【挨拶】
「あけまして、おっめでとーっ!」
元旦の空に響く私の声に、琴子はハァとため息をついた。
「ハイハイ、おめでとう。相変わらず元気ねえ」
「だって新年だよっ。正月だよっ。天気もいいし、一緒に初詣にでも行かない?」
「そうね。日が変わって一度、朝起きて一度行ったけど、三度目も悪くないわね」
さ、さすがは琴子…。
「でも別に急がないんでしょ? 少し上がっていきなさいな」
「え、いいの? 元旦なのに」
「いいのいいの」
玄関に上がり、居間のおじさんとおばさんに挨拶してから琴子の部屋に通される。正面には壁に貼られた大きな書き初め。
『謹賀新年』
そのまんまだね、琴子…。
「光、お餅いくつ?」
「あ、ひとつー」
「あら、減量中かしら?」
「違うよぉ。さっきお昼食べてきたの」
でも琴子んちのお餅っておいしいんだよねぇ。ちゃんと臼と杵でついてるんだもん。
お盆に載せられてきたお椀をありがたく受け取って、座布団の上でお雑煮を食べる。
「いいわねぇ、正月は…」
「そうだよねぇ」
もぐもぐとお餅を飲み込みながら、二人してしみじみと言う。
「日本文化の半分はこの日に集まってるようなものだものね。おせち、お雑煮、獅子舞、羽根突き…」
「すごろくとか、カルタとか」
「『カルタ』はポルトガル語っ!」
「ひえ〜!」
「というのは冗談として、やっぱりいいわよねぇ…」
「みんな今頃何してるのかなー」
【開運祈願】
「今年こそいーことありますよーにっ!」
ぱんぱん!
賽銭箱から遠く離れた場所で、気合いだけは入れて手を叩く。
通り過ぎる人がじろじろ見てく…。そりゃ美幸だってお賽銭入れたいよー。
でも奮発して持ってきた500円、来るまでに落としちゃったんだよー!
はー、今年もダメっぽいなぁ…。
「ため息ついていると幸せも逃げちゃいますよ?」
「わああ!」
「妖精さんもそう思いますか? そう思いますよね」
「み、美帆ぴょん。新年早々おどかさないでー!」
「うふふ」
にっこり笑ってわけを聞く美帆ぴょんに、涙ながらに事情を話す美幸。
「ということで美幸は神様にお願いすらできないんだよー…」
「まあ、年明けからついてますね」
「はにゃ?」
「考えてもみてください。その500円は本来なら賽銭箱に投げ込まれ、多額のお賽銭の単なる一部にしかならなかったはず…。でもその前に落としたことで、拾った人が警察に届ければ美幸ちゃんに戻ってきますし、その人も正月から良いことができて気分もいいでしょう」
「はにゃ…」
そ、そうなのかなー?
なんかだまされてるような気がするよー?
「でも例えば拾った人がネコババしちゃうとか…」
「まあ! そんな風に人を疑うなんて。現代人て汚いですね、妖精さん?」
「み、美幸が悪かったよぅー!」
さらに笑顔で5円玉を取り出す美帆ぴょん。
「美幸ちゃんの幸運は私がこの5円で一緒に祈ってあげますね。ええ金額なんて問題じゃないんです」
「ううっ、いい友達を持って美幸は幸せ者だよー!」
感激の涙を流す美幸の前で、ガラガラと鈴を鳴らす美帆ぴょん。
ガラガラ…
ガチャゴン!
…落っこちた。鈴が。
「まあ妖精さん。鈴が落下。ベルー落下ー。つまり今年はベリーラッキーということですね?」
「無理がありすぎるよー!!」
ちなみにその後500円は戻ってきませんでした…。
【年賀状・1】
「楓子ー、年賀状来たわよー」
「ハーイ」
お母さんから束を受け取って、テーブルの上に広げてみる。
転校してから始めてのお正月、葉書の数はいつもより多い。前の友達と、新しい友達と…。転校もそんなに悪いことばかりじゃないかな?
でも、探していた名前は見つからない。
今どうしてるのかな。
仲良くなりかけたとたんに引っ越しちゃったけど、やっぱりわたしは友達ってほどじゃなかったのかな…。
「あら、どうしたの?」
「あ、えと。わたしが出した相手から来てないの」
「恒例行事ね。今頃向こうもあわてて葉書を用意してるわよ」
そう言って白い葉書を10枚くらい持っていくお母さん。
いけないいけない、年賀状は元旦に届くとは限らないよね。
心配するのは一週間くらいしてからでも遅くないかな?
【年賀状・2】
郵便受けが音を立てるやいなや、自分の部屋に閉じこもった。
家族の中で一人だけ一枚も来ない私がいると、お互い気まずいだけだから…。
元旦の澄んだ空が恨めしい。家にも学校にもいたくない。年が変わったからって私は何も変わらない…。
「花桜梨」
突然のノックの音。おずおずと戸を開けると、隙間から姉さんの腕が突き出される。
「年賀状」
「…私に?」
何だろう、どこかのキャッチセールス? それとも初売りセールのお知らせ?
そう思いながら葉書を裏返すと、可愛らしい文字が目に飛び込んでくる。
『元気ですか?
離ればなれになっちゃったけど、お互いガンバろうね。
遠くから応援してるよ』
…自己嫌悪。
いじけてるだけで、彼女に年賀状も出さなかった自分に。
遠ざかる足音に、慌てて部屋の扉を開ける。
「ね、姉さん!」
「何?」
「あ…。年賀葉書、余ってる…?」
ピッ。投げてよこされた白い紙を辛うじて受け取る。口の中でお礼を言い、部屋に戻って机に向かう。
彼女に報告できる何をも今は持たないけれど…
『今年は頑張ります』
【新年ランニング】
うー、今年のお正月も両親とも帰ってこないや…。
お兄ちゃんもどっか行っちゃったし、元旦をボク一人で過ごせってのー?
しょーがないから初詣にほむらでも誘うことにした。
「こんにちは。あけましておめでとうございまーす」
「おや茜ちゃん、おめでとう。ちょっと中で待っておくれよ」
洗濯物を干していた赤井さんのおばあさんが、ボクを玄関に招き入れる。正月から家事なんて大変だなぁ。ってボクも似たようなもんか。
「こりゃっ、いつまで寝てるんだい!」
「うー、正月くらい寝かせてくれよー」
中から聞こえてくる相変わらずの声。しばらくして、ヘソを出したほむらが眠そうな目で歩いてきた。
「ポリポリお腹掻かないでよ。だらしないなぁっ」
「いーじゃねーか正月なんだしよー。んで何か用か?」
「うん、初詣行かない?」
「行く行くー! 祭りには参加しねーとな。ちょっと待ってろよ」
祭り…なのかなぁ? ボクが首をひねってる間にほむらも着替えてきて、おめでとうを交わしながら外に出る。
「あー、でもメシ食ってねーから腹減ったー」
「ダメだよ、ちゃんと栄養は取らなくちゃ」
「あ、そーだ。ちょっとこっち来い」
そう言って裏の果樹園へ引っ張っていくほむら。紙袋のかぶさったリンゴの実を2、3手に取る。
「こいつで腹ごしらえでいいや。茜も食うだろ?」
「え、いいの? 食べる食べる!」
リンゴを受け取り、袖でこすって二人同時にかじりつく。
シャリッ。うん! やっぱ取れたてはおいしいなぁ。
なーんて思ったのも束の間。
「こりゃーっ! 売り物に手をつけるやつがあるかーーっ!」
「やべ、ばあちゃんだ! 逃げるぜ茜!」
「ええーっ!? これって食べていいんじゃなかったのっ!?」
「ニャハハ。お前も食ったから共犯だな」
「ほ、ほ、ほむらのバカーーッ!」
ホウキ振りかざしたおばあさんに追われ、新年早々全力疾走するボクとほむら。あーもう、結局今年も周りの非常識な連中のせいで苦労するんだねっ!
【帰省】
「咲之進か?」
「左様でございます、メイ様」
「よし、入るのだ」
確認の上で鍵を開ける。つまり咲之進以外は入れないのだ。
「よろしいのでメイ様。せっかくレイ様が戻ってらしたものを…」
「いいのだっ! メイにはお兄様なんかいないのだ!」
「確かにお兄様はおられませぬな」
「…うわーーん!!」
ひどいのだ、メイは裏切られたのだ。お兄様がお姉様だったなんて14年間生きてて全然知らなかったのだ。こんなことが許されるのか!?
「しかし既にそこに来てらっしゃいますが」
「なにっ!」
「あー、メイ。言いたいことは分かるから開けなさい」
どんどん、と叩かれる扉。
「ふんだ、実の妹に隠し事する人なんて知らないのだ」
「仕方ないだろうしきたりなんだから! お前って口軽そうだし!」
「やっぱりメイのことをそんな風に思ってたのだーーっ!」
「ええい難儀なやつめっ! お年玉やるから開けたまえ!」
「その通りですねぇ」
「って何でお前がここにいるーっ!」
む!? お兄…もといお姉様の他にも誰かいるのか?
「まぁ、伊集院さん。あけまして、おめでとうございます。旧年中は、大変お世話になりまして、本年も変わらぬご友誼をいただけますと、とても嬉しく」
「要点をまとめろ要点を!」
扉に耳を当てて様子を探る。あの間延びした声はあいつか…。
「そういえば古式家の方々が挨拶回りにいらっしゃってましたな」
「うぬぬぬぬ」
「とにかくメイ、開けなさい!」
「そうですよ〜。開けてください〜」
「お姉様はともかくお前に指図される筋合いはないのだ!」
少しの静寂。
「レイさんは留学先で忙しいのですから…。来年は会えないのかもしれないのですよ?」
そ…そんなことお前に言われるまでもないのだ。
「家族が全員集まるのはお正月くらいですのに…。後悔も年単位になってしまいそうですねぇ」
…しばらくして渋々と扉を開ける。向こうには大好きな顔。
「済まない、メイ…。私を格好いい兄として慕っていたお前だ。男装した姉なんて嫌だろうと思ったらなかなか言い出せなかった…」
「そ、そんなことないのだ! お兄様でもお姉様でもメイの大事な人に違いはないのだっ…。うわぁーーん!!」
お姉様の胸に飛び込んで泣きじゃくり、ふと隣でにこにこ突っ立ってるやつに、二人して視線を向ける。
「ま、まあ君にも一応礼を言っておこう! はーっはっはっはっ」
「言っておいてやるのだ! わははははははは」
「似たもの姉妹ですねぇ」
そう言われるのもちょっと嬉しかった。
【冬の海】
年始めの海岸線。押し掛けてきた彼女が連れて行けとうるさく、仕方ないので車を走らせていた。
「いやー、いいわねえ正月に広大な海原! お姉さん感動しちゃうわん」
「本当にそうね」
そう言って、笑う私。別に見たいわけでもないくせに。
「去年はどうだった? 仕事の方は」
「ん? うん、万事順調。生徒もみんないい子ばかりだし」
そう言って、笑う。
わずかに微笑み返す舞佳。
…気づかれてる?
ちゃんとした所に就職もしてない彼女。中学の頃からずぼらでいい加減で、行き当たりばったりで…。
と、ずずいと舞佳の顔が近づいてくる。
「むむっ。今私のことE加減とか思ってたでしょ」
「そ、そんなことないわよ。ただ昔から変わらないなーって」
「あっはっはー。華澄もだけどねん」
私…?
学生時代の自分を思い出そうとしても、浮かんでくるのはおぼろげな記憶だけ。
「そうだったかな?」
「うん。昔から老けてた」
「‥‥‥」
無言で脇のスイッチを押し、左側の窓を開けた。
「あーっ! 寒い寒い、寒いって!」
適当な所に車を停め、砂浜に降りる。
いつもは物寂しい冬の海も、元日の空の下では何か晴れやかだ。
その波間に向かって、彼女が叫ぶ。
「今年もキリキリ働くわよぉーー!」
それを微笑ましげに眺めながら、私は別のことを考えてる。
レールの上で、既に先の見えた人生の途上で…。
あの『情熱』というものは、最初から私には存在しなかったんじゃないだろうか。
再び息を吸い込む舞佳。
「今年もガキどもをビシバシしごくわよぉーー! ばい華澄」
「こらこらこらっ。勝手に人の抱負を語らないのっ」
「ん、違った?」
「違わないけど…」
気づかれてる?
…ずっと昔から、あなたが私の目に、どんな風に映っていたか。
「ね、華澄」
屈託なく笑う彼女。
「今年も遊びに行っていい?」
そしてまた私は微笑む。
決して気づかれたくはないから…
「…時々なら、ね」
【始点】
「さて、そろそろ出かけましょうか」
「ごちそうさまー」
お雑煮をおいしく食べ終わって、二人一緒に外に出る。
よく晴れてるおかげで1月なのにずいぶん暖かい。
「うー、でもなんだか私みすぼらしいなぁ」
「あら、どうして?」
「だって晴れ着の琴子の隣で、私はトレーナーにジャンパー…」
「いいじゃない、小姓みたいで」
「‥‥‥‥‥」
「冗談よ。さ、行きましょ」
歩きながら今年の抱負なんかを語り合う。私は今年こそインターハイに行くこと! 琴子は…お茶飲みながらのんびり過ごすことだって…。
「高校総体もいいけど、他に大事なことがあるんじゃないの?」
「え!? べ、別に公くんのことをどうしようなんて思ってないよっ!?」
「あら、主人くんのことだったの。受験の話のつもりだったのに」
「…琴子のいじわる〜〜!」
そうなんだよねぇ。公くんとは相変わらずいい友達なんだけど…。別にそれが不満じゃないんだけど…。
あやふやなまま、一昨年も昨年も矢のように飛んでいった。
そんな私の隣で琴子はなにか考え込むと、いきなり歩く方向を変える。
「あれ? 神社ってあっちだよ?」
「いいのよ。こっちで」
「ってもしかして…」
『主人』
「やっぱりーっ!」
表札の前で固まる私。
「じゃ、後は自分で何とかなさいな」
「ち、ちょっと琴子〜」
「友達のままじゃ嫌なんでしょ?」
「うっ…」
「だったら私と初詣なんて行ってる場合じゃないでしょっ。まったく、あんた見てるとイライラすんのよ。一年の計は元旦にあり。びしっと決めなさいびしっと!」
言うだけ言って琴子はスタスタ行ってしまった。当たってるだけに見送るしかない私。
目の前には公くんちの呼び鈴。子供の頃は誘うなんて何ともなかったのに、今はその距離が遠い。
…でも。
琴子の言うとおりだよね。一年の計は元旦にあり。今日がダメなら、たぶん今年はずっとダメ。
よしっ。
深呼吸して呼び鈴に指をかける。
‥‥‥‥。
勇気の神様!
「この神社も変わらないよなぁ」
「そうだねっ」
彼と並んで石段を登る。覚えてるかな? あの日の夏に、ここで買ってくれた指輪のこと。
あれから幾度も年が変わり、季節が巡って。
それでもまたこうやって二人で鳥居をくぐる。
「ん?」
「え。なに?」
「いや、今年の光はやけに嬉しそうだなと思って」
「…えへへ〜」
そしてまた一年後に、どんな関係でいるのかは分からないけど。
とりあえず…
「今年もよろしくっ」
<終>