「宇宙時間」




 カチカチと理科室の時計が時を刻む中、紐緒結奈はいささか焦っていた。もう7月、高校卒業まであと約8ヶ月。このままではとても在学中に世界を征服できそうにない。
 思い起こせば中学の頃、「中学生のうちに世界を征服してやるわ!」と公言しながら結局果たせず、高校に望みをかけながらこの有様である。自分はこの程度の人間だったのだろうか。
「すみませ〜ん、掃除が長引いちゃって…」
「遅いわよ!ぐず、どじ、のろま!」
「そ、そんな怒んなくても…」
 涙目になっている下僕を無視し、結奈は研究に取りかかる。急がなくては…自分は天才なのだから…。
「あの〜…ちょっとここわかんないんですけど…」
「(いらっ)」
「いえっなんでもありませんっ!」
 どうやら今日は荒天らしく、嵐が通り過ぎるのを待った方が良さそうである。
 しかし暴発寸前の爆弾を蹴りつけるように、理科室のドアは勢いよく開かれたのだった。
「ハッロー結奈ぁ!」
「えっと、こ、こんにちは!」
 結奈の周囲の空気が氷点下にまで下がり、公は思わず硬直する。彼女のもっとも嫌う非論理的直感主義者と非科学的精神主義者は、そんなことはお構いなしに部屋の中を見回していた。
「うーんグレイト、相変わらずso wonderfulな部屋ねぇー」
「か、片桐さん…」
「あら公クン、相変わらずアンダーウッドなのねー」
 下木でなくて下僕でしょう!心の中で罵る結奈である。
 一方の沙希はといえば、妙な殺人兵器やら怪しげな電気椅子やらを目にして、見事なまでにひきつっている。どうやら彩子に無理矢理引っ張ってこられたらしい。
「…嫌なら出ていきなさいよ」
「え!?そ、そんなことないよ。とっても素敵な理科室だと思うな!」
「(愚民め…)」
 『見え透いたお世辞を言う追従者は流島の刑』という一文を心の中の刑法に加えると、結奈は冷たい視線を2人へ向けた。
「で、一体なんの用よ」
「あ、もうすぐ紐緒さんの誕生日なんでしょ?」
「イエッサー!そこでみんなしてパーッとお祝いしようと」
「よそでやりなさい」
 あっさり…
 いともあっさりそう言うと、結奈は背を向けて研究を再開した。思わぬことに2人は呆然である。この世に誕生日を祝ってもらって喜ばない人がいたとは…
「ねえ結奈、誕生日よ?ハッピバースデーツーユー」
「下僕!そいつらをつまみ出しなさい」
「は、はいっ!」
 結奈の声は氷点下を通り越して絶対零度である。双方の身の安全のため、公は素直に従うことにした。
「ち、ちょっと公クン!」
「2人とも、今はまずいって、な?」
「紐緒さん!わたし一生懸命お料理するから!」
「やかましいっ!」
 なんとか2人をドアの外に押し出すと、公は深々とため息をついた。部屋の中では白衣の主が、苦々しげな表情で実験を続けている。
「まったく、何が誕生日よ。浮かれポンチどもめ…」
「…いつの時代の言葉です?」
「何か言ったっ!」
「いいえっ!」
 かくして紐緒結奈とその下僕は、今日も野望へ邁進する。彼女の誕生日まであと6日。


「failed,失敗しちゃったわね」
「うーん、困っちゃったね」
 別に結奈と親しいわけでもない沙希としてはなぜ自分が巻き込まれているのかさっぱり不明だったが、とりあえずの疑問を解消するため彩子に質問を投げかけてみた。
「ねぇ、なんで彩ちゃんは彼女の誕生日を祝おうって?」
「Oh,それよ!私がこの前描いてた絵があるでしょう?」
「ああ、あれ…」
 ピカソも仰天の奇怪な絵を思い出し、沙希はいささか気分が悪くなる。
「あれを見た彼女が『なかなか落ち着く絵ね』って言ってくれたのよ。もーユーアマイフレンド!って感じだったわ」
「そ、そう…」
 結奈が聞いたら壁を叩いて後悔したに違いない。沙希にとっても客観的に見ればいい迷惑なのだが、そこで文句を言わないあたりが彼女の偉いところである。
「そうね、せっかくの誕生日だもの。頑張ってお祝いしましょう!」
「その意気!そこでちょっとプランがあるんだけどぉ…」
 彩子は沙希の耳に顔を寄せると、ごしょごしょと耳打ちした。


 さて翌日も颯爽と登校した紐緒結奈は、教室には見向きもせずに不法占拠中の理科室へと向かう。そこはまさしく科学の砦であり、伏竜結奈の野望の要塞なのだ。とりあえず本日の計画は国会議事堂襲撃のための兵器の調達を…
「…何よこれは」
 部屋に入った結奈を待っていたのは、およそ征服とは似つかわしくない、いわゆる折り紙の輪っかのチェーンだった。
「グッモーニン、結奈ー」
「お、おはよう紐緒さん」
「これはなにかと聞いているのよ」
 どう見ても誕生会の飾り付けとしか思えないが、それでも聞かずにはいられない結奈である。
「ホラ、もうすぐ結奈のバースディだし」
「…で?」
「この理科室をパーティ会場にすべく」
「許可した覚えはないわ!それにそこの下僕!」
「はいっ!」
 裂帛の怒りが公を打つ。朝早くから無理矢理呼び出されて手伝わされた彼としては、まさに踏んだり蹴ったりである。
「どういうことか説明してもらいましょうか」
「いや、だから、片桐さんが…」
「そう、私より片桐彩子の命令が大事というわけね」
「し、し、仕方なかったんやぁっ!彼女が強引すぎたんやぁぁ!」
「(情けない…)」
 なんだかんだ言ってこんなのが自分の唯一の部下という事実が、激しく結奈を打ちのめした。こんなことで自分は本当に世界を支配できるのだろうか?ああ…!
「ねえ彩ちゃん、ここの飾りつけはこんなもんかな?」
「そうねえ、もうちょっとエキセントリックに」
「人が悩んでるというのにあなたたちは!」
 彩子はくるりと振り向くと、ちっちっちっと指を振った。
「甘いわ結奈、あなたの精神力はそんなものだったの!」
「なんですって!?」
「本当に誕生日を祝う気がないなら、こんな飾りつけなどなんでもないはずよ!」
 それはあまりに見え見えのそのまんまの挑発だったが、それだけに結奈のプライドを刺激した。自らの理性と怜悧な精神には絶対の自信を持つ彼女である。
「いいわ、好きにしなさい。そのかわり研究の邪魔をしたら承知しないわよ」
「オッケィ!」
 馬鹿馬鹿しい、勝手にやっていればいいのだ。7/7にはさぞかしバカを見ることになるだろうが、自業自得というものだろう。
「それでは下僕。我々は無関係に研究を始めるとするわ」
「え、でも、これから授業が…」
「休みなさい」
「そんなぁっ!」

 時は移って昼休み、彩子たち誕生日祝い隊の面々は理科室にて聞こえよがしに作戦会議を開いていた。むろん結奈は知らん顔である。
「作戦ていっても、何すりゃいいのか…」
「ねえ紐緒さん、なにしてほしい?」
「ハッ」
「‥‥‥‥‥‥」
 これといって策もないまま自信を失いかける2人に、彩子はちっちっと指を振るのだった。
「2人とも、ことわざにも言うでしょう?『なしくずし』って」
「それことわざじゃないよ片桐さん…」
「Oh!公クンは彼女のバースディを祝いたくはないの!?」
「そ、それはっ!」
 話のつながりにいまいち脈略がなかったが、公はちらりと結奈を見ると、おそるおそると口を開く。
「そりゃ紐緒さんは年中研究ばかりだし…。誕生日くらい羽目を外して騒いでもいいと思うんですけっ…どっ…」
 おびえつつも言い切った公の後を継ぎ、沙希が結奈に語りかける。
「ね、紐緒さんの生まれた日なんだもの。紐緒さんがここにいることを感謝する意味でも、みんなでお祝い…」
「感謝?お祝い?3段論法にもなってないわね」
「えーと…」
「どうしても祝えというなら祝うべき論理的客観的理由を説明してみなさい。それで納得できない限りこの紐緒結奈が動くことなどあり得ないわ」
 誕生日といえば祝うものと決めてかかっていた3人はこれといって言葉もなかった。しばしの沈黙を打ち破るように、彩子が無理矢理明るい声を出す。
「いいじゃないの理由なんて!とにかく騒ぐための口実!understand?」
「ただの馬鹿ね」
 冷静に事実を指摘した結奈は、3人の存在を脳内のゴミ箱に放り込むと即刻デリートしてしまった。誕生日など、バレンタインやクリスマスに匹敵する意味のない行事である…。
「あ、ねぇ、デコレーション続けましょうよ」
「そ、そうね!」

 7/7が近づくにつれ殺伐とした理科室も次第に華やかになっていったが、だからといって心を動かされるような紐緒結奈ではないのだった。たとえ丁寧に作られた花輪だろうが、たとえ涼やかに飾られた笹だろうが…
「…笹?」
 イネ科の多年草に怪訝な視線を向ける結奈に、彩子が嬉しそうに反応する。
「そ、7/7って七夕じゃない?年に1度だけのギャラクティック・ラブ。うーんロマンチックねー」
「アホらしい…」
「せっかくこんな日がバースディなのよ。もうちょっと喜びなっさーい」
 白い眼で笹を眺めていた結奈だったが、つるされている色紙を見て思わず頭を抱えた。

『私の絵が世界に認められますように』
『お料理が上手になりますように』
『幸せになりたい』

「…何よこれは」
「Surprised!結奈ともあろう者が短冊を知らないなんて!」
「知ってるわよ!高校生にもなって何をしているのかと聞いているのよ!」
「ああ…俺は幸せになりたい…」
「そう、現状に何か不満があるわけね」
「俺は今猛烈に幸せです!」
 そこへ買い物に行っていた沙希が戻ってくる。手には文房具屋で買った折り紙を持っていた。
「これくらいで足りるかな?」
「Fine.上出来ね。それじゃ短冊作りましょ」
「まだつるす気なの…」
 あきれ果てた結奈の表情に、沙希は100%善意の笑顔を向けた。
「よかったら紐緒さんもなにか書かない?」
「心の底から遠慮するわ」
「『ワールドをコンクエストしたい…』」
「書くなと言ってるでしょう!」
 そして…

『エルビスに会いたい』
『陳建一に弟子入りしたい』
『しおりィー』

「‥‥‥」
 あまりのくだらなさにへなへなと脱力する結奈である。誕生日まであとわずか、近頃の彼女の研究は順調に遅れていた。


 その年の7/7は日曜日だった。本来校舎は立入禁止だが理科室だけは治外法権で、結奈の名を出したところ用務員はあわてて鍵を貸してくれた。
「さて今日の沙希の料理は何かしら?ああ楽しみね〜」
「もう、彩ちゃんたら。それが目的じゃないでしょ?」
 材料を手に抱えた沙希の目は、そう言いつつも嬉しそうである。幸い改造理科室には台所が備え付けられており、下僕君がよく夕食を作らされていたものだった。
「(時間はたっぷりあるし、虹野沙希一世一代の腕の振るいどころよ!)」
 しかし理科室で一行を待っていたのは…荷物をカバンに詰めて、帰る支度をする結奈であった。
「‥‥‥‥‥」
「あのう…紐緒さんはどちらへ行かれるのでしょう…」
「今日は一日自宅で研究するわ」
「そんなぁっ!」
 あわてる一同に目もくれず、カバンを閉じた紐緒結奈は、スタスタと出口へ向かって歩き出す。
「ま、待って紐緒さん!すぐ私がとっておきの料理をごちそうするから!」
「興味ないわ」
「escapeなんてunfair、卑怯者のすることだわ!」
「うるさいわね!あなたたちさえいなければ今ごろ私は少なくとも日本を手中に収めていたのよ!」
 言ってしまってからはっと口を押さえる結奈だったが、『そりゃ無茶でんがな』という一同の視線に思わずわなわなと拳を振るわせる。
「とにかく騒ぎたければ勝手に騒ぎなさい!凡人にはお似合いだわ!」
 最後にそう言ってきびすを返す結奈の腕に、彩子は必死で取りすがった。しっかりと彼女の腕を抱きしめると、目を潤ませて涙ながらに訴える。
「Wait,please、お願い…。私たちの愛はそんなものだったの…?」
「そうよ。さよなら」
 結奈は強引に彩子をふりほどくと、ついに理科室を出ていってしまった。彩子は指を鳴らして悔しがる。
「ちぃっ、のがしたか!」
「彩ちゃん…」
 白い視線を向ける2人に、彩子は得意のごまかし笑いである。彼女も内心焦っていたが、かといってここで引き下がるわけにもいかなかった。
「だーいじょうぶ大丈夫!沙希が料理作れば匂いにつられて出てくるわよ」
「片桐さん…犬じゃないんだからさ…」
「Don't Worry!」
 半信半疑の2人を強引に理科室に押し込むと、綺麗に飾り付けられたパーティ会場を見回す。かんじんの主をどうやって引っ張ってくるか、とりあえず後で考えることにして、彩子はパーティの準備にかかるのだった。


 紐緒結奈の自宅に住むのは彼女1人である。あまりに平凡な両親を早々に見限って家出して以来、彼女の誕生日はいつも1人で過ごしていた。それ以前は家族そろって誕生日パーティを開いていたものだが…くだらない思い出だ。
 誕生日を祝うことの必要性に疑問を覚えたのはいつのことだったろうか?あの頃はだんだんと世の中の嘘が見え始め、なにもかもがくだらなく感じたものだ。しかし明敏すぎる彼女に、世間の大人は冷淡だった。
「ねえ、それっておかしいんじゃない?」
『…子供らしくないねぇ』
『可愛くないよ』
「子供らしいって何?私が間違ってるなら論拠を示してよ」
『はははは…』
『参ったね、この子には』
 (愚民ども…!)
 他に誰一人いない部屋で、紐緒結奈はコンソールに拳をたたきつける。私をあざ笑った奴ら。私を狂人呼ばわりした連中。愚民ども、愚民ども、愚民ども!いずれ必ず思い知らせてやる。何が正しいのか、何が間違っているのか。この世がどんなに矛盾に満ちているか、貴様らがどれだけ嘘に塗り固められているか!
Trrrrr
電話が鳴り、結奈は受話器を取った。
「ハァイ結奈、私」
ガチャ
 無知とは幸せなことだ。無邪気に誕生日を祝える方が楽しいだろう。だが自分はそうはならない。「満足した豚よりも、飢えたソクラテスたれ」。それこそが彼女の行動原理であり、自分と他人に一線を画す明確な直線ではないのか?
Trrrrr
「ねえ紐緒さん、わたし思うんだけど」
ガチャ
 感情に素直になるということは、結局は豚と変わりはしない。絶対理性こそが人間を獣と区別する証であり、それを突き詰めてこそ不完全な人間を越えられるのではないか?
Trrrrr
「Hey結奈!早く来ないとあなたの大事な下僕がひどい目にあうわよ!」
「助けてください紐緒さん!彼女たち短冊代わりに俺をベランダから吊す気なんです!」
「そう、良かったわね。最近脳が腐ってるようだから、しばらく虫干ししてもらいなさい」
ガチャ
 つくづく馬鹿な連中だと思う。やっていることに論理性が見あたらないし、それを恥とも思っていない。だから自分は、人間が嫌いなのだ…。




<続く>




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