この作品は「ときめきメモリアル」(c)KONAMIの世界及びキャラクター、
「My Name is 愛...」(ボーカルコレクション3)の歌詞を元に創作されています。
※「紫ノ崎あやめ」はオリキャラです。














My Name is 愛...










 ”愛ちゃん”

「――は、はいっ」
 あの人の声、聞こえた気がして、反射的にそう答える。ずっと呼んで欲しかった名前、呼んでくれた…?
 …ただの願望だった。
 振り返っても、街を歩くのは知らない人ばかり。恥ずかしさに顔が赤くなる。

「どうかした? めぐ」
「な、なんでもないよ。見晴ちゃん」
 長かった夏休みも終わり、美樹原愛は友人二人と放課後の街へ繰り出していた。
 いつの間にか少し前に行っていた二人に、小走りで駆け寄る。目の前には大きなショーウィンドウ。笑みを浮かべた人形が、流れるドレスを身にしている。
「綺麗だよねー。女の子の憧れだよねっ」
「暑そう」
「あ、あやめ…。少しは夢を持とうよ…」
「暑いんだからしょうがないでしょ。ったく、もう9月だってのに」
「あ、あははは」
 相変わらずの二人に、思わず笑いがこぼれ落ちる。
 確かに残暑はまだ厳しい。けどそれもあと少しの辛抱。1ヶ月もすれば秋が来て、すぐ冬になり、それが過ぎれば…高校生活も終わる。
 今の時点で2年半。入学した頃よりは成長したと思う。
 でも足りない。言うべきことを言えるようになる前に、時間切れになりそうな気がする。
「愛?」
 思いに沈む間に、再度尋ねられる。
「なに、悩み事?」
「え、あの…」
「どうしたの? 相談に乗るよ?」
 何でもないよ。
 そう言おうとして、一瞬この場にいない親友の顔が浮かぶ。優しい、優しすぎて何も相談してくれない、そんな子。
 友達なのに、話してくれない、それがどういう事かよく知ってた。
「あの、それじゃ…ちょっとだけ、聞いてもらえる?」

 彼に愛の名を言えたのは、昨年のバレンタインのことだった。
 それまでは遠くから見ているだけで、声をかけることもできなかった。劇的に変化したのは、彼女が取り持ってくれたからだ。
 藤崎詩織。
 昔も今も、その名は愛にとって特別な意味を持つ。
 引っ込み思案の愛に、初めて声をかけてくれたのが詩織。きらめき高校に入学するため勉強を見てくれたのも詩織。あの少年にチョコレートを渡すことができたのも、詩織が応援してくれたからこそだ。
 そして彼も、詩織から愛のことを頼まれていたのだろう。
 口べたであがり症な愛でも、呆れずに付き合ってくれた。おかげで今は、それなりに仲良くできている。一緒に色々な所へ遊びに行ったし、『主人くん』と呼べるようにもなった。
 でも…
「なに、なんか問題でもあるの?」
 喫茶店で、見晴と並んで座ったあやめがコーヒーカップを片手に尋ねる。
 言いたくない自分を叱咤して、おそるおそる口を開く愛。
「うん…。やっぱり彼、詩織ちゃんのことが好きなんじゃないかって…」
「ど、どうして?」
「いろいろと…」
 本人は隠してるつもりでも、愛から見れば分かりやすかった。
 詩織を見る視線、態度、言葉…。
 みんな知ってる。公に会う前は、愛もいつだって詩織のことを見ていたから。
 そして愛と公の会話は、いつも気が付くと詩織の話になっているのだ。
「き、気のせいよだっ。そんなことないよ、ちゃんとめぐのこと大事にしてくれてるじゃない」
「でもまあ、本当に好きなのは藤崎かもね」
「あやめぇぇぇぇっ!」
「ええい、気休め言っても仕方ないでしょっ!」
 だんっ、とテーブルに手をつくと、愛に指を突きつけるあやめ。
「けどね、だからって遠慮してどうすんのよ。相手が他のヤツのこと好きなら、根性でこっちを振り向かせるくらいの気合いを持ちなさいよ」
「そ、そうだよっ。まだ卒業まで時間あるし、伝説の樹だってあるじゃない」
「う、うん…。そ、そうだよね…」
 彼が詩織を好きかもしれないとか、詩織にはかなわないからとか…。
 そんなのは理由をつけて逃げてるだけだ。中学の頃の、弱虫の愛と変わらない。
 そうは思うけど…
「愛とは自分の手で勝ち取るものっ。ね」
「自分で実行してから言いなさいよ…」
「う、うるさいなぁっ」
「あ、あはは…」
 見晴だって自分の恋のために…いまいち消極的な手法ではあるが、頑張っているのだ。彼が詩織のことを好きでも、勇気を出せばいつか振り向いてくれるかもしれない。
 そうは思うけど、勇気以前にひとつの壁がある。
 もし…
(もし詩織ちゃんも、彼のことが好きだったら?)


 そんなことを考えながら一日が過ぎ、翌日の、少し蒸す夕方。
「あれ? もうすぐ美樹原さんの誕生日だよね」
「えっ? は、はい…」
「ちゃんと記憶してるからね」
「‥‥‥‥。嬉しいです…」
 並んで歩きながらの、何気ない会話。
 彼はいつも、こんな風に気を遣ってくれる。そんなところが、またひとつ好きになっていく。…肝心なことは何も言えないけれど。
「あ、あの…。そういえば、どうして知ってたんですか?」
「え?」
「あの、私の誕生日…」
「ああ、詩織に聞いたから」
「そ、そうなんですか…。そういえば詩織ちゃんて…」
 他に話題がないから、また詩織の話になる。
 やはりその話になると、彼の表情は微妙に違う。
(優しくしてくれるのは、詩織ちゃんに頼まれたからですか?)
 …聞かなくても分かる。弱気でも自虐でもなく、たぶん当たってる。
 それでも嬉しかった。今だって。
「あ…」
 帰宅途中の公園で、ベンチに座るその姿が目に入る。
 遠目に、一瞬影が差したように映る。
 詩織だった。

「詩織ちゃんっ…」
「メグ? …と、公くん」
「なんだ、俺はおまけか?」
「ふふっ。そうかもね」
 にこやかに笑う、それに不自然なところは何もない。
 考えすぎなんだろうか。
「メグ、明日誕生日ね」
「う、うん…」
「公くんが忘れてたりしたら私に言ってね。とっちめてあげるから」
「ひでえな。去年も今年も自分が教えにきたくせに」
「そうだっけ? …忘れちゃった」
 笑いながら立ち上がると、詩織は軽く手を振って、そのまま公園を出ていった。邪魔になりたくない、というように。
(詩織ちゃん…)
 その彼女を見送る。愛も、公も。同じ視線で…。
 このままでいいんだろうか。

「はぁ…」
「クゥーン」
 自分の部屋で、ムクを抱えたまま小さくため息。
 公の気持ちは、たぶん分かってる。けど詩織の気持ちは分からない。
(愛とは自分の手で勝ち取るものっ)
(藤崎が好きだろうが何だろうが、それで負けを認めるの?)
 二人に相談すれば、どっちにしたって、たぶんそう言われるだろう。
(詩織ちゃんが彼のこと好きなら、私は身を引いても…)
 そんな風に考えるのは逃げてる? 
「はぁぁ…」
「クーン、クーン」
「あ、ごめんねムク」
 こうしてため息をついているだけの自分に、”愛”なんて名前は大仰すぎた。
 夕食が終わり、お風呂に入ろうと廊下を歩いていると、居間でテレビを見ている父が目に入る。
「…ん? どうした愛」
「う、うん…」
 なんとなくその隣に腰を下ろす。
「明日で愛も18歳か。早いもんだなぁ」
「うん…。ねえ、お父さん」
「何だい」
「どうして私に”愛”って名前をつけたの?」
 テレビから視線を外すと、父はあごを撫でて鷹揚に言う。
「そりゃあお前、世の中に愛ほど大事なものはないからなぁ」
「で、でも、もっと他にもあるんじゃないかな。友情とか…」
 詩織と友達でいたい。
 じゃあ彼への愛を、捨てる…?
「おいおい」
 父は苦笑して言葉を続けた。
「友情だって愛のひとつさ。誰かを大事にしたい、誰かに幸せになってほしい。そう思うのが愛ってもんだろう」
「そ、そうかな…」
「そうやって、愛を”めぐむ”ことができる子に育ってほしくて、”愛”という名前をつけたんだよ」
 恥ずかしさに顔が熱くなる。
 そんなの考えたこともなかった。自分の恋愛を成功させること、それが強くなることと思ってた。
「私、愛を”めぐまれる”ための名前だと思ってた…」
「愛を恵むことができれば、自然と恵まれるもんさ。大事な人を幸せにできれば自分も幸せになれる、だろう?」
「う、うん…」
 何となく、今までとは違う勇気が生まれた気がする。
 完全にではないけど、迷いを消して、愛は勢いよく立ち上がった。
「ありがとう、お父さん」
「はっはっはっ、愛もまだまだ子供だなぁ」
「も、もう…。明日からは違うんだからね」
 そう、違う。
 違うと言えるようになろう。名前ほどでなくても、せめて自分らしく。


「欲しかったの、これ…。ずっと、大切にします。ありがとうございました」
「そんなに喜んでくれるなんて、プレゼントして良かったなぁ」
 昼休みの廊下で、彼がくれたのはうさぎの手袋。ぎゅっと抱きしめて、お礼の後に、別の言葉が口から出かかる。
 …いや。
 詩織が先だ。公のことは分かっていても、詩織のことはまだ分からないのだから。
 愛は彼にもう一度礼を言うと、教室へ戻った。

 一日の授業が終わり、校門で彼女を待つ。
「詩織ちゃん、一緒に帰ろ」
「え…? うん、いいけど…」
 彼と一緒じゃないの?
 言外にそう言っているのを聞こえない振りして、愛は詩織と並んで歩き出した。
「詩織ちゃん、プレゼントありがとうね」
「ううん、大したものじゃないから」
 朝に渡された子犬のブローチは、大事に鞄の中へ収められている。
 会話が始まる。とりとめない内容の間に、さりげなく詩織の気遣い。
『公くんとは最近どう?』
『彼って鈍感だから、もっと積極的にならなくちゃね』
『ダメよ弱気になっちゃ。メグは十分可愛いんだから』
 いつもこうやって応援してくれた。
 それにずっと甘えてた。疑問が浮かんでも、うつむいて見ない振りをしてた。
「あ、あの、詩織ちゃん…」
「ん?」
「え、えと…」
 どうしよう。
 疑問を持っている。彼女の好意に。それを口にするの? 
 勘違いだったら、友情にひびが入るかもしれない。
「あ、あのね、詩織ちゃん…」
 いや…
 大丈夫、そこまで弱い関係じゃない。
 必要なんだから、許してもらおう…誕生日だから。
「図々しいんだけど、もうひとつ欲しいものがあるの。いいかな…?」
「? うん、メグの頼みなら…いいわよ」


 二人で近所の公園に来て、ベンチに腰を下ろしていた。
 近くの樹には横一線の傷がいくつかある。それが何なのか愛は知らなかった。
「で、なぁに? メグの欲しいものって」
「あ、あのね」
「うん」
 一瞬呼吸を止め
「…詩織ちゃん、主人くんのことどう思ってるの?」
 …一気に言った。

 予測していたのか、いなかったのか。詩織はいつものように少し微笑んだだけで答えた。
「どうしたの急に? 彼はただの幼なじみ、それだけよ」
 何事もないようなそれは、嘘とは思えない。でも本当だという響きもない。
 区別がつかない。
 いつもいつも、その心の奥底は、優等生の仮面に遮られてる――。
「わ、私が欲しいのは…」
 ぎゅっと両手を握って、
「詩織ちゃんの本心なの。
 詩織ちゃんは優しいから、私に気を遣ってるんじゃないかって。
 お願い、本当のことを言って…!」

「…メグは、私が嘘をついてるって言うの?」
「そ、そういうわけじゃ…」
「そう言ってるじゃない」
 勇気が急速に縮んでいく。確かにそうだ。好意に背を向けようとしてる、でも…。
「そ、それじゃ…」
「‥‥‥」
「誓ってよ、詩織ちゃん」
「メグ…」
「勝手なこと言ってるのは分かってるけど…
 本当だって、私たちの友情に誓って。
 そうしたら、二度と疑ったりしないから」

 今度は詩織が、わずかに狼狽えたように見えた。
 こう言われて、平気で嘘をつける詩織じゃない。
 本当ならそれを言えばいい。もしも、言えないようなことだとしたら…?

 詩織は黙っていた。

「詩織ちゃん…」
 9月の日はまだ暑い。
 夏の名残の太陽に、背中を押してもらう。
「大丈夫だよ、教えて…。私、少しは強くなったから」

「何でよっ…!」

 堤防が決壊したような、そんな響きだった。
「何でそんなこと言うの?
 私、メグが幸せならよかった。
 メグが公くんと上手くいきさえすれば、それでいいんだって、そう思うようにしてたのに、何でそんなこと言うのよっ…」

 初めてだった。
 出会って以来、こんな風に、彼女が心情を吐露したのは初めてだった。
「詩織ちゃん」
 その手を取る。
 力のない、弱々しい手。うつむいたままの顔を見る。完璧さの崩れた詩織は、ごく普通の女の子だった。
 愛と公が付き合っている間、自分の心を閉じこめ、どんな思いだったんだろう…。

「私も、同じだよ。
 詩織ちゃんが幸せならよかった。
 私のせいで詩織ちゃんが辛い思いをしてるなら、そんなの自分が許せないよ」
「違っ…! メグのせいじゃない、私が…!」
「ねえ、詩織ちゃん」
 笑顔を、強さを見せなくちゃいけない。
 彼女の愛が、これ以上傷つかないように。
「私の名前ね、回りに愛をめぐむことができるようにってつけられたんだって。
 だから…
 詩織ちゃんにもそうしたいな。
 いつも詩織ちゃんに助けられてばかりだから、少しはお返しさせて…」

「メグ…」
 抱きしめられる。仮面を放棄した詩織の、杖のように。
「ごめんね…」
 謝ることなんてない。
「ここまで来られたのは…全部詩織ちゃんのおかげだから」

 詩織は一人で帰っていった。
 すぐに割り切るのは難しいだろう。でも時間が解決してくれる。十分間に合う。
 公園に残された愛の後ろから、二人分の足音が近づいてくる。
「…あれで良かったの?」
 心配そうな見晴の声。
「うん。詩織ちゃんのことも好きだから」
「今から勝負しようとか、そういうことは思わないの」
「これ以上邪魔したら、お馬さんに蹴られて死んじゃうよ」
「…ま、本人がいいって言うなら別にいいけど」
 あやめはあまり納得してない風だった。完全な正解なんてない。でも、これで十分だと思う。少なくとも自分の名前は裏切らずに済んだから。
「それじゃあ、これからケーキでも食べに行こうよ!」
「え…、もう4時だよ…?」
「いいじゃない、おいしい店知ってるんだぁ。あやめもいいでしょ」
「はいはい、愛の誕生日だしね」
「う、うんっ…」
 空元気でも元気を出して、街へと歩いてく。
 …詩織とも、いつかはこうなれるような未来を見ながら。


 家に帰り、家族の誕生パーティも終わって、誕生日を終えるため、彼へと電話をかける。
 もう、無理して誘わなくていいです、と…伝えるために。
『お、俺何か美樹原さんを傷つけることしたかな?』
「そ、そうじゃないですっ」
 受話器を落としそうになり、あわててぎゅっと握る。
「そうじゃなくて…。
 主人くん、ちゃんと好きな人がいるでしょう?」
 …気づかれてた。
 それが分かったのだろう。公も否定はしなかった。
『でも、向こうは俺のことなんか…』
「大丈夫です。今日、いろいろ話しましたから」
『…詩織と?』
「はい」
『そっか…』
 風の向きが変わる。
 停滞していた風が、今日の日を境に。
『ごめんな、美樹原さん』
「い、いいんです。おかげで男の子もあんまり苦手じゃなくなったし、あがり症もちょっとは直りました…」
『美樹原さん…』
「あの、それじゃ…。お休みなさい」
 カチャ…
 受話器を置いて、ムクの待つ自室へと戻る。
 この先は、あの二人の物語。すぐに上手くいくのか、伝説の樹の力を借りるのか、もっと先になるのか…。
 それは二人次第。自分はもう退場したから、あとは幸せな報せを待つだけ。
 もう、自分の恋は終わったんだから…

「‥‥‥っ………」
「クゥーン」
 悲しそうに鳴いたムクが、愛の頬を舌でなでる。
 今は、涙を堪えきれなくても
 ”愛”と書く名前は、まだ少し重くても…
 すぐに笑える。ちゃんと伝えられた。そして…
 18歳の誕生日は、そのまま静かに幕を閉じた。




<END>







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