No Heart (1) (2) (3) (4) (5) (5.5) (6) (7) (8) 一括




 セリオもマルチもこれといって欠陥は見つからず、日曜は開発者たちも久しぶりに休むことができた。
 そして月曜、試験2日目。

 今日は朝から仕事が殺到し、授業の邪魔にならないようにと、ノートの束を抱えて別の部屋へ移動するセリオ。
 ぽつんと空いた机の隣で、綾香は寂しく授業を受ける。みんなも少しは遠慮すればいいのに…と言ってもセリオの頭脳では、授業なんて受けても退屈だろうか。
 昼休みになり、弁当をかきこんでからセリオを探す。目立つ彼女のこと、すぐに渡り廊下で見つかった。1年生と何か話している。
「だからぁ、来栖川先輩の好きな料理を教えなさいよ」
「――申し訳ございません。データにありません」
「なによ、使えないわね」
「なーにをしているのかなぁ?」
「はうっ! くっ来栖川先輩っ!」
 セリオにはやたらと高圧的だった女生徒は、綾香を見るや借りてきた猫のように小さくなった。
「わ、私はただお姉さまのことをよく知りたくて…」
「お姉さまはやめいっ!」
「し、失礼しまーすっ!」
 あっという間に逃げ去る1年生。思わず苦笑し、セリオに向けて肩をすくめる。
「ああいうのも困っちゃうわよね〜。いくら女子校って言ってもね」
「――そうですか」
「いや、そうですかって言われてもさぁ…。他に反応ない?」
「――ご命令以外の雑談等に対しては、一定の間隔で『そうですか』または『なるほど』と返すようプログラムされています」
「あ、そう…」
 落胆…いや、仕方のないことだ。気を取り直す…。
「それじゃ少し付き合いなさいよ。いい場所知ってるのよ」
「――了解しました」
 セリオを引き連れ、昼休みの廊下を歩く。振り返る生徒たち。やはり目立つ組み合わせらしい。
 何人かは仕事を頼もうとしたが、綾香が一緒と気づくと「なら後でいいわ」と気を利かせてくれた。
「綾香って新しいもの好きよねー」
「そりゃ好きだけど、別にだからってわけじゃないわよ」
 ひらひらと手を振って、階段へ向かう。結局のところ、みんなセリオを便利な道具としか見ていない。
 それを責めるわけにもいかないけれど…。
「ほら、ここ」
 階段を上りきり、思い切り扉を開ける。
 一面に広がる空の青。屋上から無限に続く春の大気が、扉を通じて流れ込んでくる。
 両手を高くあげて、思い切り伸び。
「いい場所でしょ」
「――そうですね」
 その返事が本心なのかどうか、深く考えないようにしてセリオの手を引く。
 金網に手を掛け、南側に見える大きな川を指す。よく河原に遊びに行く場所。この時間にここから見ると、ちょうど陽光が反射して目に飛び込んでくる。輝く水面は綾香のお気に入りの風景だった。
「セリオは、こういうのを見て綺麗だと思う?」
 意地悪な質問だろうか。もし思えないなら。
 けれど彼女はいつものように、眉ひとつ動かさずに答える。
「――私にはそのような機能はありません」
「…うん」
 その頬に手を伸ばす。
「でもね、私はそういうのを感じてほしいわ」
「――申し訳ありません。不可能です」
「絶対ってわけじゃないでしょ?」
「――はい。100%ではありません」
 あら、と内心手を叩いた。
 『絶対無理です』と言われそうな気がしていたのだが、思ったより柔軟ではないか。
「ならやってみる価値はあるじゃない。景色が綺麗とか、花が美しいとか…一緒にいて楽しいとか。そういうのが分かれば、きっと素敵な女の子になれるわよ」
「――了解しました」
「うんうん。それじゃ教室に戻りましょ」
 セリオの内部を見ることができれば……エラー、知識不足、その他諸々の可能性が『絶対』ないとは言い切れないと、だから『100%ではない』と、そういう論理的帰結をもって答えただけと知ることができたろう。
 だが綾香にそれは分からない。ロボットでも人間でも、他人の思考など結局はブラックボックスなのだから。


 午後もセリオの仕事は続き、全部片づけた頃には6時を回っていた。
「すっかり遅くなっちゃったわねー。時間は平気?」
「――はい。午後7時までに戻れば大丈夫です」
 校門を出て、暗くなっていく空の下を歩く。
 先日と同じく綾香がとりとめない話を続け、セリオがひたすら聞き手に回る。街灯の照らす歩道で、今日も彼女はどうでもいい話を真面目に聞いている。
 と、前方で誰かがよたよたと歩いているのが目に入る。
 少し頭の薄い中年の男。サラリーマンのようだが、歩道いっぱいの千鳥足で非常に邪魔くさい。綾香は少しむっとすると、セリオの手を引いてさっさと横を追い越した。酒の匂いがする。
「こんな時間から酔っ払ってんじゃないわよって感じよねぇ」
 向こうに聞こえないよう小声で言って、足早に歩き去ろうとした。
 ところが、セリオがついてこない。
「セリオ?」
 振り返ると、先ほどの酔っ払いが電柱に寄り掛かって吐いている。思わず顔をしかめる。ったく、街中でなんてことを。
 ところがセリオが、事もあろうにその男に駆け寄るではないか。
「セリオっ?」
「――大丈夫ですか」
 男の背中をさすり、無機質にそう声をかけるセリオ。相手もさすがにぎょっとした。が、背中をさすり続けるセリオに、少しは楽になったようで、恐縮したように立ち上がる。
「あ、ああ、もう大丈夫。いや…すいませんねぇ」
「――いえ。お気になさらず。嘔吐物の片づけはいかがいたしましょうか」
「ち、ちょっとセリオっ!」
 慌てて駆け寄ると、その手を掴んでぐいと引っ張る。
「女の子がそこまでしてやることないでしょっ!」
「――理由としましては、街の美化の面で…」
「んなもんこのおっさんが自分でやるわよっ! ね、おじさん!?」
「あ、や、やります、やるとも」
 綾香に怖い顔でにらまれ、こくこくとうなずく相手。その間に今度こそ、セリオの腕を引いてそそくさとその場を離れた。
「も〜、あそこまですることないわよ。こんな時間に酔うまで飲む方が悪いんだし」
「――申し訳ありません。以後注意します」
「い、いや…別に悪いとは言ってないけど」
 機械の瞳に見つめられ、なんとなく視線を逸らす。別に彼女は間違った事をしたわけではない。なんとなく自分の人間性の方が貧しいようで、居心地が悪くなる。
「ま、まあお人好しもほどほどにね。じゃね、また明日」
「――さようなら、綾香様」
 道が別れ、少し進んで後ろを見る。規則正しく遠ざかっていく姿。振り返る素振りさえ見せずない。
 未知の存在。急にセリオがそう思えてきて、振り払うように頭を振った。大丈夫…きっと通じ合える。


「へえ」
 その記録内容を見て、思わず品川は感嘆した。
 見ず知らずの人間を助ける。内部的には『人道』のルールに従ったまでの話だ。命令がなくても、人道的に為すべきことは為す。主に緊急時の人命救助などを想定した仕様である。
 とはいえこうして実際に動くのを見ると、ちょっと感動に近いものを覚える。今時こうも迷いなく人助けをできる者はなかなかいまい。この機械でできた少女を、少し見直したような気分だった。
 まあ品川自身が、以前飲み会で無理矢理飲まされ、死にそうな経験をしたというのもあるが。ちなみにその時は誰も助けてくれなかった。
「よくやったな、セリオ」
「――ありがとうございます」
 が…。
「これはちょっと、やりすぎじゃないかねぇ」
 そう思ったのは彼だけのようだった。
「ユーザーならともかく、見ず知らずの他人にここまですることはないだろう」
「そうそう、サービスは金を払ったユーザーだけが受けるべきもんですよ」
 そう言うのは牧浦と稲崎。
「し、しかしですね」
 冷たい奴め、お前らの血は何色だ…と言いたいところだが、会社ではそうもいかない。
 とにかく理由をつけてセリオの弁護に回る。
「それじゃですよ、目の前に死にそうな人がいたのに、平気で見捨てたらどうなります。うちの会社は世間から叩かれますよっ」
「でもなあ、品川」
 つまらなそうに稲崎が言う。
「たとえば目の前で火事があったとしよう」
「ああ。今の仕様なら、人命救助に協力する」
「それでボディが燃えたら修理費は誰が持つんだ?」
「そ、そりゃあ…」
 ユーザーに持たせるわけにはいかないから、会社が払うことになるだろう。
 よしんば金のことはいいとしても、自分の使い込んだメイドロボがそんな理由で壊れたら、ユーザーは納得するだろうか?
(納得すべきだろ。正しい事をしたんだから)
 品川はそう思うが、そう考えるユーザーばかりでないことも承知している。人助けをして壊れでもしたら『余計なことしやがって』と考えるのだろう。嫌な世の中だ。
 議論の末、人道を優先するのは確実に人命の危機が見込まれる場合、しかも手が空いている時のみ、ということになった。
 今回のケースなら、酔っ払いが吐いている程度だし、綾香のお供の最中なのでそのまま見捨てることになる。
 品川は重い気分でひとりラボに戻った。さっき誉めたばかりなのに、今度は『そういう事をしちゃいけない』と教育しなければならない。
「…すまない、セリオ」
「――いえ。お気になさらず」
 謝罪の類には、一律的にそう答えるセリオ。
 …急に馬鹿馬鹿しくなる。何を謝っているのだろう?
 口頭で指導し、内部のルーチンも書き換えて、それだけで『今より冷たい』セリオが出来上がる。仕組みを知っている自分に、感傷の余地などない。
「‥‥‥‥」
 突然、壁向こうの隣のラボから、楽しそうな笑いが聞こえてくる。
 マルチ――。
 A班はこんなことで悩まないのだろう。『マルチのやりたいようにやらせてますから』。そう言ったのは長瀬主任だった。それで済むのだから、確かに大したロボットだ。
 だが、品川自身はあまりマルチが好きではない。
 特に理由はないが、『はわわ〜』とか言っているのを見ると無性にムカついた。セリオへの贔屓目もあるかもしれない。
「…心なんか無くても、お前は十分親切なのになぁ」
 目の前の機械は何も答えない。別に期待してもいなかった。その親切さを封印し、終了の指示を送る。待機モードに移行するセリオ。笑うことも悲しむこともなく、ただ黙々と、今日一日のデータを整理し明日に備えている…。
 壁向こうとは対照的に、しんと静まったB班のラボで、品川は暫くそんなセリオを眺めていた。






<続く>





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