Web Masterの独り言コーナー

このコーナーはWeb Masterの独り言として軽く捉えて、けっして真面目にならないで下さい。あくまでも独り言です。このところ励ましのメールも多々頂くようになり、いろいろとコメントを読みたいとのご希望もあり継続しています。もちろん話題は廣田龍人さん関連のことしかありません。あしからず。


英国大衆新聞 [THE Sun]:

このホームページThe Badboysコーナーでお話しした英国の日刊大衆新聞 [THE Sun]についてです。

1974年にThe BadboysがSLADEの前座で演奏し、その存在がTHE Sunに紹介されました。Web Masterは何とかその記事を入手したくロンドンにあるTHE Sun <正確にはNews Group Newspapers Ltd.>に連絡をし、滞在中の昨年11月にロンドンで紙面のコピーを頂く予定でした。

とっかかりは良かったのですが、一般に閲覧できるマイクロフィルム(普通、新聞社はこの形態で以前の新聞などを保管してある。)を何とTHE Sunでは持っておらず、指定された日付の新聞をコピーしてくれるとのことではないですか。さて、困ったのは日付が分からない!早速、日本のリッキー氏にメールを出しても「日付まではわからん。」とのこと。

日付が分からないと、THE Sun側で職員が時給ベースで探し、コピーをしてくれるサービスを依頼しなければならず、ある程度の目星をつけないと、延々と探されてしまいへたをするとその職員の日当を払う羽目になってしまうのです。

折角、後一歩の所までこぎつけたのですが、どなたか日付をご存じなら是非一報を下さい。と言っても、むりでしょうね?


リッキーのビートルズサウンドに惹かれる:

なぜWeb Masterはいまだにリッキーの演奏するビートルズサウンドを追い求めているのでしょうか?長年の不思議であったのですが、最近ようやくその答えが分かってきたような気がします。その分析のプロセスは以下の通り。

その1:Web Masterはリッキー以外のミュージシャンの演奏するビートルズ曲には関心がない。

その2:ビートルズ以外のアーティストの曲を演奏するリッキーには関心がない。(本人のオリジナル曲は別)

その3:ビートルズの生演奏を聴くことが(永遠の)夢である。

つまり、もちろんビートルズは現存しないわけで、コピーバンドは星の数ほどあれど、本当のコピー(物まね)であってそれ以上のものではありません。単なるテクニックやコーラスだけならばなにもビートルズを演奏する必要はありませんものね。

すると行き着くところ、リボルバーと言うバンドのリズムと音に乗って歌われるリッキーのビートルズが良いのであって、それ以外の何物でもない訳です。そこにはコピーではなく、リッキーによる解釈のビートルズ曲・サウンドがある訳です。

今、リボルバーを追いかけている人々はそう言ったところが、どこかあるのではないでしょうか。ですから、リボルバーのコピー演奏しているビートルズ曲では決してなく、「リッキーの歌うビートルズ」なのでしょう。これまで、幾度と無くビートルズコピーバンドの演奏する物まねビートルズには出くわしました。でも、決して感動はいたしませんでした。後にも先にもリッキーだけなのです。

ビートルズコピーではなく、もう少し深く広く捉えて、「リッキー(廣田龍人)の歌うビートルズ曲」として聴いてもらえればより多くの人々の理解を得れると強く思うのですが.....。いかがでしょうか?ビートルズはビートルズで素晴らしいのです。でも、今ビートルズサウンドを充分解釈した上でアレンジして、迫力を持って、繊細に、ビートルズの心を歌い上げることのできるライブミュージシャンを他に知ってますか?


バッドボーイズ結成30年:(99/05/16)

良〜く考えると、今年1999年はあのバッドボーイズ(フルメンバー)結成後30年なのです。レコードデビューからは26年ですが。

結成30年の記念演奏会でも出来るといいんですが.......。今度、リッキー氏に尋ねてみましょう。とにかく、これを機会に彼らの足跡をさらに追って、記録としてこのホームページに残していきたいと思います。


リッキーの英語で歌うビートルズ:(99/03/08)

リッキーの歌う曲もさることながら、英語でのシャウトはいつ聴いても惚れ惚れしますね。一つこぼれ話をここで。バッドボーイズ全盛期の当時、東京・青山にあったVAN99ホール(現在のブルックス・ブラザーズの右隣あたり)で行われたコンサートでは、趣向がいつもと少々異なり、会場入りしても雰囲気がちょっと違っていました。おそらくエド・サリバンを意識したか、ステージ司会者が何と外人で英語のイントロから演奏開始、途中メンバーとのトークが英語で入り、観客としては緊張気味に見ていたのですが、メンバーがしどろもどろしていたことが、今は懐かしいですね。今リボルバーのステージを見ていると、時折外国人の聴衆がいたりして、リッキーに演奏についてや、あのリードギタリストは誰だと尋ねたりしてますね。リッキーの英語は立派なもので、きちんと説明しています。いつ学ばれたのか、古いファンの一人としては何となく謎であります。ちなみに、先日小生の学校の後輩(カナダ人)もRickyの発音は問題ないとキャヴァンクラブのソロでのビートルズステージ見ながら興奮気味に申しておりましたっけ。オーストラリアで演奏したり、今度香港でも計画しているとなると、やっぱ英語は必要ですよね。


リッキーとMC<ステージトーク>:(99/03/06)

リッキーのステージをご覧になられた方ならまず、「あまりしゃべらないミュージシャンなんだな〜。」と思われることでしょう。実は小生も過去から現在まで同じ気持ちです。もちろん、今は昔よりジョークや日常起きる身の回りのことなどをかなり話しています。たまたま先日のステージでは、リッキーはその事に触れて「リボルバーは、あまりしゃべらず、口数が少ないバンドだと言われますが、だからこそ良いとのコメントを先日もらいました。ビートルズも日本公演にしてもハロー、グッドイーブニング、次の曲は.....程度でしたよね。」と。確かに、聴きに行っているのはステージトークやコントではなく、音楽演奏なのですね。そう言えば、ビートルズも時折あったジョンのステージ上でのおふざけ以外は演奏のみを徹底的にこなしましたね。無駄口は少なかったですね。(ハンブルグ時代はおしゃべりはまったく無駄の空気・雰囲気がクラブにあったし、ドイツ語で曲は歌えてもジョークまでははおそらく難しかったでしょう。また、その後のビートルズの公演では、ステージから何を語っても、ジェット機のエンジンに向かって叫んでいるようで、無駄だったのでしょうね。)もっとも、インタビューはまったく異なり、すごいの一言ですよね。まあ、よくもあれほど、見事に単発的にジョークを交えやり取りできたのか.....。と言うことで、ビートルズのステージトークがほとんど無かったので、(練習する必要も無かったのか?)、バッドボーイズ時代もおしゃべりは本当にほとんどありませんでしたね。次回のコンサートの宣伝などは別でしたが。最近との違いといえば、当時はコピーに徹底していたので、ビートルズ日本公演カバー演奏時にリッキーは、ビートルズの短い曲紹介部分を取り込んでいましたよ。さすがでしたね!


リッキーの新CDアルバム<ジャケット裏表紙>:(99/01/07)

リッキーのニューCDアルバム「Challenge」を昨年のクリスマスから毎日のように聴いています。Webmasterは7曲目の「会いたい」が今は特に気に入っています。TV番組のバックに流れても充分いけると思います。曲の感想はまたの機会にじっくりするとして、今回はアルバムジャケットの写真について少々述べさせて下さい。

アルバムジャケットというものは昔のアナログLPレコードで言うA面・B面に似たところがあり、表紙には目立つインパクトの強いものを持ってきます。裏表紙にはなかなか味のある写真や絵や文章を書くアーティストがおります。現在CDアルバム全盛の時代、裏表紙は外見からのものとライナーノーツ(歌詞カード)部分のもの2種類ありますね。今回の「Challenge」でWebmasterが最も気に入ったショットは、ジャケット裏表紙すなわちライナーノーツ部分の裏のこの写真!

素晴らしいショットだと思いませんか?リッキーの隣に写っている人は菅谷さんといって、1997年の夏まで10年間ほどリッキー所属音楽事務所のミュージックハウス・モズでリボルバーのサウンドを裏で支えてきました。今回のニューCDアルバムのプロデューサーもされて、リッキーの信頼も抜群でそのあたりは写真そのものが証明してますね。(菅谷さんご本人とお話しすると、アーティスト・廣田龍人さんへの思いがひしひしと伝わってきますよ。)

リッキーは写真では柔らかい笑顔をなかなかされない方なので、貴重なショットですよ!まずはCDを買ってみて〜!


バッドボーイズ未リリースのオリジナル曲:(98/12/23)

いやはや、世の中知らないことはいろいろとあるもので...。このページでバッドボーイズのオリジナル曲について論じてあるのですが。実は未リリースのオリジナル曲も、やはりいくつかあったことが最近判ってきました。(やはりあるとは思っていたのですが。)このきっかけは、小生のお友達リンクでも登場されている国立リバプールの江戸茶利番さんからの情報提供でした。

例えば「渚の二人」(唱い出し:早くおいでよ〜)があります。リッキー氏ももちろんご存じで、「あれはなかなか良い曲だったよ」と先日回顧されていました。あの口ぶりですとまだまだありそうなので、調べたいと思います。

では、その曲がいつ何処で演奏されたかですが。バッドボーイズのページを参照して下さい。(江戸茶利番さん、情報のご提供ありがとうございました。)


10年ほど前のスケジュール:(98/12/13)

先日書類整理をしていたら10年ほど前のリボルバーの月間予定表がひょっこり出てきました。ほとんど捨ててしまっていたのですが、もっととっておけば良かった(まさかホームページに使えるとは当時夢にも思っていなかったもので)。

新しいファンの人々にご参考まで載せてみます。

1989年2月:リボルバー月間スケジュール
3:六本木ロリーポップ(Beatles)
6:六本木キャバンクラブ(Beatles)
7:横浜フライデー(Beatles)
8:新宿キャロルハウス(Beatles)
9:池袋ロコモーション(Beatles)
13:横浜フライデー(Beatles)
16:渋谷EGG-MAN(オリジナルLive)
20:六本木キャバンクラブ(Beatles)
21:六本木キャバンクラブ(Beatles)
23:赤坂ロリーポップ(Beatles)
26:岡山ケントス(Beatles)
27:名古屋スタークラブ(Beatles)

コメントとして「涙のノーリプライ」が有線チャートの六本木地区で13位にランクインしたことなどが載っています。

いや〜懐かしいですね。池袋ロコモーションはライブハウスとしてはステージ前面に踊り場があり、酔って踊れてとても良かったのですが。当時はバブル期で、入れたてのボトル(HAIG)を2〜3杯飲んだだけで3ヶ月経過し、おじゃんになりました。でも、店への投資でしたが...。


涙のノーリプライ[広東語版]の怪:(98/12/9)

あることを突然思い出しました。

以前、リッキーがステージから「僕は人の曲(もちろんビートルズのこと?)を数多く演奏し歌って来ていますが、ぜひ他の人にも僕らの曲を演奏して貰いたいものですね。」と話していたことを思い出しました。実は、それがあるのです。今から5年ほど前になるでしょうか、年中仕事で訪問していたアメリカ・サンフランシスコで。

中華系の料理が好きな(というより病的に好きな)小生は、毎回立ち寄るサンフランシスコの中華街で、いつもの総菜屋で焼売・チャーシュー饅頭なんぞをテイクアウトで注文し、待たされておりました。「アメリカなのに英語が通じないとは、まったく一体何という地区なんだ?!」などと焼売を箱に詰めていたおばさまの顔をしげしげと眺めていた時、何とリボルバーの(廣田龍人・作詞/作曲)涙のノーリプライ(リメイク版)が聞こえて来るではありませんか、それも広東語で!(小生は昔、香港の人が数カ月学生時代にルームメートになったこともあるので広東語か否か程度は判ります。)何度も何度もCDを聞き返し、自分でもコピーしギターで弾いた、そう涙のノーリプライが!「銀色のハイウェイ〜」の部分になったときどうしたらいいか判らず、とにかく誰かに訴えたく慌てふためき、「おい、みんな!これ廣田龍人の曲だぜ!」と言いたく回りを見ても、中年のチャイニーズの人々が下を向き黙々と粥をすすっているか、甘ったるくしたコーヒーに菓子パンをほおばっているかで、どっちらけでした。その時、そうだリッキーに一枚話の種に買っていこうと思ったのですが、あっ!ここは香港ではないんだと気づき、寂しく後ろ髪を引かれる思いでサンフランシスコを後にしてサンノゼへ車を走らせたのでした。

ああ、あの時時間が有れば、チャイニーズ向けのレコード店で探せば良かった。でも広東語のタイトルも判らないし、店先で歌いだしでもしたら、頭おかしいと思われるしと、諦めたことを後悔しきり。どなたかその広東語版知りません?知りませんよね。


ミュージシャン・廣田龍人氏へもっと光を!:(98/12/9)

リッキーの演奏をこうも長年聴いてくると、飽きるよりも体の一部のように感じる今日この頃です。休まず演奏を続ける氏のほうが大変なのは言うまでもありませんね。私には、夢があるのです。ミュージシャン・廣田龍人に光をあて、何とか手の届かない所へ押し昇らせたいと。いかがです皆さん?えっ、手元にいて欲しい。いや〜それもわかりますけどね。


リッキーのビートルズサウンドを認識する機会を与えられない若者達:(98/12/9)

時折思うのですが、リッキーがその昔バッドボーイズのステージでジョンと呼ばれていた頃、(ええ、そういう小生も見上げるステージに向かって叫んでおりました)回りで鑑賞している中には中高校生なぞも太陽の下に大勢おりました。今ビートルズコピーをしている、あるいはしたいアマチュア演奏家は日本全国に大勢いますね。その筋のコンテストなぞも多く開催されていますね。でも、彼ら(男女)が今リッキーの筋金入りのビートルズサウンドを聴く機会は、果たしてあるのでしょうか?彼らはあくまでも昼型の人たちで、夜のライブハウスで演奏を夜中まで聴くことは難しいでしょう。もっと、昼間の演奏を見せられる場を増やすことできませんかね。先日の東京・大丸百貨店のように。テレビは良いのですけどね。希望通りにはなかなか。う〜ん。


リッキーのビートルズサウンドへの姿勢:(98/12/9)

普段いとも簡単にビートルズ曲をサラサラと演奏しているように見えますね。小生、これまで何度かリッキーのリハーサルを見たことがあるのですが。特に印象深かったのが、10年ほど前ですか、マジカルミステリーツアーのビデオが出たころです。あるイベントがあって、バスに乗って最後は六本木のキャヴァンクラブでリボルバーの演奏との趣向。小生はそちらのイベントには関係なく、音楽業界にいた親戚がリボルバーの演奏があると教えてくれ、早めに入らせてもらい音合わせをゆっくりと見ておりました。その時のコーラス合わせ...。ああ、判っちゃいるけど、この人はマジで厳しく、本気なんだな〜と。つくづく感じました。ただ尊敬。


好評なら今後も続けていきますね。


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