如月パロディSS: 未緒ちゃんのリボン





「(急がないと…)」

 最後の文化祭当日の朝。7時とはいえ準備が間に合わなかった人たちは既に登校して作業をしているのですが、私もご多分にもれずその一人だったりします。
 文芸部は今年弁論大会を企画していますが、それとは別に何か文学に関することをしようと私はゲーテと当時の時代背景について調べてみました。時間は十分に取っていたのですがいざ始めると色々と興味深い点が多く、結局昨日の夜中までかかってしまったのです。でもそれなりに良い物はできたと思います。
「と、それどころではないですよね。早く印刷してしまわないと」
 学校の印刷室を借りて30部ほど刷ると、私はわら半紙を抱えて部室へ向かいました。文化祭が始まる前に早く綴じないと…。でもただでさえ体の弱い私に、寝不足はかなり無理がありました。よろよろと部室へ向かうのですがもう倒れる寸前です。
「あ…」
 と、不意に私の腕にかかっていた重みがなくなりました。横を見ると同じ文芸部の主人さんが、わら半紙の束を手に優しく微笑んでるではありませんか。
「ぬ、主人さん!?」
「おはよう、如月さん」
「お、おはようございます…」
「これから綴じるんだろ?手伝うよ」
「え、で、でもっ」
 何か言いかける私を遮るように彼はすたすたと歩き出します。私は言うべき言葉を見いだせず、少し俯いたまま彼の後をついていきました。
「ずいぶん大作だったみたいだね」
「い、いえ、そんなことないですよ。まだまだ調べ足りないことはたくさんあったんですけど…」
「うーん、でもちゃんとこういうことやるのって如月さんだけだなぁ。後でじっくり読ませてもらうよ」
「は、はい…。よろしくお願いします」
 軽く頭を下げながら、彼から表情が見られないことに少し安堵していました。だってみっともないとは思っても、どうしても口元がほころんでしまいましたから…。
「これはこっちのページ?」
「あ、いえ、こちらが先なんです」
 パチン、パチン。ホッチキスで1冊ずつ止めていきます。私にとってはささやかな幸せの時間です。
「みんな読んでくれるといいね」
「は、はい、そうですね。主人さんも弁論頑張ってくださいね」
 30部完成し、とりあえず部室を後にしました。しかし繰り返すようですが昨晩はあまり寝てないのです。そうでなくても立ちくらみというのは私の場合突然襲ってくるのですが、今日に至っては場所も選んではくれないのでした。
「!」
「如月さんっ!?」
 階段を下りようと一歩踏み出したところでした。目の前がすぅっと暗くなり、自分の体が自分のものでないようにゆっくりと前に倒れていきます。それを自覚しながら私は指一本動かせないのです。
 次の瞬間感じたのは掴まれた腕と引き戻される体。そして交差するように落ちていく誰かと…何かが叩きつけられていく音でした。
「ぬ…主人さん!!」

「(主人さん…)」
 保健の先生の話では脳震盪とのことでしたが、主人さんはなかなか目を覚ましません。私は祈るような気持ちで彼の手を握っていました。
「ん…」
「ぬ、主人さん!」
「…如月さん?」
 主人さんが目を開けたのはしばらく経ってからでした。起きあがろうとするのですが痛むのか頭を押さえます。
「だ、駄目です。まだ寝てないと…」
「あ、うん…。先生は?」
「一人急患が出たとのことで先ほど…。大丈夫ですか?まだどこか痛みますか?」
「い、いや、大丈夫だよ」
 主人さんは再度起きあがろうとするのですが、やはり無理らしく力尽きたように横たわります。そばではらはらしてるしかない自分が限りなく情けないです。
「参ったなぁ…」
「…ごめんなさい」
「あ、いや」
 今日は文化祭。主人さんも弁論大会のために一生懸命準備してきたはずです。それが私のせいでこんなことになるなんて…。
「ごめんなさい…。私、なんとお詫びしたら良いか…」
「俺が勝手にやったことだよ」
 主人さんは割り切ったように保健室のベッドで目を閉じます。でも私には後悔してもしきれませんでした。私がもっと前から準備していて、昨日もきちんと睡眠をとっていたら…。
「私…」
「クゥーン…」
「だ、誰ですか?」
「こ、これは失礼。立ち聞きする気はなかったのだワン」
 驚いたことに、ベッドの下から出てきたのは1匹の小さなヨークシャーテリアでした。それが驚く主人さんと私の前で、2本足で立ちながら言葉を話しているのです。
「僕はワンダフル星人のムク。愛ちゃんを探して道に迷ってしまい、ここでふて寝をしていたところだワン」
「そ、そうなんですか…。ええと、何と申しましょうか」
「俺よっぽど強く頭打ったんだな…」
「しかし僕は困っている人を見過ごせないのだワン!さあ、このワンダフル星に伝わる魔法のリボンを使うのだワン」
「はぁ…?」
 ムクさんがどこからか取り出したのは、2本の小さな赤いリボンでした。
「これを髪に結んで鏡の前で両手を顔に当て『パラレルパラレル、主人くんになぁれ』と唱えるのだワン。君は主人くんに変身し、代わりに弁論大会に出ることができるのだワン」
「‥‥‥‥‥‥」
「如月さん…。危険なことはやめといたほうがいいよ…」
 主人さんの言うことはもっともです。呪文も恥ずかしいと思います。でもせっかくのムクさんの行為を無駄にはできませんし、何よりそれで私のしたことが少しでも償えるなら…。
「き、如月さん!?」
「大丈夫ですから…。主人さんはそのまま寝ていてください」
 私は自分のピンクのリボンを外し赤いリボンを結ぶと、保健室の鏡の前に立ちました。心臓の鼓動がどうしても早くなります。
「パラレル」
 左手のひらを向こうへ向けて顔の前にかざします。
「パラレル」
 右手をその上に重ねます。視界は遮られ何も見えません。
「主人さんになーーぁれ」
 恥ずかしさをこらえて言うとパッと手を放しました。目が慣れるというか、現実の光景が現実と認識されるまでしばらく時間がかかります。
「…主人さん…?」
 鏡に映っているのは主人さんです。おまけにその背後には、ベッドの上でぽかんと口を開けているもう一人の主人さんが見えます。
「え…えぇぇ〜〜っ!?」
「そういうことなのだワン。変身時間は1時間。リボンは首の小さなペンダントに姿を変えていて、時間が近づくと音を立てて警告するのだワン。1時間立つ前に元の姿に戻らないと一生その姿のままだから注意が必要だワン」
「は、はぁ…」
「そしてこれが注意書きだワン!」

  魔法のリボン、五ヶ条の注意書
 ※ リボンをつけている時だけ変身できる。
 ※ 人間界に存在する人にしか変身できない。
 ※ 変身できるのは一時間だけである。
 ※ 変身している間も、その本人は存在する。
 ※ 変身している間、ペンダントをはずすことはできない。

「と、いうことだワン」
「‥‥‥‥‥」
 なんだか変な気分です。私が主人さんの姿をしているなんて…。眼鏡もないのに物ははっきり見えるし、背も高くて世界が変わって見えます。しばらくきょろきょろしていた私は、主人さんの視線に気づいてあわててムクさんに尋ねました。
「そ、それで元の姿に戻るにはどうすればいいんでしょう?」
「呪文を逆さに言えばいいのだワン」
 言われたとおりに鏡の前に立って、もう一度両手を顔に当てます。
「ルレラパルレラパ、元の姿になーれ」
 手を離すと元の私が立っていました。頬をつねっても結果は同じです。ど、どうやらこの方向で覚悟を決める必要があるようです。
「主人さん…。私に代わりを務めさせてはいただけないでしょうか?」
「で、でもね如月さん」
「お願いします!そうしないと私、一生後悔すると思うので…」
 頭を下げる私に、主人さんは軽くため息をつきました。
「わかった、こっちからお願いするよ…。でも頼むから無理だけはしないでくれよ?」
「は、はい…。ムクさん、ありがとうございます。なんとお礼を言ったらよいか…」
「いやいや、役に立てて嬉しいのだワン」
 そうですね…。私も、主人さんのお役に立てるなら…。
 私は主人さんから原稿を受け取ると、先生が戻ってきたので保健室を後にしました。弁論大会が始まるまでに覚えてしまわないと…。

 そんなわけで私が中庭の隅で原稿を読んでいると、小さな女の子が近づいてきました。
「あの…、こんにちは」
「あっ、美樹原さん…」
「あの、ムクから聞いたんです。あの…、頑張ってください」
「ありがとうございます。精一杯やってみますね」
 美樹原さんの腕の中にはムクさんが抱かれています。こうして見ているととても宇宙人さんとは思えないですね。
「でも如月さん、変身中に如月さんの姿はなくなるが平気かワン?」
「え、ええ…。実はクラスの方で当番があるのですが…」
「そう思ってこれを持ってきたのだワン」
 ムクさんが取り出したのは小さなパレットでした。
「これを使うと2人に分身することができるのだワン」
「そ、そうなの?ムク」
「色々あるんですね…」
 とにかく今の私にはありがたい道具です。私は魔法のパレットを受け取ると、開いてムクさんが教えてくれた呪文を唱えました。
「ティンカ・ティンク・ティンクル・ティンクル、二人になーれ」
 とたんに体がなにかの光に包まれて、その光が私の隣に降り立ちます。目を丸くしている私の前に、もう一人の私が立っていました。
「これが分身なのだワン」
「そ、そのようですね…」
「そーいうこと。よっろしくね!」
「しかもオリジナルとの区別のため体力は2倍に、性格も明るくなっているのだワン」
「分身の意味がないんじゃ…」
「あっはっはっ、細かいことは気にしない!」
 私と同じ眼鏡をかけて髪をリボンで結んだ女の子が「あっはっはっ」なんて言ってます…。ああ、なんだかめまいが…。
「その人が弁論大会に出た方がいいような気もしますね…」
「残念ながら魔法のアイテムは同時に1個しか使えないので、パレットから生み出された彼女には変身はできないのだワン」
「そ、そうですか…。わかりました、私も覚悟を決めます」
「あの…、頑張ってください」
「どーんと行くのだワン」
「ええと、如月さん。それじゃ教室の方お願いしますね」
「まーかせて!」
 少し不安ですがもう時間がありません。私はトイレの鏡の前で、両手を顔に当てるのでした。
「パラレルパラレル、主人さんになーれ!」

 今体育館のステージ下の控え室です。周りには誰もいなくて、ちょっと…緊張してます。
「ここにも鏡はあったんですね…」
 鏡の中には主人さんの姿が映ってます。ずっと憧れていた人の姿が…。
「主人さん、私あなたのことが好きだったんです!
 えっ、如月さん!実は俺も…」
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
「そろそろ出番だぜ…どうした主人?」
「いえ…ちょっと自己嫌悪に…」
 ステージに上がると体育館にはかなり人も来ていましたが、自分の姿でないためかそれほど怯えることもありません。今は文芸部の時間ということで入り口の側のテーブルには私の作ったゲーテの研究も「自由にお取りください」という張り紙とともに置いてあります。どなたか持っていってくださってるのでしょうか…。
「それでは続いて3−A主人公くんの弁論です」
 ぺこり、とお辞儀をして私の、いえ主人さんの弁論が始まりました。内容は最近のきら校についてです。
「自由な校風、個性の尊重、それこそがきらめき高校の誇りであり美点だったはずです。しかし最近それがどうも妙な方向へ行っているような気がします。先生方がやたらと進学率のことを話題にし始めたのはいつからだったでしょう?数字としての偏差値がそんなに大事でしょうか?」
 何人か来ている先生たちは腕組みをして苦笑しています。でもあくまで堂々としなくてはいけませんね。だって彼ならきっとそうしたでしょうから…。
「部活を休んででも補習に出ろと言う。もちろん学生にとって勉強は大切でしょう。かといってそれだけに留まらないのがきら校生だと思うのです」
 しかししつこいようですが、私は昨晩あまり寝ていません。今の体は主人さんのものですが睡眠とは精神作用であり、精神は私のままです。弁論を続けていくに従ってだんだん気持ちが悪くなってきました。
「…その点において生徒も教師も、きら校という場所の本質を見いだしてくれることを望んで私の弁論を終わりにしたいと思います」
 会場内から拍手が起こり、なんとか弁論は終了しました。しかし私はもう吐き気がして、立っているのがやっとの状態です。様子を察知した文芸部の人たちが駆け寄ってきました。
「お、おい、大丈夫か主人!?」
「は、はい…。あ、いや、大丈夫だ」
「少し横になった方がよさそうだな」
「あ、ああ…」
 並べた椅子に横たえられて、私の意識が薄れていきます。だから私の側で何かが鳴っていても、それは私の頭の中まで届かなかったのです。

「き、きさ…主人さん!」
「あ、ごめん美樹原さん。主人のやつ今具合悪いみたいだから後にしてくれる?」
「あ、あの、でも」
 ピコン ピコン ピコン
 誰かの声が聞こえます…。それとどこかでペンダントが鳴っているようです。ペンダントが…。
「ペンダント!?」
 私ははっと飛び起きます。あわてて時計を見ると、タイムリミットまであと2分しかないじゃないですか!これを過ぎたら私は一生主人さんの姿のまま…。
「た、大変!」
「お、おい主人、大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですっ!失礼します!」
「い、急いで!」
 美樹原さんとムクさんと一緒に大急ぎでトイレへ向かいます。主人さんの足は速く、十分間に合うかと思われたのですが。
「キャーーッ主人くんの変態!」
「何考えてるのよ!!」
「すっ、すみませんっ!」
 いつもの調子で女子トイレに入ってしまいました。なんて事でしょう、私はともかく主人さんの評判を落としてしまうなんて…。私どうお詫びをしたらよいのか…。
 ピコンピコンピコン
「と、とにかく今は男子トイレに行くしかないのだワン!」
「え、で、でも」
 ピコンピコンピコンピコンピコン
 私の顔がかぁっと赤くなります。
「あの、今なら誰もいないです!」
「そ、そうですね。致し方ないですね。あ、そ、そのでも」
 ピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコン

 ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「‥‥‥え?」


 大変なことになってしまいました…。
「と、とにかく一度戻って調べてみるのだワン」
「すみません、よろしくお願いします…」
 部室には主人さん、美樹原さん、ムクさん。そして明るい性格の如月未緒と、主人さんの姿をした如月未緒が立っています。
「だ、大丈夫!必ず元に戻れるさ!」
「は、はぁ…」
「ほら元気出しなさいよ。いけいけゴーゴーじゃーんぷっ!」
「はぁ…いけいけゴーゴー…」
 そして部室の机の上には、私の作った研究資料が置かれています。30部印刷して25部はそのまま残っていました。つまりは…そういうことですね。
「(踏んだり蹴ったりですね…)」
 しかしただでさえご迷惑をかけているのに、これ以上落ち込んで皆さんに心配をかけるわけにもいきません。私はとりあえず当面の問題を持ち出しました。
「ええと、ムクさんが調べてる間、私はどこか遠い街にでも行っていた方がよろしいでしょうか?主人さんが2人いるとなると混乱が…」
「それは大丈夫、この秘密のハートタクトで小さくなっていればいいのだワン」
「色々出てきますね…」
「文句はタ○ラに言ってほしいのだワン…」
「も、文句だなんてそんな」
 なんにせよ今の私には泊まる場所もないので、有り難く使わせてもらうことにしました。
「ピッコリ ピッコラ 小さくなーれ」
 がくん!と視界が下がり、みるみるうちに周りのすべてが大きくなっていきます。いえ、もちろん私が縮んでいるんですけど。
「あ、如月さん姿!」
「え…?」
 完全に手のひらサイズになった私が、主人さんの声にあわてて顔を探ってみます。眼鏡があります…。左右に分けた髪にリボンもついていて、完全な如月未緒の姿です。
「そうか、魔法のアイテムは同時に1個しか効果がないので、小さくなったらリボンの効果が消えたのだワン!」
「え、それじゃ…」
「でも元の大きさに戻ったらやはり主人君の姿になってしまうのだワン」
「そ、そうですか…。でもやっぱり、この方がいいですね…」
 私はそっと自分の体を抱きしめました。変ですね、ずっと自分のことが嫌いだったのに。今はこの姿がこんなに嬉しいだなんて…。
「と、とにかくこれで家にも帰れるし、そろそろ閉まっちゃうから学校を出よう」
「は、はい。ええと明るい方の如月さん、お願いできますか?」
 自分にものを頼むというのも変な感じですが、当の彼女はあごに指を当てて何か考え込んだかと思うと、ひょいと私の体をつまみ主人さんに差し出しました。
「この子は主人くんが預かるべきだと思うわ」
「え!?」
「ち、ちょっと何を言い出すんですか!?」
「主人くんは嫌?」
「べ、別に俺は構わないけど…」
「それじゃ決まりね!頑張ってね、未緒ちゃん!」
「な、何をですかっ?」
 そんなこんなで私は主人さんの家に泊めていただくことに決定してしまいました。し、しかしいくら私が小さくなっているとはいえ若い男女が一つ屋根の下だなんてそれは非常に問題が。
「あの…、頑張ってください」
「だから何をですか!」
「こちらの心配はいらないのだワン」
「いけいけゴーゴー!」
「…それじゃ如月さん、行こうか」
「ち、ちょっと主人さん。きゃぁっ」
 私は主人さんの胸のポケットに入れられると、そのまま運ばれていってしまうのでした。

 主人さんの部屋の中です。普通なら入ることなんてできる筈はないのですけど…。
 急いで片づけたようですが、結構綺麗な部屋です。私は彼の机の上で筆箱に腰かけながら、一片のカステラとビンのふたに注がれた牛乳で食事をとっていました。お風呂に入れないのはさすがに我慢するしかないですね。
 主人さんは…私の作った研究資料をめくっています。別に無理して読んでいただかなくても…。
「うーん…いや圧倒されたよ。よくここまで深く考察できるなぁ」
「そ、そうですか?ありがとうございます…。でも人に読んでもらうための努力が足りなかったかもしれませんね…」
「でも題材が題材なんだからそれは仕方ないんじゃないか?少なくとも如月さんにとっては全力をつぎ込めたんだから財産になったとは思うんだけど」
「で、でも…」
「とにかく!俺はすごく良くできた研究だと思う」
「あ…ありがとうございます…。嬉しい…」
 彼の言葉は真剣で、安易なお世辞なんかではないことが私にもわかりました。あ、現金ですね私ったら。そんな状況じゃないのに、どうしても頬が緩んでしまって…。
 と、そんな私を主人さんはじっと見つめているのです。
「え、えっと、何でしょう?」
「あ、いや…。如月さんがそんな風に笑うのって初めて見たなって…」
 彼は照れくさそうに頭をかきます。かぁっ、と私の顔が熱くなりました。
「そ、そうでしょうか?」
「うん、如月さんていつも冷静であんまり感情を外に出さないから…。でも今日はいろんな顔が見られていい日だったなぁ」
「し、し、知りませんっ」
 恥ずかしくて顔が上げられません。だって今日はあんなに色々なことがあったんだもの、仕方ないじゃないですか…。いえ、別にいいんですけど…。
「…あんまり寝てないんだよね。もう休む?」
「は、はい…」
 主人さんがガーゼのハンカチを持ってきてくれました。私は小さな眼鏡を外すと、制服姿のままそれにくるまります。
「弁論大会もすごく良かったって話だし、お礼言わないとな。如月さんは、もっと自信持ってもいいと思うよ」
「‥‥‥はい‥‥」
「それじゃ、お休み」
「おやすみなさい…」
 パチン、と部屋の明かりが落とされます。まぶたがすぅっと重くなり、私はすぐに眠りへと落ちていくのでした。
 あるいはずっとこのままでもいいかもしれませんね…。いえ、そんなこと考えてはいけないんですけど…。

「見つかったワン!」
 次の朝早く、ムクさんと美樹原さんともう一人の私が尋ねてきました。近くの公園でムクさんが変わった眼鏡を差し出します。
「この魔法のキューティクルハイパープリティ眼鏡を使えば、元の姿に戻れるのだワン」
「そ、そうですか…。ええと、ありがとうございます」
 元の大きさになって主人さんの姿をしている私は、ムクさんの眼鏡をかけてみました。
「ラランパ ルルンパ ロンパッパ ラリルレルララ 姿よ元に戻れ!」
 七色の光が私を包みます。眩しさに目がくらんでいる間に、気がつくと私の手は私の手になっていました。まるですべては夢だったかのように…。
「戻った…」
「あの、良かったですね」
「これで全部元通りだね」
「ええ…」
 そして私はもう一人の自分の方へ向き直りました。明るくて元気な、私がそうなりたいと願っていた自分…。
「…元気でね」
「は、はい…」
 私は未練を断ち切るように、早口で呪文を唱えました。
「シィンカ・シィンク・シィンクル・シィンクル、一人になーれ」
 彼女の体がまた現れたときと同じように光に包まれ、私の中へと戻っていきます。お別れじゃないですよね、お別れじゃ…。
「…もう一つの魔法の呪文、忘れないでね」
 彼女は最後にそうささやくと、元いた場所へと消えていったのでした。


 そしてまたいつもの日常が戻り、私は前と同じように生活しています。ただ彼の存在がより大きくなって、ちょっとしたことで私は喜んだり落ち込んだりしていました。きっとそれは幸せなことなのでしょうけど。
 そして元気が出ないときには、鏡の前で魔法の呪文を唱えてみるのです。

「…いけいけゴーゴーじゃーんぷっ!」

 ‥‥‥‥‥‥‥。
 やっぱりちょっと、恥ずかしいですね。






<END>





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