最近好きな人にお弁当を持ってくる女の子をよく見かけます。流行っているのでしょうか。
 彼もその話題に触れたので、やはり気になるのかななどと思ったりもしました。
「だって作ってもらえれば嬉しいよ」
「それはそうでしょうね」
「き、如月さんはお弁当とか作ってこないの?」
「はい?誰にですか?」




如月SS:ポエティックランチ






 言い訳になりますが、私に他意は一切ありませんでした。ただ純粋に質問しただけです。
 しかし彼はその日以来どんよりと落ち込んでしまいました。やはり少し無神経だったかもしれません…。
「はぁ…。駄目ですね、私って…」
 放課後の図書室で、暗くなっていく空を窓越しに見ながら、私は書架に囲まれてため息をついていました。ここは古典資料の棚で、人に見られる心配もなく私の指定席になってます。
 一度口にした言葉をまた戻せたらどんなにか便利だろうと、そんな非建設的な思いにとらわれることがままあります。でも現実にはそんな無責任なことが起こるはずもなく、かといって謝りに行くのも何か変です。いえ、変ということはないのでしょうけど、でも…。
「はぁ…」
「きっさらっぎさんっ」
「きゃっ」
 書架の陰からぴょこんと個性的な髪型が飛び出しました。当人はコアラと主張していますが、私にはクリスマスツリーの飾りものに見えます。いえ、そんなことはどうでも良いのですけど。
「た、館林さん。なにか御用ですか?」
「えへへー、恋の悩みの匂いがしたの」
「変わった鼻をお持ちですね…」
 笑ってごまかそうとする私の顔を、同じ文芸部の館林さんはまじまじとのぞき込みました。私は少し後ずさるのですが、あいにく後ろはもう本です。
「なな、なんでしょう?」
「ね、如月さん。わたしでよかったら相談に乗るよ?」
「お気持ちはありがたいのですけど、特に相談するようなことは…」
「ウソ。彼の態度最近変だよぉ」
 そうです。困ったことに…と言っては失礼でしょうけど、彼もまた同じ文芸部なのです。あれ以来あまり顔を合わせていませんが…。
「ねぇねぇ、教えて教えて?誰にも言わないって約束する」
「本当に他人のそういう話が好きですね…」
「えへへ、大好きっ」
 にこやかにそう断言されてはなんとも言いようがなく、私は先日の出来事を手短に話しました。
「そういうことで、別に大したことじゃないんです。気にしないでくださいね」
「お弁当作ってあげれば?」
 私は聞こえなかったことにして、本を読み始めました。
「ねぇねぇ」
「いい加減にしてくださいっ!」
「だって彼、如月さんにお弁当作ってもらえなくて落ち込んでるんでしょ?」
「そ、そんなことありません。絶対ありません」
 いくら何でもそれはないと思います。館林さんみたいな可愛い女の子ならともかく、私みたいに地味で暗くて面白味のない女の子にお弁当作ってもらって喜ぶ人がどこにいるのでしょう。常識的に考えてあり得ません。
「だって他に理由なんてないじゃない」
「た、たぶん私がなにか失礼なことを言ったのではと」
「あっ、本人来た。おーいっ」
「たた館林さんっ!」
 館林さんに呼ばれた彼は、私の姿を認めるとちょっと困ったような顔で近づいてきました。
「館林さん、何?」
「えっとね…それじゃっ!」
「ち、ちょっとっ!?」
 唖然とする私たちを残し、館林さんはとたとたと走っていってしまいました。2人の間に気まずい雰囲気が流れます。
「(どうしましょう、やはり謝った方がいいのでしょうか…。でもよくよく考えてあの会話には特に問題はなく、謝るようなことをしたとも思えませんね。彼もまた然りです。ではなぜこうも気まずいのでしょう。彼が私にお弁当を作ってもらいたい…?いえ、そんなことは絶対にありません。そんなこと考えちゃ駄目です。とすると)」
「き、如月さん!」
「は、はいっ」
 驚いて姿勢を正す私の前で、彼はぺこりと頭を下げました。
「この前はごめん、変なこと言って」
「い、いえ。そんなことはなかったと思いますけど…」
 なぜ彼が謝るのでしょう?どう考えても不条理です。催促したみたいだったから?でも彼はただ私に作らないのかと聞いただけで…。
 館林さんの言葉が頭をよぎります。私はそれを振り払うように、敢えて本人に聞いてみました。
「ええと…、もし私がお弁当を作ったら、喜んでいただけるのでしょうか?」
「もっ、もちろん!!」
 その表情は『いえ、ちょっと聞いてみただけなんですけど』とはとても言い出せないものでした。
 こうして私は、なぜかお弁当を作ることになってしまったのです…。


「良かったね、これで一気に進展だよね!」
「別にそういうことでは…」
「エヘヘ、頑張って!」
 館林さんはお弁当の本を私に押しつけると、にこにこ笑いながら手を振って駆けていきました。何がそんなに嬉しいのか私にはさっぱりわかりません…。
 釈然としないまま私は家に帰ると、とりあえず渡された本を読んでみました。作ることはできそうですが、本当にいいのでしょうか?彼の答えは社交辞令ではなかったのでしょうか?百歩ゆずって彼が私に好意…いえ、だから、嫌いではなかったとしても、私の気持ちはどうなのでしょう?それがはっきりしないのにこのような
行動をとってもいいものでしょうか?
 しかし考えても答えは出ず、時間もなくなってきたので私はとりあえず床につくことにしました。明日早起きしてまた考えましょう。


 彼と初めて会ったのは部の説明会のときです。私は体も弱いし、いても他人の迷惑になるだけ―別に自虐しているわけではなく、客観的に見てそう思います―なので、彼ともあまり関わらないようにしていました。
 でもそういう私をかえって放っておけなかったのか、控えめながら私を気にしてくれているようでした。よく体のことを気遣ってくれましたし…。だから私が彼に好意を持つならわかるのですが、その逆というのはあるはずないのです。そもそも私としても、彼に感謝以上の気持ちは持っていません。持っても仕方ないですし…。
 本当に、人間関係というのは難しいですね。何の解決にも結びつかない結論ですが…。


 しかしそんなうちに朝になってしまったので、私は起きあがると鳴る寸前の目覚まし時計を止めました。(うるさいので嫌です) 少なくとも作っていって悪いということはないと思います。というより、これで作っていかなかったらまた彼を傷つけるのは必至です。
 私は人気のない台所でお料理を始めました。途中気分が悪くなって少し休みましたが、できあがったのはごく普通のお弁当でした。まるっきり本の通りです。
「…こんなものでいいのでしょうか?」
 いかにも『ただ作っただけ』という感じですね…。自分で言うのもなんですが、真心というものが感じられません。たぶんあまりおいしくないと思います。
「でも、私お料理が得意なわけではないですし…」
 いえ、むしろ何もないと言った方がいいのかもしれません。だからこんなお弁当しか作れないのでしょう。こんなのじゃきっと喜んでくれない…。
「そうだ」
 私は手を打つと、お弁当を持ったまま部屋に上がりました。便箋を1枚取って、心に浮かぶ言葉を書き連ねます。
 詩は好きで、昔からよく書いてました。あまり人に見せられるようなものではありませんが、枯れ木も山のにぎわいとも言います。何より、他に自分が多少なりとも誇りを持てるものなんて他に何もありません。登校時間も迫っています。その時は私なりのお弁当を作るいいアイデアだと思ったのです。
「行ってきます」
 私は2人分のお弁当を見られないように隠しながら、学校へと向かうのでした。


「ほらほら」
「で、でもですね」
「もーっ、そのために作ってきたんでしょ?」
 昼休み、館林さんと押し問答している私のところへ、彼の方から駆けてきました。
「如月さん、どうしたの」
「あ、えと…」
 彼は私の手の中のお弁当に気づいたようでしたが、自分から言い出すのは気が引けるようでした。このままでは埒があかないので、私は思い切って声を出しました。
「ええと…一応作ってきました…」
「ほ、本当に!?」
「め、迷惑でしたよね。ごめんなさいわかってます。何でもないです気にしないでください」
「ち、ちょっとっ!」
 くるりと背を向ける私に、彼と館林さんの声が同時に響きます。逃げ去ろうとした私は腕を捕まれると、2人揃って館林さんに背中を押されました。
「行ってらっしゃーい」
「ど、どこへですか!?」
「もっちろん中庭でしょ。ごゆっくりどうぞー」
 半ば強制的でしたが、他に行くあてがあるわけでもないので2人してぎごちなく中庭へと向かいました。どうしてこう、自然に振る舞えないんでしょう…。
「えと…食べていいんだよね?」
「ええと…本当に迷惑ではありませんでしたか?」
「と、とんでもない!」
 なんだか貧血でなくてもめまいがしそうな会話を交わすと、私たちは並んで腰を下ろしてお弁当を広げました。知らない人が見たら誤解されそうです。
「それじゃありがたくいただきます」
「ど、どうぞ…あっ!」
「な、何っ!?」
「い、いえっ。ごめんなさい、何でもないです…」
 お弁当箱を包んだナプキンを広げる彼の手が止まります。たぶん怪訝そうな目をしているのでしょうが、私にはとても正視できません。
 箸を動かす音を聞きながら、私はちらちらと横目で彼の手のお弁当箱を見ました。いえ、正確にはナプキンとの間に挟まれた1枚の紙片を。
「(…ああ!)」
 今ごろになって猛烈な後悔が襲ってきます。なんて私は馬鹿なことをしてしまったのでしょう。詩だなんて詩だなんて、そんな恥ずかしいものを同封してしまうなんて…。
「如月さん、食べないの?」
「あ、は、はい。いただきます」
 きっと今朝の私は頭がどうかしてたんです。かくなる上は彼が紙片に気づかないことを祈るばかりです。
「おいしいよ」
「あ、ありがとうございます…」
 彼は幸せそうにそう言ってくれるのですが、私の方では生きた心地がしませんでした。無限にも思われる時間が終わって、ごちそうさまの言葉が私の耳を通り過ぎます。私はうつむいたまま、ひたすら箸を動かしていました。
「…あれ?」
 たぶん私の目の前は真っ暗になっていたと思います。なにせ隣から紙を広げる音が聞こえたのですから。
「如月さん、これ…」
「‥‥‥‥‥‥」
 本当に、その場から消えてしまいたい気分でした。でもやはりそんな都合のいい事が起こるわけがなく、自分の起こした現実から目を背けることは出来ないのです。
 中庭の木の下に、さわさわと風が吹きました。私は真っ赤になったまま、泣きそうな顔でずっと下を向いていました。
「…如月さん」
「は、はい」
 彼だってたぶん困ってるでしょう。少なくとも私だったら困惑し果てます。
 何と謝ったらいいのか逡巡している間に…まったく予想外なことに、不意に彼は私の手を取ったのです。
「え?あの」
「お返し」
 見ると、私の手には紙が握らされていました。どうやら彼の生徒手帳から破り取られたもののようです。
 そこに書かれていたのは…詩でした。私の書いたものと対になる形の。
「その…ちょっと不出来だけど…」
「そ、そんなことはありません!」
 私は我を忘れて叫びます。照れくさそうに笑う彼を見て、私は紙片を抱きしめたまま、破裂しそうな心臓に倒れる寸前でした。
「ありがとう、嬉しかった」
「いえ…。そんな…その…」

 やはり文章にしてきたのは正解だったかもしれません。だってその時言葉は私を完全に裏切って、出てきたのは無意味なつぶやきばかりでしたから。
 そして…結局いくら否定しても無駄だったようです。私が彼を好きなこと。本当に、もうどうしていいかわからないくらいに。

「ええと…もしよかったら、また作ってほしいな」
「ご、ご迷惑でなければ…」
「その時はもう少しましなもの書けると思うから」
「い、いえ…。これだって十分…」
 彼の言葉がそのまま表れたものだから。私は大事にポケットにしまうと、彼に手を引かれ立ち上がりました。
「…でもやっぱり、人に見せるのって恥ずかしいですね」
「う、うん。だから如月さんは勇気あると思うよ」
「そ、そういう訳じゃないんです。ただの思いつきで…」
 ただの思いつきで正直な心を書いてしまったようです。しばらく顔、上げられませんね…。
 私は下を向いて彼と歩きながら、館林さんにお礼を言わないと、とそんなことを考えていたのでした。



  見えるもの 見えないもの

  きっとなによりも大事なもの

  だから伝えたい 届けたい

  あなたへの…



<END>



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