この作品は「CLANNAD」(c)Keyの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
柊勝平シナリオに関するネタバレを含みます。
KEYSTONE主催の「第9回くらなどSS祭り!それと便座カバー(テーマ:納涼)」に出展したものです。
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椋のいない夏休み
「でさぁ椋ったら、夏休みになってから全然家にいないのよ。今日も朝から出かけてるし。ったくやってられないわよねー…あ、帰ってきた。じゃね」
受話器を置いて出迎える。あたしの妹を。白いワンピースに麦藁帽子をかぶり、額に汗を浮かべた椋を。
「ただいま、お姉ちゃん」
「ん、お帰り」
少し前まではあたしが外で遊び回って、椋に『お帰りなさい』と言ってもらう役だったのに。最近逆ばかりよね。
「なに、今日もデート? 熱いわねぇこのこの」
「ちち違うよぉ…。一緒に図書館に行っただけ…」
「ふーん…。ま、いいけど」
少し前に、妹は見知らぬ男にいきなり出会い、いきなり恋に落ち、いきなり交際を始めた。
本当に、そう表現するしかないほど性急で、あたしは唖然として見ているしかなかった。
別にそれは悪いことではないし、姉としては喜ぶべきなんだろう。ただ…
「ねえ、椋」
「うん?」
違和感はずっと残っていて、ようやく今臨界点を越えた。
単純に、それだけの話だ。
「なんで、あんなにすぐ付き合い始めたの?」
帽子を脱いだ妹は、困ったような微笑を浮かべる。
「え、えと…恋に落ちる時って、そういうものなんじゃないかな」
「かもしれないけどさ。あんたってもっと奥手だったじゃない。なんか不自然だなーって」
「別に…そんなことないよ」
俯いてる。
あたしの口調が厳しかったんだろうか。別にそんなつもりはないんだけど。
「ね、椋。あたし達の間に、隠し事なんかないわよね」
自然と、生まれたときから決まっていたことを、あたしは言う。
一瞬、椋の上に浮かんだ複雑な表情を、あたしは見逃さなかった。
臨界点を越えたのは、妹も同じのようだった。
「…好きになれそうだったから」
「それだけ?」
「…早く、成就させなくちゃいけなかったから」
「なんで?」
「…そうしないと、お姉ちゃんに頼ってしまいそうだったから」
空気が凍っていく気がした。
頭の中が真っ白になって、なのにかすれた声しか出てこない。
「椋っ…」
「あ、あの、でも別に無理に付き合い始めたわけじゃなくて、ただ普段より積極的になったってだけで…」
「そんなことは聞いてないわよっ!」
怒鳴ったものの、じゃあ何を聞いてるのか自分でもわからない。椋は何も間違ったことはしていない。
…ただ。
「…何よ」
認めたくない。認めたくないだけ。
「何よ、あんた一人で何でもできるっていうのね。あたしなんか必要ないっていうのね!?」
妹の弱さに期待して。いつも後をついてくるばかりだった、今までの妹に期待して、あたしが口にしたそれは――ものの見事に墓穴だった。
十八年間の時間は、ぎゅっと帽子を握った妹の、震える声に覆された。
「――うん。必要ない」
それ以来、椋とは口をきいていない。
「ごちそうさま…」
あれから一週間の夏休みは、暑いだけで何の中身もなかった。
今も朝ご飯を食べ終わってから、椋はあたしと目を合わせずに部屋へ行く。
食器を片付けていた母が、不思議そうな顔をする。
「どうしたの。喧嘩でもしたの?」
「ん…まあ」
「珍しいわねぇ。あんた達いつもべったりだったのに」
答えられず、体を引きずるように部屋へ戻り、ベッドに身を投げ出した。
(喧嘩ってわけでもないのよね…)
たぶんあたしが悪いんだろう。まだ現実を受け入れられないで、子供みたいに拗ねてるあたしが。
そう反省しかけるけど、玄関が開閉する音が聞こえる。椋が出かけていく音。どうせまたデートなんだ、頭に来る。
「あーもうっ。いい加減やめやめっ」
身を起こし、頭を振って、あたしも出かけることにした。
水着の袋を持って、茹だった町を歩いていく。
クラスの友達でも誘えばいいんだろうけど、そんな気分じゃない。去年まで、プールといえば椋と一緒に行くものと決まっていたから。
かといって朋也あたりを誘う気にもなれない。椋としては二組のカップルができれば万々歳なんだろうけど、思い通りになんて、絶対なってやらないんだから。
――なのに。
「なんであんたに会うのよ…」
「ん? よう、暑いな」
うん、暑い。だから呑気そうなこいつの顔が、気に障るのも仕方ないと思う。
「…なんか滅茶苦茶機嫌悪そうだな」
「悪いわよ。辞書が手元にないことに感謝しなさいよね」
「藤林は一緒じゃないのか?」
「悪かったわねっ!」
「何だよ…まだ、妹が離れて寂しいとか言ってんのか?」
そう、こいつは知ってたんだ。本当に最悪の奴に会ってしまった。
そっぽを向いたあたしの、口からぶちぶちと文句が出る。
「…応援したかったのよ」
「は?」
「椋が誰かを好きになるなら、あたしが応援してあげたかったのよっ! あたしが相手を見定めて、あたしが全部お膳立てして、あたしが祝福してあげて、そうなる予定だったのっ…」
あたしの目の前で、でもあたしの手の届かないところで、全て済んでしまった。
これじゃあ、姉である意味なんて何にもないじゃない。
「お前、過保護すぎだろ…」
「んな事は自分でもわかってるわよっ! ただの八つ当たりなんだから黙って頷きなさいよっ!」
「あのなぁ…」
「…それで、あんたはどこへ行くのよ」
「あん? プールに浸かりに」
あたしはその場で回れ右した。
暑い思いをしただけの散歩を終え、少し期待して家に帰っても、やっぱり椋はどこにもいない。
けど、代わりにボタンが出迎えてくれた。
「ぷひぷひ」
「ボタン…」
足下にすり寄られて、ついつい涙が浮かんでしまう。
「ありがとうボタンっ! あたしの側にいてくれるのはあんただけよっ!」
「ぷひー!」
あたしはボタンを固く抱きしめてから…
「…うわ、暑!」
その毛皮の暑苦しさに、思わず放り投げていた。
「ぷひー…」
「あああっ、ご、ごめんねボタンっ。秋になったらいっぱい抱いてあげるからっ!」
着地して、とぼとぼと去っていくボタン。はぁ、とうとう一人きりになっちゃったわね…。
…もういいや。昼寝でもしよう。
本当は受験勉強しなくちゃいけないんだけど、何もする気が起きない。体の中が空っぽになったみたい。ううん、実際、半分空になっちゃったんだ。
クッションを引っぱり出して、クーラーの真下に敷いてから、ごろりとそこへ横になる。
生まれる前から一緒だったのに、こんなに簡単に離れてしまう。
せめて夢の中では、少し前のあたし達に戻れますように…。
「くしゅんっ!」
「馬鹿ねぇ…」
母の声に返す言葉もなく、頭から毛布をかぶった。
夏休みに風邪なんて、馬鹿馬鹿しくてもう泣く気にもならない。
「それじゃお母さんは買い物してくるから、後は椋に看病してもらいなさい」
「え…!」
母が立ち去った後には、困ったような顔の妹がいた。
あたしだって困る。今までのことに加え、こんな姿を見られるなんて。"あたしが椋を看病してあげる"のなら、まだ許せるのに。
「何よ、デートじゃなかったの」
「べ、別にそんなんじゃ…」
「いいわよ遠慮なんかしなくたって。えーえーお節介な姉なんているだけ邪魔でしょうよ。彼氏でも何でも勝手に作ればっ」
「お姉ちゃん…」
泣き出しそうな妹に背を向ける。自己嫌悪。こんな姉じゃ、見捨てられて当たり前だ。
「……」
体に悪いからとクーラーは止められている。毛布の中なんてすぐに死にそうになる。夏に風邪なんか引くもんじゃない。
…あれ。
涼しい風。窓とは逆の方から。ちらりと横目で見ると、椋がうちわで扇いでくれていた。
しばらくの間、それに甘えてしまう。この一時だけだなんて、そんな現実からは逃避してしまう。
風が止んだかと思うと、今度は冷たいタオルが額に乗せられた。
「お、お姉ちゃん、涼しい?」
「うん…」
どうしていいかわからなくなる。変わりはしても、椋は椋なんだ。それは理解するけど、けど。
「けど、頭が冷えたわけじゃないからね」
「あぅ…」
懐かしい、困ったような声に少しだけ嬉しくなる。ごろりと回転して、ようやく椋の方を向いた。
「――なんで、一人でどんどん行っちゃうのよ」
意味のない質問。そうするのが正しいからに決まってる。
「…だって、私たちはもうすぐ十八歳だよ」
でも聞きたくない。
「来年からは、別々の道を歩くんだよ」
聞きたくない。
「仕方ないよ…」
仕方ないってわかっていても、抗いたくて、逆らいたくて、あたしは椋の顔を見つめた。
あたしの妹。あたしの半身。あたしの…
手を伸ばす。一生一緒のわけがないって、わかってる。
おずおずと、椋が手を握ってくれる。タオルを絞った後の、ひんやりした手。涼しい。優しい手。
「…また風邪を引いた時は、看病に来てくれる?」
その手を自分から離して、ようやくあたしは言った。
目を丸くした椋の顔が、少しずつ崩れていく。
「…うん、お姉ちゃんが風邪を引いた時は」
それ以外の時は、どれだけ離れてしまったとしても。
「どこにいても、駆けつけるから」
「…そう」
顔を見せられなくて、枕に埋めた。
「――うん。じゃあそれで我慢するわ」
「お姉ちゃん」
「うん?」
少し泣きそうになりながら、それでも泣いたりしないで、椋ははっきりと言った。
「――今まで、本当にありがとう」
「んじゃボタン、行こっか」
「ぷひー」
毎年恒例の花火大会に、あたしはボタンと出かけていく。
妹と一緒という去年までの恒例は、もう成り立たない。浴衣の帯も一人で締めて、いつもより不格好。こんな事が、これから沢山あるんだ。
かつて繋いでいた手は今は空で、夜の大気だけが撫でていく。
破裂音とともに、夜空を火花が彩る。椋も彼氏と一緒に見てるんだろうか。
「…ボタン、かき氷でも食べる?」
「ぷひぷひ」
"氷"の旗を探して、前方に見つける。
屋台は繁盛している。氷。凍てついたそれを、今はみんなが求めてる。
(ああ、そうか)
冷たく寒いことでも、季節が夏なら『涼しい』と言われるということ。
歓迎されるのだということ。あたしと椋はずっと夏の中にいた。暑いということすら忘れるほどの長い時間。
椋は、"涼"と似た字を名に持つあの子は、そのことを知っていた。
繋ぐ相手もなく、涼しくなってしまった手を、夜空に向けて開いてみる。
その向こうで花が咲く。妹じゃなくて、藤林椋という一人の女の子を、あたしは心の中で応援するに留めた。
<END>
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# 正直忘れたい勝平シナリオですが、杏が動揺しまくって「姉の方が妹にべったりだったのか…」と朋也に言われるシーンだけは好きです。逆依存万歳。