この作品は「ONE〜輝く季節へ〜」(c)Tacticsの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
茜シナリオに関するネタバレを含みます。


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 後悔なんて縁のない人生だったから、たぶんその時が初めてだった。
『あたしの知ってる茜じゃない』
 笑顔で挨拶しながら、頭の中でそう思う。
 何かに疲れ切って、凍ってしまった顔。
 見た目はただの無表情でも、あたしには分かる。
(何があったのよ、茜)
(何でもっと早く来なかったのよ、あたし)
 初めて後悔して、そして…
 茜に笑顔が戻るまで、絶対に離れないと心に決めた。







bother






「茜っ、一緒にお昼食べよっ」
「…嫌です」
 こういうところは昔と変わってないので、逆に安心してしまう。
「茜は今日もお弁当?」
「…はい」
「お昼持ってこなかったんだぁ、あたし」
「…自分の学校に戻ってください」
「半分くれると嬉しいんだけど」
「…嫌です」
「ここで食べる? 外で食べる?」
「…嫌です」
「うん、それじゃ外行こっ」
「お前ら、日本語の会話をする気はあるのか…?」
 横から余計なツッコミが入ったせいで、隙を見つけた茜はそそくさと教室を出ていってしまう。
 ちぇー。ま、ああなっちゃうとどっちにしろ無理だけど。
「それじゃ折原君、学食でも行こっか」
「オレが!? なんで」
「茜のこと色々聞きたいし」
「ほー。お前に他人の話を聞く耳があるとは知らなかったな」
「大丈夫っ、都合のいいことは聞こえるから。んじゃ行こ」
「‥‥‥」
 思いっきり渋々といった風の折原君に案内させて、学食へとやってくる。適当に定食を選んで席に着き、ぱちんと音を立て割り箸を割った。
「無茶苦茶目立ってるぞ、お前…」
「目立つの好きだよ」
「…もういい」
 とっとと終わらせようと、投げやりに茜のことを話し始める折原君。
 いわく、誰とも交流がない。
 一日中黙っていて、お昼も一人で食べている。
 それ以外はよく知らない。
 あたしがここに来る前に、ここに通ってる友達から聞いた話とほぼ同じ。
 そのときは信じられなかったけど、実際にあんな茜を見ちゃうとなぁ…。
「…変よ」
「お前が変なのはよく分かった」
「茜よ。昔はあんなじゃなかったもの」
「なんだ? 高笑いしながらスキップするような奴だったのか?」
「そこまで言ってないけどさぁ」
 無口だけど、暗いってわけじゃなかった。
 友達は多くはなかったけど、あたしを含め仲のいい子とはいつも一緒にいて、輪の中で微かに微笑んでるような子だった。
 あんな風に周囲を拒絶するなんてどう考えてもおかしい。
 それにあの悲しそうな顔。きっと辛いことがあったに違いない。あたしが何とかしないでどうするの!
「折原君もそう思うでしょ? …あれ」
 いつの間にやら彼の姿はなく、あたしはぶーたれたまま定食の残りをかきこんだ。

 午後は図書室で時間をつぶし、放課後を見計らって玄関へ行く。
「茜っ、一緒に帰ろっ」
「…詩子」
 下駄箱に上履きをしまいかけていた茜が、ちょっと辛そうに俯く。
「気持ちは嬉しいですけど、私に構わないでください…」
 うー…。
 そろそろ言われそうな気がしてたけど、申し訳なさそうにそう言われるとやっぱり痛い。
「放っとけるわけないじゃない。茜がそんな顔してるのに」
「…いつもの顔です」
「ねえ、話して楽になるってこともあるんじゃない?」
「…別に何もありません。いつも通りです」
 話を打ち切るように、ふいと横を向いて行ってしまう茜。
 今日はここまでかぁ…。道は険しそう。
 玄関の外に出て、遠ざかっていく茜の背中に思いっきり叫ぶ。
「明日も来るからねー!」


 あたしと茜は幼なじみ。
 子どもの頃は家が隣で、いつも一緒に遊んでた。
 小学校の時にあたしが市内で引っ越して、ちょっと遠くなっちゃったけど、根性で茜と同じ学校に通っていた。
『…しいこ、つぎ体育よ』
『えー、めんどくさー』
『…うん』
『サボっちゃおうよ、あかねっ』
『…それはだめ』
『まあまあ、人間つきあいがだいじだしっ』
『…やだ』
『ほら、行こ行こっ』
『…やだ』
 あのへんから茜、嫌なものは頑固に拒絶するようになったのよね。
 あたしはそれに対抗すべく、さらに強引さに磨きをかけ。
 そうやって互いに切磋琢磨しながら二人で成長してきたのよ…。
「嫌な切磋琢磨だな…」
「人の回想に突っ込み入れないでよぉー」
 適当に運んできた机に頬杖ついて、最後尾から茜の姿を眺める。
 流れるような綺麗な髪。後ろ姿は変わらないのに、今日はほとんど視線も合わせてくれない。何が茜に影を落としているのか、見当もつかない…。
 仕方ないので休み時間に、同じクラスの子に情報収集してみる。
「ねーねー、茜のことで何か知らなーい?」
「里村さん? うーん、あんまり話したことないからわかんないよ。ごめんね」
「物静かな令嬢って感じよね。密かに乙女の座を狙っているとみたわ」
「みゅー」
 ダメじゃん。
「…詩子」
「はうっ」
 大声で聞き回ってたのが悪かったのか、振り向くと茜が低温の怒りを発しながら立っていた。
「…ストーカーみたいな真似しないでください…」
「あ、あはははは。まあまあ、幼なじみなんだしっ」
 呆れと諦めが入り交じった声で、深々とため息をつく。
「…わかりました、少し話しましょう」

 廊下に出ると、ガラス窓の向こうを横切る細い雨。
 ああ、傘持ってきてない…。
「茜、傘持ってる?」
「…持ってます」
「らっき、帰り入れてって」
「‥‥‥」
 あれ。
 何かまずいことでも言っただろうか。暗い色が茜の表情をよぎる。
 けれどそれも一瞬で、すぐにいつもの顔で向き直る茜。
「詩子」
「うんっ」
「しつこいです」
「…うー」
 はっきり言うなぁ…。
「ねえ、あたしじゃ力になれない?」
「…ごめんなさい」
 かなり気まずい。
「詩子にはどうにもできない事なんです」
 …茜がそう言うからには、本当にそうなんだろう。
 でも…
「ね、ねえ。水くさいよっ」
 あたしが無力だなんて認めたくない。
 茜の一番近くにいるはずのあたしが、何もできないなんて。
「できるかできないか、やってみなくちゃ分かんないじゃない」
「‥‥‥」
「あたし、茜のためなら何でもするよ。ね、幼なじみじゃない。いつも一緒だったじゃない」
 焦りを含んだあたしの声を聞きながら、俯いた茜の顔は、前髪に隠れて見えない。
 その口が小さく開く。
「…くせに…」
「え?」
「忘れちゃったくせに…!」

 一瞬の静寂。はっとして、しまったという風に口を押さえる茜。
 でもはっきり聞こえた。『忘れた』?
「え、え? なに、あたし何か忘れてた…?」
「…何でも…ないです」
「何でもないってことないでしょ」
「何でもないです、本当に…詩子のせいじゃないです」
 話を打ち切るように、顔を背けると急いで教室へ戻ってしまう。
 あたしは後を追わず、今の会話を咀嚼した。
 これは手がかりだ。
 茜は話してくれそうもない。長いつき合いだからそのへんは分かる。
 あたしが自分で見つけるしかない。
 とりあえず今日は退散して、雨の降る外に出た。

 コンビニで傘を買って、頭をフル回転させつつ下校路につく。
 うーん…。
(確かにあたしって、あんまり物覚えいい方じゃないからなぁ…)
 茜に借りたものを返し忘れて、怒られたことが何度あったやら。
 とはいえ。
『詩子のせいじゃないです』
 そう言うからには、あたしがヘマしたってわけじゃないんだろう。
 でもそうすると…わかんないなー。
「…どっか行ってみよう」
 足を伸ばして、雨の中で茜との思い出の場所を歩いてみる。
 小学校の頃、一緒に遊んだ公園。
 中学校の頃、甘いものを食べて回った商店街。
 それから…
 思い出したくない記憶に当たり、途切れる。
 そういえば、あの頃――
 中学の卒業を間近に控え、茜と離れることになった時から、思えば何かおかしかったんだ。
 茜のすぐ近くにいたつもりだったけど。
 もしかして、何か見落としてたんだろうか?


「また来たのか、お前…」
「茜、あんなこと言われてるよっ」
「‥‥‥」
 次の日も、また次の日も。
 進展がないので、一生懸命茜に話しかける。一年前までは楽しいだけだった会話。
 時々笑ってくれるけど、すぐにまたいつもの顔に戻ってしまう。
「…詩子」
「ん?」
「自分の学校に戻ってください」
「明日は行くよ」
「…明後日もです」
「あたし、邪魔?」
「…詩子に迷惑がかかります」
 そんな会話の繰り返し。
 今はもう、そんなこと言われる距離になっちゃったのかな…。


 実際出席日数がヤバいので、翌日は自分の学校に行った。
「詩子!? 今までどこ行ってたの?」
「ちょっとねー」
 友達が輪になって集まってくる。一応連絡はしてたんだけど、結構心配かけちゃったらしい。
「隣の高校行ってたんだよ」
「え、何しに?」
 何と話せばいいのやら。
「んー…あたしの好きな人が落ち込んでたから、力になろうと思って」
「え、え、詩子にそんな人いたの?」
「詳しく聞かせてよー」
「だーめっ。好きって言っても片想いだしね」
 久しぶりの教室。
 気の置けない友人たちとの、気軽な会話。茜と別れてからの高校生活も、それはそれで気に入ってた。
 でもやっぱり、茜の存在には換えられない。再会してあらためて分かった。
 結局どこまでいっても、あたしは茜が一番大事なんだって。
「だもんでごめん、明日からまた休むね」
「うーん、詩子がいないとつまんないなー」
「ごめーん、もう戻ってこないかも」
「…そっか」
 冗談めかして言ったつもりだけど、本音が通じてしまう。
「ま、いいんじゃない。やりたいようにやるの、詩子らしいしね」
 特に仲の良かった子がそう言ってくれて、ちょっとだけ元気が戻った。
「ありがとっ」



 茜のことが好きだった。
 無口なのも、頑固なのも。優しいのも、細やかな心も。
 綺麗な髪も、料理上手なのも、甘い物が好きなのも、あたしは全部好きだった。
『詩子』
『…詩子』
 あたしの名前を呼ぶときだけ、声が僅かに柔らかみを帯びる。
 幼なじみだけの特権。あたしのこと、大事な幼なじみって思ってくれてる。
 あたしが冗談言えば笑ってくれて、どこか行きたいって言えばつきあってくれて。
 そうやって、ずっと一緒にいられるんだと思ってた。

 でも壊れるのは一瞬だった。
『詩子とは違う高校に行きます…』
 青天の霹靂とはこのことだ。
 当然のように茜との高校生活を夢見ていたあたしには、耳を疑うしかすべがない。
『あ、あたし何か気に障るようなことした!?』
『そうじゃ…ないです』
『ね、ねえ、冗談きついよ。あ、この前茜のたい焼き食べちゃったの、怒ってるんでしょ』
『‥‥‥』
 冗談も不発。本気らしい。
『もう話すことはありません』
『ち、ちょっと待ってよっ!』
 反射的に、茜の腕を掴む。こっちを向いてくれない。なんでよ。あたしは茜が、茜が――
『茜のことが好きなのっ!』

 言っちゃった…。
『ずっと…好きだったよ』
 自覚したのはいつだったろう。
 友達以上に思ってるって。
 時々抱きしめたくなるって。
 一生口には出さないつもりだった、けど…

 彼女は目を合わせないまま、抑揚のない声で言った。
『ごめんなさい…。私にそういう趣味はないです』


 会いになんて行けるわけがなかった。
 必死で弁解して、なんとか『友達』には戻してもらったけど。
 結局茜は別の高校に行っちゃうし、どうしようもない溝ができて、せいぜいあたしの方からたまに電話する程度だった。
 自分でも馬鹿だと思う。
 そもそも別の高校に行くって言い出したのも、あたしの気持ちがバレたんだろう。
 当然の結果。そう思って諦めるしかなかった。

 でも、でもよ。
 もしかしたら、何か別の理由があったのかもしれない。
 まあ茜があたしの想いを受け入れてくれるとは思わないけど、うまくいけば、昔と同じにまでは戻れるんじゃないだろうか。
 甘い考え? いいの、あたしは元々楽天的なんだから。
「さて…」
 今日も茜の学校に行こう。


「…大した根性だな、お前も」
 茜につきまとい、例によって振られて、一人寂しくお昼を食べるあたしに折原君が声をかける。
「やった、ここにいていいって許可が出たよ」
「どう解釈したらそうなるんだっ」
「えー、違うの?」
「やっぱり今すぐ帰れっ!」
「まあまあ、二人とも」
 苦笑しながら長森さんが割って入る。
 そういえば最初に校門で話しかけたのがこの二人だったっけ。なんか遠い昔のような気がする。
「でもやっぱり幼なじみだよね。詩子さんと話してるときって、里村さんちょっと嬉しそうだもん」
「え、そう?」
 長森さん、あなた天使ね。あたし感動したよ。
「デマ言うんじゃない。どう見ても里村は迷惑そうだぞ」
 折原君の言葉は丸めてゴミ箱に捨てた。
「そういやあいつ、今朝も空き地に突っ立ってたな」
「え…?」
 丸めた言葉をあわてて広げ直す。
「あいつって、茜が?」
「ああ、雨の日にはいつも傘持って空き地にいるな…って人の首掴んで揺するなっ!」
「そーゆー大事なことはもっと早く言ってよーっ!」
「ええい、今思い出したんだっ!」
「あはは。ごめんねぇ、詩子さん」
 はて、空き地に何があるんだろう? わかんないけど、茜が用もなしにそんな所に立っているとは思えない。最後の手がかりだ。
 折原君から空き地の場所を聞き出して、そのまま校舎の外に出た。

 歩いていると、ぽつぽつと落ちてくる水滴。鞄から折り畳み傘を取り出す間に小降りになる。
 着いたのは、住宅の中にぽっかりと空いた空き地。
 背の高い雑草が生い茂る空間。そうそう、子どもの頃に茜と来たことがある。
 あの時のあたしたちはこの草に隠れるほど小さくて、隠れんぼにちょうどよかったっけ。
 今は上から草の群が見渡せる。といっても特に何もない、ただの空き地。
 草をかき分け何かないかと探したけど、地面しか見つからない。
「うーん、この空き地がなんなんだろ?」

「…詩子…」

 振り返ると、ピンク色の傘がじっと立っていた。
 何かを期待したような瞳。
「や、やっほー。茜」
「もしかして…思い出したんですか…?」
「え、何が?」
 一気に落胆へと変わる。
 ま、まずい…。
「…帰ってください」
「いや、あのね茜、あたし…」
 空き地に足を踏み入れる茜。急に自分が、場違いな場所にいるような気分になる。
「ごめんなさい、理由は言えません。
 詩子が善意でしてくれていることも分かっています。
 でも…」
 その俯く顔を見ていると、あたしが…
 単に茜の重荷にしかなってないんじゃないかって、そんな気分になる。

「詩子の顔を見ると…辛いんです」


 なに、それ…。

「何、それ?」
「言葉通り、です…」
 嫌われるならわかる。鬱陶しいというのもわかる。
 でも『顔を見ると辛い』って一体何?
「わけわかんないよ、茜…」
「‥‥‥」
 理由は言えない、そういうこと。
「…そっか」
『詩子さんと話してるときって、里村さん嬉しそうだもん』
 気のせいだったみたいだよ、長森さん…。

 空き地の外に出ると、茜の小さな声が聞こえてくる。
「ごめんなさい、詩子…。
 本当に…本当に、ごめんなさい」
 一番聞きたくない言葉だった。


 家に帰って、制服のままベッドに倒れ伏した。



*   *   *



『…う』
『…しょうーっ』
 あれ。
 ああ、子どもの頃か。
 また、硝のこと呼んでる…。

『しいこが、むりやりつれてくから…』
『あ、あかねだって体育きらいなくせにー』
『まあまあ…しょうがないなぁ』
 そうそう、結局あたしが茜を道連れに体育さぼって、先生に見つかって…。
 またいつものように、硝が一緒に謝ってくれたんだっけ。
『…ごめんなさい』
『ごっめーん』
『いや…気にしてないよ』
 彼が微笑んでそう言ってくれるのも、いつもの通りだった。

 あたしたちにとってはお兄さんみたいな存在だった。
 しょっちゅう迷惑かけて、振り回して…それでも嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた。
 いい奴だった。
 茜が惹かれるなるのも、仕方ないことだったと思う。
『茜、硝のこと好きなんだ?』
『‥‥‥』
 真っ赤になって、俯く茜。すごく可愛い。
 あたしは嫉妬する気持ちもあったけど、当時はまだ善良だったから、素直に茜の恋を応援することにした。
 しかし傍目から見ればバレバレなのに、どうもなかなか進展しない。
 茜は奥手だし、硝は優柔不断だしで、あたしはやきもきしてばかり。
 けど、そういう微妙な関係も後になって思えば楽しかったりする。
 そして中学3年生の冬。
『…詩子、このチョコレート、どうですか…?』
『うん、可愛くできてるよっ』
『でも…こんな大きいの、迷惑かも…』
『そんなことないよ。この詩子さんが保証する』
『‥‥はい‥‥』
 ついでなので、茜のいないところで本人にもさりげなく探りを入れる。
『ね、硝。茜のことどう思ってる?』
『ど、どうって…』
『ふふふ〜。茜って可愛いよねぇ』
『……そ…それは……』
『ま、気持ちの準備はしといてね。じゃっ!』
『‥‥‥』
 そして…
 目の前に、朝の光景。茜と硝が何か話してる。あたしが駆けてくる。茜に挨拶して、硝を見て、口を開く――

『この人……茜の、知り合い……?』


*   *   *



 がばっ
 ベッドから跳ね起きる。
 まだ6時だ。ってそんな事はどうでもいい。
「なに、今の…」
 なにって、硝でしょ?
 いや、そうじゃなくて。
「なんで忘れてたの!?」
 まだ暗い部屋に、あたしの声が響き渡る。
 もう一人の幼なじみ。あたしと茜と硝と、いつも三人一緒だった。記憶力がどうとかそういう問題じゃない。
 混乱する頭を整理するように、部屋の中を歩き回る。ふと気づいてカーテンを開ける。雨の音。聞いているうちに、別の疑問にたどり着く。
(なんで急に思い出したんだろう?)

 何かが起きてる。
 異変。何なのかはわからないけど…心当たりのある場所はひとつしかなかった。あたしは傘を広げ、雨雲に覆われた外に出た。



 くさか しょう。
 草下硝。あたしたちの幼なじみ。

「やぁ…」

 その彼が、そこに立っていた。
 雨の降る空き地で、傘も差さないまま、昔のままの微笑みで。

「久しぶりっ」
 あたしも普段の日常のように、笑顔で挨拶する。
「そうだね…。詩子が先に来るとは、思わなかったけど」
「茜にとってはいつも通りだしね」
 忘れてたあたしが、急に思い出すことで異変に気づいた。
 それも皮肉な話だった。
「傘、いる?」
「いや…いいよ」
「あそ」
 茜が来たときに見えるように、彼の隣に並ぶ。
 その時になって初めて、雨の中の彼が、妙に存在感が薄いことに気づく。
「…詩子は、そろそろ学校?」
「今日、日曜だよ」
「そうだったんだ…」
 曜日も分からないようなところに行ってたんだろうか。
 硝が口を開く気配がないので、あたしの方から切り出した。
「説明してもらえるよね」

 彼の顔が陰る。
「詩子は…聞かない方がいいと思う」
 言いづらそうな口調。
「すぐにまた忘れるだろうし、聞いても面白い話じゃ…」
「あたしがそれで納得するとは思ってないよねぇ?」
 笑顔で言ってるけど、内心はらわたが煮えくり返っていた。

 ようやく全部わかった。
 茜の悲しみの理由。
『忘れちゃったくせに…!』
『詩子の顔を見ると…辛いんです』
 ずっと待ってたんだ。
 どこへ行ってたんだか知らないけど、消えてしまった硝を、ずっとずっと待っていた。
 あたしはそれに気づかず、綺麗さっぱり忘れて、そのくせ親切面で力になろうなんて言って…。
 自分にも腹が立ったけど、当然こいつも同罪だった。

「さあ話してもらいましょうか。納得できる理由でなけりゃただじゃおかないけどね…」
「お、落ち着いてっ…詩子まで巻き込んでしまって、本当に…」
「そんなこと聞きたいんじゃないっ!」
 茜といい、こいつといい、なんであたしなんかに遠慮するのよ!
「話してよ! 硝のことだから、何か理由があったんでしょ?
 あたしたち幼なじみじゃない、いつも一緒だった仲じゃないっ…」
「そ、そうだね…。いや…」
 不意に、雨の動きが止まった気がした。
 それまで一方向に吹いていた風が、急に逆方向を向くような、そんな感覚――

「ごめん…。
 正直、僕はいつも付き合わされて迷惑だった」


 …は?
「…やっぱり、言わない方が良かったね」
 悲しい目であたしを見る硝。
「え、そ、そうじゃないけど…」
 いきなりそんなこと言われても、あたしたちの思い出は…
(あたしが悪戯して、硝に連帯責任で謝らせたり)
(硝に宿題やらせて、ノート写させてもらったり)
(茜との甘いもの探索ツアーに、無理矢理付き合わせたり)
 しまった。
 これじゃあ全然反論できない。
「そ、そうだったんだ…。ごめん…」
「いや…はっきり言わない僕も悪かったんだ」
 そうよ、嫌そうな顔なんて全然してなかった。
 あれがあたしたちに気を使っての演技だったなら、演技力ありすぎだよ。
 迷惑かけた張本人のあたしが、『迷惑ならそう言えばいい』なんて図々しすぎるけど…。
 …なんだ。
 ずっと、迷惑がられてたんだ…。
「で、でも悪いのはほとんどあたしでしょ。茜を悲しませることないでしょ…」
「そうだけど…」
 彼の辛気くさい独白は続く。

「詩子のことは実際は大したことじゃないんだ。僕が我慢すれば良かったんだから。
 でも茜は、何をどう勘違いしたのか知らないけど…僕のことを」
「そうよ」
 あたしが欲しくて欲しくてたまらなかった、茜の気持ち。
 それをこいつは手に入れていたのに、何が不満だっていうんだろう。
 再びめらめらと怒りがこみ上げてくる。
「茜、ずっとあんたのこと想ってたんだからっ!
 一生懸命クッキー焼いて…
 バレンタインにはチョコレート作って…
 クリスマスには嬉しそうにプレゼント選んで…
 そこまでしてもらって、何が不満だったのよっ!」
「僕は別に好きじゃなかった」

 …本当に、聞かない方が良かったかもしれない。
「茜がいい娘だってことはわかってたけど
 どうしても、そういう風には思えなかった。クッキーも、チョコレートも、プレゼントも、ただ申し訳なくて…
 あんなに尽くしてくれてるのに、応えられない自分が、本当に…心苦しかった」

 今さらながら、硝の気持ちを全然考えてなかったことに気づく。
『好きでもない相手から好かれても、嬉しくともなんともない』
 そんな身も蓋もない事実に。

「だから、消えちゃったっていうの…?」
「それが一番いいと思ったんだ…」
 二人とも、力なく言葉を紡ぐ。
「元々生きていて楽しいなんて思ったことはないし、疲れるだけで。
 茜だって、僕がいなければもっといい相手を見つけられるだろうし。
 でも失踪なんてすれば二人に心配かけるし、自殺なんて論外だ。
 そんなとき、別の『世界』の存在に気づいた」

 こことは違う、もうひとつの世界。
 そこへ行けば、この世界には最初からいなかったことになる。みんなから忘れ去られ、何も残さずに消えることができる。
 そう説明して、ため息をつく硝。

 あたしに対しては全面的に成功した。
 誤算は茜の想いの強さ。
 結局忘れてもらえず、かえって茜を苦しめた。
 頭を抱え、うめくように言う。
「…あそこまで執念深いとは思わなかった」

「せめて一途って言ってあげなよ…」
「ごめん」
 …同じことだけど。
「でもやっぱり、僕が間違ってたんだと思う。
 あんな風に逃げようだなんて。
 辛かろうが傷つこうが…ちゃんと振らなくちゃいけなかったんだ」
「…うん」
 あたしもそう思うけど、さすがに彼は責められない。
 一途に自分を想ってくれる茜に、『お前のことは好きでもなんでもない』なんて。
 言いづらいこと、あたしに対する比じゃない。
「…それを、言いに来たの?」
 あたしの問いに、沈んだ目で頷く硝。
 それは正しいことなんだけど…
「気が重いね…」
「そうだね…」
 言葉が途切れ、ただ黙って茜を待った。
 降り続く雨が、憂鬱な気分をなお重くした。


 その時が来るまで、それほど時間はかからなかった。
 道の向こうに見える傘。ピンク色のそれが、少しずつ近づいてくる。
 顔を上げ、こちらの姿を認める茜。驚きと、歓喜の表情。あたしには絶対見せてくれない顔。胸の奥が痛い。
 水たまりの滴を跳ね飛ばして走ってくる。
 隣にいるあたしに気づき、一瞬訝しげな目をするが、すぐにまた笑顔に戻る。三人一緒の時間が戻ってくるのだと、信じて疑わないように。
 …気が重いことは彼に任せて、あたしは傍観者に徹することにした。

「硝っ…」

 目の前に茜が立っている。感激で、涙まで浮かべて。
「良かった…。きっと帰ってきてくれるって、信じてた…」
「あ、ああ。茜…」
「あっ…」
 濡れている硝に気づいて、あわてて傘を差し出す。
「…やっぱり、傘持ってなかったんですね」
 昔の通りの、柔らかい笑顔。
 あたしも硝も、正視できずに視線を逸らす。
「茜」
 硝はいい奴だったから、済まなそうに…
 手を上げると、茜の傘を押し戻した。
「傘はいらない…。必要ないんだ」


 この時点で、茜も薄々気づき始める。
「そ、そうですか…」
 笑顔を貼りつけたまま、言葉を続ける。
「で、でも、また三人で過ごせますよね?
 そうだ、山葉堂に新しいメニューができたんです。
 すごく甘いワッフル、硝が戻ってきたら、一緒に食べに行こうって…」
「茜…」
「ダメ…ですか?
 今がダメなら、大丈夫になるまで待ちます。
 私、待つのは嫌いじゃないですから、硝の都合が合うまで…」
「あ、あの、茜…」

 好意を裏切るのは難しい。
 誰だって、拒絶されるのは辛いから。

 必死の茜に、彼の勇気が小さくなっていくのが分かった。
『なんとか茜を傷つけず、穏便に済ませられないか?』
 そう考え始めてる。だから――

「硝っ!」

 黙って見ているつもりだったけど、口が勝手に叫んでいた。
「そうじゃないでしょ! 茜に言うべきことは、ちゃんと言ってよ!」
「詩子っ――!」
 涙を浮かべ、茜が非難の視線を向ける。
 あたしは平然と受け止めた。間違ってるつもりはなかったから。
 もうこんなのは嫌だった。互いに気を使って、言いたいことも言えず、かえって傷つけて。
 あたしたちは、幼なじみなのに…!

 茜の視線が弱まり、逸れる。
「茜…ごめん。僕は…」
「…迷惑ですか」
「……」
「…私に待たれるの…迷惑ですか…?」
 諦めの悪かった茜の瞳に、初めて諦めの色が宿っていた。
 そして少しの沈黙の後…
 硝の声が雨の中に響いた。
「…迷惑だ」


 小さく震える傘。
「わかり…ました…」
 茜にはそう言うしかなかった。
『迷惑なら迷惑と言う』。茜がいつも実践していたことだから。
「二人とも…私が馬鹿なせいで振り回して…。本当に、ごめんなさい…」
「茜…」
「ごめんなさいっ…!」
 きびすを返す。押し殺した嗚咽が後に残り、来たときと同じ速さで、茜は雨の中を走っていった。
 その背中を見送りながら、二人並んで、あたしの傘を叩く水滴の音を聞いていた。

「…いいのかい」
「ん…少し一人になりたいだろうから」
「そうか…」
 げっそりと疲れ果てた顔で、硝は深く深くため息をつく。
「お疲れさま。あとはあたしに任せてよ」
 とりあえず気休めを言っておく。
「うん、頼むよ…」
「気にすることないよ。放っておいても硝は困らないのに、わざわざ来てくれて。ありがと」
「…二人には幸せになってほしいよ」
 僕のいないところで。
 小さくつけ加えて、そして不意に彼の姿が薄れる。
 その顔に初めて安堵の色が浮かぶ。
「でも、ようやく終わった。もう疲れることもない。他人に気を使って、神経をすり減らす必要もないんだ」
「どこに行くの?」
「詩子には縁のない場所」
 穏やかな微笑み。その笑顔も薄れていく。

「誰かを煩わすことも、誰かに煩わされることもない場所…」

 えいえんのせかい――。

 最後にそんな声が聞こえた気がした。






 泣きやんだ頃かと思ったけど、まだ早かったみたい。
 百メートルほど歩いた先にある電柱の陰で、茜は小さく震えていた。
「一人に…してください」
 この結果で良かったんだろうか。
 ううん…良かったんだよ。
「ねえ、茜…」
「来ないで…詩子の顔なんて、二度と見たくないっ…!」
 ‥‥‥‥。
 嫌われちゃった、か…。

「それじゃ、あたし行くねっ」
 明るい声で言う。最後かもしれないから。
「でもね――
 あたし、今でも茜のこと好きだよ。
 だから迷惑なら、早めにそう言ってね。そしたらもう、付きまとわないから…」
 どうしようもない。あたしが引導渡させたようなものだから。
 いつか茜の気が変わることを願って、その場を離れようとした。
 そのとき…

「あ…」
 茜の手が、あたしの袖を掴んでいた。

「‥‥‥」
「あ、茜?」
「…ごめんなさい…勝手なことばかり言って…」
「う、ううんっ! もー全然気にしてないよっ! あたしと茜の仲だもんっ!」
 傘を放り出して踊り出したい気分だった。
「いつか、お礼はしますから…」
 そう言って、足を引きずるように歩いていこうとする。
「ち、ちょっとっ。一人で行かないでよぅ」
「‥‥‥」
「あ、それじゃ今お礼してほしいなー」
「…?」
「あたしは、茜と一緒にいたい」
 にっこりと笑うあたし。一瞬きょとんとして、そして茜も…
「…わかりました」
 まだ弱々しいけど、笑おうとする。涙はもう、雨に紛れて見えない。
『ねえ』
 名前も忘れた幼なじみに、呼びかけてみる。
 あたしたち、心配しすぎだったみたいだよ。
 茜はそんなに弱くない。振られたって、ちゃんと立ち直れるよ。


 歩きながら、彼との会話を全部話して聞かせた。
 茜は終始無言だった。
「そりゃ気づかないあたしたちも悪かったけどね。向こうだって迷惑そうな素振りすら見せなかったんだし。お互い様よ、うん」
「…詩子」
「うん?」
「カレーでも食べに行きませんか」
「ぶっ」
 超がつく甘党で、辛いものなんて毒薬くらいにしか思ってない茜の言葉に、水たまりへ転びかけるあたし。
「ど、どうしたのっ!?」
「…自分の馬鹿さが許せないんです」
「そ、そりゃ必死で待ってたのに実はウザがられてたなんてすっごく馬鹿みたいだけど、そんなの気にすることないよっ」
「…カレー食べて死にます…」
「わーっ、冗談だってばーーっ!」
 うーん、あたしは辛いのも好きだから別に構わないけど、茜もけっこう自罰的。
 そういうとこ、消えたあいつに似ている気がして、つい繋ごうと手が伸びる。
「…少し、硝の気持ちもわかります」
 それが伝わってしまったのか、暗い顔で手を離そうとする茜。
「私も…詩子に助けられてばかりなのに、気持ちに応えることができませんから…」
「ちょっとちょっとっ」
 確かに、茜にとってのあたしは、彼にとっての茜と似た位置かもしれない。
 けど…
「いいよ、あたしは。
 女の子同士だもの、最初から両想いになれるなんて期待してないよ。
 茜さえ気持ち悪くなければ、片想いだけでもさせてくれると嬉しいけどね」
「気持ち悪いなんて思ってないです。でも…」
「じゃあ、茜も消えちゃう?」
「そんなことしませんっ…!」
 強い否定。
 茜はあいつとは違う。
 あたしと茜なら、二人で丁度いい関係を作れるよね。
「わかりました…。とりあえず、今日は私がおごります」
「うんっ。朝からやってるお店知ってるよ。すごく辛いの」
「…そこまで辛くなくていいです」
 茜らしくて、思わず吹き出してしまう。
 そして
 茜も笑顔。いつものように、微かすぎてあたしでないと分からないほどだけど…
 やっと戻ってきた――。
「大丈夫だね」
「…はい」
 降り続く雨。けど今は、それも綺麗な気がした。

「…私は、この日常が好きですから」






 …さて。
 こうして、あたしの当初の目的は無事達成されたわけだけど。
 明日からはどうしよっかな?



*   *   *




「んあー、転校生を紹介する」
 ごんっ
 ショックを受けた折原君が、机に思いっきり頭をぶつける。
「柚木詩子です。よろしくお願いしまーす」
「なんでお前がここにいるんだぁぁぁっ!」
「正式に転校してきたんだよ〜。これで文句ないでしょ?」
 この世の終わりみたいな顔してる彼は放っておいて、茜の後ろの席に行く。
「ねえねえ。あたし目が悪いから、席代わってくれない?」
「え、俺?」
「そう」
「…詩子、私が代わってあげます」
「いーの。前から3番目という絶妙の位置が好きなの」
「まあ、俺は構わないけど…」
 名も知らぬクラスメートに深く感謝して、席に腰掛けにっこり笑顔。
「これからよろしくねっ」
「やることが無茶苦茶です…」
 呆れたように、肩越しに視線を向ける茜。
 まだ完全に振り切るまではいかなくて、少しだけ目を伏せる。
「…どうして、そこまでするんですか?」
「だって茜のこと愛してるもん」
「…真顔で言わないでください…」
「なんで? 本当のことだし。好きなものは好き、当然でしょ」
 片想いでもね。それは変わらない。あたしの最愛の人。そばにいて、他愛もないお喋りをして…それで、十分幸せ。
「それに、茜は迷惑なら迷惑って言うしね」
「…知りません」
 ちょっと困ったように、恥ずかしそうに、ぷいと前を向く茜。
 『迷惑』とは言わない。だったら嫌がられてないって、あたしがここにいることを、もしかしたら喜んでくれてるって、そう思ってもいいよね――?

 戻ってくる時間。授業が始まり、新しい日常が開始される。この世界の中で、あたしはずっと…茜が近くにいる、その空気を感じていた。
「…でも、髪をいじられるのは嫌です」
「ちぇー」







<END>





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