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この作品は「CLANNAD」(c)Keyの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
CLANNAD全体に関する重大なネタバレを含みます。


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『もし町に人と同じように、意志や心があるとして
 そして、そこに住む人たちを幸せにしようって、そんな思いでいるとしたら
 こんな奇跡も、そんな町のしわざかもしれないです』






その世界の終焉まで






§1


 わたしの意識がいつ生まれたのかは知れない。
 敢えて言うなら名前が付いた時だろうが、その名前すら、時につれて何度も変わった。

 最初は何をすれば良いか分からず、長い時間をただ座り込んでいた。
 眼前には広大な草原。
 そこでは幾つもの光たちが、様々に明度を変えながら飛び交っている。
 それが『彼ら』の想いの投影だと、ようやく気付いたのは、相当の時を経てからだった。
 それこそがわたしと、この世界を形作ったのだということも。

 光の玉に触れてみる。
 わたしは実体を持たないし、彼らを直接見ることも、言葉を交わすこともできない。
 でも、何となくではあるけど、触れることで想いを感じることはできる。
 遠いけれど、近い世界。木の葉の表と裏のように、決して交わらないけど、でも切り離せない世界。
 何もする事がなかったわたしに、初めて役目ができた。
 彼らの幸せを祈ること。
 その想いは同じように、あちらの世界に投影される。
 わたしの力なんて徴々たるものだけど、時間だけは山ほどあるのだ。塵も積もれば、幸せの後押しくらいはできるかもしれない。

 そうしている間に、この世界にも、僅かずつにせよ変化が生じ始めた。
 まず、獣が現れるようになった。
 恐る恐る近づいてみて、それが彼らの作ったものと分かる。作ったものが投影された形。
 たぶん今までも、虫や菌類の形で存在はしていたのだろう。小さくて気付かなかっただけで。
 一、二体とはいえ獣が現れたということは、それだけ高度なものが作られるようになったということだ。
 その時は、単純に進歩を喜んでいた。

 そして、わたし自身も少し変わった。
 生まれてから一歩も動いたことがなかったけれど、初めて動いてみようという気になった。
 この世界は、どこまで続いているのだろう。
 暖かい草原の中を、一方向へと進んでいく。獣も一緒に、この冒険に付いてきてくれた。
 といっても冒険というほどの事はなく、すぐに端まで着いてしまったのだけど。

「あら」
 わたし以外の声。
 世界の端の向こう側に、わたしでない誰かがいた。
 豪奢で整った印象。わたしは自分の姿を意識したことはないけど、彼女より貧相なのは確かだ。
「ご機嫌よう」
「こ、こんにちは」
「いつ挨拶に来るかと思っていたけど、随分遅かったのね」
 ようやく分かった。彼女は、『隣町の意志』だ。
「ご、ごめんなさい。あの、挨拶が要るって知らなくて」
「まあ、田舎者だから仕方ないわね。都会であるこの私をよく見学していきなさい」
「は、はあ…」
 何だか理不尽な気もするが、言われた通り、彼女の世界に目を向ける。
 獣の数が多かった。
 全体的に、わたしのところと比べて賑やかだった。
「随分と盛えているんですね」
「当然ね。ここは昔から街道が通っていて、交通の要所だもの」
 それから延々と、隣町の歴史と隆盛について聞かされた。
 長い話だったが、誰かと話すこと自体が初めてだったから、飽きることはなかった。
「だから、光もこんなに多いんですね」
「それは…」
 乱舞する光の群れに、正直な感想を言ったつもりだったが、急に彼女の表情が陰る。
「人数が多いだけよ。一人当たりにしたら…それ程でもないわ」
「そうなんですか?」
 けれど、表情の裏にあるものを読み取ることはできなかった。初めての交流で、有頂点になっていたから。
「あの、また会いに来てもいいですか?」
「そうね、好きになさい。後少しかもしれないけれど」
 有頂点になっていたから――その言葉の意味に、その時は気付かなかった。

 すぐに再訪するのも迷惑な気がしたので、少し間を置いて…と言っても、この世界の時間は曖昧なので、人間の時間で何年なのかは知らないけど…ある程度経ってから、もう一度会いに行った。
(――――!)
 風景が一変していた。
 増えた獣たちが、草原を食い荒らしている。
 光の玉も減っている。私の世界でも、天災や飢饉で一時的に減ったことはあったけど、そういうのとは違うようだ。
「あら、よく来たわね」
「あ、あの、何があったんですか?」
「別に何もないわよ? 自然な、当たり前のこと」
 話す彼女の印象は、平穏で落ち着いていて、ずっと前に覚悟を決めていたかのような気がした。
「人が、あまり町を想わなくなったということ」
「…ええっ!?」
「仕方のないことよ。昔の人間は、良かれ悪しかれ土地に縛られていた。集団から離れて生きていけなかった。それが『都会』という状態になるにつれ、その束縛から解放されたの。個人は個人として存在するようになったの」
「そんな、そんなの信じられません。彼らは一人では生きられないはずです」
「程度の問題よ。あなたみたいな田舎なら、当分は大丈夫でしょうけど」
 彼女は小さく嘆息すると、動き回る獣たちを見つめた。
「ここまで急な変化でなければ、まだどうにかできたのだけれど」
「そ、そうですっ。どうしてこんな急に」
「少し前に、維新とかいう出来事があったらしいわね。以来世の中の移り変わりといったら、滝の水の落ちるが如くよ。…時代についていけないものは、消え去るのが宿命だわ」
「そ、それでいいんですか? 寂しくはないんですか?」
「どうして? 言ったでしょう、自然な、当たり前のことだって」
 そう、鼻で笑われてしまう。
「町が発展した結果として、私なしでも立ち行くようになったのだもの。むしろ誇りに思うことだわ」
 彼女は高潔さを崩さなかったけど、その姿は、どこかしら儚く感じられた。

 自分の世界の中心で、わたしは小さくなって震えていた。
 どんなことにも終わりはあるという、要するにそれだけの話だ。
 けれど、今まで自分の終わりなど想像したこともなかったから、ただ脅えるしかできなかった。

 また少し経ってから、恐る恐る彼女の様子を見に行ってみる。
 世界の端の向こう側は、何もなくなっていた。
 隣町の意志は消えたのだ。
 わたしは元の場所に戻り、再び小さくなって耳を塞いだ。
『あなたみたいな田舎なら、当分は大丈夫でしょうけど』
 その『当分』は、そうして無為に過ぎていった。



 春を表していた風景は、夏を飛び越えて秋になった。
 色彩豊かだった草原は、どこか荒涼としたものに変わる。
 時間が曖昧なこの世界だから、その先の未来も少し感じることができた。
 じきに雪が降る。
 それで終わり。決して春の来ない冬だ。

 この頃になると、さすがにわたしも締めの境地だった。
 草を食む獣たちの姿が、ずっと田舎だったこの町にも、発展の二文字が押し寄せつつあることを知らせる。
(――それは、悲しんではいけないことなんだ)
 変化というのは、つまりは古いものが消えるということ。
 世界は除々に削り取られ、補充もままならなず縮小していく。
 もう、この世界の役割は終わった。町の心なんて、もう誰も信じていないし求めてもいない。
 だから……

『――助けてくれ』

 顔を上げる。
 声? 聞こえるわけがないのに。そんな繁がりなんて、もう無いはずなのに。
 眼前にあったのは光の玉。
 ひときわ大きく、明るく。光の喊った世界で、こんなにも輝くなんて、どれだけ強い想いなんだろう。
 触れた瞬間、その想いが流れ込む。

『――助けてくれ』
『誰でもいい。娘を助けてくれ』
『代わりに俺がどうなってもいい。だから娘を』
『渚の命を――!』

 誰かが、死に掛けているようだった。
 別に珍しいことではない。町ができてから今まで、どれだけの人間が亡くなったことか。
 同じように助けを求める光に、畿度触れたか。その都度わたしにできたのは、一緒に悲しむこと位だった。
(…でも)
 今、わたしが必要とされている。
 省る人なんて、もう誰もいないと思ってたのに、わたしに助けを求めている。
 周囲を見回す。もうじき終わる世界。私そのもの。
 どうせ終わるのなら…!
 迷っている暇はなかった。わたしは世界の端まで飛ぶと、その向こう、何もない漆黒の中へ身を投げだ。
 世界の裏側へ行くために。


 感覚が除々にはっきりする。下の方で誰かが叫んでる。叫ぶ誰かと、その腕に抱かれた小さな女の子。
 やり方は分かっていた。急降下して、女の子の体に飛び込んだ。
 中は冷え切っていて、命はどこにも感じられない。それを、わたしの命で代用する。風船に空気を入れるように、手足の隅々まで浸透させる。
 同時に、それはわたしがこの子になるということだ。
 『渚』という名前と、記憶の全てが伝達される。寂しい。お父さんとお母さんがいなくて寂しい。でも、わがままは言っちゃいけない。待っていよう。たとえ雪が降っても、二人を待っていよう…。
(大丈夫だよ。お父さんも後悔してるみたいだし、きっともう渚を一人になんかしないよ)
(だから、目を覚まして…)

 ゆっくりと、光が目に差し込んでくる。
 初めて視覚を通して…といっても渚の目だけれど、わたしが見たのは、歓喜にむせぶ父親の顔だった。
「ありがとう…ありがとうッ…!」
 わたしを意識しての言葉ではないだろう。
 それでも、自分の行動が肯定されたように思えた。もとより、町の住人たちのために生まれたわたしだ。住人であるこの子のため、身を捧げるのも、相応しい最後かもしれない。
「お父さん…」
 まだ朦朧とした意識の中で、渚が小さく呟く。
 渚が手を動かし、父親に抱きつく。
 不思議な感覚だった。今まで遠くに感じるだけだったのが、今は直接経験している。長くても、あと百年あるかないかの命になってしまったけど…最後に、人の生き方を見せてもらうことにしよう。
 かくして、わたしの奇妙な居候生活が始まったのだった。




<つづく>




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