炊き込みごはんはおにぎりにして、と。育ち盛りだから、おかずも多めにしましょうね。
 今日は弟たちの球技大会。さすがに6人分のお弁当は大変だわ。
「お姉ちゃん、お弁当できたー?」
「もうちょっと待っててね。今詰めてるところよ」
 楽しみにしていたとあって、みんな朝からおおはしゃぎ。見てるとこちらまで嬉しくなってくる。
「はい、出来たわよ。みんなで仲良く食べるのよ?」
「はーい!」
「はぁい!」
「お姉ちゃん、応援に来てくれないの?」
「ごめんね、学校があるから…」
 弟たちの悲しそうな瞳を前に、私は寂しく微笑むしかない。学校なんてやめようかと時々は思うのだけれど、なんとなく踏ん切りがつかなくて…
「そのかわりお弁当は心を込めて作ったから、楽しみにしててね」
「わぁい、ボクお姉ちゃんのお弁当大好きー」
「僕もー!」
 大好き、か…。ちょっとだけ嫌なことを思いだし、慌てて私は頭を振った。今の私は昔とは違うもの。もうあんな事は繰り返さないわ。
「ほら、もうこんな時間。みんな頑張ってくるのよ」
「はぁーい!」
「いってきまーす」
 弟たちを送り出し、私は台所を見回した。多めにしようとしたらちょっと作り過ぎちゃったわね。ちょうど1人分くらいにはなるかしら。
「それじゃ、行ってきます」
 お父さんに手を合わせると、私は早足で学校へ向かう。カバンの中にお弁当を入れて…





鏡SS:ゴーストランチ





「鏡さん。表通りの『Forbs』で、期間限定のトロピカルランチを始めたそうなんですよ」
「あら、人気があってすぐ売り切れという話ね」
「よ、よろしければ俺が並んできて鏡さんに献上したいのですが」
「そうねぇ、食べてあげてもよくってよ。おーほほほほ」
 …こんな日に限って…。さすがに2食なんて食べられないから持って帰るしかないけど、丸1日置いておいて大丈夫かしら。最近食中毒がはやってるみたいだし。
「鏡さん、次は体育の時間ですが」
「うるさいわね。美しい私に皆と同じように走れというの?」
「も、申し訳ございません!」
 やっぱり早起きしたから眠いわ。外は暑いし、さぼ…もとい休むことにしようかしらね。
 クラスの人たちはみんな校庭に出ていって残ったのは私1人。今のうちにこのお弁当をどこか涼しいところへと、
「あれ?鏡さん。どうしたの1人で?」
「ぬ、主人君!?」
 運が悪いときは重なるもので、廊下を歩く彼と思いっきり目が合ってしまった。誰もいない教室でお弁当を手にしている私というのは正直言って怪しすぎるわ…。
「あ、あなたこそ何をしているのかしら?もう1時間目は始まっている筈よ」
「いやあ、寝坊しちゃって。鏡さんは?」
「あら、私のこの美しさがあれば授業などでなくても許されるのよ。おーほほほほ」
 と、どうでもいい会話をしつつそろそろとお弁当を隠す私だけど、彼の目はしっかりと弁当箱に注がれていた。まったく男っていやしいわね!
「それ、鏡さんが作ったの?」
「ば、馬鹿なことを言わないでくださるかしら!この私がお弁当なんて作るとでも思っているの!?」
「そ、そうだよね。ごめん」
 そうだよねって…。いえ、別にいいのだけれど…

 ぐ〜〜〜〜〜

 異様な音が響きわたり、白い目を向ける私に、彼はあわててお腹を押さえながら苦笑する。
「あ、あははははは。朝飯食いそびれちゃって」
 まったく、困った人ね。余ったお弁当と空腹の彼…別に彼でなくてもいいけど。こういう事情ではやはり仕方ないのではないかしら?
「どうしてもと言うなら、このお弁当を差し上げてもよろしくてよ」
「え?でもそれって誰かのお昼じゃあ?」
 うるさい人ね、黙って受け取りなさい!
「そ、そう、実はあなたに渡すよう頼まれたのよ。後輩の女の子から」
「お、俺に!?」
「私みたいに大人びていると皆に頼られて困ったものね。ほ、ほーほほほほ」
 本当は私を頼る女の子なんているはずもないのだけれど、その場の言い訳としてはまあ上出来だった。押しつけるように彼の手にお弁当を渡す。
「なんて娘?」
「匿名希望よ」
「そ、そう…。それじゃいただきます」
 よほどお腹がすいていたのか、それ以上追求せずに彼はお弁当を広げ始める。私はさして興味もなく、黙ってそっぽを向いたまま。
「あ、おいしい」

 どきん

 一瞬だけ身が固くなる自分に驚く。彼なんてただの残飯整理よ、必死でそう言い聞かせた。
 目をそらしたまま、私にとって長い時間が過ぎた。彼は猛然と平らげてたから、実際にはほんの数分だったのだけれど。
「ごちそうさま、おいしかった」
「そ、そう。なら彼女にそう伝えておくわ」
「名前、どうしても教えてくれないの?」
「…恥ずかしがり屋なのよ」
 鼓動の早くなっていく自分がいまいましくて、私はじっと唇を噛んでいた。洗って返すという彼から弁当箱をひったくると、教室の外へ押し出して扉を閉める。一刻も早く彼を視界から追い払いたかった。

 鼓動がいつまでもおさまらない。
 「おいしかった」の一言が、いつまでも耳を離れない。
 この気持ちを何と言うのか、私はよく知っていたけど認めたくなかった。
「いかがでしょう鏡さん、トロピカルランチのお味は」
「‥‥‥‥」
「鏡さん?」
「え?あ…こ、こんなもの私の口には合わないわね!」
「も、申し訳ありません!」


 その日1日忘れようとしていた私なのに、それをぶちこわすように放課後彼がやって来る。
「頼むっ!鏡さん!」
 目の前で両手を合わせる彼に、私は苛立たしげに指で机を叩いた。
「無理は百も承知、彼女の名前を教えてくれ!」
「しつこいぞ主人!」
「鏡さんが迷惑してるだろう!」
 親衛隊が気色ばむけれど、彼は頑として引き下がらなかった。
「あの味が忘れられないんだ。何かこう、暖かく包み込んでくれるというか…」
「何を訳のわからないことを言っているのかしら!」
「一味惚れってやつだ、頼む!」
 妙な造語を口走る彼に吹き出す者もいたけど、私を見つめるその目はあくまで真剣だった。とても受け止めることが出来ないくらいに。
「つ、付き合いきれないわね。行くわよみんな」
「はいっ!鏡さん!」
「鏡さ…」
「どけ、主人!」
 後ろの方で人が突き飛ばされる音が聞こえる。私は振り返りたくなる衝動を必死に押さえて、足早にそこを立ち去った。


 7人分のお弁当箱を洗いながら、ずっと今日のことを後悔していた。
 なんで彼に食べさせたりしたのだろう?他の誰でも良かったのに…
「お姉ちゃん、今日のお弁当おいしかったよ」
「おねえちゃんのお弁当だいすきー!」
「そう、ありがとう」
 弟たちの感謝の声なら、こんなにも嬉しいのに。
 お母さんは夜の仕事で、家にいるのは私たちだけ。家事に追われる毎日だけど、それでも辛くないのはこの子たちがいるからだった。
 他の誰かなんて必要ない。もう二度と…あんな思いはしたくないから。
 それが彼が現れてから、何かがおかしくなりつつある。今まで必死に築き上げてきたのに、冗談じゃないわ…
「お姉ちゃん、おやすみなさい」
「おやすみ、みんなぐっすり眠って明日も頑張りましょうね」
「はーい」
 少しの間布団の中で騒いでいた弟たちも、いつの間にか静かになった。しーんとしてしまった家の中で、私は1人家計簿をつけている。
『一味惚れなんだ!』
 思い出して、思わず苦笑してしまった。きっとあなたが想像してるのは家庭的な優しい女の子で、断じて私みたいな高飛車な女ではないでしょうね。男なんてみんなそう、いつも目に見えるところしか見ようとしない。
 だから私は、二度と恋なんてしないわ。



「あの…お弁当作ってきたんです」
 どうしようもなく弱かった、中学の頃の私。彼の歓心を買いたくて、すがるようにお弁当を差し出した。返ってきたのは困惑した視線。
「悪いんだけど…」
 今の私なら弁当箱を地面に叩きつけることもできたかもしれない。でもその時は青ざめたまま、口の中で何か言って逃げるようにその場を走り去った。
 行き場のないお弁当は、捨てることもできなかった。誰もいない場所で、泣きながら自分で食べるお弁当。どんなに惨めだったか…

「おねえちゃぁん」
「きゃっ」
 いきなりの声に驚いて振り向くと、末っ子の光が目をこすりながら立っていた。時計を見ると12時半。思ったより長く考え事してたみたいね。
「どうしたの、おしっこ?」
「…うん」
「もう小学生なんだから、1人で行けなきゃダメよ」
「だってこわいんだもん…」
 私は微笑んで立ち上がると、光の手を取ってお手洗いに連れていった。この子たちの世話は大変だけど、手が掛からなくなったら掛からなくなったできっと寂しくなるでしょうね。
「おねえちゃん、かえっちゃやだからね」
「はいはい、早くすませなさい」
 空気はじっとりと蒸し暑い。あたりはすっかり寝静まって、物音ひとつしなかった。
「…光、まだ?」
 暗いところは嫌い。たとえ虚飾でも、明るい方がいい。
 静寂も嫌い。こんな夜は特に…
 幽霊なんて…考えるのも嫌。
「光、いい加減に…」
 物音ひとつしない。

 怖い

 一度そう思ってしまうともう止められなくて、私は必死でお手洗いのドアを叩いていた。
「光、どうしたの光!」
「ど、どうもしないよぉ」
 あわてて光が飛び出してくる。私はいつの間にか汗びっしょりになっていた。
「お、おねえちゃんこそどうしたの?」
「なっ…な、なんでもないのよ」
 しどろもどろでごまかしながら、光をせかすように部屋へと戻った。手が少し震えてるのがつくづく情けない。
「そ、それじゃおやすみ」
「お、おやすみなさぁい」
 光はタオルケットをかぶり、再び周囲は静かになる。私は急いで用事を終わらせると、明かりを消して布団に横たわった。

 怖い…

 眠れないのは暑苦しいだけじゃない。カチカチと時計が音を刻むのが耳障りなせいだけでもない。
 そうよ、何か楽しいことを考えましょう。楽しいこと…
「!」
 彼の笑顔が浮かんでしまって、あわてて私は枕に顔を埋めた。違うわ、そんな安心にすがったりしない。私は…私は…
 どのくらいそうしていたかはわからない。明かりを消した中での時間って、全然実感を伴わないものだから。
 でも結局私は一睡もできず…さんざん躊躇しながら、台所に立っていた。


「やっぱりおいしいなあ」
 昼休みの中庭で、彼は私のお弁当を食べている。その笑顔を見て喜ぶ自分がたまらなく悔しい。
「やっぱり、名前教えてくれないの?」
「…駄目よ」
「そ、そう…」
 匿名希望のお弁当は、見る見るうちに減っていった。名前なんて教えられるわけがない。
「今日のもおいしかった。ありがとう、って伝えといてよ」
 違うのよ魅羅、彼は私に言ってるんじゃないの。
 このお弁当を作ったのは別の女の子。私の中のどこにもいない、素直で優しい娘。
 私は高飛車な女王様で、お弁当なんて作るはずもない。


 次の日も、また次の日も。
 毎日おいしいって言ってくれるけど、作り主はこの世にはいない。ゴーストライターならぬ、ゴーストランチかしらね…
「鏡さん、いつも持ってきてもらってごめんね」
「い、いいのよ」
 本当のことなんて言えるわけがなく、私はそのままうつむいていた。
「…やっぱり直接お礼言いたいなあ」
 だってもしも
「すごいよね、毎日メニュー変えてるし」
 それを作ったのが、私だと知ったら
「それだけ料理が好き娘なんだろうね」
 あなたは同じように
「会いたいなぁ…」
 感謝してくれるだろうか?


「いい加減にしろ!!」

 突然の大声に、私は思わず振り返った。彼は箸を止めたまま、きょとんとした目でそちらを見ている。
「親衛隊…」
 先頭に立つ1人の手が怒りに震えている。怒鳴ったのはその男らしかった。
「よせよ」
「放せ!」
 別の親衛隊員の制止をふりほどいて、そのまま彼の前まで進むと胸ぐらをつかんで持ち上げる。
「な、な…」
「何をする気なの!」
 私の声は悲鳴に近かった。嫌な予感が冷や汗とともに背中を流れていた。
「…俺は見てました」
 やめなさい、という声は声にならないまま消えてしまった。激高を押し殺すような声で、親衛隊員は言葉を続ける。
「見てました!鏡さんが自分のカバンから弁当を取り出すのも、それをこいつのところへ届けるのも!毎日毎日!」
 たぶん私の顔は真っ青だったろう。
「こいつが弁当食べてるときの鏡さんの表情も知ってます!でも俺たちは鏡さんがそれを望むならそれで仕方ないと思ってた。なのに…なのにこいつは!」
 他の親衛隊員たちも、それぞれ苦しそうな表情で下を向いている。締め上げていた手がゆるめられ、解放された彼は食べかけのお弁当を手にしたまま呆然と私を見つめていた。
「これ…鏡さんが…?」

 かぁっ

 顔に血が逆流するのが分かる。恥ずかしさでとてもその場にいられなかった。
「どいて!」
 親衛隊員をかき分けて、弾かれたように走り去る。後ろで彼が何か叫んだけれど、私は耳をふさいで走り続けた。


 誰も知らない、ゴーストランチ。たった一言のために、毎日早起きして…
 『おいしいよ』って言ってくれるのを、どきどきしながら待っていた。
 恋する女の子のように。
 この私が?この私が!

 無駄と知っててすがろうとした、惨めな昔の私。
 結局なにも変われていなかった。


 どこをどう走ったか覚えてないけど、気がつくと伝説の樹の下に腰を下ろしていた。もう授業が始まったらしく、まわりには誰もいない。
 何であんな事をしたの?
 そのまま膝に顔を埋める。自慢のウェーブがかかった髪も、今はただうっとうしいだけ。

 心のどこかで期待してた。無惨に打ち砕かれるだけだってわかってたのに。
 そのまま小さくなって消えてしまいたかった。

「鏡さん」

 びくっ
 彼の声に身を固くする。とても顔を上げられない。

「鏡さん」

 もう一度彼が呼びかける。
 私の中に残っていたプライドがいつまでもこんな姿を見せることを拒否して、できる限り昂然と私は頭を掲げた。なにか言おうとする前に彼の顔を見て、言葉ではなく小さな叫びが漏れた。
「どうしたのその顔!」
 決まり悪そうに笑う彼の顔は、明らかに誰かに殴られたよう腫れ上がっていた。まさか親衛隊が、と言おうとする私の口を、彼は軽く右手を上げて制した。
「俺が頼んだんだ、一発ずつ殴ってくれって」
「な…」
「ごめん、鏡さん!」
 絶句する私の前で、彼は深々と頭を下げる。
「俺、まさか鏡さんが作ってくれてたとは思わなくて。馬鹿なことばかり言ってた。本当にごめん」
 私の頭はすっかり混乱していた。
「いったい何を言っているの!?私が貴方に嘘をついていただけじゃないの!」
 思わず叫ぶ私。しばらく沈黙が流れた後に、不意に彼はにこっと微笑んだ。
「じゃあ改めて言うよ。ありがとう、おいしかった」
「‥‥‥‥」
「俺、鏡さんのお弁当が食べたいよ。名前も知らない誰かのじゃなくて、鏡さんの…」

 ぽたっ

 私の目から、あたたかい雫がこぼれ落ちた。

「あ…」
 涙なんてとっくに涸れたと思ってたけど、それは止めることなく流れ続けた。
 でも1人でお弁当を食べたあの時とは違う、泣きながら微笑むことができる。
「…残さないって、約束する?」
「もちろん!」
 涙を拭く必要もなかった。彼の手が私の手を包み、しっかりと握ってくれる。
「ありがとう」
 あなたがおいしいって言ってくれたのが、こんなにも嬉しいなんて。
「ありがとう…」
 彼の手を握り返しながら、私はもう一度微笑んだ。


 親衛隊のみんなは、泣きながらだけど祝福してくれた。
 私も泣いていいんだって、ようやくそう思えた気がする。


 そして…


「ほら、割、映。みんなもう出ちゃったわよ」
「はーい、行って来まーす」
「それじゃ魅羅、俺もそろそろ行くよ」
「行ってらっしゃい、お弁当は持った?」
 エプロンをつけたまま、台所口で振り向いた。毎朝彼のためにお弁当を作るのが私の日課。日毎にメニューを変えるのは大変だけど、彼は一度だって残したことはない。
「忘れるわけないだろ。これ忘れたら俺の人生は始まらないよ」
「もう、うまいこと言っちゃって」
 彼の頬にキスをして、お互いに笑い会う。

「さーてと、早く片づけて、私も仕事に行かなくっちゃ」
 部屋には私だけになったけど、もう怖くなんてなかった。あの人に愛されてる私に、怖いものなんてあるはずもないもの。


 誰でも幸せになれるって、あなたが教えてくれたから。
 幽霊は、もういない。




<END>




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