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『湿っぽいのは似合わないから 私たちは陽気にいこう
 今日この良き日を迎えて 目いっぱいの祝福を歌おう』

 アップテンポの曲に乗せ、七人の歌声が響く。
 センターに立つ新部長は、もはや何の不安も見せず、堂々と楽しそうだ。
 二日だけの練習にしては完成度も十分。立火も桜夜も安心して、母校での最後のライブに没入する。
 純粋に、観客としての立場で。

 序盤が終わり、ここから一人ずつセンターが変わる。
 先陣を切るのは花歩である。

『あなたとの出会いから 一変していった私の世界
 教え導いてくれたこと 胸に刻み歩くよ 遙か続く道を』

 単なる内輪のライブでも、この一年の全てを込めて歌っていた。
 衣装には色とりどりの花。開花はさせたけれど、もっともっと咲き誇るのはこれから。
 いつだって上を目指す姿に、立火の胸には熱いものが浮かぶ。

(花歩……)
(頑張れ。お前ならいつか、私だって越えられるはずや)
(先輩を越えるのが後輩の使命なんや。楽しみにしてるで)

 スイッチした勇魚が、今日も楽しそうに笑顔を見せる。
 歌と踊りもタイミングよく、完全に一体となったパフォーマンス。
 目の前の二人はもちろん、胡蝶や全ての卒業生に、届くようにと声を張り上げた。

『楽しかった思い出の数々 ずっとずっと忘れない
 たくさんの元気をもらえたから あなたに返したい みんなに返したい!』

(勇魚……お前はほんまに立派な奴や)
(その小さな体で、アイドルもボランティアも両方頑張っていくんやろな)
(お前の人情で、これからも大勢の人を元気にしてあげてや)

 続いて夕理が前に出て、桜夜は少し固くなった。
 それを横目で見て苦笑する立火に、夕理も微笑みながら、綺麗な声で正確に歌う。

『もっとしっかりしてよって 思うこともあったけれど
 振り返れば貴方たちは 本当は大人だったのかもしれないね』

(あはは、夕理)
(お前もだいぶ、大人になったと思うで)
(桜夜、いよいよお別れや。このままでほんまにええんか?)

 少し照れくさそうなつかさが現れた。
 不特定多数の観客でなく、特定の相手に向けてのライブ。
 それでも変な恰好はつけず、今だけ素直な歌声を届かせる。

『迷惑かけちゃってごめんね 笑って許して
 なかなか本音を言えないけれど 本当に感謝してるんだ』

(そうやな、お前には何度もやきもきさせられたなあ)
(けど最終的には、心から頼れる部員になってくれた)
(晴が卒業した後は、つかさが知恵袋になるんやろな。頼むで!)

 姫水が前に出たとたん、隣の景子が大いに沸く。
 今日も完璧に、でも年相応に楽しそうに、終わりの曲を高らかに歌った。
 転入してきた日とは、まるで別人のように。

『まぶたに焼き付いている 間近で見せてくれた熱い魂
 これから遠く離れるとしても 情熱は繋がっているから』

(ほんまに、病気が治って良かった)
(入部のときの約束を守れたし、あのとき負けた景子にも義理を果たせた)
(遠い東京に行っても、いつだって応援してるで!)

 姫水と目配せしてセンターに入る晴に、観客は改めて驚いていた。
 歌って踊れるマネージャー。立火も桜夜も得意顔だ。
 特に立火は、自分のお下がりを着てくれたことに胸が詰まる。
 かすかな、けれども深い微笑とともに、晴のハスキーな声は流れた。

『知恵を絞り力を尽くした 全ての愉快な日々
 やり甲斐のある仕事を任せてもらえて どれだけ僥倖だったことか』

(晴、お前を信じて良かった)
(夏はちょっとあれやったけど、その失態も取り返せた)
(お前はIT系に進むんやったな。大人になったとき、いつか一緒に仕事ができたらええな)

 そしてセンターは小都子に戻る。
 ライブは終盤。最後まで歌ってしまえば、本当にお別れだ。
 一瞬だけ泣きそうになりながら、誰より優しい後輩は、ここで最高の笑顔を見せた。

『数多の人が生きる大阪で
 同じ場所 同じ時間を あなたたちと過ごせたこと
 ありがとうを何度重ねても 今の気持ちを表すのに足りない』

(私たちはお前の苦しさに気付けなかった、駄目な先輩やったのに)
(小都子……そこまで言うてくれてるんやな)
(今のお前なら、周りに助けを求められる。私たちはもう必要ないけれど)
(それでもいつだって、私と桜夜はお前の味方や――)

 疾走するように、曲は終幕へ突入した。
 寂しさに負けないだけの強さを、皆は既に身につけている。

『寂しがるのは似合わないから 別れだって笑っていよう
 あなたたちが重ねた日々は 祝福だけが相応しいから』

 演者と観客に分かれながらも。
 九人のライブは、ラストの一音まで笑顔のままだった。

『おめでとう! ――また会う日を楽しみに』



 立火も桜夜も、人生でこれほど拍手することは二度とないだろう。
 他の客たちが満足して去っていっても、叩く手は止まらなかった。
 頃合いを見て未波と景子が声をかける。

「ほなね立火。最後にええもん見せてもらったで」
「姫水ちゃん、うちの学校に来てくれておおきに! 女優の復活も楽しみにしてるで!」

 感謝で手を振る立火と姫水の前で、二人は校門を通って去っていく。
 ライブに目を潤ませていた恵は、何とか泣くのをこらえ、叶絵と一緒に話しかけた。

「桜夜ちゃん、私たちは後でお別れ会でね」
「遅刻するんやないで」
「せえへんって。あ、そういえば私、立火と暮らすことにしたから」

 さっき決めたことを報告する桜夜に、恵の顔は少しだけこわばる。
 それは気づかれないほどの一瞬で、すぐに吹っ切ったように微笑んだ。

「桜夜ちゃん、お別れ会の後に少しいい?」
「ん、何かあるん? ええでー」

 それを冷や冷やして見ていた叶絵だが、ひとまず今は後輩たちに声をかける。

「私が言うのも何やけど、ええグループやな。小都子、今後もチェックはさせてもらうで」
「はい、叶絵先輩。どうか見守っていてください」

 半年だけとはいえ、小都子と晴とも時間を共有した先輩は、恵と一緒に卒業していった。
 残された母親二人も、今は子供たちのため帰り支度をする。

「私たちは先に家でたこ焼き食べてるからね」
「お母ちゃん」

 立火は姿勢を正して起立すると、母に向かって頭を下げた。
 慌てて桜夜も、隣に並んでそれにならう。

「この学校に私を通わせてくれて、ほんまおおきに」
「わ、私もおおきに!」
「……うん、ええ三年間やったね」
「桜夜、せめて後輩にはびしっと締めてから帰ってくるんやで!」

 そう言ってきびすを返す二人だが、ふと立火の母が振り返った。

「Westaのみんなも。立火はいなくなるけど、近いんやからたまには寄ってや」
「はい。打ち上げのときは、お婆ちゃんのたこ焼き、注文させていただきますね」

 そう返す小都子に微笑んで、そして視線を上にして――
『祝・全国大会出場  スクールアイドル部』
 その垂れ幕を目に焼き付けてから、大人たちも並んで帰っていく。

「そうや広町さん。私たち子育て終わったんやから、今度二人でUSJでも行かへん?」
「え、こんなおばさんが行ってええんやろか」
「ええのええの、気持ちは若いんやから!」


 気付けば周囲には、Westaの九人以外は誰もいない。
 いよいよ、別れのときが来た。

「さて……まずはこれやな」

 立火も桜夜も、三年間着続けた制服の、二つ目のボタンを差し出した。
 花歩と姫水が、深い感慨とともにそれを受け取る。

「ありがとうございます! これを家宝にあと二年頑張って……
 私も卒業のときは、誰かにボタンを渡せるようになります!」
「また自分を見失いそうになったら、このボタンを見て思い出しますね。
 いつも素直に笑ったり泣いたりしていた、誰より可愛い先輩のことを」

 その場面は晴がしっかり写真に収めている。
 続けて集合写真も撮影。勇魚が晴先輩も! と声をかけるが、ピエロ服のマネージャーは首を横に振った。

「この格好を記録に残す気はない。観客の記憶だけで十分や」

 自分の衣装を着た晴には立火もニヤニヤしていたが、もう言葉は交わさない。
 皆の前で言いたくないからこそ、今朝の晴からのメッセージだったのだろうから。
 全ての用件は済んで、小都子が締めにかかる。

「さて、それでは……」
「あ、ちょっと待って!」

 桜夜が手を上げ全員が静止する。
 このまま別れれば綺麗な思い出になるのは、桜夜も分かっている。
 でも、一つだけ残った棘をそのままにはできなくて……

「夕理、校舎裏まで顔貸して」

 その言葉に、メンバーたちに緊張が走った。
 言われた当人はさすがに驚いたが、すぐに真剣な表情に変わった。

「……分かりました」


 歩いていく二人を見送りながら、つかさが冗談半分でシリアスな顔をする。

「やべー。あれ、お礼参りってやつやろ」
「は、はわわ……い、いや、桜夜先輩はそんなことせえへんって!」

 真に受けた勇魚が慌てて、姫水も心配そうにしているが、立火は笑って肩をすくめた。
 持っててくれと渡された卒業証書をまじまじと見る。

「ま、桜夜もきちんと卒業する気ってことやな。みんなも私に言いたいことがあれば今のうちやで」

 思わず花歩を見るつかさだが、本人はにこにこして何も言わないので、代わりに軽く話を繋いだ。

「さっきのあたし達のライブ、どうでした? ちゃんと感想も言ってってくださいよー」
「いやあ、つかさはほんまに可愛かったなあ。私たちを慕ってくれてるって、改めて実感できたで」
「うわ、藪蛇やった! 恥ずかしいこと言わなくていいです……」

 赤くなっているつかさに笑いながら、残ったロスタイムをお喋りして待つ。


 *   *   *


「はあ~~~あ」

 校舎裏に来るなり、桜夜が聞かせたのは盛大な溜息だった。
 むっとした夕理が文句を言う。

「何なんですか。そんな態度取るために呼んだんですか」
「どうせ私がいなくなったらせいせいするんやろ」
「そんなことは……ないとは言い切れませんね。今の姿を見ていると」
「あーもう! 卒業式くらい優しくしてくれてもええやろ!?」
「さっきまでそのつもりでいました! 黙って去ってくれれば温かく見送る気やったのに!
 そっちがわざわざ呼び出したんやないですか!」

 人気のない校舎の裏で、不毛な言い合いが響く。
 声が消えた静寂の中で、数秒間にらみ合っていたが……
 ふっと桜夜の方から、力を抜いて微笑んだ。

「ほんま、最後まで生意気で偉そうな後輩やな。
 アンタみたいな子のこと、そうそう忘れられへんわ」
「……私だって……先輩みたいなアホで無邪気な人、簡単には忘れません」
「そっか――それなら、ええねん」

 距離は保ったままで、抱きついたりはしなかったけれど。
 桜夜は幸せそうに笑った。
 夕理が今言ってくれたことが、本当に嬉しいことであるように。

「ありがとね、夕理。若葉のあれ以外はどの曲も好きやった。
 すぐ根を詰める性格なんやから、体には気いつけるんやで」
「なっ……」

 言いたいことだけ言って、皆のところへ戻ろうとする。
 本当に、いつもいい加減で勝手な先輩だ。
 すぐに声が出なくて、夕理は必死で絞り出す。

「さっ……」

 足を止める桜夜の、その背中へ精一杯の言葉を投げた。

「桜夜先輩も……お元気で」

 いつも騒々しかった先輩は、今は肩を震わせながら、黙ってうなずくだけだった。


「あれ、姫水」

 結局心配になったのか、戻る途中で姫水が様子を見に来た。

「大丈夫ですか? 喧嘩とかになりませんでしたか?」
「平気やって! 私ももう大人なんやから。まあ、一気に仲良くとはいかへんかったけど」

 桜夜がちらりと振り返る後ろで、夕理はずいぶんと距離を取ってついてきている。
 その恥ずかしそうな姿に、何となく状況を察して、姫水は安堵の笑みを浮かべた。

「まあ、桜夜先輩とはもう一回会えますしね。本命の合格報告、楽しみにしてます」
「落ちたらもう来ないで? 合わす顔がないし……」
「それでもラストチャンス、諦めずにぶつかってください。私にはこれくらいしかできませんけど」

 姫水は桜夜の手を取って、その甲に口づけた。
 限りない敬愛を込めて。今度こそ現実感を持った、本当のキス。
 桜夜は真っ赤になりながら、離された手を大事に押さえつつ、照れ隠しで言う。

「も、もう。前はほっぺたやったのに、グレードダウンしてへん?」
「ふふ。夕理さんが見ている前では、これくらいが丁度いいですよ」
「ほんまやで! めっちゃ気まずいわ!」

 追いついてしまった夕理に抗議されて、桜夜は笑いながら、二人の後輩の手を取った。



「さ、戻ろ! 夕理、あんまり後輩に厳しくし過ぎるんやないで~」
「言われなくても分かってます!」
「姫水は仕事で後輩ができたりするの?」
「またやり直しですから、どうなるかは分かりませんけど……。
 いつかは私も、誰かに何かを残したいですね」


 *   *   *


「やっぱ名古屋行ったら中日応援するんですか?」
「んなわけないやろ! タイガース一筋や! あ、戻ってきた」

 つかさと下らない話をしていた立火は、すっきりした顔の三人と合流する。
 そのまま校門まで歩いていって、桜夜と一緒に振り返った。

「ほな、ここでお別れや。小都子、達者でな」
「お二人の漫才を見る毎日が、ほんまに大好きでした。
 私にお笑いはできませんけど、新入生も含めて、同じくらい楽しい部活にします」
「小都子も忙しなるなあ。部長と受験と、あと泳ぎの練習と」
「わ、今の今まで忘れてました! まあ、気が向いたら頑張ってみますね」

 あははは……と上がる笑い声の中、桜夜も晴へと別れを告げる。

「いっぱい勉強教えてくれてありがとね。小都子のこと、助けてあげてや」
「水泳は知りませんが、それ以外は何とかしますよ」
「うん、それじゃ……みんな、バイバイ!」

 言うべきことは既に言い尽くした。
 花歩はそう思っていたから、二年生の後ろで黙って微笑んでいた。
 歩き出そうとする卒業生たちに、勇魚が真っ先に口を開く。

「ご卒業、おめでとうございます!!」

 花歩や他の後輩たちも、おめでとう、お元気で、と口々に声をかける前で――
 立火と桜夜は、笑顔で手を振って校門を出て行った。
 残された皆も手を振り返し、小さくなっていく姿を見送る。
 その姿も道の向こうに消え、花歩は手を下ろし、視線も落とした。

(終わったんや……)
(あとはこの衣装を着替えて、テスト勉強をして……)
「花歩ちゃん」

 一瞬、誰に言われたのか分からないまま顔を向けた。
 いつも優しい新部長が、なぜか厳しい表情をこちらに見せている。

「え……さ、小都子先輩?」
「ぎりぎりまで待ったけど、さすがにもう言わせてもらうで。
 ほんまにええの? 立火先輩に伝えたいことは、ほんまにもうない?」
「な、何言うてはるんですか。私はもう、何も……」

 地区予選後のクリスマスの日に、割り切ったはずだった。
 立火の迷惑になるだけだから。ただの憧れでしかないのだから。
 なのに蒸し返してきた先輩は、口ごもる花歩の姿に、今度は悲しそうな瞳に変わる。

「ごめんね。ほんまにええんならええんや。
 でも、これがもう最後の機会やで。後悔だけはしないようにして」
「わ、私は……」
「花ちゃん?」

 こういうことには鈍い勇魚が、不思議そうに見ている。
 それを直視できずに目を逸らすと、他の一年生たちの視線。
 姫水は心配そうに、つかさは面白そうに、夕理は少し怒って。

(そうや――みんなみんな、自分の想いから逃げずに)
(今まで正面からぶつかってきたのに、私は――)

 垂らした両拳をぎゅっと握る花歩に、晴の冷ややかな声が届いた。

「小都子、強要はあかんやろ。
 人に言われないと動かへんなら、元よりその程度の想いや」

 こなくそ、と思うと同時に、花歩の体は動いていた。
 情けないのは認めるけど、その程度なんかじゃ断じてない。
 一歩を踏み出して、後押ししてくれた小都子と晴に強く伝えた。

「やっぱり、もう少しだけ話してきます。先に部室へ戻っていてください!」

 走り出した花歩の背中に、もう怒ってはいない夕理の、心からの応援が届く。

「頑張れ、花歩!」

 より加速して、花歩は一直線に後を追いかけていく。

(部長――部長! 部長!!)



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