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 皆がテスト勉強をしている頃、晴は関係ない思考実験をしていた。

 大坂の陣で豊臣方が勝つにはどうしたらいい? とはよく言われることだ。
 冬ならまだしも、夏の陣はまず無理という結論が多いけれど。
 同様に、Westaが全国へ行ける条件は何なのだろうか。

1.つかさが本気になる

2.姫水の病気が治る

3.花歩と勇魚が使い物になる

4.夕理がもっと娯楽性のある曲を書く

(3と4は時間が解決する。2は医者に任せるしかない)
(問題は1やな)

 やる気のない今のつかさでさえ、地区予選にぎりぎり出せるだけのスペックはある。
 これが本気になってくれれば、相当の戦力になるだろう。
 だが無理強いはもちろん、誘導しただけでも反発して辞めかねない。

(バイト帰りの話は部長から聞いたが、本気を引き出す術は見当たらへんかった)
(あいつのスイッチはどこにあるんや……)


 *   *   *


 雨が降る中、テスト勉強の日々を過ごす。
 この雨が記録的な豪雨となり、大阪は大したことはなかったが、中国地方で土砂崩れが多発した。
 花歩と夕理の二人のランチも、窓を打つ水滴に少し気が沈む。

「光ちゃんちは大丈夫なんやろか」
「ゴルフラは嫌いやけど……さすがにこんな事でつまづいて欲しくはないで」
「勇魚ちゃんは、またボランティアに行くみたい」
「そ、そうなんや……」

 幸いにも光の実家は無事で、地区予選にもしっかり出るという発表が、本人から行われた。
『家のことは心配だけど、一人前になるまでは帰らないって決めてるけん!
 必ず全国に行って、傷ついた故郷に吉報を送ります!』
 なんて感じで暁子が美談として盛ったので、ますます光の人気は上がり、夕理は複雑な気分である。

 雨の上がった大阪で、いよいよ期末テストが始まる。
 月曜朝のバスの中、姫水が幼なじみへ心配そうに尋ねた。

「勇魚ちゃん、次の週末は岡山だっけ?」
「うん……倉敷に行ってくる」
「その次の週末は?」
「……どうしよう……」

 二週間後の土曜は、即ち地区予選の日である。
 今度こそ行けると思っていたのに、また良心との天秤にかけることになってしまった。
 そこまでの良心はない花歩は、多少後ろめたいながらも気の毒そうに言う。

「勇魚ちゃん、何だかついてへんね」
「うちは別に……ほんまについてへんのは被災した人や」
「まあ、それはそうやけど」


「立火ー、一緒に帰ろー」

 部活で会えなくて寂しくなったのか、相方が隣のクラスへ誘いに来た。
 テストで半日授業の中、午前でも暑い道を駅まで歩く。

「受験勉強してるんやから、三年生は期末テスト免除でええのになー」
「何言うてんねん。今回の範囲も受験に出るんやで」
「まあ姫水にちょくちょく勉強見てもらってるから! この前みたいに叶絵に迷惑はかけへんで」
「頼むで。地区予選も、桜夜がいなかったら話にならへんからな」

 普段通りに振る舞ったつもりだったが、桜夜の目はごまかせなかった。
 心配色の顔がずずいと近づいてくる。

「何か悩み事?」
「い、いや別に?」
「私にも言えへんこと?」

 桜夜の真剣な瞳に、立火は言葉に詰まる。
 正直、部員たちには黙ったまま予選に臨むという選択肢もあった。
 だが駄目だ。何も知らせず死地に赴かせるわけにもいかない。

「テスト明けに必ず全員に話す。せやから今はテストに集中してや」
「そう……まあ、悪いニュースを覚悟しとく」

 生まれて初めて、立火はテストが長く続いてほしいと思った。
 だが現実は容赦なく、たくさんあった科目も次々と片付いていく。
 そして木曜日――


「終わったーー!!」

 教室中が解放感に包まれる中、じっと座っている立火に、景子が声をかける。

「なに難しい顔してんねん。これで後は部活に一直線やろ」
「あ、ああ、せやな」
「私も一応応援してやるから。姫水ちゃんを東京に凱旋させたれ!」

 他のクラスメイトたちも、アキバドームへの期待と激励を立火にかけて、教室を出ていく。
 晴の考え方と自分の考え方。
 どちらが本当に、皆の応援に報いる道なのだろう……。


「みんな、テストお疲れさん!」

 久しぶりの部室で、立火は明るい顔の仲間たちを見回した。
 地区予選まであと九日間。
 もし方針を変えるなら、もはや一刻の猶予もない。

「先に大事な話がある。――晴、頼むで」
「はい」

 晴の言葉が流れる部室で、部員たちの表情は一変していく。

『状況を冷静に分析した結果、勝ち目は全くない』
『だから今回は捨て石にして、少しでも冬に勝つ可能性を上げよう』

 そんな重い話を、皆は耳をふさがず真剣に聞いていた。
 唯一つかさだけが、苦い顔で目を背ける。

(そんな話されても困るんやけど!)
(どうせ負けるなら、それまでは何も知らずに過ごさせて欲しかった!)

 話が終わり、晴のバトンは部長に渡される。

「ありがとう晴。お前がそう言うんやったら、それが正しいんやと思う。
 その上で、私がこの一週間考えたことを言うで」

 天之錦のことがなければ、あるいは晴の言葉に従ったかもしれない。
 だが旧友が下馬評を覆したのに、挑戦せず逃げることなどできるものか。
 立火は机に右手をつき、力強く考えを述べた。

「諦めたらそれで終いや!
 可能性が限りなくゼロでも、世の中やってみな分からへん!
 信じて突き進んで、みんなで奇跡を起こしたろやないか!」
「り、立火!」「部長!」「立火先輩!」

 桜夜、花歩、勇魚の顔がぱあっと明るくなる。
 立火らしい答えは予想済みだったのか、晴は部長を見たまま微動もしない。
 いつもは晴が大好きな勇魚も、今回ばかりは立火の味方だった。

「そう、その通りです! Aqoursみたいに奇跡が起こせるって、うちは信じてます!」
「ラブライブはそんなに甘いもんとちゃう」

 盛り上がりに水を差す冷ややかな声。
 息を飲んだ勇魚が向いた先では、夕理が苦渋の顔でうつむいていた。

「奇跡は起こるかもしれへんけど、Westaに起こるとは限らへん。
 どのグループも私たちと同じくらい、あるいは私たち以上に努力してる。
 なのに、なんでうちにだけ奇跡が起こるなんて、都合のいいことを考えられるんや」
「夕ちゃん……」
「かといって、岸部先輩の案は論外です!」

 抑えていた怒りが破裂したように、夕理の拳が机を叩く。

「百歩譲って予備予選ならまだ分かります。
 でも地区予選ですよ!? 私たちは負けたグループの分も背負って参加するんです!
 それを捨て石にしようだなんて、許されるわけがないでしょう!?」
「ならどないせえ言うねん。正面から戦って負けたらええんか」
「そ、それはっ……」

 晴の言葉に、いつものようにやり込められると思ったが……
 今日は違った。夕理は晴の目をキッと見返すと、明確に反論した。

「そっ……その通りです! それが見た人の評価なら、潔く受け入れるべきです!」
「……まあ、一つの考え方ではあるな」

 晴としても自分が絶対正しいとは思っていない。
 最悪の状況の中で、何がベターなのか考えて、最後は部長に決めてもらうしかない。
 先ほどから曖昧にきょろきょろしている同学年の子に、発言を促す。

「小都子はどうなんや」
「え……ええっと、私は夕理ちゃんに賛成やなー」
「……そうか」
(ほんまは聖莉守みたいに、順位は気にせず楽しくやろうって言いたいけど)

 でも負けそうになった途端そんなことを言い出すのは、さすがに虫が良すぎる。
 それに世俗的な自分たちでは、気にしないようにしても結局気になるだろう。

 話が途切れ、立火は部員たちを見回した。
 姫水はいつにも増して現実感がなさそうだし、つかさは『何でもええから早よ終わらせて』という顔だ。
 沈黙に耐えかねて、桜夜が立ち上がって叫ぶ。

「あーもう! ようやくテストが終わったのに、何でまた難しい話してんねん!
 私は考えるの苦手やし、立火の決めた道についていくで! スパッと決めて!」
「い、いや、もう少し議論してから……」
「これ以上の意見は出ないでしょうし、時間もありません。部長、ご決断を」

 晴の視線が、そして部員全員の視線が部長へ集中する。
 一週間考えて出した結論なのに、先ほどの夕理の反論でまた揺らいでくる。
 他の強豪たちを差し置いて、奇跡なんて本当に起こるのか。
 ありもしない希望を掲げて、後で余計に失望するだけではないのか。
 けれど……。

「――分かった。私の結論は変わらへん」

 結局、それ以外は選びようがなかった。

「最後まで勝つ可能性を信じて、全力を尽くす! ええな!」
『はい!』

 王道といえば王道の選択に、夕理もそれ以上異は唱えない。
 そして晴は、起立して深々と頭を下げた。

「結局、無用に部を混乱させただけで、皆にはほんまに申し訳ない」
「な、何を言うてるんや! 晴のおかげで私たちも覚悟が決まったんやで!」
「そ、そうです! 晴先輩が真剣に部のことを考えてくれたのは、みんな分かってます!」

 立火と勇魚に言われ、晴は珍しく少しだけ微笑んだ。

「かくなる上は、私も今回勝つため知力を尽くします」
「ああ、お前が頼りや!」
「もー、晴は心配しすぎやって。私たちなら大丈夫!」

 桜夜が晴の肩を叩き、小都子もほっとしたようにその側へ寄った。
 部員たちの輪が縮まる中、つかさだけが一歩引いて見ている。

(――でも、どうせ負けるんやろ?)

 みんな、必死で空元気を出しているように見える。
 結局、具体的な勝ちの目は全く見えていないのに。
 なんて冷めたことを考えていると、立火の口から流れ弾が飛んできた。

「全力を尽くすため、今度の日祝は練習を行う!」
(げえっ!)
「用事のある奴はしゃあないけど、そうでなければ出席頼むで!」
「あ、あの、ごめんなさい。うち三連休ともボランティアに申し込んでて……」

 泣き出しそうな勇魚の肩へ、立火は優しく手を置く。

「勇魚はほんまに自慢の後輩や。浪花の人情、存分に発揮してきたってや」
「は、はい! でも地区予選へは絶対行きます!」
「ええんか?」
「はい! 奇跡が起こる瞬間をうちに見せてください!」
「ああ――分かった! 後はつかさやけど……」

 全員の目が、今度はつかさへと集中する。
 勘弁して欲しいが、先ほどの議論で何も言わなかった自分も悪い。
 降参したように、小さく両手を上げる。

「わっかりましたよ! でも日曜だけで許してください。海の日はもう約束があるので!」
「ああ、それだけでも十分嬉しいで! つかさ、ありがとう!」
「は、ははは……」

 立火の両手がしっかとつかさの右手を握る。
 見た目上は一致団結したWestaは、さっそく本気の練習を始めた。


「ううう……何の役にも立てへんかった」

 激動の一日が終わり、帰りのバスで花歩は嘆いていた。
 ああいう時、ばしっと自分の意見を言えたらカッコいいのだけれど。
 結局みんなに流されるだけで終わった。

「姫水ちゃんもあんまり意見言わなかったね」
「私は……何を言う資格もないと思って」
「またまたー。地区予選も姫水ちゃんが頼りやん」

 花歩の言葉に、姫水は曖昧に笑う。
 負けたところで一切傷つかない自分が、あの場で何を言えるというのか。
 そんな幼なじみを心配そうに見つつも、勇魚は花歩を元気づける。

「でも花ちゃん、うちらも大事な仕事を任されたで!」
「う、うん、そやね」

 演者に一秒でも長く練習させるため、衣装は花歩と勇魚だけで作ることになった。
 夕理は不本意そうだったが、全力のステージのためと納得させられた。
 勇魚は三連休はいないので、花歩の裁縫力に進捗がかかっている。

「姫水ちゃん、もう一度デザイン見せてくれる?」
「はい、どうぞ」

 手渡されたノートを開く。
 勇魚が忙しいため、姫水一人で考案せざるを得なかった『羽ばたけ!』の衣装。
 空へ向かうイメージとして、キャビンアテンダント風の服を青く染めて、背中に小さな羽根がつく。
 卒なくまとまっていて、良い衣装だと思うけど……。

(ほんまに、これで勝てるんやろか)
(う、ううん! 部長が勝つ言うてるんやから、絶対勝つんや!)


 *   *   *


 気温は37度という、頭のおかしい暑さだった。
 冷房の効いた校内とはいえ、外の太陽にうんざりしながら、猛練習は続く。

「夕理、まだ笑顔が固い。さすがに地区予選でそれは許されへんで」
「わ、分かりました……」
「部長、ここはもっと広がった方が印象が良いのでは」
「せやな。晴の言う通りや!」

 鋭く意見を出していく晴の傍らで、補欠の二人は一生懸命針を動かす。

 まだ足りないと朝練も行うことにしたが、さすがにつかさには拒否された。
 早朝の部室に響くのは、八人だけのWestaの声。
 それが終わって教室へ行っても、立火が考えるのは予選のことだった。

(地区予選は終業式の翌日。みんな夏休み初日に来てくれるやろか……)
(今からでもチラシ配るか……? いやでも、外で配ったら速攻で熱中症やな)
(晴が校内放送入れてくれるし、せめてネットから見てくれるのを期待するか……)
「……火、立火!」

 景子の声に我に返ると、教壇にいるクラス委員が困った目で見ている。

「広町さん、大変なのは分かるけど話に参加してね。クラスで出るってみんなで決めたんやから」
「あ、ああ、悪い」

 文化祭は九月の半ばなので、今のうちに出し物を決めようという話だった。
 頭を切り替えようとしたが、凝り固まった部品は容易に切り替わらない。

「ごめん、今はラブライブのことしか考えられへん。全部任せる。
 九月なら全国大会も終わってるから、何でもやるで」
「ん? 今何でもやる言うたな?」

 後ろの席から未波の嬉しそうな声が聞こえる。
 嫌な予感しかしないが、背に腹は代えられなかった。


「うちのクラスはたこ焼き喫茶やで! 私みたいな美少女給仕がいれば、大繁盛間違いなしやろ」
「私たちはお化け屋敷です。恐怖というのも良いものですよね」
「え、姫水ちゃんのクラスもなん? かぶったなあ、どないしょ……」
「練習するで!」

 小都子の悩みは、立火の号令で中断される。
 多少の雑談も許さず、素早く着替えて練習を開始した。
 Westaも文化祭のステージには出るが、今は二ヵ月先を考える余裕などどこにもない。

(部長、ちょっと焦ってへんかなあ……)

 衣装は何とか間に合いそうな花歩が心配そうに見ていると、桜夜が手を上げた。

「立火ストップ。ちょっとお花摘み」
「……しゃあない。五分休憩!」
「姫水、一緒に行こ」
「え? はい」

 特に行きたくはないが、桜夜の様子が少し変なのに気づき、姫水は一緒に廊下に出る。
 部室に声が届かない距離まで歩いてから、桜夜はこちらを振り向いた。

「三年生が一年生にこんなん頼んだらあかんって、アホな私でも分かってるけど」
「先輩?」
「お願いや姫水、立火を勝たせてあげて……!」

 懇願とともに、すがるように抱きついてきた先輩の頭が、姫水の目の前にある。
 先日のキスほどではないにせよ、また少し現実感を増した彼女に、落ち着いて語りかけた。

「桜夜先輩、どうしたんですか。顔を上げてください」
「立火、ずっと頑張ってきたんや。
 去年の冬に部長になってから、先輩たちとの約束を守ろうって、ずっと頑張って」
「分かってます。それは分かってますから」
「あの頑張りが何も報われないなんて、そんなのあんまりやろ……」

 顔を上げた桜夜は、泣き出す寸前の顔で必死に頼み込んだ。



「私はただの、超絶可愛いだけの普通の人間や。
 姫水みたいな特別な子に頼るしかできひんねん。
 無茶言うてるのは分かってるけど、でもっ……!」
「桜夜先輩」

 落ち着かせるように、その目に浮かんだ涙を人差し指でぬぐう。

「分かりました。私に任せてください」
「え……ほ、ほんまに!?」
「お願いされたからには、何とかしてみせます。これでもプロですから」
「姫水っ……」
「ですから、いつもみたいに笑ってください。楽しそうな桜夜先輩が好きなんです」

 桜夜は身を離す。
 両手で目をこすり、照れくさそうにえへへと笑った。

「いやー、先輩の威厳台無しやなー」
「最初からありませんから大丈夫ですよ」
「きっつ! もー、そこまで言うならほんまに頼りにするで?」
「はい、頼りにされましたから。顔を洗って、元の可愛い先輩に戻ってくださいね」
「せ、せやな。早よ戻らな立火が寂しがる」

 洗面所に急ぐ桜夜に、姫水も何となく付き合う。
 揺れるツインテール越しに、申し訳なさそうな声が届いた。

「ごめんね。まだ病気も治ってへんのやろ?」
「その通りですが、逆にチャンスの気もします」
「そうなん?」

 こんな大それた約束、本気で必死にならないと守れない。
 だからこそ現実感も取り戻せるかもしれないと、この時の姫水は考えたのだ。


 翌日には終業式が行われ、一学期は終わった。
 Westaは最後の練習をして、そして――


 *   *   *


「なんでそんな悲壮な顔してんねん」

 早くに目が覚めてしまい、二段ベッドの上でぼーっとしていると、下から芽生にそう言われた。

「え、そ、そんな顔してた?」
「どうせ私たちは見るだけなんや。勉強させてもらうつもりで参加したらええやん」
「まあ、そうなんやけどね……」

 今日この日、関西中の強豪が集ってその技を見せてくれるのだ。
 でも、花歩は喜ぶ気にはなれない。
 他のグループがみんな大したことなければいいのに、とすら思う……。

「今からでも、聖莉守に来たら?」

 妹は着替えながら、優しい提案をしてきた。

「聖莉守なら誰も傷つかない。たとえ最下位になっても、誰も責めないし責められへんよ」
「うーん、それはそれで羨ましいけどね」

 ベッドの上から降りて、思い切り伸びをする。

「でもやっぱり、私はWestaが好きやなあ」


 今日は九時に大阪城ホールへ現地集合だ。
 自分たちはのんびり朝ご飯を食べているが、遠くから来る学校は今頃移動中なのだろう。

 食べ終わって歯も磨いてから、スマホを手に取る。
 立火は今、何をしているのだろうか。
 朝っぱらから尋ねるのも、迷惑かもしれないけど……。
 特別な日だからと、思い切ってメッセージを送る。

『おはようございます。今何してますか?』

 ほどなくして返信が届いた。

『天王寺に向かってる』
(!?)


 *   *   *


 地下鉄に10分乗った花歩は、天王寺駅を降りて北へ向かう。
 聖莉守のライブを見に行った時のルート。あの時に比べ、特に成長していない自分がもどかしい。

(ええと、安居神社……)

 途中で西に折れ、遠くに通天閣を見ながらしばし歩くと、歩道で立火が手を振っていた。

「花歩、こっちや」
「す、すみませんっ。暑いのに待っててもらっちゃって」
「なーに、今日は最高に熱くなるんや。いいウォーミングアップやろ」

 細い道を通り、誰もいない境内に入る。
 安居神社。
 日本一の兵ひのもといちのつわもの、真田幸村こと信繁最期の地である。

「私、昔から読書は苦手でなあ。図書室で読むのは歴史漫画くらいやってんけど」
「あ、私もです」
「真田幸村はめっちゃ面白かったから、今でも覚えてんねん」
「私もたぶん読みました!」

 クライマックスの場面。槍を手に馬を駆ける姿を、迫真感とともに覚えている。

『家康どのはいずこぞ! 真田幸村、見参!!』

 すんでの所で家康に逃げられ、目的を果たせず人生を終えたものの、永く後世に名を残した。
 四百年前。今はビルが並び車が行き交うこの地を、現実に英雄が駆け抜けたのだ。

「幸村はほんまにカッコええなあ」

 都会から切り離された小さな境内に、座った幸村の銅像がある。
 少し高い位置のそれを見上げながら、晴に言われたことを思い出す。

『今の私たちの実力は、とうてい幸村公の器ではありません』

 部員たちは悪くない。将である自分に器がないのだ。
 ただの高校生が戦国武将と比べようなんて、笑われるのは分かってるけど、その時の立火は本気で思った。

「何で私は、こんな風になれへんのやろ……」


 言った瞬間、しまったと思った。
 後輩の前で、弱音じみたことを言ってしまった。
 ああ――でも。
 取り繕いはせず、響くセミの声の中に身を任せる。

(花歩なら、許してくれるやろ……)

 ゆっくりと隣を向くと、最初に入部した一年生は――
 立火を真っ直ぐに見て、精一杯の笑顔で保証してくれた。

「部長は、いつだってカッコいいですよ!」
「花歩……」
「行きましょう部長! 全力で挑みましょう!
 私は見ているしかできませんけど、一生懸命応援しますから!」



 花歩の両手が差し出され、立火の手がそこに重ねられる。

「ああ――せやな! 行こう!」

 泣いても笑っても、今日の夕方には決着がつく。
 神社に戦勝を祈願し、二人は英雄最期の地を後にした。
 幸村が帰還できなかった大阪城で、自分たちの戦がこれから始まるのだ。



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