【注】「痕」のおまけシナリオ、および「デバイスレイン」のネタバレを含みます。
アインハルト家の食卓
…ドクン、ドクン、ドクン。
ひどく緊張している…。
かつてJ.B.達とやり合った日々のようなあの緊張。
再び日常が消滅し、非日常が起動しようとしているのだ。
「なにを大袈裟な!」
カスミに言われ、俺は苦笑を返した。
「いや…でもな」
「そんなに私の手料理を食べるのが嫌なのっ?」
平和な日々が戻った記念というので、俺と誠志郎に名城、霧生とついでに夕凪がカスミの家に招かれたのだが、こんなトラップが待ち受けてやがった。思えば用事があると言って来なかった空木さんはこれを予見していたのかもしれない。
「そりゃあ嫌に決まってるじゃない。カスミの手料理じゃさあ…」
「名城さんっ」
「だ、だって現に味見した柊が…」
「き、きっと熱かったのよ。誠志郎くんて猫舌だったのね」
聞いたことねーぞそんな話。
「柊、ぴくりとも動かないんだけど…」
「き、きっと、今日は体調が悪かったのよ! 誠志郎だけに安静にしろー、なんちゃって〜っ!」
「……」
「……」
「……」
「……」
全員が窒息死しかける中、カスミが赤い顔でコホンと咳払いした。
「…とっ、とにかく、秘蔵のオーパスから『おいしい』というイデア情報をコピーしたから大丈夫!」
「お前な」
「だいたいカスミ、自分の分はどうしたのよ」
「も、盛りつけてみたら足りなくて…」
「じゃあ、あたしの分を分けてあげるわよ」
「い、いいの。私は作ってるときにたくさん味見したから…」
「遠慮しなくていいって! 汐音、皿、皿!」
「あい」
「それ、カチャカチャ…」(名城)
「あたしもあげるね、カチャカチャ…」(夕凪)
「あ、俺も、カチャカチャ…」(俺)
「カチャカチャ…」(霧生)
「…みんな、よっぽど、食べたくないのね…」
カスミがクスンと鼻をすすった。
「…ふんっ。いいわ、そんなに嫌なら食べなくても。私がひとりで食べますっ!」
カスミはプンとすねながらもスプーンを取り、そのいかにも怪しいリゾットを口に運んだ。
「…うっ!」
「カスミ!」
「おい、大丈夫か!?」
「…うっ、うっ、…うまいっ! なんてねーっ!」
ガタッガタッガタッ。
全員がこける。
「あらっ、ウケちゃった?」
「古典的すぎてこけたんだ…」
「でも、ホラ、大丈夫! おいしいわよ!」
カスミはパクパクと自分の料理を食べる。
「正直、ちょっとヤバイかな〜って思ってたけど、ウン、全然平気!」
「…ヤ、ヤバイかなって、やっぱりあんた…」
「ホラ、ホラ、美味しいわよ! みんなも早く食べて食べて!」
パクパク…。
「…く、食ってるぞ」
「美味しそうだね」
「駄目よ汐音! それが罠なんだって!」
「ちょっと名城さんっ! なにが罠よ!」
「あたし食べてみるよ」
「し、汐音っ!」
「やっぱり夕凪さんはいい人ね。ひねくれ者の誰かさんと違って」
「あたしがひねくれたのはみんなカスミのせいじゃない! つき合いが長いからいつもカスミのそんな偽善…ヒッ!」
名城が息をのむ。
見ると、カスミがにっこりと微笑んでいた。
「な、し、ろ、さん…?」
「ひいいいぃぃぃっ」
「…い、ま、な、ん、て、言、お、う、と、し、た、の、か、な?」
にっこり。
「な、な、な、な、な、なんでもないですぅ」
「そっ。ならいいの」
部屋の室温が三度ほど下がったような気がした。
「いただきま〜す」
夕凪が料理に手をつけた。
「もぐもぐ」
ややあって。
「おいしー!」
「えっ!? マジで!?」
俺と名城と霧生が声を揃えて聞いた。
「ホントだって! とっても不思議な味がして、思わず一曲歌いたくなるよ」
「ふ…不思議な味」
夕凪はちょっと異常なくらい『美味しい美味しい』と言って食べ続けた。
俺と名城が顔を見合わせる。
「だ、大丈夫そうだな」
「ま、まあカスミならイデア情報を操るくらい簡単だろうし…」
「霧生、お前はどうする…ってもう食い終わってるしー!?」
「フン、真の戦士たるもの食事は俊敏に済ませるものだからな…」
霧生の皿は磨いたように綺麗に片づいていた。
「しょうがないニ。あたしも食うカニ」
名城はわけのわからない口調でそう言うと、早速パクパクいきはじめた。
「えっ! マジいけるじゃないこれっ!」
「でしょでしょでしょ〜」
「それにリゾットなんて凝ってるしね」
「そうそう。料理の下手な奴に限って妙に凝ったメニュー作るのよね〜」
「名城さんっ!」
パクパクパク。
すでに食い終わった霧生以外の全員が一心不乱に食べている。
そんなにうまいのか。
「雲野、あんたは食べないの?」
「おいしいよ」
「十夜くんに食べてもらおうと思って作ったのに…」
カスミがちょっとすねたような可愛い顔で俺を見る。
しかしあの戦いで培った俺の勘が食べてはいけないと言っていた。
だいたい何だ、秘蔵のオーパスって。
何をソースにしたのか知らないが、オーパスなんて大抵オカルト系の怪しいブツなんだ。
今にとんでもないことが起きるぜ。
3、2、1…。
「うらああぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
そら来た!
その声の主は、しかもなんと夕凪だった。
夕凪はいきなり立ち上がると、ちゃぶ台返し…もとい、座テーブル返しをした。
ガシャーーーーーン!
「うらぁ〜〜〜〜〜! この偽善者〜〜〜っ! 飯の中に、なにいれやがった〜〜〜〜〜〜っ!」
「ゆ、夕凪さんっ!? あ、あなた、なっ、なにをっ!」
「あ、あの気さくな夕凪が、タチの悪いチンピラのように!?」
「ぜって〜おかし〜ぞ、この飯はよぉぉ〜〜〜っ!」
「ど、どうしちゃったのっ!?」
「カスミ、いったいどういうイデア情報をコピーしたんだ!?」
「そのへんに転がってたオーパスから、チョイチョイっと」
カスミは言いながらぺろっと舌を出した。
「こら〜〜〜〜〜っ! 偽善はやめろ〜〜〜〜〜〜っ! 反吐がでら〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
「ひ、酷いわ夕凪さん! 私、偽善者なんかじゃないモンッ!」
ぷいっ。
「それが偽善チックだってんだよ〜〜〜〜〜〜っ!」
ゆ、夕凪が目も当てられない不良に…。
「おら〜〜〜〜〜〜っ! くもの〜〜〜〜〜〜っ!」
「は、は、はいいぃぃっ!」
「愛してるぜ、ベイベー」
ヤンキー夕凪はポッと赤らんで、パチッと俺にウィンクした。
「…よ、喜んでいいのか悪いのか…」
「十夜くん! MENU画面からライブラリーを呼び出しておいたわよ」
「便利な世の中になったもんだよな〜」
スクロールスクロール…っと。
「なんか、そのままって感じの名前ですね〜」
Op.セイカクハンテンタケ
柏○家の庭から出土した、食べた者の性格を反転させてしまう毒キノコ。
元来不思議な力を持つとされていた○木家だが、このキノコにより崩壊の
(中略)とされ、初○ファンから恐れられている。
「ほんまやな〜」
「ワハハハハハハハハハハ」
「笑ってる…場合か〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
どげしッ!
「おぷすっ!」
夕凪の蹴りが土手っ腹に炸裂し、俺はアメリカンコミック的な呻き声と共に意識を失った…。
「…くんっ。十夜くんっ!」
はっ。
がばっ!
瞼を開けると、目の前にはカスミがいた。
「た、大変よ! 夕凪さんが外へ出て行っちゃったのっ!」
「なにっ!」
「普段はそりゃあもう性格のいい夕凪さんだから、性格が反転したら、どんな恐ろしい悪人になることやら…」
「た、確かに。ロックで世界征服始めるかもな…」
「ひいいぃぃぃっ!」
「とにかく、夕凪を探しに行くぜ!」
「うんっ」
俺たちはカスミの家を出た。
道路に出ると霧生らしき人影が立っている。
「おい霧生、夕凪を見なかったか?」
「……」
「大変なんだ! 一刻も早くあいつを止めないと!」
「イエ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イッ!」
振り返った霧生は、爽やかな笑顔でスキップしつつ腕を突き上げた。
「今日はもう気分ウキウキ!! チョベリグーな感じみたいな〜〜〜〜!」
「……」
「……」
「外はまぶしいサンシャイ〜ンッ!」
「駄目だ…すっかりやられちまってる…」
「あのクールな霧生くんが、別人のように明るくなっちゃってるね…」
「一番、霧生忍! チョー明るい歌を歌いま〜す! 一騎打ちで状態変化攻撃使われて〜何もできずにま〜け〜た〜〜…ってメッチャ暗いやんけ〜!」
「ガガーン!? ノ、ノリツッコミ!?」
「ううっ、霧生くん。ここまで立派に成長してたなんて…。もう私に教えることは何もないわ…」
「…って、なんでやね〜〜んっ!」
俺と霧生がダブルで突っ込んだ。
とりあえず学校の方へ走っていくと、途中で名城と出会った。
「おい、名城! 夕凪を見なかったか!?」
「…ううっ…雲野さん」
「く、雲野『さん』!?」
「…よよよ。今回の不祥事、すべて、このあたくしのせいでございますぅ〜〜」
「十夜くん…」
「こいつも、イっちまってるな…」
「…ああ。…このあたくしが代わりに料理していればこのようなことには〜〜〜よよよ…」
「いつも強気だから…弱気になっちまったのか」
「これはこれで結構いいかも」
カスミは意外に冷たい。
「…ああっ、このさいは死んでおわびを〜〜〜っ!」
名城はどこから取り出したのか、ジーザス・シュラウドで自分の首を絞め始めた。
「わ〜〜〜っ! まてまてまて〜! 早まるな〜!」
俺は慌ててその手を止める。
「…こ、こんなあたくしを、お許しになってくださるのですか〜〜〜よよよ…」
「許す許す許すから〜〜〜〜〜〜!」
「…私、なんだか今の名城さんの方がいいな」
「お前そんな薄情な…」
「そうだ、この際だから…。ちょっと名城さん! 前に持っていった私の服、早く返しなさい!」
「ももも申し訳ございませ〜〜〜ん! あまりに胸がきつくて腰があまるので、押入の奥に放ったままでおりますですぅ〜〜〜〜よよよ…」
「なっ、なんですって〜〜〜!? きぃぃぃっ!」
「カ、カスミ…」
暴れるカスミを引きずって俺は夕凪探索を再開した。
「夕凪〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「夕凪さ〜〜〜〜〜〜〜ん!」
「夕凪〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「あっ、いたわ十夜くん! 理子さんも一緒に!」
目の据わった夕凪が、道端で空木さんに絡んでいる。
「…フッフッフ、姉ちゃん金出しな〜〜〜〜!」
「ひいいぃぃぃっ。わ、私失業中でお金持ってないのっ!」
な、なんと、カツアゲしている!?
「嘘つけこのアマぁ! ジャンプして見ろぉ〜!」
「ひっ、ひいいぃぃっ!」
ぴょいん、ぴょいん、ぴょいん、ぴょいん!
じゃら、じゃら、じゃら、じゃら
「うおらああぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っ! しっかりもってんじゃね〜〜〜〜〜か!」
「さ、最後の生活費なのに〜〜〜〜っ!」
苦労してんだな空木さん…。
「だ、誰か〜〜〜〜っ!」
「アナタは神を信じマスカー?」
「げっ」
ビショップまで来やがった。
「助けてビショップ! 不良にからまれてるのよ!」
「OH、ジーザース!」
「ど、どうしよう十夜くん! このままじゃ夕凪さんの真っ白な経歴に汚点が!」
「くっ、ここは俺が!」
俺は全力で空木さんに駆け寄ると、
「ボイン、タ〜〜〜〜〜〜ッチ!」
むにゅ。
柔らかな感触。
「ぎ、ぎ、ぎ、ぎえ〜〜〜〜〜〜〜っ!」
空木さんが絶叫する。
「何するのよこのエロガキッ!!」
げしっげしっ
「なんという破廉恥な真似ヲー!」
「と、十夜くんっ、なんてことを!」
ううっ、しかたないのだよぉ。
「今のうちだ夕凪、お前だけでも逃げろ…ってもういねえーー!?」
そこにはすでに夕凪の姿はなかった。
「雲野サン、アナタは悔い改める必要がありそうですネー!」
「十夜く〜〜ん、覚悟はできてるわよねぇ〜〜?」(ばきぼき)
「見損なったわ、十夜くん! ぷんっ!」
「カ、カスミ何言ってんだ。俺はただ…」
「やあねえ、痴漢ですってよ」
「今後うちの娘を近づけないようにせんとな!」
と、どっかのダンサーと傭兵。
「わんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわん!」
さらに、どっかの犬まで。
俺はもう何も言うことはなく、大人しく泣きながら連行された。
「ビ、ビショップの奴3時間も説教しやがって…」
「おつとめご苦労さまです」
「その言い方はやめてくれ…」
「あっ、今度はあそこに夕凪さんが!」
ちょっぱやの展開だった。
「あ、空き地に入っていくわ!」
「ステージを作り始めたぞ!」
「まさかジャイアンリサイタルを始めるのでは!」
「何ィ!? ジャイアンリサイタル!? とっ、止めなければ!」
空き地へ駆けていく俺とカスミ。
「ふっふっふっ、これはこれは。おふたりともわざわざお揃いで」
「夕凪!」
「どうした雲野? あたいが恋しくなったのかい?」
い、いやだ〜。こんなハスっぽいの、夕凪じゃね〜。
「くそっ、一体どうすれば…」
ドラウジネスで行動不能にするか? ってオーギュメント持ってきてねーし。
やはりバンド的に解決するか?
夕凪、お前の夢はどうするんだ!
うるせえ! そんなもんもう忘れちまったよ!
馬鹿ッ!(パシン) 夢は信じていればいつかかなうものなんだ!
く、雲野…。
夕凪…。(バックに夕日)
とか…。
「えいっ、当て身!」
ごすっ
「あうっ」
ん?
「あ、終わったわよ。十夜くん」
「そうか、終わったか…って、なにぃ!?」
「私が当て身を、えい、って」
「……」
「さ、早く帰りましょ」
「そんなことできるんなら…最初からやれ〜〜〜〜〜っ!」
俺のマジツッコミが響き渡った。
「ふう…」
効き目が切れて元に戻った夕凪たちを送り届け、カスミの家の前で一息つく。日常は再び戻ってきたようだ。
「ん? そういやカスミも性格反転リゾット食ったはずじゃなかったっけ?」
「えっ!?」
そうだ、確かに食った。それも一番最初に。
「それにしては普段とちっとも変わってねーよな」
「えっ? えっ?」
カスミはとぼけた顔で微笑んだ。
「…反転してその性格だってことは、いつものカスミの性格って…」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「…そんなに見つめちゃイヤですぅ」
<END>