No Heart (1) (2) (3) (4) (5) (5.5) (6) (7) (8) 一括




 HM開発課の面々は寝不足が続いている。
 前夜は遅くまで解析に追われ、朝になれば登校前にひととおりのチェック。なんで学校は8時20分からなんだ…と非建設的な愚痴が聞かれる毎日である。
 品川がトイレで顔を洗って出てくると、ちょうどセリオが黙って前を横切っていった。
「――‥‥」
「(もう登校時間か…)」
 納得してラボに戻ろうとして、なにやら渋い顔の牧浦主任とすれ違う。
「なんだね。黙って出ていくのはやっぱり不気味なもんだね」
「人に会うたび挨拶するのはかえってうるさいって、自分からの挨拶はオフにしたんじゃないですか」
「まあそうなんだが…。うるさくない程度に挨拶はできんのかね。あれじゃ学校で不興を買わないか心配だよ」
「はぁ」
 返事はしたが馬鹿馬鹿しい。やるなら必ず挨拶するか、必ず挨拶しないかのどちらかである。それ以上はセリオの開発の範疇ではない。
 なんだか納得いかないまま端末前に座ると、寄ってきた稲崎が小声で耳打ちした。
「なんか社長が見に来るって話があるからな。主任もピリピリしてるんだろ」
「社長が?」
「セリオじゃ社長相手でもあの調子だろうしなぁ」
「‥‥‥」
 じゃあ何だ。社長が相手の時だけゴマをすれとでも言うのか?
「その点マルチはなんつーかこう、見てるだけで楽しくなるしなー」
「…知るか」
 あんなの媚びてるだけだろうが…とはさすがに口にできず、黙って端末を叩き出した。昨日の解析がまだ終わってない。


 ところが牧浦主任の懸念もあながち間違いではなかった。
 大勢の生徒がいれば、中には生理的に受け付けない者もいる。1時間目と2時間目の間の休み時間、セリオは校舎裏で4人ほどの生徒に囲まれていた。
「なに取り澄ましてんのよ。あんた何様なわけぇ?」
「――ロボットです」
「んな事は聞いてないっ!」
 最初はちょっとした言いがかりだったが、何を言われても淡々と返すセリオの態度が火に油を注いだ。次第に声が怒号を帯び、切れた一人が突き飛ばそうと手を伸ばす。
「ととっ…」
 だが無駄なく身をかわしたセリオによって、その手は虚しく空を切った。
「ちょっと! よけるんじゃないわよ!」
「――申し訳ございません。今回のテストでは損害賠償の関係上、皆様に危害が加わらない範囲においては私自身の身を守るよう設定されています。このことは契約書に…」
「知るかぁぁぁっ! みんな、押さえつけるの手伝って!」
「わかった!」
「ほんとムカツク!」
 校舎を背にしたセリオを、4人が前と左右からにじり寄る。いくら最新鋭でも、ロボットである以上人間に危害は加えられない。そう知って舐めきっているのだ。
「――」
 4人を瞳に映し、セリオが口を開きかけた時…
「こらぁぁぁぁぁっ!」
 中庭の向こうから、鬼のような形相の綾香が土煙を上げて爆走してきた。
「や、やばっ!」
「あんたたち、何やってんのよーーっ!!」
「に、逃げるわよっ!」
「きゃぁぁぁーーっ!」
 不心得者は蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。綾香は忌々しげに舌打ちしたが、友人が優先とセリオに駆け寄り手を取った。
「大丈夫!? 何かされなかった!?」
「――はい。各部とも問題ありません」
 安堵すると同時に怒りがこみ上げてくる。
「にしても腹立つわね、あいつら。遠慮しなくていいのよ。やられたらやり返しちゃいなさい」
「――申し訳ございません。人間の方に危害を加えることはできません」
「ま、そりゃそうだろうけど…」
 相変わらずくそ真面目ねぇ…と呟きながら思いを巡らせ、不意にニヤリと笑った。
「そーだっ、あとで組み手しない?」
「――はい、構いません」
「あ、今じゃないのよ。もう授業始まっちゃうから、昼休みにね」
「――了解しました」
 研究所では二、三拳を交えただけだったし、学校に来てからは校内ということで自粛していたが、セリオが本気を出せば…。
 教室に戻りながら、隣を歩く彼女に尋ねてみる。
「ね、セリオってどのくらい強いの?」
「――一概には言えませんが、腕力、敏捷性などはプロの格闘家以上です」
「あ、それなら私より強いわねぇ」
 さすがの綾香もプロの格闘家にはかなわない。セリオが本気を出せば負けるだろう。
 このあたり、綾香に格闘女王としての変な見栄はない。自分より強い相手は望むところである。で、皆の眼前でセリオが勝てば…
「みんな驚いちゃって、二度とセリオに手出しなんかしなくなるわよ」
「――そうですか」
「そうそう」
 足取り軽く教室に戻った綾香は、さっそく級友たちに昼休みの予定を宣伝した。

 話は口から口へ伝わり、昼休みには校内中が知ることとなった。
「綾香とセリオがバトるんだって」
「面白そー」
 お嬢様学校といっても中身はこんなもので、試合場の中庭はギャラリーで満載。校舎の窓からも生徒たちが首を出し、体育教師までが見物に来ていた。
「成功、成功。セリオ、手加減なんかしないでよ」
「――申し訳ございません。人間の方に危害を加えることは…」
「あー、分かったから、お互いケガしない程度に全力で。ね?」
「――了解しました」
 教師に審判を頼み、セリオと対峙してファイティングポーズを取る。目の前の彼女はいつもの直立不動。特にサテライトを使う指示は出さなかったので、セリオ自身の格闘能力だけで戦ってくれるだろう。普通経験できない戦いに、格闘家としての血はいやが上にも高まる。
「始めっ!」
 審判のかけ声と同時に、弾かれたバネのように綾香が飛ぶ。
「せいっ!」
 瞬速の突きを、セリオはステップを踏んで軽々と避けた。だが避け方が大きい。不確定要素に備えるため、安全圏を取っているのだろうか。
 これは結構いい勝負ができるかも? 自分なら危険を厭わないから。
 そう考えた綾香は、本気で攻撃を仕掛けた。
 中距離からの蹴り、踏み込んでワン・ツー、身を沈めて足払い!
 その全てをセリオはかわし、少し距離を取る。
「守ってばかりじゃつまんないわよ!」
「――はい」
 言葉に反応して即座に攻撃を仕掛けてくる。相変わらずの従順さに半ば呆れながら、どこへでも動けるようフットワークを踏む。
 セリオの突き。速い。が、かわせない程じゃない。速度を抑えているのか?
 横っ跳びに避け、空いた左側に手刀を叩き込もうと…
 した瞬間、目の前にセリオがいた。一瞬虚をつかれる。速すぎ!
「くっ!」
 苦し紛れに放った手刀を、セリオは後ろへ跳んで避け、すぐ足に力を入れ前へ跳ぶ。
 人間なら脱臼しかねない無茶な切り返しだ。機械の関節は平気で耐えられるらしい。
 やられた――!
 だがセリオの攻撃は遅い。当たる前に、慌てて距離を取る。
「いいわよー、殴れー」
「殺れー」
 勝手なことを言っていている観衆を無視して、綾香は唾を飲んだ。もしかして『絶対にケガをさせない』と確信できる攻撃しかしないのか?
「ちょっとつまんないわねぇ…」
「――申し訳ございません」
「いや、いいんだけど……ねっ!」
 こうなったら一か八かでケリをつける。気合一閃、今日最高の速度でセリオの懐に飛び込んだ。
 それでもセリオは正確に動きを追い、突きを繰り出してくる。
 それをぎりぎり紙一重でよけた。安全第一のセリオにはできない芸当だ。
「もらったぁっ!」
 そのまま半回転しつつ後ろに抜ける。背後を取った!
 正面にはセリオの背中。これならさすがにかわせまい。多少加減しつつ、そこに一撃を叩き込もうとする…
「‥‥‥‥」
 目の前に拳があった。
 その向こうには機械の瞳。何が起きたのか分からず、感覚が麻痺したように停止する。
「うげげーっ!」
「気持ち悪ーーっ!」
 その叫びでようやく現状を理解する。
 セリオが『真後ろに』突きを繰り出していた。関節を逆に曲げて。
 しかも首が180度回転していた…。
「――……」
 ぐりん
 さらに270度回転し、審判の方を向く。
「そ、そこまで。勝者セリオっ」
 泡を食った教師が宣告し、セリオは首と腕を元に戻すと綾香に向き直る。
「――これでよろしいでしょうか」
「あ、う、うん。どうもありがと」
「――どういたしまして」
 試合は終わり、綾香の負け。けどどうにもすっきりしない。反則、では決してないが、さすがに関節が逆に曲がる奴が相手では…。
 まだ少し呆然としながら、校舎へ戻ろうとする。付き従うセリオ。近寄ってきた級友が、ぼそっと口にする。
「なんか今夜夢に見そう…」
「やっぱロボットだし…」
「や、やめなさいよ! セリオが可哀想でしょっ!」
「ご、ごめんっ」
 横目で盗み見る。セリオの表情に変わりはない。
 だが綾香の目論見は見事に外れた。みんな驚きはしたが、かえって壁を作ってしまった。そして…
(ごめんセリオ、私もちょっとだけ気持ち悪いと思った…)
 その日来栖川綾香は、罪悪感に駆られながら下校したのだった。


 さて、その出来事はすぐにHM開発課B班の知ることとなり、ボディ担当者は頭を抱える羽目になった。
「やっぱり人間と同じになるように、ストッパーつけた方がいいかしらねぇ…」
「そ、そこまでしなくてもいいんじゃないですか」
 4年先輩の技師に、品川は控えめに反論する。
「せっかくロボットなんですから、制限なんて勿体ないですよ」
「品川君、使うのは人間なのよ」
「そうですけど、そういう人間っぽさはマルチで試すことでしょう? セリオじゃない」
「そりゃまあ、そうだけど…」
 主任も交えての立ち話の末、ハード的には動くようにするが、ソフトの方で制限することになった。ただしどうしても必要な場合は除く。
(あの生徒ども、首が回ったくらいで大袈裟な…)
 内心で暴言を吐きながら、制限項目を修正する。
「セリオはくだらないとは思わないか」
「――私にそのような感情はありません」
「…そうか。『くだらない』は感情だったか」
「――はい」
 会話はすべて、小型のインカムで行われている。セリオは同時に複数の会話ができるし、技術者たちも他の会話に煩わされずに済む。
 B班のラボは今日も静かだ。
 人間に中身をいじられながら、今もセリオの計算は続く。より正確に命令を実行する。ひたすらそのために、見聞きしたデータを整理し、知識を吸収し、新たなロジックを組んでいる。
 ようやく修正が終わった品川が思考データを開くと、案の定、手の着けようのないほどに増えていた。加速度的に複雑化している。今から解析しても、終わる頃には夜が明けているだろう。
 どうしたものか…。
 少し考えて、ぽんと手を打った。目の前に優秀な頭脳の持ち主がいるじゃないか。
「セリオ、俺がいつもやってる解析を実行できるか?」
「――昨日と同じでよろしいでしょうか?」
「ああ、それでいい」
「――了解しました。実行を始めます」
 これでいい。ロボットの解析をロボットにやらせるのは問題あるかもしれないが、セリオなら大丈夫だろう。今までのテストでそう確信していた。
 一息入れようと、お茶を淹れて戻ってくる。
「…セリオ?」
「――終了しました」
「え!?」
「――送信します」
 1分もかかっていない。しかも送られてきた解析結果は、品川が作るものよりよほど分かりやすく、的確だった。
 学習を繰り返し、ここまで賢くなっていたのか…。
「…凄いな、お前は」
「――ありがとうございます」
「本当に凄い…。よし、握手だ」
 感嘆の念を押さえきれず、その優秀さを称え手を出す品川。
「ちょっと品川君、まだボディのチェック中よ」
「あ、すいません」
 慌てて手を引っ込める。一気に暇になってしまった。そうだ、他の連中にもセリオを使ってもらおう。
 稲崎の席に近づくと、プログラムを前になにやら唸っていた。
「調子はどうだ?」
「ああ、衛星の利用も結構増えてきたぜ。料理とか、スポーツとか、競馬とか」
「…なんで女子高生に競馬のデータが必要なんだ?」
「さあ…」
 こほん、と咳払いして本題を切り出す。
「実はこっちの仕事はセリオにやってもらったんだ」
「おいおい、大丈夫かよ…」
「それが凄いんだ。速さが尋常じゃない。なにか仕事ないか?」
「まあ、ちょっと今プログラムで詰まってた所だけどさ」
 さっそくセリオに送信し、品川はいいことをしたと満足して自分の席に戻った。
 座るやいなや、稲崎が青い顔で飛んでくる。
「もう終わらせやがったっ」
「だろう?」
「俺なら1日はかかるぞ…」
「どんどん学習してるからな。これからもっと賢くなる」
「俺の立場は?」
「んなもん知らん」
 ショックを受けた顔でふらふらと戻っていく稲崎。人間のプライドを壊してしまったかもしれないが…元々ハード的には人間より優れているのだ。記憶容量も、計算速度も。
 まして人間の脳は100%使われているわけではない。だがセリオは違う。人間が寝ている間も、食べている間も、常に思考を続けている。
(完璧だな…)
 これならマルチに勝てる。向こうは学習型とか言って、人間と同じ様な経験・学習の流れしか持っていない。ロボットなんだからデータを直接変更した方が速いに決まっているのに。
 セリオの方が優秀だ。
「よしセリオ。お前の全機能について、改善すべき点をすべて洗い出してくれ。ミーティングでみんなに見せてやる」
「――了解しました」
 さっそく解析を始めるセリオを、品川は半ば尊敬の目で見守った。
 いっそ開発を全部セリオに任せれば、今以上の凄いセリオができるかもしれない。
 その賢くなったセリオにさらに開発させれば、それ以上に賢いセリオができ上がる。そうして続けていけば…ある意味、究極の知性体ができるのではないか?

 ミーティングが始まる前に、各担当にセリオのレポートを配る。
 ある者は感心し、またある者は冷や汗を流す。『余計なことしやがって』という顔の者も少数だがいた。
「ま、まあ各自目を通して参考にするように…。それでは今日の報告を」
「あ、主任。もうひとつセリオからの提案があります」
「なんだね?」
 挙手した品川に全員の視線が集まる。今から話す内容に、柄にもなく緊張する。
 正直、品川自身も聞いたときは耳を疑った。だが…セリオの意見だ、言わねばならない。
「来栖川綾香嬢を、セリオから遠ざけること」

 …静寂。
「なんだって?」
「彼女は校内でも中心的な存在です」
 できる限りセリオの言葉通りに、品川は続けた。
「その彼女がセリオを贔屓にしているため、他の生徒たちもそれに遠慮して正直な反応を返せません。不満や批判は言い辛い状態であり、テスト環境として適切なものではありません」
 誰も何も言わない。
「…それを、セリオが言ったのか」
「そうです」
 うめくような主任に、そう断言する品川。
「…誰か意見は」
 隣の部屋から笑い声が聞こえる中、開発者たちは沈黙を続けた。
(おいおい、一番仲良くしてくれる子にそれはないだろう)
(今日なんて、虐められているところを助けてくれたのに…)
(冷血にもほどがあるぞ)
 皆そう思うが、発言はしない。
 何しろ正論である。綾香は何かとセリオを庇う。そのためセリオの環境は、いわば恵まれすぎている。このままテストを終えれば、そのあたりをA班から突っ込まれるだろう。
 そのことはセリオに言われるまでもなく、ほとんどが気づいていた。
 気づいていたが、人間にはなかなか言えなかったのだ。
「意見はないようだし、私も正しいとは思うが…。相手は顧客だ、セリオに伝えさせるわけにもいくまい」
「‥‥‥」
「社員が事情説明に赴くべきだが…。誰か行きたい者は?」
 主任の言葉に、沈黙がいっそう深くなる。
 セリオを大事にしてくれる相手に、『テストの邪魔だからもう近づくな』なんて言いたがる奴がいるわけがない。まして相手は会長の孫娘である。
 だから今まで言わなかったのに、品川とセリオめ…。
「‥‥‥‥」
 同時に品川も沈黙を続けていた。自慢じゃないが女子高生と話したことなんてない。ここは口の上手い奴が行くべきだろう。
 しかし誰も手を挙げない。とうとう業を煮やして、稲崎が提案した。
「どうでしょう。ここはひとつ言い出しっぺの品川さんということで!」
「んなっ!?」
「そうそう、実は私もそう思ってたんだ!」
「やはりセリオの人格の責任者ですし!」
「ま、待ってくださ…」
「相手は会長の令嬢ですからね!」
「機嫌を損ねないよう、よろしく頼むよ品川君!」
「じ、女子高生の機嫌の取り方なんて知らな…」
「じゃあそーゆー事で!!」
「ちょっとーーっ!!」
 抗議をかき消すように始まるミーティングを、呆然と眺めるしかない品川だった…。

 しかし終わる頃には覚悟を決めた。セリオの言葉は正しい。
 自分に不利になることでも、公平なテストのためなら敢えて辞さない公明正大さ。人間のように私情を挟んだりしない。いや、私情自体がないのだが。
 そのセリオのためなら、交渉役くらい買って出て当然るべきではないのか。
「というわけだから、明日の放課後に来栖川綾香さんを呼んでくれ」
「――了解しました」
「場所はここな」
 学校近くの喫茶店の住所をセリオに送る。
 来栖川綾香。
 今となってはむしろ会ってみたい気がする。何か勘違いして『友達』とか言っている奴に…話すべきことがあるように思うのだ。







<続く>





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