この作品は同人ソフト「月姫」「歌月十夜」「Melty Blood」(c)TYPE-MOON渡辺製作所 の世界及びキャラクターを借りて創作されています。
ネタバレを含みます。



















白昼のドリーム・ショップ






 
 
 
 


/1

 ここ一週間、ニンジンを食べていません。
 マスターは『わたしもカレーを食べてないので公平です』なんて言いますが、とうてい許せるものではありません。
「ニンジン…」
「仕方ないでしょう、お金がないんだから…。次の活動費が支給されるまで待ちなさい」
「よく言いますねぇ、マスターが中古のサブマシンガンなんか衝動買いするからじゃないですかっ。あれひとつでニンジンが何本買えたことか」
「あ、あんな掘り出し物は滅多にないんですっ! 人はパンのみにて生きるにあらず!」
 強弁するマスターですが、わたしにじっと見つめられると気まずそうに目を逸らしました。何だかんだで自分が悪いときは押しの弱い人です。
 この間に自己紹介しちゃいましょう。わたしはセブン、第七聖典でもある心優しき精霊です。ななこ様って呼んでもいいですよ。
 そして目の前の――いくら残暑厳しい九月とはいえ、Tシャツに短パンとはだらしない姿ですね――眼鏡をかけたこの人が、わたしのマスターであるシエル女史です。一応埋葬機関の代行者ですが、実態はただのカレー狂です。
「わかりましたよ…」
 そうこうしているうちに陥落したらしく、マスターは深く溜息をついてそう言いました。
「かくなる上は致し方ないですね。この手だけは使いたくなかったのですが、うまくいけばカレーもニンジンも食べ放題になります」
「わわ、本当ですかっ!? 今度はどんな犯罪に手を染める気なんです?」
「人聞きの悪いこと言うんじゃありませんっ! 出かけましょう、支度しなさい」
 かくして外出着に着替え、わたしとマスターは陽射し射す外へと出かけていきました。銃身を手に持つマスターの後を、とことことついていきます。
 日かげを選びつつしばらく歩いて、たどり着いた先は高級そうなマンションです。あれ、ここって…。
「はいはーい。志貴ー?」
 マスターがチャイムを鳴らすと、脳天気そうな返事が返ってきました。
 扉が開いて顔を見せたのは、わたしも名前は知っている真祖の姫君ことアルクェイドさんです……が、マスターの顔を見るなり戸を閉めようとします。
「まあまあ、とりあえず中に入れてください」
「何しに来たのよっ! あんたになんか用はないわよ!」
「ええ、こちらも吸血鬼になんか用はありません。会いに来たのはレンちゃんです」
「…レンに?」
 一瞬きょとんとしたアルクェイドさんの隙をついて、マスターはえいやっと中に滑り込みました。わたしも後に続きます。
「わ、涼しいですねー。電気代ケチってクーラーを止めてる誰かの部屋とは大違いです」
「余計なこと言わなくていいです! それよりレンちゃん」
 と、マスターが声をかけたのは、部屋の端に行儀良く座っている黒猫さんでした。
 そういえばマスターに聞いたことがあります。夢魔のレンさん。アルクェイドさんの使い魔で、その人の望む夢を見せる力があるとか、ってもしかして…。
「折り入ってお願いがあります。わたしたちにカレーとニンジンの夢を見せてください!」
「マスター…。やっぱりそんなオチですか…」
「タダでカレーを食べる方法が他にありますかっ。嫌ならあなただけ帰りなさい」
「いえいえいえ。まあ帰っても何もありませんし、この際夢でも文句は言いません」
「ちょっと、勝手に話を進めないでよ」
 と、明らかに不機嫌な顔でアルクェイドさんが言いました。
「そんな下らない用事で人の部屋に押し掛けてきたわけ?」
「何を言うんですか、カレーの話ですよ。こんな重要なことが他にありますか!」
「インドに帰れ!!」
 言い合いを始める二人ですが、まあいつものことなので、わたしは傍観すべく腰を下ろします。
 すると隣で、レンさんがにゃあと一声鳴きました。こんにちは、初めまして、と。
「あ、これはどうもご丁寧に。ななこですー」
 ひづめをついてお辞儀するわたしに、アルクェイドさんが感心したように呟きます。
「なによこの馬。レンの言葉がわかるの?」
「まあ獣同士ですから。お互い通じるところがあるのではないでしょうか」
「失礼な人たちですねー。汚れきったあなた方と違って、心清らかな精霊のわたしは動物の声も聞こえるんですよ。少しは見習うといいでしょう」(ハハン)
「シエル、ちょっと教育がなってないわね」
「そうですね。帰ったら徹底的に再調整します」
「なんでこんな時だけ気が合うんですかー!」
「まあそれはともかく」
 アルクェイドさんは両手を腰に当てると、偉そうにふんぞり返りました。
「あんたたちなんかにレンの力を使わせたりしないわよ。このわたしが認めるもんですか」
「なっ。あ、貴方という人は、いったいどこまで冷酷な…」
「ふふんだ、じゃあ土下座して頼みなさいよ。そうすれば許してあげようかなー」
「く…!」
 あわわ、なんだか怪しい雲行きです。マスターは音が出るほど歯ぎしりすると、くるりときびすを返しました。
「わかりました、貴方の所へ来たのが間違いだったようです。セブン、帰りますよ」
「そんなぁっ! じゃあニンジンはどうなるんですかっ」
「そんな女に下げる頭なんてどこにもありませんっ!」
 あうあうあ、それでは元の生活に逆戻り。出ていこうとするマスターの腕にすがりつき、わたしは引きずられながら必死で哀願します。
「考え直してください! カレーが食べ放題なんですよっ。
 もちろん飲み物はカレージュース。
 カレーのお風呂に漬かって
 大気成分はカレー粉で
 空からはカレーパンが降ってくるんです」
「どうかお願いいたします、アルクェイド様」
「え? う、うん、まあそこまで頼むなら聞いてやらなくもないけど…」
 思いっきり平伏するマスターに、アルクェイドさんはちょっと嬉しそうに了承します。自分で煽っておいてなんですが、卑屈ですマスター…。
「しょーがないなー。レン、頼める?」
 レンさんはこくりと頷くと、前足でベッドを指しました。
 二人でベッドに身を投げて、抗議するアルクェイドさんの声を聞きながら、涼しい部屋ですぐさま眠りに落ちていきます。最近疲れてましたから…。


/2

 長い長い夢を見ていた気がします。
「…あーもういつまで寝る気よ。レン、もういいから起こしちゃいなさい」
 そんな無粋な声に強制中断されてしまいましたが、起きたわたしたちは目をこすりながら顔を見合わせ、堰を切ったように叫びました。
「温泉のようなお風呂にカレーが満杯で、カレー粉が舞う中降ってきたカレーパンがぼちゃぼちゃと音を!」
「ニンジン畑に並んだテーブルに各種ニンジン料理! 川に流れるのはすりおろしニンジンで、その畔にはニンジンケーキの家が!」
「アハハハ…!」
「ウフフフ…!」
「おーい、戻ってこーい」
 はっと我に返り、二人ともレンさんの前にひざまづきます。
「ありがとうレンちゃん! あなたの能力がここまで素晴らしいものだとは!」
「あんなのの使い魔なんかしているのが信じられないですー」
「いい加減馬刺にするわよこの馬…」
 しかし喜びの声もそこまででした…。なにしろ空っぽのお腹が、きゅるると音を立てましたから。
「さすがにお腹はふくれませんよね…」
「それは仕方ないでしょう…。帰ってパンの耳でも食べますか」
「ほんとにわびしい生活してんのね…」
「大きなお世話ですっ。…あ、いや待ってください」
 マスターは少し考え込むと、レンさんに向けてずいと顔を近づけます。
「レンちゃん! あなたのその素晴らしい力、こんなところで埋もれさせるのは勿体ないとは思いませんか!」
「?」
「お店を開きましょう。お客に夢を見せて、儲かったお金でカレーを買うんです!」
 な――!?
 呆気にとられる一同ですが、明敏なわたしがすぐに事態を把握しました。
「そ、それはまさか…。ニンジンも買えるということですか!?」
「もちろんです。まあ我々の取り分は50%ということで」
「こらこらこらぁ!」
 と、両手を振り上げて怒るのはアルクェイドさん。
「ほんっと人間って下らないこと考えるのね。猿の頃から進化してないんじゃないの?」
「あ、あなたには関係ないでしょう! レンちゃんが決める問題です」
「そりゃそうだけどぉ…。どうなのレン。嫌ならはっきりそう言ってやりなさい」
「どうなんですか、レンちゃん!」
 迫られるレンさんもいい迷惑です。困ったようにひげを傾けていましたが…
 しかししばらく考え込むと、少し顔を赤くして、わたしの耳元へ口を寄せました。
「え? ケーキをいっぱい食べたい?」
 その言葉にマスターは大喜び。
「いやもうケーキでもまたたびでも買い放題ですよ! さすがはレンちゃん、ものの道理がわかっていらっしゃる」
「ふ、ふーんだふーんだ。ばっかばかしー。わたしは協力しないからね」
「誰も頼んでません。ささ、二人とも作戦会議といきましょう」
 さっそく三人で輪になって、ビジネスモデルの検討を始めます。ああ…ようやくわたしにもバラ色の未来が見えてきましたね…。
「やはり料金は千円以内に収めるべきでは?」
「バーチャルリアリティーという文言は入れた方がいいですね。日本人は横文字に弱いですから」
 そんなわたしたちを、アルクェイドさんは渋い顔で新聞を広げつつ、ちらちら横目で見ていたのですが…
 結局寂しくなったらしく、四つん這いになってそろそろと近づいてきたのでした。
「…やっぱり、わたしもまぜて」
「最初からそう言えばいいんですよっ!」


/3

 かくして、夢屋さんが開店しました。
 一回五百円で、取り分はレンさんが二百円、あとの三人が百円ずつ。場所はアルクェイドさんの隣の部屋です。
 翌朝、拾ってきたベニヤ板で作った看板を玄関前に立てかけてから、制服姿のマスターはこう言いました。
「それでは、わたしは学校で宣伝してきます。本体はこの部屋に置いていきますから、セブン、あなたが接客をするんですよ」
「はいはーい。まあどんとこいですよー」
 とはいえすぐに人が来るわけもなく、午前中はレンさんと神経衰弱をして過ごしていました。ちなみに役立たずのアルクェイドさんはどこかへ遊びに行っちゃってます。
 お客さん第一号が来たのは、四時も近いという頃でした。
 チャイムの音にドアを開けると、見覚えのあるニンジン色…じゃなくてオレンジ色の頭が目に飛び込みます。あ、あなたは…!
「有彦さん!?」
「お、お前ななこか? 何でこんなトコにいんだよ」
 思わぬ再会に、さすがに有彦さんも驚いたようです。
「え、ええ、ちょっと色々ありましてー。有彦さんはどうして?」
「おうよ、学校の先輩に聞いてな。なんでも好きな夢が見られるっていうじゃねーか。ひとつ頼むぜ、エロエロなのをな!」
 有彦さんは親指をビシィ!と立てて堂々と言いました。
「もう少し控え目に言ってもいいんじゃないでしょうか…」
「バッカ野郎、男が見る夢が他にあるかよ。それで相手はな、うちの学校の先輩で眼鏡をかけてて名前はシエル…」
「いえ、いいです。よく知ってます」
 まったく有彦さんも趣味が悪いものです。しかしジャンルとしてはレンさんの得意分野なので、さっそくお金をもらってベッドに案内しました。
 しかしわたしたちの初仕事は、そのまますんなりとはいかなかったのです。
「レンちゃん、わたしも連れていってもらいましょうか…」
 有彦さんが眠りについたとたん、極低温の怒り声が玄関から届きました。
「マママスター? いつ帰ってきたんですか?」
「やはり初日は心配ですから。様子を見に来て正解だったようですねぇ…」
 マスターは有彦さんの鼻ちょうちん顔を見て、ふふふと笑いを浮かべました。ああ、グッバイ有彦さん。とにかくわたしたちも寝ることにします。
 レンさんの力で、わたしたちも有彦さんの夢の中へ。誰もいない学校の、目の前に大きな黒いリボンをした女の子がいました。
「えーと、どなたですか? え、レンさんなんですか? これはまた可愛らしいお姿で…」
「しっ、静かにしなさい。乾くんがいましたよ」
 物陰から覗き見ると、有彦さんがきょろきょろと相手を探しています。
「レンちゃん。わたしが思い浮かべる人物を登場させてください」
 レンさんが無表情で頷くと同時に、有彦さんは人影を見つけたらしく走り出しました。
「おおぅ今こそめくるめく快楽の世界が! そこのお姉さまぁぁーー!」
「あん?」
 しかし振り返ったのはマスター…とは似ても似つかぬ、タバコをくわえた女の人です。
「って実の姉じゃねーか! 何じゃこりゃあ!」
「ワケわかんないこと言ってんじゃないよ。それよりタバコ買ってきな」
「な、なんで俺が…」
「あんた弟が姉に逆らっていいと思ってるのかい! このやろこのやろっ!」
「ぐはー!」
 うわ、ヤクザ蹴りってやつですね。的確に急所にヒットしています。
 たまらず有彦さんは目を覚ましたらしく、夢は崩壊を始めました。現実世界でむっくりと身を起こすと、眼前には怒り狂った有彦さんが。
「てめえふざけんな! 金返しやが…れ…」
 語尾が消えていく彼の目は、後ろでにっこり微笑んでいるマスターの姿を映し出しました。わたしはひづめを合わせて念仏を唱えるしかありません。
「は、ははは。いやアレっスよ先輩。行き場のない若人のパッションが暴走した結果というやつで…」
「それはいけませんね! そんなパッションに惑わされぬよう、わたしが少し修行をつけてあげましょう」
「な、ななこ! 何とか言え!」
「さようなら有彦さん。あなたの五百円は有効に使わせていただきます」
「テメェェーー!!」
 叫びとともに有彦さんは外へ連れ去られ、数瞬後に悲鳴があたりに響き渡りました。
 うーん、こんな調子でうまくいくんでしょうかね?


/4

 とはいえしばらくすると口コミで伝わったのか、徐々にお客も来るようになりました。
 今来ているのは小学生くらいの女の子。夢の中でお兄ちゃんに会いたいそうです。
「会うだけでいいんですか? 色々できますよー、一緒に遊園地とか、浜辺でデートとか、えろえろなのとか」
「そ、そそそんなことしないもん! ばかーっ!」
 結局その子はお兄ちゃんらしき人に、夢の中で延々とタックルを繰り返すだけでした。子供の考えることはわかりませんね。
 と、レンさんがわたしの手を引っ張ります。
「え、もう一人お客さんが来てる? 大変です、早く起きないと!」
 あわてて目を覚ましたわたしの耳に、チャイムの音が鳴り響きます。急いで扉を開けると、メイド服を着た無表情なお客さんがいました。
「お、お待たせしました〜。いらっしゃいませ」
「…こんにちは」
 お客さんは翡翠と名乗りました。五百円と一緒に、一枚の写真を手渡されます。
「この男性が出てくる夢を見たいのです」
「はあ、これまた趣味の悪い…いえいえ、おやすいご用です」
 翡翠さんに寝てもらって、わたしたちも夢の中へ逆戻り。そこは古そうなお屋敷で、写真に写っていたブタ…じゃなくて中年の男の人が、いやらしい笑いを浮かべています。
「はっはっはっ、いつ見てもメイド服はいいですなぁ」
 手をわきわきさせて近づいてくるその男に、翡翠さんはすぅ、と息を吸い込んで…
「久我峰ぇぇぇぇ! このセクハラ野郎がぁぁぁぁ!!」
 いきなりアゴに鉄拳を叩き込みましたーっ!?
「うごふぅ!?」
「人をメイドだと思って図に乗るなぁぁぁぁ!! このボケがぁぁぁぁ!!」
「ひいっ、た、助け…」
「暗黒翡翠拳! 暗黒翡翠拳! 暗〜黒翡翠拳!!」
「ひでぶ! あべし! うわらば!!」
「あ、あわわわわ…」
 腕をぐるぐる回して攻撃を加えるその姿に、わたしとレンさんは夢の隅で手を取り合ってガタガタ震えるしかありません。
 しばらくして、メイド服いっぱいに返り血を浴びた(返り血!?)翡翠さんが、ゆっくりとこちらに歩いてきます。
「終わりました…。なかなか楽しいものですね」
 うっすらと微笑みながら彼女はそう言いました。
「そそそれは良かったですぅ」
「また来ることにしましょう。それから当然ですが、今回のことは口外無用です」
「えー、参考までに聞きますが、もし喋ったらどうなるんでしょう」
「片づけます。あなたたちを、この世から」
「誰にも言いませぇぇぇぇん!!」
 翡翠さんが帰ってからも、わたしたちは物音にもびくつく始末でした。商売って恐ろしいですね…。
「えへへ、お兄ちゃんタックルだぁー、むにゃむにゃ」
「あ、この子がまだでした。そろそろ帰らないとお母さんに怒られますよー」


/5

 こんにちは皆さん。今隣でレンさんが泣いています。
 今日のお客さんは、大事なご主人を殺人鬼に殺されてしまったという悲惨な方。せめて夢の中で会いたいという奇特な心がけです。
「ううっ、ご主人…。どうしてこんなことに…」
「言うな、我が滅びたのは力が足りなかったゆえ…。弱肉強食という獣の摂理に従っただけのことだ」
 ご主人氏は顔も渋ければ声も渋いですが、コートの中は裸っぽいので要するに変態です。
 と、その向こうからもう一人、ビジュアル系の男が現れご主人さんの肩を叩きました。
「混沌よ、そろそろ時間だ」
「蛇か…。うむ、永遠にこうしているわけにもいかんな」
「ご、ご主人!」
 思わず前足を上げる鹿さんに、ご主人さんはフッと寂しげに微笑みます。
「さらばだエトよ…。クールトーたちと協力して達者に暮らすのだぞ…!」
「ご主人んー!!」
 そうして二人の男の人はキラキラ輝きながら天に昇ってゆき、感動の涙を流すレンさんはハンカチで鼻をかむのでした…。
「あれってフランダースの犬のパクリじゃないですか。え? ななこさんは心が荒んでますね? どうもすみません…」

「で、お金がないから代わりに鹿せんべい置いてったわけ?」
 湯飲みを片手に、せんべいを食べながら尋ねるアルクェイドさん。夜になって二人が帰ってきたので、今はお茶をいれて一休みです。
「はい、奈良で観光客にもらったそうです。それにしてもエトさんのご主人を殺したのは誰なんでしょうねー。レンさんが怒ってますよ」
「……」
「ま、まあそれはともかく、なかなか軌道に乗ってきましたね。そろそろ宣伝範囲を広げてもいいでしょう」
「って何するんですか?」
「これです!」
 マスターが見せたのは、学校で印刷してきたらしい一枚のチラシでした。
『めくるめくゴージャスドリームの世界へようこそ!』というダサいコピーはともかく、背景には無意味にカレーの絵が描かれていますが、マスターのすることなので今さら誰も突っ込みません。
「これを配ってお客を集めましょう。ということで、印刷代はみんなで折半です」
「えー、それくらいシエルが出しなさいよー。わたしは場所を提供してるんだし」
「管理人を洗脳して不法占拠してる部屋じゃないですかっ! わたしみたいな貧乏人からさらに金を搾り取ろうってゆーんですかっ」
 ぎゃあぎゃあ言い合いを始める二人に、わたしとレンさんは黙って鹿せんべいを食べるのでした。そういえば馬と鹿ってヤな組み合わせですね…なんてどうでもいいことを考えながら。


/6

 一応チラシの効果はあったらしく、次の日曜には三人のお客さんがやってきました。
「ほらほら、ここだよー。えーとね、遊園地の夢を見たいんだけどー」
「はいはい、任せといてくださいー」
 アルクェイドさんに輪をかけてアーパーそうな女子高生に続いて、背の低い女の子二人が入ってきます。
「あのう…本当にここで済ませるんですか?」
「仕方ないだろ。どっかのバカが入場券落としちまったんだから…」
「あはは、過ぎたことは気にしないー。五百円で済むならこっちの方が安上がりだよー」
 むー、確かにお得すぎますね。もう少し値上げしてもいいかもしれません。
 夢の中、広がる遊園地を見てなおさらそう思うわたしです。だって視界の果てまでアトラクションが続いてるのに、他にお客は誰もいないんですよ?
「わぁい、並ばなくても乗れるねー。やっぱりこっちの方が良かったよねー」
「た、確かに。本物と見分けがつかないな」
「本当ですね! あの、夢屋さん」
「はいはーい」
 呼ばれて飛び出すわたしとレンさんです。
「ここまで背景を描き込むなんて! 一体どうやってるんですか?」
「ええとですね。別にこちらで逐一作ってるわけじゃなくて、皆さんの持つ『遊園地』のイメージをそのまま投影しているだけなんですよー…とレンさんが言ってます」
「はー。いいですねぇ、私の原稿もイメージした通りの絵が投影されればいいのに…」
 彼女は非建設的な愚痴を言ってから、ふと顔を上げました。
「ああ、でもそれって…。悪いことをイメージすれば、そのまま悪夢になるってことですよね」
「ふふふ、そういうことだよ。アキラちゃん」
「――――!」
 不気味な声に振り向くと、そこにはナイフを持った変な眼鏡男が!
「あ…あ…」
 アキラさんの顔から血の気が失せ、後ずさろうとしてその場にへたり込みます。
「怖がることはないだろう? この前の続きをしようじゃないか……うごふっ!」
 と、飛んできたアーパーさんのバッグが男の顔面を直撃し、さらにロック野郎さんの跳び蹴りがヒットして、ヘタレ男は何もできないまま地面に倒れました。
「せ、先輩…?」
「ったく、いつまでもアキラの不安に巣くってんじゃないよ」
「ぐはっ」
 げしっ、と蹴りを追加したロックさんは、不満げな目をアキラさんにも向けます。
「お前もお前だ。あたしらがいるってのに、なんで今もってこんなのに脅えるかね」
「そうだよー。アキラちゃんのピンチには絶対飛んでくるから、安心していいよ」
「先輩…」
 アキラさんはそっと目を拭って、えへへと笑いました。
「はいっ、そうですねっ!」
「どうせ呼ぶなら秋葉ちゃんを呼んでほしいなー」
「そうだな。あいつ遊園地なんか下らないっつって来やがらないし」
「と、遠野先輩ですか? ええと…」
 イメージ力が強い人なんでしょうか。すぐに目の前に黒髪の女の子が、キラキラ輝くバラを背負って、にこやかな微笑みで出現しました。
「あら皆さん、ごきげんよう。私も仲間に入れてくださらない?」
「うわー……すごい秋葉ちゃんだね」
「アキラ、お前夢見すぎだろ…」
「ちょっと反省してます…」
 結局皆さんとすごい秋葉さんは、さんざん遊び倒して帰っていきました。
 このまま遊園地を消すのももったいないので、レンさんと一緒に観覧車に乗ってみたりして。


/7

 その秋葉さんが翌日にやって来たときは、そのギャップに面食らったものです。
「本当に希望通りの夢が見られるんでしょうね。インチキだったらただじゃおかないわよ」
「あわわ。大丈夫ですよ、この猫さんはアルクェイドさんの使い魔ですよ」
「余計信用ならないわよ。まあいいわ。琥珀、枕を」
「はい、秋葉さま」
 一緒についてきていたお手伝いさんが、ボストンバッグから羽根枕を取り出します。
「…夢の内容は私の頭の中に入ってるから、そのようになさい」
「言ってもらった方が確実なんですけど」
「うるさいわね、客に指図する気っ!?」
 秋葉さんは逆ギレすると、睡眠薬らしきものを飲んでベッドに入ってしまいました。溜息をつくわたしとレンさんです。
「ところで、あなたは夢のご注文はないんですか?」
「うふふ、それなんですけどね」
 尋ねられ、待ってましたとばかりに袖で口を覆う琥珀さん。
「ものは相談ですけど、わたしも秋葉さまの夢の中に連れていってくれませんか?」
「ええっ!?」
「しーっ、声が大きいです。まあ遠野槙久を惨殺する夢でもいいんですが、そんなのはいつでも見られますからね。このチャンスを生かさない手はないじゃないですか」
 彼女はそう言ってくすくすと笑います。どうも病んだ客が多いのは気のせいでしょうか?
「うーん、しかしですね。夢屋としてはお客のプライバシーというものが」
「五千円払いましょう」
「…あるのですが、お手伝いさんならご主人のことを知っておくのは当然ですよねっ」
 うう、レンさんが冷たい目で見ています。いいじゃないですか、ニンジンいっぱい買えるし。
 ということでわたしたち三人は眠りについて、秋葉さんの夢へと潜っていきました。
 風景は夕暮れの海岸。ざざーんと音が響く中、秋葉さんと、眼鏡の男の人が寄り添って立っています。そして……
『落ちていく太陽。波の音だけが耳に響く――』
 という文字が、空中に浮かんでいました。ま、まさかあれは…!
 ポエム!?
「馬鹿だな秋葉。俺にとって大切なのは秋葉だけだよ」
「本当に? でも兄さんにはシエル先輩がいますもの。私の乙女心は不安に揺れてしまうわ…」
「ははっ、あんなの単なるカレー眼鏡さ。秋葉の可憐さには誰もかなわないよ」
 男の人は――今気付きましたが志貴さんですか――歯をキラリと光らせて笑うと、そっと秋葉さんを抱き寄せました。えーと…。琥珀さんはおなかを抱えてばんばんと地面を叩いてますが。
「ああ…でも神様は残酷です。こんなに愛し合ってる私たちなのに、法律なんて下らないもののせいで結ばれないなんて…」
「秋葉…。たとえ全世界を敵に回しても、俺はお前を愛し続けてみせる…」
「兄さん…」
 キラキラと光が輝く中見つめ合う二人に、わたしとレンさんはあくびを始めましたが、その時…
「あのう…。遠野様」
 そう言って現れたのは、髪型がイカっぽい女の子でした。
「あらどうしたの? 下僕S」
「ううう…。それが日本の法律が変わって、兄妹でも結婚できるようになったそうです」
「なんですってー!」
「秋葉、俺たちの愛が奇跡を起こしたんだ!」
 そして空中にポエーム。
『運命の糸が赤いのは この心臓の鼓動のせい?
 子供の頃からずっと あなただけを見つめていた
 切なくなることもあったけれど
 信じてた 想いはいつか 二人を照らす星になるって…』
「あはははは、あーははははー! わたしを笑い死にさせる気ですかー!!」
 文字通り転げ回る琥珀さん。あーあ、そんな大声出しちゃったら…。
「そう、そんなに面白かったの…」
「それはもう! ここまで心の底から笑ったのは初めてです。わたしはもう人形じゃないんですね。ありがとう人生!」
「そんなに面白かったの…」
「…あ」
 ゴゴゴゴゴゴ…
 秋葉さんの髪は真っ赤になってましたが、それ以上に顔の方が耳までトマトの色でした。
「ま、まあまあ。秋葉さまにもピュアな少女の部分があって良かったじゃないですか。『想いはいつか二人を照らす星になる』…プッ」
「こぉぉはぁぁぁくぅぅぅぅぅ!!」
「おおっとおー」
 赤いオーラとともに繰り出される爪! しかしそれをひらりとかわされ、驚きに目を見開く秋葉さんです。
「現実ならともかく、夢の中ならそう簡単にはいきませんよー。カモーン、ジャイアントメカ翡翠ちゃん!」
 琥珀さんが指をパッチ〜ンと鳴らしたとたん、空のかなたから巨大ロボットがやってきます。どっかで見たようなメイドさん仕様です。
「日輪の輝きを今受けて! まじかるアンバー、パイルダーオン!」
 なんて言いつつただ肩に乗っただけの琥珀さんは、フード姿で怪しく笑いました。
「どうですか秋葉さま。今こそ下克上っぽくないですか!」
「そう、そうなの琥珀。あくまで飼い主の手を噛むというのね…。
 でもね、夢の中だから好き勝手できるのはあなただけじゃないのよ?」
 あわてて逃げ出すわたしたち。その後ろでずもももも…と音がして、振り返るとロボと同等の大きさとなった秋葉さんが立っていました。その倍率は…胸だけ比率が大きい気がしますが…。
「うわ、なんですかその胸は。いくら夢だからって厚かましいですねー。JAROに訴えますよ?」
「やかましぃぃぃぃっ!! 今日という今日は勘弁ならないわ。くらえ秋葉電撃ドリルスピン!」
「くっ、弾幕薄いですよー! 何やってんの!」
『あんぎゃー!』
『ぎゃおーす!』
 怪獣大決戦と化しましたよ…。あきれてものも言えませんね。
「もう放っておいて帰りましょうか。え? ゴジラ対メカゴジラみたいでかっこいい? じゃあもう少し見てみます…」
 無表情ではらはらしているレンさんの隣で、わたしはぼーっと観戦していましたが…
 いつまでも決着がつきません。どうやら二人の夢想力は同等の様子。長い激闘の後、ようやく秋葉さんが気づきます。
「よく考えたら…。こんな夢に付き合わなくても、目を覚ませば済む話じゃないの」
「ええっ!? そ、そんな秋葉さま。途中で逃げるなんて秋葉さまらしくないですよぅ」
「ふふん、何とでもおっしゃい。現実世界で顔を合わせた時が楽しみね!」
 巨大化秋葉さんはすごく楽しそうに笑うと、あっという間に消えていきました。
 琥珀さんはちょっと困った顔で、ホウキに乗って降りてきます。
「うーん、少し調子に乗りすぎましたねー。しばらくここで籠城させてください」
「はぁ…」
 わたしたちが戻ると、秋葉さんが琥珀さんを揺すったり頬を引っ張ったりして、起こそうと躍起になってました。しかし意地でも起きない根性の琥珀さん。
 結局秋葉さんがちょっとお手洗いに行ったころで、琥珀さんがばっと起きて、逃げるように去っていきました。
 もっとも秋葉さんもすぐに後を追いましたけど。ええもう鬼のような形相で。ですので、その後どうなったのかはあまり考えたくありません。


/8

 その日のお客さんは今までと少し違いました。
 なにしろレンさんがしっぽを立てて、嬉しそうに近づいていきましたから。
「やあレン、元気かい?」
「いらっしゃいませー。ああ、志貴さんじゃないですか」
「や、やあ。どこかで会ったっけ?」
 不思議そうな顔の眼鏡の人。シエルシナリオであなたを突き刺した者です、なんてことは黙ってた方が良さそうです。
 わたしが無難に自己紹介をしていると、志貴さんの後ろからもう一人が顔を出しました。
「志貴、早く入ってください」
「ああ、ごめんシオン」
「私はシオン・エルトナム・アトラシア。今日は後学のため夢を見せてもらいに来ました」
 手のひらを自分の胸に向けてそう言ったのは、顔だけは真面目そうな女の人でした。しかしその衣装は何か勘違いしているとしか思えません。
「それではご希望をどうぞ」
「私はサンプルが取れればよいので、志貴に任せます」
「俺? そうだなぁ…」
 考え込んだ志貴さんですが、急に思考を放棄します。
「気分が安らぐ夢ならなんでもいいや…」
「そんな、人生に疲れた年寄りみたいなことを」
「そうだな…。今日も授業中にアルクェイドが乱入してきたしね…。それを追いかけてシエル先輩も乱入してきたしね…」
「は、ははは、た、大変ですねぇー…」
 虚ろな笑みの志貴さんに、わたしは引きつった顔でそう答えるしかありませんでした。まったく、少しはわたしの体面も考えてください。マスターのおたんちん。
 しかし夢の中へ落下していく途中、レンさんがわたしに尋ねてきます。具体的にどうしましょうですって。
「そうですねぇー…この前の翡翠さんみたいに、嫌な奴がひどい目にあえばスカッとするんじゃないでしょうか」
 レンさんはぽんと手を打ちました。心当たりがいるようです。
 たどり着いたのは影絵の街。幻灯のような建物と月の中、志貴さんとシオンさんが周りを見回しています。そこでレンさんの能力が発動です。
「――――――」
「な!? き、軋間紅摩…!」
 地面の影からぬっと出てきたマッチョ男に、志貴さんは震える声で後ずさりました。ははぁ、あれが志貴さんの敵ですかー。
 そしてもう一人、反対側から…
「くくく…。先日は不覚を取ったが、見えてさえいればそうはいかんぞ」
 短刀を持った学ランの人が出てきましたが、こちらからは顔が見えません。
「な、な…」
「極彩と散れッ!」
「――――――」
 青ざめた志貴さんが目に映らないかのように、二人は真っ直ぐ互いへと突進して――
 学ランの人の首から上は圧壊し、マッチョの人の首から上は宙を舞いました。
「わー、見事ですねー」
 その相討ちっぷりに、思わず拍手して飛び出すわたし。レンさんも隣でばんざーいをしています。
「………」
「あれ、どうしたんですか志貴さん。なんだか影しょっちゃって」
「あのな…」
「これで志貴さんも安心じゃないですかー。ほーらほーら」
「軋間の生首なんか見せるなぁ!」
 うーん、どうも失敗だったみたいです。スカっとすると思ったんですけどねぇ。
「どうしましょうレンさん? ここはお父さんの夢でも見せてみましょうか」
「い、いや、詳しく指定しなかった俺が悪かったよ。そうだなあ…じゃあ学校の夢で」
「平凡な夢ですね」
「平凡でいいのっ!」
 レンさんがこくんと頷くと、風景は一変して廊下のそれになりました。

 時刻は朝でしょうか。鞄を持った生徒が行き交う中、志貴さんもシオンさんもいつの間にか制服姿です。
「サンキュー、レン」
 眼鏡越しに微笑む志貴さんに、レンさんは少し嬉しそうにして、廊下の向こうへと消えていきました。
「さてこれから授業だけど…。シオン、本当にこんな夢でいいの?」
「問題ありません。この国の教育制度は既に予測済みです」
 二人は教室へ入っていき、わたしは……えー、まあ、その後についていったりします。
「あれ、なんで君まで?」
「……。へっ、そうでしたね。わたしみたいな精霊ごときが学生気分を味わってみたいなんて図々しいにも程があったですよ。大人しく廊下で待ってますよ」
「な、なんで拗ねてんのっ!? いいよ、一緒に授業受けなよ」
「そ、そうですか? 志貴さんがそこまで頼むなら仕方ありませんー」
「……」
 かくしてわたしも制服姿にチェンジして入り口をくぐりました。
 中は朝の喧噪。席に向かう志貴さんに、誰かの夢の有彦さんが手を挙げます。
「よう、遠野」
「おっす」
「お、おはよ。遠野くん」
「お……はよう」
「遅いぞ志貴! フッ、やはり真に秋葉に相応しい兄は俺のようだな、わははは」
「……」
 クラスメイトたちと挨拶を交わしながら、椅子に座る志貴さん。その顔が微妙に蒼白なのは気のせいでしょうか。
 隣に座ったシオンさんが、怪訝そうに覗き込みます。
「志貴?」
「なん…で、弓塚さんと四季が…」
 わたしは後ろの空いた席に座りながら…
 その表情に、志貴さんに呼ばれた二人がどういう相手なのか、何となくわかってしまったのでした。
「ま、まあまあ。お金取ってるんですからサービスですよ」
「…そっか」
 無理にかもしれないけど志貴さんは微笑んでくれて、ようやくわたしも一安心。
 と、音を立てて扉が開き、先生が入ってきます。
「はい席について。つかないと蹴り飛ばすわよ」
「せ、先生っ!?」
 志貴さんの口から小さな叫び。わたしは体を伸ばし小声で尋ねます。
「驚くような先生なんですか?」
「あ…、そうだな。いい先生だよ、うん」
「ほらそこの少年、ぶつぶつ言ってない。じゃあ今日の授業は、えーと、自習!」
「……」
 結局『いい先生』は昼寝を始め、わたしは五十分間よくわからないプリントとにらめっこする羽目になりました。なんですかこの夢は…。

「――元気でね生徒諸君。縁があったらまた会いましょう」
 先生は爽やかな微笑みを残すだけ残して去っていきました。
「案外学校って退屈なんですね…」
「まあ、メインは授業だしなぁ。それじゃ次は特別授業にする?」
「それでは家庭科にしましょう」
 いきなり人差し指を立てて提案するシオンさん。意外そうな目を向けられ、赤くなって牙をむきます。
「なんですかっ! 私が家庭科を希望してはいけませんかっ!? 食文化はその国を理解する上で重要な情報なんです! 別に少女漫画を読みふけって家庭科の時間に興味を持ったとかそういうことはないですよ!?」
「わかった、わかりましたっ。じゃあ行ってみるか」
 平凡な生徒たちが行き交う廊下を通り、家庭科室へ。
 そこは有彦さんが肉を焼いていたり、弓塚さんがクッキーを焼いていたり、太った人が菓子パンを食べていたりする混沌とした場所でした。
「ううっ、砂糖と塩を間違えちゃったぁ。でも遠野君ならこんなクッキーでも助けてくれるよね」
「バカめ、真の兄ならクッキーをもらうのは妹からだけだ! なあ志貴?」
「志貴…。これがあなたのイメージする家庭科ですか?」
「いやごめん、実は中学高校と家庭科は選択してなかった。小学校の頃はどんなだったかなぁ…」
 志貴さんのあやふやな記憶の中、エプロン姿に派手なマントの先生が教壇に上がります。手にはタマネギと包丁が。
「次は涙が出ないタマネギの切り方について。よく切れる包丁で、手早くカットしましょう。さあカット。カット、カットカットカットカットーー!!」
「何しとんじゃお前はぁ!!」
 シオンさんのアッパーカットが一閃し、家庭科の先生は天井を突き破って星になりました。
 軽く頭を降って、変な細い糸を取り出すシオンさん。
「やはり正確な情報に基づかなくては駄目ですね。志貴の深層記憶を探りましょう」
「うわ、またエーテライトなんか出して。それはやめろって」
「まあまあ、いいじゃないですかエーテライト。わたしも好きなんですよー。エーテルライト〜、エーテルライト〜、清らかな花よ〜、でしたっけ?」
「それを…」
 急にシオンさんがわたしの両肩を掴みました。
「言うなら…」
 空中に放り投げました。
「エーデルワイス、だろーがぁーー!!」
 上空に放たれたブラックバレル(レプリカ)の直撃を食らい、床に落ちたわたしはぴくりとも動かなくなりました。ええもう自分で言うんですから間違いありません。
「わーーっ!! な、ななこちゃんっ!」
「ツッコミとはこうするものではないのですか?」
「違うわいっ全然っ!!」
「……。一番停止。二番停止。三番…」
「逃避すんなよ! 保健室に連れてくぞ、早くっ!」

 夢の中で目覚めるのも変な話ですが、とにかく目を覚ますと保健室のベッド上でした。
 隣でシオンさんが深々と頭を下げています。
「申し訳ありませんでした」
「あはははは、まあ気にしないでください。ごめんで済んだら警察はいりませんけど」
「それではとっておきの情報をお教えしましょう。私は長年の研究の結果、墨汁とおがくずをブレンド調合するとニンジンになることを発見したのです」
「ほ、本当ですかっ!? 錬金術ってすごいですねぇ」
「たぶんニンジンとは別の何かだよ、それ…」
「失礼な、私の計算に間違いはありません。赤かったし」
「赤いだけかよ!」
「あら、志貴くん」
 カーテンを引いて姿を表したのは、白衣姿の綺麗なお姉さんです。
「と、朱鷺恵さん!?」
「ふふっ、女の子に囲まれて羨ましいわね。相変わらず手が早」
「わーわーわー!」
「成程、貴方が志貴のイメージする『保健室の先生』なわけですか」
「そうみたいね。きっと過去の体験と、保健室で横たわる自分と女医という状況の類似性が」
「だああ!」
「…事情は何となくわかりました」
「志貴さん、えっちなのはいけないと思います」
「誤解だーー!!」
 思わず叫ぶ志貴さんですが、別に誤解でも何でもないのでそれ以上言葉が続きません。
「くそっ、なんで夢の中でまでこうなるんだよ。変更変更!」
 朱鷺恵さんの姿はかき消え、代わりに椅子に座っていたのは変なジジイでした。
「ほら、こいつが俺の主治医だよ。何らやましいところはないだろ?」
「そんな下らんことでワシを夢に出すな、バカモンが!」
 ジジイに殴られる志貴さんはどこまでも不幸です。
「まあ嬢ちゃんたちも、あんまりこやつをの寿命を苛めんでやってくれい」
「そんなぁ、わたしはいつだって志貴さんの健康と幸せを祈ってますよ?」
「祈るだけでは足りんのう。どれ、ワシが実践方法を手取り足取り教えてやろう」
「帰れエロジジイ!!」
 志貴さんの全力パンチで、ジジイは壁に人型だけ残して校外へ消えました。平和な夢どころじゃないですね…。
「そろそろ終わりにします?」
「ああ…。結局どこにいても同じ気がする」
「レンさん、まいてまいてー」
 わたしが腕をぐるぐる回すと、聞いたレンさんの力で時計もぐるぐる回り出しました。

 いつしか外は真っ赤な夕焼け空。
 場所も教室に早変わり。生徒たちが挨拶を交わしながら一人また一人と帰っていきます。
「じゃあねー」
「またねー」
 そんな光景を、志貴さんはようやくほっとしながら、自分の席で眺めていました。
「遠野、寄り道しないで帰りなさいよ」
「そう言う舞士間さんも」
 苦笑いする志貴さんを、シオンさんは観察しながらメモなんか取ってます。
「さて、オレも帰るか!」
 わざわざ言って立ち上がったのは四季さん。志貴さんは何か声をかけようとしましたが…。
 その口が言葉を発することはなく、代わりに相手の方が、教室を出る間際に振り向きます。
「お前も早く帰れよ。また秋葉のやつがうるさいからな」
 微笑んでそう言う彼に――志貴さんは息をのんで、苦しそうに俯きました。
「志貴…?」
「志貴さん?」
「いや…何でもないよ」
 わたしたちに向けて笑おうとしますが、自嘲が入るのを抑えきれず。
「何してるんだろうな、俺は」
「……」
「四季も、弓塚さんも、俺が殺したのに。
 なのにこんな都合のいい夢を見て、本当、情けないったら――」
「いっ…!」
 いいじゃないですか別に。それを言ったらこのお店の意味がなくなるし…。
 そう言おうとしたんですけど、志貴さんの顔を見ると喉の奥に引っかかってしまって、その時。
 どたどたどたーっ
 廊下を誰かが走ったかと思うと、帰ったはずの四季さんが戸を開け、いきなり志貴さんに近づいて殴りつけました。
「な、な――!?」
「ええい、やっぱりキサマなんぞ帰ってこなくていい! 秋葉は俺のものだからな。兄の座を賭けた俺たちの勝負は永遠に続くのだ!」
 呆気に取られている志貴さんに、四季さんは「またな!」と言い捨て今度こそ姿を消しました。
 志貴さんはずり落ちた眼鏡を直して、ゆっくりと視線をシオンさんに向けます。
「…今のは、シオンの夢?」
「さあ? 誰の夢かを詮索することに何の意味があるのでしょう。所詮夢は夢でしかないのに」
「そうだよ、遠野君」
 最後に教室に残っていた弓塚さんが、そう言って席を立ちます。
「それにね、ここにいるのは単なる誰かの夢だけど…。
 でも本当のわたしだったら、夢に見てもらえないよりは、見てもらう方を選ぶと思うな。うん、きっとそうだと思う」
「弓塚さん…」
 そうして弓塚さんも出口の前で振り返って、笑顔でこう言うのです。
「ばいばい。また明日学校でね」
 志貴さんは…
 色々思うところはあったのでしょうけど、それでもわたしが知る限り、一番の笑顔を返したのでした
「ああ、また明日」
 チャイムが鳴ります。この夢が幕を下ろす合図。
 シオンさんはいつの間にか背を向けて、リーズ…とか何とか、誰かの名を呟いたように聞こえました。


/9

 さて、そろそろこのお話もおしまいです。
 結論を言えばこのお店は今も続いていて、わたしに細々とニンジンを供給してくれているのですが…
 今回はマスターの夢の話をして終わりにしましょう。

 お客が一段落して休憩していると、マスターが疲れた顔で入ってきました。
「レンちゃん、カレーの夢をひとつお願いします…」
「ど、どうしたんですかー? 今日は活動費の支給日だったんじゃ」
「…活動費が減らされてました…」
 一瞬理解できませんでしたが、その意味を知って飛び上がります。
「そそそれはどういうことです!? 今まで稼いだ分は帳消しですかっ!」
「いろいろと陰険な理由がついてましたよ、あのくそナルバレック! もういいです、カレーの夢でも見て逃避します」
「じゃあ五百円」
「…せちがらい世の中ですねぇ…」
 マスターはがま口から五百円玉を渡して、ぱたりとベッドに倒れ込みました。
 接客してもしょうがないので、レンさんに任せてわたしは休憩を続ける気だったのですが…
「ふっふっふー」
 マスターが眠ったとたん、とっても楽しそうな顔で入ってきたアルクェイドさん。なんだか嫌な雲行きです。
「なかなか面白いチャンスじゃない。悪夢でも見せて寝不足にしてやろーっと」
「だ、ダメですよぅ。こんな人でも一応マスターなんですから、そんなこと許しません!」
「許さない? このわたしに言ってるの? あなたが?」
 見下すように向けられたアルクェイドさんの目は、金色に光って殺す気満々でした。こ、これが噂の悪クェイドってやつですかー!?
「まあ神聖なわたしを改造するマスターなんてマスターじゃないですよねっ」
「…わたしが言うのもなんだけど、あんたもう少し忠義心を持ちなさいよ…」
 ホントにあなたには言われたくないですよ。とにかく三人で夢の中へ。何もない黒い世界で、きょろきょろとカレーを探しているマスターが向こうに見えます。
「さあレン、ばかシエルに悪夢を見せてやりなさい!」
 気の進まなそうなレンさんですが、横暴真祖には逆らえません。一陣の風とともに、マスターの目の前に人影が現れます。
「え……?」
 ――え?
 驚いたのはわたしも同時でした。だってこんな顔のマスターなんて、初めて見る――
「どうしたの? もう私を忘れたの? 随分と都合のいいことね」
「いや……そん、な……!」
 な…。なんでマスターが泣いて…!?
 マントを羽織った、マスターと同じ顔の……その正体に思い当たって、わたしは恐いのも忘れて思わず怒鳴っていました。
「アルクェイドさんっ!」
「や、やばっ、ちょっとやりすぎた?」
 さすがにアルクェイドさんも焦った顔で、あたふたとレンさんに指示を出します。
「レ、レン、何とかしてよ。えーと、誰でもいいから強い奴を出して!」
 聞き終える前に、レンさんは既に行動に移っていました。
 突如現れる三つの黒い影!
「――――!?」
 その影が同時に襲いかかり、マスターの悪夢は悲鳴を上げる間もなく消滅しました。
「あ……」
 信じられぬ顔のマスターの上に、冷ややかな声が飛びます。
「何を呆けている。まったく、これでは給料をもっと下げなくてはな」
「ほんとほんと、僕らが罪なんて気にして何になるのやら。先輩として情けないよ?」
 片目を髪で隠した女の人と、生意気そうなガキもとい少年。あ…、埋葬機関で見たことがあります。そしてもう一人は…
「まこと人間とは脆いものだな。私にはどうでも良いことではあるが」
 髪の長いアルクェイドさんでしたが、当人は目をぱちくりして「誰? あれ」と分からない様子でした。
「さて」
 と、メレムさんの魔獣がテーブルを持ってきます。ぽかんとしたままのマスターの前で混ぜられるそれは……は、牌ですか?
「い、一体何を?」
「フッ、お前も噂には聞いているだろう。あの恐るべきナルバレック麻雀を」
「知るかそんなもん! なんでヴァチカンで麻雀…」
「敗者は一ヶ月間埋葬機関のトイレ掃除だよ。僕も本気を出さなくてはね…」
 マスターは口をぱくぱくさせていますが、これくらいがアルクェイドさんの希望通りだったようです。
「いいわよレン、シエルを超ツカン状態にしてやんなさい!」
「そんなことしなくても、どうせマスターのツキなんて最初からないですよ…」
 はたしてレンさんの仕業なのか元々なのか、負け街道一直線のマスターです。
「ロン!」「ロン!」「ロン!」
「ち、ちょっと…」
「満貫!」
「ダブル役満!」
「初心者のこの身にまで振り込むとは…。そなたは千年経っても不運であろうな」
「でえーい、やってられるかーっ!」
「あーっ!」
 切れたマスターのちゃぶ台ひっくり返しのせいで、雀卓は三人ともども消滅しました。アルクェイドさんが叫んで飛び出します。
「牌を崩したー。罰符だ罰符ー」
「やっぱりあなたの仕業ですかっ! どこでそんな言葉覚えたんです!?」
「志貴に教わった」
「遠野くんも下らないことを…。いやそんなことより、わたしの夢をどーしてくれるんですかっ。貴重な五百円を返してくださいよっ!」
 マスターの抗議に、つまらなそうに耳をほじるアルクェイドさん。
「うるさいわねぇ、カレーの夢ならいいんでしょ? レン、うんこカレーでも出してやりなさいよ」
「ふ、ふふふ…。とうとうわたしを怒らせましたね…」
 ああっ、マスターの怒りのオーラが天を覆っていきます。避難した方がいいでしょうか?
「うぉぉぉぉーーー!!」
 なにィーー!? 限界を突破したマスターが変化したァーー!!
「ボンジューーール!! みんなの知得留先生です」
 先生姿にーーー!!
 ていうかコスプレってやつですか? 少しは歳を考えてくださいよ。
「今回の授業は猫について! どうやら世の中にはいい猫と悪い猫がいることが分かりましたねー」
「うにゃ?」
 あれ、アルクェイドさんが変な猫に…。
「いい猫はもちろんレンちゃんです。素晴らしい力を持ち性格も素直な良い子です。
 それに比べてそのバカ猫は、性格は悪いし役に立たないし、同じ猫として恥ずかしくないんでしょうか?」
「性格はどうでもネズミを捕る猫が良い猫にゃ。その点知得留はダメ猫にゃ。尻がでかくてネズミを追えないからにゃー」
「はははは。あーはははは! 天誅ーー!!」
「いきなりかにゃーー!!」
 マスターが振り下ろした教鞭を、白刃取りで受け止める変な猫。ぎりぎりと力の押し合いの後、弾かれた教鞭が中空に回転して飛びます。
「そうやってすぐ暴力に訴えるから彼氏もできないのにゃ!」
「やかましいですこのクソ猫! 三味線にしてヤル!」
「おまえこそ丸刈りにしてメガネ坊主にしてやるにゃ! ニャンダバー!」
 あーあ、殴り合いを始めちゃいましたよ…。どうしてわたしとレンさんみたいに、平和的な関係を築けないんでしょうねえ。


 喧嘩を続ける二人を放置して、わたしたちはクーラーのきいた部屋に戻ってきました。
 目の前では当の二人が、並んで寝転がったまま互いにうなされています。
「う〜ん」
「う〜ん」
「はぁ…。こんな人たちがマスターだと思うと情けなくなってきますね。ねえレンさん?」
 あさっての方を向いてノーコメントを貫くレンさんに、わたしは苦笑しつつ、冷蔵庫からニンジンとケーキを取り出します。レンさんもとたたと近づいてきました。今日はもう閉店ですね。
「そういえば、レンさんは見たい夢はないんですか?」
 ニンジンをかじりながら尋ねるわたしに、レンさんはひげにクリームをつけたままぴたりと動きを止めました。
 少し考え込んでから、ゆっくりと首を振る彼女。その目がケーキでも床でもなく、遠い昔に別れた誰かを映している気がしたのは……
 それはわたしも、同じことを考えたからでしょうか。わたしに謝り続けて、やせ細って死んでしまったあの人が、そんな運命ではなくて、わたしと幸せに暮らし続ける夢。
 けれど志貴さんと違って、わたしたちは長い時を過ごしすぎました。それに――
「ああ――そうですね」
 目の前のニンジンと、レンさんと、うんうん唸っているマスターたちを前に、わたしはふと呟きます。
「こんな毎日が、それこそ夢のようなものかもしれませんね」
 その言葉に、レンさんは少しだけ……
 微笑んだように、そんな風に見えたのでした。






<END>





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