「良かったら一緒に帰らない?」
「友達に噂とかされると恥ずかしいし…」
「今度の日曜空いてるかな」
「ちょっと予定があって…。ごめんなさい」
「た、たまには一緒にお昼でも」
「あんまりそういう気分じゃないから…」
「しっ…詩織ぃぃぃぃぃーー!!」






詩織SS: Glass Guard








 相手にされない片思いほど気の滅入るものはない。

「はぁ〜〜〜」
「やめろよ辛気くせぇ…」
 学校そばのファーストフード店で不景気な顔の男子が2人。片方は今日数度目の玉砕を強いられ不景気で、もう片方はそんな男に付き合わされて不景気だった。
「お、でもな明るい材料だってあるぜ」
「ほんとか好雄!」
「3年の土橋と剣持が詩織ちゃんに交際申し込んであっさり断られたらしい」
「ああっ嬉しいけど嬉しくない!」
 好雄が名を挙げた人物といえば成績もスポーツも人気もトップクラスの2人。それでも駄目だったとなると彼らを越えない限り公の思いは成就しないらしい。まったくもって千里の道を行くような気の遠い話だ。
「理想高すぎるよな詩織ぃ〜〜…」
「いくら愛の伝道師のこの俺も彼女ばかりは攻略不能だねぇ。根本的に男に興味ないんじゃないか?」
「人の希望を打ち砕くこと言うなよ!」
「あー悪ぃ悪ぃ。思いはいつか通じるって」
 といってこれだという策もなく、男2人でボソボソとハンバーガーをかじった後店の前で分かれてとぼとぼと家路についた。今までの10年間同様、今日も進展はないようだ。


 翌日もいつもと同じ。

 朝早めに起きると着替えを終えてカーテンを開ける彼女を拝むことができる。こちらはにっこり笑って手を振ったりするのだが、向こうは軽く会釈するだけでさっさと階下へ降りていった。公もがっくりと肩を落として部屋を出た。
 早めに家を出ると玄関先の詩織に出会うことができる。いつも同じ時間に規則正しく。朝日の中の彼女に会いたければ少しの寝坊も許されない。
「お、おはよう詩織っ!」
「うん、おはよう」
 それだけ言って詩織はさっさと先に行ってしまう。強引に並んで歩く勇気もなく、数メートル後ろを歩きながら情けなくため息をもらす。
 いや詩織の事情も分かるのだ。きらめき高校のマドンナとか呼ばれ、芸能人並に噂のタネになりやすい彼女である。ましてその難攻不落ぶりから誰が最初に詩織を射落とすか賭けまで行われている始末。自分と一緒に登校したりしたらあらぬ噂が尾ひれつきで立つのは確実だろう。
 でも赤の他人てわけじゃないのに。長い付き合いなのに。もう少しくらい特別扱いしてくれてもいいと思うのは幼なじみであることに甘えているのだろうか。
 高校までは歩いて15分。学校が近づくにつれ何人かが詩織に声をかける。詩織の方もきちんと全員に、かつ公平に挨拶を返す。いつもの朝の光景だった。
「よっ、公」
「好雄か…」
「なーんでなんでぇ、朝っぱらからしけてるねぇ」
 揃って先を歩く流れる髪を見つめる。走れば数歩のその距離のなんとも遠いことよ。
「俺、ホントにいつか詩織の彼氏になれるのかなぁ…」
「何言ってんだオイ!もーちょっと気楽にやれって。何とかなるなる」
 周囲に聞かれないよう小声で交わす2人の会話は、前を行く詩織には当然届かない。気楽に生きてる好雄から見れば公の奴はなかなか頑張ってると思う。最初に入学した頃に比べれば成績もぐんと伸びてるし、スポーツでも活躍している。好雄メモによれば女の子の人気もまずまずだ。
 だが公自身はといえばあまり自分を高く評価できない。と言うより前を行く詩織が偉大すぎる。学業もスポーツも常にトップクラス。品行方正で責任感が強く、委員会などの仕事もきっちりこなす。たまに遊ぶかと思えば友達と買い物に行く程度。凡人の自分があんな生活してたら息が詰まって死んでるだろう。詩織を尊敬してるし偉いとも思うが、恋人志願者としては『少しは手を抜け頼むから!』と理不尽な思いにとらわれることもしょっちゅうである。
「はぁ……」
「…ま、頑張れや。お前の青春だしな」
「はぁー………」
 その青春から一番距離を置いてそうに見える彼女は今日も一人で教室に入った。隣に男など決していないことがささやかな慰めと言えば言えるかもしれない。


「あ、詩織。今度さぁ…」
「ごめんね。ちょっと急ぐから」
 ウナギのようにすり抜けてどこかへ消える詩織を公は呆然と見送った。放課後の体育館。公がバスケ部に入部したのは詩織を追いかけてであってそれ以上でも以下でもなかったが、部活は真面目にやっていた。なのに未だに詩織の方が上手い。
「主人、何よそ見してる!」
「す、すいませんっ!」
 自分は今2年生で補欠。詩織はレギュラー。この差はいつか埋まるのだろうか。
「(少なくともきら校1のイイ男にならないと無理だろなぁ…)」
 そんなことを考えながらでは練習に身が入るわけもなく、終了後コーチに怒られた上ボールの後片付けを命じられた。よりによって詩織の見てる前で。どん底まで落ち込んだ。
「俺の馬鹿…」
「公くん?」
「しっ詩織!」
 しかも悪いことに用具室で苦悩していたところへ当の本人が入ってくる。誰かと違って自分から率先して片付けを行っているのだ。
「や、やあ詩織!あ、相変わらず頑張ってるね」
「うん、公くんも…」
 言いかけて、詩織の声は途中で消えた。少し動いた唇からは何も聞き取れなかった。
「それじゃ」
「あ、ああ」
 ボールを置いてきびすを返す詩織。背を向けて、表情を見せない詩織。
 全然駄目だ。


 公は早足で帰り道を歩いていた。
 このままじゃ駄目だ。いつまで経っても同じだ。頑張ればいつか詩織が振り向いてくれると信じてたけど…
 いつ頂上が来るかわからない山道を永遠に登り続けられるほど忍耐力は強くない。無理なんだ。だったら今当たって砕けても同じかもしれない。
 薄暗い街灯の下に見慣れた長い髪が見えた。
「詩織!」
 立ち止まり、振り向いて、少し微笑んで聞き返す。
「なに?公くん」
 見たいのはそんな微笑じゃなくて、彼女の心からの笑顔なのだけれど。
 今の公がそんなことを口にするのはやはり図々しいだけなのだろうか。
「えーと…」
 少し思案しながら詩織と並んで歩いた。
 彼女もためらいがちに歩調を合わせる。
(俺のどこが不満なんだ?)
 たぶん色々と不満なのだろう。
(これだって頑張ってるんだぜ)
 こちらの勝手な言い分である。
「公くん……」
 用がないなら先に帰るけど、という表情がありありと見えた。
 思っても思っても届かない。

「詩織の理想ってどんな男なんだ?」

 普段ならおよそ正気の沙汰とは思えない質問だった。確かにそれは聞きたいが、本人に直接尋ねるなんて。でも本当にそれが見えないのだ。
 言った瞬間少し後悔したが、今さら後に引きようがない。
「別に…特に理想なんてないよ」
 詩織は少し俯きがちに、困ったようにそう言った。だから、それだからいつまで経っても距離が埋まらないんだ。自分はこんなに歩み寄ってるのに!
「でもさ、まるっきり誰とも付き合おうとしないだろ」
「‥‥‥‥」
「どうすりゃ詩織と釣り合えるんだよ。何とか言ってくれよ実現してみせるから! 成績トップでないと駄目ならもっと勉強するし、スポーツをもっと頑張ってほしいなら死ぬ気で…」
 そこで公の言葉が途切れた。詩織が立ち止まってこちらを見ている。その目の中に音のない炎が見える。公は蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。
「どういう意味?」
「あ……」
「どういう意味?公くんが勉強やスポーツでいい成績を上げたら私が公くんを好きになるの?」
 返す言葉もなかった。調子に乗りすぎたか。いや、でも本音だった。2、3歩後ずさって、弁解じみた言葉を口にする。
「だ、だって詩織が全然相手にしてくれないから…」
「私はっ…!」
 握りしめた詩織の手が震えている。悔しそうに。そのまま公に背中を向けた。涙がにじんでいたように見えた。
 駆け去っていく詩織の後ろ姿を、公はなすすべもなく見送っていた。




 何もする気が起きない。

 いつどこで勘違いしたのだろう。
『公くんが勉強やスポーツでいい成績を上げたら私が公くんを好きになるの?』
(俺は詩織が成績優秀スポーツ万能で美人だから詩織が好きなのか?)
 断じて違う! だけど…。
 釣り合う人間というレッテル。恋愛にそんなもの関係ないはずなのに、誰しも他人を能力で評価してしまうのはある程度仕方ないかもしれない。
 でもそれが詩織を傷つけてた。詩織は本当は普通の優しい女の子で、誰かが困ったときはいつも助けてくれたし、他人の嫌がることも自分から進んでやって、なのに自分がどんなに辛くても周りに助けを求めることはない、そんな女の子だった。今までずっとそうだった。自分が一番よく知ってたはずなのに!
 幼なじみにまであんなことを言われて、どんなに悔しかっただろう。
「俺は最低だ……」
 頭を抱えてベッドにうずくまりながら、重く垂れたカーテンへ視線を向ける。
 その向こうに詩織がいるはずだ。いつものように独りぼっちで。




 翌日、詩織は口をきいてくれなかった。

 放課後部活に行く気になれず机に伏せてる公に、対照的に明るい声がかけられる。
「うっわー、ホント暗いっ!」
「朝日奈さん…」
 顔を上げると廊下で好雄が手を振っている。彼が夕子に話したようだ。
「なーんか詩織ちゃんに変なコト言っちゃったんだって?気にしない気にしない。どうせ最初から相手されてなかったじゃんよ」
「ほっといてくれよ……」
 夕子の甲高い声が今は脳天に響いて痛い。
 相手にされるされない以前の問題だ。
「俺にはもう詩織を好きになる資格なんてないかも…」
「なんだかなぁ」
 うざったそうに髪の毛をかき回す夕子が、不意に腰を下ろすと公の顔をのぞき込む。
「じゃ、さ。あたしで手を打たない?」
「は?」
「藤崎ちゃんよりはかなり落ちるけど、釣り合い的にちょうどいいじゃん」
 本気なのか冗談なのか区別のつかない夕子の口調。確かに、もう詩織のことは諦めて他の娘と付き合った方がいいのかもしれない。そのはずなのに、公にはその考え自体が本気のものとして浮かんでこなかった。
「釣り合いって何なんだろな」
 憮然とした表情で質問してくる公に、夕子は一瞬虚を突かる。
「…うーん、難しいことはわかんないけど、公くんと藤崎ちゃんなら一緒にいて引け目感じないってことじゃない?」
「朝日奈さんは詩織に劣等感とか感じる?」
「まっさかー!あたしはあたしでしょ」
 自分は感じる。夕子と違って、自分に自信がないから。
 誇れる自分がない。だから見誤った。
 本当のことはただ一つ、自分は詩織が好きだ。初めて会ったときから10年間ずっと。その気持ちが変わらないなら前に進むしかないはずなのに。
「ごめん、朝日奈さん」
 拳を握りしめて、息を吸い込んで、公はそう謝った。夕子は分かってたように軽く肩をすくめる。
「ま、似たもの同士なんじゃない?公くんもたいがいガード固いよね」
「俺のはそんなんじゃないって」
 苦笑してそう答える。詩織が好きだ。あのいつも優しくて、自分ばかり傷ついてる隣の家の女の子が。心のガードが固いなら、それを越える想いを持てばいい。それだけは誰にも負けないと、そう思うしかないではないか。
「やるだけやってみる」
「うん、頑張れ!」
 軽く公の肩を叩くと、夕子はピースサインをして教室を出ていく。廊下で好雄と二言三言話して立ち去る彼女を見送りながら、とにかく詩織に謝ろうと、拒否されてもいいから正直な気持ちだけは伝えようと心に決めた。



 帰り道の公園で詩織を待った。

 昔この公園で遊んでたころも、詩織はいつもお姉さんで迷惑かけてたのは公だった。今もそれは変わらない。
 詩織の隣に並びたい。必要なときには詩織を支えられるようになりたい。いつも頑張ってる彼女の、休める場所を作りたい。
 …詩織に笑っていてほしい。
「詩織!」
 詩織の姿を認めて弾かれたように声をかける。彼女は一瞬びくっと身を震わせると、視線を合わせないようにそのまま歩き去ろうとした。公はあわてて後を追った。
「…昨日はごめん」
「‥‥‥‥‥」
「聞くだけでいいから聞いてくれないかな」
 詩織は背を向けたまま答えない。見えないガードを張り巡らせたまま。
「今さら何言っても弁解にしか聞こえないと思う。でも断じてあんなことが言いたかったんじゃないんだ」
 初めて会ったのは小学校のとき。隣に引っ越してきた彼女を、数日後にはもう好きになってた。
 中学に入ってどんどん先を行く詩織に、隣同士ということで何かと比べられた。彼女から距離を置いた。好きだという気持ちが恨めしかった。
 ぎりぎりになってようやく奮起して、必死で勉強して同じ高校に入った。その後も詩織の影に追い立てられるように努力を続けた。しかし肝心なことを忘れていたのでは話にならない。
「詩織に彼女になってほしいとか、詩織の彼氏になりたいとかじゃない。それ以上に詩織は俺にとって大事な存在なんだ。詩織の助けになるならなんでもする。俺が詩織からもらったものを少しでもお返しできるならなんでもするよ」
「‥‥‥‥」
「勝手なことばかり言ってごめん。これで最後にする。でも俺は詩織が…」
「やめてよ!」
 詩織が叫んだ。また彼女を傷つけた。
「何で私なの!? もっといい人がいるよ。私なんかより、公くんを幸せにできる人は大勢いるよ。私なんかに構わないでよ…!」
 そうだ。
 詩織は公の想いなんてとっくに知っていた。知っていたからこそ必要以上に近づけようとしなかった。近づけることができなかった。
 自分が傷つくのが怖いから? 違う、他人を傷つけるのが怖いから。だから結局いつも彼女が一番傷ついてる。でも……
「俺は詩織が好きだよ」
 当たり前すぎるその言葉はごく自然に口を出た。
「俺のこと好きになってくれなんて言わない。でも知っておくだけはしてほしい。俺は詩織が、世界で一番好きだ」
 自分でも驚くくらい静かな声で。少しでも詩織に届くだろうか。
 詩織には迷惑かもしれない。詩織を傷つけるだけかもしれない。でも自分にとっては唯一絶対の真実で、相手に伝えなくては始まらない。
「だから詩織のために傷ついても構わない。いや、傷ついたなんて思わない。俺が勝手に好きになっただけで、ただ俺は詩織が幸せになってくれればそれでいいんだ」

 詩織は俯いたまま答えなかった。少しの間沈黙が流れた。
 一瞬だけ、ごめんなさい、という形に口が動き、公がはっと息を止める。
 しかしそれを言葉にする前に彼女は顔を上げて微笑んでくれた。
「…ありがとう」
「え、あ、いや…」
 緊張の糸が切れたようにしどろもどろになる公。本気で言ったのかもしれないし、公の気持ちを考えてそう言ってくれたのかもしれない。今の公にはどちらかは分からない、でも…彼女の言葉は今までで一番嬉しかった。
「それじゃ…」
「あ、うん、それじゃ」
 詩織の姿はゆっくりと小さくなっていく。
 その隣に並べる日に、今は遠くても近づきたい。




 家に帰ってベッドに倒れ込む。もう少し上手くできなかったものか。
 後悔することはいくらでもある。それでも自分の人生に詩織は切り離せない存在で、そんな人と出会えたことに感謝したい。
 そのことが詩織にとっても少しでも良いことであるように…そのために頑張ろうと、そう思った。




「おはよう!詩織」
「うん、おはよう」

 それからも変わらない毎日。
 でも迷わなくなった分、公にとっては明るくなったかもしれない。

「いいのかー?せっかくの高校生活だろ」
「世の中女の子は大勢いるのにねぇ」
 好雄と夕子のそんな言葉に、公は微笑んで言うのだ。
「小学校のときから好きだったんだ、高校生活くらいなんて事ない。この先10年でも20年でも…詩織が振り向いてくれるまで気長に頑張るよ」
 詩織はどう思っているのだろう。今も教室で優しく笑っている彼女の向こうにあるものはまだ見えない。
「詩織、宿題やってきた?」
「うん、やってきたわよ」
 でもその心は少しだけ知ってる。自分が好きになったその心は今もガラスのケースに入ってる。それが見える幼なじみが、彼女のためにできることを。

 そしていつか詩織のことを本当に分かれるように。
 彼女の本当の理解者になれるように、精一杯やってみようと、公はそう思うのだった。





<END>



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