NHK-FM マイ・セレクション('87.8.24)

  • (二人の夏が終わって)・・・・

    1975年の春に出たアルバムです。ぇー愛奴のファーストアルバムから『二人の夏』。
    ぇー昔の話となるとどうしても苦労話ってやつになるのね。俺が子供の頃よく大人が、「俺が若い頃はよー」とかさぁ、「わしが若い頃はのー。」とかねー言ってね。
    なんで大人っていうのはこう苦労話をするんだろう、と思っていたんだけど。
    ぇー、今自分がこうして話をすると、そういうの出てきそうでね、怖い。だから出来るだけそういうことは省こうと思ってるんだけど。どっから話すればいいんだろう、随分長いからね。
    この愛奴というグループを結成したのが俺が二十歳の時で、ぇー、学園紛争、ストライキ、ロックアウトの大学がもう嫌んなってねぇ。
    で「アメリカに行くんだ。」って感じで。「お金を貯めて、イージーマネーを貯めて、アメリカに行くんだ。」っていう感じでバイトを始めた。
    で、バンドを始めて大学を辞めたものの、当然仕送りもないし、自分で働いて。
    一回広島に帰って、ギターの青山くんっていうのが居るんだけど、彼の家の屋根裏部屋で練習しながら、あの・・・ピザハウスでウエーターをやってた。
    当時はねぇ、オイルショックてのがあって、ぇー大学生でも卒業してもなかなか就職できなくてねぇ。
    「絶対バンドで成功しなきゃ俺はこのままずっとピザハウスでピザ焼いてなきゃいけない!」。
    別に今考えてみたらそれもいい人生だなぁ、と思うんだけどね。当時はすごい野心があったからねぇ。
    「絶対バンドで成功しよう!」なんて。
    それで、なんかのキッカケで吉田拓郎のバックをやって、それから愛奴というグループがソロアルバムを出して。
    でもなかなかうまくいかなくてねぇ。自分はドラムを当時叩いていたんだけど、なかなかドラムが上手くならなくて、
    それよりも曲を書いた方がいいかなぁ、という事で、バンドがデビューして半年もしないうちに辞めてしまった。
    当時は「シュガーベイブ」とかね、「センチメンタル・シティー・ロマンス」とか、そういったバンドがいたんだけど。えーそん中から山下達郎君なんかも今も頑張ってて、時々話しで会ったりすると、「お互いよく頑張っているなぁ。」みたいな話をしてます。

    それで、23の時かな? 23の春にソロでデビューした。
    まだバンドも雇えなくてねぇ。当然そのー、独りで生ギターで。
    自分ではすごいロックがやりたくて、頭ん中ではすごいバンドのビートが鳴っているんだけど、実際はバンドを雇うお金なくて。生ギター一本でねぇ、あっちこっちの街をまわってた。
    例えば北海道に行った時には、北海道のライブハウス巡りって言うんだけど。なんか酒場とかねぇ、音楽教室とかね、そういったところで歌う。
    で、車にギター一本積んで、あっちこっちの街行くんだけど、まだそのー、ツアーみたいな形式がちゃんとしてなくて、一回やっては、一晩やっては、2,3日休みで、サロマ湖の方行ったり、阿寒湖の方行ったり,そんなことしながら回ってたんだけど。
    ある日洗濯物があまりに沢山たまってどうしようかと思っていた時に、ちょうどそのライブハウスに来ていた女の子がいて、その子はレコード店の女の子で、僕のレコード聞いてくれて、まあ、気に入ってくれたんだねぇ。で、
    「洗濯物困ってるんだよ。」なんて言ったら、
    「じゃあ私が洗ってあげる。」みたいに言ってくれてねぇ。
    で、次の日の朝、ホテルからその子のうちに洗濯物を取りに行ったら、その子が、その・・・パンツやらねぇ、恥ずかしながらパンツやらねぇ、Tシャツやら、ジーンズやらをねぇ、袋に詰めて、「頑張ってくださいね。」なんて、朝日の中を送ってくれた光景っていうのは今でも覚えています。
    ぇー、当時ライブハウスで、3カポの、E♭っていうキーで、ハーモニカ・フォルダーを肩にかけて、ハーモニカを吹きながらよくこの歌を歌っていました。
    1976年、俺は23歳でした。『路地裏の少年』

    ・・・・(『路地裏の少年』がかかる・・・・)

⇒⇒ 続く⇒⇒

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