【注意】このSSは「彩のラブソング」の本編および秋穂イベントの知識を前提に書かれています。
 まだプレイされてない方はご注意ください。

ねたばれOK

















 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 作りかけのステージで、女の子が歌ってる。


 多くはない観客の中に、いつも見ていた人がいる。もう手は届かないけど、歌は広がり、想いはようやく開放される。

 大好きです。大好きでした。望んだ結果じゃなかったけれど、きっとこれで十分。
 伝わっても、伝わらなくても。



『それがきっと あなたのいいところ

          失くさないで 大事にして…』








恋の終わりと、恋の続き









 言い出せなかった恋は、終わっても何も変わらない。誰も知らないから。

「んっ…」
 今日の一日も何事もなく終わり、みのりは軽く伸びをして校門へと向かった。
 歌はおおむね好評だった。沙希も、補欠の先輩も、ギターの先輩も、みんな良かったよって言ってくれた。こんな人たちに囲まれた自分はきっと幸せであるに違いない。本番まであと一週間、精一杯頑張ろう。
「あのっ…」
 そんなことを思いながら夕焼けの下を歩いていた時だった。校門前で声がかかる。振り向くと髪の長い、大人しそうな女の子。初めて見る顔で、みのりは少し怪訝な目を向ける。
「秋穂さんですよね」
「そうだけど、何?」
「あ、ご、ごめんなさい。1−Cの美咲鈴音っていいます。今日のリハーサル聞いてました」
「え?」
「感動しました、とっても」
 警戒気味だったみのりの顔が一気にゆるんだ。しろうとバンドとはいえ悩んで苦しんで作った歌だ。そう言われて嬉しくないわけがない。
「そ、そう?ありがとう。そっかぁ…ホントに?」
「は、はい」
 電車の時間が来そうなので、下校しながら話すことにする。ぶっつけリハーサルでもうファンがつくとは思わなかった。意外と才能があるのだろうか?
「嬉しいなぁ。わたし初心者だから自分でもよくわかんないんだけどね」
「でも聞いてて涙ぐみましたよ、私」
 いつもの帰り道。茜色に染まるきらめき川を横に見ながら、みのりはにやける顔を必死で押さえた。
「ま、まあ多少は自信もあったんだけどねっ。ズバリ!『彩』に勝てると思う?」
「え…」
 力いっぱい尋ねるみのりに、不意に鈴音は口ごもる。
「ごめんなさい。私、『彩』のキーボードなんです」
「は!?」
「当日はお互い頑張りましょうね」
「‥‥‥‥」
 幸せの気分が一気に落ちた…。『彩』のメンバーなら自分と比べたら大人と子供だ。誉められたって嬉しいよりも恥ずかしい。
「そりゃどおも…」
「あっ、で、でも歌が良かったのは本当ですよっ。すごく心がこもってたし、私も…」
 あわててフォローに入る鈴音の、言いかけた言葉がふと止まる。顔を上げたみのりの視線を避けるように目を落として、鈴音は黙って歩いていたが、しばらくして苦しそうに口を開いた。
「…先輩と、なに話してたんですか?」
「先輩って、ギターの先輩?」
「は、はい…」
「別に作詞の手伝いしてもらって、さっきはそのお礼言っただけだけど」
「そ、そうなんですか」
 夕陽の中、安心したような、不安が残ったような、そんな様子の鈴音に、みのりは思わずむっとして声を高めた。
「なーに、要するにそれ聞きたくてわたしに声かけたわけ?何もないわよ!」
「あ! い、いえ、そういう訳じゃないんです!」
「じゃあ何よ」
「あ…」
 はっきり口に出せなくて、鈴音の表情がなお暗くなる。
「ごめんなさい…。本当に駄目ですね、私…」
「いや、どういう事情かは知らないけどさあ…。あ、先輩の彼女ってあなただったの?」
「ち、違います!片桐さんっていう…」
 空気が止まる。どちらも、言った瞬間に後悔した。
 片思いというものがこの世にあることを経験したばかりだろうに。自分のうかつさを呪いながら、みのりは頭を下げる。
「ご、ごめん…」
「あ、あの、いえ、ただの噂なんです。噂だけど、先輩見てると本当なんだろうなって…」
(俺の好きな人もとても女性の鑑とは思えないけど、でもやっぱり好きで…)
 そういえば彼もそんなことを言っていた。そう言ってみのりを励ましてくれたけど、何もその裏でこんな事がなくてもいいだろうに。隣で俯き気味に歩く少女は、とても『女性の鑑とは思えない』ようには見えない。
 いつの間にか日は落ちて、もうすぐ駅が近い。
「ごめんなさい。初めて会った人に暗い話しちゃって…」
「い、いいってそんなの。まあ世の中いろいろあるわよ。うん。実はわたしもこの前失恋したばっかりだったりするし」
「はい。歌聞いてて分かりました」
「あ…。そう」
「あっ、す、すみません!」
「いいけど…」
 お互い虚しい同行者として駅に着く。2人して失恋中。なんとも明るくない話だ。
「それじゃ。急に声かけたりして済みませんでした」
「だからいいってば。バンドコンテスト頑張ろうね。彩にはぜーったいに負けないから」
「はい…。それじゃ」
 頭を下げてホームへ下りていく鈴音は、音楽に情熱をかける気分ではなさそうだった。少し前の自分はあんなだったのだろうかと、埒のないことを思いながら、みのりはしばらくその姿を見送った。

 文化祭まであと5日の、とある日のこと。



*          *          *




「歌って怖いとこありますよね」
「うん?」
 吹奏部の部室で、最後の調整をしながら、みのりはなんとなくそう言ってみる。
「先輩は考えたことありません?自分の作った歌のせいで誰かが傷ついたりとか、まあ…喜ぶこともあるかもしれないけど、そうやって他の人に影響与えるってことあるじゃないですか」
「うーん、俺はむしろそうなって欲しくて歌ってるんだけどな」
「わたしはそんなの考えたこともなかったなぁ…」
 楽譜を指でなぞる。自分の心、自分の想い。全部込めて…でもあの人達に届いては困る。2人とも大好きだから。この事を知られたら、優しいあの人達はきっと傷つくから…。
「そういえば。先輩は好きな人とはどうなってるんですか?」
 できるだけいつもの口調で、鈴音と会ったことは隠して。秘密ばかり増えていく。
「え!?き、急に聞いてくるなあ。まあ…特にどうともないよ。お互い文化祭前だから」
「ふーん」
「な、何だよその目は。俺は別に…今はとにかく、曲を完成させたいから。でなけりゃ片桐さんには追いつけない。俺は俺で俺の全力を尽くさないと…」
 最後の方は独り言。それでも名前ははっきり聞こえた。
 片桐さん。どうしたって美咲鈴音じゃない。
「両想いなんですか?」
「いや…たぶん違うよ」
 世の中には理不尽なことが多すぎる。


「何やってるんだろうなぁ…」
 用具室の鍵を開けながら、みのりは憮然と呟いた。
 他人の事に首を突っ込んでいる場合だろうか?そんなことができる立場だろうか。昨日鈴音が声をかけたのは、別に傷を舐め合いたい訳じゃない。
 自分の想ってる人は他の誰かを想ってる。振り向いてもくれないし、口に出すこともできない。あんな辛い思いをしているのは自分だけだと思ってた。実際はそんなの、ごくありふれた事だ。
「みのりちゃんっ」
「ひゃっ!」
 いきなり肩をたたかれて、肺が空になりかける。
「ど、どうしたの?大丈夫?」
「虹野先輩…も〜、おどかさないでくださいよ」
「あは、ごめんごめん。今日も練習頑張ろうね!」
「はいはい。ホントに虹野先輩は…」
 ほころぶ口を押さえて、一緒にサッカーボールを引っ張り出す。
「ねえ、虹野先輩」
「なに?みのりちゃん」
「先輩ってお節介ですよね?」
「‥‥‥‥」
「あ!べ、別にけなしてるんじゃないですよっ。ちょっとわたしの知り合いで困ってる人がいて、何とかしてあげたいけどやっぱりお節介かなぁって迷ってて…」
「あ…なぁんだ」
 ほっとしたように沙希は笑った。お節介なのもそう楽ではないらしい。
「みのりちゃんて優しいね」
「そ、そんなんじゃないですっ。ぜんっぜん」
「うーん、わたしもそんなに偉そうな事言える身じゃないけど…。やっぱり相手の人が喜んでくれるかどうかじゃないかな。それが一番難しいんだけどね」
「そっか…」
 沙希らしい言葉。籠から手を離して、代わりに沙希の腕に抱きつく。
「ど、どうしたのみのりちゃんっ」
「やっぱり虹野先輩、だーい好き!」
 こんな風に近づけなかった時。苦しくて、泣くことしかできなかった時に、あの先輩が助けてくれた。その後輩が、今度は彼を想って苦しんでる。
 だったら今度は、自分が助ける番だろう。

「やっほ」
「あっ…秋穂さん」
「一緒に帰らない?」
 急いで用具を片づけて校門に向かうと、鈴音がもう帰るところだった。走って追いついて、強引に横に並ぶ。本当なら隣を歩く人は…今は別の女の子の所にいるのだろうか?
「どう?そっちの調子は」
「は…はい、先輩の曲はまだですけど、順調に進んではいるみたいです」
「そうなんだ」
「片桐さんが手伝ってるらしいですから…」
 消え失せるような声。彼の方は順調。その裏で鈴音の状況は最悪だ。何かが上がれば何かが落ちる。それでどうしよう。
「告白しないの?」
「…しても、困らせるだけですから…」
「そう…」
 鈴音は前髪をいじりながらとぼとぼと歩き続ける。少し前のみのりなら、『とっとと告白しなさいよ!』とでも一喝するところだろうが、何しろ自分が告白せずに終わらせたばかりだ。言えない状態もあると知ってる。そうでなかったとして…言えたかどうかは怪しいけれど。
「わたしは思いっきり歌ったらすっきりしちゃったなー」
 鈴音が暗い分明るく、空を見上げながらみのりは言った。
「って、あの先輩のおかげなんだけどね」
「そうなんですか?」
「うん」
「…本当、お節介ばかり焼いてるんだから…」
 くすっ、と笑う鈴音の顔を、みのりは思わず見返した。彼のことをどんなに好きなのかも。
 何とかしてあげたい。彼が助けてくれたように。
「そうだ!大声で言っちゃえばいいのよ」
「え!?だ、だから、言えないって…」
「そうじゃなくてっ。本人に伝わらなけりゃいいんでしょ」
 昨日と同じ、夕日に染まる河原へ、今日は鈴音の手を引いて強引に降りていった。頭上には大きめの橋が架かり、往来する車と、橋桁に当たって砕ける水の音で耳は覆われる。
「ここなら誰にも聞かれないじゃない」
「え、えええっ!?」
「せんぱーい!わたしも…本当は好きなんだよーーっ!!」
 思いっきり吐き出せば少しは身も軽くなる。あのステージの上でそうだった。
 見るからに控えめな鈴音は、どれだけの事をため込んできたんだろう。
「ほら!」
「え、え。その、ほらって…」
「言っちゃいなさいよ、好きですとか愛してますとか!誰も聞いてないから!」
「あ、その、えっと…。ご、ごめんなさい急用思い出しましたそれじゃっ!」
「あっ…こらーーっ!」
 耳まで真っ赤にして鈴音は走っていってしまった。ざあざあ流れる川の側に残されたみのりは、憮然として橋桁に寄りかかる。
「…意気地なし」
 お節介は難しい。


*          *          *



「ねー、虹野先輩」
「なぁに?みのりちゃん」
「片桐先輩って人知ってます?」
「彩ちゃんがどうかした?」
 世間は狭かったようで、沙希の親友なのだそうだ。
「そうだ、今日一緒に帰る約束してるからみのりちゃんもどう?」
 その日の部活も何事もなく終わり、校門に向かう2人の前に待つ人影。この変な髪型の人が当の片桐彩子らしい。思わず周囲に目を走らせるみのりだが、幸い鈴音は居なかった。
「ハーイ、お疲れ」
 気軽に挨拶を交わす2人の中へ、みのりは沙希の手で押し出される。
「この子がみのりちゃん。いつもお世話になりっぱなしなの」
「どうも…」
「Hi, サッキーがいつも話してるわよ。自慢の後輩だって、ね」
「そ、そうなんですか?」
 と、喜んでる場合ではないのだ。
 別に一緒に帰るといっても用事があったわけではないらしく、ただ喋りながらファーストフード店へ行って、そこでまたお喋りするだけだった。みのりはなるべく静かにして、気づかれないように彩子を観察した。
「サッキーの後輩じゃ大変でしょ?根性、根性って」
「ひどいなあー、そんなに毎日は言ってないよぅ」
「そうですよっ。虹野先輩は理想の先輩です!」
「アハハ、冗談冗談。いいわねー仲良しで。私もこんな後輩がほしいなー」
 性格悪だったらどうしてくれようと思っていたが、何てことはないちょっと変なだけの気さくな人だ。あの先輩の好きな人だと言われればふうん、そうなのかと思うだけだろう。鈴音のことがなければ。
 この人が気軽に笑ってる裏で鈴音が泣いてる。別にこの人が悪い訳じゃないけど…。
「ワッツ、どうかした?みのりちゃん」
「え!?べ、別になにも」
 フライドポテトが空になったので、結局喋っただけでその日はお開きになった。これといった事もないまま彩子と別れる。もちろん鈴音のことなど言えないのだが。
 沙希と一緒に歩く道路はすっかり暗い。
「あの先輩ってなんで英語混ざってるんですか?」
「さ、さあ、たぶん意味はないんじゃないかな…。でも明るくていい人でしょ?」
「まあ、そうですけど」
「いつもはもっと、本当に明るいんだけどね」
 妙な言葉に顔を上げる。街灯に照らされた沙希は自分の言葉に困ったように、彩子が最近何か悩んでいるようで、でも何も話してくれないことを口にした。
「なんでもいいから相談してほしいんだけどね。やっぱりわたしって頼りないから…」
「そんな事ないですよ!虹野先輩に相談しないなんてとんでもないです。そうやって隠し事するのって…」
(私、やっぱり告白するの止めます。)
「? みのりちゃん?」
 こんな時に思い出さなくても。
 いや、思い出す以前の話か。少し前の自分。何も言えなくて、沙希が好きだったから余計に言えなくて…
「…まあ、片桐先輩にも事情があるんじゃないですか?」
「さっきと言ってることが違うよ…」
「と、とにかく虹野先輩が悪いんじゃないんですっ!わたしもう帰ります!」
「ちょ、ちょっとみのりちゃん!」
 誰も悪くない。悪くなくても、こんな事はいくらでも起こる。
 文化祭まであと3日。



*          *          *



「あのさ、それでどうするの?」
「どうって…どうしようもないじゃないですか…」
 祭りも近づいた昼休み。有志の何人かは昼食もとらずに準備に励んでいる。鈴音の教室の片隅で、もどかしさに苛立ちながら、どうしようもないのは確かにそうだった。
 片桐彩子が彼に相応しくなければ、鈴音を煽ってでも告白させたろうけど。そうでなかったのは良かったのか悪かったのか。
 いや、そもそもひと月前の自分だったら、怒鳴りちらしてでも背中を押しただろうけど。今は告白できない壁を知ってる。ものを知ったのか、単に臆病になっただけだろうか。
「とーにーかーく、今のままじゃしょうがないでしょっ。そんな暗い顔じゃうちのバンドが勝っちゃうからね」
「…暗いですか、私…」
「もー暗い暗い。この世の影を全部背負ってるって感じ」
「そうでしょうね…。ごめんなさい。迷惑ばかりかけちゃって」
「だからいちいちそーいう事気にするのが良くないんだってば」
 無理して笑う鈴音。お節介かもしれない。でも放っておけない。あの先輩が自分を救ってくれたように、自分だって。
「あ、お昼まだでしょ。一緒に食べない?」
「そうですね…。あ、校庭に行きましょうか」
 それぞれのお弁当を持って、伝説の樹の下でささやかな昼食。色々なことを聞いた。『彩』に誘われた時のこと。体育祭のコンサートのこと。彼のこと、まだ出会って1年にも満たなくても、その短い時間の中でどれだけ彼のことを見ていたか。
 みのりも同じ。沙希と出会ったときのこと。レギュラー目指して頑張っていた彼。試合のこと、合宿のこと。好きだけどどうしようもなくて、毎日が辛いときに…応援してくれた人のこと。精一杯歌にして、それを鈴音が聞いて。今ここでこうしてる。
「秋穂さんは、それで大丈夫なんですか?」
「うん。平気」
「強いんですね…」
「そんなんじゃないけど」
 だって平気じゃないって言っても、それでどうなる訳でもないし。
 午後の授業のチャイムが鳴る。急いでお弁当を片づけて、校舎へ向かった。頑張れとかしっかりとか、結局そんな事しか言えなかい。


 帰りも一緒に行こうと思ったが、校門で待っても鈴音は来ない。バンドの練習場所をのぞいてみても誰もいない。今日は早めに帰ったのだろうか?
「しょーがない、一人で帰ろ」
「じゃ、俺と一緒にどう?」
 心臓が止まる。
 振り返る。変わらない笑顔でこちらへ歩いてくる。いつも優しくて、頑張ってた人。
「な、なんでわたしが先輩と一緒に帰らなくちゃいけないんですか!?」
「ひどいなぁ…。俺なんか嫌われるようなことしたか?」
「先輩には虹野先輩がいるじゃないですか!」
「今日も友達と帰るんだってさ。何か悩み事があるみたいだからって」
 彩子のことだろうか。他人の心配ばかりしてないで、少しは自分の彼氏のことを考えればいいだろうに。
「さ、そういうことで行こ行こ」
「あ、ちょっと!」
 軽く背中を押される。女の子として見てもらってないから。ただの後輩だから。
「…もう、しょうがないなぁ」
 でもそれでいい。沙希とこの人と、2人の後輩、それで十分。もう大丈夫。
「バンドの方はどう?」
「もー、バッチリです!優勝狙っちゃいますから」
「はは、頼もしいな。あんまり協力できなくてごめんな」
「何言ってるんです、先輩はしっかり練習して国立に行くのが役目でしょ。虹野先輩のためにも…」
 沙希のことを一番に考えて。幸せな2人を見られれば十分だから。
「そうだな。頑張らないとな」
 もう大丈夫。
「みのりちゃんも一緒に国立に行こうな」
 もう…


*          *          *



 翌日は、昼間から鈴音の姿は見えなかった。クラスの人に聞くと休みだそうだ。
 嫌な予感がする。
「あ、虹野先輩」
 代わりに見つけたのは何やら暗い表情の沙希だった。
「どうかしたんですか?」
「うん…。あ、ううん、別に大したことじゃないの」
「話してくださいっ!わたしじゃ役に立てないかもしれないけど!でも…」
「あ、あのね、わたしの事じゃないの。彩ちゃんがね…」
 忘れてた。沙希と彼のように、彩子とあの人も上手くいってるのだろうか。
「留学しちゃうんだって」

 澄み切った空の下で、彩子は屋上からぼんやりと街を眺めていた。
「片桐先輩っ!」
「あ…。ハーイ、みのりちゃん」
 呑気な挨拶が気に障る。かき回すだけかき回して、あげく外国だなんて。
「ハーイじゃありません!どういう事なんです留学って!?」
「あっちゃー、サッキーってホント口が軽いわねぇ」
 苦笑して髪をかきあげながら、怪訝そうな顔に変わる。
「でも何でみのりちゃんが怒ってるの。ホワイ?」
 知らないのは仕方ない。でもこの人のせいで、
「彼のことはどうするんです!」
「彼って…ああ」
「彩のギターの人っ!」
「みのりちゃん、あの人のこと好きだったの」
「わたしじゃないです!わたしの友達!」
「あ…なーるほど」
 ようやく合点がいって手を打つ彩子。だからと言って悪びれるでもない。部外者のみのりが、そんな事まで首を突っ込む事じゃない。でも
「なるほどって、それだけですか」
「Nh−、それが誰かは知らないけど、その人の問題だと思うわ。私がどうこう言っても仕方ないじゃない」
「そりゃぁ…そうですけどっ!」
 考えてみれば留学してくれた方がいいのだ。鈴音にもチャンスが出てくるのだから。でもそんなこと、納得行くはずがない。
「片桐先輩は、彼のこと好きなんじゃないんですか!?」
 相手は肩をすくめるだけ。構わず話を続ける。
「途中で留学しちゃうなんて、その程度にしか想ってなかったんじゃないですか。それならわたしの友達の方がずっと相応しいです。その娘本当にあの人のこと好きなんだから!」
「Yes,そうかもね」
 いつも通りの声だった。
 なのにみのりは気圧された。真っ直ぐにこちらを見る、穏やかだけど、刺すような視線。気さくでいい加減と思ってた人の目に、釘で打たれたように張り付けられる。
「ソーリー、他のことだったら何とかしてあげたかったんだけどね。私も切羽詰まってるの。あなたに言っても仕方ないけど…私は私の道を行くわ。あなたは違うの?」
 動けない。少し経って、彩子の方が先に力を抜いた。笑いながら軽く肩を叩く。
「やーね、ホントはそんな大した事じゃないのよ。なるようになるわよ」
 手を振って、屋上から降りていく。嘘つき、命だって賭けられるくせに。
 悔しくて、みのりは金網越しに街を見つめていた。昼休みが終わるまでずっと。

 会ったばかりの今の人だって、色んな事情と、重ねてきた時間を抱えてる。沙希だってそうだ。あの人も、あの先輩も、鈴音も。
 自分も…。



 鈴音がこのことを知ったら何と言うだろうか。どうするんだろうか。
「すいません、ちょっとだけ抜けまーす!」
 バザーの準備はほとんど終わってるし、少しだけ見に行ってみよう。休んだんだから来てないとは思うけど。
 『彩』の練習場所は体育館裏だ。時々通りがかったときは演奏の音が流れてきたものだが、今日はしんと静まり返っていた。
 のぞき込もうとしたところへ、よろめくように出てきた男子生徒。危うくぶつかりそうになる。いつも熱心に曲のことを話していた先輩が、今日は青い顔でそこにいた。
「みのりちゃんか…」
「あの…。美咲さん、来てないですか?」
 彼の顔がこわばる。嫌な予感が周りを覆う。
「みのりちゃん…。鈴音ちゃんと知り合いだったのか?」
「まあ知り合いっていうか、そんなとこです。どうしたんです?」
「…俺が悪かったんだ」
 疲れ切ったような重い声。
「俺が鈴音ちゃんの気持ちにちゃんと気付いてたら…」
「先輩!?」
 首を突っ込んでいい事態じゃない。でも放っておけない。半ば無理矢理、鈴音を振ったこと、鈴音が泣きながら彼の前から姿を消したこと、今日は練習にも来なかったこと…を聞き出した。
「先輩のせいじゃないです!」
「でも俺が…!」
「わたしが美咲さんと話してきますから!」
 何も君が。そう言いそうだった彼の口が開く前に、鈴音の家を聞き出して、みのりはそのまま走り出す。本当に、自分なんかに何ができるんだろう。結局こうなってしまったのに。
 誰も悪くないのに。何でいつも、こんなことになるんだろう。


 鈴音の家まで行く必要はなかった。
 家の近くの公園で、制服を着たまま、鈴音の腰かけたブランコは低くきしみ声を上げている。朝からずっとそうしてたんだろうか。
「美咲さん」
「‥‥‥‥」
「あ、あのね」
「放っておいてください」
 俯いたまま、死んだように動かない。前髪に隠れた目は何を見てるのか。みのりはそわそわと所在なさげに、しばらく逡巡した後、空いているブランコに座った。何も見なかったことにして立ち去りたい自分を義務感で押さえつけて。
「ほ、ほら。落ち込んだってしょうがないし、ね」
「…先輩に聞いたんですか」
「うん、まあ…」
「この場所で振られたんです…私」
「‥‥‥‥‥」
 元気出して。そんな事言えなかった。自分が何か言って、余計に傷つけるかもしれない。どうしよう。どうしたらいいんだろう。
 おそるおそる横を向く。
 …鈴音は泣いてた。声を出さずに。

「なん…で、私じゃ駄目なのかな…」
 自嘲気味な笑みが張り付く。下を向いて、落ちる涙も見ないで。
「ねえ、なんでだと思いますか?そう思ったことありません?」
 あるに決まってる。
 みのりの拳が小さく震える。あるに決まってる。相手が沙希でも。どんなに相応しい人でも。それは永遠に自分じゃない。
「どうして自分じゃないんだろうって、そう思っちゃいけませんか!?」
 どんなに想っても、あの人の隣にいるのは自分じゃなくて他の誰か。
 誰にも文句は言えない。でも頭で分かっても、心が受け入れる訳がない。
「私の方がずっと好きなのに」
 わたしだって好きだったのに。
「妹としてしか見てくれなかった。私はいつも、あの人のこと見てたのに…!」
 ただの後輩としか見てもらえなかった。最初から、どうしたって恋愛の対象になんてならなかった。
 だったら何で、こんな結果が降りかかるんだろう…




 それでも時間は関係なく進む。薄い闇に包まれた公園の、街灯に明かりがともる。一生こうしてる訳にはいかなかった。
「ねえ…。気持ちはわかるけど、仕方ないものは仕方ないよ」
 鈴音は力なく首を振る。
「バンドどうするのよ」
「やめます」
「そっ…んな簡単に捨てちゃうんだ」
「だって私あの人のために彩に入ったんです…。もう私のいる所なんて無いんです」
 そうだ、仕方ない。何もできないから。できるのは絶望することぐらい。
「こんな想いするくらいなら、最初から会わなければ良かった」
 みのりがブランコから立ち上がる。
「本当にそう思ってる?」
「思ってます」
「全部なかった方が良かったんだ」
「そうです」
「いい加減にしなさいよ!!」

 鈴音が顔を上げる暇もなかった。伸びたみのりの腕が鈴音の襟を掴んだ。
「自分はこんなに好きだったのにって、だから何よ。そんなのあんたの都合じゃない!
 こっちが好きなら相手も好きになってくれるの!?だったら誰も苦労しないわよ!!」
 青ざめた鈴音に、ブレーキのかからないままみのりは叫び続ける。
「妹としてしか見てくれなかったって、だったら恋人として見てもらうために何をしたのよ!気持ちを伝えるために何かしたの!?何もしてなかったじゃない!届かなかったからって…!」
 駄目だ。
 みのりの手が緩む。鈴音は動かなかった。ただ石のように固まったまま、みのりを見つめていた。
「泣いたって…っ。仕方ないじゃない…!」
 背を向ける。泣きたくなかった。鈴音を後に残して、そのまま走り出す。何もできないまま。
 泣くな。本当に欲しかった結果じゃなくても。泣きたくない…!




 どうして助けられるなんて思ったんだろう。





*          *          *




 突き抜けるような青空の下で文化祭は始まった。

「みのりちゃん」
「あ、は、はい。値札ですね」
 サッカー部のバザーの準備も順調に進み、あとは客を待つだけだ。自分の編んだセーターを並べながら、しかしみのりの表情は虚ろだった。昨日一日祝日だったのに、何かしようとして、何もできなかった。
「みのりちゃん…どうかした?」
「え?やだ虹野先輩、わたし何にも…」
 同じ事の繰り返し。
 それに気付いて言葉を止める。隠す必要なんてなかったはずだ。セーターに目を落としたまま、みのりは再度言葉を紡ぐ。
「…ちょっと友達が、ううん、友達と思ってるのわたしだけかもしれないけど、色々あってすごく落ち込んでて」
「‥‥‥‥」
 重なるように、沙希も下を向いた。
「なのにわたしいつもの調子で言いたいこと言っちゃって、結局余計に傷つけちゃって。…何もできませんでした。虹野先輩だったら、きっと助けられたのに」
「そんな事ないよ」
 隣を向く。優しい人、いつも周りを元気づける。いつになったら届くんだろう。
「ここのところみのりちゃんが悩んでたのって、そのことだったんだね」
「はい…」
「そんなに他の人のために一生懸命だったんだもの。気持ちは伝わってるんじゃないかな。伝わると思うな。今までもそうだし。今からだって」
(気持ちを伝えるために何をしたの?)
 そう言ったのは自分。伝わっても伝わらなくても。送ることに意味がない訳じゃない。
 そう思ってたはずなのに…
「…先輩、ここ少し任せてもいいですか?」
「うん。行ってらっしゃい」
 沙希は笑ってそう言った。早くこんな風に、笑えるようになりたかった。


 祭りにごった返す校内の、人の波を縫うようにみのりは走る。きっと来てる。来てるはずだ。今も閉じこもってるほど鈴音が弱いとは思わない。
 何ができるんだろう? 自分のことで精一杯なのに。
 全然大丈夫じゃないくせに。
(感動しました、とっても)
 でも鈴音はそう言ってくれた。みのりの全てを込めた歌に。お世辞や社交辞令でそんな事を言う鈴音じゃない。だからそれに応えたい。みのりの歌に少しでも力があるなら、みのりにだってあるはずだ。
 鈴音の演奏を、みのりはまだ聞いてない。


 喧噪から外れた、裏庭の小さな植え込みのそばに鈴音はいた。膝を抱えて、周囲の現実に必死で耐えて。弱くもないけど、強くもない、それが鈴音の精一杯だった。
「ごめんなさい」
 近づこうとする、みのりの足が止められる。
「なっ…んで謝るのよ!」
「秋穂さんの言うとおりです。私甘えてました」
 膝に顔を埋めて、消えそうな声でそう言った。
「私が悪いのに、周りのせいにしてました。先輩が私の振り向いてくれないの、何もおかしい事じゃないのに」
「あなたが悪いんじゃないよ…」
 誰が悪いわけでもなく、ただ結果が今にたどりついただけ。それで納得できなくても、それが現実で。そんな事はいくらでもある。
「このままじゃいけないって分かってます。ずっと分かってました。でも私、どんな顔して先輩に会ったらいいかわかりません。秋穂さんみたいに強くないです」
「わたしなんて…、全然強くなんかないよ」
 結局伝えなかった。沙希がいて、彼がいて、今の関係を壊したくなかった。何もかも壊れてしまった鈴音に言えることなんてないかもしれない。どうして助けられるなんて思ったんだろう。
 でも

「でもね、やった事に後悔はしてない。先輩に助けてもらって、精一杯歌ったんだもの。遅かったかもしれないけど、自分のやれるだけの事はやったから…。後悔してない」
 顔を上げて…。みのりの我が儘でも、本当の笑顔をまだ見てない。
「だからいちいち弱気になるのよしなさいよ。何とかなるから!みんないい人たちじゃない、落ち込んでる暇なんてないよ。決めちゃえばそれで大丈夫だから…!」
 そう。
 歌を作って、思い切り歌った。それだけでも十分なんだから。
 まだ駄目だなんて思わない。自分の選んだ道に自信を持て。そうすれば大丈夫。
「私…」
 辛くても、会わない方がよかったなんて思わない。よろよろと立ち上がる少女を、みのりは支えるように手を取った。泣きはらした赤い目が痛い。でも辛くても、痛くても、いつまでも泣いてはいられない。駄目だなんて思うな。
「まだ…間に合いますか」
「ぜんぜん大丈夫!ほら、まだこんな時間じゃない」
 腕時計を指し示す。コンテストの開始にはまだ十分余裕はある。練習できるはずだ。きっと彼が、新しい曲を持ってくる。
「ほら!」
 背中を押した。よろめくように歩き出す。弱い足取りでも。
「『彩』には負けないからね!」
 長い髪が振り返る。誰もいない裏庭で…鈴音は小さく微笑んだ。無理してでも。
 思わず手を上げる。いつまでも見送る。ほら、
 少しの力でも、力には違いないんだから。


 体育館裏の練習場所。鈴音がキーボードを引っ張り出すのを、物陰からそっと見ていた。
 まだ先輩たちは来ていない。辛そうだ。会えばまた辛いだろう。でも涙を押し込めてでも、歩いていればきっといつかいい事もあるから。
「鈴音…頑張れ」
 それだけ言って、みのりはサッカー部の方へ走っていった。沙希と、あの人のいるいつもの場所へ。頑張ろう、元気を出して。

 もう大丈夫。




*          *          *




「ほんっと片桐先輩って人騒がせよね!」
 バッテンの髪飾りが憤慨する横で、鈴音はただただ苦笑していた。夜も更け、後夜祭のキャンプファイヤーの炎で、2人の頬も橙に映える。
 あの後は大変だった。みのりが思い切り歌ったまでは良かったものの、肝心の彩のギターは彩子を追って行ってしまうし、その後を追って伊集院がステージを空輸するし、彩子は彩子で直前になって留学を取りやめるし。それでも演奏は最後まで行われ、鈴音の演奏はみのりにも届いた。優勝は彩。サッカー部バンドは準優勝だった。
「でも片桐さんには必要だったんですよ、きっと」
「そうかなぁ…」
「そうですよ」
 燃えさかる炎の前で、生徒たちは思い思いに固まって、祭りの最後を楽しんでる。
 きっと一人一人が、それぞれの事情を持ってる。他の誰にも代われない。
「…ごめんね、この前思いっきり怒鳴っちゃって」
 座った膝に頬杖をついて、みのりは小さくそう言った。
「そっ…そんな事ないですよ」
「わたしってほら、言いたいこと言っちゃうタイプだから」
「そのお陰で救われたんです」
 思わず顔を見るみのりに、鈴音はそっと頭を下げた。
「ありがとうございました。秋穂さんがいなかったら、きっと私何もかも駄目にしてました」
「ち、ちょっと。わたしは何もしてないよ…」
 あわてて視線を戻して、またぼんやりと炎を見る。助けられて、助けて。本当に自分の力かは分からないけど。でもやっぱり嬉しい。
 あの人たちもそう思ってるのだろうか。
「早くまた、他に好きな人見つけようね」
「そうですね…」
 校庭の隅に腰を下ろして、並んで炎を見つめてる。少し前には顔も知らなかった2人。些細なことで交差して、今こうしてここにいる。
「でも私は無理かな」
「ん?」
「今も先輩のこと好きです。たぶんずっと好きだと思います。私のこと見てくれなくても…」
「そっか…」
 無数の星が覆い被さる校庭で。
 フォークダンスが流れ始める。生徒たちが散らばり、やがて輪が作られていく。
「…それもいいんじゃない?」
「はい…。秋穂さんは新しい恋人ができたら紹介してくださいね」
「できたら、ね」
 そう。
 恋の終わりと、恋の続き。伝わっても伝わらなくても。それぞれの想いに道があって、それは誰にも代われないから、せめて選んだ道に自信を持とう。それならどこへ行き着いても、きっと後悔はしないから。
 勢いをつけて立ち上がると、そのまま鈴音の腕を引く。
「わたしたちも行こ」
「え…はい」
「あ、それから」
 踊りの輪へ近づきながら、みのりは後ろを振り向いた。
「いい加減敬語使うのやめてね。わたしの事もみのりでいいから!」
「え?あ、でも…」
「友達でしょ!」

 数瞬遅れて鈴音が笑う。
「…うん…!」

 初めて見る…、心からの笑顔だった。



 祭りは終わる。明日からいつもの日常が戻り、過ぎた時は戻らなくても、また新しい時間が始まる。
 それがどこへ続いても…
 大好きな人たちが、きっと一緒に歩いてるから。








<END>





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