チョコレートの方程式


 1月も終わりに近づいた寒い朝。ぴんと張った晴天とは裏腹に、昨日に引き続き
私の心はどんよりと曇っていた。
「詩織!あんた高峯先輩振ったんだって!?」
「うん、まあ…」
 予想通りの質問に、私は思わず言葉を濁す。
「なんでなんでーっ?もったいない!」
「あの人サッカー部のキャプテンじゃない!」
「それはそうなんだけど…」
 どうしてみんなこういうことには熱心なんだろう。特に今はバレンタインが近い
こともあって、クラス中の女の子がわらわらと寄ってくる。
「やっぱ詩織ってー、ちょっと理想高すぎるんじゃない?」
「そ、そんなことないと思うんだけど…」
「どうせバレンタインにも誰にも贈らないんでしょ」
「う、うん…」
 あ、向こうで公くんが聞き耳たててる。ごめんね、今年もあげる予定はないの。
だいたいあんなのどう考えても製菓会社の陰謀よね。チョコの大きさで想いが決ま
るわけでもないし、虚礼廃止のこの時節に義理チョコというのも…なんて考えるの
は私ぐらいなんだろうけど。
「とりあえず付き合うだけでも付き合ってみればいいのに。そんなんじゃ一生彼氏
 できないぞ?」
「あ、ほら、先生来たよ」
 なんとか授業に救われて、私は昨日予習したノートを広げる。やっぱり学生の本
分は勉強よね。

 放課後になってもみんなの話は終わらなかった。
「けっきょく詩織って、どういう男がタイプなわけ?」
「特にどうというのがあるわけじゃないんだけど…」
「さっすが、もてる女は違うよね」
「よっ、きらめき高校のマドンナ様!」
 …みんな私のこと嫌いなの?
 その後も出てくる話といえば男の子のことばかり。私は興味もないくせに、愛想
笑いを浮かべて話合わせてる。こんなの良くないよ詩織、相手にも失礼だわ。
「あ、私ちょっと用事があるから」
「えーっ、もう行っちゃうのぉ?」
「つきあい悪いぞ、詩織!」
「本当にごめんね、それじゃ」
 はあ…疲れた。
 重い足を引きずって、そのまま親友のいるJ組へと向かう。
「メグ、一緒に帰ろ」
「詩織ちゃん!」
 ああ純情で可愛いメグ。メグなら私の気持ちわかってくれるよね。
「高峯先輩振ったって本当!?」
「‥‥‥‥‥‥」
「あ!…ご、ごめん…」
「いいわよもう…メグまでそんなこと言うんだ」
「ごめんなさいってばぁ〜」
 くるりと背を向けちょっとだけ意地悪して、すぐ立ち止まってくすくす笑う私。
「ひどいよぉ、詩織ちゃん」
「ごめんごめん」
「ううん、こっちこそごめんね」
 私がこういうふうにふざけられるのって、今はメグただ一人だね。昔はもう一人
いたんだけど。
 聞き慣れたその声は、校門のところで私を待っていた。
「おーい、詩織」
「あっ、公くん。今帰り?」
 隣に住む幼馴染みが駆け寄ってきて、メグは後ろに隠れてしまう。公くんには悪
いんだけど、今日は特に会いたくなかった。
「一緒に帰らない?」
 ごめんね公くん。今まで男の子の誘いは全部断ってきたの。だから公くんだけ特
別扱いするのは不公平なの。
「一緒に帰って、友達に噂とかされると恥ずかしいし…」
「そ、そうだね。それじゃあお先に」
「ごめんね。さよなら」
 公くんは平静を装ってはいたけど、底まで落ち込んでるのが目に見えてわかった。
本当にごめんなさい。別に公くんのこと嫌いじゃないのよ。好きでもないけど…。
「行こ、メグ」
 気遣わしげに私を見上げる親友の手を引いて、私はいつもの帰り道につくのでした。

 途中メグに連れられて新しくできたケーキ屋さんに立ち寄ったの。ちょっと落ち
込んでるの、気付かれちゃったかな。
「ここのケーキ、結構おいしいね」
「う、うん…」
「メグ?」
 私は小さくため息をつくと、じっとメグの顔を見る。
「な、なに?」
「なにか言いたいことあるでしょ」
「べべ別に…」
「言ってみてよ。怒らないから、ね?」
 私に促されて、ケーキをつつきながらおずおずと口を開くメグ。
「あのね…どうして誰ともつきあわないの?」
「‥‥‥」
「私が言っても説得力ないけど、つきあってみなきゃいい相手かどうかわかんない
 と思うよ。せっかくもてるんだし…」
 …やっぱり、みんなそう思うよね。本当のこと話してみようかな。
「ねえメグ、もし私が誰かとつきあったとするよね」
「う、うん」
「それでもし相手のこと好きになれなかったらどうしたらいいの?」
「ど、どうって?」
「『あなたとは趣味が合いませんでした。バイバイ』って言うの?私には無理だと
 思う」
「‥‥‥‥」
 あ、メグ黙っちゃった。別に困らせたいわけじゃないのよ。
「やっぱり一度つきあうと決めた以上はそれなりの責任が生じるわけだし、自分の
 行動に責任が持てないなら最初からそんなことはするべきじゃないと思うの」
「でも…」
「それで私一人が傷つくなら構わないけど、相手のことも傷つけることになるし。
 本当に好きでもない相手に思わせぶりなことしちゃいけないんじゃないかな」
「‥‥‥‥‥」
 やだメグ、そんな顔しないでってば。
「こ、これは単なる私の個人的な意見だからね。別にメグや他の人に押しつける気
 はないから」
「…それじゃ一生誰ともつきあわないの?」
「本当に好きになれそうな相手がいれば話は別なの。だから大丈夫、ね?」
「うん…」
 メグはあんまり納得できなかったみたいだった。やっぱり私って変なのかなあ…。


 家に帰ったらまずは明日の予習。いつものようにノートを広げる。机の上の鏡に
目をやると、映っているのはどこから見ても優等生。完璧で、誰からも非難されず、
決して間違いを犯さない藤崎詩織。
 みんなは今頃、楽しそうにチョコレートを選んでるんだろうな…。
 そう考えてあわてて私は頭を振った。みんなはみんな、私は私。まわりに流され
ることはないよね。

『だけど昔はよかったね。何も考えず、無邪気に笑っていられた。毎日公くんと遅
 くまで遊んで、一日一日が楽しかった。いつからこうなっちゃったんだろう』

 本棚のアルバムを見上げる。事あるごとにめくってる、心の中の宝物。思い出が
一番大事なんてどこまで寂しいんだろう。
 でも仕方ないじゃない。何も間違ってはいないんだから、今の私はこれでいいん
だから。誰に強制されたわけでもない、自分で選んだことでしょう?辛いからって
逃げちゃダメ。
 頑張って、もっと頑張って。

『それならどうしてこんなに不安なの?正しいレールを歩いてるはずなのに、なん
 でいつも孤独を感じてるの?』

 そして私は思わず耳をふさいでいた。方程式は正しいはずなのに、いったいどこが
間違ってるんだろう。
 それ以上勉強を続けられず、私はベッドに倒れ伏す。
 恋をしてみたい。
 誰かを思いっきり、好きになってみたい。
 私には無理なのかな…


 日曜日、私は何の予定もないまま部屋でクラシックを聞いていた。電話のベルが
鳴り、私はCDプレイヤーを一時停止する。
「ハイ、藤崎です」
「えっと…主人公っていいますけど」
「え、公くん?!どうしたの今日は?」
 私が驚いたのも無理はない。公くんからの電話なんて何年ぶりだろう。用件の見
当もつかないまま私は受話器を耳に押し当てた。
「2月12日に遊園地に行かない?」
 あ、デートのお誘いなの…。ごめんね公くん、デートも全部断ってるの。公くん
が大好きとかいうならともかく、ただの幼馴染みである以上そういうことをするわ
けにもいかないよね。
「えーとね…」
 でも…行きたいな、遊園地。昔はよく行ったよね。あの時みたいに2人ではしゃ
いで、嫌なこと全部忘れたい。
「うん、いいわよ」
「それじゃ2月12日に遊園地の前で待ち合わせということで」
「うん、わかったわ。忘れないで来てね」
「忘れるわけないよ。じゃあ、また」
ガチャ
 ‥‥‥ああっ!
 なにOKしてるのよ詩織!こんなこと他人に知れたら、今まで断ってきた人たち
が傷つくでしょう?だいたい公くんを自分のストレス解消に利用するなんてしてい
いと思ってるの!?
 と、取り消さなくちゃ。でも今すぐっていうわけにもいかないよね。私はあわて
てカレンダーを見た。
 …2月12日って、明日じゃない!

 15分前に来た私は公くんを待ちながら、どうやって謝ろうか思案にくれていた。
ごめん公くん。でも間違いは正さなくちゃ。
「ごめん、待った?」
「ちょうど、今来たとこよ」
 うっ、公くんてば幸せそうな顔してる。
「それじゃどこに行こうか?」
 ちょっとちょっと詩織。
「ジェットコースターに乗ろうよ」
「うん、いいわよ」
 ああああっ。
 何も言い出せないまま公くんと並んで歩く私。ふと横を見上げると、つくづく幸
せそうな公くんの顔。
 …あなた私の苦労なんてこれっぽっちもわかってないでしょ。ああ、なんだかむ
しょうに腹が立ってきたわ。
「ほら公くん、さっさと行くわよ!」
「し、詩織?」

 その時の私はハイというより、半分ヤケになってたと思う。
「ほらほら!もう1回乗ろうよ」
「もう6回目だぜ。カンベンしてくれよ〜」
「だーめっ!乗るったら乗るの!」
 だってジェットコースター好きだもん。さんざん公くんを引っ張り回して、ちょ
っと心が軽くなったかな。
「ねえ公くん、おなかすいちゃった」
「…なにか食べに行く?」
「うんっ」
 今日だけね、今日だけ。明日からはまたもとの詩織に戻るから、今日だけは許し
てね。
 公くん、つきあわせちゃってごめんなさい。でも公くんだって悪いんだからね。
「次は観覧車ねっ」
「詩織ぃ〜」
 夢みたいな時間が過ぎ、いつのまにか夕方になっていて、私は観覧車から夕日に
映えるきらめき市を見ることができた。
「綺麗…」
 素直にそんな風に言えたのは久しぶりだった。
「…公くん?」
 公くん、私の顔なんか見てないで景色を見ようよ。綺麗だよ。
「あのさ詩織!」
「な、なに?」
 夕焼け色に染まった公くんの顔は、今まで見たことのないくらい真剣だった。
「俺は…詩織のためなら傷ついても構わないよ」
 え…?
「詩織が俺のこと恋人として見られないならそれはそれで仕方ない。俺がそこまで
 の男だったって事だろ。でもせめてチャンスをくれよ。最初から閉ざしたりする
 なよ!」
 な、なんで公くんがそんなこと…
 ‥‥‥メグぅ〜〜〜〜〜〜〜っ!
「…公くん、誰かから変な話聞いた?」
「いや、机の中に女の子の字で手紙が入ってたんだけど…。ただのガセだったら謝
 るけど…」
「別にガセじゃないけど」
 本当にメグってば余計なことするんだから。
「でもね公くん、恋愛はファッションじゃないんだし、無理にすることはないと思
 うの」
「詩織…」
「心配してくれてありがとう。気持ちはありがたく受け取っておくね」
「なんでそんな優等生みたいなことしか言えないんだよ!」
 狭いゴンドラの中、公くんは立ち上がって叫んでいた。私は思わず息をのむ。
「ガードするなよ!遠慮なんかしないでくれよ!俺たち幼馴染みだろ!?」
 しばしの静寂の中、観覧車のきしむ音だけが流れてくる。ごめん、と小さく呟い
て、公くんは静かに席に腰を下ろした。
 しばらくして、私のくすくす笑う声がゴンドラの中に流れた。
「な、なに?」
「ありがとう…」
 なにも変わってない、昔のまま。
 私の大事なものはこんな近くにあったのに、どうして今まで気付かなかったんだろう。
「…チョコ、贈ってもいい?」
「もちろん!」
「義理だよ?」
「大歓迎!!」
 ひとつひとつ言葉を交わすたび、大事なものが元通りになっていく。真っ赤な夕
日の中、私の心の中でなにかがそっと溶けていった。
「私ね…」
 恋人になれるかどうかはわからないけど、一番大事な男の子。
「全部捨てようとしてたの。どうせいつまでも昔のままではいられないんだから、
 思い出にすがるよりは前を見て生きようって。でもいいんだよね。本当に大事な
 ものなら、いつまでも持ってても構わないよね」
「俺にとっては、詩織は何があっても詩織だよ」
 観覧車はいつのまにか地面に降りていた。元気に外へ飛び出して、くるりと公く
んを振り返る。
 恋愛はファッションじゃないから、無理にすることはないと思う。でも恋よりも
強い絆は、私たちの間にきっとある。私に誰かを好きになれるかはわからないけど、
幼馴染みはずっと幼馴染みでいてくれる。
 うん、詩織。それで正解だよ。

「ごめんなさいっ!」
 メグ、いきなり謝られても困るってば。
「あ、あのね。余計とは思ったんだけど、詩織ちゃん辛そうだったし…」
「うん、どうもありがとう」
「…え?」
「心配かけてごめんね。今度こそ本当に大丈夫だから」
 公くんとメグと、2人もいるんだもの大丈夫。私は私でしかいられないけど、き
っとこのまま歩いていける。
「とりあえず今日の放課後、チョコ選ぶの手伝ってね」
「だ、誰かに贈るの!?」
「義理だけどね」
「そう…よかったぁ…」
 メグは自分のことのように喜んで、さっそくチョコの話をしだした。せっかくあ
るバレンタイン、参加するしないは個人の自由。
「私と公くんの仲だものね」
「え?」
「…ううん、なんでもないの」

 本当に大事なものなら、きっとそれが正解。

 Happy Valentine!


                          <END>



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