(あ〜あ、退屈だなあ。こうもやることがないと、脳みそが腐っちゃうよ…)
(いや…やることはあるんだけど、何もする気が起きないだけか)
(こっちの世界にもどってきてから…ずっとこうだもんなあ…)

 異世界での長い長い旅。
 仲間たちの力を借り、魔宝を集め、ようやく戻ってきた元の世界。
 それがこんなにも退屈に感じるなんて、あの選択の時には予想もしていなかった。

(この世界に戻って来るっていうのは…俺にとって本当に正しい選択だったんだろうか?)
(イカン、イカン。何を考えてるんだ…)
(だめだ。寝よう。もう寝ちまおう。まだ昼だけど)

<ポロロン ポロロン>
 毛布をかぶった頭の奥に、いつか聞いたリュートが遠く響く。
 あの胸躍る冒険は、個性的で生き生きしていた住人たちには、もう二度と会えないんだろうか。
<ポロロン…>
 懐かしい音色も、だんだんと薄れていく…。






夢みる力






「起きなさい、この愚弟!」
「うわあ!」
 毛布ごと引きずり下ろされ、床に転げ落ちた。
 打った後頭部を押さえながら身を起こすと、見慣れた人物が腕組みして仁王立ちしている。
「なんだ、姉貴か…」
「なんだじゃないでしょ。いい若者が、何を昼間から寝てるのよ」
「いいじゃないか、日曜なんだし…。放っておいてくれよ」
「やかましい! そんな怠惰な弟を持った覚えはないわよ!」
 最初の頃は『体調でも悪いの?』と心配してくれた姉も、最近はそんな素振りも見せてくれない。
 まあ、異世界から戻ってずっと腑抜けている俺が悪いんだが…。
「ほら、天気もいいんだから外で元気に遊んできなさい。ほらほら早く」
「ち、ちょっとっ」


 追い出されてしまった。仕方なくぶらぶらと歩く。
 平和すぎる町。当たり前だけど、モンスターもトラップもない。
 足は自然と例のビルへ向かった。
(もう工事は終わっちゃったけどな…)
 見上げた先にあるのは灰色の壁。あの中に、あの鉄骨も埋まっているんだろうか。
 もう一度降ってきたら、俺は避けるのか当たりに行くのか…と馬鹿馬鹿しいことを考えてしまう。
(あの時は…ゲームを買いに行く途中だったんだっけ)
 買いに行ってみるか、とは思うものの、不思議と足は動かない。
 現実に襲ってくるモンスターと戦ってきた俺に、どんなゲームが楽しめるっていうんだ。
「エネジー・アロー!」
 小声で言いながら手を突き出したものの、虫の一匹も倒せそうになかった。
 初めて魔法を覚えた時は、感動して連発した挙げ句、みんなに呆れられたものだっけ。
 だんだん慣れていって、ヴァニシングレイを覚えた頃にはそんなに感動もなくて…
(あの力が全部無くなるなら、もっと大事に使えば良かったなぁ…)


「…ただいま」
「おかえり。そこに座りなさい」
 怖い顔で待ち構えていた姉に、居間のソファーへ座らされる。
 聞かれることはわかっている。答えようがないことも。
「一体何があったの? 最近ずっとそんな調子じゃないの」
「…言っても信じてもらえない」
「そんなの話してみなきゃわからないでしょう」
「絶対頭がおかしくなったって思われるって」
 ファンタジーな世界へ飛ばされて、女の子たちと冒険してきましたなんて、どう話せばいいっていうんだ。
 いや…もしかして本当に、頭がおかしくなってるのか。
 あれは全部、ゲームをやりすぎた俺の妄想だったのか?
「とにかく今日という今日は、話すまで解放しないわよ」
「…わかった。じゃあ聞いてくれ」
「き、急に素直になったわね。まあ…どんな話でも、一応信じてあげるから」
「いや、無理しなくていいよ…。むしろ否定してもらった方が楽かもしれない」

 そうして俺は話し始めた。
 あの世界に放り出され、右も左もわからず、フィリーとロクサーヌに助けてもらったこと。
 最初の街パーリアでの様々な出会い。
 一縷の望みをかけての魔宝探し。
 やっと見つかったと思ったら、実は5つ必要で…
 アルバイトをしたり、仲間が喧嘩を始めたり、罠に引っかかったり。
 話しながら実感する。大丈夫、妄想じゃない。
 こんなにはっきりと覚えてる。あの出来事の数々が、夢であるわけがない――

「…そうして、俺はこの世界に戻ってきたんだ」
「………」
 とはいえ俺にとって現実でも、姉がそう思ってくれるかは別問題だ。
 信じているのかいないのか、難しい顔でこちらを見ている。
「で?」
「え?」
「楽しい冒険話はわかったわよ。それと、あんたが腑抜けているのはどう繋がるの?」
「あ、ああ…。なんていうか、あの世界に比べたらこの世界は退屈で…」
「ふぅーん」
「い、いや、別に姉貴や周りの人たちが悪いとか言う気はないんだ」
「当たり前でしょ。剣や魔法を使う人たちと比べられても困るわよ」
 それはそうだ。この世界は何も悪くない。
 じゃあやっぱり、帰ることを願った俺が悪いのか?
 でも帰らなかったら、俺はこの世界で行方不明扱いだったんだろうか。姉や両親を悲しませていたんだろうか。
 ぐるぐる回って、いつまでも答えが出ない。
「で、あんたはこれからどうするつもりなの」
「どうと言われても…。どうしようもないだろ」
 はあ、とため息をつかれる。どうにもしなければ今のままで、それでは駄目とわかってはいるけど。
「一応信じるっていった手前、信じてあげるとしたら」
 真剣に考えてくれた目で、姉は俺を直視して言った。

「あんたがその世界で会ったのは、よっぽど素敵な人たちだったんでしょうね。
 その人たちに、今のあんたの姿を見せられるの?」


*        *        *



 昼間に中途半端に寝たせいで、肝心の夜に寝られなかった。
 みんなに会いたい。仲間として手伝ってくれた人たち、ライバルとして競った奴ら、姉の言うように素敵な連中ばかりだった。
 そして姉の言うように、今の俺には合わす顔がない。
 このままじゃいけないと、気ばかり焦って何度も寝返りを打つ。

<ポロロン…>

 ああ、幻聴まで聞こえてきた。ロクサーヌは結局何者だったんだろうな。
 あの謎めいた吟遊詩人なら、俺の召喚くらいやってのけてくれないだろうか。
 帰る選択は間違ってはいなかったんだ。ただもう一度だけ、あの世界に行けるチャンスをもしもらえたら…

「それはできない相談ですねえ」

 え!?

 幻聴じゃない。二度と聞けないと思っていた声が、はっきりと聞こえた。
 ベッドから飛び起きた――つもりが、いつの間にか地面の上にいた。一気に視界が広がる。
 外国風の街並みと、澄んだ空気。間違いない、旅の出発点、あの最初の街だ。
 目の前には吟遊詩人の後ろ姿。そしてその向かいには眼鏡をかけた…

『お、おいロクサーヌ! メイヤー!』

 大声で叫んだつもりだが、声は俺の耳にすら聞こえない。
 気付けば、俺の身体もどこにもない。意識だけが宙に浮いてる感じだ。
 ああなんだ、やっぱり夢なのか…?

「そう言わないでくださいよロクサーヌさん。あの旅の貴重な体験は、ぜひとも本にして後世に残すべきですよ!」
 しかしメイヤーのよく通る声は、疑いようもなく俺の頭に響いた。
「それは吟遊詩人の仕事でもありましてね。こちらからすると商売敵に当たるといいますか」
「えーっ、残す手段は多い方がいいじゃないですか。売り上げはみんなで山分けしますから」
「やれやれ、困った方ですねぇ」
 ポロロン、と再びリュートの音。
 状況はよくわからないが…メイヤーが冒険の記録を本にしようとしているのか。
「あ、フィリーさん!」
「げっ、見つかった」
 振り返ると、懐かしい妖精の姿があった。
 おお、ぬいぐるみが空を飛んでる!
 怒らせるようなことを言ってみたが、フィリーにも俺の声は聞こえないようだ。
「貴方からももう少し話をお聞きかせいただければと」
「もう十分話したでしょ。あれ以上細かいことなんてわからないわよ」
「しかし冒険32日目の朝食のメニューが空白のままでして」
「そんなの覚えてるわけないでしょーがっ!」
「その本、あんまり売れないと思いますがねぇ」
 そりゃ、そんな細かいことなんて読者はどうでもいいよな。まあメイヤーらしいか…。
 三人ともあの時から変わってない。俺の世界と同じ程度の日数しか経ってないのか。
「売り上げよりも記録としての完璧さが重要なのです!」
「今、どれくらい進んでるの?」
「カレンさん、ティナさん、アイリスさんからの聞き取りは終了しました。
 レミットさん、カイルさん、リラさんは非協力的ですが、本音では喋りたそうでしたからもう一押しでしょう。
 若葉さん、キャラットさん、アルザさんは快く引き受けてはくれたのですが、今ひとつ記憶の信頼性が…」
「アホだから当てにならないってわけね」
「そんなハッキリ言わなくても。あとは楊雲さんとウェンディさんが、もう少し饒舌になってくれるといいんですけど」
「人には向き不向きがありますからねぇ。それでは私はこのへんで」
「ああっロクサーヌさん!」
 立ち去ろうとしたロクサーヌから、ポロン、と返事の代わりに弦が鳴る。
「私の歌もじきに完成しますので…。それを聞いてメイヤーさんがメモを取る分には、私も防ぎようがありませんね」
「おお、ではそうさせてもらいます! それじゃ私はもう一度楊雲さんのところへ行きますので!」
 しゅた、と手を挙げると、早足で通りの方へ向かうメイヤー。
 残されたフィリーが、呆れたように肩をすくめる。
「相変わらず忙しいやつねぇ…。ま、本ができるんなら読んでみたいけど」
「あの旅の記憶も日々遠くになりにけり、ですしねぇ」
「まあね。あいつの顔もそのうち忘れちゃうのかな…」
「おやおや。フィリーにしてはセンチメンタルな」
「し、失礼ねっ。ま、そうそう簡単には忘れてやらないけどね!」
 フィリー…。
 フィリーとロクサーヌもそれぞれ別方向へ行ってしまう。何度か呼びかけようとしたが、やはり声は出てこない。
 こんなに近くにいるのに話すこともできないのか…。
 いや、これが夢ではないのだとしたら。姿を見られるだけでも有り難いと思わないといけない。
 メイヤーは楊雲に会うって言ってたな。
 楊雲がどうしているのかは気になる。ついていってみよう。


 メイヤーが向かったのは、石の建物に挟まれた細い通りだった。
 確か最初に楊雲にあった場所。まじない通り…だったか。
『占いやります』
 質素な看板が掲げられた、質素な店の戸をメイヤーが開ける。
 すぐ目の前に、懐かしい黒髪の少女が、瞑想中なのか水晶玉を前に目を閉じていた。
 おーい、楊雲。…楊雲でも聞こえないか。
 中は薄暗いけど、なんていうか人を寄せ付けない暗さというより、神秘的な落ち着く感じがした。
「やあやあどうもどうも」
「メイヤーさんですか…。占いのご用ではなさそうですね」
「そう嫌そうな顔をしないでくださいよ。いいですか、これは歴史的に価値ある試みなのです! そもそも記録というのは…」
 とうとうと喋り始めるメイヤーの言葉を、楊雲は黙って聞いていた。
 我慢強いなぁ…。見ている俺の方が飽きてきた。
「――というわけなのです!」
「メイヤーさん」
「は、はい?」
 石像のように止まっていた楊雲が、不意に立ち上がった。
 正面からじっと見られて、さすがのメイヤーも戸惑いの顔を見せる。
「本当はなぜ、本を書こうと思ったのですか」
「で、ですから歴史的文書は後世のために…」
「それも本音ではあるでしょう。ですがそれとは別の、メイヤーさんの心を知りたいのです」
 え…他に何かあるのか?
 とはいえ何もないのに楊雲がこんなことを言うわけがない。しばらく視線を泳がせてから、メイヤーは観念したように口を開いた。
「だって…あの旅が終わってしまったなんて、寂しいじゃないですか。本にして残せば、いつでも読み返せるかなって…」
 メイヤー…。
(そうか…そうだよな。冒険が終わって寂しかったのは、俺だけじゃなくて…)
 少しだけ、楊雲が微笑んだように見えた。
「わかりました…。私などでよければ協力しましょう」
「そ、そうですか! あの、さっきの話は内密に…私らしくないので」
「私はそうは思いませんが」
「ううう〜、だって恥ずかしいじゃないですか。まあそれはともかく! ではさっそく聞き取りを」
「ですが本日は喋りすぎたので、また後日ということで…」
「いやいやいや! 私の10分の1も喋ってませんよねぇ!?」
「楊雲さま」
 と、部屋の奥から別の人影が現れた。
 確か黄泉の口で会った…影の民の人だ。
「美月、どうかしましたか」
「今日の夕ご飯のおかずを買ってきてください」
「え……私が?」
「たまにはお願いします」
「し…仕方ありませんね…」
「いやちょっとお待ちを! こちらの話が」
「メイヤーさん、でしたか」
 どこまでも落ち着いた口調で、美月さんはメイヤーの方へ向く。
「よろしければ影の民のことも本にしていただけませんか」
「え、いいんですか!?」
「差別をなくすためには、まず影の民のことを知ってもらわねば…。最近そんな話をしていたのです。ね、楊雲さま?」
「その通りだけど、メイヤーさんにご迷惑では…」
「滅相もない! 謎に包まれた影の民の真実を明らかにできるとは、いやあ燃えてきましたよ。では美月さん、さっそくお話を」
「というわけで、楊雲さま」
 促されて、楊雲は少し戸惑いながらも大通りの方へ出ていった。
 うーん、メイヤーのマシンガントークから解放してあげたって事かな?


 通りを少し歩いたところで、すぐに知り合いに出会った。
「あ、楊雲さんだーっ」
「キャラットさん、お仕事ですか」
 色とりどりの花をかかえた向こうから、長い耳がぴょこんと揺れている。
 相変わらずちんまりとした…と思ったけど、前よりは少し背が伸びたかな?
「うんっ。このお花を花屋さんで売るんだ」
「大変そうですね。少しお持ちしましょうか」
「ううん、大丈夫だよ。ボクこう見えても力持ちなんだ」
 そうですか、と呟いて、キャラットと並んで歩き出す楊雲。
「でもありがとね。楊雲さん、最近すっごく優しくなったよね!」
「…前は優しくなかったでしょうか」
「あ、あわわわ。そそそーいう意味じゃなくて、なんか話しかけづらかったなって…」
「冗談ですよ。さすがにあれだけ長く旅をすれば、多少は変わるものです」
「うーん、ボクも少しは変わったかなぁ? リラさんにはまだ子供扱いされるんだけど」
「…リラさんはあまり変わりませんね」
 キャラットが笑い出す様に、楊雲は少し表情を柔らかくする。確かに最初に会った頃とは、ずいぶん変わったと思う。
「やっぱり、この街に来てよかったよ。フォーウッドのボクも、気にしないで働かせてもらえるし」
「そう…ですね。私などは、特にそう思います」
 そういや、すぐに旅立ったからパーリアのことはよく知らないままだったけど、あれだけ色々な連中と一度に会えたんだものな。
 なかなかに懐の深い街だったのか。

「キャラットさん、お店を通り過ぎてしまいましたよ」
「あ、いけないいけない。それじゃね、楊雲さん」
 どちらについていくか一瞬迷ったが、回れ右して店に入るキャラットを追った。
 店の中に、先ほど話していたリラの姿が見えたからだ。
 子供相手に何やら厳しい顔をしている。
「だーかーらー、この似顔絵の客が来たかどうかだけ答えればいいのよ」
「ううう…、そんなのボクわかんないよぅ…」
「あーっ! リラさん、セロのこといじめないでよ!」
「キャラットおねえちゃぁぁぁん!」
 子供だと思ったのは、キャラットの故郷で会った小さいフォーウッドだった。
「べ、別にいじめてないわよ。調査よ調査」
「お花買いにきたんじゃないなら手伝ってよ。そこのバケツに水入れて」
「へいへい。手伝うから質問に答えてよね」
「えーっ、それはダメだよ。お客さんのことはしゅ…しゅひ…なんだっけ」
「守秘義務」
「そう! ペラペラ喋るようなお店なんてリラさんだって嫌でしょ? セロ、そっちのバケツもとって」
「はーい」
 抱えていた花をバケツの水に差していく。キャラットの手って細かい作業は苦手かと思ったけど、こうして見ていると意外と器用だ。
「ちぇっ、なによ大人ぶって。キャラットのくせに」
「リラさんと一歳しか違いませんよーだ」
「え? え? おねえちゃんたちケンカしてるの?」
「あはは、そうじゃないよ。リラさんはいつもこんな感じなんだよ」
 笑って答えるキャラットに、リラも苦笑する。まあ確かに、シビアなはずのリラだけど、道中ではキャラットや若葉に結構振り回されてたよなぁ。
「あーあ、友達のはずのキャラットにも冷たくされるなんて。探偵って辛い仕事よねぇ」
「そんなこと言ってもダメですー」
「おねえちゃん、たんていさんなの? かっこいい!」
「ま、まあそんな大したもんじゃないわよ」
「今は何を調べてるの?」
「…浮気調査」
「そ、そう…」
「おねえちゃん、うわきってなぁに?」
「それは男と女の宿命的な」
「セロに変なこと教えないで!」
 話しながらも、キャラットは花を種類ごとに手際よくまとめていく。確かに一年前のリラと同じくらい、大人になった感じがする。
「はぁ、収穫なしか。それじゃ邪魔したわね」
「ご、ごめんねリラさん。これ、売り物じゃないからあげる」
 差し出されたタンポポに一瞬きょとんとしてから、リラは照れくさそうに花を受け取った。
「バカねぇ、本音じゃ感心してんのよ。ちゃんとした花屋になってんじゃない」
「そ、そうかな。リラさんにそう言ってもらえるとうれしいよっ」
「そっちのチビ助も見習わないとね」
「うんっ、セロもがんばるー!」
 じゃね、と手を挙げて、リラは店を出ていった。
『やれやれ、あたしも丸くなったもんね』
 タンポポを手にした彼女から、そんな呟きが聞こえた気がした。


 リラはどこへ行くんだろう?
 浮気調査の続きをするのかと思ったが、特に聞き込みをするでもなく、街外れの方へ向かっている。
 建物が途切れたところで、金属がぶつかり合う音が響いた。
「おー、やってるやってる」
 誰かが剣を撃ち合ってる!
 遠目に見えるのは金髪の二人。背が高い方と低い方。姉妹か?と近づいてみると…
 カレンとレミットじゃないか!
「えぇーい!」
 カンッ!
「ほらほら、脇が甘いわよ」
 カンッ!
 な、なんで二人が剣で戦ってるんだ?
「やっほー、熱心ねぇ」
「あら、リラちゃん」
「ち、ちょっと、急に話しかけないでよ。訓練中なんだから」
 なんだ訓練か…。周りを見ると、丸太やら棍棒やらが転がっている。
 それにしてもレミットが剣とはねぇ。
「丁度いいわ、一休みしましょ。リラちゃんも用事があるみたいだし」
「いや用事ってほど大したことじゃないんだけどさ。そろそろ体がもなまってきたから、カレンを誘って冒険でもどうかなって」
「そ、そういうことなら私を誘いなさいよ!」
「はぁ? お子様の遊びじゃあないのよ」
「こらこら、そんなこと言わないの。レミットちゃんだって、あの長旅を最後までやり抜いたんだから」
「う…。それはそうだけどぉ」
 えっへん、と胸を張るレミット。以前のような可愛い服ではなく、動きやすい皮の防具を着ている。
「そーよ。そして今はカレンに修行してもらって、もう一人前の冒険者なんだから!」
「レミットちゃんも調子に乗らないの。こんな短い修行でなれるもんじゃないのよ?」
「うう…。はぁーい」
 さすがのレミットも、カレンの言うことは素直に聞くんだな。
 それにしても冒険者目指してるのか。王女はもういいんだろうか。
「って、リラは盗賊やめて探偵始めたんじゃないの? 何でカレンを誘いに来てるのよ」
「いやー、始めたはいいけど、あんまり稼ぎがなくってさあ」
「まあ、基本的に平和な街だものねぇ。でもこの近場じゃあ、ほとんど冒険され尽くしちゃってるでしょ」
「あーいいのいいの、小銭でも稼げれば」
「私も行きたい! 私も連れてって!」
「はいはい、気が向いたらね」
 リラの返事に頬をふくらませるレミットだが、気を取り直してカレンの方を向く。
「カレンはもう、大きい冒険はしないの?」
「この前帰ってきたばかりじゃない。しばらくは落ち着きたいかなあ」
「えーっ、もう結構経ったじゃない。またあんな旅がしたい!」
「若いっていいわねぇ。お姉さん歳だから羨ましいわぁ」
「カ、カレンだってまだ若いでしょっ」
「ふふふっ。レミットちゃんはいい子ね」
「そうそう。もうじき四捨五入すると三十路だからって気にすることないって」
「ふっふっふっ。リラちゃんはいつも一言多いわね?」
「あががが」
 ああ、リラの口がゴムのように広げられてる。思いっきり気にしてるじゃないか。
「そういえばあの時も、この道から旅立ったのよねぇ…」
 街とは反対の方角を向いて、カレンがそう呟いた。
 そうか。この道の先が、次の街であるムランか。
 あの時は右も左もわからず旅立ったけど、このずっと先にイルム・ザーンがあると思うと感慨深い。
「冒険ならまたいつか、魔宝を集めに行ってもいいわね」
「ん、なんか叶えたい願でもあるの?」
「そりゃ、一度くらいは彼の顔を見に行きたいじゃない。二人だってそうじゃないの?」
「あ、あたしは別に…」
「わ、私だってあんなやつ会いたくないもん」
「はいはい。今頃どうしてるのかしらね…」
 優しく遠くを見るカレンの瞳が、今の俺には突き刺さる。
 姉の言葉が思い出される。
 カレンが今の俺を見たら、やはり姉と同じように言うだろうか…?


 そろそろ時間だからと言って、レミットが街へ戻っていった。
「それじゃ私は、少しリラちゃんを鍛えてあげようかしら」
「は、はは、お手柔らかに…」
 リラがどんな目に遭うのかも気になるが、レミットの時間というのは何なんだろう。
 ついていってみると、先方に大量の袋を抱えた人影が見える。
 とたんに駆け出すレミット。
「アイリス! もう、私が行くまで待てって言ったのに」
「で、ですけど姫さまの修業の邪魔をするわけには…」
「もーっ、まだそんなこと言ってんの? ほら、荷物貸して!」
 アイリスさんだったのか。荷物はほとんど食材のようだ。こんなに食べるんだろうか?
「だいたい買い出しなら、力自慢のアルザにやらせればいいのに」
「アルザさんはアルザさんで、薪の準備とか力仕事があるんですよ」
「う、そ、そうなんだ…。もう少し持とっか?」
「姫さまこそ重くありませんか? もう少し持ちましょうか」
「バカにしないでよ。これでも伝説のイルム・ザーンまで行って帰ってきたんだからっ」
「実は私もそうなんです」
 顔を見合わせて、同時に噴き出す二人。考えてみればすごい王女と侍女さんだよな。
 それにしてもアルザも絡んでるとは、みんなでバーベキューでもやるのか?
「そういえばお店で楊雲さんに会いましたよ」
「へーっ、珍しいじゃない。何か言ってた?」
「故郷には帰らないのですね、って。楊雲さんも同じみたいですから」
「………」
 荷物を抱えたまま並んで歩く二人に、少しの間沈黙が降りる。
「…マリエーナからは、何も言ってきませんね」
「い、いいわよもう。悔しくないって言ったら嘘になるけど、戻れって言われてもそれはそれで困るし」
「ですけど姫さま」
「だからその姫さまもやめる! もう私は王女でも何でもないんだから。ただのレミットなんだから」
 少し前に走って、くるん、と振り向きながら、レミットは力強く言う。
「今はまだ口だけだけど、いつかすごい冒険者になって、アイリスを養うんだからね。覚悟しておきなさいよね」
「…はい、姫さま」
「もう、言ってるそばから…!」
「あなたがマリエーナの王女だから、言っているわけではないですよ」
 その時のアイリスさんは、見た目はメイド服だし持っているのは野菜や肉だったけど、それでもそう、何ていうか…
 まるで、一人の騎士みたいに見えたんだ。
「あなたがいつまでも、私の大事なプリンセスだからですよ」


「おーい、おつかれさーん」
 大声のした方を向くと、アルザがぶんぶんと手を振っている。
 その向こうには大きめの建物。あれは…最初にアルザに会ったレストランか。
 ようやく大量の食材の謎が解けた。たぶんアイリスさんはあそこで働いてるんだろう。
「おっ、レミットも手伝ってくれたんか? かんしんかんしん」
「なんで上から目線なのよっ。ほら、持ってきなさいよ」
「おっ、ええリンゴやなあ。…ジュルリ」
「お店の食材なんですから、食べないでくださいね…」
 レミットに渡された大量の袋を、軽々と店内へ持っていくアルザ。アルザも店員やってるのかな? 適任なのかそうでないのか微妙だが。
「それじゃアイリス、私は修行に戻るわね」
「はい姫さま、ケガには気をつけてくださいね」
「ぼ、冒険者がケガなんか怖がってられないわよっ。…でも、わかった」
「おーいレミットー。また今度遊んでなー」
「私は遊んでる暇なんかないのよっ」
 ドアから首だけ出したアルザは、レミットの返事にも気にせずニコニコと笑っていた。
 アイリスさんも店内に入るのでついていく。客はいない…というかまだ準備中のようだ。
「さっき店長が来て、用事あるから少し遅れるらしいで」
「そうなんですか? だったら急いで買い物しなくても良かったかもしれませんね」
 静かな厨房で、食材を棚に納めながら二人の会話。
 振り返った先のテーブルで、あの時アルザが何十皿も平らげていたのを思い出す。この店、潰れないで良かったなぁ。
「にしてもレミットも立派になってきたなぁ。さすがはうちの弟子やな!」
「はい。アルザさんや皆さんがお友達として支えてくださっているお陰です」
「えっ…そんな真面目に返されると困るんやけど」
 アルザ、その人にボケは通じないぞ。
 と、不意にアイリスさんの表情が曇る。
「でも…少し寂しくもありますね」
「そうなん? そら、手がかからんくなったかもしれへんけど」
「それもありますけど、いつか姫さまが冒険に旅立ってしまうということですから」
「…せやな」
 そうか。さすがに次の冒険には、アイリスさんはついていく気はないのか。
 それはレミットのためでもあるんだろうけど…。
「うちもな…。あんまり今の仕事向いてへんかもって思てるねん…」
「そ、そうなんですか? 明るくてお客さんの評判も上々だと思いますけど、食事運ぶだけで自分では食べられへんやん! あんまりや!という感じですか?」
「あはは、アイリスはんモノマネうまいやん、ってそーやなくて」
 アルザは相変わらず笑ってるけど、旅の途中の底抜けの明るさよりは…やっぱりどこか、退屈を持て余しているように見えた。
「もっとおもろいこと探しに行きたい。一つのところで大人しくしてるんは、うちらしくないのかもしれへんな」
「そうですか…。アルザさんも、街を出ていってしまうんですね」
「ん…まあ、そのうちやそのうち」
「でも若葉さんもじきに故郷へ戻るようですし…。カレンさんやリラさん、カイルさんももしかしたら…」
 少し気まずい空気が流れる。
 確かに一生店員として真面目に働く、なんてアルザはあまり想像はできないけど…。
「ま、そんなに暗くならんでもええやん!」
 空元気ではなく、心からそう思ってそうな声が店内に響いた。
「うちはお堅い目標もない。ふらっと出ていくのと同じように、ふらっと戻ってくるわ。そん時はレミットや若葉の土産話、いっぱい聞かせたるって」
「アルザさん…」
 キャラットやレミットと比べて、アルザはあまり変わってない気がする。
 でも、それがアルザらしいのかもしれないな。


「こんにちは〜。パンの配達に参りました〜」
 ドアが開いて、ベルが鳴るのと同時に声。
 懐かしいほんわかした笑顔の若葉が、かご一杯のパンをかかえて入ってきた。
「おっ、ごくろうさん。パンは焼きたてが一番やなぁ」
「はいっ、今日もおじさんの真心がこもってます!」
「ひぃふぅみ…。あれ、若葉さん、一つ多いようです」
「あ、それはわたしが焼きました! アイリスさんに試食してもらおうかと」
「え゛」
 果たして若葉が取り出したのは、見た目は普通のパンだが…。その中身がどんなものかは予想はできない。さすがのアイリスさんも少し後ずさっている。
「ち、ちょっと待ってや、何でうちじゃないん?」
「だってアルザさんは何食べてもおいしいって言うじゃないですか! もっと一般的な意見が聞きたいんです」
「そ、そうですか…。私などでよろしければ…」
「よろしくお願いします! 今回はおじさんに見てもらったので大丈夫です!」
「ああ姫さま、先立つアイリスをお許しください…」
 全然大丈夫と思われてないな。まあ俺も食えといわれたら逃げたくなるが…。旅の途中で生死の境をさまよったことを思い出す。
「えいっ」(ぱくっ)
「どきどき」
「…ええなあ」
「こ、これは!」
「ど、どうしましたかアイリスさん!」
「普通に食べられます! 痛みも痺れもありません!」
「や…やりました! 成功です!」
「料理ってそういうものやったっけ」
 アルザがツッコむが、俺はアイリスさんと同じ気持ちだ。そうか、あの若葉が…成長したなぁ…。
「ああ…おじさん、ありがとうございます。何度も何度も挑戦して、とうとうおいしいパンを作れました…」
「いえ、あまりおいしくはないですけど」
「ええー!?」
「まあ食えるんなら良かったやん。うちにも食わせてやー」
「そうですよ。若葉さん、あと少し修練すれば、きっと立派なパンが作れます」
「は、はいっ! いよいよ私の花嫁修業も最終段階というわけですね」
 そうか、この街には花嫁修業に来てたのか。1年近くも振り回して悪いことしたなぁ。
 あ、でも最終段階ってことは…。
「さっきもアイリスと話してたんやけど、若葉もじきに故郷に帰るん?」
 もむもむ、とパンを食べながら、アルザが遠慮なく聞く。
「は、はい…。そろそろ兄も冒険者学園から戻るでしょうし、私も帰らねばなりませんね…」
「やはりそうですか…。若葉さん、残された貴重な時間、大事に使いましょう」
「アイリスさん…。ううっ、皆様のような素敵な方々に出会えて、わたしはなんと果報者でしょうっ!」
 よよよ、と泣き出す若葉を、アイリスさんとアルザが頭をなでて慰める。
 そうだよな…。
 この世界に残ったとしても、ずっとみんなと一緒にいられたわけじゃないんだな。


「遅くなりましたね。それではお店を開きますよ、ムフッ!」
「あ、店長さん。それじゃ私は失礼しますね」
「いつも美味しいパンをありがとうございます。そちらの店長にもよろしく、ムフッ!」
「はいっ。それでは〜」
 レストランを出た若葉が空のかごを持って歩いていると、前方で誰かが言い合っている。
 耳にやかましい騒ぎ声を聞いただけで、カイルだとわかった。
 もう一人は…旅の途中で若葉と知り合った、確かリリトだっけ。
「何だとう、キサマそれでも魔族か!」
「一応同族だから止めてやってるんだ、この恥さらしめ」
「ケ、ケンカですっ。なりません二人とも、仲良くしないとめっですよ!」
「若葉か…。勘違いするな、こいつと同レベルでケンカするほど落ちぶれてはいない」
「ええい口の減らない奴め。我が計画に同志が増えようというのだ、邪魔をするな!」
「えっ、カイルさんにお友達ができたんですか? おめでとうございます、今日はお赤飯ですね!」
「う、うむ…って、キサマはオレの母親かぁぁ!」
 いや若葉、めでたくはないだろ。大魔王復活のための仲間だぞ。
 それにしてもカイルの奴、まだこんなことを言っているってことは、暁の女神には願いを断られたのか。そのくせ相変わらず元気だなぁ…。
「フッ、まさかヤツが我が同族だったとはな。キサマ達にも隠していたようだが、このオレの目はごまかせん」
「えっ、もしかしてわたしの知っている人ですか?」
「うむ、何をかくそうテ…」
「カイル!」
「う…。ま、まあ、キサマには関係のないことだな」
 何だ? 若葉が知ってるってことは、俺も知ってる誰かなのか。
 言葉を遮ったリリトの、険しい顔が気になる。
「リリト?」
「若葉は知らない方がいいことだ」
「そ、そうなんだ…。でもリリト、わたしのために言ってるなら、必要ないよ?」
「………」
「わたしだって、いつまでも世間知らずのままではいたくないもの」
「若葉…」
 若葉も…何も変わっていないように見えるのに…。
 やはりあの旅を経て、芯の部分はより強くなったのか。
「そう…だな。わかった、ただ向こうが知られたくないかもしれない」
「うん、その場合は仕方ないけど。カイルさん、ついでに聞いてみてもらえないでしょうか」
「なんでオレが…。ま、まあオレはビッグな男だから引き受けてやる」
 意味不明な理由だが、若葉は嬉しそうにお礼を言った。ちょっと面白くなさそうなリリトが話題を変える。
「それより若葉、故郷に帰る日は決まったのか」
「う、ううん、もう少し…もう少し先かな。本当にリリトも来てくれるの?」
「若葉一人では、家までたどり着けないだろうからな」
「えへへ…。それじゃわたしはパン屋さんに戻るね。カイルさん、それではまた!」
「う、うむ」
 魔族二人にぺこりと頭を下げて、若葉は店の方へ戻っていった。
 しばしの静寂の後、カイルの無理した高笑いが響く。
「ハ、ハーッハッハッ! キサマもすっかり骨抜きにされたようだな情けない!」
「ふん…別に恥とは思わないがな。お前と同じように」
 何か言い返そうとしたカイルだが、言葉が浮かばないようだった。


 結局カイルの言う仲間というのは誰なのか?
 大股で歩いていくカイルと、距離を取って同行するリリトについていく。
 カレンと会った方角とは逆側の街外れに、きれいな池が見えてきた。
 その側に、ベランダつきの木の小屋が建っている。誰かがベランダの作業台で何か作っている。あの姿は――
「見つけたぞティナ・ハーヴェル!」
 え、ティナ!?
 大声に驚いて振り向くティナだが、俺の方も驚いた。カイルの仲間ってティナか? 別に耳は尖ってないし、魔族には見えないが。
「え、カイルさん…とリリトさん? どうかしたんですか?」
「クックックッ、とぼけてもオレの目はごまかされんぞ。まさか貴様が闇の眷属だったとはな!」
「私は会ったときから気づいていたが」
「ぬあにい!? それならさっさと言え!」
「なぜ貴様に言わねばならん」
 闇の眷属…って何だろう。よくはわからないが、ティナは人間ではなかったらしい。
 といってもキャラットやアルザがいるのに、人間じゃないから何だって気もするが…。
「あ、あの、リリトさん。そのことを他の人には…」
 しかしティナ自身は、少しうろたえた顔をしている。
「言っていない…が、気に入らないな。若葉に隠し事とは」
「そ、それは…」
「若葉が貴様の正体を知って、態度を変えるとでも思っているのか?」
「…いいえ。ただ、私自身が…」
「コラコラコラ! オレを無視して深刻な話を始めるんじゃぁない!」
 事情はわからないが重苦しい雰囲気だったので、空気を読まないカイルがこういう時はありがたかった。
「とにかく貴様も同類なら、大魔王様の伝説は聞いたことがあるだろう。ともに復活のため邁進するのだ!」
「相手にしなくていいぞ。魔族ですら本気にしてるのはコイツだけだからな」
「キサマー!」
「…あの、カイルさん。前から思っていたんですけど、大魔王を復活させてどうするんですか?」
「へっ? いや、どうと言われても魔族の使命であってだな…」
「言い伝え通りなら暗黒の時代が来て、この街の人たちからも笑顔は消えてしまいます。カイルさんは本当にそれでいいんですか?」
「そ、それはそのう…」
 真面目に返されて答えに詰まるカイル。まあ、そんな深いことまで考えてなかったんだろうな…。
「え、ええい! そういう貴様こそ、闇と瘴気の世が来なくてもいいのか! 光の中で暮らしていては、貴様の体調はそのままだぞ!」
「え…。もしかしてカイルさん、それを心配して…?」
「ちちち違ぁーう! ただ闇の眷属が、こそこそと生きているのが気に食わなくてだな…」
 くすっ、とティナが笑う。ティナの体が弱いのは、彼女の種族と何か関係があったんだろうか。
 教えてもらえなかったのは寂しいけど、若葉たちにも言ってないならよほどの事情があるんだろう。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。何だかんだで、あの旅だって最後までついていけたんですから」
「フン、ならばいい! 邪魔したな!」
 結局何をしに来たのかよくわからないまま、カイルは大股で帰っていった。
 壁に寄りかかって眺めていたリリトが、身を起こして話を続ける。
「まあ、あいつも何か目的が欲しいだけなんだろう。どうせ大魔王なんていないし、闇の時代も来ないから心配するな」
「そうですね。…リリトさんは、これからの目的は?」
「とりあえず若葉を故郷まで送り届けて、その後はそれからだな」
「では、若葉さんに話すとしたらそれまでの間ですね。アルザさんもレミットさんも、いつか旅立ってしまうでしょうし…」
 ティナの手が、作業台の上の何かを撫でる。
 その時ようやく、それが人形であることに気付いた。ざっと見て10以上はある、片手サイズの人形。
 若葉、アルザ、レミット、旅の仲間たちだ。カイル、アイリスさん、リラ、キャラット、カレン、メイヤー、楊雲、ロクサーヌ、フィリー、ウェンディ、ティナ自身、そして…。
「皆さんが私の正体を拒絶するとは思いません。ただ、私自身が受け入れたくないのかもしれません」
「確かに、余計な波風を立てることもないな。差し出がましいことを言ったかもしれない」
「いいえ…だってやっぱり、少し後悔しているんです。二度と会えない人と、隠し事をしたまま別れてしまったこと」
 そして俺の人形に、ティナは優しく手を触れた。
「異世界から来たという人間か。私はよく覚えていないが、二度と会えないと決まったわけでもないだろう」
「そう…でしょうか」
「魔宝とかいうのがあるんだろう」
「そうですね…。きっと皆さん、いつか懐かしくなって、また同じ旅をするかもしれませんね」
 どきり、とする。カレンに続いて、ティナもそんなことを言う。
 そうだ。暁の女神がいる以上、俺の世界にみんなが会いに来る可能性はゼロじゃない。
 その時に、姉の言う通り空っぽの俺は、どんな顔をして会えばいいんだ?
「その時に、私もこの血と決着をつけないと。こんな顔では、あの人に会う資格もありませんから」
 やめてくれ…。
 ティナの透き通った笑顔が、今の俺には重くのしかかる。
 資格がないのは俺の方なのに。


 リリトは立ち去り、ティナは人形作りを続ける。
 俺は何もできず、その場に立ちつくしていた。
「よし、完成」
 ちょうど出来上がるところだったようだ。13体の人形を紙袋に入れ、それを抱えて家を出る。
「ウェンディさん、気に入ってくれるかしら」
 ウェンディに頼まれていたのか。
(ウェンディ…)
 俺の心に暗い考えが浮かび始めた。
 そうだ、ウェンディはどうしてるんだろう。
 他のみんながそれぞれの形で前を向いている中、あいつだけは俺と同じように、立ち止まっていたりしないだろうか。
 もしそうなら、今の俺も少しは正当化されるんじゃないか。
 そんな、情けない考えが…

 ティナが向かったのは、街中の小さな教会だった。
 庭の方から賑やかな声が聞こえたかと思うと、子供が何人か走り出てくる。
「あっ、ティナおねーちゃん!」
「こんにちは、ウェンディさんはいますか?」
「いるよー! 入って入って!」
 幼稚園?…じゃないか。礼拝堂の壁に『孤児院』という小さな看板が掛かっていた。
 ウェンディがこんなところに? まさか孤児になったのか?
 疑問に思いながら、俺も庭の方へ向かうと…

「こらっ、ケンカは駄目っていつも言ってるでしょ。おもちゃは仲良く使わなくちゃ。
 あ、ティナさんいらっしゃい。すみません、ちょっと待ってください」
「いえいえ。いつもお仕事大変そうですね」
「はい。でも私なんかでも、必要としてもらえるから…」

 ウェンディが。
 あのウェンディが、一生懸命子供たちの面倒を見ていた。
 泣き出す女の子を元気付け、わがままを言う男の子をなだめて。
 忙しそうに走り回りながら、それでも昔の拗ねた姿はみじんもなくて、優しく笑っていた。

「ウェンディおねーちゃん、ボクのおもちゃはー?」
「ああっだから順番にね? また何か作ってあげるから…」
「ウェンディさん、このまえ話していた人形持ってきたんです」
「本当ですか!? ありがとうございます! ほら、みんなもお礼を言うのよ」
「すごーい、お人形がいっぱい! ティナおねーちゃんありがとー!」
 紙袋から出てきた人形たちが、次々子供に渡される。特にウェンディ自身とティナ自身の人形は、似てる、そっくり、と、大きな笑い声が響き渡る。
 最後に取り出された人形に、ふとウェンディの手が止まる。
 俺の人形だった。
 何を思っているのか、外からはわからないまま、それも子供の遊び道具になった。
「ふぅ…。これで一息つけそうです」
「お疲れさまでした。破けたりしたら直しますから言ってくださいね」
「あ、ありがとうございますっ。本当に、いつもティナさんには助けてもらってばかりで…」
 庭で遊ぶ子供たちを見守りながら、ウェンディの胸の前で両手が合わされる。
「ティナさんだけじゃない。カレンさんやアイリスさんはいつも手伝ってくれるし、リラさんやレミットさんも口は素直じゃないけど気にかけてくれるし、他の皆さんも…」
「ウェンディさんだからですよ。本当に昔とは変わりましたよね」
「…そのう…昔は嫌な態度を取ってしまって、色々とすみませんでした」
「い、いえ、別にそんなつもりじゃなくて」
「本当に変われたのか、自分でも自信がないんです。今でも傷つきそうになると、また逃げてしまいそうになって」
「でもウェンディさんは、あの冒険を最後までやり遂げたじゃないですか」
「はい…。みんな私を見捨てずに、一緒に歩いてくれました」
 そうだ…。
 旅の最中は色々と不平も言っていたウェンディだけど、あの空中庭園で、最後に別れる時には言ってくれたじゃないか。
『今までいろいろと、ありがとうございました』
 あの時にはもう、会った頃のウェンディじゃなくなってたんだ。
 それなのに俺は、俺というやつは…。
「ウェンディおねーちゃん、これはだぁれ?」
 子供の一人が、俺の人形を掲げる。
 ウェンディは懐かしそうに目を細めてから、笑顔で言った。
「お姉ちゃんのお友達…。今は遠くに行っちゃったけど、きっと向こうで頑張ってると思うから…だからお姉ちゃんも頑張れるの」

 駄目だ。
 これ以上耐えられない。俺はこの世界にいちゃいけない。
 逃げだそうとしてきびすを返したとたん、目の前に人影がぬっと現れる。激突しそうになったが、実体のない俺はそのまますり抜けた。
 いつも突然出てくる吟遊詩人が、いつの間にか背後に来ていたのだ。
「やあやあウェンディさんにティナさん。お揃いのようですね」
「ロクサーヌさん、どうしたんですか?」
「メイヤーさんにせっつかれまして、早く歌を作らなければならなくてですね。作成途中ですが聞いていただけませんか」
「はいっ、それはもちろん! 子供たちも喜びます」
「ねえねえ詩人さん、何のお歌なのー?」
「そこのお姉さん二人と仲間たちが繰り広げた、それは素敵な冒険の物語ですよ」
 子供たちから歓声が上がり、人形を手に集まってくる。
 ティナとウェンディも微笑み合い、庭の芝生へ腰を下ろす。
<ポロロン>
 リュートの音とともに、吟遊詩人の歌が空の下へと流れ出した。

「これは長い長い冒険の詩。
 五つの魔宝と、願いを叶える伝説の女神。
 そして異世界からの迷い人との、出会いと別れが織りなす永遠の旋律――」


 俺は動けないまま、ただその歌を聴いていた。
 みんなと歩いた道。色々な街や住人。洞窟や遺跡に、たくさん戦った魔物。アルバイトや食事、たくさん喋ったこと…
 その風景が、旋律に乗って次々と流れていく。
 そうだ。
 これらはもう、過去のことなんだ。
 吟遊詩人が物語として歌ってしまうような。

 風景はいつしか、最後に見た空中庭園に変わっていた。
 青空は周囲全体に広がって、でもその色はパーリアの街と変わらない。
 そして動いているのは一人だけ。
 歌い終えたロクサーヌが、顔を上げ、はっきりと俺を見ていた。
「…ロクサーヌが、俺を呼んだのか?」
「いえいえ、しがない吟遊詩人にそんな力はありませんよ。あなたがどうしても来たかったのではないですか」
「俺にだって、そんな奇跡は起こせないだろ」
「でも、一度は起こしていますからね。それにあなただけではなくて、みんな本当は、また会いたいと思っているのでしょうね」
 そう言って、ロクサーヌはやれやれと肩をすくめる。
「全くフィリーときたら、毎日のようにあなたの話ばかりしていましたから。やれご飯はちゃんと食べているのかとか、病気はしていないのかとか」
「はは…。フィリーらしいな」
 でも本当に、ありがたかった。元の世界に帰っても、みんなとの繋がりが消えたわけじゃなかった。
 そんな簡単なことに、どうして気付かなかったんだ。
「フィリーに、みんなに伝えてくれよ。俺は元気でやってるって」
「それは事実と思ってよいのですか?」
「ああ…これから事実にするよ」
 ロクサーヌは…いつも微笑んでる記憶しかないけど。
 その時は本当に、心から笑っているように見えたんだ。

<ポロロン…>

 風景が、リュートの音が、だんだんと薄く、遠ざかっていく。

「さようなら、お元気で」

 ああ…これで本当に、お別れだ。

「でも、また会える可能性も捨てることはないと思いますよ」

 うん、そんな未来を夢見るのは許されると思う。
 だから俺は、いつでも待ってる。
 みんなが帰してくれた俺の世界を、そこに暮らす人たちを、今度は俺が案内できるように――



*        *        *




 昇ったばかりの朝日が、遠いビルの脇から光を放つ。
 新聞を取りに玄関を出ると、姉がジョギングから帰ってきたところだった。
「あら、ずいぶん早いじゃない」
「ちょっと目が覚めちゃってさ。もうすぐ試験も近いし」
「ふーん…」
 あくびをしながら家の中へ戻る。何も変わらない、魔法も冒険もない日常。
 でも、することはたくさんあった。勉強もしなきゃならないし、部活にも復帰しないと。ずっとサボってたから顔を出し辛いけど、なあに海賊王や守護者に比べたら、部長に怒られるくらい何ともない。
「何かあった?」
 姉が牛乳を飲みながら聞いてくる。
「昨日話した人たちにさ、力を分けてもらったんだ」
「力?」
「うん。何ていうか、どんな世界でも、夢を見られる力…みたいなものを」
「何か話してきたの」
「いや、話はできなかった。もしかしたらあれも夢だったのかもしれない」
 本当は俺の作った妄想で、みんなは別の生活をしているのかもしれない。
 それでも…

「それでも、遠くにいても、きっと元気でやってるって信じられる。
 話せなくたって、遠くにいたって、そのことは届くし、力になる。
 俺も届かせたいし、力になりたい…そんな風に思うのは、変かな」

 また、訳のわからないことを言っていると思われただろうか
 そんな心配をよそに、姉はぽんぽんと俺の頭を叩いてくれた。
「変じゃないわよ」

 遠くにいるあの人たちに、何か届けられるように。
 ロクサーヌみたいに歌声とはいかないけど。


「行ってきまーす」
 鞄を持って玄関を出る。向こうの世界と同じように、この世界にも日は輝いてる。
 あの冒険をしたことも、そして戻ってきたことも、かけがえのない人生の一部。
 今の俺には、そう信じられたんだ。







<END>




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