わたしの思い出
出産体験記
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
親になったのは平成6年4月8日 さくら満開

 
初の兆候は午前3時。ふと目が覚めてトイレに立った。
どうも便意があるように思った。なのに何も出なかった。
不思議に思いながら床についた。
             また目が覚めると午前6時だった。さっきと同様に出るものがなかった。
もうひと眠りして午前7時を過ぎると、おなかが痛くなった。でもすぐにおさまった。
しばらくするとまたイテテ・・・。おなかの皮もそうとう固まっている。 
数回繰り返した後、痛みの間欠をはかってみればきっかり10分毎にやってきている。
でも、出産予定まであと3週間ある私にはまだそれが、陣痛なのかはわからなかった。
しかし、のんきな私は臨月になっているというのにまだ
入院の準備を全くしていなかったので、痛みのない時間に入院の準備を進めた。 
痛いときはほんとうに、痛い。つらくて動けないのだ。 
なのに、痛みがおさまるとすいすいと動けるではないか。何とも奇妙な体験である。
私は、ぜんまい仕掛けのように、最初「たたたっ」と動いて10分経つと「ピタっ」と止まる。
 
これを何度も繰り返すのだった。お昼の12時を過ぎるとだんだんそのペースにも慣れて
きたのだが、昼食を作ることはとてもできなかった。だが夕べ、残りのご飯をおにぎり
にしておいた。あーっよかったねっ。なので、それにパクつき、おかずは冷凍食品。
しゅうまいをレンジで温めて食べることくらいはなんとかしのげたってわけです。 
そうして、やっと準備は整い、病院に電話をし、いくつかの質問に答えると
「では病院へ来て下さい」といわれました。それでもすぐ産む体制にはならんと確信していた。
まだまだ産まれそうにないよと、帰宅させられるのがオチだとふんでいた。
私は、ひとりでは入院の荷物を持つ余力がなかったので、身ひとつで出掛けた。 
(どうせ持ち帰らされるんでしょう。) 
陣痛に耐えながらも冷静に「○×産院まで」という私をタクシーの運転手は産気づいてるとは
おもいもよらなかったのだろう。・・・・なーんも荷物抱えてなかったし・・・・。
「今日は、細川首相が退任したんだってね。」 
「え、あら、そうですか?!TVみてなかったわ。」(それどころじゃないって・・・マジで) 
(でもちょっぴり驚いた。。ただの平凡な1日ではなかったことに。)
まあまあ、痛みは静かにやりすごしてたので、運転手に気づかれることもなく 
無口な奴っちゃと思われつつ、そろそろ産院のある通りに来ました。 
それまでは余裕で、「反対車線で降ろしてもらったら信号を歩いて渡れる」と考えていたのに、
もうすぐそこだって時に強い陣痛がきてしまって、一挙に弱気になった。
「あ、すみません。あのぉー右折して産院前までつけてください。」 
超ぎりぎりのタイミングで言ってから、あわてて方向変えてくれましたが少しムッとされたかな
(でもやっぱ、おなかが大きいのでやさしく大目に見てもらえたのかもしれないが)
しかしせっかくここまで立派に善良市民を装っていたのに、
わがままな奴っちゃと思われたに違いない。(クヤシィー) 
でも一言も言えずに・・・・相手も無言のままで降ろされちまったよ。
医療費控除になるってのに、タクシー領収書もらい損ねてしまいました。えーん。



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Ayako M.