファス、部員集まったかー?」
「げげっ、隠れろシンシア」
「おにーちゃんそのひとだあれー?」
「はっはっはっ、さっそく仲間が増えたじゃないか」

 新しい景色の中で。
 いつも一緒だった人と、そして新しい人たちと。仲間を加えて、学園の中へと飛び込もう。
「さあシンシア、他のメンバーを勧誘に行くぞ!」
「うんっ!」


 そしてみんな


 それは単なる偶然で


『あら、ルーファス君じゃないの。久しぶりね』
『ルーファスか。メンバーは集まったか?』
『ああ、まだ廃部になってなかったの』


 奇跡なんかじゃないし
 幸運とも限らない


『おおう! そういうアカデミーなのか?』
『アカデミー運営の方針などをお聞かせ願いたい』
『不良のオレになんか用かい』


 だってまだ始まったばかりで
 行く先は何も見えないから


『「楽して強くなろう」がおれのモットーやしなあ』
『す、すみません。あの…』
『あなたは神を信じますか?』
『あなた達、昨年何したかもう忘れたんじゃないでしょうね!』


 それでも


『なんで俺がそんなとこ入んなくちゃなんねえんだよ!』
『はいはい、勧誘も大変ですね』
『ボクはラシェル・ヴァンシア。1年生だ!』
『魔法のアカデミー以外は入んないわよ』


 僕たちは出会えた


 いくつもの想いと
 いくつもの軌跡があって
 世界の小さなかけらでも
 ここへ集まることができたから


 だから始まる

 僕たちのアカデミーで
 軌跡を作る 先なんて見えなくて
 泣いたり笑ったりしながら 回り道を進んでいこう


 そんな毎日が 今



 始まる――







<END>






後書き
感想を書く
ガテラー図書館に戻る
アカデミーに戻る
プラネット・ガテラーに戻る