今は離れて暮らしている私の2人の娘へ。
14歳の御誕生日と中学二年生への進級おめでとう。今年はプレゼントのリクエストがパソコンで、そういう歳になったか、と感慨深いです。これからの1年が、2人にとってよい年でありますように。
その日、たまたまいつもよりかなり早く目が覚めてしまった岡田誠司は、彼
の十七年の人生においてかつてない早い時間に登校した。
「おお、一番乗り」
教室を見渡してつぶやく。一晩中締め切られていた教室は少し空気がよどん
でいたので、新鮮な空気を求めてベランダへ出た。ベランダに腰を下ろすと、
吹き抜ける風が心地よくて眠気がきざしてくる。
ふいに、教室の扉が開く音がした。びくん、となって目が覚める。窓から教
室の中をのぞきこむと、一人の女子生徒がいた。名前なんだっけ、と処理速度
が大幅に低下した頭で考える。そうそう、たしか水谷清美。
彼女は自分の机に鞄を置くと、教室の後ろに並ぶロッカーへと向かった。ロッ
カーの前で立ち止まると、ぐるりと周囲を見回す。誠司は反射的に窓から首を
引っ込めてしまった。人目がないことを確認するかのような仕草。なんだか挙
動不審だ。
誠司がもう一度、そっと中をのぞきこむと、清美はロッカーから白い布を引っ
張り出していた。立ち上がって、手にした白い布を顔に近づける。
そのまま、一度大きく深呼吸。息を吐ききったところで、彼女はおもむろに
その白い布に顔をうずめた。
「!?」
誠司は、思わず出そうになった声を、なんとか飲み込んだ。驚愕で眠気が一
気に吹き飛ぶ。何? 何してんの?
清美の肩が、ゆっくりと規則正しく上下する。ときおり、白い布にうずめた
顔がもぞもぞと動いた。誠司は、そんな彼女から目を離せない。見ていると、
どんどん鼓動が速くなっていく。
どれくらいそうしていただろう。唐突に、始業三十分前を報せる八時のチャ
イムが教室に響き渡った。はっと我に返る誠司。そのチャイムを合図に、清美
はゆっくりと白い布から顔を上げた。
彼女の目はとろんと半開きで、頬は上気し、口元は締まりがなく、なんだか
ぼうっとしていた。その表情は、誠司の中の男性の部分に直接一撃を叩き込む
ような、強烈な衝撃を彼にもたらした。
清美は白い布をロッカーにしまうと、少し歩きにくそうにしながら教室を出
て行った。誠司は音を立てないように注意しながら、ベランダから教室の中へ
と戻った。扉から顔だけを出して廊下をうかがう。清美がトイレへと入ってい
くのを確認すると、彼女が白い布を取り出していたロッカーへ取って返す。
ロッカーの持ち主は清美ではなく武下という男子生徒で、白い布は体操服だっ
た。
清美はそれから十分ほど、トイレから出てこなかった。誠司は五分ほど、ト
イレの個室にこもった。
翌日から、誠司の登校時間は大幅に早くなった。クラスの誰よりも早く登校
し、ベランダに身を潜め、清美の登校を待つ。
そうやって毎日のぞき続けた結果、彼女の行動パターンを把握することに成
功した。武下の体操服は、週末に持って帰る以外はロッカーに置きっぱなしの
ようだ。彼女は毎日朝八時三分前に登校してくる。そして、八時のチャイムが
鳴るまでの三分間、例の行為にふけるのだった。
彼女はどうしてあんなことをするのだろう? 時折、その疑問が頭をよぎる。
好きな相手の縦笛をこっそりぺろぺろするようなものなのだろうか。縦笛をぺ
ろぺろするのではなく体操服をくんかくんかするのは、ニオイフェチだからだ
ろうか。ニオイフェチということは、ニオイに関しては一家言あり、普通の人
には嗅ぎ分けられないような微妙な違いまでわかったりするのだろうか。
例えば、武下の体操服をこっそり他人の物とすりかえておいても、ニオイで
気づいたりするのだろうか。
思いついたら、どうしても試してみたくなった。
誠司のクラスで体育の授業がある曜日は月火木なので、始業前のロッカーに
体操服があるのは火曜日からになる。翌週の火曜日の朝、誠司は計画を実行に
移した。
武下のロッカーから体操服を取り出し、たたみ方を確認する。自分の体操服
を同じようにたたみ、武下のロッカーに入れる。体操服は洗いたてではなく前
日の体育で使った物なので、自分の体臭が移っているはず。
ベランダに移動して清美を待つ。八時三分前、いつも通り彼女が登校してき
た。ロッカーに向かい、体操服を取り出す。果たして彼女は気づくのか。誠司
は息を詰めてその瞬間を待ち構える。
清美が、体操服に顔をうずめた。
しかし、何も起こらない。何も起こらないまま、時間が過ぎていく。結局、
いつも通りの三分間が過ぎ、チャイムが鳴った。
彼女が教室の外へ消えた後、誠司は体操服を元に戻した。彼女が体操服のす
りかえに気づかなかったのにはいささかがっかりしたが、誠司の体操服を武下
の体操服だと思い込んでうっとりくんかくんかしているというシチュエーショ
ンは、彼を激しく興奮させた。
その後も毎朝体操服をすりかえたが、清美の反応に変化はなかった。そして、
金曜日の朝。
清美は例の行為にふけり、誠司はそれをのぞいている。自分が手にしている
体操服が誠司の物だと知ったたとき、彼女はどんな顔をするだろう、と誠司は
想像する。想像すると、興奮で頭がくらくらしてくる。
見てみたい。そのときの彼女の顔を見てみたい。
誠司は何かに導かれるように立ち上がり、扉を開け、教室に踏み込んだ。
体操服に顔をうずめた清美の肩が、びくりと震える。そのまま数秒。やがて、
彼女はゆっくりと顔を上げると、誠司に背中を向け、口を開いた。
「見てたの?」
「うん、見てた」
「やっぱり」
「僕がいるのに気づいてたの?」
「確信はなかったけど、机に鞄があったから、もしかしたら、って」
「そっか。うっかりしてた」
しばしの間。
「こんなことして喜んでるなんて、私、変態だよね」
「なら、それをのぞいて喜んでた僕も、変態だ」
「そうだね」
背中越しではあったが、誠司には彼女が笑ったように見えた。誠司は、思い
切って聞いてみた。
「水谷さんて、武下のこと、好きなの?」
緊張しながら彼女の答を待つ。
「そうね、たぶん。キライならこんなことしないだろうし。でも、どこまで真
剣に好きなのかは、ちょっと自信ない」
「そうなの?」
「私ってほら、変態だから、ずっと男の子のニオイに興味があったの。順番と
しては、先に男の子のニオイを嗅ぎたいっていうのがあって、誰がいいか考え
た末、武下君、と。彼ってほら、女子に人気あるじゃない。私もまあ、悪くな
いな、とは思ってて。で、実際にニオイを嗅いでみたら、わりと相性よかった
みたいで」
「相性?」
彼女はくるりと誠司の方を向いた。口元には、笑みが浮かんでいた。
「体のニオイを好ましいと感じる相手とはセックスの相性もいいって話、聞い
たことある?」
彼女が口にした「セックス」という言葉に、誠司の心臓が跳ねる。
「初めて聞いた」
「あるみたいよ、そんな説が。だからね、体操服のニオイを嗅ぎながら考えて
るの、そういうこと」
「そうなんだ」
「そう」
「……実は、水谷さんに言わないといけないことがあって」
「何?」
「水谷さんが今手にしているそれだけど、武下のじゃないんだ」
清美の体がこわばり、目が大きく見開かれる。
「僕がこっそりすりかえといた」
「いつから」
「今週の火曜日から」
「……誰の?」
誠司は、おずおずと自分を指差した。
清美の体がぐらりと揺れ、彼女は小さなため息をついた。ひどくなまめかし
いため息だった。そのため息は、目の前にいる女の子にも性欲があることを、
誠司に思い知らせた。
「そうだったんだ。なんかね、違うなとは思ってたの」
「そうは見えなかった」
「違うなとは思ってたんだけど、でも」
彼女は目を伏せた。
「よかったの。いつもよりいいニオイだったの。だから」
二人の距離が縮まる。清美は両手で誠司のシャツの前をつかみ、彼の胸に顔
を押しつけた。大きく息を吸い、吐く。彼女は、濡れた声で彼にささやいた。
「私たち、そっちの相性、いいと思うよ?」
二時間目の授業中。私こと水谷清美は戦いのさなかにいた。
尿意との戦いである。
今日は、この秋一番という冷え込み。加えて、さっきの休み時間にお茶を飲
んでしまった。お茶に含まれるカフェインの利尿作用が、私の膀胱に容赦なく
猛烈な攻撃を加えてくる。授業開始から十分も過ぎた頃には、尿意は危機感を
覚える水準に達していた。
もはや授業どころではない。ノートをとる手はとうの昔に止まっている。先
生がしゃべっていることなど、一言も頭に入ってこない。感覚を研ぎ澄ませ、
耐えられるギリギリの水準を見極めることに全神経を集中する。
膀胱というダムの水圧は、時間とともに少しずつ、しかし着実に高まってい
く。
しばらくは、ときどき姿勢を変えることで尿意を散らすことができていたが、
そのうち、姿勢を変えるためにほんの少し動くことすら危険になってきた。脚
をぴったりと閉じて、下腹部にぎゅっと力を込める。揃えた両足のかかとが自
然と床から浮く。息を詰め、うつむいてじっと机の天板を見つめる。
時間の流れが引き延ばされ、進みがどんどん遅くなっていく。もう十分な時
間耐えた、と思って顔を上げて時計を見ても、さっき見たときから一分も進ん
でいない。休み時間が無限の彼方に思えてくる。
あと十五分。
私は、ある選択肢を真剣に検討すべき段階に達していた。授業中にトイレに
行く、という選択肢である。
授業開始からこれまでの水圧の変化からすると、授業終了まで我慢しきれる
かどうかは五分五分に思えた。教室でもらしてしまうという事態だけは、なん
としても回避しなければならない。時間が経てば経つほど、歩くのは困難になっ
ていく。歩けるうちにトイレに行けば、最悪の事態は免れる。
しかし、そのためには授業の流れを無視して挙手し、皆が注目する中で教師
にトイレに行く許可を求めなければならない。教室でもらしてしまうよりはは
るかにマシだが、乙女としてはできればしたくない行動ではある。授業終了ま
で我慢しきれる可能性も、なくはないのだ。
どうする?
顔に冷や汗が浮かぶ。下腹部がじーんとしびれたようになってきて、決断す
るための思考力すら奪っていく。
手で股間をぎゅうっとおさえたい。力いっぱいおさえたい。それができれば、
我慢できる時間がかなり延びるはずだ。女子高校生が人目のあるところでやる
ようなことではないが、幸いにも私の席は教室の一番後ろ。誰かに目撃される
可能性はほとんどないはず。
それでも、一応首をめぐらせて周囲を探る。一瞬、右隣の岡田君と目が合っ
たような気がしたが、彼はすぐに目をそらし、視線を黒板へと戻した。
私は、何度か深呼吸した後、そろそろとスカートの上から両脚の間へ手を差
し入れた。股間をぎゅうっとおさえると、ほんの少し、楽になった。思わず涙
が出そうになる。肺の中の空気を、ゆっくりと吐き出す。
ほっとして、なにげなく周囲を見回した。
岡田君が、こちらを見ていた。
目が合うどころではない。彼は完全に顔をこちらに向けて、なんの感情もう
かがえないような目で、じっと私を見ていた。
見られた。手で股間をおさえておしっこを我慢しているところを見られた。
しかも男子に。いや、あの位置からでは手で何をしているかまではわからない
のではないか。そうであって欲しい。
急速に心拍数が上がり、顔が赤くなる。耳がじんじんと熱い。股間から手を
離さなければ、と思うが、恐くて手が動かない。そんな私を、彼はずっと見て
いる。
岡田君は机に向かうと、ノートに何かを書きつけた。それを破りとると、手
を伸ばしてそっと私の机の上に差し出す。ノートの切れ端には、「具合悪いの?」
と書かれていた。
返事を書こうにも手を離すことができず、混乱しきった私は、ただ震えなが
ら頷いた。それを見た岡田君が、やおら手を挙げる。
「先生、水谷さんが具合悪そうなので、保健室に連れていっていいですか」
先生がこちらを見る気配がする。
「保健委員は?」
「僕です」
「わかった。行ってきなさい」
あまりの嬉しさに、ああ、と声にならない声が口からもれる。危機的状況を
脱したことで気がゆるんで、尿道口までゆるみそうになる。慎重に手を離し、
そろそろと椅子から立ち上がる。
「大丈夫?」
小声で気遣ってくれる岡田君に付き添われて、私は教室を出た。
「あの、ありがとう」
廊下を歩きながら、礼を述べる。
「いや。べつに水谷さんを助けたわけじゃないから」
どういうことだろう、と思ったが、急がねばならない状況なのでとりあえず
聞き流す。
「でね、私、保健室の前に行きたいところが」
岡田君が立ち止まる。いつの間にか、彼は私の腕をがっちりとつかんでいた。
「どこ?」
「えっと、お手洗いに」
「ふうん」
そのとき、岡田君は邪悪としか形容しようのない笑みを浮かべた。背筋に冷
たいものが走る。
「手、離して」
「トイレに何しに行くの?」
「答える必要、あるのかな」
「答えてくれないと、手を離さないよ」
全く理解できなかった。いったい彼はどうしてこんなことをするのだ? も
はや一刻の猶予もならない状況なのに。
「お願い、離して」
「トイレに何しに行くの?」
岡田君の手を振り切るだけの力は、私にはもう残っていなかった。私は観念
して答えた。
「……おしっこ」
「聞こえない」
「おしっこ!」
くっくっく、と彼が笑う。
「そうなんだ、水谷さんはおしっこしたいんだ。そうだよね、股間を手でおさ
えるほど我慢してたんだもんね」
やっぱり、全部見られてたんだ。恥ずかしさと尿意が、私から冷静さを奪っ
ていく。私はなかば叫ぶように答える。
「そうなの、おしっこがもれそうなの。答えたんだから、手を離して。トイレ
に行かせて」
岡田君は手を離さないまま、笑い続けている。
「『おしっこがもれそう』か。いいね。水谷さんみたいな女の子が『おしっこ』
なんて言葉を口にするのは、たまらないものがあるね。知ってる? 水谷さんっ
て、男子の間じゃ結構人気あるんだよ。その水谷さんが、『おしっこがもれそ
う』なんて。このことを知ったら、みんなどう思うだろうね」
この人は、いったい。
「僕も水谷さんのこと、ずっといいなと思ってたんだ。泣くほど恥ずかしい思
いをさせれば、きっとステキな表情を見せてくれるだろうな、って」
いったい、何を。
「さっきの、股間を手でおさえておしっこを我慢している姿もよかったよ。写
真を撮れなかったのが残念でならない。授業中に、みんないるのに、教室であ
んなことするなんて、よっぽどおしっこしたかったんだね。普段の水谷さんの
清楚なイメージとの落差に、激しく興奮したよ」
「興奮って」
「もちろん、性的な意味でだ。結局、こうして僕が教室から連れ出したわけだ
けど、みんなどう思っただろうね。『具合悪そう』とは言ったけど、人によっ
てはお腹を壊してトイレに行ったと思ったかもね。これが小学校で水谷さんが
男子なら、明日から水谷さんのあだ名はゲリピーだ。卒業するまでゲリピーだ。
あるいは、生理痛だと思った人もいたかもね。来月の今頃、下衆な男子に体育
は見学しなくていいのか、なんて勘繰られたりするわけだ」
彼が話している間も、ダムの水圧は高まり続けていた。私はまた股間を手で
おさえ、その場で足踏みをする。
「トイレに行かせて……」
やがて、足踏みすることもできなくなる。脚が、がくがくと震える。もう、
本当に限界が近い。
「ゃあ」
おさえきれずに声がもれる。
「どうしたの? ああ、とうとう我慢できなくなって、ちょっとだけもれちゃっ
たんだね」
彼はしゃがみこむと私の股間のあたりに顔を近づけ、くんくんとニオイをか
いだ。あんまりな仕打ちに、私は絶句してしまう。
彼は左手首の腕時計に目をやり、淡々と告げた。
「授業が終わるまであと三分か。頑張ったね。でも、このままここにいたら、
せっかく教室でおもらしせずに済んだのに、廊下でおもらしすることになっちゃ
うね。授業中の教室と違って、休み時間の廊下だと、たくさんの人に一部始終
を見られちゃうだろうね、水谷さんがおしっこしてるところ」
目を閉じると、溜まっていた涙がこぼれ落ちた。
ふう、と彼が満足そうに息を吐き出す。
「思った通り、水谷さんのそういう表情は最高だね。存分に堪能させてもらっ
たよ。じゃあ、トイレに行こうか。本当にここでおもらししてしまったら、僕
としてはものすごく興奮するんだけど、ショックで水谷さんが登校拒否にでも
なったりしたら、つまらないからね」
ようやく、私は解放された。強い衝撃を与えないよう、注意深く足を運び、
なんとか女子トイレまでたどり着いた。あと少し。
個室に入って扉を閉め、勢いよくスカートをたくし上げて一気にショーツを
下ろす。ゴールの直前が一番危険。ともすれば集中力が切れそうになるのを、
気力を振り絞って耐える。
便座に腰を下ろし、体を緊張から解き放つと、すぐに、激しい水流が便器を
叩き始めた。解放感と安堵感が体を満たしていく。私は、長く、長く、息を吐
き出した。
「よかったね、間に合って」
突然扉の向こうから声をかけられて、ひっ、と息をのむ。この声……まさか。
「岡田君!?」
「そう、僕。今、水谷さんが入った個室の前にいる。でね、中から聞こえてく
る音を、録音してる」
あわてておしっこを止めようと下腹部に力を入れる。が。
「ダメ……止まらないよう」
「ははは、すごい音だね」
「止まらない……止まらないよう」
私は膝の上に突っ伏して泣きながら、うわごとのように繰り返した。
最後の一滴を出し切っとき、私は茫然と授業の終わりを告げるチャイムの音
を聞いた。個室を出ると、既にトイレに彼の姿はなかった。
このときの羞恥心と排泄の快感は強く結びついて一つとなり、私の体に深く
刻み込まれた。
私の中にあった、私自身も知らなかった何かが、目覚めた。
翌日も厳しい冷え込みだった。
二時間目の前の休み時間、私は昨日と同じように食堂の自販機で紙パックの
お茶を購入した。昨日と違って今日は二つ。
私はその二つを一気に飲み干し、空になった紙パックをゴミ箱へ放り込んだ。
これからの時間を想像して、私は期待に胸を高鳴らせ、ゆっくりと教室へと
歩き出した。
「岡田君」
二時間目が終わった休み時間のこと。席が隣同士になってから一ヶ月、その
日僕は初めて隣の席の水谷さんに声をかけられた。
水谷さんは顔を前に向けたまま、言葉を続けた。
「三分間だけ、私を好きにできるとしたら、あなたならどうする?」
唐突過ぎる質問に、次の授業の用意をする手が止まった。水谷さんが僕の方
に振り向く。
「聞いてる?」
「あ、うん」
「それで、どうする?」
ごくりとつばを飲み込む。これは、どういう罠だ?
「その質問、どういう意味かな?」
「どういう意味だろうね」
水谷さんがいたずらっぽく微笑む。想像もしたことがなかった事態に、頭が
ついていかない。
水谷さんが時計に目をやる。
「次の時間は別の教室だから、移動時間を考えると……そうね、一分以内に答
えて」
質問に答えると、どうなるんだろう。
「好きにできるって、どんなことでも?」
「どんなことでも。でもまあ、私にできる範囲で、という条件はあるかな」
「そ、そっか」
僕は腕を組んで考え込むふりを装いつつ、水谷さんをちらちらと盗み見る。
これまで意識したことはなかったけど、あらためて見ると水谷さんかわいく
ね? まず、眼鏡をかけているのがいい。こうして座っているときの姿勢が美
しいのもいい。スカートからのびるほっそりした脚がまたいい。真っ白なくつ
したに包まれた細い足首など、たまらない。クラスの男子で人気投票をやった
ら、上位三人には入らないだろうが、マニアックな男子の票を集めるに違いな
い。
そんな水谷さんを、好きにできる。
考えているうちに、どんどん頭がゆだってくる。テンパった僕は、これまで
ろくに話したこともないような女子に対してそれはどうかという一言を口走っ
た。
「せ、性的なこともアリ?」
「あ、うーん……」
僕のどう考えてもアウトな問いにも、彼女はさほど動じず、少し考えた後、
答えた。
「そうね、アリ、かな」
「マジで!?」
思わず大きな声が出る。
「何その喜びよう」
突然降って湧いた千載一遇のチャンス。僕はかつてない真剣さで、頭をフル
回転させる。
三分。三分でどこまでできるかな。さすがに最後までというのは無理だろう。
あれもしたい。これもしたい。しかし、あまりしたいことが多過ぎると、それ
をこなすことに気をとられて、ちゃんと味わえないまま終わってしまうのでは
ないだろうか。
考えろ。自分が一番したいことは何だ。残り時間はあと何秒ある?
あせるほどに思考は空回り、上手く考えをまとめることができない。
いつの間にか、他の生徒はみんな教室を出て行って、残っているのは僕と水
谷さんだけになっていた。
「時間ね」
静かな教室に、水谷さんの落ち着いた声が響く。
「どうする?」
そのときの僕は、泣きそうな顔をしていただろう。
「か、考え中」
「そんなに真剣に考えなくてもいいのに」
水谷さんは軽く笑って立ち上がり、教室を出ていく。僕はあわてて教科書そ
の他をつかんで立ち上がり、彼女の後を追った。廊下で彼女に追いつき、前に
回り込む。
「ま、待って」
どうかした?と水谷さんが小首を傾げる。
「明日」
一歩、水谷さんとの距離を詰める。
「明日、もう一度聞いて。そのときは、ちゃんと答えるから」
「わかった」
水谷さんは頷いて、再び歩き出した。僕は彼女の後ろ姿、主にふくらはぎを
ながめながら、後ろをついていく。
翌日の始業前。僕と水谷さんは校舎の屋上にいた。屋上には、僕達二人以外
誰もいない。
「岡田君、目の下にクマができてるけど、大丈夫?」
「問題ない。昨夜寝てないだけ」
「それは、私の質問の答を考えてて?」
「そう」
水谷さんが苦笑する。
「それで、答は出た?」
僕は無言で頷き、おもむろに口を開いた。
「スカートの中に、頭からもぐりこみたい」
「……え?」
水谷さんの顔には、何を言ってるんだこいつは、と書いてある。おそらくは
無意識のうちにであろう、水谷さんが僕と距離をとる。
「それは、私のその、下着が見たい、ってこと?」
「違う。もちろんパンツを見ることも含むけど、見るだけじゃ物足りないんだ。
スカートの中に頭を突っ込んで、あるがままのパンツを、あるがままに味わい
たいんだ。なめたときの味を、漂うニオイを、衣擦れの音を、あたたかな体温
を、五感の全てで、体中で味わいたいんだ」
水谷さんがさらに僕と距離をとる。
「僕は考えた。自分が一番したいことは何か。一晩中考えた。そしてどり着い
た答が、これ。これこそが、僕の永年の夢」
僕は遠くを見つめ、夢に思いを馳せる。
「僕にとって、スカートは女の子の象徴であり、スカートの中は謎と神秘に満
ちた空間だ。謎があれば挑まずにはいられないのが人というもの。スカートの
中がどうなっているのか、僕は小さい頃から知りたくてたまらなかった。小学
生の僕が思いついた方法は、スカートめくりだ。世の中には、クラスでスカー
トめくりが流行したという経験を持つ人もいるようだけど、残念ながら僕の周
囲でスカートめくりが流行することはなかった。あの、くるりと回るとふわり
とひるがえるスカートを、自分の手で好きなだけめくったり下ろしたりしてみ
たい。せめて、誰かがやるのを目撃したい。いつしかそれは、僕の夢になって
いた」
僕の口調はどんどん熱を帯びていく。
「そして、その夢は少しずつ進化していく。スカートの中の謎について考える
うちに、スカートをめくってパンツを見るだけでは不十分だと思うようになっ
た。僕が惹かれたのは、パンツそれだけではない。スカートによって形成され
る、スカートの中の空間そのもの、その全てだ。全てを知るには、どのように
対象にアプローチするのが最適か、僕は考え続けた。現時点での答、それが
『スカートの中に、頭からもぐりこむ』だ」
少し間をおいて、上ずっていた息を整える。
「水谷さんの質問に対する答として、性行為というのももちろん考えた。三分
という時間制限があるので、最後までというのは無理としても、それでもかな
りのことができるだろう。しかし、そうした性行為は、彼女がいればできる。
残念ながら現在僕に彼女はいないけど、これからの人生で彼女ができるという
希望は、まだ捨てずにいたい。これに対して、『スカートの中に、頭からもぐ
りこむ』のは、彼女がいてもできるとは限らない。まず間違いなく断られるだ
ろうし、好きな女の子相手にそんなお願い、恐くてできないかもしれない。だっ
たら、お願いをきいてくれる女の子と出会えるかどうかすらわからない、そん
なお願いをすべきだと」
僕は、水谷さんを真正面から見つめる。
「しかも、相手は水谷さん。こんなに好条件が揃うこと、たぶんもう二度とな
い。だから」
大きく息を吸い込む。
「スカートの中に、頭からもぐりこみたい」
もう一度、僕は力強く繰り返した。
水谷さんが、しばしの黙考の末、口を開く。
「えっと、岡田君のその、なんというか、スカートの中に対する情熱は、たい
へんよくわかりました」
「わかってもらえましたか」
「言っていることはよくわかりませんでしたが、ともかく情熱が並外れている
ことはわかりました」
「ありがとう」
感激で涙が出そうになる。
「では、さっそく」
水谷さんににじり寄る僕。
「え、ちょ、何」
あれ? 水谷さんから拒否の波動が出ている気が。おかしいな。
「もちろん、今から水谷さんのスカートの中に、頭からもぐりこむのデス」
水谷さんの目が、驚きで大きく見開かれる。
「あ……ごめんなさい!」
ものすごい勢いで頭を下げる水谷さん。
「へ?」
「あの質問、雑談の話題の一つのつもりで、実行する気はなかったの」
僕の頭が真っ白になる。
「……なかったの?」
水谷さんがきまり悪そうに頷く。
「ほら、『三つだけ、どんな願いでもかなうとしたら、どうする?』みたいな
こと、友達と話すことってあるじゃない。あの日、あの質問について友達と話
してて、ふと男の子ならどう答えるのかなあ、って疑問に思って。それで、ちょ
うど隣に岡田君がいたから……」
なんてこった。僕が一人で思い込んで、一人で暴走してただけ、ということ
か。恥ずかしくて、顔を上げていられなくなる。顔に血が集まってかーっとなっ
てくるのがわかる。
「じゃあ、僕に聞いたのは」
「……うん、たまたま」
彼女にとって僕は、大勢いる男子の中の一人に過ぎない。そのことが、思い
がけず大きな痛みを、僕にもたらした。
いやでも思い知らされる。一晩中彼女のことを考え続けたせいか、彼女はも
う、僕の中で大勢いる女子の中の一人ではなくなっていた。
「なんか、ごめん」
やっとの思いで、それだけ言った。
「ううん。あの……いきなりスカートの中というのは、さすが無理があると思
うの。だから、と、友達から始めませんか」
僕が驚いて顔を上げると、彼女は逆に顔を伏せた。
「この先、彼女になるとも、彼女になったらあのお願いをきいてあげるとも、
約束はできないけど、それでもよかったら」
「そうなる可能性、あるのかな」
彼女はうつむいたまま、小さく、でも確かに頷いた。
「ありがとう。じゃあ、あらためて友達から」
そう言って、僕は彼女に向かって右手を差し出した。その手に、彼女の右手
が重ねられる。
「うん、友達から」
つないだ手から、彼女のぬくもりが伝わる。
ふいに、屋上を風が吹き抜け、彼女のスカートがひるがえった。僕が目指す
べきスカートは、もう彼女のものだけだ。
頭が大きいだとかぶりっこだとかいろいろ言われる美紅ちゃんですが、それでも私はウイングガールズで彼女が一番好きです。健太を信じ、彼の力になろうと健気に頑張る姿には、胸を打たれずにはいられません。
この仲額中学校の制服は、学校制服では漫画史で五本の指に入る傑作デザインだと思います。
シルエットはオーソドックス(スカートが膝下丈なあたりに時代を感じます)でディテールもシンプルなのに、配色と上衣のラインだけでこうも印象が変わるのか、と驚かされます。
特に、これがあるだけでヒーロー物っぽく見える、胸当てのラインが素晴らし過ぎます。
当時、シャープで幾何学的な線でありながらリアリティを感じさせる、桂正和氏の描く服のシワが大好きで、なんとか真似をしようと悪戦苦闘したものです。ウイングマンのキャラを描いたのは久しぶりですが、描いているうちに描き方をだんだん思い出してきました。結構手が覚えているものですね。
伊吹(上の絵の右下のキャラ)は、私にとって心の師と言ってもいい存在です。主に微乳方面で。
彼の名台詞の数々を御覧あれ。
「ゆかりちゃんのあの…ない胸がいいんだっ!! 抱くと折れてしまいそうなきゃしゃなからだがいいんだっ!! ひざをつけるとモモにすきまのできる足がいいんだっ!!」
「ゆかりちゃんのあの、ない胸が…たまーに…ふくらんでみえるときがあるのを…えっ!? しってるか!? しらんだろ!? どうだっ!? おれが察するにあれはだな…かたい下着をつけてるか…パットをいれてるからなんだよ! かわいいと思わんか!? えっ!? おれはそういうゆかりちゃんの…けなげな心も好きなんだよっ!」
「いいか、たしかにゆかりちゃんはおれの理想だ…だがな…彼女にも弱点があったんだよ!」「弱点?」「時の流れよ…彼女はまだ若い…もしかしたらそのうちに…おれの大好きな…あの…ない胸が…大きくなってきたら…そう考えるとおれはもうおそろしくてなァ…! その点、あの坂田先生はもう23だ! 23であれだ! きっともう体形が変化する心配はない!」
伊吹に出会ってなければ、私はこんなにも微乳やモモの間のすきまが大好きになっていなかったと思います。
'80年代前半に既にこの境地に至っていた伊吹と作者の島本和彦氏を、私は尊敬せずにはいられません。
こうなったということか。滝沢と違って数え間違いはないだろうから、99じゃなくて100。
「炎の転校生」大好き。
Wonder Parlourにいるときに描いた落描きを写真に撮って持ち帰り、それを下描きに使って描きました。
いつもは眼鏡をかけていない女の子が眼鏡をかけている、恋に落ちるにはそれだけで十分だ。
かわいい子にはメイド服を着せろ。それがメイド服着てたら委員会の理念。
脳内会議の結果、天使がスカートの下に身につけているのはペチコートではなくスリップであるという結論に達しました。
着衣万歳党員としては、上の絵は制服を脱いでいるところではなく着ているところだと主張したい。