めでたくきらめき高校に入学した俺は、幼馴染みの詩織とも同じクラスになることができた。これから詩織にふさわしい男になれるよう頑張るぜ。
 の、はずだったんだが…
 俺は何故こんな理科室でこんな事をやってるんだろう…
「何よその不満そうな顔は」
「めっそうもございませんっ!」



紐緒SS:君の人生は燃えているか




 俺を見る詩織の目は今や南極よりも冷たい。そりゃ校舎破壊や人体実験の助手やってりゃ当然だ。ハゥ
「相変わらず間の抜けた顔ね。さっさとそこのプラグを持ってきなさい」
「…ハイ」
 そう、すべてはこの人紐緒結奈
「様」
 …紐緒結奈様に起因する。入学早々データを書き換えられた俺は、彼女の下僕として寂しく暗い高校生活を送る羽目になったのだった。
「プラグ持ってきましたぁ」
「それじゃそっちに繋いで、後はその台の下を通しておくのよ」
「はぁ」
 ひたすら言われるとおりに動いてる情けない俺の青春はすでに終わっているらしい。大勢いた科学部の部員もすでに逃げ去り、俺一人このまま卒業式の日まで彼女の怪しい研究に付き合って時を過ごすのか…
 その彼女といえば現在物質転送装置なるものを開発中である。これさえ完成すれば全世界が変革するとの彼女の言葉だが、さすがに容易でないらしく研究は一進一退のようだった。
「変ね、これで動くはずなんだけど…」
「やっぱ難しいですよねえ」
 キッ!と睨まれてあわてて口をふさぐ。山より高い紐緒さんのプライドは、下手に刺激すると命に関わる。
「あなたは邪魔だからもう帰りなさい」
「え゛」
「二度も同じ事は言わないわよ」
 か、帰るのはいいけど怖いなあ…。しかし逆らうともっと怖いので、俺は素直に従うことにした。
「それじゃ、お先に失礼しますです」
「‥‥‥‥」
 とほほ…。

 翌日俺が理科室に行ってみると、昨日まで影も形もなかった奇妙な装置が出現していた。
「紐緒さん、これ…」
「どう?この私にかかればこのくらい雑作もないことよ」
 どうやら寝ないで作ったらしく、紐緒さんの目は充血している。変なところ子供っぽいんだよなこの人は…
「いやあ、さすがは紐緒さんっすよ!」
「ふふん、当然ね」
 大いばりの紐緒さんはさっそく装置の電源を入れる。
「さて記念すべき転送物第一号は…」
「ううっ急に持病の癪が!」
「あなたなんかにそんな栄誉を与えるわけがないでしょう。そうね、これにしましょうか」
 そういって彼女が本棚から取ってきたのはM・ファラデーの『ロウソクの科学』だった。昔読んだものなので内容は忘れたが、確か電磁気学の権威ファラデーが子供向けに行った講演をまとめた科学入門書だったような…。
「紐緒さんでもそんな本持ってるんですね」
「読んだのは2歳の頃よ。おかげで私は科学の素晴らしさを知ったのよ」
 さすがは紐緒さんである。
 その古びた本を装置にセットすると、紐緒さんは指をパチンと鳴らした。とたん に床が開き、下からスイッチがミュイーンとせり出してくる。相変わらず変なと ころに凝る人だ。
「さあ、ついにこの時が来たわ!」
「世紀の一瞬ですね!」
 いかに怪しげな研究でもこういう瞬間は燃える。一度でいいから俺もあんなスイッチを押してみたいものだ。
「これで世界は私のものよ!」
 ポチッ
 ちゅどーーーーん
 数瞬後、修羅場と化した理科室の中で、俺は煤だらけの紐緒さんの顔をおそるおそるのぞきこんだ。
「あのぅ…」
「失敗は成功の素っていつも言ってるでしょう!」
「はいっ!」
 やはり一夜漬けでは無理があったようで、俺は慌てて部屋の片づけを始める。あわれ紐緒さんの思い出の本も、無惨に灰と化してしまった。
 当の彼女といえば白衣はボロボロ、髪はボサボサで見てる方が悲しくなる。美人なんだから、少しは他の女の子を見習って青春を楽しんでもいいと思うんだけど…。
「そうだ!気分転換に遊園地にでも行きませんか」
「そんな低級な娯楽に興味はないわ」
 一蹴されてしまう。
「科学の真理の前に、そんなものに時間を費やす連中の気がしれないわね」
「別に科学が必ずしも人間を幸福にするとは限らないじゃないですか」
 俺は少しむっとして−−それでもできる限り穏便なつもりで言ったのだが、見事に彼女の冷たい視線を浴びることになった。
「自然科学の目的は何?言ってみなさい」
「えーと…」
「それはあくまで自然の仕組みの探求であって、断じて人間の幸福なんていう下らないものの追求ではないわ。『満足した豚よりも飢えたソクラテスたれ』とJ.S.ミルも言ってるでしょう。確かに自然に対する知識が増えたところで腹がふくれるわけではないけれど、だからといって無知のまま幸せという名の快楽を貪るなど私はごめんね。精神的な高みというのは科学の」
「大変よくわかりましたっ!」
 長くなりそうなので話を打ち切って、俺はそそくさと片付けを続行する。と、後ろで紐緒さんの静かな声が聞こえた。
「…原発も核ミサイルも結局は人間の問題よ。本当の科学というのは古代ギリシア以来多くの科学者達が少しずつ積み重ねてきた知識の集積なのよ。侮辱することは許さないわ」
 それだけ言うと紐緒さんは、何とか無事だったパソコンに向かってキーを打ち始めた。わりあい真面目な人だよな。言ってることとやってることが全然違うような気はするが…。

 それから数日が経ち、今夜も彼女の研究は終わらない。果たしていつ寝てるのであろうか。
「紐緒さん、夜食買ってきましたぁ」
「‥‥‥‥‥」
 カタカタカタカタカタ
 部屋の中でキーボードを打つ音が虚しく響く。俺はため息をついて自分の分を平らげると、紐緒さんの分を彼女の目に付きそうな場所へ置いておいた。
 見渡せば、得体の知れない数々の品が足の踏み場もないほど転がっている小さな理科室。こんなところで世界征服の準備をしているなんて、人に話せば笑われるのは間違いない。いや、俺だってあの時無理矢理引き込まれていなければ、何を馬鹿なと笑ったことだろう。
 すべての人間から後ろ指をさされながら、それでも彼女は今日も研究を続けている。一体何が彼女をそこまでさせるのだろう。一体何が…

 はっ
 いかん、いつのまにか眠ってしまったらしい。
 目を覚ましてみれば外はもう朝で、紐緒さんは相変わらずキーボードを打ち続けていた。が、昨日俺が買ってきた夜食は米粒ひとつ残らず片づけられ、俺の体には…毛布がかけられていた。
「紐緒さん…」
「あなたが風邪を引いては研究の予定が狂うからよ。他に理由はないわ」
 振り向きもせずにそう言う紐緒さん。どうやら昨夜のうちに答えを用意しておいたらしい。
「あ、ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いなんてないわよ」
「紐緒さんて優しいですね!」
「ぶっ!」
 さすがにこんな言葉は予想してなかったらしく、彼女は耳まで真っ赤になる。
「何を馬鹿なこと言ってるのよ!さっさとコーヒーでも入れなさいっ!」
「は、はいっ!」
 とりあえず俺はビーカーとアルコールランプで2人分のコーヒーを入れる。ああ、もしかしたら俺って幸せなのかもしれない。(こんな状況で幸せを感じているというのがすでにアレだが)
「コーヒー入りましたぁ」
「遅いわよ、とっとと持ってきなさい」
 標本と薬品と部品に囲まれて2人で飲むコーヒー。平和だ、あまりに平和だ。
「紐緒さん…世界征服なんてやめにしませんか」
 思わず口をついて出たその言葉に、紐緒さんは怒るかと思ったが、逆に視線で話を続けるよう促した。
「ほら、せっかくの才能なんだからまともな研究して科学の発展に役立てたらいいじゃないですか。それとも平和に役立つものを発明するとか」
「‥‥‥‥‥‥」
「今だって…まだ高校生なんだし、少しは外に出ましょうよ。みんな目一杯人生を楽しんでるのに、なんで紐緒さんだけこんな…」
 彼女は無言でコーヒーをすすっていたが、ふいに何かを投げてよこした。
「これは…」
 何のことはない今朝の朝刊だった。一面には例によって空転してるどこぞの国会の話が出ている。
「別に平凡な生き方を否定する気はないわ。人間は自分に合った生き方をすればいいのだから。でも世界では」
 紐緒さんは空になったビーカーに自分でコーヒーを足した。
「私達がこうしてる間にもゴミみたいな連中が権力を不当に所有していて、あちこちで戦争が起こっており、ありとあらゆる理不尽と不公正がまかり通っているのよ。実にくだらない話だわ」
 だんだんと彼女の口調が熱を帯びてくる。
「だからこの私が世界をすべて作りかえるのよ。天才であるこの私のもとに世界を統合し、どんな愚民でもきちんと機能する完璧な民主主義システムを作り上げる!」
 彼女の迫力に俺は思わず後ずさる。彼女もはっと我に返ると、恥ずかしそうにコホンと咳払いした。
「と、とにかく腐った政治家に権力を任せるくらいなら私が支配すべきということね。ふふん」
「紐緒さん…そこまで世の中のために…」
「な、何を馬鹿なことを言ってるのよ。私がそんな偽善者なこと考えてるわけないでしょう」
「紐緒さん…」
「さっさと実験の準備をしなさい!」
 そう言って彼女はそそくさと後ろを向いてしまった。
 驚いた。内容はともかく紐緒さんがそこまで考えていたとは。ただの怪しい人と思っていた俺をどうかお許しください。

 そして時は過ぎてとある早朝、彼女は「こんどこそ」と断言した。
「私のプライドにかけ、今度こそ成功するわ」
「紐緒さんがそう言うなら大丈夫ですよ!」
「ふん」
 彼女はそう答えると、おもむろに愛用のマウスを装置にセットした。
「見なさい、この紐緒結奈の天才を!」
 バシィ!
 スイッチが思いっきり押され、とたんに理科室内にスパークが飛び交う。
「ひ、紐緒さんっ!」
「落ち着きなさい、騒々しいわね」
 紐緒さんの目の前を火花がかすめるが、彼女は身じろぎひとつしなかった。その目はひたすらに装置の中のマウスへ向けられている。
「紐緒さん、危険です!逃げましょう!」
「逃げたければ勝手に逃げなさい」
 彼女は冷然とそう言い放つと、飛んできた紙束を無造作に振り払った。
「!」
 ふいに彼女の目つきが変わる。見ると、マウスが徐々に徐々に消えていくではないか!
「やったか!?」
「まだよ…」
 その口調はつとめて抑えられていたが、拳はしっかりと握られていた。
 マウスはすっかり消滅し、2人の視線が転送装置の出力側に釘付けになる。長い長い一瞬の後…
「やりましたね紐緒さん!」
「やった…」
 そこにはマウスが現れたのである!なんら欠けることなく完全な形で、火花の舞う中姿を現したのだった。
「やっぱり紐緒さんは天才ですよ!」
「と、当然よ」
 俺は思わず息をのんだ。潤んだ彼女の左目から涙がこぼれ…こぼれる前に彼女の左手がそれを拭ってしまった。
「ふ、ふん。目にゴミが入ったようね」
 そう言って顔を隠すように俺に背を向け、装置からデータを取り始める。世間のすべてに背を向けて、それでも我が道を貫く孤高の白衣。
「紐緒さん…」
「…無理にとは言わないわ。ついてきたければ勝手についてきなさい」
 しばらく見とれていた俺に、紐緒さんは背を向けたまま静かに言った。
「でも私は必ず世界を支配してみせるわ。自分自身にそう誓ったのだから、絶対にやりとげるわよ」
 そう言って振り向く彼女の顔は、いつもの不敵な笑みを浮かべた、自信に満ちあふれた紐緒さんだった。
「一生ついていきます!」
 俺は思わずそう叫んでいた。彼女は満足そうに頷くと、ビッと天空の一点を指す。
「世界を我が手に!」
「うおぉう!」
 世界征服への道は遠いけど、紐緒さんならきっと出来る。俺は固く心に誓う。必ずや彼女の理想を見届けることを。
 そうだ、せっかくこの世に生を受けたんだ。ひとつくらい大きな事をやってみたいじゃないか。ただ生まれて働いて死ぬだけの人生なんてまっぴらだ。紐緒さんが俺に真の燃焼をくれたんだ。
「さあ、今のデータを集めるわよ!」
「はいっ!」
 いつまでも見果てぬ夢を追いかけて…
 そして立ち上る朝日の中、俺たちはふたたび長い長い道を歩きだしたのだった。



   数年後、この2人は悪の組織として世間にデビューするのだが
   それはまた別の物語となる




<END>




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