外井SS:メンズランチ




 高貴であらせられるレイ様は、お昼も学食などはご利用になられません。伊集院家の一流のシェフが作った最高のお弁当を、私が新鮮なうちに学校までお届けするのでございます。
(急がなくては、レイ様がお待ちかねだ)
 乗ってきたベンツを駐車場に停めると、私はお弁当箱を手に玄関へと向かいました。
(それに、教室へ行けばあの方の姿も拝めるし…)
 ああ、彼のことを考えるだけで私の心はかくもときめきます。あのクリスマスの日に運命の出会いを果たして以来、この小さな胸は恋の炎にじりじり焦がれ…
「なにが小さな胸だ、なにが」
「レ、レイ様!」
 ふと顔を上げると、玄関先でレイ様が怒りの視線を向けておられます。
「大男が真っ昼間から気色の悪いことを…。弁当置いてさっさと帰れ!」
 そ、それはあまりにご無体というもの。想いを告げることもかなわぬ私にとっては、遠くから見つめるだけがせめてもの望みだというのに!
「な、なにもこんなところにまで出向いていただかなくても、私が教室までお届けに参りますれば」
「黙れ外井、貴様の目的などとうに知れている。今後は別の者に頼むことを考えねばな」
「そんな殺生な!」
 レイ様は無言でお弁当の包みをひったくると、冷たい一瞥を私に与えて立ち去ってしまわれました。とほほ、なぜレイ様は私の想いをわかってくださらぬのか。きっと誰かに恋をしたことがないからなのでしょう…。


「はい!中身はあんまり変わらないけど」
「モグモグ、虹野さんのお弁当はいつも最高だね」
 校庭のはずれにある大樹の下で、一組のカップルが楽しそうにお弁当をつついています。女性に興味のない私はうらやましいとは思いませんが、こういう光景は見ていてほほえましいものですね。
(お弁当か…。私もあの方に作って差し上げることができたら…)
「主人様、よかったら…食べていただけないでしょうか」
「な、なんて美味い弁当なんだ!なんとお礼をすればいいやら」
「お、お礼などと…。ただひとこと呼んでくださればいいのです、兄貴って…」
「あ…兄貴ぃぃぃっ!」
(などなど…フフフ…)
「ねぇ、あの人なに頬を染めてうっとりしてるの?ヒソヒソ
「たしか伊集院君のところの人だよねヒソヒソ
「そ〜と〜い〜!!」
「レ、レイ様っ!」
「とっとと帰れ!」
 結局その日はあの方には会えずじまいでした。しくしく…。


 しかし私はレイ様のお役に立つべく格闘から家事までありとあらゆる技能を教え込まれた身、無論料理とてその例外ではありませぬ。男ならやってやるのが真の漢道というものではありますまいか?
「またそうやって不穏な事を企む…」
「はっ、レイ様!」
「考えてもみろ外井…。彼が男から弁当をもらって喜ぶと思っているのか!?」
「ガガーーン!」
 そう、あんなにも素晴らしい肉体を持ちながら彼は男には興味がないと…それを知ったときの私の心境は、まさに天国から地獄の思いでありました。どうせ届かぬ想いなら、いっそ出会わなければよかったものを…。
 しかし、しかし、ここであきらめては男がすたるというものです!
「レイ様、どうか伊集院家の台所を使わせていただくことをお許しください!」
「お前な…どうやって受け取ってもうらうつもりだ」
「…レイ様から手渡してはいただけないでしょうか…」
「なんで私がそんなことせにゃならんのだ!」
「このとおりでございます!!」
 床に頭をすりつけて懇願する私に、レイ様は深々とため息をつきました。
「知らんぞ、どうなっても…」


「やあ庶民、相変わらず貧相な食生活を送っているようだねぇ」
「うるせぇぞ、伊集院」
「あー、えへん。そんな君に僕の家の者からささやかな贈り物だ。ありがたく思いたまえ」
 私が精魂込めて作り上げたお弁当があの方の手に渡るのを、私は窓の外にしがみついてしっかりと見届けておりました。ちなみにここは3階でしたがそんなことは気にもなりません。
「お、俺に?伊集院家の人?」
「おおーチェックだチェック!もしやメイドの木下さんか?それとも受付の萩尾嬢かも!」
「なぜそんな名前を知っている早乙女…」
「いやあ、伊集院家の女の子はレベルが高いからなぁ」
 違う、違うのです早乙女様。ああ、今すぐにでも出ていって名乗りを上げたい。しかしそんなことをすればあの方は決して食べてはくださらないでしょう。
「いやぁ、見てる人は見てるよなぁ。それじゃ遠慮なく…」
 あの方のたくましい手が弁当箱のふたを開きます。私が入れておいたおしぼりで手を拭かれ、箸を取り、そして料理があの方の口へと…。
「う、うまい!これはうまいぜ!」
「そ…そうか?」
「本当かよ公。お、俺にも食わせろよ!」
「馬鹿言え、俺のために作ってくれた弁当だぞ。ああ、本当にうまいなぁ…」
 おお…おおおおお!滂沱と流れる感激の涙を止めることもかなわぬまま、私は窓の外で声には出さずに叫びました。ああまで喜んでくださるとは…まさしく男の本懐でございます!
「(こんなに料理上手ということはやはりメイドさんだろうなぁ…。俺のために、か。へへ、へへへ…)」
「(哀れだ…哀れすぎるぞ主人…)」
「でもこの弁当って…」
「なんだ?」
「あ、いや。明日も食えるといいな」
 はいっ!!


「まあ…喜んではいたようだが…」
「そうでございましょうとも!」
 伊集院家の広い台所で、私は完全に有頂天になっておりました。
「やはり男の心は男が一番良く分かるものです。あのお弁当こそまさに男心をくすぐる要素を全て兼ね備えた、男の、男による、男のためのランチなのですよ」
「へえ…」
 レイ様の顔にタテ線が入っていることにも気づかぬまま、私は明日のメニューを考えます。やはり体力をつけるためにはニンニクなど…。
「ということでレイ様、明日もよろしくお願いいたします」
「断る」
「レ、レイ様っ!」
 私は再び床に頭をこすりつけるのですが、同じ手は二度も通用しないのでした。
「一度でも協力してしまったことを私は後悔しているよ。あきらめろ外井、しょせんは報われぬ恋なのだ」
「レイ様…」
 報われぬ恋…確かにその通りかもしれません。しかし…
 握りしめた私の拳がぶるぶると震えています。大恩ある伊集院家の、ましてやレイ様に逆らうなど決して許されぬ事とは承知しています。しかしそれでも、この想いだけは貫き通したいのです!
「報われぬ恋というなら、なぜ神は私にこのような想いを与えてくださったのでしょうか!」
「外井…」
「愛されたいから愛しているのではない、ただただ自分の心に嘘はつきたくないのです。人が人を好きになる…その事に性別など関係ありません!!」
「‥‥‥‥‥‥」
 そう、あの日初めて彼を見た日から…。外見だけではない、彼の内面に。まるで太陽のかけらを内に宿したかのような彼の瞳に、私は惹かれ、追い続けてきたのです。たとえ報われなくても、彼のことを考えるだけでどんなに幸せだったか…
「…わかった、外井」
「レイ様…」
 しばらく沈黙を続けていたレイ様は、静かに口を開きます。歓喜の浮かぶ私の顔に、レイ様はあくまで淡々と言葉を続けました。
「しかし彼は可愛い女の子が弁当を作っていると思いこんでいる。外井よ、お前のやっていることは愛する者への裏切りではないのか?」
 今度は私が黙り込む番でした。確かにレイ様のおっしゃるとおりです。私は…口先だけの男と思われたくはない。
「…明日、彼に告白します」
「そうか…。こんな事を言えた義理ではないが、健闘を祈る」
「はっ…」
 レイ様は身を翻すと台所を出て行かれました。人気のなくなったキッチンで、私はお弁当を作り始めます。
 あるいは最後になるかも知れない、あの方へのお弁当を…。


「え、今日も弁当を?」
「ちっくしょー、うらやましいぜ公!」
「‥‥‥‥‥」
 彼へお弁当が手渡されるのを見届けた私は、伝説の樹の下へと急ぎました。お弁当箱の下には名前のない一枚の手紙、『伝説の樹の下で 待っています』と…。
 校庭のはずれにある一本の古木。それにはこの学校に伝わる伝説があるそうですが、今の私には縁のないことです。ただじっと彼を待ちながら、今までのことが走馬燈のように私の頭を駆けめぐりました。…ふっ、いけませんね。私の人生は今始まるのだというのに…。
 長い長い時間の後、いとおしい彼の姿が近づいてきます。お弁当を堪能して幸せそうな笑顔が、私を見たとたん怪訝な表情へと変わりました。
「あれ?あんたは黒服…いや」
 今の私は真っ白なタキシードを着込んでいます。そう、私の心の色を表すかのような。
「外井雪之丞と申します」
「な、なんであんたがここに?」
「なにから話せばよいのか…。あのお弁当は、私が作ったのでございます」
「ええええっ!?」
 10メートルほど後退する彼に、私はずずいと詰め寄りました。心臓は爆発しそうでしたが、ここで引いては男ではありません。
「実は、貴方様のことが…好きなのです!初めてお会いしたときからずっと!」
 彼の顔が真っ青になり、冷や汗が浮かんでいます。一気に言いきった私は、うつむいたまま返事を待ちました。
「わ…悪いけど俺、そういう趣味はないから…」
「そう…ですか…」
 予想はしていました。私は爆発しそうになる感情を必死で押さえると、いずまいを正して深々と一礼しました。
「これで気が済みました。聞いてくださってありがとうございました」
 小さく震える体を翻し立ち去ろうとする私に、不意にあの方の声がかかります。
「外井さん…だったよな。あんたの弁当、うまかったよ」
「‥‥‥‥‥‥」
「でも不思議だったんだ。あの弁当はなぜか男らしさのようなものが感じられた…。
 そういうことだったんだな。ありがとう」
 私は彼に背を向けたまま再び一礼すると、堪えきれなくなって駆け出しました。
 男が涙を流すのは恥ずかしいことでしょうか?いいえ、決してそんなことはありますまい…。



「外井」
 涙も乾き、校門の外で空を見上げていた私に、レイ様が声をかけてくださいました。
「その…なんと言ったらいいのか…」
「いえ、レイ様。私には一片の悔いもありません。ありがとうございました」
「そ、そうか?」
 あの方のいる校舎を見やります。もし私が女の子だったら…
 いえ、男でありながら彼を愛した自分を、私は誇りに思います。
「辛いなら、私の送り迎えは別の者に頼んでも良いが」
「何をおっしゃいますか。レイ様のお役に立つのが私の役目でございます」
「…わかった。だが今日は1日休暇をやろう。明日からまたよろしく頼む」
「はっ…」
 私が頭を下げ、再び顔を上げたときは、既にレイ様は校舎に戻られた後でした。レイ様のような方にお仕えでき、あの方にも想いを伝えられた。私はなんと幸せ者であることか…。
「さようなら、主人様」
 誰にも聞こえぬつぶやきを残し、私は実に久しぶりの休暇を、これといったあてもないまま歩いていくのでした。




<END>




後書き
感想を書く
ガテラー図書館に戻る
新聞部に戻る
プラネット・ガテラーに戻る