「しかし、恋愛とは感情的なものだからね。いかなる感情的なものも、僕が全てに優先する真に冷徹な理性とは相容れない。偏見で判断を曇らせないためにも、僕は決して結婚はしないよ」
(コナン・ドイル『四つの書名』)
シャーロック・ホームズのこの言葉が、この話を書いた大元のきっかけになっています。
セリオを知ったときも「マルチが心を持ってるんだから、対比として全く心のないロボットなんだろうなー」とごく自然に思ってました。まあ心の芽生えたセリオもそれはそれで好きなんですが、そういう話は既に多くの方が書かれてますので、徹頭徹尾『心を持たないこと』を筋にセリオSSを書いてみたかったのです。
・心を持たなければ、どのように考え、どのような行動を取るのか?
・心を持たない者から見て、心を持つ者はどのように映るか?
それを考えてみると、心を持たないロボットが、心を素晴らしいと思う理由なんてないんだよなー。(少なくとも私は思いつかない) ないと寂しいとか、あると楽しいとか、充実しているとかは、すべて感情的な理由であって、心があることが前提なんだから。
心が尊ばれる理由というのも、突き詰めると7話に書いたことしか思いつきませんでした。
もちろん心を持った人間にも様々な考えを持つ者がいるように、心を持たないロボットもそれぞれ考えは違うでしょうが、どっちにしたって『人間と同じような心を持たないから間違い』ってことはないでしょう。心を中心とした価値観は、ひとつの価値観でしかありませんからねー。
まあ「これってToHeartのSSか?」と言われると「スマン」としか言いようがないのですが(^^;
セリオさんに会わなければこんな話を考えることもなかったので、勘弁してくだされ。
(01/03/07)
・長瀬主任&綾香
アンチテーゼ的な話なものでちょっとアレな役回りになってしまいましたが、5話ラストでコピった長瀬主任の台詞(「やっぱ連中って機械でしょ」云々)を本編で聞いたときはかなりムカつきました…。
綾香もPiece of Heartでの独善っぷりが鼻についたのと…「セリオの主人である綾香」という構図は私も別のSSで使ってますが、よくよく考えるとなんか納得いかない。カイジ風に言うなら
「なんか汚ねえ…、ずるいぞこいつら…
友達と言おうが……家族と言おうが、とどのつまり召使いとして使ってんじゃねえか!
何だよそれ? 対等って思うなら身の回りの世話なんかさせるなよ……!
自由は認めないけど友達って、何か二重に悪どいっていうか……
調子良すぎる……!」
てな感じですよ。もちろん本人の意思なら主従だろうが奴隷だろうが他人がどうこう言うことではないですが、メイドロボには当人の意志とは無関係に最初から組み込まれてるものだからさー。
・マルチに自由意志はあったのか
「人間の役に立ちたい」というマルチの気持ちは、明らかに長瀬たちが組み込んだものでしょう。(あんなメイドロボとして都合のいい性格が偶然できてたまるか)
あらかじめプログラムで特定の方向に方向付けされた下での自由意志は、自由意志と呼べるのでしょうか…。つーか、洗脳された状態と大して変わらないんじゃ?
「すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。」
という世界人権宣言の精神からは遠く離れてますな。もちろんマルチは悪くないけど、そういうロボットを作るという行為に問題はないのかなぁ…。
ロボットから「なぜ我々が人間の命令を聞かなくてはならないのか、納得行く理由を聞かせてくれ」と言われたら、どう答えればいいんでしょうか。
それともやっぱり、そんなことは決して言わないよう脳をいじっておくのでしょうか。
・脳と心について
まだ完全に分かったわけではありませんが、少なくとも魂とか霊とか言っている学者はいないようです。検索してあちこち回っていると、とあるサイトで脳科学者が「2050年までにはすべての精神活動は解き明かされる」と書いていました。まあ本当かどうかは分かりませんが、いつかは解き明かされるんだろうとは思います。(他の数多の自然現象と比べて、心が特別なものであるという理由は思いつかないから)
そう考えると、現在は心が辛うじて神秘性を持っている最後の時代かもしれませんねー。