Try.1

「あ、あのさ」
「おう、何だ?」
「え、えっと…。な、何でもないの。それじゃ!」


Try.2

「こ、今度の火曜日、空いてたりなんかしないよね?」
「いや、空いてるけど。何?」
「そ、それじゃぁさ…。や、やっぱまた今度でいいや!」
「?」


Try.3

「こ、こういうのって恥ずかしいかもしれないんだけどさ」
「だから、何?」
「い、嫌なら嫌でいいんだけど…」
「だから何だよ」
「あ…あはははは。今日もいい天気だね!それじゃ!」
「‥‥‥‥‥‥(曇ってっぞ)」


Try.4

「放せ!放せぇぇぇぇ!」
「シャラップ!さっさと用件を済ませなさーい」
「望ちゃん。根性、根性、根性よ!」
「…何?」
「あ、いや、その…」
 今日という今日は両脇を彩子と沙希に押さえられ逃げられない。目の前の視線にどぎまぎしながら、ようやく望はなけなしの勇気を総動員した。
「あっ…あたしの誕生会に来てもらえないかな!?」



清川BDSS: 輝きは君の中に



「(えへ、えへ、えへへへへ…)」
 彼が快諾してからこっち、望の頬はゆるみっぱなしである。なんでも言ってはみるものだ。
「あーあー、見てる方が妬けちゃうわねー」
「な、何だよ。べ、別にいいだろっ」
「良かったね、望ちゃん」
「ほーら言ってるそばからにやけてる」
「ばっ馬鹿っ!」
 楽しそうな彩子と、あわててその口をふさぐ望を沙希は微笑ましく見ていたのだが、ふと何か思い出したように口をはさんだ。
「でも望ちゃん、練習の方はいいの?」
「あ゛」
 水泳部の事実上のエースは今ごろ思い出したように頭をかいた。今日は珍しく彩子が助け船を出す。
「サッキーったら…Birthdayにまで練習行けってDo you say?」
「べ、別に行けなんて言ってないよ。ただどうするのかなって…」
「いーじゃないの一日くらい。だいたい望は今まで水泳ばっかりだったんだから、少しは恋でもした方がbetterなのよ。ねぇ?」
「あ。うん、いや、その…」
 望の表情が少し変わった。別に何というものではないが、自分でも分からないような何か。
「あ、もう5時間目始まっちゃうわ」
「それじゃ望ちゃん、場所とかはまた後でね」
「あ、ああ」
 教室に戻っていく2人を見送って、望はふと窓の外を見る。きらめき高校の室内プールは、今日も変わらずそこにあった。
「(水泳ばっかり、かぁ…)」


 彼と初めて出会ったのはジョギングの最中だったろうか。身長182cm、スポーツ万能の彼は女の子に人気があったが、当人はそっち方面はまったく興味のない男であった。望も最初の頃はなんて無愛想な男だろうと思ったのだが、話してみればわりといい奴だったのと、何より彼が見た目に似合わず園芸部員だったこともあり、次第次第に仲良くなっていったものである。
 放課後望が園芸部を覗きに行くと、今日もまた黙々と土をいじっているところだった。
「よう、これから練習か?」
「ま、まあね」
 女の子が苦手な彼が、自分には気さくに話しかけてくれる。裏を返せば女の子として見られてないのだろうと望はいささか落ち込むのだが、かといって彼と話せなくなるのはなお嫌なのが難儀なところである。
「あ、シンビジューム咲いたんだ」
「ああ、ようやくな」
「‥‥‥‥‥‥」
 花を見る彼の優しい瞳に1人でどきどきしてる間に、その視線がいきなり望を向いて心臓を跳ね上げさせる。
「いいのか?練習」
「え、あ、うん。今行くとこ」
 あわてて立ち上がって走り出そうとして、少し立ち止まり伺うように彼を見る。
「あ、あのさ…。今度の火曜、やっぱ練習休んじゃまずいかなぁ?」
 返ってきたのは怪訝そうな視線。
「俺に聞いてどうすんだよ」
「あ、そ、そうだよね。それじゃ!」
 耳まで真っ赤にしながら、望は大急ぎで駆け去った。

 きらめき高校は私立校であり、当然名の売れる方面へは金をかけている。
 今のところ一番金がかかってるのは超高校生スイマー清川望。奨学金に成績の酌量、立派な施設に鬼コーチまでついている。それだけに結果を出すことを要求されているのだが、なるべくそれは考えないようにしている望だった。今まではそれで済んでいたのだが。
「(うう、やっぱり気が引けるなぁ…)」
 今日も一日の練習が終わり、みんなへとへとになって帰途につく。望だけは用件を切り出すべく、プールサイドで何か書き込んでいるコーチの所へ近づいた。
「(いや、ここで弱気になっちゃダメだ!彩子の言うとおり、昔の軍隊じゃあるまいし誕生日も練習なんてやってられるかっ!)」
 望は意を決すると、夜の室内プールで大声を張り上る。
「コーチ、ちょっとよろしいでしょうか!」
「清川か。最近のお前のタイムは…」
「えーまことに勝手ではありますが、今度の火曜は練習を休ませていただきます!」
「ぬぁにぃ?」
 快く笑って了解するとは期待してなかったが、思いっきりにらみ付けられるとも思わなかった。
「あ、いやその…」
「お前、今がどういう時期かわかってるのか!」
 頭ごなしに怒鳴られて、さすがに望もカチンとする。
「あ、あたしの誕生日なんですよ!?みんなでお祝い…」
「関係あるかバカモノ!!」
 むっかぁぁぁ〜〜〜っ
「とにかく休むったら休みます!部活なんて強制的にやらされるもんじゃないよなっ!」
「キサマ…!」
「失礼しますっ!!」
 相手に負けない大声で怒鳴ると、ずかずかとプールを出て思いっきりドアを閉める。部の友人たちが何事かと目を丸くしていたが、さすがにこの状態で声をかけようとする者はいなかった。

「あーっ腹立つなぁ!!」
 思いっきり小石を蹴り上げて、隣に彼がいるのを思い出しあわてて弁解する。
「あ、いやコーチの言い分もわかるんだけどね。あたし特待生だし…」
「別に特待生だからってそこまで拘束される筋合いないだろ」
「そ、そうだよねうん」
「まあまあ…」
 彩子と沙希が苦笑しながら仲裁する。いつものように3人で帰ろうとしていたところへ、今日はたまたま彼が通りがかったので同行している最中だった。
「だいたいそのMr.コーチ?アンビリーバブル、信じられないわねー」
「そうなんだ!何度ぶん殴ってやろうかと思ったことか!」
「‥‥‥‥‥‥」
「べべ別にちょっと思っただけだよ。ほんのちょっとだけ」
 ころころ変わる望の顔を沙希は笑いをこらえて見ていたが、彼の方が笑ってなかったので思わず顔をのぞき込む。
「どうしたの?」
「別に」
「や、やっぱちゃんと練習行った方がいいかなぁ?」
「だから俺に聞くなって。それじゃここで」
 そう言って自分の家の方へ歩いていく彼を、望は不安な顔で見送った。
「も、もしかして不真面目な奴だと思われたんだろうか…」
「Oh,no! そんなストーンヘッドな男だったらこっちから振っちゃいなさいよ」
「な、何言ってんだよぉっ!」
「だ、大丈夫よ。そりゃ練習サボるのは良くないことだけど…」
「沙希ぃ〜〜〜」
「あ、あはははは。気にしちゃ駄目よ、ね?それによく考えたらわたしたちお邪魔かなぁ」
「ナイスよサッキー!そうねぇ、誕生日くらい2人っきりにさせてあげるのが女の友情ってもんよねー」
「じ、冗談じゃないっ!頼むから一緒に来てくれよぉっ!」
 そうこうするうちに駅に着き、沙希は手を振って改札口で別れた。彩子とは家が近いので、並んでホームに降りていく。
「だいたい望はねー」
「そういう彩子は」
 などと話しながら電車に乗り込んだ2人だったが、急に望が立ち止まるとくるりと180度回転した。
「ワッツ、どうしたの?」
「別の車両にしよう別の車両に!」
「あーっ!清川望!」
「あっちゃぁ〜」
 彩子が振り返った先にいたのは望と同じショートカットの、性格きつそうな女の子だった。望はあきらめたように足を戻し、そのまま扉が閉まって電車が出発する。
「早瀬…。やな奴に会っちゃったなぁ」
「こっちのセリフよ!」
「Who?誰?」
 早瀬香、轟高校水泳部員にして望の自称ライバル。現在の対戦成績は望の14勝0敗だったが、それでもライバルなのだそうだ。
「ふんっ、今まではちょっと調子が悪かっただけよ。次の大会であなたの不敗神話はもろくも崩れ去るんだわ!」
「勝手なこと言うなよ!あたしだってそう簡単に負けられるか!」
「今は恋に大忙しだけどねー」
「あ、彩子っ!!」
 あわてて彩子の口をふさぐ望だが、刻すでに遅し。がたごとと揺れる車内で、ただでさえきつい早瀬の目つきがさらにきつくなる。
「清川…どういうこと?」
「ど、どうってどうでもいいだろ!なんでそんな事説明しなくちゃならないんだよ!」
「黙りなさい!それでも私のライバルなの!?少なくとも真剣に水泳に取り組んでるとは思ってたのに、まさか男にうつつを抜かしてるっての!!?」
 何か言おうとする彩子を手で制する。しばしにらみ合いが続いたが、ふっと視線を外して街の明かりを見たのは望だった。
「本当に…いいのか?そんな高校生活で」
「なっ…」
「あたしだって前はそう思ってたよ!確かに水泳は好きだ。でも毎日毎日泳ぎ通し、ひたすら勝つことばかり要求されて、少しでもタイムを縮めるために好きな人とも一緒にいられないだなんて…そんなの寂しすぎるじゃないか!!」
 周囲の注目を集めていることにも気づかぬまま、しばらく2人は立ちつくす。電車が止まり、早瀬は望の横を通り過ぎた。
「見損なったわ」
「…なんとでも言え」
 早瀬の姿が人混みに消え、再び電車が動き出す。じっと拳を握りしめた望を、彩子は頭をかいて見つめていた。


「なーにを気にしてるのよ」
「べ、別にっ」
 街灯に照らされた道は他に通る者もなく、襲われたら痴漢の方が心配だとは彩子の笑えない冗談である。
「…でもあたしから水泳取ったらなにも残らないんだよな…」
 公への気持ちが大きくなるにつれて、その思いが重くのしかかってくる。実際水泳のない自分なんて、この学校に通うことすら出来ないのだ。
「…やっぱり練習」
「ストーーップ!」
 彩子が指を突きつける。
「彩子…」
「望が泳ぐのはホワイ?好きだからじゃないの?他に何もないからとか練習出なくちゃとか、dutyで泳いでどうするのよ」
「で、でもさぁっ!」
「嫌々やるくらいならやらない方がマシよ。何もない?結構じゃない。これからfindしてgetすれば済むことでしょうが!」
「‥‥‥‥‥‥」
 そう言い切れる彼女がうらやましい。それだけで何かを持っていると思う。
「頭では…わかってるんだけどさ」
「ま、アトリエにこもってるだけじゃいい絵は描けないしね。人生たまには息抜きもいいんじゃない」
「彩子は息抜きの合間に人生やってるんだろう!」
「So nice!うまいこと言うわねー」
 皮肉も通じやしない、ぶつぶつそう言いながら別れ道に来た。彩子はぱしんと背中を叩くと、鼻歌を歌いながら夜の闇に消えた。
「…ったく」
 空を見上げる。天の川は今日も流れ、望の体を浮遊感で包む。
 自分には水泳しかない。今まではそれで良かったのだけど。


 その日はそれほど寒くもないいい天気で、望は朝から友人の祝福やら後輩の女の子からのプレゼントやらで大忙しだった。
「もてるわねぇ」
「うるさいっ!」
「‥‥‥よお」
「コ、コウ!ち、違うんだこれはーーーー!」
 そして放課後、腹を決めた望は同じクラスの水泳部員に声をかける。そもそも悩むのが間違いだったのだ。恋より水泳を取るバカがどこにいるというのだろう。
「あのさ、あたし今日練習休むから」
「あら珍しい、彼とデート?」
「か、彼って誰だよっ!」
「お幸せに〜」
「おいっ!」
 校門では既に3人が待っていた。公の手にはビニール袋に入れられた何物かが下げられている。どうやら中身は鉢植えのようだ。
「コウ、それって…」
「ん、ああ。まあ大したもんじゃないんだけどさ」
「ほらほら望ちゃん、幸せに浸ってないで早く行きましょ」
「あ、ああっ!」
「ちょっと歩くけどいいよね」
 期待に胸一杯の望はプールを振り返ることもなく、沙希おすすめの店へ向け出発した。少し遠いが料理の味は確かだそうで、あるいは一番張り切ってたのは沙希だったかもしれない。
「そういえばまだ言ってなかったよね。お誕生日おめでとう!」
「ありがとう、沙希」
「ハッピーバースデー、思えば遠くへ来たもんよねぇ」
「なに言ってんだ彩子…。サンキュ」
「その、なんだ…。おめでとう」
「あ、ありがとうっ。えへ、えへへ…」
 急に歩調を早めて先頭を歩く。もちろん自分の顔を見られないように。
 振り仰げば空は青く、冬の澄んだ空気が心地よい。最高の一日になりそうだった。

 が、そう上手くいかなかったのは不運としか言いようがないだろう。一応原因としては行く先の店が轟高校の近くにあったからではあるが。
「清川望!!」
 嫌な声に振り向くと、轟高校のジャージを着た一団が見えた。その先頭から早瀬香がずんずんと近づいてくる。
「な、なんでお前がいるんだよ!」
「これからランニングに行くところよ!そういうあんたは何やってんのよ!」
「な、何でもいいだろ別に…」
 さすがにいささか後ろめたく、視線を逸らした望の胸ぐらを早瀬がいきなり掴んだ。あわてて公が止めようとするのだが、なにぶん相手も女の子なのでいかんともしがたい。
「えーっ何でもいいわよ!さすが才能ある奴は余裕よね!」
「なっ…」
 望の手が早瀬を思いっきり振り払った。逆にこちらから掴みかかりそうな勢いだった。
「なんだよそれ!くだらないこと言うな!!」
「そうじゃない、いいよね設備も環境も整っててさ!冬は筋トレするしかない私たちの気持ちなんてわからないよね!!」
「黙れ!!」
「おい、やめろ清川!」
「早瀬も、やめなさいよ!」
 公の手が望を押さえ、向こうの部長らしい女の子が早瀬を引き離す。それでも空気は緩和されぬまま、互いに互いを睨んでいた。
「なにさ、いい加減女!!」
「あたしが…あたしが今までどれだけ苦しい練習に耐えてきたかわかるもんか!!」
 そう、それこそボロボロになるまでしごかれて。でも今までそんな風に口にしたことはなかった。なかったのに。
「…よく言うわよ!」
 早瀬は捨てるように言い放つと、そのまま望を見ずに背を向けた。相手の水泳部の人が何か謝っていたようだが、望の耳には届かなかった。
「清川…」
「ごめん、放して」
 望が自分を押さえる公の腕をどける。
 ガンッ! 沙希が思わず息をのむ。望の手はそのまま近くの壁を打ちつけていた。
「ちくしょう…」

 あっ、
 という間に最悪の誕生日になってしまった。重苦しい雰囲気が流れる中、おいしいはずの料理をみんなでぼそぼそと食べている。
「あ、ほら望ちゃん、これ巾着なの。お弁当箱入れるのにちょうどいいと思って」
「あ、ありがと」
「Nh-,私も用意はしてきたけど…。今の望じゃあげても仕方ないかもね」
「なっ…!」
「あ、彩ちゃんっ!」
 思わず立ち上がる望を、彩子は料理をぱくついたまま見ようともしなかった。
「だから言ってるでしょ、義務感で泳ぐなんてNonsense!他の人に義理立てして嫌々練習したって誰も喜ばないわよ。クラブなんて楽しんでやるものじゃない、isn't it?」
「そ、そうだけどさ」
「…でもあの人は今ごろ練習してるんだよね」
「サッキーあんたね…」
「ご、ごめんねっ。でもっ」
 そう、彼女は自分を倒すべく練習してる。彼女だけじゃない、全国大会で競った日本中の水泳部員たちもおそらくは。
 でも、自分が望んでるわけじゃない。今の自分は日本一になりたいわけじゃなくて、ただ彼に好かれたいだけで。
「‥‥‥‥‥‥」
 公は先ほどから何も言わない。もともと多弁な方ではなかったけど。
 もしかして早瀬同様呆れているのだろうか。ビニール袋の中身が一向に出てこないのは…自分にその資格がないからなのだろうか?
「べ、別にいいよねぇ?一日くらい」
「だから俺に聞くなよ」
「う、うん」
 おたおたと腰を下ろす。一言でいい、「別にいいよ」って言ってくれれば済むことなのに。
「あ、あのさぁっ」
 たまりかねて公の顔をのぞき込む。結局彼は
「でもコウは…今のあたしじゃ」
 自分をどう思っているのだろう?
「そ、その、コウが望むなら練習行ってくるし…」
 どうすれば好かれるのだろう?

 バン!!

 席を立ったのは公だった。その表情は影になって見えない。
「…卑屈だ、そういうの」
 吐き出すようにそう言うと、千円札をテーブルに置いて出口へ向かった。望の顔がみるみるうちに真っ青になる。
「ご、ごめん!」
 カランカラン…
 ドアの鈴が鳴り彼の姿が消える。後を追いながら望は叫んだ。
「ごめん、待ってよ!謝るから…コウ!!」
 そして望も転がるように店を出る。後には何事かと振り向く客と、あわてふためく沙希&料理をつまむ彩子が残った。
「言いたいことはわかるけど、つくづくやり方がまずいわよねぇ…」
「ど、どうしよう彩ちゃんっ!」
「そうねー、とりあえずこの料理を片づけちゃわない?」
「それどころじゃないってば!」
「あら、食べ物には感謝の心じゃないの?」
 沙希はあたふたと外とテーブルを見比べていたが、どたんと腰を下ろすと大急ぎで料理を口に詰め込み始める。
「ほら、彩ちゃんも早くぅっ!」
「はーいはい、サッキーって面白いわね」
 フォークを口に運びながら外を見る。2人の姿はもう跡形もなかった。
「…青い」
「ワケわかんないこと言ってないで早く!!」

「待ってよ!!」
 大股で歩く公にようやく追いつく。悪い夢を見ているようだった。
「ごめ…」
「謝ってくれなんて言ってねぇよ!」
 怒鳴り声が望の胸に突き刺さる。どうしたら許してもらえるんだろう。
「あたし…」
「お前のことだろ!」
 公の右手にある鉢植えが揺れた。なんの花か知ることはできないかもしれない。
「自分で決めろよ、俺の顔色なんてうかがうなよ!何やってんだよ…そんなんじゃないだろ!!」
 突き刺さる。その通りだった、言い返せない。でもどうしたいいかわからない。嫌われたくない。
「待ってよ!」
 歩きだそうとする公の腕にしがみついた。一体何をしてるんだろう。
「放せ!」
「やだ!!」
 しばらく2人ともそのままだった。
 通行人がじろじろと見ていく中をしばらくの間そうしていたが、不意にそっと望の頭に手が置かれる。顔を上げた先にあったのは、いつもの花を見る公の優しい目だった。
「自分で決めろよ。それが何でも…お前が決めたんなら、俺はちゃんと受け止めるから」
 数瞬の後、顔を伏せる。彼の目が見られない。自分が情けない。
「あたし…」
「優柔不断は嫌いなんだろ?」
「あたし!」
 きっ、と正面を見る。まだ失敗は怖いけど。
「あたしを殴ってくれ!」
「は?」
 その言葉を理解するまでしばらくかかったが、今度は公があわてる番である。
「ば、馬鹿!女なんて殴れるか!」
「ごちゃごちゃ言うなよ!殴ってでももらわなきゃ気がすまない!!」
 望の目は真剣だった。今あんな事を言った以上、公も自分で決めなくてはならない。
 少し経って、望の頬が鳴った。
「いつつ…」
「の、望ちゃん!」
「Unbelievable!なんてことするのよ!」
 向こうから沙希と彩子が駆けてくる。特に彩子は公に殴りかからんばかりの勢いで、望は必死で押しとどめた。
「いや、いいんだ。これでいいんだ」
「何言って…」
「ごめん!お祝いしてくれたのに悪いと思ってる。でもあたしバカだから、こんな風にしかできないから!」
 言うか早いか望は全力で駆け出した。どこへ?自分のプールへ!
「…悪い、そういうことだから」
 公もきら校へ向かって歩き出し、彩子と沙希は顔を見合わせる。
「どっちもどっちよね…」
 彩子は肩をすくめると、やはり同じ方角へ歩き出した。沙希も苦笑しながら。
 公はちらりと後ろを見たけど、そのままなにも言わなかった。

 その日の練習も終わり、部員たちが帰り支度を始めたころ。
 髪を振り乱した望が息を切らせて駆け込んできた。その場の全員が目を丸くする。
「先輩、今日は休みなんじゃ…」
「あ、いや、ちょっとね」
「(デートって言ってたのに…)」
「(かわいそう、振られたのね…)」
「やかましい!」
 一喝してプールサイドへ行く。コーチは帰ろうともせず、じっと腕組みをして待っていた。
「…遅れてすみませんでした!」
「遅い!罰として校庭10周!!」
「はいっ!!」
 ジャージに着替えて、入ってきたのと同じ勢いで駆け出していく。後には唖然とした仲間たちが残る。
「(負けるか!)」
 そうだ、負けられない。ライバルにも、彼にも、自分にも誰にも!


「はあっ、はぁっ…」
 既に時計は7時を回り、今日の練習は格別に厳しい。竹刀を手にしたコーチが近づいて、水中で息を切らせてる望に声をかける。
「苦しいか」
「全然!」
 きっ、と相手を見すえる。なにもかも振り切りたい。
「あたし!別にコーチのためでも部のためでも、学校のためでもありませんから!泳ごうと思ったから泳いでるだけです。だから!」
「…往復20本!」
「はい!!」
 そんな望の姿を部外者が見ていた。座ればいいものを律儀に立ったまま。
「あのね、主人君」
 沙希が遠慮がちに口にする。
「確かに主人君から見れば臆病かもしれないけど、やっぱり好きな人がどう見てるかって気になっちゃうよ。女の子ってそういうものだから…」
「…わかってるよ」
 憮然としてそうつぶやく。本当にどっちもどっちである。
「ま、なるようになったんだからよかったじゃない。私だったら死んでも練習になんて来ないけど、望は私じゃないしねー」
 水が嫌いな彼女も望のいるプールは別だ。本当に自由に泳ぐなら、これ以上絵になる女の子はいないと思う。
「…別に望が決めることだし、俺は泳いでる方が好きだけどそんなの俺の勝手だしな。でも」
 水しぶきを立てて、水面を滑るように。
「あいつの重石になるのだけは御免だ。そのせいでワラにもなれなくなったとしてもさ」
「そんなことないわよ」
「うん、そんなことない!」
「そ、か…」
 だから冷たいようだけど馴れ合いはしたくない。厳しい勝負をくぐり抜けてきた彼女だからこそ。
 自分で選んだ道なら、きっと後悔はしないから。

「死んだ〜〜〜」
 プールサイドにへばりついて、望はしばらく死んでいた。鬼コーチがずかずかと近づいて、本日最後の大声を上げる。
「終わりまできっちりせんか!」
「はいっ!」
「今日の練習はここまで!!」
「ありがとうございましたっ!!」
「それと…あー、えへん!誕生日おめでとう」
 きょとんとした望の前から、コーチは逃げるようにプールを出ていった。しばらく顔を見合わせて、4人とも一斉に吹き出す。
「HAHAHAHAHA!ナイスコーチ!」
「ぷぷぷ…。いい人だったんだね」
「あはははは、いやー参った参った!」
 公も笑いながら、望に右手を差し出した。
「ほら、上がれよ」
「う、うん」
 公に手を引っ張られて、望はしばらくぶりに水から上がった。つかまる公の手が暖かい。
「ご、ごめん。せっかくの誕生日に練習付き合わせちゃって…」
「いや、すっきりした方がいいさ」
「My God!これだから日本人は働き過ぎって言われるんだわ」
「そ、そうかなぁ」
「あははは…。そうかもな」
 髪を拭いて、着替えて外に出る。さすがに寒かったが、心の中はすがすがしかった。器用な人ならもっとうまくやるんだろうけど、自分にはこれが一番だから。
「あ、遅くなったけどこれ」
 伸びをした目の前に公のプレゼント。校門の明かりに照らされて望の手に渡る。
「あ、ありがとう。開けていい?」
「ああ」
「なになに?なんの花?」
「これ…」
 出てきたのは開いてない花。閉じた白い花弁に、赤い縞が絞り染めのように映えている。
「オキザリス…」
「は?」
「オキザリス。カタバミともいうな」
 雑草で有名なカタバミだが、実際には300種類以上ある。中には美しい花を咲かせるものも多く、そのくせ力強く寒さにも強い。
 ピンクの大輪の花を咲かすハナカタバミことボーウィー、花弁が紫で中心だけ黄色いヒルタ、明るい紅紫の花をたくさんつけるブラジル原産のブラジリエンシス。そして今望が手にしているのは、白い花びらの縁だけ赤い、シボリカタバミことオキザリス・ベルシコロール。
「ふーん。Butまだ咲いてないじゃない」
「夜は閉じるんだ。日中、日の当たる間だけ開く。花も葉も」
 日が当たらなければ開かない。光を当てなければ、花開くはずもない。

 そしてその花言葉は「輝く心」―――。


「これを…あたしに?」
「気に入ったか?」
 望は植木鉢を抱きしめて、涙目でうなずいた。
「うん…」
「そうか…良かった」
 嬉しそうな彼の笑顔。この花に込められた想い。それごと望は抱きしめてる。
「あ、ありがとう」
「おめでとう。俺もせめて、お前に釣り合うくらいにはなってみせるからさ」
「…ありがとう…!」
 望にも一番の笑顔が戻る。彩子は素早くスケッチすると、それを一枚望に渡した。
 やっぱり今日は、最高の誕生日かもしれなかった。


「ただいまー」
「おかえり望君。早瀬さんという人から電話がありましたよ」
「は!?」
「『先ほどは言い過ぎた。試合を楽しみにしてる』だそうですよ」
「たははは…。わかったよ、サンキュ」
 次男の声に、長男と三男も出てくる。
「望ぃーおめでとうっ!ケーキがあるぞぉー」
「ありがと!すぐ着替えてくるよ」
「その鉢植えは誰かのプレゼントか?」
「え?あ、うん…。えへ、えへへへへ」
 赤くなってにやけながら望は2階へ上がっていき、後に残る三男を混乱の渦にたたき込む。
「の、望…。なんだその笑いはーーーっ!!まさか男からか!望ぃぃぃーーー!!」
「兄さん、この男どう処置しましょう」
「埋めろ」
 部屋の電気をつけて、植木鉢を机に置く。可憐な白い花に鮮やかな赤い筋。
 内気だなんて言い訳よりも、一本の筋を通したい。他の誰でもない、自分がそうしたいから。
「望ー、早く降りてこいよぉっ」
「今行くよっ!」
 部屋を出る前にもう一度、オキザリスの花を見る。明日の朝になれば開くだろう、その姿を楽しみに。
 そしてきっと少し変わってる、今の自分を楽しみに。

 そっと送り主に声をかけて、望は階下へ降りていった。


 オキザリスの花言葉は「輝く心」
 
 だから、輝きは君の中に。




<END>



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