「ここにいれば、そのうち来るから待っててね」
 そう言って詩織ちゃんは彼のそばを離れました。やっぱり、心細いな…。
 ううん、ちゃんと一人で話しかけるって自分で決めたんだもん。頑張れ愛!
「あ、あの…」
「‥‥‥‥」
 …聞こえてない。
「あのっ…」
 もっと大きい声出さなくちゃ。ほら、息を吸い込んで。
「あ…」
「よお!おまえも来てたのかよ」
「なんだ好雄、そんな格好でよく入れたよな」
「‥‥‥(オロオロ)」
「そりゃお互い様だ。ん、そっちの娘は?」
「は?」
 あの人が、いきなりこちらを振り向きます。
「あっ…あのっ、あのっ、すいませんっ!」
「はい?ちょっとっ?」
 私は一目散に逃げ出しました…。



            ファースト・ステップ



「ごめんね詩織ちゃん、せっかくチャンス作ってくれたのに…」
 パーティからの帰り道、私はどんよりと落ち込んでました。今日こそはと思
ってたのに、けっきょくいつもと同じだったんです。
「まだチャンスはいくらでもあるよ。元気出そう、ね?」
「う、うん…」
 雪の降り積もった道を踏みしめながら、私は街灯に浮かんだ彼女の横顔を見
つめます。どうして彼女はこんなにも綺麗なのに、私ときたらその十分の一も
意気地がないんでしょう。
「ねえ、やっぱり私から紹介してあげようか?」
「ううん…」
 彼女の親切な申し出に、私はいつものように首を振りました。今までずっと
詩織ちゃんに頼ってばかりだったもの、自分の恋ぐらい自分でなんとかしなく
ちゃ。
「…新学期になったら、ぜったい話しかけるから」
 何度も決心しては挫折したけど、今度は今度こそ本当なんです。詩織ちゃん
はまだなにか言いたそうにしてたけど、口には出さずに優しく私の肩を叩いて
くれました。
「メグ、頑張れ」
「う、うんっ」

 もう新学期が来ちゃった…。
 いや、「来ちゃった」じゃないでしょ愛。今日という今日は私のこと知って
もらうんだから。
 いつもあの人が通る通学路。私は白い息をはきながら、その場でずっと待っ
ていました。
 …でもなんて言って話しかけよう。見ず知らずの私が「おはようございます」
って言うのも変だよね。見晴ちゃんはわざとぶつかってきっかけ作ればいいっ
て言ってたけど、それもちょっと…。
 ‥‥‥あっ!
 と、通り過ぎてっちゃった。愛のばかばか。急いで追いかけなくちゃ。
 ‥‥‥‥‥
 彼から少し離れて、私はうつむきながら歩いていきます。なんども繰り返さ
れた朝の風景。
 このままじゃまたいつもと同じになっちゃう、何かきっかけさえあれば…。
 あ、横から別の人が来ちゃった。誰かがいるところじゃ話しかけづらいなあ。
「よう、好雄」
「よっ」
 どんどん人が増えていきます。学校に近づいてるんだから当たり前ですよね。
 キーンコーン
 私は自分の席について、自分をひっぱたいてやりたい衝動に駆られていました。

「あ、あの…」
 昼休み、彼は他の男の子と楽しそうに話してました。じゃ、邪魔しちゃ悪い
ですよね。
「あっ、し、詩織ちゃん。もうお昼食べたの?」
「…あっちに用があったんじゃないの?」
「‥‥‥‥‥」
 詩織ちゃんは小さくため息をつくと、私の手を引いて屋上へと連れていきま
した。
「ねえメグ、このままじゃ何も変わらないよ?」
「わかってはいるんだけど…」
 あの人を前にするととたんに声が出なくなってしまいます。気ばかりあせっ
て、どうしていいかわからなくなって、結局いつも逃げ出しちゃう。
「私ってダメな女の子だね…」
「だから、そういうのが良くないんだってば」
 ごめんね詩織ちゃん。なんだかんだ言っていつも迷惑かけてるね。
「それじゃ、なにかきっかけがあれば大丈夫?」
「う、うんっ」
「それじゃ来月の14日ね」
 2月の14日…えええっ!?
「で、でも見ず知らずの私からのチョコなんてっ」
「そのためのバレンタインじゃない。これを逃したらもう無理かもしれないよ?」
 そ、そうよね。1年に1回しかないんだし…。
 私は今度こそ本当の本当に決意しました。美樹原愛は、必ずチョコレートを
渡します。

 そんなうちにカレンダーは2月になって、運命の日がだんだんと近づいてき
ます。
「やっぱり、ホワイトチョコがメグっぽくていいんじゃないかな」
「そそそう?じ、じゃあそれにする」
 ああ…、チョコ買うだけでこんなに緊張しててどうするんだろう…。
「し、詩織ちゃんはチョコ買わないの?」
「私は、好きな人がいないから…」
 詩織ちゃんはちょっと寂しそうな顔をしました。なんでもできるって、それ
ほど幸せなことではないのかもしれません。
「だからメグ、私の分もバレンタインを楽しんでね。失敗したりしたら承知し
 ないぞ」
「う、うん…!」

 とうとう運命の日がやってきました。あの人は伊集院さんとなにか話してい
ましたが、不機嫌そうな顔をして自分の席に座りました。
 ちょっと今は間が悪いかな…じゃなくて、早く渡さなくちゃ。詩織ちゃんも
向こうで応援してくれています。
 どきどきどきどき
 き、緊張してきちゃった。いつもだけど…。なんだか教室のみんながこっち
見てるような気が…。
「あの…これ、受け取ってください!」
 私がそう叫んだのは心の中だけで、実際には誰の耳にも届いてませんでした。
 駄目…
「メグっ!?」
 詩織ちゃんの声を背に、私は教室を飛び出しました。

 私は校舎裏でチョコレートを抱きしめたまま、一人で泣いていました。
 ばか、ばか、愛のばか。
「メグ」
 詩織ちゃんがそう言って顔を出します。私は情けなくてとても彼女の顔が見
られませんでした。
「…やっぱり、私から紹介してあげるよ」
「‥‥‥」
 自分の力で、なんてとても言えはしないけれど、やっぱり私は首を横に振り
ました。ここで彼女に頼ったら、もう二度と自分ではなにもできなくなる気が
します。
 でも今日ばかりは詩織ちゃんも呆れ果てたのか、私の返事を聞かずに駆け出
していってしまいました。
「ここで待ってて!」
「し、詩織ちゃんっ?」

「でもぉ、恥ずかしい…やっぱり、いいよぉ…」
「何言ってるのよ、せっかくのチャンスじゃない。勇気を出さなきゃ」
 壁の向こう側にはあの人が来ています。でも一度なえた私の勇気はそのまま
どこかへ飛んでいって、私の足はすくむばかりでした。どうせ無理なんだ、そ
う思ってしまいます。
 そんな私に、詩織ちゃんは優しく言いました。
「彼のこと好きなんじゃないの?」
 その言葉は静かだったけど、私の心を晴らすのに十分でした。
 …好きです。
 ずっと彼のこと見てました。あの人のそばに行きたくて、ずっと…。
 そのままうつむいてしまう私の背中を、詩織ちゃんはそっと押しました。
「…受け取ってくれるかな」
「私が保証する」
「うん…」
 詩織ちゃんがこう言ってるんだもの、ぜったいに大丈夫。
 そして私は一歩を踏み出しました。きっと私の人生でなによりも大切な、小
さいけど、大きな一歩。

「あの…」
「は、はい?」
「わ、私…、美樹原愛といいます。こ、これ、受け取ってください…」
「あ、ありがと。ありがたく…」
 その続きも聞けぬまま、私は走って逃げ出しました。
 さっきと同じように、でもふわふわした昂揚感に包まれて。

 どこをどう走ったのか覚えてないけど、気がつくと私は伝説の樹の下にいました。
「メグ」
 詩織ちゃんが追いついて、私に声をかけます。なんだかすごく嬉しそうでした。
「し、詩織ちゃん…」
「よく頑張ったね」
「私…ちゃんと渡せてた!?どこも変じゃなかった!!?」
 我を忘れて詰め寄る私に、詩織ちゃんは優しく微笑んでくれました。
「喜んでたよ」
「…よかったぁ…」
 私はへたへたとその場に座り込みました。
「…顔、覚えてくれたかな」
「当たり前じゃない」
「名前も?」
「忘れてたら私がひっぱたいてあげる」
 2人で顔を見合わせてくすくす笑います。嬉しくて、すごく嬉しくて。今ま
でで一番幸せな瞬間でした。

「でも結局、詩織ちゃんに頼っちゃったね」
 教室に戻る途中、私は小さく呟きました。
「…それでもいいじゃない」
「え?」
「急になんて無理だもの。少しづつ頑張っていけばいいよ」
「詩織ちゃん…」
 彼女の顔を見つめたまま、この人と友達になれたことを心から感謝しました。
「…明日、一緒に帰ろうって頼んでみようかな」
「その意気!」
「うんっ!」
 以前の私は無理だったけど、もうただの他人じゃないんだもの。きっと大丈夫。
 彼へと続く階段はまだ長いけど、一歩一歩登っていけばいいんですよね。

 そして階段を上りきった先には、きっと…。


                            <END>


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