2003年12月06日 [長年日記]
_ 「HTTP プロトコルを利用して『認証をかけずに』公開しているものは、全て全世界に向けて公開されているものである」
この概念を知り、理解し、納得することが重要なんじゃないかと逆に思ってみたり。この「逆」とは「儀礼的無関心」を勉強するに対してです。
つまり勉強するべきベクトルが全く正反対。
「全世界に対して公開する」と言う概念を理解どころか知りもしないまま公開して、それで外からリンクされていきなり来た人が増えたから「怖いところだ」と消すってのは、元々「全世界に公開すべき」じゃなかったんでしょう。リンクした人やそれを楽しみにしてた人には不幸でも、公開した人は幸せだと考えますね。つまりそのことを学習できたわけですから。
昔は「 Ethernet で発言すると言うこと」という事がどういう事なのかをまず勉強してからだったんですけどねぇ。大学とかで。Netnews はまず3ヶ月は読み専でそこがどういう発言が大丈夫なのか勉強しろって言われてたし。
今の WWW って「HTML を書く」と「HTML を公開する」という技術的な話はそこかしこで勉強できても、文化的な勉強ってどれくらい出来るのでしょう? こういったFAQ的なトラブル話は勉強してからに値するんじゃないかなぁ。
なんというか、勉強不足とか覚悟不足とか、そういう感想しか思い浮かばない(^^;;
そんな世界で優しさを目指す人も居て当然だとは思いますけど……けどねぇ。
_ ああそうか
きちんと主題を分解する必要があるかも、と思いなおしてみたり。
「小学生の女の子が開いたページに対して 2ch のロリスレで取り上げられて、荒らされた挙句、閉鎖した」と言う話があったなと。本当か嘘かは知らないですが。
_ 1)一つ目として取り上げるのは「技術的」リンクのこと。
これは公開している限り、誰にも制限されるものではないと考えてる。
意志を持って公開しているのであるから(公開コンテンツに対しては)誰のページに対してもリンクは許されるし、誰からのページのリンクも許される。
もちろんデープリンクも含めて。
この系統にはブックマークからトップページ以外は認めないとか言ってる人もいるけどね(笑)
で、この1つめに関してはさほど言うことはないでしょう。「技術的」な話だし、「法律的」にも問題ない。
_ 2)二つ目として「感覚的」な問題があるかなと。
つまりこちらが主題になることが多く、「リンクされたくない」とか思ってる人に対して「リンクを張る」のは良いのか、ということですね。
でまぁ個人的には「リンクを張る」と言う行為自体はやっぱり道義的にも許されてしかるべきだと思うんですよ。そもそもリンクのシステムだって論文の相互参照のために使用方法を考えられたものですし。
AのページにBがリンクを張る。Bが張るという事自体はAが強制して止められるものではないと。Aが「リンクされたくない」と思っているなら、そもそも公開するべきじゃないと思うのね。
それはAに内在する問題で、制限したいなら別の方法を取れと。Bの行動を制限するべきものじゃない。WWW はそういう場だと考えるんですよ。
ここで「Bが儀礼的無関心としてリンクしないという選択肢を選ぶことも出来る」のは否定しません。しかしそれはBの選択肢の問題でしかないと。Aが制限するものじゃない。
これと同じく「Aはそもそも公開しないという選択肢を選ぶことが出来た」わけです。それを越えて公開した以上、その波紋に対してどういう言うのはなんだかなと。もちろん「言うべき」ものも中にはありますが。
_ 他人の意見を無視するのは確かにに問題でしょうが、しかしそもそも「現実の場」を無視した意見を過大評価するのはどうかと思いますね。
A、B間のリンクに限っては、WWW というのはそういう場だという勉強をAがするべきでしょう。
Aが WWW をどういう場だと思うかは自由です。しかしその自由と同じようにBがリンクする自由もあってしかるべきでしょう。
_ どーもこの1と2を混ぜて、2を理由として1を否定しているのを見る気が。
「リンクは自由に行ってよいのか?」と「リンクは自由に行えるものである!」との押し問答って、ここで変にずれてる気がします。
リンクの否定は大概2で、リンクの肯定は大概1を問題にしてるような気も。
_ ここから話が少しずれてくる
上のように「リンク」の話にことが収まる間は、「儀礼的無関心を学べ」よりも「世界中からリンクされ評価を受ける世界だという事を学べ」です。
でここから先。「評価」の話。
いくらリンクが自由だからといって、どんなことでも許されるかといったらそれは違うと。これはAにもBにもいえること。
_ Aが別に変なことをしているわけでもなく、またBのリンクも適切であり、そして訪問者(仮にこれをCとする)が増えても特に誹謗中傷のようなものは起きなかったとした場合。
この場合、特に何が問題とも思えません。こういう状況でAがページをたたむと言うことを行ったのであれば、それはAの勉強不足。これだけで切り捨てます。
_ しかしBが誹謗中傷のようなことを行っていた場合。
これは明らかに「リンクとは違う問題」で、Bの行為が問題でしょう。いうまでも無く。
どのような反応を返すにしろ、それは批評のような形までで収めるべきだと考えます。他人を誹謗中傷するのは良い行為ではない。
_ またCが誹謗中傷のような行為を行った場合。
これはBの問題ではないのは当然でしょう。あくまでも問題行動を起こしたのはCであり、Bのリンクが問題ではない。
たとえBのリンクからたどってという場合でも。じゃぁBはリンクしなかったら問題は起きなかったのか?といえば、Cはどんな経由でも問題を起こしたでしょうし、B以外の人物からのリンクだったら今度はその人が問題になるとでも言うのでしょうか?
だからBがリンクしないほうがよいとか、するべきじゃなかったとか言うのはお門違い。あくまでもCが問題なのです。
考えなおしたきっかけの 2ch スレの話ですが、これは「荒らし」が悪いわけで。頭の悪いCの端的な例かと。
_ ただしBも考えるところはある
さて、以上のように「儀礼的無関心を学べ」というのはおかしいと考えることは書きました。
ではBは自由にリンクをしてよいのかというところ。
基本的には妨げられるものではないと考えます。誹謗中傷や事実無根、名誉毀損なコメントでもってリンクする場合は別としてですが。これらはリンク云々とは全く違う問題でしょう。
しかし、リンクする/しないの選択で考慮すべきことはいろいろとあると考えます。
例えばBは自身の声の大きさ。ポータルやニュースをやっている場合、自身のページを見てそこに行く人も居ることでしょう。自身を起点としている人の中に問題行動を起こす人物が居るかもしれません。自身の系統などからその比率は様々でしょうが。
Bはそういったことは考慮してもよいと考えます。
まぁ考えたところでAがページを開いている限りBとは無関係にCがたどり着き問題を起こす可能性もある以上、その時期を遅らせる意味でしかないでしょうが。
_ ただしこれはBが考えるべき問題であって、Aがそれを理由にBのリンクを防ぐのは違うと。
ましてやCの行動に責任を感じるのも違うと考えます。これはCの資質の問題であり、Bがどうこうとは違うと。
_ Bはリンクするに当たり自身の行動がどのような波紋を起こすのかは考えろと。
これを「儀礼的無関心」というならば確かにそうでしょう。しかしそれはAがリンクをされたくないという事で行うものではなく、B自身の行為によって引き起こされるかもしれないCを仮想するかどうかだと考えます。
そしてCを仮想した場合、Bとは関係なくAを荒らす可能性も同時に考えてもよいのではないかと。
_ と同じくAは自身の発言がどのような波紋を世界に投げるのかも考えて公開するべきだという所でしょうか。
_ ぐーぐるさんの受難
News:検索広告は商標侵害か? Googleが裁判所に裁定求める
News:[WSJ] Googleの検索順位シャッフルが呼んだ大きな波紋
以下は過去のニュース
_ まぁ、なんというか……
これが「意図的」であり「商売」であるなら、それは Google の商売戦略だろうと思うし。広告料を上げろであればそれはその通りだろうと。人気ある雑誌や新聞、TV広告に金を出すようなものだろうと。
ただこの場合は商標に対してもっと厳しくなる必要はありそう。
_ そうでないなら。
意図的にランキングを上げようとして失敗してるだけなら文句を言う立場じゃないだろうと。
裏技(←これも商標登録されてた記憶が)使えなくなったからって Google に文句を言うのはなんだかなぁ。
_ その Linux は
News:Linuxカーネル2.6移行勧め、2.4は“純メンテナンス”モードへ
あらら。いや、まぁ当然といえば当然ですか。
でもまぁ個人としてはしばらくは 2.4 系メインですかね。安定は重要です(w
2.6 系は完全趣味ならともかくと言ったところでしょうか。Linux Kernel 自体が趣味的なものだといえますが(^^;;