この作品は「To Heart」(c)Leafの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
葵シナリオに関するネタバレを含みます。


読む
























 
 
 
 
 
 
 
道の分岐






 ふっ…。
 思わずこぼれる笑みを噛み殺しながら、葵の教室へと出向く私。
「さあ葵! 行くわよ空手部へ!」
「はい…」
「大丈夫、空手部はいい奴ばかりよ。3年がいないから私が主将だし、何の心配もないわ」
「はい…好恵さん」
 1ヶ月とはいえ、思えば回り道をしたものだ。
 当然空手を続けると思っていた葵が、エクストリームとかいう毛唐の格闘技にはまったと判明したのが4月の初め。全ては綾香のアホが葵に悪影響を与えていた。
 しかし先月末の試合。「負けたら空手部に入部」という条件の葵をこてんぱんに叩きのめし、ついに目を覚まさせることに成功した。やはり日本人なら空手というものよ。
 葵を引き連れ、体育館脇の格闘場の鍵を開ける。
「はい、これがあなたの空手着。そこが更衣室ね」
 部の決まりなどを説明している間に部員たちも集まってきて、私は全員を整列させ、葵を紹介した。
「ま、松原葵です! よろしくお願いしますっ!」
「葵は経験者だから、すぐ稽古に入ってもらうわ」
「よろしく、松原さん」
「すごく強いんだって? 主将がいつも言ってたわよ」
「そ、そんなっ。私なんて全然大したことないです」
 同じ道を志す仲間たち。練習が始まり、格闘場に響くかけ声。
(これで良かったのよ…)
 誰もいない神社で一人で練習するより、この方が葵のためにもいいに決まってる。
 そうでなくても葵は寂しがり屋なのだから…
 そうに決まっているのだ。

 しかし、なかなかすぐに昔の通りとはいかなかった。
 技に前ほどの切れがない。気迫も落ちている。
 …格闘技の掛け持ちなんてするからだ。
「どうしたの葵! 脇が甘いわよ!」
「は、はいっ!」
「何をしているの! 気合いが足りないわ気合いが!」
「す、すみません!」
 ぽかんと口を開ける他の部員。そのうち一人が、私の近くに寄って耳打ちする。
「ち、ちょっと好恵。松原さんに厳しすぎるんじゃない?」
「厳しくなくては強くはなれないわ」
「つったって、1年生にしては十分強いじゃない…」
「葵の実力はあんなものじゃない!」
 つい声も荒くなってしまう。早くあの頃に戻さなくては…

 一週間経っても、葵の調子はなかなか上がらなかった。
「つ、次、お願いします!」
「…もういいわ。そんな気の抜けた突きなど、受ける気もしないわね!」
「す…すみません…」
(あなた、本当は空手やりたくないからって手を抜いてるんじゃないでしょうね)
 そんな言葉が口から出かけて、あわてて頭を振る。葵に限ってそんなことはない。
 中学の頃。学校に空手部はなく、私と綾香の通っていた道場にあの子は入門してきた。それは真面目で、一生懸命で、格闘技が大好きで…
『き、今日から入門しました、松原葵です! よろしくお願いします!』
『綾香さんも好恵さんもすごく強いんですね! 私もいつかそんな風になりたいです!』
 背中越しに今の葵を見る。肩で息をする小さな体。
 気づいていたけど、気づかない振りをしていた。
 葵がこの部に来てから…一度も笑顔を見せていないことに。

「今日の稽古はここまで!」
「お疲れさまでしたぁっ!」
 へとへとになった部員たちが帰り、制服に着替えた私は、最後に見回りをしてから戸締まりする。
 外はもう薄暗い。明日は何か変わるだろうか…
 バシッ、バシッ…
(?)
 格闘場の裏から音がする。
 泥棒だったら袋叩きにしてやろうと、足音を忍ばせて裏に回る。
 外の街灯が照らす光で、その顔がはっきりと見えた。
「はぁっ…、はぁっ!」
 葵がいた。
 樹にくくりつけたミットを、一心不乱に蹴っていた。
 もちろん空手の蹴りだ。私が無理矢理やらせている、空手の。
 バシッ、バシッ…
 自分を痛めつけるように、追いつめるように、葵はミットを蹴り続ける。
 その顔に、私は呆然と立ちつくしていた。
(何でよ…)
(何でそんな、辛そうな顔をしてるのよ…!)
(あなただって空手は好きだったはずよ! いつも楽しそうに組み手をしていたはずよ!)
(何が間違ってるっていうのよっ…!)

 その時…

「あなた、葵がああなることが望みだったの?」
 暗がりの中から、鋭い目の人影が姿を現す。
 綾香――!
「いつからそこに…!」
「しっ」
 口の前に人差し指を立て、声を潜める綾香。
「葵に気づかれるから…場所を変えましょ」


 すっかり暗くなった中庭で、私は綾香と対峙していた。
 むろん友好的な雰囲気など欠片もない。
「勝負に負けたからって、無理矢理入れられた部活なんてねえ」
「し、勝負は勝負よっ!」
 いつもいつも人の神経を逆なでするこの女に、私も負けじと大声を上げる。
「葵も納得済みだった! 負けてからごちゃごちゃ言うのはお門違いもはなはだしいわよ!」
「…そうね。だから葵は何も言わない。
 けど私は部外者だから、言いたいように言わせてもらうわ」
 氷点下の怒り。こんな綾香も初めて見た。

「あなた、本当に葵がああなることが望みだったの!?
 私たちの知ってる葵は、格闘技が大好きで、いつも楽しそうだった!
 今の葵は何!? 他人にやらされる格闘技に何の意味があるのよ!?
 あんたにだって分かってるはずでしょ!!」

 相手にしなければいい。勝負は勝負、こいつが何を言おうが、私が認めない限り葵は空手部から抜けられない。
 相手にしなければ…。
「か…関係ない」
 なのに私は、自分を正当化するようにそう言った。 
「格闘技に楽しいかどうかなんて関係ない! 自分との戦いでしょう! 辛くて結構、それが武道よ!」
「あっそ…。なら好恵、あなたは一生私には勝てないわね」
「なっ…!」
 軽蔑したような口調に、後ろめたさが怒りに変わる。
 そもそもこいつが全ての元凶なのだ。
 こいつさえ空手を捨てなければ、私たちはずっと、同じ道を…
「構えろ、裏切り者!」
 空手の型を取って、気合いを叩きつける。
「裏切り者…ね」
「そうよ! 空手とエクストリームのどちらが上かなんてもうどうでもいい。ただお前は空手を裏切った、それだけよ!」
「…否定はしないわ」
 綾香も両拳を顔の前に構える。もはや問答無用。少しの間静寂が続き…
 月明かりが差すと同時に、私は気合いとともに拳を繰り出す。
 中学の頃と…
 毎日のように綾香につっかかっていった、あの頃と同じように。

『ふふっ、好恵もまだまだね〜』
『くっ…次こそは必ず勝つ!』
『す、すごいですお二人とも!』

 そうだ、私はあの時間が『楽しかった』んだ…




 衝撃とともに、私は地面に叩きつけられていた。
 背中を強烈に打ちつけ、止まる呼吸。
 ぴくりとも動けず、無様に敗れ去った私の前に、長い黒髪が垂れる。
「あなたの言い分もわかるわよ。
 でもね、私も葵も、本当に自分が打ち込めるものを見つけられた。
 それが空手じゃなかったのはお互い残念だったけど…
 だからって、自分の気持ちに嘘をつく気はないわ」
 その顔がふっと視界から消え…
「さよなら」
 足音だけが遠ざかり、あとには満天に広がる星空が残った。


 過ぎ去った時間を戻せるわけがなかった。
 時計の針を無理矢理逆にしても、人の心まで戻せるわけがなかった。

 綾香と葵が別の情熱を見つけたとき、それは終わっていた。
 道場での楽しかった時間は、もう、終わったんだ…


 夜のとばりの下で、仰向けになった私の目から、一滴だけ涙が落ちる。
 それが私の決別。
 制服の袖で目をこすると…私はゆっくりと立ち上がった。




*   *   *


 あれから一週間。
 また綾香が様子を見にやってきた。
「次、お願いします!」
「ま、松原さん、ちょっとタンマ…」
「あ、そ、そうですね。それじゃ私、少し走ってきます!」
 校庭に飛び出していく葵を呆気にとられて見送りながら、物陰から出てくる綾香。
「ど、どーしちゃったの? 葵ったら」
「さあね」
「なによ、教えなさいよケチ〜」
「ふん…」


*   *   *



 あの夜、痛む背中を引きずりながら、葵が校門から出てくるのを待った。
「あ、好恵さん…」
「…随分頑張ってたみたいね」
「い、いえ…。最近気合いが足りませんから…」
「‥‥‥」
 そのまま無言で、校門を出て夜の道路を歩く。
 分かれ道まで来たとき、私は葵に向き直った。
「エクストリームに戻りたいの?」
「…わ、私にそんなこと言う資格はありません」
 苦しそうな姿。
「約束は、約束ですから…」
「そう、負けは負けよ。それは曲げられない。
 変な同情なんて、かえってあなたに失礼よね」
「…はい」
「ならば葵!」
 声を張り上げ、私は立てた親指を、自分自身に突きつける。

「この私を倒してみなさい!
 何度でも勝負してやるわ。私に勝てない限り、あなたは空手部員のままよ!
 好きな道を行きたいなら、私を打ち倒してから行きなさい!」

 驚きと、思考。葵の悪い癖が出て、その視線が逸れる。
「で、でも、私なんかが好恵さんに…」
「諦めるの?」
「あ…」
「諦めるというの!? どうなの、答えなさい葵ッ!!」
 その瞬間、葵の目に光が戻った。
 昔のままの、闘志に満ちた目。ただ前だけを見つめる目。
「諦めませんっ!」
 夜空に響きわたる声。
「私はエクストリームが好きです!
 戦う機会をくださるのでしたら、石にかじりついてでも勝ってみせます!
 たとえ好恵さん、相手があなただとしても!!」

 思わず笑みがこぼれた。
 私が笑ったのも、久しぶりだった。
 くるりと葵に背を向け、そのまま歩き出す。
「好きなときにかかってきなさい。こっちも遠慮はしないわ」
「は…はいっ! 好恵さん…ありがとうございますっ!」
 背後で一礼する気配がした。



*   *   *



「ふーん、なるほどねぇ」
「べ、別に簡単に負けてやるつもりはないわよ。
 葵が己の道を行くというなら、せいぜい壁になって立ちふさがってやるわ」
「はいはい」
「ふん…」
 あれから毎日のように、葵は私に挑んでくる。
 あの子はどんどん強くなる。私に匹敵するほどに。
 もちろん私も努力している。そう簡単に負けはしない。
 それでも葵が私を倒す日が来たら、その時は…
「あっ。綾香さん、いらしてたんですね!」
 息を切らせて舞い戻ってきた葵が、元気に駆け寄ってくる。
「はろ〜」
「ちょうどよかったです! 好恵さん、組み手をお願いします!」
「いいの? 綾香が見てるからって、先月の勝負みたいにならなきゃいいけどね」
「あ、あの時はちょっと緊張しちゃって…。でも大丈夫です、今日は少しだけ勝てそうな気がするんです!」
「あ〜ら、好恵もピンチじゃない?」
「ふっ、面白いわ」
 他の部員もなんだなんだとギャラリーに回り、その中ですっくと立つ葵。
 私もそこへ行こうとして、その前に声をかける。
「綾香」
「うん?」
「私たちは、道を違えたけれど…
 それでも、個人的にでいいから、時々戦ってくれると嬉しいわ」
 そういって足早に去ろうとする私を、引き止める綾香の腕。
「んふふ〜」
「な、何よっ」
「最初からそう言えばよかったのよ〜」
「ふ…ふんっ!」
 強引にそれを払って、葵の前へ。互いに一礼し、皆が見守る中…
「いきます、好恵さん!」
「手加減しないわよ、葵!」

 友が自らを賭けられるものを見つけたのなら、それは喜ばしいことに違いない。
 そして、私は空手で頑張ろう。
 いつか時が経っても、私は空手を選んで良かったと
 胸を張ってそう言えるように!




<END>





感想を書く
ガテラー図書館へ
Heart-Systemへ
トップページへ