この作品は「ときめきメモリアル2」(c)KONAMIの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
一文字茜に関するネタバレを含みます。

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茜SS: バレンタインは止まらない






「こーくんこーくん、明日は何の日か知ってるかい?」
 ボクのそんな質問に、彼は一瞬きょとんとする。
「え? …あ。あははー」
「えへへー」
「つ、つまりそれは期待しててもいいってことなのかっ?」
「や、やだぁこーくんてばっ!」(べしっ!)
「うげふっ!」
 そう、今日は2月13日。明日はもちろんバレンタイン! バイトばかりの辛い人生だったけど、ようやくボクにも春が来るって感じだよ〜。
「それじゃボクは準備があるから! じゃあね〜」
「あ、ああ。楽しみにしてるよ茜ちゃん…」
 なぜかお腹押さえてるこーくんを後にして、校門へスキップしていくボク。関係ないときはいまいましいバレンタインも、いざ贈ったりもらったりする側になるとこんなに浮かれるものなんだねっ。

 んで校門でほむらと合流し、そのまま商店街へ買い出しに行った。
「よーし、美味いヤツ食うぜ!」
「食べるんじゃなくてあげるんだよっ! ほむらは誰か贈る人いないの?」
「なんで? 人にやったって腹はふくれねーじゃん」
「…ほむらに聞いたボクがバカだったよ…」
 デパートのチョコレート売場は予想通りの大賑わい。バーゲンで鍛えた技を駆使して割り込み、すばやく手にとって見定める。ううっ、思えばこの日のために食費削った軍資金。やっぱり美味しいもの作るなら材料にもこだわらないとねっ。
「茜はどんなの作るんだ?」
「えへへ、ハート型のおっきいの」
「ありがちな奴…」
「いーのっ! 女の子の憧れなのっ!」
「意表をついてドリル型とかにすりゃーいいのに」
「ついてどーする!!」
 結局買ったのはクーベルチュールにホワイトチョコ、飾り付け用の道具などなど。
 ほむらは袋に入った割れものチョコ。砕けたり割れたりして売り物にならない、要するにパンの耳と同じ。そりゃボクも普段は特売品ばかり買うけど、何もこんな時に…。
「腹がふくれりゃいーんだよ」
 売場の喧噪を後にして、エレベーター脇の椅子に腰を下ろす。さっそく隣でチョコかじってるほむら。
「いやー。あたしにゃバレンタインなんて関係ねーけど、ああやって燃えてるの見るとこっちまで熱くなるよなー」
「もう、格闘技じゃないんだからね。こう、胸がときめく気持ちを贈りたくてみんな一生懸命なんだよ」
「へーへー。それにしたってそりゃ相当のときめく気持ちだな」
 一緒に買ったラッピング用品を、横目で見ながら呟くほむら。ハートいっぱいのピンクの包装紙に、フリルまでついた可愛いリボン…。
「それが実はね…」
 あれは数日前のことだった。ボクが買い物に行こうとすると、道端で男の子が不良数人に絡まれてたんだ。
『おうおう兄ちゃん、ここを通なら通行料出しな』
『ぼ、僕今お金持ってなくてっ!』
『なにぃ〜!? ジャンプしてみろぉ!』
「大勢で一人を脅すなんて! と怒ったボクは注意したんだけど…」
「ふんふん」
 逆に馬鹿にしたように笑われて怒り心頭。ついつい手が出て、全員思いっきり殴り倒してた。
『んどりゃあ! ボクを一文字茜と知っての態度かぁ!!』
『一文字茜って…。ば、番長の妹さん!?』
『し、失礼しやしたー!!』
「そう言って不良たちは逃げていった…」
「なんだ、いいことしたじゃん」
「そこへたまたま公くんが通りがかって…。全部見られてて…」
「‥‥‥‥‥。ぎゃははははははは!!」
「ほむらぁぁぁっ!!」
 お腹抱えて苦しそうに笑うほむら。話すんじゃなかったぁっ!
「ひーっ。そ、それで乙女なチョコ贈って少しでも女のフリしようってわけだ」
「フリじゃないよっ! 本当に女の子っ!」
「ニャハハ。まあいーじゃん、茜らしくて」
「うう〜。ボクのせいじゃないよ、育った環境が悪いんだよ…」
 親は不在。お兄ちゃんが番長で家に出入りするのもバンカラな人たち。生活費はバイトで稼いで…これじゃ恋も何もあったもんじゃない。
 ふと不安になって、手の中の可愛い紙袋に目を落とす。
「どうした?」
「やっぱり、場違いかなぁ…」
 向こうの売場には可愛い女の子たち。リボンをつけて、スカートを揺らして。あの中にボクがいたと思うと、あまりの無様さに頭抱えたくなる。
「んっだよ。盛り上がったり落ち込んだり忙しい奴だな」
「一緒にいるのがほむらって時点で既にダメな気がする…」
「どーゆー意味だコラ」
 ぷーっとふくれたほむらが立ち上がると、すぐニパッと笑って頭の後ろで腕を組む。
「ま、いーじゃねーか。その分チョコの出来で取り返せばよ」
「そっか…。ん、そうだよね」
「そうそう。茜の料理の腕はあたしの折り紙つきだしな」
「うんうん。いつも人のお弁当くすねてくもんね」
「ニャ、ニャハハ」
 よしっ。やるよボクは! 長年の料理でつちかった経験を今こそ結集するときだよ!
「そして最高のチョコレートで、彼のハートをゲットするんだ!」
「おー、餌付けか」
「ほむらじゃないんだから…」


 家に帰って、さっそくチョコレートを刻み始めるボク。
「なんだ、今日の夕飯は気合い入っとるのう」
「あ、お兄ちゃん夕ご飯は昨日のカレーね。ボクは本命チョコで忙しいから」
「‥‥‥‥。なんじゃああああああ!?」
 予想通りというか暴れ出すお兄ちゃん。あーもうっ
「ほ、本命って、相手は一体誰じゃぁぁぁあっ!!」
「だ、誰でもいいでしょっ。もー、早く出てってっ」
 お兄ちゃんを追い出して作業再開。
 そう、ほむらの言うとおり。ボクは可愛らしくも繊細でもない。でも料理にだけは自信があるんだ。見ててね公くん。世界一おいしいチョコを作ってみせるからね。
 そしてそして、恋の祭日バレンタインに二人っきりの校舎裏で彼に渡すんだ…。
『こーくん、これ…。ボクの気持ちだよっ!』
『ありがとう、茜ちゃん…。でもチョコだけじゃ物足りないな…』
『え、それって…?』
『そう…。俺は茜ちゃんが欲しい…』
 なんてなんて、きゃ〜〜〜。
「な、何てこった…。この俺様の妹が、台所で妄想始めるような女々しい奴に成り下がっていたとは…」
「お、お兄ちゃん出てってって言ったでしょっ!!」
「目を覚ますんじゃあ茜ぇぇぇぇ!! お前は騙されてるんじゃぁぁぁぁ!!」
「せ、せっかく女の子らしい雰囲気だったのに…。お兄ちゃんのバカーーー!!」
 BAGOOOON!!
「うがはぁ!!」
 ちょっと撫でただけなのに吐血して地面に崩れ落ちるお兄ちゃん。お、大袈裟だなぁっ。
「ほんと女心が分かんないんだから。それだからいつまで経っても彼女ができないんだよ!」
「わ、わしゃあ硬派じゃけんのぉ」
「はいはい。とにかく作るんだから出てって出てって」
 お兄ちゃんの背中を押し出して、あらためてテンパリングを始める。刻んだチョコを湯せんで溶かし、丁寧に味付け。溶けたらボウルごと氷水で冷やして…。
 ハートの形のアルミケース。流し込んだら軽く叩いて表面をならす。冷蔵庫に入れて、冷やす間にお洗濯。
 表面が固まったらデコレーション。ホワイトチョコで書く文字は…。アイラブユーかなぁ? ち、ちょっとやりすぎかな。ハッピーバレンタイン? そんなに長いの入りきらない…。
 結局無難に「こーくんへ」にしてしまう意気地なしのボク…。
 もう一度冷蔵庫に入れて、あとはラッピングだけだね。明日早起きしてやろーっと。

 次の朝は晴天。澄んだ空気に、吐く息はまだまだ白い。
 新聞配達を終わらせて、少し早いけど制服に着替える。こんな日くらい冬服着たかったなぁ。買えないから仕方ないけど…。
 鞄の中にはピンク色の、リボンがかかったハート型の包み。あらためて見ると恥ずかしくなる。
 な、なんか今頃になって緊張してきた…。ううっ、断られたりしないよね? それとも「派手すぎー!」と思われたりとか…。ええい、しっかりしろっ。
 頬を叩いて玄関を開ける。と、表にはずらーっと横一列に人の壁。
「姐さん、おはようございまっス!」
 グラサンにリーゼント、学ランで決めたお兄ちゃんの手下たち。不良だけど、根はいい人なんだよ。
「あ、みんなおはよー」
「押忍!!」
「今日もいい天気だねっ」
「押忍!!」
「…あの…もしかしてチョコとか期待してない?」
『押忍!!!!!』
 そ、そんな大声出さなくても…。
「ごめんっ! 今年は本命チョコ作るので精一杯で、みんなの分作ってないや!」
 ガビーーン!!
 その瞬間、大地はひび割れ空は凍った…ような感じだった。
 こんなことなら去年調子に乗ってトリュフ配ったりしなきゃよかった…。
「ぬおおおお!! そりゃ無いっス姐さんんんーーー!!」
「これだけを楽しみに過ごした一年はどうなるっスかーーー!!」
 寂しい人生を送ってるんだね…。
「あーねーさーんーー!!」
「ああもう鬱陶しいっ! だいたい義理チョコに期待すること自体間違ってるよ!!」
 ヅガーーーン!!
「そんなに欲しけりゃ彼女を作って、堂々と本命チョコもらうべきでしょ!!」
 ドギャーーーン!!!
 全員、爆死。ち、ちょっと悪いことしちゃったかな…。
「そ、それはともかく姐さん」
 よろよろと起きあがる、火の玉番長こと四ッ谷さん。
「その本命ってのは誰なんです?」
「だ、だ、誰でもいいでしょっ。そんなの恥ずかしくて言えないよっ!」
「本命チョコというと、もしかしてハート型のなんだな」
 そう言って指でハートの形を作る、筋肉番長こと桜田門さん。
「う、うん、まあ…」
「み、見てみたいんだな」
「ええ〜〜〜!?」
「フッ、俺は甘い物に興味はねえですが…」
「そ、そうだよね木枯らしさん!」
「しかし後学のためにひとつ」
「あ、あのねぇっ」
 木枯らし番長こと神田さんまで…。本命チョコ人に見せるなんて、そんな恥ずかしいことできるわけないよ〜!
 けど…。
 ちらり、と鞄の中の包みを見る。恥ずかしいけど、でも今回のチョコはちょっと自信があった。ボクはこんな可愛いチョコ作れるちゃんとした女の子なんだぞって、そう言いたい気持ちがちょっとだけあった。
 だからボクは愚かにも、そろそろと包みを取り出してしまったんだ。
「ほら、これ…」
 ドドドドドドドドドド
「ひーっ!?」
 その途端押し寄せてくる学ランの壁! 壁! 壁!!
「こ、これが世に言う本命チョコっスかーー!!」
「有り難いッスーー! 目が潰れるっスーー!!」
「いや、あの…」
「リ、リボンまで巻いてあるっスーーー!!」
「乙女っスーーー!!」
「ち、ちょっとーーっ!」
 チョコはボクの手を放れ、学ランの海に飲まれていく。暗転する視界。こ、こんなとき頼りになるバイト番長はどこに!? たぶんどっかでバイト中…。
「お、おい静まらねぇかてめぇら!」
「やめるんだなーー!」
 四天王の三人が慌てて止める。でも土煙の収まった後には…。
 包装紙の切れ端だけ残した、チョコとは思えないチョコが転がっているだけだった。
 その場に崩れ落ちるボクの体。
「ボ、ボクの…」
「わ、悪かったっス姐さん…」
「本命チョコなんて一生に一度見られるかと思ったらつい頭に血が…」
「ボクの…。ボクのチョコがーーーーーっ!!」
「どうした茜ぇぇぇぇぇぇ!!」
 バン! 玄関が開け放たれ、ゲタ履きのお兄ちゃんが現れる。でもボクの目にはそれも入らず、ただチョコの残骸を抱きしめて泣き崩れていた。
「茜が泣いている…」
「あ、いやこれは」
「お、落ち着いて下さいっス番長!」
「茜を泣かせたのかぁぁ!! 袖龍ゥゥゥゥゥゥウウ!!!」
 どぼずばーーーーん!!
 一生懸命作ったチョコ…。
 やっと恋する女の子になれたと思ったのに…。
「金茶小鷹ァァァァァアアアアアア!!!!!」
 ズガガガガガーーーーン!!!
 そっか…どだいボクには無理だったんだね…。
 ボクなんかがバレンタインに参加しちゃいけなかったんだね…。
「やめてよお兄ちゃん…。ボクは全然気にしてないよ…」
「ぬ…茜は優しい奴だな」
「あ、姐さん…。そーゆーことはもうちょっと早く言って欲しいっス…」
 ボロ雑巾になった不良さんたちの間を、縫うようして歩き出す。
「もう学校行かなきゃ…。遅刻しちゃう…」
 門の外に出たところで、後ろからお兄ちゃんの声。
「茜…!」
 涙が落ちそうになるのを堪えて、うつむいたまま走り出していた。
 泣いてなんかない…。泣いてなんかないよ!!


 今日はバレンタインデー。
 ここひびきの高校でも、チョコを贈ったり贈られたり。それを見てはやし立てたり羨ましがったり。関係ない人には関係なかったり。
 そんなどこにでもある光景が繰り広げられる中で、チョコを持たないボクは行き場のない風船のようだった。
 ちらり。
 退屈な授業を受けながら、彼と思わず目が合ってしまう。
 さっ!
 瞬時に視線を逸らし、気まずい雰囲気。自己嫌悪を感じながら、横目でおそるおそる彼を見る。
『ど、どうしたんだ茜ちゃん? チョコをくれるんじゃなかったのか? 昨日のは悪い冗談だったのか? それとも俺が何か怒らせるような真似をしてしまったのか!? ああもしかして昨日歯を磨かずに寝たのがバレたのかもしれん。俺は一体どうすれバインダーああああ!!』
 …というような顔をしてる。
 針のむしろの授業が終わり、昼休みになって。それでも彼とは顔会わせられなくて、一目散に屋上に逃げた。
 はぁ…。
『こーくんこーくん、明日は何の日か知ってるかい?』
 なんであんなこと言っちゃったんだよっ! 茜のバカバカバカっ!
 やっぱり正直に話すしかないんだろうなぁ…。
 渡すのはチョコじゃなくて、『チョコ駄目になっちゃった』という言葉。まさに詐欺だよ…。気が重い…。
 ひゅぅぅぅううう
 2月の屋上を寒風が通り抜ける。半そでのボクにはこたえて、すぐに階段に逃げ込んだ。
 踊り場でほむらと鉢合わせ。
「よっ。なんかこっちの方に来たって聞いたからよ」
「ほむら…」
「もう渡しちまったんだろ? 一緒にチョコでも食おうぜー」
 にぱぱ、と笑って昨日の袋を見せるほむら。今はチョコなんて見たくなかった…。
「なんだよ暗いな。どうした?」
「それがね…」
 事情と言うには馬鹿馬鹿しい出来事を、ほむらはふんふんと聞き流す。
「そっか、まあ災難なんて忘れちまえ」
「世の中真っ暗さ…」
「なんだよ情けねぇ! この際手作りでなくても買ってくりゃいいじゃねぇか!」
「もうお金ないよっ!!」
「…あ、そう…」
「ボクが貧乏なの知っててそういうこと言うんだぁ! うわ〜〜〜ん!!」
「き、気にすんなよ。あたしも貧乏だから貸す金もないぜ!」
「なお悪いよっ!!」
 終わった…。ボクのバレンタインは終わったんだよ…。
 もう何もする気がなくなって、そのまま踊り場に座り込む。
 隣にほむらも腰を下ろす。
「なーんか手はないのかねぇ…」
 もういいってのに…。
 チョコを口に入れながら、余計なことを考えるほむら。
「って、あるじゃんチョコ!」
「え?」
「これ!」
 ずずい、と差し出された袋には、確かに割れチョコが一杯だけど…。
「よーするに溶かして固めるんだろ? これ使ってもう1コ作ればいーじゃん。あたしって頭いいー!」
「ち、ちょっとっ…」
 慌ててボクは制止する。
「き、気持ちはありがたいけどやっぱいいよ。いろんなチョコが混じってるからいい味にはならないし…」
「なんだよ、腹に入れば一緒だろ」
「それに家帰ってたらどっちにしろ間に合わないし…」
「そっか、冷やすのも時間かかるしなぁ…。って、調理室があるじゃん! あそこの台所使おうぜー!」
「そ、そんなの個人で使っていいわけないでしょ…」
「でもさー」
「もういいよっ!」
 たまりかねて、口から勝手に叫び声が上がる。
「な…」
「今から作ったってどうせ大したものできないよ。ただでさえボクにバレンタインなんて似合わないのに、そんなの渡したらみっともないだけじゃない! もういいよ、ほっといて!」
「この…馬鹿野郎がぁーーッ!」
 ぐい! ほむらが胸ぐらを掴んで持ち上げる。一瞬にらみ合って、すぐにボクが視線を外した。そんなことしたくない。
「あたしはな…。あたしは心の中で茜のこと尊敬してた。バイトして自力で生きてる凄え奴だってな。
 だが今のてめえはそんな気概のカケラもねぇ。ただ逃げてるだけのダセェ野郎だぜ!」
「ボ、ボクは弱いんだよっ…」
 みんなみんな、ボクに強いことを押しつける。
 ボクだって女の子なのに…。
「悪い!? バイトだってやりたくてやってるんじゃない、誰も助けてくれないんだもの! ボクだって本当はデートしたり、おしゃれしたり、普通の女の子みたいに過ごしたいよ…」
「けっ! 周りのせいにして泣き言かよ。語るに落ちやがったな! 困難なんて自分でぶっ壊すもんだろうが! そうやっていじけてたって何にもならな…」
 パンッ!
 乾いた音に、思わず自分の右手を見つめる。本気で叩いた。最低…。
「ご、ごめ…」
「なんで諦めちまうんだよ…」
 小さな声。ボクより低いほむらの顔は、前髪に隠れて見えない。
「あんなに楽しみにしてたじゃねーか。好きだからって、嬉しそうにしてじゃねーか。まだやることがあるのになんで投げちまうんだよ!」
「ほむら…」
「あたしはっ…。茜が泣きそうなのは嫌だ。落ち込んでるのは嫌だ。いつも頑張ってる茜だから笑ってほしいって、そう思っちゃ悪いのかよっ…!」
 最低だった。
 大したチョコができないから? みっともないから?
 そんな外見にこだわって。
 大事なのは気持ちを伝えることじゃないの…?
「ごめん…」
 最低のボクは、小さなほむらの手を握る。
「でも、時間足らないかもしれないから…」
 ぎゅっ。その手が握り返される。
「…手伝ってくれる?」
「ったりめーよ!」
 分かってた、という風に笑うほむら。
 ボクも、ほむらの笑顔の方が好きだった。
「まず氷作らなくちゃいけないんだ。あそこの冷凍庫料理部が使ってたしなぁ…」
「いーじゃん、なんとか詰めようぜ」
「バレないようにしないとね」
「あー、こほん」
「鍵はどうする?」
「あたしが職員室からカッパらってきてやらあ」
「ちょっと」
「午後の授業は…サボり?」
「そう! サボりサボり!」
「あのー、二人とももしもし?」
 そこでようやく声に気づく。
「!?」
 階段の下から踊り場を見上げていたのは…。
 …スーツ姿の麻生先生だった。
「‥‥先生‥‥もしかして全部、聞いてた‥‥?」
「‥‥‥‥‥」(こくん)
 ‥‥‥‥。
 き、今日のボクって本気で呪われてるかも…。
「あ、あのさーセンセー。聞かなかったことでひとつ」
「赤井さん…。あなた生徒会長でしょ…」
「せんせえ〜〜〜〜」
「わ、私だって聞きたくなかったわよ! でも聞いた以上は教師として見過ごせません。調理室の私物化はダメ!」
 がーーーん!
「ひどいよ先生…。ようやくやる気を出した生徒の芽を摘もうっていうんだ…」
「そうだよな、教育の荒廃だよな…」
「あ、あのね〜」
 コホン、と咳払いする麻生先生。
「一文字さん。気持ちは分かるけど、別に想いを伝えるなら今日でなくてもいいでしょ?」
「そ、そうだけど…」
「2月14日なんて菓子会社が適当に決めただけじゃない。彼だってわけを話せば明日でもいいって言うわよ。ね?」
「そ、そうかもしれないけどっ…」
 先生の言うことは正しいけど。
 でもそれなら、なんでボクはあんなに一生懸命になってたんだろう。
 今日という日に意味がないなら、なんでみんな…。
 ズゥン、ズゥン。
 その時、廊下の方から地響きのような足音がした。
 ぬううん、と姿を現したのは、裂けた学ランに学生帽の…。
「え、えーと、部外者は立ち入り禁止ですよ?」
「お兄ちゃん!」
「ええっ!?」
 『父兄』のイメージを100光年ほど外れた姿に、微妙にパニくる麻生先生。
 でもそんな先生に目もくれず、お兄ちゃんの視線は真っ直ぐボクを捉えていた。
「茜…。お前は今日渡したいのか」
「え…」
「どうなんだ。今日渡したいのか、明日でもいいのか!」
 重く響く声。明日でもいいや。いつだっていいや。そう答えそうになる。
 でも…。目を閉じる。ボクの本当の気持ち。口をついて現れる。
「…今日渡したいよ」
「茜…」
「渡したいよっ! だってバレンタインだもん。ホントは意味なんてなくたって、ボクには意味があるんだよ。特別な日だよっ…」
 彼を好きになって、好きになってほしくて、この日を指折り数えて。
 この日にチョコレートを渡す、それだけでもボクが女の子である、大切な儀式だ…。
 お兄ちゃんは重々しく頷くと、先生の方へ向き直った。
 思わず身構える麻生先生。
 でもお兄ちゃんはしゃがみこむと、その場に手をついて土下座した。
「お兄…ちゃん?」
「先生…この通りです、妹の好きにさせてやってくだせぇ!!」
「お、お兄ちゃん…」
 全員が呆気にとられる中で、学生帽が床につく。
「茜には苦労ばかりかけて、兄貴らしいことの一つもしてやれなかった。外れ者の俺にはこんなことしかできやしねぇ。だが茜には、茜にだけは今日くらい望むようにさせてやりてえんだ。頼んます!!」
「先生、あたしからもお願いします!」
 階段を駆け下りたほむらが、ぴょこんと勢い良く頭を下げる。
「責任は生徒会長が取ります。茜と一緒に反省文でも何でも書きます!」
 二人の姿を見て、ボクは動けなかった。
 ボクが一番動かなくちゃいけないのに、動けなかった。
 どうして、誰も助けてくれないなんて思ったんだろう。
 お兄ちゃんも、ほむらも、いつもボクの側にいてくれたのに…。
「先生!」
 やっとボクの口が動いた。
「ボクに、バレンタインを過ごさせてください…!」

「…わかったわ」
 数瞬の静寂の後、先生の顔に微笑が浮かんだ。
「せ、先生…」
「もう、しょうがないんだから…。ただしこっそりとやること。みんなには絶対内緒よ?」
「はーーい!」
「やったー!」
「感謝する…!」
 手を取り合って喜ぶボクとほむら。それを見ながら呟く先生。
「いいわね、若いって…」
「先生もまだ若いでしょっ!」
 一緒にそう言って、ボクたちは調理室へ走っていった。


「それじゃ、ありがたく借りるね」
 調理室の台所で、ほむらからチョコを受け取る。
「いーっていーって。その代わり昼飯一週間な」
「も〜。ま、いいよ。それくらい作ってあげる」
「やったぜー! 昼飯は茜の料理に限るもんな」
 ちょっと嬉しくて照れ隠しに笑いながら、急いでチョコを刻み始める。時間も道具も材料も乏しくて、大したものは作れないだろうけど…。
 その分、ありったけの想いを込めて。


 外は夕焼けだった。
 今日という日の敗北者がそうするように、肩を落として校門へ向かう彼。
『け、結局チョコをもらえなかった…。やはり俺は嫌われてしまったんだ。もうダメだおしまいだチョコをひとつももらえない俺なんて存在する資格もないんだ、明日からどうやって生きていこう…』
 と、背中が語ってる。
「こーくん」
 申し訳なくて、少し小さな声。それでも届き、彼は振り向く。
「茜ちゃん…」
「ごめん…遅くなって」
 そのまま言葉が続かなくて。
 ボクは小さな包みを、両手で持って差し出した。
 生徒会用の色紙で包んだ、不格好なラッピングだけど…。
「お、俺に?」
「ごめんね、色々あって…最初に作ったチョコ、ダメになっちゃって。
 急いで作ったから、形も変だし味もいまいちだと思う。
 それでもよければ…受け取ってください」

 手を伸ばしたまま、顔を伏せる。返事を聞くのが怖い。
 それを軽くするように、彼の手がチョコを取る。
 上がる視線。
「いいの…?」
「あ、当たり前だろっ!」
 そう言って、嬉しそうに。
「ありがとう、茜ちゃん。嬉しいよ」
「で、でもっ…。本当においしくないかもしれなくて…」
「そんな贅沢言う野郎がこの世にいるかっ!」
「そ、そかな…」
「そうだよ! バレンタインに好きな子からチョコもらえるなんて、こんな幸せは…」
 言いかけたところでお互い息が止まり、夕日に輪をかけて赤くなる。
「と、とにかく一緒に帰ろうぜ」
「う、うん…」
 顔、上げられない。
「食べてもいい?」
「い、いいよ…」
 隣で包み紙を開く音。
 口に運ぶ気配。
「…おいしいよ」
 言葉が出ない。
 ずっと夢だった。
 バレンタインに、好きな人にチョコレートを渡すこと。
「ありがと…」
 夕日の中で。不格好なチョコを食べる彼の隣で。
 ボクは泣きそうだったけど、それでもたぶん、今までで一番の笑顔だった。








<END>





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