※ルーシナリオのネタバレを含みます。










「みんな。来月もよろしく頼むぞ!」
「うむ…」
「他を当たってもらえるかしら」
「なんか言った?」
 本来なら楽しみなはずの給料日。熱意あふれる部隊長とは裏腹に、袋を開けたみんなの反応は一様に冷ややかだった…









SS: お金がない!!









 エンフィールドの誇る自警団第三部隊、といっても潰れかけの雑用部隊だが、たとえ仕事は地味でも真に市民の役に立てる部隊なのだ。…と隊長のウィード・ブラウニーはつねづね主張していた。
 それが現在かなり存亡の危機にある。団長から示された期限以前に、今目の前にある白い視線を何とかしないと部隊どころか自分の命すら危うい気がする…
「ウィード君、私たちにこれっぽっちの給料しかよこさないということは」
 沸点直前という感じでヴァネッサが口を開いた。
「つまりお前らの労働はその程度の価値なんだよ!とキミはそう思ってるわけね」
「いや断じてそういうつもりは…」
「じゃあどういうつもりよッ!」
「今時そこらへんの喫茶店だってもう少しましな給料出すな」
「明日あたり辞表を提出したいのだけれど受け取っていただけるかしら」
 ルーとイヴもそれに続く。まあ確かに自分が隊員だったとしても思わず辞めたくなるような額だ。しかし無いものは無いのだ。団長にピンハネされ、隊の金庫にはコイン1枚残ってない。彼にできることといったら事務所のテーブルに手をついて平身低頭謝るくらいだった。
「ごめんみんな!ほら今回はアリサさんの依頼だったしさ。そう大金を請求するわけにもいかずまあボランティアみたいなものだと思ってくれればうんたらかんたら」
「前回もそんなことを言っていたわね」
「前の前もだな」
「ううっ、確かに汗水流して働いてくれたみんなには悪いと思っている!すまん、俺が無能なばっかりに。ああ俺はどうしたらいいんだ!」
「泣いて謝れば許されるってもんじゃないわよ!キミ、社会人というものを甘く見てんじゃないの!?」
「鬼め…」
「なんか言ったっ!!」
「いいえっ!!」
 ヴァネッサ・ウォーレン。
 ルー・シモンズ。
 そしてイヴ・ギャラガー。
 役に立ちそうな人材を中心に集めたつもりだったが、確かに能力は高いものの、容赦のなさも一級品だということに気づいたときはもう遅かった。ここ最近ずっとこんな調子だったので今度という今度は許してくれそうにもない。これならリオとセリーヌとトリーシャにしておくんだった…とまったく建設的でない後悔をするウィードである。
 そんな時意外なところから助け船が出た。
「オメーら給料が安いくらいでガタガタ言ってんじゃねーよっ!」
「なんですって!?」
「ウィードはなあ!」
 使い魔のヘキサだ。呼び出されて以来ウィードとは寝食を共にしている。ウィードはな…街のため一生懸命頑張ってるんだっ!とでも言ってくれるのだろうか?…なんてのは空しい期待だったが。
「ウィードの給料はお前らに輪をかけて安いんだよ!おかげでこっちは今月も缶詰づくしだチクショー!!」
「いや…ヘキサにも悪いとは思ってるよ…」
「このヤローだったらたまにはまともなもの食わせろ!」
「いてて、お。落ち着いて話し合おうっ!」
 ヘキサに頭に乗られてぽかぽか殴られるウィードに、さすがに気の毒になったか、ルーとイヴは思わず袋の中身と彼の顔を見比べる。
「これより少ないのか…」
「それはもはや人間の生活ではないわね」
「ほっとけよ…」
「ちょっとちょっと待ちなさい!」
 なにやら同情的な雰囲気に思わずヴァネッサが止めた。
「いいのよ彼はもとが無能なんだから!給料が能力に応じたものなのは当然よっ!」
「とことんひどいこと言ってくれますねえ」
「とにかく!今後もこんな状態が続くなら職務の続行は考えさせてもらいます。いいわねッ!」
 バアン!
 事務所の古いドアが壊れんばかりの音を立てる。姿の消えたヴァネッサを虚ろに見送りながら、ウィードは疲れきったように椅子に崩れた。
「けーっヒステリー女!」
「違うな。あいつが怒るのも当然だろう」
「隊長業務が大変なのはわかるけどそれは言い訳ね」
「重々承知しております…」
 図書館と兼業のイヴ、ちょくちょく他でバイトしてるルーに比べ、今のヴァネッサは自警団以外収入はない。しかもある意味タチが悪いことに実に仕事熱心で、手を抜くということを決してしない。それでこの額では確かに我慢ならないだろう。しかし繰り返す、無いものは無い…
「とにかく明日みんなで対策を考えよう…。それじゃ今日は解散」
 空気の抜けたようなウィードの号令とともに、それぞれは帰途についたのだった。


 赤字!
 アパートに帰ったヴァネッサは家計簿の前で憤死していた。赤字である。何度計算しても。前の街で老後のため作った貯金に手をつけざるを得ない。しかも今月は特に贅沢したわけでもない。生活費以外はせいぜい口紅3本買ったくらいだ。
「や…辞めてやるっ!!」
 口紅3本買ったら赤字になる仕事なんて!
 しかし。
 その場合戻るのは公安である。給料はまとも、いや少し高めなくらいだが、同僚は最低だ。大口を叩くぶん仕事ができるならまだしも、無能のくせに態度ばかりでかいのはもはや救いようがない。
 それを考えれば今の職場は恵まれている方だ。さっきはあんなことを言ったがウィードは頑張ってるし、イヴもルーも、ヘキサだって根はいい奴だ。でも赤字…
「はあ、結局人生って妥協の産物なのかしら…。ってそんな弱気になってどーするっ!」
 そう、理想は環境も良く、給料も高い職場。なければ作れば良いのだ。夜のアパートで拳を握って決意すると、ヴァネッサは詰め込まれた本棚をひっくり返し始めた。


「と、いうわけで第1回第三部隊経営改革審議会を開催します!」
「何が『と、いうわけ』なんだ…」
 翌日。一日の仕事も終わり、さて帰るかという時にヴァネッサは無理矢理会議を招集した。招集といってもいつもの事務室でいつものメンバーだが…
「じゃあ何?ウィード君は現状を改革しないまま第三部隊の崩壊を座して待つというの!」
「わかった、わかったって。それじゃみんな、何か意見があったら出してくれ」
 ぐるりと一同を見渡すウィード。といって自分含め大したアイデアがあるわけでもなく、数瞬の沈黙の後、ヘキサが投げやりに手を上げた。
「値上げ」
「ダメッ!安直すぎ!」
「素直に解散するというのはどうかしら」
「絶対ダメー! ルーは何かないか?天才だし」
「無い」
「あっさり言うなあ…」
「ふっ…やはり私でないと無理みたいねえ」
 何やらごそごそと準備していたヴァネッサは、取り出した分厚い資料を全員に配る。
「何?これ」
「ふっふっふっ、アカデミー仕込みのミクロ経済学に基づいて作成した再建計画よ!そもそも経済の基本である需要供給曲線がね」
「(イヴ…経済学って部隊建て直しの役に立つか?)」
「(気休め程度には)」
 とはいえ嬉々としてとうとうと語るヴァネッサに誰も何も言えず、わざわざ資料まで作ってきたことにご苦労様というか悪い気も手伝って、そのまま延々と演説は続いた。
「というわけで財政の立て直しには抜本的な改革が必要なの、わかった?」
「は?」
「は?じゃあないっ!何聞いてたーーッ!!」
「それで、具体的に何をどうする案だ」
 あまり期待してなさそうな声でルーが突っ込む。ヘキサは既に昼寝をしている。
「そうね、大幅なリストラを実行し、その余剰資金で大胆な設備投資を行って新たな展望を切り開くといったところかしら」
「どこが具体的だ」
「わかる言葉で言ってくれよ…」
「要するにウィード君をクビにしてその給料分で事業の拡大を図ると」
「ちょっと待てコラ!」
「あるいは安価な労働力を投入して向上を図るという手もあるわ」
「つまり?」
「アルベルト君をタダでこき使ってその給料分で事業の拡大を」
「おい!」
「黙って聞いてりゃあこの元公安の犬!」
 いきなり荒々しくドアが開き、怒り心頭のアルベルトが踏み込んでくる。
「な、なによアルベルト君。立ち聞きとは失礼ね!」
「お前みたいなバカでかい声は廊下によく響いてんだよ!」
「誰がバカでかい声ですって!?」
「あーっうるせーっ!昼寝もできやしねー…」
「何でこうなるんだか…」
 頭抱えるヘキサとウィードに、なぜか来ていたらしいクレアも続いて入ってきた。
「ああっ皆様申し訳ございません。もう、おやめください兄さま!」
「だ、だけどよおクレア!」
「仮にも兄さまより2つも年上の方に向かってその口のきき方は失礼ですわ!」
「くっ…。そうだな、2つも!年上だしな」
「あんたたち後で覚えてなさいよ…」
「と、とにかくアルベルトさっきのは冗談だから!なっなっ」
 なんとかアルベルトとクレアを部屋の外へ押し出してため息をつくウィード。ヴァネッサに向き直ってバンと机を叩く。
「別に事業の拡大はしなくていいの!俺たちの仕事はあくまで苦情処理なんだから!」
「ちっ、これだから大志のない小物は…」
「悪かったな小物で!!」
「ルーさん、本当になにか良い意見はないかしら」
 ちっとも進まない話に、うんざりしたイヴがルーに尋ねる。
「そうよルー君。文句ばっか言ってないであなたも意見を出しなさいよ」
「そーだそーだー」
「そうだな…」
 周囲の注目の中、おもむろに指を立てて切り出すルー。
「団長をす巻きにしてムーンリバーに叩き込む」
「それよ!」
「それよ!じゃないだろーーっ!」
「はーいはい!オレも賛成っ!」
「今日初めて有意義な意見が出たわ」
「お前らなぁぁぁぁっ!!」
 息を切らせて机に突っ伏すウィード。本気で目まいがしてきた。
「だから、団長に納金するのは最初の約束なんだから仕方ないの!この事務室だって自警団の建物なんだしさ…」
「もう、それじゃ結局何も進展してないじゃないの」
「ああ…もう夜になっちゃったよ。また明日にしよう…」
 会議は踊り、されど進まぬまま今日も解散。苦虫を噛みつぶしたようなヴァネッサを横目で見ながら、あごに手を当てて何かを考えるイヴだった。


 次の日、イヴとルーは午後から出勤である。ヴァネッサは魔術師組合での手伝いをつつがなく終え、昼前に自警団へ戻るところだった。
「コツコツこんな仕事しても健康器具は買えないわよねえ…。あれ?」
 王立図書館前にさしかかったところでイヴの姿が目に止まる。普段図書館内で本に埋もれている彼女には珍しく、今日は建物の前で話をしていた。相手は彼女の友人のシェリル・クリスティアと、そのまた友人のトリーシャ・フォスターだ。
「あっ、ヴァネッサさん」
「こんにちは。なに話してるの?」
 近づくやいなや突然トリーシャが、はっし!とヴァネッサの手を握る。
「聞いたよヴァネッサさん!」
「は?」
「と っ て も 貧 乏 なんだってね!! 知らなかったよみんながそんなに苦労してたなんてっ。ああ、今度ウィードさんに謝らなくちゃ…」
「そうですね…。清貧に耐え街のために働いていただなんて、私も思わずもらい泣きしてしまいました。シェーキスキヤの3大悲劇なみですね…」
「へ?」
「大丈夫!ボクがみんなに話してくるよ、ヴァネッサさんたちは 貧 乏 だから応援しようって!」
「そうですね!学校の友達にも伝えておきます!」
「行こうシェリル!」
「はいっ!」
「よろしく頼むわ」
「ちょっと待てーーーっ!!」
 ヴァネッサの手は虚しく空を切り、ただ賭け去っていく2人の女の子を呆然と見送った。
「イヴさん、もしかして…」
「こうしておけば後々仕事もやりやすいわね」
「やめてよみっともない!明日から表歩けないじゃない!!」
「なら裏でも歩きなさい。さて、それでは仕事に行きましょうか」
 そっけなく言ってスタスタ自警団へ向かうイヴ。この女いつか埋めてやる…と思いながら、ヴァネッサはその後を追った。
 事務所に着くとウィード・ルー・ヘキサも既に中にいた。そろそろお昼の時間だ。今日の午後の仕事は1時半からだが…
「ウィードさん、提案があるのだけれど」
「何だ?」
「仕事が始まる前に、さくら亭で昼食がてら実際に商売に携わっている人に意見を聞くというのはどうかしら」
 イヴの言葉にヘキサが真っ先に賛成する。
「おーっナイスアイデア!行こうぜ行こうぜー!メシ食いに」
「ま…それも一つの策だな」
「でもお金が…」
 その時事務室の扉がノックされる。
「いるかね?ウィード君」
「あ、フォスター隊長」
「すまんな、君たちがそこまで苦労していたとは…。いやなにも言うな。これで皆で暖かいものでも食べてくれたまえ」
「え?あの、いえこんなものをいただくわけにはフォスター隊長?もしもーし!」
 ウィードの手に金一封を握らせ、唖然とする彼を残して出ていくリカルド。
「おっ、なんだなんだどうしたんだあのオッサン?珍しくいいとこあるじゃねーか!」
「一体どういう…」
「あのねウィード君…実はさっきイヴさんが」
「なにーーっ!?」
「まだ何も言ってないわよ」
「…お約束はいいから」
 トリーシャに情報が流れたことが説明されると、ウィードはよろよろと机に崩れ落ちた。イヴは変わらず涼しい顔だ。
 こうして部隊の面子を犠牲に、一同はさくら亭へと向かったのである。
「いらっしゃーい!なんだ、ウィードたちじゃない。ゆっくりしていってね」
「相変わらず忙しそうだなあ…」
 とりあえず注文をして―ヘキサは2人前頼もうとしてウィードに却下されたが―料理の到着を待つ。昼時だけあって店内はかなりの賑わいを見せている。
「だが繁盛しているということはそれなりに参考になるということだ」
「そうそう、うちの部隊もこのくらいは賑わってもらわなくちゃ。手短に相談してみなさいよ、ウィード君」
「ああ」
「おっ、なんだなんだ。商売の相談か?それならおれ達にまかせな」
「まかせな〜」
「いや…お前らはいい…」
「ううっ。アニキ、おれ悔しいよ」
「泣くんじゃねえヤス!」
 さすがに人が多いと変な奴もいるようだが…。腹減った腹減ったー、と連発するヘキサを黙らせて、ぼんやりと店内を見回すウィード。
「あれっ?ディアーナ」
「あ、ウィードさんじゃないですか」
 テーブルにもつかず所在なさげに佇んでいたのは、白衣に眼鏡の女の子である。
「あら、医院の方はいいの?」
「いやー、ふと気がついたらお昼に食べる物が何も残ってませんで。それであたしが食料の調達という重要な任務を仰せつかったわけなんです!」
「(また厄介払いされたのか…)」
 一同納得したが少女を思って口には出さない。ふとイヴが何か思いついたように質問する。
「ディアーナさん。クラウド医院も相変わらず繁盛しているのかしら?」
「そりゃあもう!なんたって先生の腕は世界一ですからね。当然患者さんも先生のところに集まりますよ!」
「やはり腕か…」
「何よ、私たちだって仕事の腕は劣っちゃいないわよ」
「そうそう、商売は腕だけじゃないってね」
 話しているところへパティが料理を持ってやってくる。
「はい、ディアーナはお弁当2つね。こっちの日替わり定食は誰だっけ?」
「俺とヴァネッサ」
「オレのオムライスはまだかよー」
「はいはい、ちょっと待ってってば」
 カウンターへ取りに戻るパティに後ろから声をかける。
「パティ、腕だけじゃないとなると他には?」
「もちろん真心よ!お客さんに喜んでもらおうって気持ちがなくちゃね」
「なるほど、確かに俺たちには足りない気がするな。なあヴァネッサ?」
「なんで私に振るのよ!」
「あ、そういえば皆さん苦しいんだそうですね。さっきトリーシャさんが言いふらしてました」
「‥‥‥‥‥」
 一気に食欲が減衰するウィードに、パティは苦笑しながらかいがいしく皿を運ぶ。
「落ち込まない落ち込まない。はい、オムライスおまちどお」
「おーっ!待ってました!」
「でも真心かどうかはともかく、仕事に対しては真剣に取り組んでいるつもりなのだけれど」
「俺もだ。手を抜いたことはない」
 不満げなイヴとルーの前にも料理が並び、全員食事にありつきながら話を続ける。
「そうですよねえ。皆さん街のために一生懸命仕事してますよ」
「それはそうなんだけどね…。うちのお客もよく言ってるけど、第三部隊は確かに仕事はできるけど愛想がないって」
 一瞬イヴとルーの手が止まった…のは気のせいか。
「なるほど!」
「こらウィード君、そこまで納得するんじゃない」
「ドクターくらいに達人なら不愛想でも客は来るんだろうけど」
「ひどいなパティさん、先生は愛想はないけど真心はあるんですよ」
「はいはい、でもやっぱり普通は笑顔で応対しなくちゃね。パティちゃんスマイル0ゴールド!ってねっ」
「ジョートショップの店員相手だとすぐ怒るじゃねーか」
「い…いいのよあいつはっ!それじゃごゆっくりどうぞっ!ふんっ!!」
「あ、それじゃあたしも失礼しまーす」
 結局ヘキサがパティを怒らせ、ディアーナも苦笑しつつ店を後にする。残されたテーブルで黙々と昼食を続ける隊員たちをウィードはぐるりと見渡した。
「聞いた?愛想だって」
「ルー君。そのゆで卵私のウィンナーと交換しない?」
「それは対等な交換条件じゃない」
「聞けよ人の話!」
 オムライスに集中してホントに聞いてないヘキサを除き、3人がそれぞれ憮然とした視線を漂わせる。
「…なーんで私たちが愛想なんて振りまかなきゃいけないのよ」
「おかしくもないのに笑えるか」
「右に同じ」
「ええい勝手なこと言うなっ!とにかく午後の仕事ではみんな笑顔を心がけること!いいな!」
「へーい」
 渋々答えるヴァネッサ。後は皆食事に集中し、パティに礼を言って店を離れ、本日の仕事場である陽の当たる丘公園へと向かった。


 公園でのバザーは教会の主催で、売り上げは孤児たちの生活費となる。街の人の善意によて集められた品物の数々はかなりの量に上っていた。
「すみませんねえ、よろしくお願いしますよ」
「任せてください!」
「おにーちゃんっ。頑張ろうねっ」
 神父に見送られ公園にテーブルを並べる。ネーナさんは子供の世話だし神父は教会を空けられないしで、第三部隊以外の人員はローラとセリーヌだけだ。
「あの〜、これはどこに並べればよろしいでしょうか」
「ああ?オレに聞くなよ、ウィードにでも聞けよっ」
「そうですか〜」
「ああっイライラする!」
「ビタミンが足らないんですか〜?」
「ムキーーッ!」
「ヘキサ…。今度セリーヌにビタミン分けてもらえ」
 一応前もって宣伝はしてあるので、とりあえず時間までにテーブルを並べ、品物を分類して見映え良く置いていく。
「ねーえお兄ちゃん、生活苦しいんだってね?頑張って稼いでね。あたし、結婚してから苦労するのヤだから」
「‥‥‥‥‥‥」
「ウィード君、さぼってるんじゃないっ!」
「と、とにかく早いとこ準備を終わらせよう」
 さすがにルー・イヴ・ヴァネッサとも手際だけは良く、ほどなくして準備は終わった。少し早めに来た客たちがちらほらと古道具などを手に取り始める。
「さあ笑顔で応対だ。見ろ、セリーヌのあの営業用スマイルを!」
「あの人は元からああいう顔なんじゃないの?」
「とにかく愛想、ってイヴ、どこへ?」
「小銭が足らなくなりそうだからそのへんのお店で両替してくるわ」
「あ、そう…」
 ちゃっかり接客から外れたイヴに思わず歯がみする一同。
「チクショーッ!さあさあ持ってけドロボー!」
「いやヘキサ、そーいうんじゃなくてさ」
 などとやってる間に客も増え、ウィードはへらへらと笑いながら応対する羽目になった。
「ねールーさん、今日のお兄ちゃんなんか変じゃない?」
「ああ…。大人の事情というヤツだな…」
「ローラも大人よーだ。あ、いらっしゃーい」
「とてもよくお似合いですよ〜」
 春の陽のような笑顔のローラとセリーヌに、皆喜んで買っていく。この現実は認めねばなるまい。繁盛すればそれだけ自警団への報酬も増えるのだし…
「仕方ないわねルー君…。私たちも覚悟を決めましょう…」
「ちっ。イヴの奴め…」
 逃げた人物にぶつぶつ文句を言いながら、引きつった笑顔で接客を始める2人。あまり知り合いには見られたくない…と思っているところへ間が悪く知り合いがやってくる。
「よう!仕事ご苦労さん」
「リサさん…。それにピート君も」
「おーーっす!なあなあ、でっかい歯車ってまだある?オレ目ぇつけてたんだよなー」
「ああ、ルー君の前にあるやつ」
「これか?」
 こんなものどうするんだ、と思いながら人の顔くらいの歯車を取り上げるルー。
「おーっそれそれ!」
「はは、バザーもたまにはいいもんだね。私も何か買ってくかな」
「このブローチなんかよくお似合いですよお」
「何だよヴァネッサ、気持ち悪いな」
「(むかっ)」
 ヴァネッサの内心など客たちが知る由もなく、ピートが首に下げたガマ口を開く。
「はい、7ゴールド!」
「あ、ああ」
「ルー、スマイルスマイル!」
 背後でウィードが小さく叫ぶ。ルーは内心で思いっきり舌打ちすると…7ゴールドと引き替えに、覚悟を決めて笑顔で歯車を手渡した。
「ありがとうございました」

 ‥‥‥‥‥‥

「うわぁぁぁぁぁんっ!!!」
「どうしたんだいピートっ!?」
「る、るるるルーがにこやかな態度で優しく微笑みながら『ありがとうございました』とか言って友好的に品物を差し出したんだよぉぉぉっ!!」
「何だって!?天変地異の前触れかっ!!!」
「‥‥‥‥‥」
「ルー君…そのうちいいこともあるわよ、ね?」
 無言で青筋立てる彼にそんな陳腐な慰め以外の何が言えただろうか…
「俺は帰る」
「ちょっと待てルー!」
「この根性なしっ!」
「あら、何かあったのかしら」
「何かあったのかしらじゃあないッ!」
「さっさと代わりなさいよこの女!」
「実は先ほどから体調がすぐれなくて」
「埋めてやるーーっ!!」
「なにやら後ろが騒がしいですねえ」
「みんな子供なのね…」
「ああもう…」
 頭を抱えてうめくウィード。結局自警団のイメージをぶち壊しにして――それでも品物が良かったのかバザー自体はつつがなく繁盛したが──終わった後にはぐったりと疲れ切った第三部隊の姿があった。
「きゃははははっ!それで今日のお兄ちゃんたち変だったんだぁ!」
「笑い事じゃないよローラ…」
 片付けが終わった後、ローラの無遠慮な笑い声がウィードを打つ。
「でもぉ〜、お兄ちゃんならともかく他の人たちは愛想よくしても不気味だよぉ」
「そうだよなあ…」
「どーいう意味だコラッ!」
「ふーんだ。特にヘキサ」
「ムキーッ!」
 怒るヘキサを眺めながら、ヴァネッサたち大人3名は反論する気力もない。自分でよく分かってる。
「だ…だいたいウィード君が悪いのよ!キミが変な作戦立てるからでしょ!」
「すぐ人のせいにするし…」
「何よっ!」
「まあまあ皆さん〜」
 カリカリしているところへ緊張をそぐセリーヌの声。
「確かに、皆さんはいっつも仏頂面で怖いですけど」
「悪かったわね…」
「でも一生懸命やっていれば、実はとってもいい人たちなんだと、街の方々もいつか気づいてくださいますよ」
「いつかじゃ困るのよいつかじゃ!」
「いや…。まあセリーヌの言う通りだよ。少なくとも真心は忘れずに頑張ろう…」
 と、ウィードが無理矢理まとめている間に神父がやってきて、お礼と一緒に報酬を受け取った。何ら変わらないいつもと同じような額。当たり前だが…。
「じゃあねーっ、お兄ちゃーん。くじけちゃダメよー」
「頑張ってくださいね〜」
 手を振る2人に見送られながら、夕日のエンフィールドをとぼとぼと歩く。今日もまた、いつも通りの一日だった。
「ええい、これじゃ永久に今までのままじゃない!」
「地道にやっていくしかないわね」
「そんな呑気な!」
「うっせーよヒステリー女!」
「なんですって虫!」
「おい…止めなくていいのか」
「いいよ、ストレス解消になるなら好きなだけやらせとこう…」
 といってストレス解消になどなるはずもなく、結局ヴァネッサの不満をくすぶらせたままその日も終わったのである。


「はあ…せちがらい世の中だなあ」
「オメー今さら何言ってんだよ」
 寮に戻っての夕食は今日も缶詰。たぶん明日も缶詰。今月の家計簿をつけながらため息をつくのはウィードも同じだ。
「本当にごめんな、ヘキサ…」
「ば、ばっきゃろーオレはいいんだよ。いや、缶詰で良くはねえけど、それよりヴァネッサだよ!どうしてああギャーギャーうるせえんだよあの女は!」
「ヴァネッサだってアカデミーまで出たのにこんな仕事じゃ愚痴も言いたくなるさ…」
 ましてヴァネッサはエンフィールドの生まれではない。自分はいいのだ。この街で生まれ、この街で育ち、ノイマン隊長を目標に己の信じる道を進められている。自分はいい、でも結局みんなを巻き添えにしている。仲間として、これでいいはずがないのだけれど…
「はあ…お金さえあれば」
「だから何さっきから当たり前のコトばっか言ってんだよ。って、おい、なんだこれ」
「え? あ!ち、ちょっと待て!」
 ウィードの手の下から家計簿が引ったくられる。止める暇もなく読まれた瞬間…みるみるうちにヘキサの顔色が変わった。


 ○月△日
  由羅にお酒(おごり)        5G
  トリーシャに昼食(おごり)     8G
  ローラにアクセサリー(おごり)  10G


「てんめえ…」
「あ、いや俺だっておごりたくておごったわけじゃなくてだな?成り行きというか仕方なくというかどうにもこうにも…」
「こんな金があるのに何でオレは缶詰なんだよどりゃぁぁああ!!」
「お、落ち着けーーっ!!」
 ウィード君、最大のピンチである。


 翌日。
「みんなっこれ見てくれよーっ!」
「やめろぉぉぉっ!!」
 ウィードの必死の制止も空しく家計簿は回覧され、先日にも増して冷ややかな視線が降り注がれた。
「ほー」
「ずいぶん潤ってたのねえ、ウィード君」
「だからおごりたくておごったんじゃなくって!仕方ないだろ!あいつらねだるのが上手くてついつい俺としても!」
「要するに自分は女の子に弱いと言いたいらしいわ」
「女にだけは優しいな」
「あっきれた、このナンパ男!」
「なぜそこまで言われる…」
 給料が十分なら誰も何も言わなかったろう。しかし今や緊縮財政のまっただ中。彼のような人物に第三部隊は任せられはしないのだ!
「だいたい前から思ってたのよ!キミ、しょっちゅう値切られたりツケにされたりしてるでしょう」
「いや、だって借金取りじゃあるまいしあんまりがめつく取りたてるのも…」
「この部隊が貧乏な原因が非常によく理解できた気がするわ」
「しかも女に特に弱いしな」
「そーいや最近アリサからの仕事ばっか取ってるよなー」
「なるほどそういう事ね」
「ご、誤解だーーーっ!!」
 ウィードの叫びは空しく宙に消える。全くもってヴァネッサに口実を与えるには十分だった。
「もはやこれ以上キミに任せてはおけないわ!以後この部隊の財政はこの私が預からせてもらいます。いいわねっ!」
「そんな無茶な…」
「何が無茶よ!」
「うう、みんな何とか言ってくれえ」
「知らねーな」
「もー二度とお前に同情なんかしてやんねーよっ、タコ!」
 隊員はもちろん、裏切られたヘキサの怒りはかくも大きかった。ただ涙するウィードに、イヴが静かに肩を叩く。
「ウィードさん、あなたの気持ちはわかるわ」
「イヴ…」
「でも私たちの仕事は街の人の手伝い。本来お金を取って当然であって、労働に見合う報酬をきちんと請求することは何らおかしいことではないはずよ」
「‥‥‥‥‥」
「むしろ過度の奉仕は人々を甘やかしているだけではないのかしら?」
 しごくごもっともである。モンスター退治や災害の復旧はまだしも、バザーの手伝いや仕事の代行など無料である方がおかしいのだ。それでもみんなが喜んでくれるならと今までやってきたが、やるなら一人でやるべきだったのかもしれない…
「わかったよ…」
「それは結構」
「ま、そう気を落とさないでよ。キミにしてはよくやったわ」
「どうせ俺なんて…」
「ええいうっとうしい!さあ、これから第三部隊は生まれ変わるわよ。バリバリ働いてね!」
「あまり張り切りすぎないように」
「そして健康器具を買うのよ!」
「こいつも不安だ」
「いーよオレは、まともなメシさえ食えりゃあよー」
 盛り上がる仲間たちを前に、ウィードは誰にも聞かれないように小さくため息をついた。


 ウィードは敗北したのだ。理想を語るには実力が伴わなくてはならない。ウィードにそんなもの逆立ちしてもなかった。
 その日から文字通りヴァネッサは走り回った。人々の声を聞き、街に住みづらいところがあれば自ら役所にかけあって仕事を取る。イヴがトリーシャを通じて広めた噂もそろそろ効果を発揮し始め、街の人たちもおおむね第三部隊に好意的だった。
「今日はイヴさんとルー君は美術館の警護。私とウィード君はマーシャル武器店へ。ヘキサ君は留守番」
「ち、ちょっと待てよ。みんなで1つずつ片づけないか?」
「そんなこと言ってたら仕事はこなせないわよ。4人も同時に投入するなんて無駄無駄無駄」
「そうかなあ…」
「じゃ、2人ともよろしく」
「分かった」
「それでは行ってくるわ」
 面目つぶれたウィードはすごすごとヴァネッサについていった。まあ所詮自分はにわか隊長だったのだし、ヴァネッサに学んで成長するのが正しい道なのだろう…。
「それじゃ皆さんよろしく頼むアルよ、しくしく…」
「まったく、バカな話さ」
 マーシャルの仕掛けた罠にとうとう通りすがりの人が引っかかって怪我をしたため、役所から罠の全撤去を命じられたそうだ。今日の仕事はその手伝い。エルも一緒なので確かに2人で十分だろう。
「ああ、苦労して仕掛けたアルのになあ…」
「何言ってるんだよ…。今回大したことなかったっていうから良かったけど、子供が引っかかったりしたら大変なことだったぞ」
「あいや、分かてるアルよウィードさん。それじゃよろしく頼むのコトよ」
「その前にマーシャルさん」
 店の裏を見回っていたヴァネッサが書類を取り出す。
「先に金額を決めてしまいたいのだけれど。今日中にすべての罠を撤去で400Gでいかがかしら?」
「アイヤー!それはちょっと痛いアルよ」
「何言ってんだ、アンタの危険な罠が相手じゃそのくらいが妥当だよ。ただでさえこいつら大変なんだしさ」
「しくしく…ワタシの店だってそう裕福じゃないアルよぉ」
「あ、それじゃあ」
 少しくらいはまけても、と言いかけたウィードは案の定ヴァネッサに睨まれた。
「まあ仕方ないアルな。やれやれ、第三部隊なら安上がりで済むと思ってたアルが…」
「そういう事は思っても口にするな!」
「ほらウィード君、あんな風に思われてた」
「‥‥‥‥」
 エルが道具を取りに行った間に罠の様子を確認する。地面を調べながらふとヴァネッサが言った。
「エルさんてもっとクールな人かと思ってたけど、案外お人好しなのね」
「そうか?」
「だってこちらの言い値でOKしたでしょ」
「トリーシャから俺たちが貧乏だって聞かされてたんだろ」
「それがお人好しなのよ」
 ウィードは答えずに、最初の罠を取り外しにかかった。


 その日も仕事は終わり、いつものように日が暮れる。
「帰らないの?ヴァネッサさん」
「うん、もう少し残ってく」
「そう。それではお先に」
 イヴが去り、ルーも出ていく。ウィードはなんだか帰りにくくて逡巡する。
「おーいウィード、とっとと帰ろうぜー」
「あ、ああ。それじゃヴァネッサ」
「ええ。また明日」
 結局外に出て、少し前にまだルーの姿が見えたので走って追いつく。別に歓迎はされなかったが、同行することにした。

「はぁ〜い!ウィードくんにルーくぅん」
「由羅…」
「ぐ」
 しばらく歩いたところで、声をかけたのは橘由羅だった。彼女を苦手としているルーはあからさまに嫌な顔をする。
「こんにちは」
「こ、こんにちは。お兄ちゃんたち」
 隣にはクリスとリオの姿も見える。また由羅に引きずり回されてるらしい。
「なんだよ由羅、オレを忘れんなよなー」
「あ〜らごめんね、ヘ・キ・サ・く・ん」
「皆さんお仕事の帰りですか?」
「まあね。由羅、あんまり2人を悪い道に引きずり込むなよ」
「なぁ〜に失礼しちゃうわねえ。ねぇルーくん?」
「近寄るな」
 由羅は2人を家に送る最中だったらしく、方角が同じだったので並んで歩く。薄暗い宵闇の下、ぽつぽつと人が行き交う並木道を由羅の笑い声がこだまする。そんな中でふと由羅がウィードへと向いた。
「そういえばウィードくん、私の愛するクリスくんの依頼を断ったんですってぇ?」
「え?」
「ゆ、由羅さん!仕方なかったんですよあれは」
 話を聞くとクリスの教室の劇でどうしても人手が足りなかったのだが、お金もなくてヴァネッサに断られたらしい。
「そうか…」
「あ、分かってますよ!ウィードさんたちは仕事なんだし。大変なの知ってますから」
「…ごめんよ」
「お兄ちゃん…。お、お金が必要なら、ボクがお父さんに頼んで…!」
「い、いやっ!そこまでする必要はないよ、リオ」
「そ、そう。ごめんなさいなんの役にも立てなくて…。やっぱりボクは存在する価値もないダメ人間の代表なんだね…」
「おいっ!」
 勝手に沈み込むリオをなだめながら、ウィードも少なからず動揺していた。そんな彼を由羅とルーが無言で見る。別れ道にさしかかった。
「ごめんね、気にしないで。ちょっとウィードくんらしくないな、って思っただけよ」
「‥‥‥‥」
「それじゃ私たちこっちだから。じゃあねぇん」
 手を振る由羅たちをしばらく見送る。
「俺らしくないか…」
「なんだよ、断ったのはヴァネッサだろー」
「…いや」
 ウィードは顔を上げると、来た道を振り返る。
「ごめんヘキサ、ちょっと事務所に戻ってくる」
「ここまで来てかよっ」
「帰って晩飯の用意でもしとけよ」
「オレは缶詰くらいしか開けられないからな!」
「それじゃ、ルー」
 ウィードとヘキサはそれぞれ反対方向へ消えていく。ルーはしばらくそこに残っていたが
「…ちっ」
 小さく舌打ちすると、ウィードを追って歩き出した。



 自警団に着いた頃はもうすっかり暗くなっていた。
 夜番の詰め所の他に、第三部隊の事務室だけが未だに明かりを灯している。ノックしてドアを開けると、ヴァネッサがまったく同じように書類と格闘していた。
「あらウィード君、忘れもの?」
「そうじゃないけど…」
 唾を飲み込んで、再度口を開く。
「クリスの依頼を断ったんだって?」

 少し意外そうな顔をしたヴァネッサだが、すぐに即答する。
「ええ。仕事の拘束時間に比べちょっとお金が足りないって事だったから、申し訳ないけどって言って断ったわ」
「クリスはまだ学生だ。少しは考えても良かったんじゃないか」
 ヴァネッサの顔が明らかに不快なものに変わった。理不尽なものに対して。
「規則は規則でしょ?」
「でも…」
 苛立たしげに指で机を打つ彼女の、神経にきっと障ってる。でも引けない。引いたらたぶん、道はそのまま逸れていく。
「それは…何か違うと思う」
 椅子を蹴って、ヴァネッサが立ち上がる。

「キミは甘いのよ!!」


 少しの間沈黙が流れた。

「分かってる…」
 分かってる。綺麗事を口にするのは簡単だけど、実際には食べなきゃ生きていけないし、お金がないと何も買えないし、給料を払わなくてはみんな生活できない。でも…
「分かったなら帰って」
「…ヴァネッサはまだ仕事か?」
「そうよ」
「ここんとこ毎日残業じゃないか。あまり無理すると体…」
「大きなお世話!!」
 それ以上の話は続けられなかった。ウィードは部屋を出て、後ろ手で静かにドアを閉める。顔を上げると、ルーが石のような表情で立っていた。
「…ごめん、付き合わせちゃって」
「いいのか」
「わからない…。ヴァネッサも間違ってないと思う」
 頼りなげに出ていくウィードを、ルーはしばらく見送った。ドアの向こうでは仲間の一人がまだ仕事を続けている。ここにいても仕方ないので…ルーもまた外へ出た。



 部屋へ戻ると、飼いウサギのアーサーが出迎える。いつもと変わらない部屋。アーサーだけを相手にしていた方が良かったか。
「俺の知ったことじゃない…」
 周りが嫌になったからここへ来た。知ったことではないと、そう思い続けていた方が良かったのだろうか。



 イヴが事務室に入ると、ヴァネッサが机一杯に資料を広げていた。ショート財団や、バクスター家、あるいは他の街の大商人等々の調査資料だ。
「やっぱこういうところに学ばないとダメよねー」
「私たちの仕事にあまり関係はないと思うのだけれど」
「今までと同じ事やってても仕方ないでしょ」
 部屋の隅ではウィードが渋い顔をしている。
「ヴァネッサ…事業の拡大なんて考えなくていいよ」
「何言ってるのよ。ここって雑用部隊とか言われてるのよ、悔しくないの?」
「言いたい奴には言わせとけばいい」
「あーもうどうしてそうプライドってものがないのかしら!」
 今日もウィードは分が悪い。ヘキサも呆れ顔で宙に浮いている。
「まっ、見てなさいよ。私たちには切り札があるのよ」
「何かしら?」
「ルー君が来てからのお楽しみ…あ、来た来た」
 入るなり自分に集中する視線に、遅れて来たルーは怪訝な顔をした。
「何だ?」
「ふっふっふっ、知らなかったわよぉルー君。キミ、シモンズ・コーポレーションの跡取りだそうじゃない!」

 …一瞬、部屋の中が静まる。
 ウィードとヘキサが同時に声を上げた。
「シモンズ・コーポレーション!?」
「って何だ?」
「ええい無知!私が前にいた街の大きな会社。健康器具も作ってるのよ」
「知るわけないだろ…」
「いや私も昔の資料にルー君の名前を見つけたときは驚いたわ。でもそんな人がうちの部隊にいたなんてもう完璧って感じよね!私たちの前途は洋々よ!」
「そうすると毎日ステーキが食えたりするのか!?」
「そうよヘキサ君!口紅が100本は買えるのよ!」
「おおー!」
 勝手に盛り上がってる2人にかける声もないまま…ふとウィードは息をのむ。ルーの表情が、氷点のように凍っている。
「それで?」
「え?」
「俺が昔あいつの会社で働かされてたから何なんだ?」
 ルーの冷たい目に少し気圧されながら、数年前の記事を見せるヴァネッサ。
「ほら、出てるわよ経営を躍進させた影の功労者って。そんな才能持ちながらこんな所でくすぶってるなんて自分でも不満でしょ?だからこの部隊で手腕を振るって…」
「おい、やめろヴァネッサ…」
「断る」
 ルーの雰囲気を察したウィードが止める前に、ルー自身が即答した。ヴァネッサの顔色も変わる。
「ちょっと何よ。子供みたいなこと言ってるんじゃないの!」
「断る!」
 意外な激しさだった。普段のルーからは想像もつかないほど。
「いつからここは会社になった!?金儲けのための部隊か!?」
「ルー君!キミまで甘いこと言い出さないで!」
「俺の父親は!」
 拳を握って。18歳の青年は、苦しそうに吐き出し続ける。
「あいつの会社は、金儲けのためだけに存在した。そのためならどんな事でもやったし、俺はそのために利用された。別に俺はウィードほどこの部隊に思い入れがある訳でも、街の連中のために働きたい訳でもない。それでも!」
 周りが嫌になって、あちこちを流れ、辿り着いたのがこの場所だった。結局どこも同じだなんて思わない、思いたくない。
「それでもこの部隊があいつの会社の様になるのは嫌だ!金のために他のものを失うのは嫌だ。お前ら最近変だ。何の為にここにいる!?」

 し‥‥ん。

 静まり返った事務室で、ウィードは一歩前へ出た。
「ヴァネッサ…」
 同時にヴァネッサが後ろへ下がる。
「な…何よ」
「給料も払えない俺にこんなこと言う資格はないかもしれない。でもここは第三部隊だ。第三部隊でなくなるなら、存在する意味なんてない」
「私はこの部隊のためを思って…!」
「それは分かってる!」
 ヴァネッサの体温が急に下がっていく。ルーは無言で、じっと下を向いていた。彼をそうさせたのは自分か?でも自分は間違ってない。間違ってるはずがない。
「確かに、少し目的を見誤っていたわね」
 イヴまでがそんなことを言った。
「どちらも大事だけど、優先順位として街の人の役に立つ方が先だわ。その順番を多少取り違えたことに気づかなかったわ、私としたことが」
 冷静に、しかし自分への多少の怒りを込めて断罪するイヴ。
「缶詰はもう嫌だよなー」
 ヘキサがぶっきらぼうに続けた。
「でもオレってウィードの手伝いに召喚されたしなー。あーあ、ババ引いた」
「ヘキサ…」
「いいよ、どーせこれからもババ引くんだ」
「‥‥‥‥」
 ウィードは嬉しそうにヘキサを見ていた。みんな分かってない。みんな甘いのだ。世の中はそんなに甘くない。少なくとも今までの自分の人生からは。
 でもこの部隊では、それが間違いなのだろう。誰も賛同してくれないなら、多数決の原理で自分が却下されるのだろう。かくなる上は自分一人だけでも厳しい生き方を貫くしかない。
「わかったわ…」
「ヴァネッサ!」
 周囲にほっとした空気が流れる。でもそんなものを許す気はない!ヴァネッサは姿勢を正すと、つとめて重々しく宣言した。
「一連の混乱の責任を取り、今日をもって辞職を決意します!」

 …が、予想したような答えはなかった。
「あのなあ…」
「何か問題が起きたらとりあえず辞めればいいという浅はかな考えね」
「勝手に辞めろ。俺は知らん」
「ばーかばーかばーーっか」
「(こっ…こいつらあああッッ!!)」
 ああ!なんという薄情な連中であろうか。自らの進退をかけて規範を示したというのにこんな反応しかよこさないとは。自分の存在はその程度か!
「あーっそうならいいわよっ!どーもお世話になりましたわね、さよならッ!」
「おい!ちょっと待てって…ぐはっ!」
 思い切り閉めたドアの向こうに、ウィードが激突する音が聞こえた。



 エンフィールドの日差しは今日も暖かく、人々はいつものようにのんびりと行き交っている。しばらく顔を伏せて走っていたヴァネッサだが、ムーンリバーの水音が聞こえてきたところで歩調を落とした。走っても、急いでも行くところはない。この街のどこにも。
「ヴァネッサさん?」
 エレイン橋の上で、シーラが川を見つめていた。後ろを通り過ぎようとして、気づかれてこちらを振り向かれてしまう。
「どうかなさったんですか?息、切れてますけど…」
「ど、どうもしないわよ?シーラちゃんこそ、なんだか深刻な顔で川を見てたけど」
「いえ…大したことじゃないんです」
 シーラは微笑んでそう云った。
「そ、そう。それじゃっ」
「さようなら」
 いたたまれなくなってその場を去る。彼女の悩みは何なのだろう。この平和な街で。シーラも、ルーも、ウィードもイヴもヘキサも、平和に生きながら、それぞれ心に何か抱えてる。自分も単なるその一人なのだろうか。
「うみゃあ、ヴァネッサちゃん、こんにちはぁ」
「よっ!どうしたんだよこんな所で。暇ならお茶でもどう?」
「やっほー☆ あれ、元気ないよ。魔法見せてあげよっか!」
「こんにちは、ヴァネッサさん」
「こんにちはっス!」
 歩くたびに誰かが声をかけてくる。ここへ来てまだ1年も経っていないのに。適当に挨拶を返しながら、川に沿って歩いていく。自分はまだ、この街の住人じゃないはずなのに。
 ムーンリバーは今日も流れる。
「はぁ…」
 ローズレイクへ出た。ここまで来れば誰もいない。疲れ切ったように、水辺の芝生に腰を下ろす。
 湖面は静かに、陽の光を反射する。ヴァネッサが何を悩もうと、やっぱり陽は昇るし、陽は沈む。いつの日も、いつの日も。
「…隣、いいかな」
 頭上からそんな声がした。


「ご勝手に」
 怒ったようにそう言った。別に追ってきてくれなんて頼んでない。そこまで甘えてないのに、ウィードは隣に座る。
「そろそろ戻らない?」
「出てきたばっかりでしょ」
 ぶすっとしてそう答える。自分にはプライドもあるし面子もある。それに拘わることは、たぶんこの街では馬鹿馬鹿しいことなのだろう。でも今さら生き方を変えられるものか。
「…あそこに見えるの、カッセルさんの小屋だっけ」
「え? ああ、うん」
「この街はずっと昔からこうなんでしょうね」
 湖の畔に遠く見える古びた小屋を眺めながら、ヴァネッサはそう呟いた。
「そうでもないよ。俺が子供の頃に比べれば、エンフィールドも変わってきてる」
「そお?」
「それは当たり前だし、でも変わらないものもあるし…。やっぱり第三部隊は続いてほしいし、なくなってほしくない」
「キミはもっと実力があるじゃない」
 自分には納得できない。どうしたって。
「その気になれば雑用部隊じゃなくて、もっと上に行けるじゃない。なんでそこで甘んじてるの?向上心がないの?」
「向上…か。さすがに缶詰は嫌だけど」
 苦笑しつつウィードは答えた。彼女が疑問を持つほどのことではない。
「本当は第三部隊なんていらないのかもしれないんだ。でもあってほしい。みんなの役に立ちたい。甘いって言われるだろうけど、エンフィールドがどんなに変わっても、第三部隊みたいなところがひとつくらい残ってほしい」
 それは向上ではない。でも甘くても、お人好しでも、そんなところがあって良くはないのか。
「俺はこの街が好きだよ」
 微笑んでウィードは言った。それはヴァネッサの感覚とは違う。でもウィードには、ただそれだけが真実だった。
「この街と、ここの人たちが好きだよ。俺には力がないから大したことはできないけど、ささやかでもみんなに幸せでいてほしい。それだけなんだ」
 聞き終えて…ぱたん、とそのまま寝転がる。芝生に頭を乗せて、頭上の雲をぼんやりと眺める。
「この街がねえ…」
 エンフィールド。
 たまたま迷い込んでしまった。ヴァネッサの耳に、ローズレイクの水音が聞こえる。自分はウィードとは違う。それでも…ここが嫌いなわけではない。
「頼むよヴァネッサ、力を貸してほしい」
 たぶん誰も大した力はなく、ただ自分のできる範囲で、それぞれの日々を生きている。自分にこの街は合ってないのかもしれない。それでも。
「まったく、キミは甘いんだから」
 よいせっ、と勢いをつけて立ち上がる。服のほこりをはたきながら、自然と少しの笑みがこぼれる。
「本当に…私がいないと危なっかしくて仕方ないわよ」
 ウィードも立ち上がる。理想のためには力が必要だ。でも――5人もいれば、そのくらいは何とかなるのではなかろうか。
 そんなことを考えながら、ウィードは笑顔で右手を差し出した。
「これからもよろしく頼むよ、ヴァネッサ」


 ヴァネッサが戻っても誰も感動してくれなかった。みんな、当然戻ってくると思ってたから。
 それが不満でもあり嬉しくもあり…。結局お金の管理はそのままヴァネッサが引き継ぐことになって、またいつもの日常が始まる。少しは潤うようになったが、健康器具にはまだ遠い。ぶつぶつ文句を言いながら、第三部隊は続いていく。

 ルーがドアを開けると、ヴァネッサがお金の計算をしていたところだった。そういえばもうすぐ給料日だ。
「他の連中はどうした?」
「パトロールよ。あーあ、今月も大した額じゃないわね。口紅10本くらいの余裕しかありゃしない」
「それだけ買えれば十分だろう」
「全然!足らないわよ」
 羽ペンをもてあそびながら、ふといたずらっぽく笑う。
「ルー君、自分がお人好しだと思う?」
「誰がだ」
「そうよねえ。そうそう、うちの部隊の収支って、みんなの笑顔を計算に入れれば大黒字らしいわ」
「どこのどいつだ、そんな馬鹿を言う奴は」
 苦虫を噛みつぶしたようなルーに、ヴァネッサはおかしそうに笑った。自分たちはそこまで甘くはなれない。でも少しは素質はあるのだろう。なんだかんだで、まだこの部隊に残っているのだから。
 いずれ1年経てば皆違う道へと別れていく。でも今だけは。みんなの笑顔でも、他の何かでも。それなりの収支なら、もう少しだけ付き合ってみようか。
 給料袋を金庫にしまったところへドアが音もなく開く。
「2人とも、出動らしいわよ」
 相変わらずのイヴの背後から、息せき切ったウィードたちも顔を出す。
「馬車が側溝にはまったそうだ!」
「積み荷のニワトリが逃げ出して、街中走り回ってるらしいぜー!」
 ルーと思わず顔を見合わせる。なぜだか頬がゆるむのを押さえながら。
「まったく…仕方ないわね」
「行くぞ!第三部隊出動だ!」
「はいはい、ウィード君」
 たまたまやって来たこの街で、たまたま出会った仲間たちと。
 ほんの少しの雨宿りだとしても、こんな毎日も悪くない。

 ヴァネッサ・ウォーレンは立ち上がると、今日の一歩を踏み出した。

「さあて――行ってみましょうか!」






<END>





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