ウェンディSSです。きっついです。ウェンディFANの方はご注意ください。
 …って本当はウェンディFANにこそ読んでほしいんですが、無理にとは言いません(笑) きつくても文句は言わん!という方だけどうぞ。

読む


































 
 
 薄く雲のかかった空の下、両側を深い緑に茂る森に挟まれ、灰白の地面が真っ直ぐに伸びる。ここは黄金都市セアレスから延びる道。ゼルベンを通り、ブーイに向かう街道の上。あまり人通りもなく、一時間に一度誰かとすれ違うか、馬車に追い越されるかする程度だった。
 憂鬱な旅だ。
 ウェンディの右横ではアルザとフィリーが楽しそうに話している。来人もお喋りに加わりながら、時折気遣うようにこちらに視線を向ける。ウェンディも興味ない顔をして、ちらちらと横目で見ている。
「そうかなぁ…。ねぇ、ウェンディはどう思う?」
 急に話を振られ心臓が止まりそうになった。さっきからみみっちく様子を伺っているのに気づかれたのだろうか。仲間に入れて欲しいのに気づかれたろうか。ウェンディは思わず過敏に反応した…いつものように。
「な、なんですか。私のことなんてどうでもいいじゃないですか」
「あ、いや…」
「どうせ私なんて仲間外れにしてればいいんです」
「ちょっとぉ〜。あんたいい加減にしなさいよ!」
「な、何よ…」

 こんな自分を再確認するのが憂鬱だ。
 背を丸めて、うつむき気味に歩きながら。自分と同じに仲間の輪から浮いている同行者を横目で見る。
 影の民の少女は何事もないかのように無表情だった。

 憂鬱な旅だ。楽しい事なんて何もない。









ウェンディSS: Take-A-Risk









 どさり
 宿に着くなりベッドに倒れ込む。今日も一日疲れた。体はともかく、精神的に疲れた。
「はぁ…」
 今さらながらこの旅について来たことを後悔する。何で来てしまったんだろう。周りに嫌な思いをさせて、自分も嫌な思いをして。変わらないどころか悪くなる一方だ。何を期待してたんだろう…
「ちょっとぉ、ウェンディ!」
 バンバンと扉を蹴る音がする。
「夕ご飯だって言ってるの聞こえないの?わたしお腹ぺこぺこなのよ!」
「食欲ないんです…」
 か細い声は廊下まで届いたかどうか。安い宿屋の狭苦しい部屋。今は何もしたくない。
 今度は優しくノックされる。
「大丈夫かウェンディ。具合でも悪いのか?」
「少しは食べんと元気出えへんでー」
 よろよろと起きあがり、足を引きずるように外に出る。来人が気遣うように声をかけてくれるが、適当な返事しかできなかった。みんなに申し訳ない。道中でもいつも足を引っ張るし、戦闘でも霊力の楊雲や筋力のアルザに比べ何の役にも立たない。自分の存在価値は何もないので…来人の顔を見られなかった。
 楊雲の無言の視線を感じる。実際には自分のことなど見ていない。でもどうしても感じてしまう。今日は早く寝ようと思った。


 翌朝のブーイの街。
 大都市ミューカドの手前だけあって、さほど大きくはないがそれなりに活気はある。前に立ち寄ったゼルベンの村は小さすぎて品物らしい品物もなかったので、ここで色々買い揃えねばならなかった。
「じゃ、俺たちは仕事に行ってくるから」
「バリバリ働くで!」
「買い物のほうはよろしくな」
 故郷から遠く離れた街の見慣れぬ風景に、アルザは好奇心一杯にあたりを見回しながら来人に引っ張られていく。そんな2人の姿をぼんやりと見送って、数瞬の後フィリーが口を開く。
「…じゃ、わたしたちも行きましょ」
「はい…」
「‥‥‥‥」
 まだ朝早い街の姿。パーリアよりもゆったりとした服の人が多い。中には木の実の専門店らしく、道にはみ出した軒先で籠に大小さまざまな実が山のように積まれている。そんな風景もウェンディの灰色の視界にはやっぱり灰色に映った。何でこんなところに来てしまったんだろう。
 アルザの目にはどう映っていたのだろうか。同じものを見てもアルザや来人は楽しくて、ウェンディは気分が沈む。損なことばかりだ。
「…ェンディ、ウェンディ!」
「え?は、はい」
 顔を上げると不機嫌そうな顔のフィリーが目の前で空中停止していた。
「もーっ、朝っぱらから暗い顔しないでよっ!こっちまで暗くなるわ」
「わ、悪かったですね。この顔は生まれつきです。何よ、自分なんて無神経が服着たような顔のくせに…」
「なぁんですってぇぇぇ!」
「な、なんですかっ!」
「先に行きます…」
 またケンカを始める2人に楊雲はすたすたと歩き出す。思わず顔を見合わせて、すぐさま互いにふんっ!と横を向き、ウェンディとフィリーは楊雲の後についていった。
「えーっと、まずは食料よね。それから着替え、石けんもなかったかしら」
 沈黙を追い払うようにぶつぶつ言い出すフィリー。無言の楊雲。よりによって一番嫌な2人だ。なんでこんな目にばかり遭うのだろう。
「…ェンディ、ウェンディってば!」
「あ、な、なんですか」
「あんたね〜」
 フィリーの言葉に下を向く。楊雲はやはり無言だった。


 買い物は順調には行かなかった。
「あーっもうどこもサービス悪いわね!」
 時間はたっぷりあるし、資金にはあまり余裕はないしで、なるべく安い店を探してそこで買おうということになったのだが、どこへ行ってもそっけない応対しかされない。
 理由は分かり切っていた。フィリーは何も言わなかったが。ウェンディも一応気遣うようにちらちらと横目で楊雲を見る。
「やはり私は別行動を取った方がよろしいのではないでしょうか」
 街の中央の噴水広場へ来たとき、不意に押し黙っていた楊雲が口を開き、ウェンディはあわてて視線を逸らした。
「ち、ちょっと何言い出すのよ」
「そ、そうです」
「余計な気遣いは無用です。影の民である私がいるとまともに買い物もできませんから」
「またそういう暗い方向へ考える!」
「事実を言っているのです」
 楊雲の仮面のような顔は何の表情も読みとれない。フィリーは苛立ったように頭を振って、噴水のそばのベンチを指さした。
「もういいっ!あんたたちはそこに座って人生を見つめ直してなさい!わたしは店を見てくるから」
 言うやいなやフィリーは飛んでいってしまった。異国の街の噴水広場で、ぽつんと2人だけ残される。よりによって楊雲と2人きりで…
「私はそこに座っていますので…。あなたはどうぞ好きになさってください」
 ウェンディの心を見透かしたように楊雲が言い、そのままベンチへと向かう。背中に氷を入れられた気分だった。
「な、なんでそんなこと言うんですか…」
 ぼそぼそと口にして自分も後に続いた。並んでベンチに腰を下ろす。すぐに後悔した。言うとおりにすればよかった。


 初めて会ったときは少しだけ彼女に親近感を覚えていたのだ。
 彼女も自分と同じく陰気で、暗くて、周りから嫌われてて、友達のいない女の子だった。彼女なら自分の気持ちも分かってくれると思った。ウェンディにしては珍しく、自分から話しかけもしたのだ。
 しかしなけなしの勇気は見事に裏切られた。何を話しても『はい』とか『そうですか』とか気のない返事ばかり。自分とは口もききたくないらしい。二度と話しかけるもんかと心に決めた。

 でも今はその理由も分かる。
 彼女は自分に輪をかけて不幸だった。影の民というだけで白い眼で見られ、酷いときには石まで投げられていた。自分だったら絶対耐えられなかっただろう。友達になれるなどと思ったのが間違いだった。
 だから彼女は苦手だ。酷い目に遭っても不平の一つも言わない。自分みたいに泣き喚かない。自分みたいにおどおどしてない。彼女といると自分が惨めだ。こんな人と一緒に旅なんてしたくない…

 背後で噴水の音が聞こえる。
 こういう噴水は魔道士が水にかけた魔法で動く。魔法が途切れれば噴水も止まる。この街の魔道士が日に1度ほど魔法をかけに来ているのだろう。噴水の水になって何も考えず流れられたらいいのに。そんな下らないことを考えたりした。
 居心地悪そうに姿勢を直す。ずっと同じ姿勢でいると体が痛くなってくる。なんで楊雲は平気なのだろう。
 時折街の人が通りかかり、楊雲の姿を認めて気味悪そうに通り過ぎる。
 沈黙が続く。空を覆う薄い雲を通してぼんやりとした太陽が見える。まだ日は高い。あとどれくらいこうしていればいいのだろう…
「フ、フィリーって…」
 いたたまれなくなって声を上げる。
「お節介ですよね。すぐ余計なことばかり言って。放っておいてくれればいいのにいつもいつも…」
 言ってからしまったと思ったのは生まれてからこれで何度目か。これでは単なる陰口だ。楊雲は軽蔑するだろうか。あの目で…
「私にはそれほど世話は焼いてきませんよ」
 こちらを向いた楊雲はやはり無表情だった。でも分からない。心の中で軽蔑しているかもしれない。
「そ、そうですか…。だって私には…」
「あなただからではないですか?」
「な、なんでですか。私なにかフィリーに恨まれるようなことしましたか!?」
「いえ、そうではなく…」
 楊雲の落ち着いた口調が癇に障る。ウェンディの目が敵意を込めても態度を崩さない、どうしてこの人は。
「あなたが求めているからそれに応えるのだろうし、私は求めていないから相手にしないのでしょう。フィリーさんは良く分かっています」
「どういう意味ですか」
 どうしてこんな事を言うのだろう。何もかも悟ったような顔をして、人の心を暴くような事を平気で。
「私が何を求めてるって言うんですか?変なこと言わないでください」
「違うのですか?」
「違います!他人なんて信用できません。みんな私を傷つけようとするんです。他の誰かなんて要らない。一人でいたいんです!」
 叫んでしまってから視線を地面に落とす。脅えてる自分。ただ話をするだけなのにどうしてこうなるんだろう。
「そうですか…」
 楊雲も視線を元に戻す。ウェンディはじっと地面を見つめて、落ちそうになる涙を必死で押しとどめていた。

『どうせ私は臆病でそのくせ欲深くて。あなたから見ればさぞかし我が儘で身勝手なんでしょうね』
『でも私はあなたみたいに強くないんです。あなたは強いから平気だろうけど、私は弱いんです』
『言われなくても分かってます。分かってるけど駄目なんです。仕方ないんです…』


 フィリーが戻ってきた時安堵のため息をついた。フィリーは嫌いなはずなのに。
「さ、いいお店見つけたわ。わたしがさんざん値切っておいたからあとはお金払うだけ。我ながら買い物の天才よね。ということで荷物持ち頼むわよ」
「よく喋りますね…」
「当たり前でしょ口はそのためについてるんだから。ほら楊雲も!さっさと済ませてどこか遊びに行きましょ。花の命は短いんだからね!」
 フィリーに急かされてベンチから立ち上がる。そう、時間は無限にあるわけではないのにまた無駄に使ってしまった。なにも変えられないまま浪費し続ける。
 歩き出す3人。楊雲は無言。フィリーはウェンディの肩に止まり、ひそひそと小声でささやいた。
「どう?楊雲と何か話できた?」
「…別に…何も…」
「もーっだらしないわね。もうちょっと積極的になりなさいよ!」
 楊雲と友達になれということだったのだろうか。自分にそんな価値はないのに。


 夕方、元の宿屋に戻ってきた。女の子4人は相部屋だ。来人は別の部屋で他の客と相部屋になっている。
「おいしそーな屋台ぎょうさん見つけたんや、はよ行こ!」
「もうすぐ夕食よ」
「ええやんええやん、食前のデザートや」
「食前のデザートってあんたねぇ…。ま、いいけど。あんたたちはどうする?」
 フィリーに聞かれてウェンディは躊躇った。ここですぐ『行く』と言えればどんなにいいか。でも言いづらい。楊雲が先に言ってくれないだろうか。
「私は結構ですので…皆さんだけでどうぞ」
 あっさりとそう言って楊雲は窓の外を向いてしまった。ますます言いづらくなった。
「わ、私も行きたくありません」
「あんたたちねぇ…。もーちょっと仲間との交流を深めなさいよ」
「ほ、放っておいてください。あなたに関係ないじゃないですか。行きたくないものは行きたくないんです」
 フィリーの目が険しくなる。
「あっそ!じゃあ勝手にしてなさい。アルザ、行くわよ」
「うんうん!」
 扉の音を立てて2人は出ていった。
 またあんなことを言ってしまった。また楊雲と2人きりだ。何もかも…嫌で嫌でたまらない。
 何もできずに、ベッドに腰かけてじっと身を固くしたまま時間が過ぎるのを待ち続けた。楊雲も同じく座っているだけで何もしない。辛くないのだろうか。
 沈黙が一巡りしたころ、軽くノックの音がする。
「入るよ」
 扉を開けた来人が一瞬たじろぐのを見逃さなかった。中にいるのがウェンディと楊雲では無理もないだろう。無理しなくていいのに。
「えーと…あとの2人は?」
「外に遊びに行きました…」
「そ、そう。それじゃ俺たちもどこかに行かない?」
 無理してる。本当は嫌なくせに。楊雲には見抜かれてるはずだ。
「私はご遠慮します…。お2人でどうぞ」
「わ、私も別にっ」
「‥‥‥‥」
 来人はため息をついて、中に入ると後ろ手に扉を閉めた。
「あのさぁ…。いいから行ってみようよ。こんなところにいたって仕方ないだろ?」
「べ、別にいいじゃないですか」
「はぁ…。とにかく行こう!」
「きゃ…」
 来人に手を引っ張られ、仕方ないですねとか何とか口の中で言いながらウェンディは立ち上がった。しかし楊雲は動かない。
「ほら、楊雲も!」
「ご遠慮すると言ったはずです」
「なんでそう言うかなぁ…」
「私が何か間違っていますか」
 目線すら合わせない。ウェンディは何か言おうとした。でも…舌が乾いたように何も言えなかった。
「もっと明るい方向に考えようよ。そんな生き方じゃ楽しくないだろ」
「それはあなたの価値観です」
 楊雲がゆっくりとこちらを向く。ウェンディが凍り付く。はっきりと全身で拒絶している彼女…。
「明るくて楽しいことが正しいことなのですか?今の私は間違っているのですか?」
「べ、別にそんな…」
「あなたが楽しく生きるのはご自由に。ただそれを私に押しつけるのはやめてください。自分の価値観と異なるものを認めない、それを差別とは言わないのですか」

 …取り付く島もなかった。絶対的な拒絶。他人との関わりを徹底的に拒んでいた。ウェンディには信じ難かった…
 来人が取り繕うように苦笑いを浮かべる。
「…なら、仕方ないよな…。ウェンディ、行こう」
「あ、え…」
 扉が開き、外に出る。思わず振り向いた先に1人ぽつんと残る楊雲の姿があった。
「ま、待ってください!」
 手を引く来人を思わず押しとどめる。
「い、いいんですか?楊雲さんを放っておいて!」
「だって仕方ないよ。あそこまで言われたら…」
「本気のわけないじゃないですか!楊雲さんだって本当は楽しい方がいいに決まってます!」
「それは俺たちの価値観だよ…。確かに押しつけていたかもしれない」
 言ってから短くつけ加える。
「楊雲を救ってやろうと、いい気になっていたかもしれない」
 何を言ったらいいのか分からなかった。そうなのだろうか。そうかもしれない。自分だって、自分より不幸な楊雲をどこかで見下していたかもしれない。でも認めたくない…
「冷たいんですね…」
 恨みがましそうに来人を見る。
「結局自分が嫌だからじゃないですか。普段仲間とか綺麗事言ってるくせに、やっぱり最後は見捨てるんですね。冷たいです、結局」
「うるさいな!」

 …少しの間呆然とした。
「なら自分で言ってこいよ!なんで俺にばかり押しつけるんだよ!?自分じゃ何もしないくせに人のことどうこう言うなよ!」
 彼がこんな事言うなんて思わなかった。いつも自分を傷つけないよう気遣ってくれてると思ってた。
「ひどい…」
「ひどい!?俺を何だと思ってるんだ、俺はお前のご機嫌取りのために居るんじゃないんだよ!!」
 ずっと彼は優しいと思っていた。鬱積していただけだったのだろうか。ウェンディと旅を続けて耐えていたものが、今噴き出しただけなのだろうか。
 ウェンディは泣き出した。他に何もできなかったから…

「怒鳴ったのは謝る…。でも言ってることは事実だ」
 苦しそうにそう言って、来人は逃げるようにその場から離れる。
 ウェンディは泣きながら部屋に戻った。




 子供の頃。
 みんなから苛(いじ)められてた。誰も助けてくれなかった。あの時に彼らと出会っていたら。きっと彼らは助けてくれたし、自分も素直にお礼が言えたのに。
 今はすっかり歪んでしまった。周囲の善意を裏切り、周囲の優しさを敵意で返し、相手を傷つけることしかできない。
 こんな自分になりたくてなったわけじゃない。でも少なくとも彼らに責任のあることではなかった。きっと自分は初めてできた仲間に甘えてる。でも彼らだって人間なのだ、神様ではない…




 キィ…

 楊雲は出てきたときと同じ姿で座っていた。

「わ、私のこと軽蔑してるんでしょう」
 何も言わない彼女。自分だって来人と同じ、いや、自分では何もしないだけ来人に劣る。
「自分じゃ何もできない甘ったれだって、そう思ってるんでしょう。だったらそう言えばいいじゃないですか。そんな蔑んだような目で見なくたって、はっきりそう言ってください…!」
 半分泣き声のまま、今度は楊雲に八つ当たりを始める。それではっきり言われたら傷つくくせに。
 楊雲はゆっくりとこちらを見た。蔑んだ目ではなかった。いや、彼女がそんな目をしたことなど一度もない。いつもウェンディの被害妄想で、本当は何の感情もない水の底のような…
 そこで思わず息を呑む。今は違う、初めて見る目だ。辛くて辛くて…悲しそうな目。
「私にはあなたを非難する資格などないのです…」
 息が止まる。思わず視線を外す。楊雲もそのまま目を床に落とす。互いに互いを見ないままないまま、楊雲は辛そうに言葉を続けた。
「私は達観しているのでも悟っているのでもありません。ただ諦めているだけです。どうせ何も変わらないからと、自分からは何もせずに。ずっと嫌なことから逃げ続けているんです。だから私はあなたを非難できません…」
 疲れ果てたように言葉は消える。ウェンディの手が小刻みに震え出す。聞きたくない、聞きたくなかった。
「それで…あなたはこれからどうするんですか。ずっとそのままなんですか…」
 自分はずっとこのままなのだろうか。いつまでもこんな自分を抱えて一生を過ごすのだろうか。こんな自分から逃れられずに、楽しいことなんて何もないまま、これから何年も何十年も。
「死のうと思います」
 ぽつりと。中身にそぐわない無機質な声だった。
「私には影の民としてしなくてはならない事があり、そのために仕方なく生きてきました…。でももうすぐそれも終わります。そうしたら死のうと思います。生きていても何もいい事などありませんから…」
 死。
 手の震えが止まらない。ウェンディも何度も考えたことだった。何度も何度も、毎日のように死にたいと思って。でも思うだけで現実感からは遠かった。それを楊雲はあっさりと言ってしまった…。それしかないんだ、それ以外には何も。

「そう…ですか…」

 疲れ切って、ベッドに倒れ伏して。頭から毛布をかぶる。昨日と同じ。明日も同じ。その次も、その次も。これからずっと死ぬまで。こんな自分を抱えたまま。
 ウェンディは毛布の中で一人で泣いていた。




 助けて。


 誰か助けて。










 来なくていいのに朝は来る。起きたくないのに起きなくてはならない。嫌なことばかりだ。なんで普通の人みたいに、普通に笑ったり、普通に楽しんだり、普通に仲良くしたりできないんだろう。
 それでも起きなくてはならない。重い体を引きずるようにベッドから出る。自分が一番遅かった。重りがもう一つ加わる。
 荷物をまとめてブーイの街を発つ。来たときと同じ、森の間を灰白の街道が真っ直ぐに伸びている。点になって見えなくなるまで。一瞬背筋がぞっとした。
「じゃ…行こうか」

 出発してしばらくしてからフィリーが不平を漏らす。
「ちょっとぉ…お通夜じゃないのよ!?」
 ウェンディと来人は今朝から視線を合わせてない。昨日のことを自分が謝ればいいのだろうか?でもできない。嫌だ。
「なんや、2人ともケンカしてん?」
「知らないわよ。あーっもういいっ!アルザ、わたしたちだけでも楽しくいきましょ」
「そやな」
 アルザとフィリーはお喋りを始めた。自分はその中には入れてもらえない。右側には来人が沈鬱な表情で歩いている。自分のせいで。左側には楊雲が。両側から圧迫感を感じながら歩かなくてはならない。いつまでも、いつまでも続く息の詰まるような閉塞。

「あっ…」
 考え事をしていたせいだろう。ウェンディの視界が転倒し、そのまま体が地面に落ちる。
「大丈夫か?ウェンディ」
「平気?」
 来人とフィリーが声をかける。恥ずかしい。また足を引っ張った。自分は役立たずで、何の価値もなくて、だから旅になんて出なければ良かったのだ。ずっと自分の部屋にいれば良かった。何かすれば傷つく。何もするべきじゃなかった。
「ちょっとぉ、さっさと立ちなさいよ」
 フィリーが苛立っている。あわてて起きあがろうとして、力が抜けた。
 どうせ立ち上がっても無駄だから。地面に座り込む。苛立つ周囲。でも立てない、無理なんだ。
「誰も手を貸してくれないんですね…」
 不平しか出なかった。みんなが呆れる。嫌だ、見たくない。
「当たり前でしょ子供じゃないんだから!あんた何歳よ!」
 フィリーが目の前に降りてきた。視線を外す。何も見たくない。
「楽しいですよね。私のこと苛めて」
「なっ…」
 駄目だ、そんな事言ったら駄目。もう一人の自分が止めようとする。でも…止まらなかった。
「そうでしょう?私のこと心配するような振りして、本当は私のこと見下して優越感に浸ってたんでしょう。自分が強いからって、あなたには平気なことでも私には平気じゃないのに、私ずっとあなたのせいで傷つけられてきたんだから…!」
 沈黙が辺りを覆う。
 もう嫌だ、こんな世界なくなってしまえばいいのに。

「あっきれた…」
 怒りすら通り越してしまったようにフィリーが言った。
 苦しい、助けて。地面に座り込んで呪詛のように吐き続ける。
「私だって本当はこんな旅来たくなかったんです。ずっと嫌だったんです。あなたたちとなんて、旅したくなかったんです…」
「何やそれ…。なんでそんな事言うねん」
 アルザの悲しそうな声。アルザには分からない。誰も分かってくれない。
「なら来なけりゃいいでしょ!」
 フィリーが怒ってる。フィリーだけじゃない、きっとみんな怒ってる。怒らないで。誰か、誰か助けて。
「だって…だって来人さんが無理矢理連れてきたから」
「おい、変なこと言うなよ!」
 来人までが自分を非難する。
「俺のためにあちこち引っ張り回して悪いとは思ってるよ。でもウェンディが自分で来るって言ったことだろう?いつ無理矢理連れてきたよ!」
「私のせいにしないで!」

 悲鳴を上げる。

 背中に感じる、無数の非難する目、目、目。すべて自分に突き刺さる。責めないで。非難しないで。お願いだから。
「私は悪くありません。私のせいじゃない、私は弱いんです。なんで私のせいにするんですか…傷つけないで、私は弱いのに…」
 自分は弱いから、他の人みたいに強くないから、些細なことで傷つくから。だから苛めないで。苛めないで、苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで苛めないで...
「苛めないでください…!」
 掠れた声。地面に突っ伏して、耳を塞いで。踏み固められた土しか見えない、見ない。





「もういいわ…」

 疲れ切ったようなフィリーの声がした。


「ウェンディ」
 誰かが目の前に屈み込む。来人だ。怖くて顔を上げられない。
「今まで引っ張り回して悪かったよ…。ウェンディには本当に感謝してる。パーリアへの旅費にはちょっと足りないかもしれないけど」
 視界に何かが入ってくる。パーティの全財産が収められた財布だ。
「今の俺たちじゃこれが精一杯なんだ。ごめんな」
 この人は何を言っているのだろう。何か現実感のない、遠くの世界の出来事のように、事態は勝手に進んでいく。
「ここまで一緒に来て残念だけどね」
「そっかぁ…。まあ、来たくないんやったらしゃあないなぁ」
「そうよね…」
 おそるおそる顔を上げる。もう誰もウェンディを見ていなかった。
 楊雲にすがるような目を向ける。…拒否された。

「じゃあな、ウェンディ」

 みんなが歩き出す。
 今ならまだ間に合う。謝って、もう一度連れてってくれるように頼めば間に合う。
 でも出来ない。そんな事言えない。立ち上がれない。駄目だ。駄目…
「本当に行っちゃうわよ!いいの!?」
 歩き出しかけた一行で、フィリーが苛立ったように声を上げる。
 ウェンディは答えなかった。顔を上げようともしなかった。

「バカ!!」

 悔しさをにじませてフィリーが叫ぶ。それが最後だった。
 足音が遠ざかっていく。




 ウェンディは仲間から見放された。









 足音が聞こえなくなった。もう声も届かないだろう。
 放心したように地面に座り込んで。自分からは何もしないで。当然の結末だ。
 今ごろになって現実が押し寄せてくる。

「あ……ぅぁ………」

 吐き出されるような嗚咽。息が苦しい。涙が頬を伝う。後から後から流れ出し、地面に染みが広がっていく。顔を手で覆っても止まることはない。
 見放された。見放されるようなことばかりしてきたから。今まで耐えてくれたことに感謝しなくてはならないくらいだ。
 初めてできた仲間だった。いつもウェンディに手を差し伸べてくれていた。その手を拒否して、裏切って、裏切り続けて、とうとう誰も相手にしてくれなくなった。
 もう間に合わない。何度でも機会はあったのに、それをすべて無駄にした。

「いや……ぁぁ……!!」

 わぁぁぁぁぁぁ……
 ウェンディは大声で泣き出した。
 誰も聞いてはくれなかった。





 長い時間のように感じたが実際は数分のことだったらしい。泣いていたウェンディの耳に何かの音が聞こえてくる。
 足音だ!自分の方に走ってくるサンダルの音。楊雲が戻ってきてくれた。彼女なら分かってくれると思ってた。期待を込めて顔を上げる。



 ウェンディの心は音を立てて砕け散る。
 非難の目だった。



 初めて見る楊雲の表情。いつものように感情を抑えようとして、でも抑え切れていなかった。怒ってる。小さく震える手から、はっきりと怒りが伝わってくる。怖い…!

「あなたは…!」

 言いかけて口をつぐむ彼女。しかし目がはっきりと物語っている。彼女まで自分を責めるのか、彼女まで。
「な…なんです?」
 ウェンディの唇が奇妙な形に歪む。
「あなたに私を非難できるんですか?あなただって同じじゃないですか。嫌なことから逃げてるだけだって、自分で言ってたじゃないですか!」
 自分が落ちた泥沼に他人も引きずり込む。ウェンディに出来ることはそれくらいしか残っていなかった。
 引きつった笑いを張り付けて、涙を流しながら、ウェンディは毒を吐き続けた。
「あなただって同じよ。何よ、やっぱり私のこと見下してるじゃない。はっきり言いなさいよ私のことクズだって!だけどあなただって同じよ。いつも取り澄まして、私のこと馬鹿にして、あなただって…」
 楊雲は何も言わず黙って聞いていた。泣き喚くウェンディを目の前に、身じろぎひとつせずに。彼女の目に自分はどう映っているだろう。
「何とか言いなさいよ。そうよ、あなたのせいよ!あなたさえいなければ!あなたさえ!」
 そうだ。自分は悪くなかったんだ。楊雲がいたからだ。影の民である彼女のせいで自分は不幸になったんだ。頭の中でそんな声がする。
 くすくすくすくす…。涙を流しながらウェンディは笑い続ける。心が壊れていくのが自分でも分かる。その方がいいのかもしれない。そうすれば何も感じなくて済む…


「そうですね」
 冷水を浴びせられる。

 逃げることを許してもらえなかった。突きつけるように楊雲が言う。
「あなたの言う通りです。今までの私にあなたを非難することはできません」
 怒りを押さえ込んだ、氷のように冷ややかな声。今までの。その一語が頭の中で反射する。口を開く前に言葉が続く。
「でもこれから変わろうと思います。こんな事思ったこともありませんでしたが、あなたを見ていて考えが改まりました。何もしないで逃げているだけの自分を変えます。…あなたと同じなのは嫌ですから」
 静かな口調はそのままに。痛烈な一言を浴びせて、楊雲はウェンディに背を向けた。
「さよなら」


 小走りに仲間たちの元へ戻るサンダルの音。

 だんだんと遠ざかり、やがて聞こえなくなった。













 これって何だろう。悪い夢?

 こんなはずじゃなかった。
 旅に出たとき何かを期待してた。諦めた振りをしても、諦めきれずに心のどこかで。いつか変われるって。自分の気持ちに素直になって、人を信じられるように、人から信じてもらえるように。みんなと仲良くなって、楽しく笑い合えるって。
 ウェンディの体が震え出す。
 こんなはずじゃなかった。嫌だ。怖い。こんなの嫌だ。震えが止まらない。何でこんな事になったんだろう。何が間違ってたんだろう。どうして。誰か助けて。
 誰も助けてくれない。もう誰もいない。楊雲も向こう側へ行ってしまった。手ががたがたと震えている。思わず自分の体を抱く。震えは止まらない。もう誰もいない。


 結局自分は変われない。たった一人で。こんな自分を抱えたまま…





 声にならない悲鳴が上がる




 ウェンディは弾かれたように立ち上がった。



 真っ直ぐ延びる街道の先。いつの間にか楊雲たちの姿はもう点のようにしか見えない。ウェンディは無我夢中で走り出していた。

(いや…! いや! 嫌!)


 嫌だ。
 置いていかないで。独りにしないで。あんなこと言いたかったんじゃない。仲良くしたかったのに。本当はみんなのこと、好きだったのに。
 怖い。一人は嫌。置いていかないで、何でもするから。

 恐怖に駆られたウェンディは体を無視して走り続ける。息が苦しい。肺が、心臓が悲鳴を上げる。喉から奇妙な音が漏れる。涙が後から後から止まらない。顔も、体も、頭の中も、何もかもボロボロになって、ウェンディは走り続けた。


 お願いだから一人にしないで…!










 待っていたのは当然ながら歓迎の視線ではなかった。

「ちょっとぉ…」
 うんざりし切ったようなフィリー。言われて当然だ。彼女を一番に裏切ったのだから。
 苦しい。息だけでなく、心が裂かれるように痛い。気まずい空気。自分のせいで、自分のせいで自分のせいで。
「ごめんなさい!」
 心が裂かれる。謝りたくなかった。あんなことを言ってしまって、許してもらえるとは思えなかった。
「ごめんなさい!もうあんな事言いません。性格も直します!お願いします、もう一度連れていってください。お願い…」
 奔流のように謝り続ける。すがりつくように。こんな事したくなかった。彼らの前に顔を出したくなかった。でもそんな事言ってられない。彼らの善意にすがるしかなかった。
「ごめんなさい!」
「いい加減にしてよ!」
 怒鳴りつけられる。痛い。苦しい、逃げ出したい。
「何でついてくるのよ!わたしたちが嫌いなんでしょ!?悪かったわねずっとあんたのこと苛めて!あんたなんて…」
「やめろ、フィリー」
「あんたなんて…!」
 息を呑む。フィリーの目に涙が浮かんでいた。自分が傷つけた。楊雲がじっとこちらを見ている。フィリーを、楊雲を、仲間たちを、自分が傷つけた。
 涙が溢れ出す。分かっているけど…どうか、どうかもう一度だけ機会を…

「赦してください…」

 人通りのない街道で、ウェンディの嗚咽はしばらくの間続いていた。







 空はまだ晴れない。薄く雲がかかり、夜も更けた森の中で、来人は木のすき間から上を見上げていた。星は隠れ、わずかに月がぼんやりとその位置を示している。
 今夜は野宿となった。街道から少し分け入った森の中。来人はぐったりと樹にもたれかかる。今日ほど疲れた日はそうはない。
「ほんっとーに甘いわね」
 フィリーも同じく樹に寄りかかっている。彼女もさぞかし疲れただろう。今日のお詫びにとウェンディが今後しばらくの食事当番を申し出、2人はこうして夕食ができるのを待っているところだ。
「そう言うなよ、ウェンディも直すって言ってるんだしさ」
「信用できるもんですか、どうせまた同じ事繰り返すわよ。あの性格が簡単に直るわけないじゃない」
「俺もお前も人のことどうこう言えるほど立派な性格の持ち主じゃないだろ…。誰にでも欠点はあるよ。直すって言ってるんだから信じよう」
 空を見ながら、フィリーがぽつりと言う。
「…でもわたしは許せないわ」
「ああ…」
 いつもウェンディに話しかけていたのはフィリーだった。来人は無意識のうちに避けていた。ウェンディも楊雲も、嫌なことからずっと。
「もう俺は逃げないよ。ウェンディからも楊雲からも。付き合いやすい相手じゃないけど、ちゃんと正面から向き合うから…。だからバトンタッチな」
 来人の差し出した手を、フィリーの小さな手袋がぺしっと打つ。
「あんたじゃあんまり当てにならないけどね…」
 そんな憎まれ口もだんだんと小さくなる。来人がのぞき込むと、フィリーは樹の根を枕にすやすやと寝息を立てていた。


 川べりで野菜を洗いながらウェンディは考える。これが最後のチャンスだ。これを裏切ったら今度こそ終わりだ。もうウェンディの相手をしてくれる人は二度と現れないだろう。
「薪拾ってきたでー」
 背後に地面を踏む音。振り返ると側に木の枝が山と積まれる。
「あ、い、いいのに私がやるから」
「ええねんええねん、何もせんかったらかえって退屈なんや」
 明るい笑顔。ずっと嫌いだった。でも今はどんなに嬉しいか、どんなに救ってくれているか。
「なあ、フィリーと仲直りしたいんやろ」
「う、うん…」
 そう、無条件に許してもらえたわけではない。機会を与えてもらっただけ。特にフィリーの信用を取り戻すには、よほど努力しないとならないだろう。
「だったらおいしいもんで釣るのが一番や!これで絶対確実やで」
「そ、そうかな…」
「そうそう!」
 思い切りうなずいてウェンディの背中をバシン!と叩く。
「元気出し!」
 それだけ言ってアルザはまた薪を取りに走っていった。
 微笑んで見送って、料理を始めようとして、ふと薄い月明かりの下に誰かが佇んでいるのに気づく。…楊雲だった。
「お手伝いします」
「え、でも、私1人でやりますから…」
「いえ…。お手伝いさせてください」
 言葉が出なかった。嬉しそうにうなずいて。皮むきを渡そうとしてその手が震える。言いたいことはたくさんあるのに。
 先に楊雲が口を開く。
「今日は酷いことを言ってしまいましたね…。申し訳ありませんでした」
「そんな!私の方こそよっぽど酷いこと言いました…。ごめんなさい!」
 ずっと楊雲に酷いことばかりしていた。許してもらえるとは思えないけど。
「ごめんなさい…。ずっとあなたのこと妬んでました。あなたは強いからどんな目に遭っても平気なんだろうって思ってました。あなただって辛くない訳がないのに、私、私は…!」
「落ち着いて」
 楊雲がそっとウェンディの肩に手を置く。優しい目。本当の楊雲の目。ウェンディは大きく息を吐き出す。
「傷つくのが怖かったんです…。傷つくのが嫌で、そのくせ友達は欲しがってました。誰か自分を傷つけずに友達になってくれる人がいてくれたらって思ってました。虫のいいことばかり考えてました。
 …だから私、少し傷ついてみようと思います。何かを手に入れるにはそれなりの危険が伴うんですよね。今さらだけど、ようやく覚悟ができましたから…」
 他の誰かと関わるなら。良いことばかりでなくて、悪いこともある。でも悪いことばかりでなくて良いこともある。今周りにいる人たちは昔とは違うのだから。
 息を落ち着かせて、木の幹に並んで腰かけ、野菜の皮を剥き始める。楊雲がぽつりぽつりと話し出す。
「私は本当は死んでいたようです…。でも私にも少し欲が出てきました」
「欲、ですか…?」
「はい…。私にも欲しいものが出てきました。あなたにお礼を言わなくてはなりませんね」
 楊雲は微笑んでいた。ウェンディも微笑み返す。上手く笑えただろうか。
「そんな、私は別に…」
 それ以上言えなかった。声が詰まり、涙が頬を伝う。でも今までとは違う、流すだけ、綺麗になっていく気がする。
「ありがとうございます…」
 それだけ言うのがやっとで、泣きながら包丁を使い続けた。幸せそうに微笑みながら。

 いつか友達になれるだろうか。いつか自分を好きになれるだろうか。いや……絶対なる。変わろう。きっとできる、できるから。


 夜は静かに更けていく。故郷から遠く離れた見慣れぬ森で、ウェンディ・ミゼリアはやっと希望という名の光を見つけた。まだ見つけただけ。手に入るまでにはまた傷つくかもしれないけれど……

 それでもいつか、手に入れることを心に誓って。











<END>





後書き
感想を書く
ガテラー図書館に戻る
不思議リュートに戻る
プラネット・ガテラーに戻る