3年生がいなくなり少し寂しくなった学校で、その少女はさっきから校門のあたりをうろうろしていた。目当ての人間が来る確証など何もなかったが、それでも離れがたいように歩いたり立ち止まったりを繰り返している。
 いい加減見ている方がいらいらしてきたその頃、はっと息をのむ音がこちらにまで聞こえた。道の向こうの方に近くに住む彼が歩いてくる。一度、二度、深く深呼吸して、その奇妙な髪型の女の子は、彼が通りがかる所へぴょいと姿を現した。
 幻でも見たかのような驚いた顔に、女の子は小さく微笑む。

「こんにちは」





館林BDSS: . (Period)





 まだ9日しか経ってない。

 あの日あやめは朝から迷っていた。珍しいことだったが後悔もしていた。3年間という長い時間があと一握りを残すだけで終わってしまい、最後の日曜日に、自分は何をしたらいいのかずっと迷っていた。
 今日が最後のチャンスだと、口を酸っぱくして彼女に言っていた。彼女もそれにうなずいて、何かすると、そう言っていたのだ。もっとも今までから考えてあまり当てにもできなかったので、だからこそあやめは朝から迷っていたのである。
「あぁーもう!」
 しばらくしてぶつくさ言いながら友人の家へ出かける。彼女のお節介ばかり焼いていた自分だが、結局最後までそれしかないのか。
「あ、留守ですか…」
 しかしそれも空振りに終わり、あやめは気の抜けたように自宅に戻ってきた。玄関を開けたとき電話が鳴った。
「もしもし」
 返事がない。急に心臓が凍り付いたような感覚に襲われて、慌てて受話器に顔を近づける。
「もしもし!?」
「…あやめ…」
 消えるような声だった。何もかも失って崩れる寸前のような。氷に胸を掴まれたまま、あやめは反射的に呼びかける。
「今どこよ!」
「……公…園…」
「すぐ行く!」
 どこの公園と聞かなくても判る。いつか彼とそこを歩きたいと、夢見がちに話していた彼女だったから。
 電話を叩きつけて脱いだばかりのスニーカーを履く。やるせない怒りで紐がなかなか結べない。夢は破れることもあるから夢なのかもしれない。でもなんで、なんで……。



 広い公園を探し回って、ようやく小さなベンチでうずくまる彼女を見かけた。泣きはらすほどに泣いて、それでもまだ泣いてる。絶対見たくなかった。3年間思い続けて、その結果がこれなのか。
「見晴…」
 こんな時どうすればいいかなんて神様にだって判らない。あやめはそっと隣に座ると、とにかく何か言おうとして、結局何も言えなかった。
「デート…したんだ」
 しばらくして見晴は口を開いた。意外な言葉にあやめは顔を上げる。
「最後の想い出にって思って…。彼、来てくれたんだ。一緒に歩いたの…」
「そ、そう…。良かったじゃない」
 言った瞬間に後悔した。良かったのかもしれない。3年間彼を想い続けた女の子がいたことを、知ってすらもらえないよりはずっと良かったのかもしれない。
 でも頭を振った見晴の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。自分の中の何処かが現実と認めたがらないようで、何か口にしようとしても喉に貼りついたままだった。
「こんなんじゃないよ…。こんな風に歩きたかったんじゃない!」
 彼のことを考えて、彼のことを嬉しそうに話した日々。最中にあるときは気づかないのだ。終わりがあるということは。
「何してたんだろうわたし…。3年間も、一体何してたんだろう…」
 嗚咽が聞こえる。3年間も一体何を、それは自分も同じだった。痛い…
 こんな結末なんて、誰も望んでなかったのに。


「…風邪、引くわよ」
 2月の終わりの風は冷たい。日も傾いてきて、あやめは止めるように立ち上がった。見晴の手を引くが、彼女はうずくまったまま動こうとしない。
「見晴」
「…どこも行きたくない」
 そのまま膝に顔を埋める。
「消えちゃいたいよ…」
「バカ!」
 そう怒鳴って無理矢理立ち上がらせた。寒くなるくらい軽かった。
 そのまま引きずるように彼女の家まで連れていく。側にいたかったが、それもどうかと思って玄関の所で別れを告げた。
「ほら…しっかりしなさいよ。過ぎちゃったものは仕方ないんだから」
「うん…」
 普段の自分なら絶対言わない慰め。ちょっとしたことで怒ったり笑ったりしてた日々には、もう2人の手は届かない。
「…ごめんね」
 振り返って怒鳴りそうになる衝動を必死で押さえる。そんな言葉聞きたくなかった。絶対に聞きたくなかった…。



 翌日、大学試験の日。
 一応見晴の様子を見に行った。朝から部屋にこもりっきり。彼の進学先を調べて選んだ大学は受けられないまま落ちた。
 あやめも、自分が答案に何を書いたか思い出せなかった。


 翌日、やはり見晴は学校を休む。
「お見舞い行ってあげてよ」
「う、うん…。あの、あやめちゃんは?」
「…私は、やめとく」
 逃げてるのかもしれない。でももう一人の友人の方が適任と思えた。
 そう思える自分、何もできない自分。こんなにも腹立たしかったことはない。家に帰るなりベッドに倒れ込んだ。何もする気が起きなかった。


 最後の砂粒はゆっくりと落ちていく。


 卒業式の日。

 やはり引きずってでも見晴を連れていこうと家まで行ったが、その前に玄関から出てきた彼女を見つけた。
「だ、大丈夫?」
「うん…」
 弱々しい笑いだったが、なんとか無理してでも笑おうとしてる。一度傷ついたらそれ以外に道はないのだけれど。

 教室では愛や他の友人が笑顔で見晴を出迎えてくれた。彼女は大丈夫を繰り返す。見ていて辛かったが、最後の日に来ないよりは良かった。でも式の間はずっと上の空だった。

 玄関を出るとバレー部の後輩たちが集まってくる。軽く手を振って一人教室へ向かう見晴。後輩の相手をしながらもそちらの方が気になった。自分の3年間、十分なはずだった。夏に最後の試合が終わったときはもう悔いはないと思ってた、それが…


「ちょっと用事あるから」
 見晴と愛を先に帰らせて校門で待つ。別に待ちたい相手ではなかったが。
 暫くして顔だけはよく知ってる少年が歩いてきた。隣には見晴ではない少女がいる。幸せそうだ。あやめに気づかぬまま学校を後にする。これで良かったのだろう。見晴も今はそれを望んでいるのだろう。
「っ!」
 それでもどうしても釈然としなくて、学校の塀を思いっきり蹴りつけた。そびえる伝説の樹に恨めしげな視線を送る。後悔しか残らない学園生活は消えた。




「誕生日おめでとう!」
 部やクラスの友人も交えて誕生パーティは開かれる。合格発表を間近に控え、見晴に至ってはこれから勝負しないとならない状況で、今一つ盛り上がりには欠けたが。もちろんそれ以上に、今の見晴が祝われて嬉しいのかと――ほとんどがそう思っていたが。
「それじゃまたね」
「うん」
「大学行ってもちょこちょこ会おうね」
 この中の何人かとはもう暫く会う機会もないのだろう。帰りがけに、見晴が小さくため息をつく音を聞いた。一度外に出てやはりまた中に戻る。愛が心配そうに見たが何も言わなかった。
「見晴!」
 びっくりしたようにこちらを向く。自分は何を怒ってるのか。最後に一緒に歩けたのに。後は想い出に変わるのを、ただゆっくりと待つだけでいいのに…。
「それでいいの!?」
 何度代われたらと思ったか知れない。しかし思うだけなら簡単なのだろう。自分に何ができるのだろう。3年間、何もできなかった。
「良くない…」
 2人とも判ってた。暫くの間沈黙が流れる。
「…先行ってるわよ」
 あやめはそのまま外に出た。澄み切った空を仰ぐ。もう少し上手くできたらこんな想いしなくても済んだかもしれないのに。
 でも少し歩いてふと横を見ると見晴が黙って並んでいた。胸を塞いでいたものがすぅっと取り除かれていくような気がした。




「こんにちは」
 時折しゃぼん玉のように現れて、最後に消えた女の子。たぶんもう二度と会うことはないと思っていただろう。
「君は…」
 少し困惑したように呟く。打ち消すように見晴は慌てて手を振った。
「ご、ごめんなさい。この前。いきなりあんな事しちゃって」
「え、いや」
 そこで会話が止まってしまう。見晴はいつものように俯いたまま。
 じれったい、本当にじれったい。でもそう思うだけなら簡単なのだ。
「ええと…」
 何か言わないと先に進まないから、だから見晴は、今の自分とって一番大切な彼女は、最後の言葉を紡ぎだした。
「あのね、何言っても言い訳にしかならないけど…。後悔することは山ほどあるんだけど。
でも無かったことにはしたくないの。あなたを好きでよかったと思ってるんだ…。ええと、ええとね」
 言い訳にはしたくないし、枷にもしたくない。綺麗でなくてもいいから決着をつけたい。
「ごめんなさい、でもありがとう!あなたに会えてよかった。それだけははっきり言えるの。あの時は駄目だったけど、今なら良かったねって言えるから…」
 彼が思い人と結ばれたこと。本当に言えるのだろうか?
 でも最後の言葉なら、言えなくてはいけないから…。

 少年は黙って聞いていた。あやめにすれば向こうにこそ言いたいことが山ほどあったが、考えてみたら彼のことは何も知らなかった。右手が差し出される。
「俺も何て言っていいかわからないけど…。でも、ありがとう。今日会えて良かったよ」
 その言葉に安心が戻る。何日ぶりだったろう。やっと最後までたどり着いた。これでもう、やり残したことはない。
「…元気でね」
「ああ、君も」
 軽く握手して、彼は再度歩いていった。見晴はずっと見送っていた。
「きゃ」
 小さな体を背中から抱きしめて――
 誰もいない校門で、最後の砂粒は静かに落ちた。



「あれでよかったのかな…」
 2人並んで樹の下に座りながら、見晴は小さくため息をついた。一気に言えるとは思ってなかったけど、多分今だから言えたのだろう。
「あんなもんでしょ」
「あんなもんかなぁ…」
 とん、と見晴は自分に寄りかかる。あの日ずっと泣いてた樹の下ではなくて、背中に当たってるのは入学したときから見続けてた樹。今の見晴には何かがすっと抜けていったような、でも何か心地よい疲労感に似たような、そんなものを感じていた。
「…もう、行かなきゃね」
 終わりはまだ本当の終わりじゃないし、また歩かなくちゃいけないし。
 勢いをつけて立ち上がる。見晴もゆっくりと後に続いて。埃をはたいて見上げると、授業中の教室が見えた。
 もう戻ることはできないなら。どんな形でもきっと要るピリオド。
「あ、待ってよぉ」
 落ち続ける砂時計と、流れる文の1つのピリオド。満足のいく結果ではなかったけれど、いつまでも続けることはできないから。綺麗でなくてもいい、ここでの時間を完成させたい。
「んっ…」
 大きく伸びをしてまた歩き出す。隣に見晴が追いついてくる。きっとまだ辛いけれど、消すよりは持ち続けたいもの。欠くことのできない大事な砂粒。

「…おめでと」
 少しだけ横を向いて、照れくさそうに呟いた。18歳の誕生日と、2日遅れの卒業式。
「は?」
「何度も言わせんじゃないわよっ!」
「あ、うそうそ」
 久しぶりに見晴は笑う。新しい頁が埋まり始める。
「ありがと…」
「…ばか」


 3年間の綴じられたノート、手の中に大事に抱えて――

 ゆっくりと幕を閉じる。2人だけの卒業式。





<END>




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