かくれんぼバレンタイン


 誰が考えたのか知らないが、世の中にはバレンタインデーというものがある。
様々な想いの飛び交うこのイベントは、同時に多くの犠牲者を生む元でもあった。
「まったく、なんでこんなもんがあるんだよなあ」
「2月14日をカレンダーから抹殺してやりたいよ」
 もらうあてのない2人の男が、ぶつぶつ言いながら教室へとやってくる。彼
らがこの1年でやったことといえばゲームと昼寝ぐらいのもので、自業自得と
いう他はない。
「ま、どっちか1人だけもらうってのもなんだしな」
「ああ好雄、俺たちの友情は永遠だぜ」
 そう言った彼が念のため机の中を探った瞬間である。ぽろん、と小さな包み
が転がり落ちた。
 なんなのかは開けなくてもわかった。あまりのことに本人と周囲の人間まで
もが凍り付くが、好雄の殺気がそれを打ち破った。
「‥‥‥‥‥‥‥」
「しっ知らん!俺は無実だ!」
「じゃあなんだこれは!ええっ!?」
「だ、だってもらうあてなんて…」
「今すぐ開けろ!」
 普通こういうものは家でゆっくり開けたいものだが、好雄の剣幕がそれを許
さなかった。渋々包みをほどいてみれば、『本命で〜す』と書かれたハート型
のチョコレート。強まる殺気におびえつつ、送り主の名前を探すのだが、入っ
ていたのはそれだけだった。手紙もメッセージカードも、包装紙の裏にも何も
ないのである。
「…差出人不明か?」
「あ、ああ…」
 途方にくれる彼を、普段の顔に戻った好雄が肩をたたいて祝福した。
「ま、何はともあれもらえてよかったじゃないか」
「で、でもさ」
 『グリコ森永事件』『毒ガスサリン事件』そんな言葉が脳裏に浮かぶ。まっ
たくもって昨年はひどい年であった。
「捨てたほうがいいかなあ…」
 そう呟いたときだった。突然廊下側から甲高い声があがったのは。
「なんてこと言うのよっ!」
 クラス中の視線がいっせいに廊下側の窓を向く。そこには両手で口を押さえ
た一人の少女が、しまったという顔でこちらを見つめていた。その個性的な髪
型には見覚えがあった。
「あれ、君は…」
「…それじゃぁ…!」
 それだけ言って少女はくるりときびすを返す。人をかきわけあわてて廊下に
出てみたが、彼女の姿は跡形もなく消えていた。
「…今の、いつもぶつかってくる娘だよな…」

「それで、何も会話できずに戻ってきたの?」
 あやめにズバリと言われ、見晴は思わず頭を抱える。隣では愛がなんとかフ
ォローしようとしていたが、それも間に合わぬまま見晴は自分の頭を叩くのだ
った。
「ああっ見晴のバカバカバカ!」
「本当にバカよ、あんたは」
「で、でも…チョコレートは渡せたんだし…」
「どうせ名前も書いてなかったんでしょ」
「う゛」
 実際そんなことができるくらいなら、とっくに留守電に自分のクラスと番号
を吹き込んでいる。見晴にとって存在を知られることは、漠然としてはいるが
とてつもない恐怖だった。
「…いいの。見てるだけで幸せだし…」
「あーーーっそう!」
「見晴ちゃん…」
 2人はそれぞれの形で落胆し、言った本人はそれ以上に落胆した。結局今年
のバレンタインも、見晴にとっては実りのないものに終わりそうだった。

 贈られた方も途方にくれたのは同じである。数日後、親友を見るに見かねた
早乙女好雄は、一人ひそかにJ組へとやってくるのだった。
「なあ館林、教えてやってもいいだろ?」
「ダメぇっ!」
 いくら情報通の好雄といえど、女の子から箝口令をしかれては喋るわけにも
いかない。軽くため息をつくとなんとか説得を試みようとした。
「あいつ、これじゃお返しもできないって嘆いてたぜ」
「でも…」
「話ぐらいしてやってもいいだろ?なんで俺は平気であいつはダメなんだよ」
 そう言って好雄はあやめの後ろに隠れている愛に目を向ける。男が苦手な彼
女と違い、普段の見晴はごく普通の明るい女の子だった。
「だって…好きなんだもん」
「あのなあ」
 話題の人物が現れたのはその時だった。
「好雄?ここにいたか」
 突然の声に見晴は飛び上がると、光速のスピードで教卓の裏へと身を隠す。
「忍者かあんたは」
 あやめのつぶやきが耳に入るはずもなく、見晴はじっと身をひそめて彼の声
を聞いていた。
「見つかったか?」
「いや、それがダメなんだよ。さすがの俺様も」
「そうか…」
 あの日もらったチョコレートは、手もつけられないまま自分の部屋にある。
こうしている間にも3月14日は近づいて、彼の焦りはつのるばかりであった。
「参るよなあ。初めてもらったチョコがこんなことになるなんてさ」
 びくん、と見晴が身をふるわせる。
「そう言うなよ。内気な娘なんだろ」
「だからってこれじゃどうしろってんだよ。こっちの身にもなってくれよ」
 愛が止める暇もなかった。あやめはつかつかと近づくと、いきなり彼の胸ぐ
らをつかんだ。
「なっ何!?」
「あんたねえ…」
 長身のあやめに睨まれては、訳のわからないままうろたえるしかない。愛と
好雄もその迫力に押されて動くに動けなかった。
「女の子がどんな気持ちでチョコ贈ってるかわかってる?あのチョコにどれだ
 けの想いが込められてるかわかってんの!?」
「あ、あの…」
「あんたみたいなうだつのあがらない男にも好きになってくれる女の子がいる
 のよ!そのことの意味をもうちょっと考えなさいよ!」
 それだけ言ってようやくあやめは手を離す。しばらく呼吸を整えていたうだ
つのあがらない男は、一つのことに気づいてあわてて質問した。
「き、きみの知り合いなの?」
「親友よ」
「教えてくれよ!せめて名前…」
「あんたに教えることなんて何もないっ!」
 あやめに怒鳴られ、無理矢理教室の外に押し出された彼は、あげくに目の前
で扉をぴしゃり!と閉められて、そのまま呆然と立ち尽くす。教室の中は中で、
あまりの出来事にクラスの全員が手を止めていた。
「見晴っ!」
「はいっ!」
 文字どおり飛び出してくる見晴ちゃん。
「お、落ち着こうっ」
「あんな男のどこがいいのよ!」
「…一目ぼれだもん」
「かーーーーっ!」
「落ち着いてあやめちゃん!」
「紫ノ崎、どうどう」
 愛と好雄になだめられ、なんとか矛を収めたあやめだが、それでも見晴に対
し突き放すように言った。
「別に見晴の勝手だけど、後悔するのは自分だからね」
 あやめの言う後悔が何を指すのか、見晴にはわかっていたが、わかっていても
どうしようもなかった。結局彼女にできたのは、次の休み時間にテレホンカー
ドを握りしめて公衆電話に走ることだった。

 家へ帰ると留守番電話のランプが点滅していた。寝転がって、録音を聞く。
「もしもし…」
 そのまま数瞬の沈黙が流れ、けげんそうな目を電話機に向ける。
「えっと、このまえチョコを贈った女の子です」
 思わず彼は跳ね起きた。わたわたと電話機に近寄り、じっと聞き耳を立てる。
「名前書かなくてごめんなさい。ちょっと…今も名前は言えないの、ごめん。
 でも私のこと探してくれてありがとう。お返しよりも、その気持ちだけで十
 分です。いつかきっと話しかけるから、私のこと嫌わないでね」
「ち、ちょっ…」
「それじゃ…」
 録音はそこで切れていた。彼はしばらくじっとしていたが、ふらふらとと立ち
上がると迷子のチョコレートの包みを開けた。ひとかけ割って口に入れてみる。
手作りであることがなんとなくわかった。
「俺を好きな女の子、か…」
 ゆっくりと溶けていくチョコレートを味わいながら、彼は静かに一つのこと
を決意したのだった。

「あいつ、変わったね」
 あやめのその言葉は決して好意的なものではなかった。ホワイトデーもとっ
くに過ぎ去ったとある一日、おろおろする愛を無視してあやめはさらに言葉を
続ける。
「この前は『俺様は忙しいのだ』とか言ってたってさ。ちょっと目立ちだした
 からって図に乗ってんじゃない?」
 実際彼はバスケ部に入部してめきめき頭角を現していた。テストでも毎回順
位を上げている。そのことは彼ばかり見ていた見晴が一番よく知っていた。同
時に女の子の間で彼の評価は地に落ちている。これまた彼のうわさを聞けば耳
をそばだてる見晴は重々承知している。彼が他の女の子に興味を示さないのは
嬉しいはずだが、まわりがみんなして悪口を言い立てるのは針のむしろも同然
である。あやめだってそのことはわかっているのだが、だからといって言いた
いことは言わずにはいられない性格だった。
「やめなよ、あんな男」
「やだ」
「どこまで強情なのよあんたはっ!」
「ほっといてよ!」
「ふ、2人ともやめようよ…」
 別に意地になってるわけじゃない。初めて見たとき一目で恋に落ちたあの瞳
は、今だってこれっぽっちも変わってない。むしろ以前よりもずっと前を見て
輝いてる。そんな彼を見つめるたびに、どんどん好きになってく自分を知って
る。

 なんども話しかけようとしたが、果たせぬまま時間だけが過ぎていく。きっ
かけを作ろうと体当たりまでしたけど、毎回何も言えず一目散に逃げ出した。
そして季節は移り、2回目のバレンタイン。やっぱり名前を書けぬまま、昨年
よりひとまわり大きいチョコを机に入れた。
「よっ、今年もかよ。この色男!」
 好雄にはやされ、ただ1個もらえたチョコを見つめたまま気のない返事をし
ていた彼は、不意に真剣な表情を好雄に向けた。
「おまえ、館林さんのこと知ってるんじゃないか?」
 好雄がこうも狼狽したのは初めてだったろう。混乱する頭を必死に整理して、
なんとか一つのことを質問した。
「何で名前知ってんだよ」
「いや、留守電で名乗ってたしさ…」
 一年前に電話してきたチョコの送り主は、『館林です』と名乗った謎の少女
と同じ声だった。あまりのことに頭を押さえつつ、好雄は一つのことに気がつ
いた。名前が分かっているなら所在を調べるのも簡単だろうに、なぜそれをし
ないのか。
「お前まさか…」
「知ってるならかわりに礼言っといてほしいんだ。お返しは必ずするからって」
「…わかった、俺にまかせとけよ」
 ようやく何かを理解した好雄は、保証するかのように強くうなづくのだった。
 一方そのことを伝えられた見晴は、友人2人が気味悪がるほど一日中にやに
やしていた。ちょっとでも彼とコンタクトが取れたことが、こんなにも嬉しい
とは思わなかった。
「頑張ろう、見晴!」
 成果はともかく見晴は見晴なりに頑張った。デート先に乱入したりもした。
愛に励まされてラブレターを書こうとしたけど、丸めた紙くずが増えただけだ
った。あやめとは何度もケンカした。結局何も変わらなかったけど、それでも
毎日が楽しかった。
 そして高校最後の体育祭が終わり、高校最後の文化祭もかけ足で通りすぎる。
クリスマスは風邪でダウンし、正月には3人で恋の成就をお願いした。

 最後のバレンタイン、午前7時の誰もいない教室で、今までで一番大きなチ
ョコを握りしめ、見晴は彼の目の前に立っていた。中にはやっぱり名前はなく
て、ただ一言「好きです」と書かれたメッセージカード。一度だけ深呼吸して
そっと机に忍ばせる。
 彼はほとんどの女子から毛虫のように嫌われていたが、それでも3年間、見
晴の想いは変わらなかった。このまま終わるなんて嫌だけど、3年かかってで
きなかったことがあと半月でどうしてできるだろう?
「でもすごく楽しかった。素敵な思い出ありがとう」
 ここにいない誰かにそうささやくと、見晴はたたたっと自分の教室に戻るの
だった。

 卒業式まであと2週間、1週間、3日、1日・・・
「見晴!ちょっと来なさいっ!」
 卒業式会場の体育館へと向かう途中、いきなりあやめは見晴を屋上まで引き
ずっていった。あわてて愛もついてくる。
「よくもまあ今日まで延ばしに延ばしたもんよね」
「…言わないで。わかってるから」
「じゃあ念のために言っとくけどね!あんたの気持ちなんてその程度だったん
 だ、何もしないであきらめちゃうんだもんね!」
 いきなりあやめの左頬が大きく鳴った。思わず愛が息をのむ中、平手打ちを
した張本人は目に涙をためていた。
「なんでそんなこと言われなくちゃいけないのよ!」
「なによ…意気地なし!」
「どうせ私は意気地なしよ!あやめに関係ないでしょ!」
「だって悔しいじゃない!!」
 その声に見晴ははっとする。あやめの叫びは、半分涙声になっていた。
「悔しいじゃない…。私がいくら言ってもやめなかったのに、あんなに彼のこ
 と好きだったのに、なんでそんな簡単にあきらめちゃうのよ…」
「あやめ…」
「悔しいよぉ…」
 あやめが泣くなんて見晴には信じられなかった。呆然と立ち尽くす自分に、
愛が優しく声をかける。
「頑張ろうよ。あんなに頑張ってきたんだもん、あとちょっとだけ頑張ろう」
「めぐ…」
「大丈夫。3年間も想い続けてこれたんだから、絶対大丈夫!」
 愛は目を屋上から下へと移す。見晴がその視線を追った先には、一本の大き
な古木があった。
「見晴ちゃん!」
 見晴は…今までの自分をバカだと思った。ここで何もしなかったら、本当の
大バカだった。
 突然見晴は両手の平を上にして前に差し出す。即座に了解した2人の右手が
上がり、見晴の手のひらに当たってパァン!と軽快な音を立てた。
「行ってくる!」
 ぐっと拳を握りしめ、見晴は階段へと駆け出した。しばらくその姿を見送り
ながら、あやめは涙を拭いて照れくさそうにつぶやいた。
「なんであんたらみたいなのと3年間も友達やってたんだろーなー…」
 その言葉に、愛は嬉しそうに微笑んだ。
「大好きだからだよ、きっと」

 卒業式が終わるまで、永遠にも感じられたし一瞬にも感じられた。そして今
まで遠くから見つめるだけだった彼が、だんだんと近づいてきた。2人にもら
ったパワーを手に、ついに見晴は逃げ出さなかった。
「あっ、君は…」
「今までごめんなさい。私、館林見晴っていいます」
 なんだか変な気分だった、彼が自分の目の前にいるなんて。照れくささに顔
を上げられないまま、見晴はぽつぽつと話し出す。自分の気持ち、顔を覚えて
ほしかったこと、そして…。
「あんな事しておいて何ですけど…。やっぱり、一目ぼれを信じます。私と付
 き合ってください!」
 一気にそう言って、ぎゅっと目をつぶる。頭の中で心臓の音が鳴りひびく。
(言えた…!)
 今すぐ2人の所へ飛んでいって、そう報告したい気分だった。ついに壁を乗
り越えた見晴は、心の中で涙ぐみながら彼の返事を待った。
 不意に見晴の手に固いものが当たる。おそるおそる目を開けると、きれいに
ラッピングした白い箱が2個、見晴の両手に握られていた。
「これ…」
「バレンタインのお返し。あと1個は14日にね」
 見晴は途方にくれたまま、彼の顔と2個の箱を見比べる。OKなのだろうか、
それともダメなのだろうか?
「最初にもらったとき…」
 そんな見晴を安心させるように、彼は静かに語り始めた。
「俺、さっぱりわけがわからなかったんだ。なんで俺なんかのこと好きなんだ
 ろうって。そう思ったら自分がすごく情けなくなって、変わろうって決心し
 たんだ」
「あ…」
「だから君のおかげなんだ。俺、必死で頑張った。他の女の子なんて目にも入
 らなかった。だって君がす、」
 そこまで言って思わず赤面する。どちらからにせよ、告白は勇気のいるもの
だった。
「す、好きなんだ」
 最後まで聞き終わらずに、見晴は彼の胸に飛び込んだ。何か言おうとしたけ
ど声にならなくて、ただしっかりと彼にしがみつく。半泣きになった見晴の頭
に、そっと静かに手が置かれた。
「…いつも、見ててくれたよね」
 見晴は何度もうなづいて、もう一度彼の胸に顔をうずめる。隠れる必要なん
てなかった、彼も自分のことを見ててくれたのだから。

 恥ずかしそうに腕を組んで歩きながら、2人はお互いの話をする。
「あ、そういえばあさって私の誕生日なの」
「本当?ちょうどいいや、盛大にお祝いしようよ」
「うん…」
 見晴の頭に、大事な恩人の顔が浮かんだ。
「ね、友達呼んでいいかな」
「いいよ。俺も呼んでいい?」
「早乙女くん?うんっ」
「それ選ぶのもあいつに手伝ってもらったんだ」
「そうなんだ…」
 そう言って見晴は手の中の白い箱に目をやる。お返しなんていらないと思っ
てたけど、もらってみればやっぱり嬉しかった。
「えへへ、もったいなくて食べられないね」
「あれ、俺はちゃんと食べたぞ」
「わ、私のチョコ?」
「うん、すごくおいしかった」
 ずっと憧れていた優しい瞳は、今は自分だけを見つめてくれている。
 『あげてよかった』
 心からそう思いながら、見晴は彼にそっと寄りそうのだった。


                        <END>


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